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2011年03月06日

日本人の起源を探る ② ~2万年前に南からも移住していた

 シリーズ『日本人の起源を探る』の2回目です。前回の投稿では、縄文人の祖先をシベリヤのブリヤート族とするNHKの番組が紹介されていましたが。今回は南からのルートについてアプローチしてみたいと思います。

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2011年03月02日

印欧語とその歴史 ~印欧語の特色①~

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印欧語とその歴史シリーズが本記事から始まりました!上図は印欧語の系統図です。印欧祖語からの言語分岐や、各言語の関係性が整理されています。種類は、不確定ですがたくさんあるのは確かです。
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~rhotta/course/2009a/hellog/lib/indo-european_family_tree_jp.pngからお借りしました。
印欧語とは、共通のインド‐ヨーロッパ祖語(印欧祖語)から分かれて発達し、古代よりインドからヨーロッパにかけて分布している大語族に属する言語のことです。

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2011年02月28日

日本人の起源を探る 1 ~シベリアからの狩猟部族(替え刃式砕石細石器)

「日本人の起源」と言うテーマは当ブログでも3年前、色々な角度からのアプローチを試み【「日本人の起源」解明 これまでの成果と残課題】と言う投稿に纏まっていますし、これに追加してブログ“縄文と古代文明を探求しよう”では『日本人の起源 13-1 ~日本人の起源データベース1~』にまとめられています。こちらの方もご覧下さい。
今回のシリーズは近年の考古学研究や遺伝人類学、形態人類学研究の成果を加え、改めて「日本人の起源」と言うテーマをるいネット(リンク)から引用し、11回にわたって紹介します。予定としては以下のようになります。
・シベリアからの狩猟部族(替え刃式細石器)の渡来   
2万年前に南からも移住していた            
スンダランド海洋航海民の誕生             
縄文時代以前から複数のルートで移住してきた?     
遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より  
日本列島ではなぜ多様な人種が存続したのか       
モンゴロイドの歴史⑥ 日本人は、どこから来たのか?  
日本語の起源研究の状況                
南方か北方かを言葉からみる              
日本語の起源をアルタイ語とするのは誤りではないか?  
日本語の起源:「文法は北方由来、語彙は南方由来」の謎  
続きをご覧になる前にブログランキングUPにご協力下さい。
           

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2011年02月23日

印欧語とその歴史~プロローグ

みなさん、こんにちは。
現在、るいネットのなんでや劇場では、実現論・私権時代の見直しをテーマに、人類史の追究を行っています。
本日から当ブログでスタートする新シリーズ「印欧語とその歴史」は、このなんでや劇場のテーマに則し、西洋文明の歴史そのものとも言える印欧語(インド・ヨーロッパ語)の特色とその歴史構造に迫っていく予定です。
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イランの支配部族となった印欧語族のアーリア人
絵はゾロアスター教の開祖と言われるザラスシュトラ

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2011年02月20日

人類のアメリカ侵出の前夜状況~最大の危機からの脱出~

◆最後の大移動の幕開け
人類にとっては、気候変動は最大の外圧であった。
それゆえに、人類は地球上に拡散適応していった。
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そして、それは現在も作動している。

■大草原、マンモス・ステップ
>マンモス・ステップにはヨモギの仲間をはじめ、イチゴツナギ属などのイネ科植物やスゲ類、ワタスゲ、チョウノスケソウなど多くの種類の草が繁茂し、一部には矮生のヤナギやカバノキなども生えていたと考えられている。これらの植物は冬の乾燥と寒さに強い。マンモス・ステップにこのように多くの植物が生育したのは、そこに乾燥した場所や湿った場所、微高地や谷沿いの窪地など多様な環境があったこと、冬は寒いが積雪は少なく、永久凍土の発達が悪かったこと、夏の日差し量が多く暖かくて植物の生育に適した条件があったこと、更に夏に凍土がより深くまで融けて植物の根が土中に入り込みやすかったことなどによるものと思われる。
このような草原は、寒冷地に適応した植物食の哺乳類にとっては餌が豊富で、とても棲み心地のよい場所であったに違いない。
リンク

2万年前になると、地球の自転軸と公転軸の変化が強く作用し、北半球に届く太陽熱が最小になった。そのことにより、それまでの特徴であった亜間氷期の繰り返しは止まってしまった。北緯50度に位置したマンモス・ステップはその影響をまともに食らうことになる。
夏場の太陽熱が、かろうじて永久凍土となることを食い止めているがゆえに成立したマンモス・ステップは、豊かな動植物を育むことが出来なくなるや、そこので生息する生物を適地へと移動を促す強力なポンプとして作動することとなった。
 
