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2019年03月18日

生殖細胞(卵子・精子)と中心体

以下、学界の最新の研究から抜粋したもの。

【1】動物の受精卵には精子中心体が継承され、卵中心体は受精前に消失する
この「卵中心体の消失」のメカニズムはほとんど研究されていない。
国立遺伝学研究所「卵母細胞からの中心体消失~減数分裂時の中心体動態を司るLIN-41」

【2】哺乳類を除く動物の体細胞では、中心小体をもとに形成した中心体が微小管重合中心として機能し、紡錘体極として働く。
一方、哺乳類の卵母細胞は中心小体が存在せず、マウスでは細胞質内に点在する複数の微小管重合中心が集合して紡錘体極を成す。
理化学研究所「卵母細胞はその大きさゆえに間違いやすい-卵子が染色体数異常になりやすい理由-」

【3】哺乳動物の卵子には形態的な中心体(すなわち中心小体と周辺PCM)は存在しない。
●受精に必要な微小管形成中心(MTOC)としての中心体は精子が導入する(下図)図18

 

●精子中心体の構造と機能発現(下図2つ)
精子中心体は頸部に存在し、2対の中心子とその周囲の様々な中心子周辺蛋白から構成されるPCMから成る複合体である。PCM には微小管形成に関わる種々のタンパクが存在し、卵子細胞質内でそれらがリン酸化されることにより機能を発現すると考えられている。

図19

図20

 

●ヒト受精における微小管の形成(下図)
卵子内に侵入した中心体より放射状の微小管の束、すなわち精子星状体が形成される。雌性前核には微小管のmotor protein(微小管をレールとすると荷物を運ぶトロッコ列車の役割を果たす)の存在が確認されており、雌雄前核融合にむけた動きをプロモートする。

図21

微小管の放射状の構造はゲノムが卵子の中心を知るうえでは合理的であると考えられる。すなわち、最終的に卵子内 に360度方向に形成された微小管の斥力が卵子の中心でつり合い、雌雄ゲノムはそこに導かれるのである。雌雄前核は卵子中心で融合して精子中心体は分裂 し、第一分裂紡錘体が形成される。
秋田大学大学院医学系研究科「受精における精子中心体機能の発現とその異常」

【4】哺乳動物のなかで唯一、げっ歯類の精子には中心体が存在しない。
また、卵子活性化を媒精以外の方法で誘起し、卵割を来す単為発生処理において、卵子が精 子中心体の関与なしにどのように核を中心に移動させ、第一分裂紡錘体を形成するかは明らかになっていない。これらの事実は、精子中心体の受精の成立に対する必要性に疑問を投げかける。(中略)いままでの知見からは精子中心体が受精に必須のファクターであるとは断言できず、中心体が存在しない卵割が正常であるか 否かも含めてさらに検討してゆく所存である。
秋田大学大学院医学系研究科「中心体機能補助の可能性、中心体が存在しない卵割」

 

 

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2019年03月12日

脳も、無限の波動に満ちた宇宙のホログラム(相似形)

脳は「非局在性」という性質を持つ。そして、素粒子=波動も「非局在性」を持っている。
非局在性とは、「この宇宙におけるあらゆる現象が離れた場所にあっても相互に絡み合い、影響し合っているという性質」
脳や微小管→中心体の機能を追求する上での前提となる性質である。

「素粒子の性質とテレパシー」から引用する。

重要なのは「無限の波動に満ちている宇宙は一つのホログラムであり、宇宙のどの部分もそのホログラムの断片であり、宇宙の時空に関する全情報が含まれている」ということであり、脳も小さなホログラム(宇宙)であるということ。従って、脳も宇宙の相似形(宇宙と同じ秩序構造を持つ小宇宙)であるということ。
—————————————————————-
すべては量子の波動である

空間のあらゆる点は他の点と同じであり、「非局在性」なのである。

相互結合性の結論から導かれたこの非局在性の概念が意味することは、ある現象の原因が、たとえ粒子間の動きであっても、すべてのものは全体としての宇宙と分かちがたく結びついているので、その原因は現象そのもののなかに存在しないということを示している。
これは、私たちの住む本当の現実のなかには、それだけで存在しているというものはあえいえない、ということを表している。
私たちを含めたあらゆる事象がともども、一体性のなかに包み込まれているとこを意味しているのである。

だから、すべての事象が個別的な粒子の形をとるならば、二つの粒子の相互作用は、一つの分割不可能な連結状態という関係性を構成することになるのだ。つまり、いったん結びつくと、宇宙の果てまで引き離されても、一方に変化が生じると、他方も瞬間的に応答する関係性が生まれるのである。

「関係性こそ非局在の証し」。物理学者ベルによって数学的に証明され、ベルの定理と呼ばれる。ある現象の原因がその現象のなかには存在しないという、非局在性の空間概念の基となったこの関係性の存在が、量子物理学で提起されたのは20世紀前半であった。
ベルが厳密な数学的解釈に基づいて引きだしたこの「遠隔系の量子結合」の証明の意味するものは、まさに空間が非局所性であることを示すものである。

(中略)

物理的実体とは、通常のエネルギーの態様である波動でのエネルギー交換という相互作用を通して、波動が粒子様態となって表現され(相補性の関係・相補的関係性)、それらの粒子間で引き合う力が生じる結果、つまり共鳴という引き合う力による連結状態が生じる結果、エネルギーの波動が具象化したものである。

私たちの心と外界の具象の両者は、けっきょく一つの秩序から出現するものなのだ。この秩序を生みだす全体とは、宇宙を構成する一次的現実のエネルギーの波動という量子スープである。

交差する無限の波動に満ちている宇宙は一つのホログラム(であり、宇宙のどの部分もそのホログラムの断片であると考えられる。そこには、宇宙の時空に関する全情報がすでに含まれていることになる。この統合性の力(織り込まれた秩序)が共鳴力による連結状態を生み、具象化を促す潜在的可能性となる。

