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2010年10月22日

一神教は、「性を禁圧」し愛を神が独占しようとする宗教である

日本では江戸時代までは「おおらかな性文化」では性をプラス視しており、男根崇拝や女陰崇拝など今でも地方には残っています。
一方で、キリスト文化の欧米文では「性」をマイナス視しています?
それが何処から来るのか?以前から疑問でしたが明快に答えれくれる投稿があったので紹介します。
「岸田秀先生と再び」(一神教と性)http://www.ccv.ne.jp/home/kyosaiji/page030.html#seinosyuukyou

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2010年10月21日

共同体の原基構造-5~極限時代の死生観

『共同体の原基構造』に迫るシリーズの5回目です。前回は、集団を統合する為に欠かせない規範について考えました。私たちは、私権時代の奴隷の思考方法で規範をマイナスに捉えてしまっています。私権時代から共認時代に移行しつつある現在それに即した充足規範に塗り替えて行く事が重要である事を浮かび上がらせました。
それを受けて今回は、極限時代の人類が共同性の意識を持って、「集団や仲間」その中での「死」や「生」をどの様に捉えていたのか探っていきます。
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2010年10月20日

本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」16 ヤノマミの「森の摂理」としての「子殺し」(前編)

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引き続き、今回はヤノマミの「森の摂理」としての「子殺し」について紹介します。
ヤノマミは「子殺し」を行う民族です。彼らは天に送る、天に返すというように表現しますが、彼らのこの行為はヤノマミの「死生観」、「人間観」等に同化しなければ理解できない行為であろうと思いますので、具体的な行為に触れる前にヤノマミの思想について扱います。

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2010年10月16日

縄文文明こそ日本文明

みなさんこんにちは。
今日はるいネットからの記事を紹介しようと思います。
「縄文文明こそ日本文明」(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=237644

日本人や日本の歴史に次代の可能性を見い出そうというという潮流が顕在化しつつある中で、「縄文」の文化や気質に対する可能性が高まっています。
縄文気質とは何なのでしょうか?
以下の引用文には、日本の文明とは縄文にあるという内容の記事です。
あえて縄文文明と表現していることにも意味がありそうです。
では、記事の中味を見ていきたいと思います。
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「先日発掘された6000年前の人骨(富山県)」

るいネット
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2010年10月15日

共同体の原基構造-4~規範原理

 『共同体の原基構造』に迫るシリーズの4回目です。前回は、500万年に亘る極限的外圧状況の中で生き延びるために、皆で課題(=食料の確保をはじめ、「生きる」という課題)を共認し、役割を共認し、集団を統合する為の評価を共認して、かろうじて生き残ってきた状況について見ました。人類は500万年に亙って、皆で充たしあい、支えあうことで生き抜いてきたのです。
今回は、集団を統合するためには欠かせない規範について考えてみたいと思います。
私たち現代人は、規範やルールと聞けば、反射的に自分にとってマイナスであるもの、他律的なもの(誰か自分と関係ない人がつくったもの、押し付けられるもの、縛り付けるもの)としてイメージしてしまいがちです。
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しかし、最近話題になった、チリの落盤事故からの奇跡の救出劇でも、「新たな事故に備えるための見張り役や、記録係、メンテナンス係など作業員一人ひとりに役割を与え、集団生活の規律を保った」 といいます。
地下700m の炭鉱に70日も閉じ込められるという絶望的な状況下で、役割と規律が、生きる支えとなり困難な状況を乗り越える力となったのです。
だとすると私たちは、規範に対する認識が大きくずれてしまっているのではないでしょうか。 
そこで、今回は、るいネットの投稿を元に、本来の規範とはどのようなものなのか、また、そのような規範意識を形成する土台は何かを考えてみたいと思います。
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2010年10月13日

ヤノマミ族の生命観

共同体の子育てをテーマに、この間、記事を重ねてきました。先週は、江戸時代の「子返し」を扱いましたが、今日はその繋がりで、ヤノマミ族の生命観を扱ってみようと思います。
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2010年10月10日