〔3万年前の植生〕                       〔最終最大氷期(LGM)の植生〕
*出典:「人類の足跡10万年全史」              *同左
4万年前から最終最大氷期(LGM)までの旧石器時代は、チベット高原と南シベリアの間には部分的に森林のある広大な猟場であった。氷河が本格的に前進してくると、高地のステップにいた狩猟者はみな追い出されることになるが、まず考えられるのは、アジアの大河を下って中国とインドシナへの南方ルートである。
次に北の寒さから逃れる道は、北東方面だった。彼らは、レナ川両側の細長いステップ・ツンドラに沿ってヤクーツクへ、それから東のオホーツク海へと出る。バイカル湖地域からは、アムール川を下って太平洋岸へと出る。そして、この穏やかな太平洋沿岸は、アメリカへと続くルートになった。
それがゆえに、最終最大氷期には、この地は人類が不在の地となった。

〔LGM時代のアジアの植生〕        〔LGM時代のアジアにおける移動〕
*出典:「人類の足跡10万年全史」    *同左

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2011年02月18日

原始時代の社会期待(13)~まとめ

全12回にわたって、これからの共同体の時代の核となるであろう「本源期待」とは何か?
を明らかにするために、原始時代の人々の期待→意識の変遷を追及してきました。
今回は、いよいよ<まとめ>となります。
それでは、まず、今までの追及成果をダイジェスト版でお送りしたいと思います。
【原始時代の社会期待シリーズ】
(1)~共認社会の生存圧力と同類圧力
人類の、本能⇒共認⇒観念機能の全ては、秩序化⇒安定⇒統合というベクトルに貫かれています。
極限時代を生きた彼らにとっては、生存と安定が、最先端の期待であっただろうことは容易に想定できます。その期待を受けて、人々は、徹底的に同類闘争を回避(彼らにとって、同類闘争の顕在化は、集団の崩壊と滅亡を意味します)してきた。
(2)~原始時代の社会意識
想像を絶する自然外圧に対応するために、人類が収束したのが精霊信仰であり、このことを「期待」という概念で捉え返すと「生存期待」というものになるだろう。生存期待をかけて自然と対話し、精霊信仰に収束した。これが原始人類の最先端の姿である。
(3)~縄文時代の精霊信仰
具体的な神とは、自然そのものに宿る神であり「持ち運びができるものではなかった」。また、様々な自然物に囲まれている縄文人にとっては、具体的な自然物一つ一つに宿っている神が無数に存在することになる。「無数に存在する」「極度に具体的な」「移動しない自然神」への信仰が、縄文人の信仰形態であり、日本人の信仰の原点でもあるのだ。
(4)~縄文時代の精霊信仰と狩猟採取生産
「万物の背後に精霊を見る」という境地は、決して期待一辺倒ではなく、むしろ徹頭徹尾『応合存在』という地平を切り拓いたと見る方が正しいと思います。この『応合意識』の方が母体になったから、その後人類は、自然界のあらゆるものを道具や材料として役立て、全方位的に科学技術を発展させてきたのであり、もし『期待意識』が出発点なら、自分の期待に応えてくれやすい領域に偏った進化を遂げてきたのでないかと想像されます。
(5)~採取時代の適応原理
採取時代の適応原理は共生適応と捉えることができます。
自然界で一般的にも見られるこの“棲み分け”という共生適応は、人類にとって自然な選択でだったのではないでしょうか。いわば自然の摂理に即した適応なのだと思います。採取部族の段階では、お互い闘争は回避し友好関係を維持しましょうとの共認関係が、各集団間で形成されていた状況だったと思われます。
(6)~縄文時代に広域に広がった黒曜石や翡翠は何を意味するのか?
日常的に他集団との緊張関係が続き、集団内の統合も成員充足も脅かされる状況になれば、これを回避しそれらを取り戻すことが本源集団にとっての第一価値であるのは当然である。他部族との友好が最大の課題であり、価値であったから、最高の価値があると認めるものを贈与していたと考えられます。