ある相互作用がいちど波動間で生起すると、それ以後その相互作用のパターンが他のパターンよりも生じやすくなる。言い換えれば、その作用に関連した場が発現するのである。そしてそのことが繰り返されると、それがまた場にフィードバックされ、場の影響力はますます強められることになる。

累積記憶とは、世代から世代にわたる長期間、相互作用の繰り返しによって形成された、強力な場のこと。最初に場を発現させた個人が死後もその場は存続し、次の世代に承継される。

(中略)

きっかけがなんであれ、ある相互作用がいちど波動間で生起すると、それ以後その相互作用のパターンが、ベルの定理にしたがって、他のパターンよりも生じやすくなる。言い換えれば、その作用に関連した場が発現するのである。そしてこのことが繰り返されると、それがまた場にフィードバックされ、場の影響力はますます強められることになる。

個々の具象の表現形態は、あるきっかけによる相互作用を通してそれぞれのM場(形態形成場)に形成され、その形成結果である表現形態はいちど形成されると、その後そこにずっと維持される。再度その相互作用が生起するたびに、場にそれがフィードバックされ、そこで既存の表現形態と「形態共鳴」が起こり、かつそのM場の非物理的影響力も強まり、同一の表現形態がますます表れやすくなる。つまり、その場にある種の内蔵された記憶ができるのだ。

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2019年03月12日

脳は波動をホログラフィーのように再現する

現代の脳科学は「局在論」の立場に立っているが、それに対して、脳の様々な機能は局所ではなく脳全体に分布しているという「全体論」がある。その一つが脳医学者プリブラムの提唱した「脳のホログラフィー説」である。
以下、脳は外界の波をホログラムの様に再現するからの引用。

■80%以上の脳を切り取っても脳は機能する。
「全体論」は1940年代、アメリカのラシュリーによって提唱された。
ラシュリーは元々局在論の立場で、脳が「記憶」している場所を突き止める実験を行った。
彼は、ネズミに迷路学習を行った後、脳の一部を切り取り再び迷路を走らせるという実験を実施した。その結果、脳の80%を切り取ってもネズミは迷路をクリア出来るという、局在論では説明できない事実が明らかになった。
記憶は脳の一部分に局在しているのではなく全体に分布していたのである。

■脳の記憶方法とホログラムは似ている。
その後、ラシェリーの研究グループに加わっていたプリブラムが、「脳のホログラフィー説」を提唱し、脳の機能が「どのように全体に分布しているのか」に対する仮説を提示した。ホログラフィーとは、光の干渉を使って物体の三次元的像を作り出すための装置であり、脳はこのホログラフィーの仕組みと類似していたのである。

ホログラムの特徴は「全体性」である。例えばカメラのフィルムは半分にすると被写体は半分しか現れないが、ホログラムは、半分にしても、さらに半分にしても、どんなに小さく切ってもその断片に光を照射すると完全な三次元の立体映像が現れるのである。この事は、ホログラム全体に被写体の完全な情報が分布していることを意味している。

この事実からプリブラムは「脳は、外界のエネルギーの波動パターンを一瞬にして分析し、それをホログラムと同じような方式で脳内に組織化する。その結果、組織化された記憶は脳の全体のちょうど干渉縞にように数学的に変換され、符号化される。」という仮説を提示した。

■脳は外界からの情報をどう解読しているか。
プリグラムは 「どの様方法で脳は情報を符号化しているのか。」という問いに対して、「フーリエ変換」によって脳の機能が理論化できる事を実証した。
「フーリエ変換」は、込み入ったパターンを1組の単純な波に分解してしまう方式で、CTスキャンや人工衛星写真などにも使われており、不要な映像を取り去ってすっきりとした被写体の三次元映像を復元する事が出来る技術である。
例えば、テレビ受像機は電波という波によって運ばれた映像を画像化するが、それと同じ様に、脳は感覚器官が運んでくる外界からの波をフーリエ変換によって画像化すると考えた。

■脳はなぜ一瞬で知人の顔がわかるのか?
ホログラフィー理論を使うと、局在論では説明できなかった事が説明出来る様になる。
例えば、人間は友人の顔を距離が離れていても、人込みのなかに紛れていてもすぐに分かるが、この現象は既存の脳科学ではうまく説明できなかった。これを、フーリエ変換によって三次元の立体映像を一瞬にして作り出すと考えると矛盾なく説明出来る。
この様に、脳の機能は局在しているのではなく、全体性を有しているのである。

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2019年03月12日

中心小体は始原生命体に最も近い生命体(統合体)2

物理学者のペンローズは、脳の神経細胞内の微小管が意識を発生させると主張する。
意識は何らかの量子過程から生ずる。意識はニューロンを単位として生じるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。それを量子力学と数式によって証明しようとしたのがペンローズである。
以下は、次の3つの記事を要約したもの。

中心体原基と意識の連関性「ペンローズ・ハメロフ・モデル」
中心体が共認機能の中核か
人の意識は「脳」ではなく、「微小管」にある

●ペンローズ「脳の神経細胞内の微小管が意識を発生させる」
この微小管とは中心体原基に他ならない。中心体原基は細胞の分裂装置(原核生物:収縮環FtsZ、真核生物:中心体)として働くだけでなく、細胞骨格から脳内ニューロンまで構成する。ペンローズはこのうち、脳内ニューロンに存在する微小管に注目した。

微小管を構成するチューブリンは分子中の電子の位置によってデジタル的変化(開くor閉じる)を取りうるので、それを束ねた微小管は、一つ一つがコンピューターのように機能でき、そのデジタル的変化こそが、ニューロンの発火=意識を呼び起こすとペンローズは考え、これを量子力学によって証明し、数式として提示しようとしている。

●ハメロフの麻酔実験
ペンローズの共同研究者である麻酔学者スチュワート・ハメロフの麻酔実験がある。
全身麻酔に使う麻酔ガスは、脳のほとんどの機能を維持しつつも、意識だけを消失させる。

