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2011年07月07日

古代~近代欧州の婚姻史 【全体図解】

私たちチームでは、これまで12回に渡り、欧州における婚姻はどういう経緯を経て現在に至るのか?(日本人及び世界文化への影響)について追求してきました。
そして、再度その歴史経緯を俯瞰するために、下記12回の投稿記事をまとめて全体図解化を試みましたので報告します。
西洋人(白人)はいつからどの様にして『一対婚』に転換していったのか?
古代ヨーロッパ:ギリシャに農耕伝達~クレタ文明滅亡→ミケーネ文明
古代ヨーロッパ:ミケーネ文明→海の民→古代ギリシア停滞期(暗黒時代)へ
ローマ時代の女性は、どのようになってしまったのか?
ローマ時代のキリスト教発生~国教化
キリスト教の性否定観念 ~『キリスト教とセックス戦争』より~
西欧だけが性を罪悪ととらえる文化であるのはなぜか?(1)
西欧だけが性を罪悪ととらえる文化であるのはなぜか?(2)
西欧だけが性を罪悪ととらえる文化であるのはなぜか?(3)
西洋中世社会の実像:中世は身構えた時代
中世・暗黒時代の悪魔とキリスト教
ゲルマン人と古代ローマ人の性に対する意識の違いとは?
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2011年07月06日

シリーズ「モンゴロイドの歴史」10~~タミル人と弥生人は秦王朝から脱出を図った原中国人の末裔?~~

 前回は、春秋戦国時代の混乱を経て、中国初めての統一国家・秦王朝の成立から遊牧部族鮮卑族が作った隋・唐王朝の時代を見てきました。
今回は、中国初の統一国家秦の成立の過程で、脱出した原中国人について考察します。

 続く春秋戦国時代には、江南(呉越)の倭人が難民となって朝鮮や日本へ多数漂着したが、その後の秦王朝(2200年前)の専制政治にあって、日本へ計画的に脱出してきた徐福一派は男女児童3000人、30隻の大船団で最先端の軍備と職工と穀物種を携えて、日本各地に渡来してきたとされ、この計画的な殖民が日本の弥生文化に与えた影響は大きいと思われる。
また長江の最上流からはへインドへ脱出することも可能である。よく日本語とタミル語の親近性が議論されるが、タミル人はこの時期、インド南部に脱出した倭人勢力ではないだろうか『’10年末なんで屋劇場レポート5~中国文明の起源』より


画像はこちらからお借りしました。
以下は、これまでの記事のバックナンバーです。
1.人類史を追求する意義と視点
2.人類の出アフリカとモンゴロイドの誕生
3.原モンゴロイドの北上
4.南方モンゴロイドの拡散
5.新しい北方適応モンゴロイド=新モンゴロイドの登場
6.モンゴロイドが北方適応形質を獲得したのはいつか?
7.中国における社会統合原理の劇的な大転換
 
8.~初期中国文明は、西方のチベット族と北方のモンゴル族の中原を巡る覇権争い~
9.~中国初めての統一国家・秦王朝から遊牧部族鮮卑族が作った隋・唐王朝時代~
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2011年07月03日

■古代中国の再考 ①「仰韶文化」

古代中国史は,遺伝子分析から人種の流れが明確になってきました。一方で,先史時代など古い文化分析は限られた遺跡等からの判断で推察や観念的な分析になりがちです。
遺伝子分析を水先案内人として,古代中国史の根拠などをきちんと押さえてながら,シリーズで再考して行きたいと思います。
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2011年06月29日

シリーズ「日本支配層の思想性と精神性」 第2回 ~陸軍から信奉されていた「日月神示」~

前回の記事でも紹介したように、「日月神示」 と言う昭和19年に書かれた(正式には”降ろされた”)神示(神様からのお告げ)が、最近のベストセラーになっています。3月11日の東日本大震災を予言していたと言われることがその要因のようです。
今回は日月神示とは一体何なのか?その内容とは?について、紹介したいと思います。
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2011年06月28日