(7)~海洋民族の闘争回避【クラ儀礼】
①外圧▼による集団の共認統合をどうするか?
②集団間の同類闘争をどう止揚するか?
この難課題を解決するために、彼らが着目したのが、「全ての共認は、評価共認に収束し統合される」という人類集団の集団原理だったのではないでしょうか。集団内・集団間を「評価共認」で統合するという形態が【クラ儀礼】だったのかもしれません。
(8)~アメリカ北西太平洋岸インディアンの闘争回避【ポトラッチ】
数千年前、他集団と初めて出遭い、高まった集団間の同類圧力をどのように止揚し統合するのか、というまったく新しい課題に対して、人類は、自然と同化するために使ってきた観念(精霊信仰)を他集団に対しても応用したのです。お互いに注視して相手の欠乏を読み取った結果が「贈り物」であり、贈り物をすることによって縄張り闘争圧力を回避することが、当時の集団間の中心的な共通課題であり、みんな期待だったのです。
(9)~人類はなぜ大地を耕しはじめたか?
温暖期に人口を増加させた狩猟採取経済が、突然の環境悪化で重大な危機に直面したと想像できる。寒冷化による資源の減少が、人々に農業を強いたのである。ヤンガードリアス期という急激な寒冷化(危機)に直面したことが農耕(栽培)の始まりだといえます。従って、農耕開始を社会期待という位相で捉えた場合は、やはり生存期待ということになるのでしょうか!
(10)~共認圧力=活力が農耕への転換を促した
農耕を開始する段階では、すでに潜在的な同類闘争圧力が働いていました。この点が、それまでの寒冷期とは大きく異なる点です。同類圧力=共認圧力が人類の主活力源です。この潜在的な同類闘争圧力=活力源が観念機能の発達を促し、それまで数百万年にわたり自然を観察・注視し続ける中で蓄積した、自然現象・植物・動物の習性等の知識を屈指することで、洞窟から出てわずかの期間に農耕を可能にしたのではないでしょうか。
だから、農耕が始まった時期は、洞窟を出て地上に進出後(→潜在的な同類闘争圧力)の寒冷期=ヤンガードリアス期だったのではないでしょうか。
(11)~縄文人は、何故農耕をはじめなかったのか?
多くの労力がいる「農耕」をしなくても生存できた訳で、それ故にまだ精霊信仰を根底にして、自然の循環・再生に身を委ねた事は充分に想像できます。縄文人は、自然との調和に期待しみんなと共に協調して生存してきたのです。縄文人は、農耕生産により本源的共同体社会が破壊されていく危惧を感じ取っていたのです。
(12)~同類圧力の上昇が生産様式の転換をもたらした~
縄文時代から弥生時代にかけて、同類闘争(集団間の闘争)の圧力が上昇していたことは明らかです。その圧力に対抗するために集団の強大化が必要となります。増加した成員を統合するためには統合層が必要となり、統合のための活動が増大していきます。
また実際に戦闘行為が開始されれば、防衛のために人員を割く事や、環濠等の防衛のための土木作業、あるいは武器や兵具などの作成など直接の生産労働以外の活動が急速に増大していく事でしょう。そして衝突の際はそれに動員される兵士が増加します。ここに至っては生産性の加速度的上昇や、長期に渡る貯蔵保管の必要性は一層高まります。
つまり生産力の上昇あるいは採取生産から栽培(農業生産)に生産様式の転換を促した主要な要因は同類圧力であるといえるのではないでしょうか?

人類の500万年に及ぶ極限時代のみんな期待は、本源的な共同体を母体とした生存期待でした。その後弓矢の発明などで、自然圧力が弱まり、同類圧力が高まっても、贈与のネットワークや自然との共存を第一とする精霊信仰などで、武力闘争の勃発を回避してきました。特に縄文人は、稲作を拒否してまで、共同体社会を守ってきたのですが、大陸からの略奪闘争の敗者が流入してくることにより、とうとう略奪闘争に巻き込まれ、稲作を取り入れ、蓄財を始めることになっていったのです。そして、現在まで3000年に渡り私権闘争の社会が続くことになったのです。