集団を超えた、共認原理に基づく婚姻体制って過去にあるの?10~『親族の基本構造』の総括~

集団を超えた、共認原理に基づく婚姻体制って過去にあるの?シリーズ。
8全面交換と購買婚、そして、9父方交叉イトコ婚まで見てきました。
%E8%A6%AA%E6%97%8F%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%A7%8B%E9%80%A0.jpgこのシリーズもいよいよ次回で終わりますが、今日はこれまで紹介してきたレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』を総括しておきたいと思います。
難解かつ膨大な論文なので、総括というのはおこがましいですが、次の3点の問題点に絞ってお届けします。
1.単系(父系または母系)のみを対象としており、それ以外の非単系は除外している。
2.限定交換モデルは実態があるが、全面交換モデルは現実性をもたない。
3.未開社会の外婚制を「女の交換」とするのは、観察当時の全面交換圏においてはほぼ妥当するが、限定交換圏においては必ずしもそう言えない。
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2010年10月09日

ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」

子どもをお持ちの当ブログ読者の皆様は、子どもに何か習い事させられておられるでしょうか?
私も子どもの頃は、そろばん、習字、学習塾といった習い事をしていました。今いる子どももスイミング、サッカー、習字、学習塾に行っています。本人が行きたいというので行かせていますが、家計は火の車です。
小学生の習い事、今一番はスイミング・今後は塾に英会話教室
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幼児の習い事、男の子は「水泳」・女の子は「音楽」がトップ
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2010年10月07日

共同体の原基構造-3~人類の本性は共同性にある

『共同体の原基構造』に迫るシリーズの3回目です。前々回は、私権体制の崩壊⇒共同体の時代が到来しているという状況認識の下、シリーズの課題意識を整理し、前回は、約500万年前~私権時代に転換する約6000年前まで、実に500万年に亘る共同体の歴史の外圧状況を見ていきました。
共同体の原基構造-1~極限時代に見る「人類の本性」
共同体の原基構造-2~極限時代の外圧状況
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今回は、500万年に亘る極限的外圧状況の中で、生き延びるために可能性収束し、強化した共同性(共認機能)について見て行きたいと思います。
続きに行く前に、応援よろしくお願いします。

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2010年10月06日

「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」15 “子返し”とはなんだったのか?

「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」14 近世農村の貰子、捨子
に続いて今回は江戸中期以降頻繁に行われていた“子返し”について見ていきたいと思います。それでは早速“子返し”って何?と言うところから押さえて行きたいきましょう。

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この絵馬は、柏原白鬚神社境内にある浅間神社に奉納されたものです。産まれたばかりの我が子を殺す女性2人が彩色で描かれていますが、一方は鬼の顔をしており、そこには
「足らぬとて まひ(間引)くこころの愚かさよ 世に子宝といふをし(知)らすや」
「罪は身に むくうとしりて天より さつ(授)けたまわ(賜)る子かえ(返)しをする」
と記されており、子返しを戒める目的で奉納されたことがわかります。製作年代と作者は不明ですが、奉納者の氏名から江戸時代末期の作と考えられています。狭山市の指定文化財より

“子返し”って何?
近代的用語で言えば“間引き”=子殺し(親が子を殺す)のことです。それを江戸時代では“子返し”と言っていました。「返す」というのは、「天」に返すという意味です。当時7歳以下の子どもは神の子とされ、いつでも神にお返しする(つまり殺す)ことができるとされていまいた。
また“子返し”の実態も当時それほど珍しい行いではなかったようです。“間引き”と言うと口減らし印象があり、貧困で食えないから間引いた・・・と思っている方もいると思いますが、必ずしもそうとは限らず、一定の生活水準を保つためにも行われていました。またそれ以外にも、生まれてきた子供が奇形児や障害を持った子供であった場合等は“子返し”が行われていたようです。
親は一般に子を守るものと考えられ、民法においても子は親が扶養すべきものとされ明確な扶養の義務づけがされている現代とはエライ違いですね。
では今度は“子返し”がどんな背景によって行われてきたのか?またどんな意識をもっていたのか?を見てみましょう。これについては『子宝と子返し』(著:大田素子)からそれに纏わる内容をピックアップして紹介したいと思います。
ちなみに『子宝と子返し』は江戸時代の豪農(在郷商人)の日記から考察した内容となっています。

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