シリーズ「モンゴロイドの歴史」9~中国初めての統一国家・秦王朝から遊牧部族鮮卑族が作った隋・唐王朝時代~

前回は4000年前から2800年頃前の期間の黄河流域やそれを含む中原地域の中で繰り広げられた、各部族間の覇権争いの歴史を見てきました。その期間、印欧語族の遊牧部族に西方から追い遣られたチベット族が中原地域に入り込み、一方5500年前~5000年前中央アジア(モンゴル高原)は寒冷化・乾燥化して新モンゴロイド(トルコ族・モンゴル族・ツングース族)が南下して来た影響で黄河流域・中原地域は、夏王朝(チベット族)→殷王朝(モンゴル族)→周王朝(チベット・モンゴル族の混成)と目まぐるしく征服民族が変わっていく不安定な時代であったのです。
[黄河流域の風景]
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(写真は、こちらからお借りしました。)
今回は、2220年前の秦王朝が中国初めての統一国家ですが、それ以後国家分裂を繰り返し激しい覇権闘争の期間を経て、再び中国国家が統一されて行く時代をみていきたいと思います。秦王朝は、皆さんもあの時代だ!と直ぐ思い出されるでしょう、そうです。秦の始皇帝の時代で万里の長城等で有名な時代です。思い出して頂けたでしょうか?
更に時代は進んで、隋・唐王朝と国家統一され古代中国国家の形成が出来上がったのです。隋・唐王朝も皆さんご存知ですね。遣隋使の小野妹子や遣唐使の事を昔学校で学ばれたと思います。そして、古代日本国家の建国と関わりの大きい時代の幕開けです。
以上、2220年前の秦王朝統一から1100年前の唐王朝の1100年間の中国国家の変遷です。
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2011年06月22日

シリーズ「日本支配層の思想性と精神性」 第1回 ~日本支配層と「神国日本」思想~

みなさんこんにちは 😀
今回から、新シリーズとして「日本支配層の思想性と精神性」をテーマに追求を行って行きたいと考えています。
「知られざる人類婚姻史と共同体社会」と言うブログ主旨からは若干ずれたテーマのように感じますが、「日本」と言う共同体性を強く残した社会について考えて行く上で、「支配層の思想性と精神性」について追求することは非常に重要であると考えています。
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画像はこちらから頂きました。
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2011年06月21日

シリーズ「モンゴロイドの歴史」8~初期中国文明は、西方のチベット族と北方のモンゴル族の中原を巡る覇権争い~

前回(7.中国における社会統合原理の劇的な大転換)の記事では、『新モンゴロイド03』の中国への展開と、1.4万年~4千年前にかけて劇的な気候変動に伴い、農耕文化や牧畜文化を形成し、共同体的母系氏族社会から私有制を伴う父系氏族社会へ大転換を遂げていき、この父系転換と私有制の強まりが、戦争圧力を生み出し、覇権争いの歴史をスタートさせたことをお伝えしました。
今回はその覇権争いの結果、「中原(黄河中流・下流域で、農業には最適の土壌)」に成立した中国王朝の歴史を紹介していきます。
この王朝の誕生も、再び気候が寒冷化し始めた4000年前頃に端を発します。
  

<気候変動グラフ>
王朝の歴史は【夏】(4000~3500年前)⇒【殷】(3500~3200年前)⇒【周】(3100~2800年前)の順に展開してきますが、この3部族はほぼ同じ時期に形成され並存してきました。
つまり、新部族外からやってきて旧王朝を滅ぼしたのではなく、支配-服属関係(いわゆる下克上)だったのです。

まず最初に覇権を握ったのが【夏】で、それに服属していたのが【殷】・【周】でした。
服属していた【殷】が【夏】を倒し、その後、【殷】に服属していた【周】が【殷】を倒して覇権を握るという流れになります。

<【夏】、【殷】、【周】の位置>

では、それぞれの王朝の成立過程を見てみましょう。
以下は、これまでの記事のバックナンバーです。
1.人類史を追求する意義と視点
2.人類の出アフリカとモンゴロイドの誕生
3.原モンゴロイドの北上
4.南方モンゴロイドの拡散
5.新しい北方適応モンゴロイド=新モンゴロイドの登場
6.モンゴロイドが北方適応形質を獲得したのはいつか?
7.中国における社会統合原理の劇的な大転換
 