神経細胞の軸索内には「微小管」と呼ばれる細長い管の束が存在する。この微小管はチューブリンタンパク質で作られているが、麻酔ガスの分子は、このチューブリンの分子構造の隙間にはまり込む。
アリゾナ大学の麻酔学者スチュワート・ハメロフ教授は、このチューブリンの隙間に麻酔薬の分子がはまることで、一つの電子の動きを阻害することを発見した。チューブリンは“開く”“閉じる”という二つの状態を交互に変化させているが、そのどちらかになるのかは、先ほどの一つの電子の位置で決定される。

量子力学によると、一つの電子が二つの違う位置に、同時に確率的に存在するという重ね合わせの状態を作れる。
ということは、一つの電子の位置で開いた状態と閉じた状態が変化するチューブリンも、量子力学的効果により「開いてもおり、閉じてもいる、重ね合わせの状態」を作れることになる。
もし、麻酔ガスが一つの電子の動きを阻害することで意識が喪失するのだとしたら、電子の動きが阻害され、その電子の位置が決定される・・・すなわち電子がどちらでもある状態でなくなったときに意識が消失してしまうという仮説が成り立つ。
「チューブリンが、量子力学的な重ね合わせの状態にある状態から、開く閉じるのどちらかである状態に崩壊する過程が、意識を生む働きと関係がある」と考えた。これが「ペンローズ・ハメロフ・モデル」という仮説である。

●中心体電磁気説
ペンローズの「微小管意識仮説」を実証するためのキーワードが、「八木・宇田アンテナ」である。

八木・宇田アンテナは、導電性の管がその長さに応じて特定の波長の電波を受信する装置。微小管は中空の管で、弱導電性。
つまり、微小管がアンテナとなって電磁波を受信している。微小管の電磁力の向きは、コイル構造をしたチューブリンが、右ねじの法則に従う(右旋性)か逆向き(左旋性)かで規定されています。中心体は0.4μmの微小管がおよそ40度で交わっており、断面が車輪のような構造をしている。
中心体が受信した電磁波の波長を変換し、微小管が導波管となって細胞液中の各小器官に伝えていると考えられる。その波束が収縮したものが膜電位であると考えれば、ペンローズ説が生物物理的に強化される。中心体の細胞内運動と細胞分裂、アメーバの移動、イオンチャネルの開閉、脳波の生成と睡眠など、生命現象を広く説明できる。

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量子力学の「2つのスリットを通る電子の位置が測定できない」ことの理由は未だ解明されていない。
それをそのまま麻酔に当てはめる論理には飛躍も感じるが、微小管→中心体が電磁波≒量子(光子や電子)を受信・発信するのは間違いなさそう。 とすれば、微小管→中心体の解明には量子論~宇宙論的なアプローチが必要かつ有効であると考えられる。

 

 

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2019年03月12日

日本各地に遊郭街があった!オランダ人の夜の相手が不人気の理由とは?

江戸時代の遊郭は全国至るところにあったようです。

その中でも長崎の丸山遊郭では、日本人以外に中国人やオランダ人も訪れたとのこと。

そのお相手をする遊女たちにオランダ人は不人気だったそうですが、その理由とはいったい何だったのでしょうか?

リンクより紹介します。

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江戸時代には幕府公認の遊郭は、江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町と、全国に3つしかないとされていました。しかし現実的には半公認の遊郭街は全国いたるところにあったのです。天保十一年(1840)ごろからは、蝦夷(北海道)から熊本(熊本県)にいたる201~207箇所ほどの「遊所」に番付をほどこし、データを掲載した印刷物がしばしば市販され、人気を呼びました。

各地の遊郭は、それぞれの地方の事情を反映しており、他地域から見れば「えっ?」みたいなことが常識なのですね。例えば今年、北陸新幹線が開通した金沢にあった「金沢東郭」。こちらは、加賀藩が設置をしぶりにしぶりまくり、文政三年(1820)になってようやく営業を許可したというエピソードがあります。その理由としては遊郭で不品行なことが起きれば、幕府から藩の取り潰しの命令を下されるのでは……と恐れていたからではないでしょうか。

現存する建物の雰囲気も、色街とは思えないほどスッキリとした清潔感があり、それだけでも特徴的ですが、遊郭に「武家の入場は禁止」とされ、他地域にはない独自ルールが貫かれていました。

さらに営業開始して約10年後の天保二年(1831)から、慶応三年(1867)年にかけては閉鎖されているのです。わざわざ遊郭街を作ったのに、(非公認営業の)私娼がいっこうに減らないことへに藩上層部が怒ったからでした。ところが幕府の監視に怯え、マジメに振る舞わねば……と思えば思うほど、加賀藩には逆に非公認の私娼があふれかえることになり、風紀は乱れがちだったそうです。

長崎の丸山遊郭も、その歴史に興味深いものがあります。丸山には外国人用の遊女もおり、彼女たちはオランダ人が暮らした出島や、唐人屋敷の中国人の相手をしました。もともと長崎の遊郭の歴史は文禄二年(1593)頃、南蛮人を相手にした遊女商売をはじめようとおもった「恵比寿屋」という遊女屋が、長崎に進出したことがきっかけでしたからね。
最盛時の元禄五年(1692)には、1443人もの遊女がいたそうです。

オランダ人の相手を嫌がった理由として、表向きには金髪碧眼の外見や独特の体臭が、遊女たちから「鬼みたい」と嫌がられたから……とされますが、もっと直接的な理由がありました。アジア人と白色人種とでは体格差がありますよね。詳しくはいえませんが、サイズの問題もあります。遊女にとって大事な商売道具が破損する危険性があるとされ、そもそも言葉もわからない鬼に抱かれる気持ちで緊張しているわけですから……まぁ、よろしくはなかったでしょうね。これは終戦後にアメリカ軍兵士の相手をさせられ、負傷してしまったという遊女の証言からの推測ですが。

