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2011年02月02日

キリスト教の性否定観念 ~『キリスト教とセックス戦争』より~

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ヨーロッパの一対婚の始まりとキリスト教の性否定観念をテーマに、これまで6回に渡り扱ってきました。前回「ローマ時代のキリスト教発生~国教化」では、キリスト教の成立からローマの国教になるまでの過程について見てきました。
引き続き今回は、キリスト教の「性否定・女否定」観念の形成過程について、『キリスト教とセックス戦争』(カレン・アームストロング著1986)を参考に見ていきたいと思います。
同著によれば、キリスト教(西方キリスト教)の女性観とは神経症的な「性否定・女否定」であり、これは他の宗教には見られない、キリスト教独特の価値観であるようです。
このようなキリスト教の「性否定・女否定」観念はどのようして形成されてきたのでしょうか?
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2011年01月30日

シベリアの厳寒に挑んだモンゴロイド(マリタ人)

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氷点下50度以下になる真冬のシベリアにも、人々の確かな営みがあります。人類はいつ、そしてなぜ、この厳寒の地シベリアや北極圏へ進出したのでしょうか?
アフリカで誕生した人類が、ユーラシア大陸からこのシベリアを越えて、さらにアメリカ大陸へ拡散を続けてきたことはよく知られていると思います。このはるかなる旅の特徴は、異なる環境へのあくなき挑戦と適応だったといえるでしょう。そのクライマックスが、アメリカ大陸への中継地でもある、シベリアへ進出するために「極寒」への適応にあったことは疑いないでしょう。
今日はバイカル湖周辺の人類(モンゴロイド)マリタ人の北方適応を見ていこうと思います。
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2011年01月29日

シリーズ『共同体社会と本源の心』9~ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」

シリーズ『共同体社会と本源の心』も9回目となりました。今回は【ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」】です。
るいネットからの紹介投稿もいよいよ今回はで最後、次回はこれまでのまとめに入ります。

画像は(リンク)よりお借りしました。
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2011年01月28日

原始時代の社会期待(10)~共認圧力=活力が農耕への転換を促した

前回は「人類はなぜ大地を耕しはじめたか?」を扱いました。
ヤンガードリアス期という急激な寒冷化(危機)に直面し、食糧が乏しくな中、高まるみんな(集団)の生存期待に応えるために、農耕が始まりでした。意外なことに、人類は、やむををえず農耕を始めたのですね。
このように、寒冷化という自然外圧が契機になって、狩猟採取から農耕への生産様式の転換が起きたのですが、そうならば、なぜ?ヤンガードリアス期の以前の寒冷期に農耕への転換が起こらなかったのでしょうか?言い換えれば、農耕が始まった寒冷期が、ヤンガードリアス期だったのはなぜなのでしょうか?
%E3%83%92%E3%82%A8.jpgヒエ
今日は、この疑問に答えるために、改めてその時代の人類が置かれた外圧状況や社会期待について掘り下げてみます。
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2011年01月27日

万里長城地帯に興った紅山文化が中国都市国家の先駆け

中国万里の長城地帯を調べるうちに、年末のなんでや劇場で扱った中国文明の起源を補強する論述を見つけた。
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るいネット『’10年末なんで屋劇場レポート5~中国文明の起源』より

新モンゴロイドの南下とチベット族の侵入によって母系から父系へ転換
5500年~5000年前は寒冷・乾燥化の時期であり、父系氏族社会への過渡期だと言われており、黄河流域と長江流域で防御性の高い城堡が出現した。これは新モンゴロイド(トルコ族、モンゴル族、ツングース族)の南下による影響及び、タリム盆地からチベット高原に進出してきた印欧語族の遊牧部族によって押し出されて、黄河上流へ進出してきたチベット族の影響と考えられる。
黄河中下流域の龍山文化(4800年前~4000年前)にはモンゴル族の影響が、紅山文化(5400年前~4300年前)にはツングース族の影響が、黄河上流域の馬家窯文化(~4700年前)、長江上流域の三星堆文化(5000年前~3000年前)にはチベット族の影響が考えられる。
こうして、一方では父系転換と私有制が強まり、他方では、戦争圧力が強まる中、いわゆる中原地域において夏→殷→周の王朝が誕生し、中国私権文明の歴史が幕を開けることになる。