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2011年06月14日

シリーズ「モンゴロイドの歴史」7~中国における社会統合原理の劇的な大転換~

東日本大震災は、日本に多大な爪痕を残しました。原発事故も目に見えない放射線に対して、今だ事態収束の途にたっていない状況です。これは改めて社会の仕組みを再考しなければいけないことを示唆し、社会が転換の時代を迎えていることの表れなのではないでしょうか?
このシリーズではあるべき社会を再考するための礎として、我らモンゴロイドの歴史を紐解き、人類史におけるモンゴロイドの社会転換と可能性収束の歴史を追っています。
1.人類史を追求する意義と視点
2.人類の出アフリカとモンゴロイドの誕生
3.原モンゴロイドの北上
4.南方モンゴロイドの拡散
5.新しい北方適応モンゴロイド=新モンゴロイドの登場
6.モンゴロイドが北方適応形質を獲得したのはいつか?
500万年前にアフリカ大陸で誕生した人類は、気候変動に伴う環境変化でアフリカ大陸出て、東へ進路を取りました。そして、ユーラシア大陸を北上していく原モンゴロイドや、スンダランドに適応するも温暖期の到来により再拡散するスンダ・モンゴロイドを紹介してきました。前回は牧畜・遊牧を始めた【新モンゴロイド(O3)】について紹介しました。
今日は、1.4万年前に海岸沿いを江南地方から中国全域に移動したグループ(シナ・モンゴロイド×中亜モンゴロイドの混血)の、【原中国人(O1・O2)】(=初期農耕文化の担い手)~4000年前【夏王朝誕生】までの、<中国における社会統合原理の劇的な大転換>を紹介したいと思います。
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(↑クリックすると大きくなります。上図の赤囲いが今日の登場人物達です。)
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2011年06月07日

シリーズ「モンゴロイドの歴史」6~モンゴロイドが北方適応形質を獲得したのはいつか?~

シリーズ「モンゴロイドの歴史」6~モンゴロイドが北方適応形質を獲得したのはいつか?~
こんにちは。
我らモンゴロイドの歴史を紐解き、人類史におけるモンゴロイドの可能性の道を追う、シリーズ『モンゴロイドの歴史』。
これまでのシリーズの紹介は次のとおりです。
1.人類史を追求する意義と視点
2.人類の出アフリカとモンゴロイドの誕生
3.原モンゴロイドの北上
4.南方モンゴロイドの拡散
5.新しい北方適応モンゴロイド=新モンゴロイドの登場
前回の第5回では、ユーラシア大陸の南東部(スンダランド)に定住した南方モンゴロイドが、1.4万年前~6千年前の温暖期に拡散し、その中の一団が北へ移動し、新たな北方適応モンゴロイド=新モンゴロイドになったところまで見てきました。
ところで、北東ユーラシアへ進出した人類は新モンゴロイドが初めてではありません。これまでこのシリーズで見てきたように、新モンゴロイド以前にも、人類は北東ユーラシアへの進出を何度も試みています。
 モンゴロイドの移動(クリックで拡大)
では、ここで問題です。
「体型はズングリ・ムックリ、顔は扁平」とされる新モンゴロイド的形質が形成されたのはいつなのでしょう?
古い北方モンゴロイド?それとも新モンゴロイド?
今日はこの難問に迫ります。
2010年年末に開催された「なんで屋劇場」で話し合われた内容にそって進めていきます。
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2011年06月04日

中華の性文化変遷】~②宋の時代以降~金~元~清~アヘン戦争(宋ではなぜ性の抑圧に逆転したのか?)

中国史を通じて、宋はそれまでの中華文化とは文化の断絶(?)が見られます。
具体的には、宋以前の時代において性は一定の規範を持ちつつも開放的、肯定視の歴史であったが、宋代を境に性は抑圧へと転換します。
古代文化の精神的背景にあったのは、道教であり、儒教であった。特に儒教は、とかく規範性が高く男尊女卑の印象が強いが、古代においては儒教も性に対してはそれほどの厳しい礼儀を求めてはおらず、子孫繁栄のために性を肯定視していました。
それが一転して、宋の時代になると、礼儀と道徳性はより厳格化され、特に女性に対しては拘束性が高まりました。
宋の前後で、一体何があったのでしょうか
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ウィキペディア)より
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