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2011年02月11日

原始時代の社会期待(12)~同類圧力の上昇が生産様式の転換をもたらした~

前回【縄文人は、農耕生産よる集団構造の変質を恐れた。】 では、縄文人が、共同体社会を守るために稲作を部分的にしか、取り入れなかった状況を見てきました。

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縄文後期、畑稲作が始まった後も並行して網羅的食料体系は残っており、稲作が始まった後、他文明で見られる、階層社会の成立や戦争の開始といった社会のシステムや枠組みを大幅に変換させるような形跡は見られなかった。それは、畑稲作は既存の共同体組織で充分に対応できたと思われるし、余剰を生み出さないイデオロギーが残存し、自然を大きく破壊しない、サイクルを変動させないタブーが存在したとさえ想定できる。
後期に登場した呪術の技術はそれ(自然との関係の破壊)を戒めるために使われたとも考えられ、そのことにより、縄文時代の農耕は伝統的な獲得経済の一部を構成したにとどまり、けっして支配的な食料獲得様式にはならなかった。 稲作を拒否したのではなく、社会の変質を拒否したのである。
(画像は三内丸山こちらからお借りしました。)
縄文時代の後期の最後頃(2800年前)に、再び寒冷期が訪れ食料不足が発生し食糧危機に直面しました。それでも縄文人は、直ちに「農耕生産」に向かわずに、精霊の応合期待と共同体組織のみんな期待の中で、自然との共存の術と知恵で難局を突破したのです。これが、縄文時代の社会期待と考えられます。
一方で縄文人は、農耕生産により本源的共同体社会が破壊されていく危惧を感じ取っていたのです。

 今回は、その後、なぜ、弥生時代に稲作を全面的に採用するようになったのか、を探ってみたいと思います。
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2011年02月08日

世界の婚姻形態と、日本の状況(世界の最先端?)

◆欧米では、キリスト教による離婚禁止文化による法律婚「結婚」が、キリスト教への執着度の低下から、未婚のままの「同棲」や、離婚が簡単な新たな婚姻制度が出来ている。その実態を見てきました。
欧米の男女は男女関係を、一貫として、個人の自由にする方向で進んできた。
今や、離婚は当たり前で、子供もお母さんやお父さんが数人いると言う、社会を作った。
それでも「恋愛」男女関係は追い続けている。
日本の男女関係、はどうなっているのだろう。
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2011年02月05日

シリーズ『共同体社会と本源の心』⑩ まとめ

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みなさん、こんにちは。
『共同体社会と本源の心』と題してご紹介してきたシリーズは、今日で最終回です。これまで・・・
シリーズ『共同体社会と本源の心』① ~新たな期待=本源期待とは何か?~
シリーズ『共同体社会と本源の心』② ~「自分らしさ」を理解できない人々
シリーズ『共同体社会と本源の心』③~生命の本質への感謝
シリーズ『共同体社会と本源の心』④ ~インディアン部族とは何か
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑤ ~「オヤとコ(柳田民俗学から)」
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑥ ~村落共同体の規範について~
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑦~等分配ルールと平等観念の違い
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑧~共時一体感覚にささえられる文字による共認
シリーズ『共同体社会と本源の心』⑨~ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」
と、9回にわたって本テーマに繋がる記事をお届けしてきました。地域としては日本とネイティブアメリカについてのものになりますね。
シリーズを振り返って感じるのは、現代に生きる私たちに「当たり前」であることが、人間本来のあり様として本当に当たり前なのだろうか?という疑問です。ご紹介してきた多くは過去の事例になりますが、その当時としては当たり前であった考え方や規範です。そこに時間的な隔たりだけでない、何か別の隔たりを感じるのは私だけではないでしょう。
今現在の生活様式を捨てて、いきなり過去の生活様式に戻ることはできません。しかし、過去の事例の中に、物的な豊かさ以上の豊かさを感じ、人間本来のあり様=本源 を見ることが出来るならば、それを現在的に翻訳して適用していくことはできるはずです。
今現在 高まりつつある本源期待とは、現実の期待です。過去と現在の隔たりを埋めて、現実の本源期待に応えていくためにはどうすればよいのか?そんな視点でシリーズを振り返ってみます。

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2011年02月04日

原始時代の社会期待(11)~縄文人は、何故農耕をはじめなかったのか?

前々回及び前回は、初期人類が農耕を始めた西アジア地域を中心に、そこでの社会期待を追求しました。
今回は、日本に焦点を当てて考えます。
縄文人は、狩猟採取生産を主要な生産手段としていました。しかし、既に縄文時代の中期から後期に掛けて、採取生産から得た能力で初歩的な栽培技術を持ち合わせていたと考えられますが、「農耕」を主要な生産手段とはしませんでした。彼らは、何故「農耕」を始めなかったのか?そこに有る社会期待とはどういうものなのか?を考えてみたいと思います。
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