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2011年01月24日

シリーズ『共同体社会と本源の心』8~共時一体感覚にささえられる文字による共認

シリーズで投稿しています『共同体社会と本源の心』、、今回で8回目になります。
前回までは「共同体の規範」について投稿されています。
これらを読むと「共同体」には「共認」が最も重要なことが分かります。
従って、共認域の広がりが共同体の大きさ、強いては共同体社会の規模を規定する、
と言っても過言ではありません。
その共認域を広げる方法として「文字」「言葉」そして「???」。
今回は「共認」について考えてみます。
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2011年01月21日

原始時代の社会期待(9)~人類はなぜ大地を耕しはじめたか?

原始時代の社会期待を扱ったシリーズ。
前回まで(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)は、狩猟・採取生産の時代の社会期待を扱ってきました。
今回から、農耕が開始されて以降の社会期待を追及していこうと思います。そもそも、人類はなぜ農耕を開始したのか?農耕の起源にせまっていこうと思います。

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2011年01月15日

シリーズ『共同体社会と本源の心』7~等分配ルールと平等観念の違い

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こんにちは。
今年もよろしくお願いします♪
シリーズ『共同体社会と本源の心』7回目です。
前回は“村落共同体の規範”をお送りしましたが、今回は共同体規範の具体事例です。
この図はフランス人権宣言のスローガン「自由・平等・博愛」ですが、「平等」などにおける共同体規範と近代観念との違いから、「本源の心」を見てみましょう。
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2011年01月14日

原始時代の社会期待(8)~アメリカ北西太平洋岸インディアンの闘争回避【ポトラッチ】

前回は、トロブリアント諸島で行われていた海洋民族の闘争回避儀礼【クラ儀礼】を紹介しました。
【クラ儀礼】とは、
①自然外圧▼による集団の共認統合をどうする?
②集団間の同類闘争をどう止揚するか?
という難課題を解決するために、「全ての共認は、評価共認に収束し統合される」という人類集団の集団原理に着目し、集団内・集団間を「評価共認」で統合する贈与による一つの統合様式でした。
今日は、アメリカ北西太平洋岸インディアンの贈与による統合様式【ポトラッチ】を紹介しようと思います。
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カラム族のポトラッチ。酋長の妻の一人がポトラッチを分配している。
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2011年01月13日

黄河中・下流域、長江下・中流域の新石器時代中期後半~まとめ

新石器時代前期から後期(9000年前~4000年前)にかけての黄河中流域黄河下流域長江下流域長江中流域まで見たところで、今回はとくに城址の出現を中心に4地域を比較・整理したい。(参考:宮本一夫『中国の歴史01神話から歴史へ』)
%E7%8E%89%E3%81%9D%E3%81%86.jpgアワ・キビ農耕の黄河中・下流域においては、新石器時代中期後半(5500年前頃)から集団内での階層格差が広がっていき、次第に母系制社会から父系血縁氏族を単位とした家系単位での階層差が生まれてきた。
そして集落規模における格差も現れはじめ、拠点集落とその周囲を小さな集落が取り囲むという関係が出現する。
この過程で、集落の周りに土塁を巡らせる城が構築され(最古は5300年前頃の河南省西山遺跡)、新石器時代後期(5000年前~)には城址遺跡が普遍化していく。
世襲首長制社会への移行である。
一方、稲作農耕の長江下流域においても同様に父系化と階層化は進展するが、城址遺跡は発展しなかった。
長江中流域においては長く母系社会が存続し、父系化と階層化が確認できるのは石家河文化前期(4500年前~)と遅れる。
また城址遺跡は、それより前の屈家嶺文化期(5000年前~)より一斉に花咲くように出現するが、これは洪水対策と考えられており、黄河流域のような戦闘防衛用として構築されたものではない。
※写真は長江下流域の良渚文化期の玉琮(ぎょくそう)。こちらからお借りしました。
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