2017年06月01日
気候変動と日本史
上記画像および下記年表は、ブログ「家・街・考」からお借りしました。
大きくは、600~700年は寒冷期→700~1300年は温暖期→1300~1800年は寒冷期→1800~現在は温暖期だが、途中でも急激な寒冷化や温暖化が見られる。
●600~700年(寒冷化)
・587年:蘇我氏が物部氏を滅亡
・618年:隋が滅亡し、唐が中国を統一、律令制を整備
・644・661・667年:唐が高句麗に出兵し、朝鮮半島の戦乱が激化
・645年:大化の改新=中大兄皇子・中臣(のちの藤原)鎌足が蘇我蝦夷・入鹿父子を殺害
・660年:唐+新羅連合軍が百済を滅亡
・663年:白村江の戦い=日本+百済連合軍が唐+新羅連合軍に敗戦
・668年:唐+新羅連合軍が高句麗を滅亡
・676年:新羅が唐に敵対・戦勝し、新羅が朝鮮半島を統一
・672年:壬申の乱=天智天皇の弟・大海人皇子(のちの天武天皇)が天智天皇の子・大友皇子に戦勝
・694年:藤原京が完成=持統天皇が皇位継承
・701年:大宝律令=法律で統治し、公地公民を規定
●700~800年代後半(温暖化)
・710年:平城京へ遷都
・743年:墾田永年私財法=新規開墾した土地は私有でき、子孫への相続や売買も自由に
・794年:桓武天皇が平安京に遷都
・797年:坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、朝廷が東北地方の蝦夷に派兵し、反乱を鎮圧
●800年代後半~900年(寒冷化)
・894年:遣唐使の停止
・907年:唐が滅亡、五代十国時代に
●900~950年(急速な温暖化)
・935・936年:新羅が滅亡し、高麗が朝鮮半島を統一
・939年:平将門の乱(関東地方)
・939年:藤原純友の乱(瀬戸内海地方)
●950~1000年(寒冷化)
・960年:宋(北宋)が中国を統一
・1016年:藤原道長が摂政となり実権を掌握
●1050~1200年(温暖化)
・1051年:前九年の役(東北地方)=源頼義・義家父子が地元の有力豪族・安倍氏を滅亡
・1083年:後三年の役(東北地方)=源義家が地元の有力豪族・清原氏の内紛に介入して平定
・1086年:白河上皇の院政開始=白河上皇→鳥羽上皇→後鳥羽上皇と院政が継承
・1156年:保元の乱
・1159年:平治の乱
・1167年:平清盛が太政大臣に就任
・1185年:壇ノ浦の戦い=源氏(源義経)が平氏を滅亡
・1192年:鎌倉幕府開設
●1200~1300年代前半(寒冷化)
・1206年:チンギス・ハンがモンゴルを統一
・1221年:承久の乱=幕府(北条氏ら)が朝廷(後鳥羽上皇)に戦勝、幕は六波羅探題で朝廷を監視
※御鳥羽上皇の味方の貴族・武士の西日本の領地を没収し、功績のあった東日本の御家人をその地頭に任命
・1232年:御成敗式目=執権・北条泰時が武士の法律を制定
・1271年:モンゴル帝国のフビライ・ハン(5代)が中国統一し、元の皇帝に
・1274年:文永の役
・1281年:弘安の役
・1297年:永仁の徳政令=困窮化対策に、御家人の所領の売却・質入禁止、御家人の元所領の無償返却
・1333年:鎌倉幕府が滅亡
・1333年:建武の新政=武家を排除し、後醍醐天皇を中心にした公家政治
・1336年:南北朝の動乱=武士の不満から挙兵、京都の北朝と吉野の南朝(後醍醐天皇)に分裂
・1338年:足利尊氏が征夷大将軍に任命され、室町幕府開設
※ 守護には軍事費用の調達を名目に権限が強化され、武士や荘園・公領を支配下に組み込んでいき、領国化していったが(守護大名)、一部の武士や農民は団結して一揆等で対抗
●1300年代前半~1400年(温暖化)
・1368年:元がモンゴルへ退去し、明が中国を統一
・1392年:高麗滅、朝鮮国(李氏朝鮮)が朝鮮半島を統一
・1392年:足利義満が南北朝を統一
・1404年:足利義満が日明貿易を開始
●1400年~1500年代前半(寒冷化)
・1428年:正長の土一揆=京都近郊の惣が団結し、借金帳消・土地返却のため、土倉・酒屋等を襲撃
・1467年:応仁の乱
・1485年:山城の国一揆=武士と農民が管領で守護大名の畠山氏を追い払い、約9年間自治
・1488年:加賀(石川県南部)の一向一揆=浄土真宗信者が守護大名を自害に追い込み、約93年間支配
●1500年代前半~1600年(温暖化)
・1560年:桶狭間の戦い
・1573年:室町幕府が滅亡
・1590年:豊臣の全国統一
・1600年:関ヶ原の戦い
・1603年:徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開設
- posted by KIDA-G at : 2017年06月01日 | コメント (0件)| トラックバック (0)