丸山遊郭の逸話といえば、オランダ人医師・シーボルトを父に、「引田屋」の遊女・其扇を母にして生まれた女の子・楠本イネが西洋近代医学を修得し、最初の女医として活躍しています。

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2019年03月07日

赤ん坊の言語習得過程から人類の言語の進化過程を探る4

子供が言語習得過程における脳の活動部位を調査した報告がある。
それによると、子供が言葉を習得する際には、聴覚情報、すなわち音のリズム、アクセント(音の強弱)、イントネーション(抑揚)などを頼りに処理しているとのことである。

首都大学『小学生の脳の英語処理は音声から「言語」へ』―小学生の大規模研究で英単語を処理する脳活動の基本パターンを解明―

首都大学東京大学院人文科学研究科の萩原 裕子教授らの研究グループは、光による脳機能イメージング法、光トポグラフィを用いて、小学生約500人の母語・英語復唱時の脳活動を調べる過去最大規模の言語脳機能研究を実施しました。
その結果、母語と英語を処理する時の脳活動に顕著な差があること、音声分析の進行とともに語彙習得が進み、それに伴って脳活動が右半球(右脳)から左半球(左脳)へと移行する可能性を見いだしました。

まず、実験で言語音として聞き慣れない英語を処理する際は、母語を処理する場合に比べて脳活動が著しく低く、非語(無意味な綴り)と同様の処理が行われていました。これは、小学生の段階で脳はすでに母語にチューニングされていることを示唆しています。
次に、一般に、言語を司る領域は左半球にあると言われており、実験でもよく知っている単語の処理では左半球の角回が活発に活動していましたが、逆にあまり知らない単語の処理では、右半球の縁上回が活発に活動することが分かりました。さらに、言語領域としてよく知られているブローカ野においても、右半球のブローカ野に相当する場所が活発に活動していました。
これらの結果は、音声言語処理には左右両半球が関与し、特に語彙獲得の初期には右半球が重要な役割を担っている可能性を示しています。
子どもたちの脳は、未知の言葉を習得する際には、言語を問わず、音のリズム、アクセント(音の強弱)、イントネーション(抑揚)などを頼りに処理していると考えられます。

本研究結果から、子ども達が新しい言葉を耳から学ぶ時には、脳ではまず音声の分析が優先的に行われ、それが意味を持つ「言語」へと徐々に移行する可能性が示唆されました。
本研究は、学齢期初期における外国語習得の基礎資料となるもので、小学校における効果的な英語活動や、脳科学的な根拠に基づく英語学習法の開発へ道を開くものと期待されます。

<研究の内容>
本研究では、安全で計測時の負担も少ない光トポグラフィを用いて、484人の小学生(年齢:6~10歳)について、母語(日本語)および外国語(英語)の単語復唱時の脳活動(脳の血流変化)を調べました。
実験は、日本語と英語のそれぞれにつき、出現頻度の異なる2種類の単語(高頻度語と低頻度語)を用意し、合計4種類の復唱課題を実施しました。高頻度語は100万語中50回以上の使用頻度、低頻度語は100万語中5回以下の使用頻度でした。
言葉の模倣は言語の獲得にとって重要な行為の1つであり、この能力は、外国語を習得する能力と相関があると言われています。

単語復唱時の脳活動は、聴覚野付近では言語(母語 vs. 英語)や出現頻度(高頻出度語 vs. 低頻出度語)によらず同程度で、左右半球差も見られませんでした。
一方、ウェルニッケ野付近、角回、縁上回では、語彙知識(意味知識の有無)によらず、母語処理時の方が英語処理時より脳活動が有意に大きいことが分かりました。
聴覚野付近では母語と英語で脳活動に差がないのに対して、これらの脳の場所では顕著な差が見られたという結果は、これらの脳の場所が、「言語音」の認知処理(音韻処理)の座であることを示唆しています。
つまり、小学生の段階ですでに脳が母語の音韻処理にチューニングされており、言語音として聞き慣れない英語は非語と同様に処理されていると考えられます。
また、聴覚野付近やウェルニッケ野付近は、音声-言語処理のプロセスの初期段階にあたりますが、脳の活動は左半球と右半球で対称でした。
一方、音声-言語処理プロセスの後期段階(角回、縁上回、ブローカ野)では言語刺激の種類によってそれぞれの皮質が異なる反応を示し、高頻度語に対しては左半球の角回、低頻度語に対しては右半球の縁上回の活動が統計的に優位でした。
また、ブローカ野では右半球の活動が優位でした。一般に言語は左半球で処理されており、言語処理の中でも特に音韻処理には左右両半球が関与していると言われていますが、本研究の結果から、新しい単語を学ぶ時には右半球が重要な役割を担っている可能性が高いことが示唆されました。
あまり聞き慣れない低頻度語の音韻処理には、右半球の縁上回が深く関与し、聞き慣れた高頻度語に対しては左半球の角回の活動が高いという結果は、音声分析が進むと語彙の習得が進み、それに伴って脳活動が右半球から左半球へ移行する可能性を示しています。
また、この傾向は母語でも外国語でも同様に観察されたことから、言語に普遍的な現象であると考えられます。

言葉はある長さの意味を持つ音の響きで、複数の単位から構成されていますが、それぞれの単位は分離することができます。
例えば、『シロイウマ(白い馬)』はシロイとウマに分けることができ、シロイはさらにシ、ロ、イに分けることができます。
このように、人間の音声言語は、さらに小さい単位(音節)に分けられ、分節構造を成しています。
このように、音声は一つ一つの音(分節音、単音)が連結してできているため、分節的特徴と、分節音が連結した単位(音節、語、句など)に起こるリズム、アクセント、イントネーションなどの超分節的特徴に分けられます。
従来の研究結果と併せると、左半球では分節的特徴の処理、右半球では超分節的特徴の処理が行われている可能性が高いと考えられます。
新しい言葉を学ぶ際には、外国語のみならず母語でもこの超分節的特徴の処理機能が重要であり、この機能が言語の上達を左右すると思われます。
本研究から、左半球に加えて、右半球の縁上回および右半球のブローカ野に相当する場所が言語習得の初期に重要な役割を担っていると考えられます。

この結果は、音声処理から言語処理の一連の過程において、音の入力のごく初期段階である聴覚野付近では言語の種類によらず音声として処理され、さらにウェルニッケ野、角回、縁上回、ブローカ野という高次な脳機能を担う場所へと処理プロセスが進むにつれて、より特化した「言語」の処理へ移行していくことを示唆しています。

 

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2019年02月28日

ツンケンした吉原の超美人より、岡場所の素直な女が人気だった?

