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2011年04月26日

シリーズ「モンゴロイドの歴史1」~~人類史を追求する意義と視点~~

 3.11の東日本大震災と津波の想像を絶するような被害状況を見て、私たち人類が自然の力の前には如何に無力であるかを改めて思い知らされました。
さらに、未だに解決の目途どころか、被害がどこまで広がるかさえ予想もつかない原発事故の有り様を見て、現在の文明が何処かおかしいのではないかと不安になった方も多いのではと思います。
しかし、人類はこの様な自然の圧力に対し何度も絶滅の危機を迎えながらも適応してきたのです。
また、自然災害を受けたとき、欧米では必ず略奪が発生しますが、日本ではそのような行動は全くと言って良いほど見られません。このことは海外のメディアでも”驚くべきこと”として報道されました。
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「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も存在している」「ほかの国ならこうした状況下で簡単に起こり得る混乱や暴力、略奪などの報道がいまだに一件もない」・・・(ロシア・タス通信・東京支局長)
震災前には日本の若者が生きる目標を失っているとの指摘もあったとした上で、「日本人が以前より力強く、新たな目標を持って立ち上がるだろう」(ソニー会長ハワード・ストリンガー)
「近年の日本は若者の引きこもりなど、後ろ向きの傾向が表面に出ていたが、震災への対応で示された団結などは、本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本の登場さえ予測させる」(ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授)東日本大震災で全世界からの日本人に対する称賛より

画像はこちらからお借りしました
そこで、今回のシリーズでは、このような日本人の特質が、どのようにして形成されたのかを明らかにするために、私たちの祖先であるモンゴロイドが、「どのような外圧状況で、どのように可能性収束したのか」を、るいネットの記事やなんで屋劇場の議論をもとに整理し、さらにこれからの新しい可能性収束の方向を探りたいと考えています。
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2011年04月21日

中世・暗黒時代の悪魔とキリスト教

前回は、「西洋中世社会の実像:中世は身構えた時代」を扱いました。
海賊や山賊の勝組が作った国家であるギリシャ、ローマは強力な力で国を統合、秩序化した奴隷社会でした。しかし、力をなくしたローマ帝国は、秩序は乱れ再び周囲は皆が敵という不信、不安の世界に戻ってしまいました。
そして『暗黒の中世』は、殺害や略奪は当時のどの町でも一般に見られた「身構えたえた時代」であり、この周囲がみな敵であるという緊張状況が、現在の欧米人の精神構造に染み込んでいる事を知りました。
(日本での地震混乱時に略奪や殺人が起こらずに秩序が保たれているのが不思議だと感じる西洋人の大元にはこの精神世界があることが分かりました。)
では、その中世の時代、『暗黒の中世』で周囲が敵だらけの「中世は身構えた時代」において、キリスト教が広まって行く頃の、大衆は世界をどのように感じていたのでしょうか?
そしてキリスト教はどう対応したのでしょうか?
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2011年04月19日

日本人の起源を探る 7~日本人は、どこから来たのか?

 みなさん、こんばんは。
今回は「日本人の起源を探る」シリーズの7回目です。

1 ~シベリアからの狩猟部族(替え刃式砕石細石器)(リンク

2~2万年前に南からも移住していた(リンク) 

3~スンダランド海洋航海民の誕生(リンク) 

4~縄文時代以前から複数のルートで移住してきた?(リンク

5~遺伝子学から見た人類拡散の多様性(リンク

6~日本列島ではなぜ多様な人種が存続したのか(リンク

 これまで1~6で「日本人はどこからやって来たのか?」について調べてきましたが、今までの流れを大きくまとめた投稿を「るいネット」より紹介します。
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2011年04月16日

中国の性文化であった『纏足』

前々回の投稿『中国人は性をどのようにとらえたのか』より、中国の性に対する考え方について、今回は『纏足』に焦点を当ててみたいと思います。 😉
纏足(てんそく)とは、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習をいう。
(ウィキペディア「纏足」)
現代では、幼児虐待とも取られかねない独特の風習であり、人権主義者や男女同権論者から見れば、かなりのトンデモな風習にどのような意味があったのか調べて行きます。
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2011年04月10日