超美人もいいけど、素直で心遣いのできる女性のほうが男性は充たされるものなのかもしれませんね☆彡

リンク より

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江戸の街でもっとも有名で重要な色街といえば、当初、それは吉原以外にはありえませんでした。
吉原は全国に3つしかない幕府公認の遊郭でしたからね。しかし、伝統を重んじる京都や大坂のお客が保守的だったのに比べ、江戸のお客はたいそう移り気でした。
吉原の人気は18世紀も末になれば、下降してしまいます。

まず、遊女と一晩遊ぶための揚げ代が高額(庶民男性の一年分の食費)だったこと、現在の浅草あたりにあった吉原は、江戸時代では辺鄙な場所にあたり、行きにくかったこと、そして遊女たちがツンケンしていたことなどが上げられるでしょうか。全国3箇所の3大遊郭のうちでも大阪・京都では、「このツンケンした感じこそがイイんだ、一流の証だ」などとされたのですが、「江戸っ子は短気」ですからねぇ。

吉原以外の、つまり幕府非公認……いや、半公認の色街がたくさんありました。これらを「岡場所」と江戸では呼びました。岡場所にも吉原のイミテーションのような遊女屋があり、そこで囲われている遊女たちが客を取っていたのです。

18世紀末にあたる宝暦年間から天明年間にかけて、この岡場所の人気は頂点に達し、江戸市中だけで約70箇所ほども存在するようになったといわれます。

ちなみに岡場所の遊女たちの揚げ代は、吉原の遊女にくらべてかなりリーズナブルでした。
たとえば、岡場所で最高のランクの遊女と、吉原の中の下くらいの遊女は、ほぼ同額だったのです。当時の吉原の中の下は……というと、やっと個室で接客してもらえるというレベルのことです。それでも揚げ代は現在でいうと数万円~という感じでしょうか。
そのランクの遊女を吉原では「部屋持ち」といい、この「部屋持ち」以下のランクの遊女は、八畳ほどの部屋で2~3組の男女が衝立や屏風を挟んで、行為中ですら雑魚寝状態だったわけです。

一方、同じ額を払うといっても、岡場所では最高の客として扱ってもらえるわけですよ。吉原ほどの豪華さはなく、個室といっても粗末なわけですが、岡場所のほうがマシかなぁというのが人情というもの。

岡場所の遊女たちは、吉原のように「歌扇」とか「揚巻」といった手合いの源氏名ではなく、「おせん」「おはな」といったように「お」の付く名前(通称・おの字名)で呼ばれるのが普通でした。これは親しみやすくするための作戦です。

彼女たちは、吉原の高級遊女にくらべ、江戸時代の岡場所の遊女たちの面白いエピソード的なものははほぼありません。あまりに身近すぎて、悪い言葉でいえば「使い捨て」だったのかなぁ……とも。吉原の遊女は、建前だけでも芸能人あつかいです。ところが、岡場所の遊女になるということは、奴隷になるのにも等しいんですね。

岡場所の遊女たちの憂鬱をヨソに、お客は喜んで通ってきました。
超美人が多いかもしれないけれど、遊女がツンケンしている印象の強い吉原にくらべて、親しみのある接客を岡場所では受けられたわけですから。

お金がない=庶民という発想をわれわれは持ちがちです。しかし、浅草、本所、深川といった江戸庶民が暮らす下町だけでなく、三田、麻布、市ヶ谷、本郷といった、現代日本でも王道の山の手エリアとされる地域にすら岡場所は存在していました。

つまり、男性の身分やステイタスの上下に関係なく、庶民的で素直なキャラの女性はモテる……ということかもしれませんが、その気もちを裏返せば、自分の好きに扱いやすい女だから、ということなんでしょう。

「つらか事いっぱいあった。
姉遊女(先輩)の妬み・爪くり(つねったり、意地悪される)
遣り手(マネージャー)の悪意地、あてがい甚助(イヤな客)
お下まつり(生理期間)の客どり
妹の婚礼の借金」

という、昭和時代の半ばまでを東北の岡場所に相当する遊郭で生きた遊女の言葉には、地域や時代を超えた、廓づとめの悲哀が集約されているように思えます(『鬼灯火の実は赤いよ』)。

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2019年02月26日

中心小体は始原生命体に最も近い生命体(統合体)1

『中心小体論~「膜」の存在とその階層性について、意志は記憶のベクトルである。』(竹内美継共著 六方出版社 2000年刊)の内容を要約して紹介する。

中心小体とは、多くの真核細胞に存在する細胞小器官であり、中心小体が二つ連なって中心体を構成する。有糸分裂の際に形成される紡錘体を形成し、細胞質分裂を完了させる重要な役割を担っていると考えられている。
この著者ら(竹内美継他5名)は、この中心小体は始原生命体に最も近い生命体(統合体)であると説く。
●DNAによって細胞全体の生命活動が統合されているというのは誤りで、中心小体が、全体を統合している。
●中心小体は何らかの記憶物質(著者によれば記憶素子→記憶単子)が集合して形成された。

実際、細胞内小器官の中で自己複製機能を持つのは、中心体だけである。
「ソマチッド=原始宇宙の記憶情報が詰まった原始地球の水磁場の中で登場した無機生命体」という説とも関連するかもしれない。
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●現在の生物学の常識
➀真核細胞、原核細胞が生命の最小基本単位である。(細胞説)
➁生命はDNA、RNAという核酸から成る「ある一定のゲノム」から始まった。(遺伝子の本体はDNA)
➂始原生命体が進化して原核生物となり、原核生物が進化して真核生物となり、更に進化して生命体の多様性が生じた。
そして、核酸の自己複製を出発点として、遺伝も進化もDNAの偶然の変異であると説明し、生命体の基本を個体としている。

これらは全て誤りであり、間違った現在の生物学を打破する。

●それに対して、著者たちは次のように考える。
➀生命体はそれぞれの階層から成り立っている。細胞は一つの階層であり、最小基本単位ではない。(細胞も生命体)
➁生命は蛋白粒より出発した。
➂始原生命体から真核生物、原核生物の2系統に分かれた。

●追求テーマ
➀生への意志の誕生と意志の連続性。即ち、物質=エネルギーから生命体への転移について。
➁原核生物と真核生物の差異について。即ち、始原生命体から原核生物と真核生物はどのようにして誕生したか。
➂性がなぜ生じたか。即ち、雌雄の誕生には理由があり、理由があるからDNA等に差が生じた(一対の中心小体)
➃始原生命体と動物界、植物界、菌界、原核生物との連続性について。これらの連続性をDNA、RNAだけで説明するのは誤り(階層性を持ち進化した)
➄始原生命体は現在でも生きているか。中心小体と呼ばれる統合体(生命体)

●生命の謎を解く鍵が「記憶」と「中心小体」である。
この記憶はDNA、RNAによるゲノムという意味ではない。始原生命体の誕生時における記憶という意味である。
現在の科学では記憶のメカニズムはわからないが、記憶に関わる物質と生命体の誕生・進化が並行的になされたと考えられる。
中心小体は、始原生命体に最も近い生命体である。
高電位空間は真核細胞の構成体の中で核の支配下になく、一次的発生的な位置にあるが、その高電位空間から中心小体は現出し成長する。

●生物学ではRNAの自己複製を根拠として、「情報は核酸から蛋白に流れる」という考え方が主流だが、これは誤りである。
A.生命は蛋白粒を起源としているのであって、RNA・DNAを起源としているのではない。
現在の生命科学の主流は「RNAワールド、DNAワールドより生命が誕生した」という考え方であるが、そんなワールドは存在しなかった。
何故なら、DNAとRNAはリン酸と糖と塩基から構成されているが、この糖は原始の海(水中)では生成されにくい。
B.中心小体は生命体である。故に、細胞外、ビーカーの中でも独立して複製を作り増殖できる。
中心小体は高電位空間から現出する。この空間に蛋白粒の存在が認められている。
C.蛋白の粒のような状態から中心小体への進化、そして中心小体の祖先と地球上の生命体との共通性と連続性
D.中心小体の個体発生も系統発生を繰り返している。

【仮説1】始原生命体は蛋白粒の状態で誕生した。
種々の地球環境エネルギーによる蛋白粒の状態で記憶素子が生じ、複数の記憶素子の集まりから成る記憶単子が「ある一定のエネルギーを記憶し、保持する」という性質を所持した。
記憶素子も記憶単子とも高電位空間より生じているので、生命体の情報出発源は高電位空間に存在している「記憶に関わる物質」と推定される。
【仮説2】記憶に関わる物質が存在する。現在の科学ではわかっていないが、この目に見えない「記憶に関わる物質」が、膜を所持し、この膜が形を記憶している弾性体である。
記憶は「記憶に関わる物質」(中心小体の個体発生時に現れる高電位空間内エネルギー)と、「エネルギーの階層的転移によって生じたエネルギー(重力・地磁気・光などの地球環境エネルギー)と物質」から成り立っている。

記憶素子・単子はエントロピーの法則に逆らう方向、即ち、「ある一定空間=記憶素子・単子等」の範囲においてエネルギーを保持しようとする性質(エネルギー保存の法則)による方向性を持つ。(この方向性ゆえに全てのエネルギー・物質の階層ごとに「膜」があると推定される)。この記憶素子・単子の方向性により更なる記憶が生じ、その繰り返しの結果、始原生命体が誕生した。この方向性が「生への意志」であり、蓄積された記憶には意志があるので、その方向性は収束する(意志の収束)。記憶素子・単子によって進化をスタートした生命体は、記憶を蓄積し、この記憶の連続性を保持することにより、個体の死を乗り越え、意志の連続性を保持した。人類の本能も記憶であり、この記憶も収束された記憶である。

●中心小体の(祖先)の誕生
記憶素子・単子がどのように進化し、中心小体にできたのか。
➀蛋白質の粒により記憶素子が作られる(地球環境エネルギーにより)
➁ある一定のエネルギーにより、この記憶素子から記憶単子が作られる(第一段階始原生命体)
➂この記憶単子が集合し、全体として全体として一つの方向性を所持する(第二段階始原生命体誕生)=中心小体の祖先
➃記憶を蓄積した記憶単子が自己複製を作る記憶を所持する(第三段階始原生命体)←中心小体類と呼ばれる細菌(モネラ)が誕生
➄この第三段階始原生命体(=中心小体類)より原核生物と真核生物が誕生
➅中心生命体と他生命体は連続している。

A.中心小体は生命体である。
B.中心小体の祖先から原核細胞と真核細胞が誕生した。
C.中心小体が真核細胞、真核生物を作った。
D.DNA(核)は中心小体の外部記憶装置にすぎない。