西洋中世社会の実像:中世は身構えた時代

■東日本大震災で英米のニュースサイトでは「日本ではなぜ略奪が起きないのか?驚きだ」という記事があったことが報道されていましたが、逆に日本人の我々からすると、何故こんなときに略奪が起きるの?というのが正直なところです。
このブログでもよく取り上げる西欧と東洋の比較では特に日本とは現代においても、これだけの意識感覚の違いがあるのです。
■西欧は、前12世紀頃、海の民による略奪の時代が300年~400年続き、海賊や山賊などが跋扈し、それまでの原始母系集団などが持っていた本源性は徹底的に破壊されました。まさに無秩序な世界でした。その後ギリシャやローマの強力な力により統合、秩序化されました。
ローマ崩壊後、西欧はどんな社会になっていったのでしょうか。
もともと力でしか統合できない社会ですから、力が働かなくなると領土はバラバラになり統合不全の社会になっていきます。
秩序は乱れ再び周囲は皆が敵という不信、不安の世界に戻ってしまいました。
それが従来から言われてきた『暗黒の中世』の実像ではないでしょうか。
その後、キリスト教の観念統合、契約による私権社会の国家秩序による国家統合、近代国家による力による支配などで、一定の秩序化が図られましたが、そのような支配や観念統合が綻ぶ毎に、周囲は皆が敵という不信、不安の世界が顔を出すのは、現代まで変わっていないのではないでしょうか。
今回紹介する 【阿部謹也:西洋中世の男と女 聖性の呪縛の下で、筑摩書房】で描かれているのはそんな西洋中世社会を描いた貴重な資料です。
というのも西洋人は自分達のつごうの悪い世界を歴史上抹殺してきた歴史があり、意外とこのような実像を描いたと思われる資料は少ないのです。
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【阿部謹也:西洋中世の男と女 聖性の呪縛の下で、筑摩書房】
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2011年04月09日

中国の性文化 ~房中術~

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中国の性文化 を勉強する2回目です。
今日は「房中術」について紹介したいと思います。
ウィキペディアによると房中術とは、
「中国古来の養生術の一種。房事すなわち性生活における技法で、男女和合の道である。」とあります。
まずはその概要を見て行きたいと思います。

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2011年04月08日

日本人の起源を探る 6 ~日本列島ではなぜ多様な人種が存続したのか

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画像はこちらからお借りしました。
前回の~遺伝子学から見た人類拡散の多様性~で紹介された「DNAでたどる日本人10万年の旅(崎谷満 著)」では、日本は世界的にも極めて珍しい多様な人種が集まっている、と紹介されています。
今回は前回の投稿で挙げられた、、
 なぜ、日本で多様なY染色体タイプが存続しているのか? 
逆にいえば、なぜ、対地域では多用なY染色体タイプが存在しないのか?
D2タイプに象徴される世界的に珍しい事象が、日本でみられるのはなぜか?

この辺りを調べてみたいと思います。
続きをご覧になる前にブログランキングUPに協力願います。
        

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2011年04月05日

日本人の起源を探る 5 ~遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より~

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みなさん、こんばんは。
ちょっと時間があいてしまいましたが、「日本人の起源を探る」シリーズの5回目です。
これまで、
日本人の起源を探る 1 ~シベリアからの狩猟部族(替え刃式砕石細石器)
日本人の起源を探る ② ~2万年前に南からも移住していた
日本人の起源を探る 3~スンダランド海洋航海民の誕生
日本人の起源を探る 4~縄文時代以前から複数のルートで移住してきた?
とお話をしてきました。
で、今日は、アフリカを出た人類がどのようにして拡散したのか、その経路を遺伝子から探るとこうなりますよ、という内容です。次回以降の記事では、本ブログで話題になったことがある「日本人の特異性」にも通ずるところが出てくるかもしれません。本稿はその前振りです。今後とも是非、ご覧ください。
本文に入る前に、いつものやつをお願いします。

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2011年04月03日

母系社会における「男を強くしてきた女の願い」

カシ族の母系(母権)社会で紹介した『アジア稲作文化紀行』の著者森田勇造氏は、1964年以来、世界の諸民族の踏査を続けてきたが、次第に日本人の文化的民族的源流にひかれ、70年から中央アジアから東のアルタイ系牧畜民の諸民族、80年からは稲作文化の源流を求めて、ヒマラヤ南麓の南アジア、中国南部、東南アジアの稲作農業地帯を中心に踏査された。
そして、稲作文化発祥の地、長江下流域の江南地方や、古代の江南地方に住んでいた非漢民族系の越または楚の末裔とされる雲南や貴州省の諸民族を踏査し、稲作文化の特徴である母系的社会と祖霊信仰にたどりついた。
(写真は雲南省の棚田。こちらからお借りしました。)
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今日は、著者が20数年間の踏査をもとに考察した、母系社会における「男を強くしてきた女の願い」を紹介します。
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2011年04月02日

中国人は性をどのようにとらえたのか

古代東洋文明の先端を走っていた古代中国。
西洋とは何かと比較されますが、西欧は「性を罪悪ととらえる文化である」http://bbs.jinruisi.net/blog/2011/03/000965.htmlhttp://bbs.jinruisi.net/blog/2011/03/000969.html#moreのに対し、中国ではいったいどうだったのでしょうか。
古代中国の文化・歴史の研究者でもあるオランダ人、ロバート・ファン・ヒューリック(末尾参照)の書いた「古代中国の性生活」では、古代中国と西洋との性生活の違いがみてとれます。その内容を要約・紹介したサイトがあったので、その抜粋により、まずは古代中国の性がどの様なものだったのか、概要を把握してみたいと思います。
いつものように、応援よろしくお願いします。

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