生命の基本を個体とする人間中心主義の生物学では、中心小体は生命体と認められていないが、この生物学の常識は誤りである。
その結果、現在の生物学は真核生物と原核生物の連続性について説明できない。
また、我々人間は、一個の受精卵より発生する。精子から父方の記憶を受け継ぎ、卵子から母方の記憶を受け継ぐ。
この受精卵の中に生命に関わる全ての記憶が所持されている。DNAは二次的なものにすぎない。

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2019年02月19日

赤ん坊の言語習得過程から人類の言語の進化過程を探る3

言語交流研究所では「7ヶ国語を話そう」をキャッチフレーズにして言語習得の方法論を研究している。
そこでは、従来の文法型の学習ではなく、赤ん坊が言葉を覚えるやり方を使う。
基本的に文字を見ずに、外国語音声を聞きながら真似して発声するらしい。

以下は言語交流研究所・ヒッポファミリークラブのホームページに2002年時点に掲載されていた内容です。
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従来の勉強法では、文法という型に、単語という部品を正しい順番で組み込むことで話せるようになると思われてきました。「この部品はここでいいのかな?」「順番は正しく組み立てられているかな?」と細かいことが気になってしまい、これではいくら努力しても、目の前の相手と話せるようにはなりません。赤ちゃんの方法で自然に耳に触れ、体に溜まったことばは、そのまま丸ごと口から溢れ出てきます。ことばを受けとめてくれる相手とのキャッチボールを楽しむうちに、いつの間にか自分もこんなにことばが話せるようになっていたんだ!という嬉しさを実感するようになります。

多言語を話す人たちが自然に身につけている、ことばを習得していくやり方、それが「赤ちゃんの方法」です。赤ちゃんは私たちが外国語教室でやるように、発音を練習したり、単語を覚えたり、文法を勉強したりすることはありません。お母さんや兄弟が「先生」としてことばを基礎から教えるわけでもなく、また試験を受けることもありません。赤ちゃんは生まれると、周りで話されるさまざまなことばを、浴びるように聞きつづけます。そしてそのうち、初めは大まかな全体として、そして徐々に明確に、理解したり話したりできるようになります。

「まずは聞こえた音をマネして言ってみる。そして、とにかく人に向かって言ってみるんだ。うまくいかないときもあるけれど、それは気にしない。うまくいったら、そのことばはもう忘れないよ」とケニアのジョンさん。最初は、聞こえてくる音をそのままマネして口に出してみましょう。
はじめは聞こえなかったり言えなかったりする音が、口にしているうちにだんだん聞こえるようになって言えるようになっていきます。そして自分のことばを聞いてくれる家族(ファミリー)のような仲間をつくることがポイント。人に向かってことばを発したときに、ことばは育ちはじめます。

人の話すことばには、どの国のことばにも美しいリズムやメロディーがあります。細かい意味や正しい発音、そんなことは気にせずに、音を楽しみ、ことばの波に乗ってみる。それもひとりではなく、たくさんの仲間と。それは、決して語学習得の新しいメソッドではなく、母国語を習得するときに誰でもがやっていること。リズムやメロディーから捉えたことばは、違う言語でも決して混ざることはないのです。インドやアフリカなどいくつものことばが自然に飛び交う国では、ひとりでいくつものことばが話せるのは当たり前。しかもそんな国の人にとっては、新しいことばを身につけることはとても簡単なことだといいます。

ことばをその言語に独特なメロディーとリズムで上下する、「波」として考えてみましょう。生まれたばかりのころにはまだ、ほとんど上下しない、フラットなところからスタートします。それが時間がたつにつれて少しずつ上下を始め、徐々に大人の話すことばの波に近くなっていきます。そして3、4歳にもなると、大人とほとんど変わらない波で話せるようになるのです。このように大まかな全体から、徐々にはっきり、明確になっていくというのが「自然の道筋」なのです。
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具体的な方法はHPでは定かではないが、ネット上の口コミによると、
言語習得の基本は聴いて真似する事。基本的に文字を見ない。
主にCDの音声を聞きながら、影のように後についてその音声を真似ながら声に出していく。シャドーイングという方法らしい。

言語交流研究所の創設者である榊原陽の著書『ことばはボクらの音楽だ』によれば、赤ん坊~幼児の言語習得過程は次のようなものらしい。

生まれたばかりの赤ちゃんには言語の複雑な個別音など全く聞こえない。
赤ん坊は、まず全ての人間言語に共通の普遍的な言葉らしさ(型)を認識する。やがて言語一般の型認識から個別言語のらしさを見つけ、その型の中にぼんやりとした意味を見つける。だから、ルクセンブルクのような3~4つの言葉が飛び交う国でも、赤ん坊は決して混同することはなく、それぞれの言語を区別して聞き分けている。
次に、文の意味を理解するようになるが、ここで幼児は単語の一つ一つを理解して、それを組み合わせて文を作るのではないということである。例えば、幼児が寂しい時に「アイムソーローンリィ」と言うようになっても、Ⅰもamもsoもlonelyの意味も解っておらず、一つ一つの単語の意味を理解するのは一番最後である。

★重要なことは、音声認識は複雑な波形の型認識であり、赤ん坊の音声認識は、人類共通の言語型(波動)→個別言語型(波動)→文の意味→単語と、ぼんやりとした全体の認識から、徐々にくっきりとした細部の認識へと発達してゆくということ。
★赤ん坊~子供はその音声認識を真似=同調・共鳴することによって獲得する。
★赤ん坊が最初に真似=同調する人類共通の言語波動こそ、人類が言語機能を獲得した時に同調・共鳴した波動=リズムに違いない。

聴覚も視覚も周波数情報である。光の波動をキャッチした網膜の奥で視物質が化学変化を起こし、イオン密度が変化し視細胞内に電位変化がもたらされ、光の周波数情報が電気信号に変換される。光の波動と視覚機能の同調である。聴覚も同様で、音の波動に同調して鼓膜が共振し、それが電気信号に変換される。認識機能とは、波動・リズムとの同調・共振であると言ってもよい(ちなみに電波も、発信電波と受信電波が同調・共振したときに受信可能となる仕組みである)。
共認機能も、何らかの周波数情報=リズムとの共振・同調だと考えられる。
「新生児の共鳴動作」
「共認機能の基礎に共鳴機能があるのでは?」
「同期することで充足する機能?」
サルやヒトの共認機能は、このような緻密な周波数の識別能力を土台にして、相互の発する周波数が「同期」する時に充足回路が強く刺激される、という機能を塗り重ねたものかもしれない。
とりわけ心音のビートやリズムが安心感やトランス状態を生み出しやすいのは、胎児期の記憶に繋がっていると同時に、自らの体にも心臓の鼓動として常にそのリズムを持っているからではないか。
さらに、この同期充足回路を視覚情報の処理機能と結びつけることで、僅かな目や顔の動き、身振りから豊かに相手の感情を読み取ることも可能になったのではないだろうか。

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2019年02月12日

赤ん坊の言語習得過程から人類の言語の進化過程を探る2

言語交流研究所(ヒッポファミリークラブ)の創設者が始めた言語習得方法(赤ちゃんの方法)を紹介します。
赤ん坊の言語の習得過程は、人類の言語の進化過程をなぞっているはずで、言語の進化過程を解明するヒントがあるように思います。

榊原陽『ことばはボクらの音楽だ』(初版は1985年)の11章中2~3章の要約。

【2】ことばは美しい秩序系
5歳くらいで外国に移住した時でも、友達と仲良く遊べば、半年も立てば言葉を話せるようになる。
言葉を自然習得する過程には、文法用語は出てこない。覚えた表現をノートに整理して書くこともない。子供たちは楽しく遊びながら、無計画にランダムに英語のツマミ食いをしているだけである。それだけで5歳くらいの子供なら、新しい言葉が半年で完成する。
5歳の子供が半年間でランダムに拾う言葉の総量は限定されたものだが、発音訓練もなしに、アメリカ人そっくりに話すようになり、文法の一つも知らないのに、文の基本的な誤りは犯さない。
5~6歳の子供なら、自然の言葉の環境さえあれば、身につけることができるだろうが、大人はそうはいかないのだろうか?
一般的に10歳前後に言語習得能力に質的変化があるかの如く言われるが、それは事実なのだろうか?
多言語国家であるインドやウガンダの大人は、2~3週間くらいで片言の日本語が話せるようになる。
幼児が言葉ができるようなる振舞い、5歳児が新しい言語環境であっと言う間に新しい言葉が話せるようになる振舞い、多言語人間が易々と言葉を次から次へとマスターする振舞い。
そういう言語の振舞いを一貫した美しい秩序として記述することが言語研究の目標であろう。

【3】私自身(榊原氏)の体験から
私が言葉の教育を始めた動機は常識的なもので、これから地球が狭くなるので、これからの子供たちはヨーロッパ語一つ、アジア語一つくらいはできたほうがいいだろうというものだった。
全くの素人だったが故に事実に学ぶより他に方法がなかった。はじめは常識的に英語を教えることから出発し、外国語教育に成果を上げているプログラムを探した。しかし、始めてみると、言葉を教えることがどんなに難しいことか思い知らされた。

例えば、英語の代名詞”he””she”。「彼」とか「彼女」とかいう表現は輸入語で、日本語の日常にはないのである。これを4~5歳の子供に教えようとするだけで大変だった。子供たちもだんだん苦痛になってきて、10人→5人→3人と減ってゆく。
そこで、外国語教育で常識とされている方法を忘れ、言葉について身近に知っている事実を踏まえて、一から構築し直してみようと考えた。
私が3~4歳の頃、父親が英語の絵本を読んでくれた。「”Once upon a time”昔むかし、”a man had a donkey.”ある男がロバを飼っていたよ」
それが2年ほど続いた頃には、いちいち翻訳してやらなくても、わからない所は聞くようになっていたという(父親の後日談)。
子供たちに物語を一文、一文、日本語と英語で聞かせてやろう。同時に聞こえてくる英語にも自然に触れてゆく。
その蓄積で英語を無意識に自分で見つけてゆくことができるのではないかと考えて、物語の日本語・英語による読み聞かせを始めた。
物語の活動が始まって3~4ヶ月経った時、『グルンパ』という英語の物語を日本語と英語で聞いているうちに、幼稚園の年長の男の子が英語だけで10分くらいの物語を話せるようになった。

階梯を踏んでゆく教科では、先の課程まで進んでいるグループに最初から始めることも入れるわけにはいかないが、日本語と英語で語られている物語で遊んでいるのであれば、ずいぶん前に入った子も、一週間前に入った子も一緒に遊べる。共通の日本語で物語の話題を楽しむことができるからである。グループ編成が同年齢構成から縦軸年齢グループに変った。
これまでの教える教科から、遊びながら言葉を見つける活動への方向転換に加えて、グループの縦軸年齢構成も相まって、子供たちがなんとなく、柔らかくふっくらと育ってゆくように見えた。
∵同年齢グループは誰が誰よりできるorできないと問題になる競争的グループ構成だが、縦軸年齢では上の子が下の子の面倒を見るといった役割分担グループになるからである。

※子供たちが自然な環境で言葉を習得してゆく過程は、単語の一つ一つを理解して、それを組み合わせて文を作るのではない。文の理解が先行する。例えば、子供が寂しい時に「アイムソーローンリィ」と言ったとしてもが、Ⅰもamもsoもlonelyの意味も解っていない。

※子供たちは二つの言葉が完全に話せるのに、ある年齢に達しないと、通訳することを拒否する。10歳くらいになって初めて、突如として通訳してくるようになる。これは多くの人が体験として知っている事実だが、学校の英語教育の中で、いつも日本語との対比で言葉を学ぶ経験しかなかった大人たちにとって、自然な言語環境で新しい言葉をそのものとして見につけてゆく子供の姿が見えなかったであろう。

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