2010年09月10日
集団を超えた、共認原理に基づく婚姻体制って過去にあるの?8~全面交換と購買婚~
集団を超えた、共認原理に基づく婚姻体制って過去にあるの?シリーズ。
1、2、3、4、5に続いて、6はオーストラリアの限定交換、7はビルマのカチン族の全面交換まで見てきました。
全面交換(母方交叉イトコ婚)は一見単純なように見えますが、限定交換にはない、じつに様々な問題を引き起こします。今日は全面交換が購買婚を引き起こすことを紹介したいと思います。
(ビルマ(ミャンマー)のカチン州の祭りで伝統衣装を着る人々。ここからお借りしました。)
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1.全面交換は購買婚と重なり合う
まずカチン型婚姻規則は単純である。母の兄弟の娘との選好結合さえ明示しておけば、疑問の余地なく自動的に進んでしかるべきであるが、じつはまったくそうはいかない。婚姻規則のうえに、購買(花嫁に対する対価)をめぐる複雑で煩瑣な理論が重なり合うのである。
カチンのどの婚姻も多かれ少なかれ売り渡しの形式をまとい、妻の値段は彼女の格づけに従って変動する。娘が平民なら、水牛2頭、銅鑼2個、絹布2枚、麻布数枚、絹の上着1着、果実酒4、5瓶だが、娘が高貴な家の生まれなら、代価はその3、4倍になり、さらに象牙1本、奴隷1人、銃1挺、銀2ポンドなどが含まれる。
この体系の複雑さはさらに続き、同じ村の住民のあいだで婚姻が行なわれるとき、兄弟ないし従兄弟の代価、オジの代価、オバの代価、母の代価、奴隷の代価が支払われる。婚約者同士が別々の村に住んでいる場合は、ご足労代、面会代(ともに兄弟、オジ、オバに支払われる)、さらに南部の村々では家族との結婚代を追加するのが好ましいとされる。
これらはすべて下準備に過ぎず、次に大きな支払いと、娘の代価(ともに父または父の相続者に支払われる)が続く。
これらの支払いの一つ、オバの代価だけでも三つの給付、すなわちブタ1頭の屠殺、小さな支払い、大きな支払いを含む。
このうちの小さな支払いだけでも、①オバは新郎の家まで姪に付き添って行って短刀を要求する、②オバは花婿の家に入るために首飾りを要求する、③はしごを登るために贈り物を受け取る、…(④~⑪略)…、⑫オバが一緒に酒盛りをしてくれたことに対する特別の支払いに細分される。(筆者注:全部書き出したらどうなるのか、目がくらみます。)
(注)カチン型体系と完全に類似した東シベリアのギリヤーク族では、規則である母方交叉従姉妹との婚姻でない場合に限って購買婚が現れる。好ましい婚姻である場合は、花嫁代価を払わなくて済むだけでなく、逆に花嫁の父のほうが花婿に贈り物をする。(筆者注:ギリヤークのほうが原始的で、母系制の名残りも強く感じられます。)
2.妻は2、3年両親のもとにとどまり、些細なことで両親や兄弟のもとへ逃げ帰る
先祖伝来の体系によって予め定められていても、婚姻の前日に仲介人が娘を要求すると、両親は「娘をやることはできない」と答えるのである。これを数回繰り返し、四度目の要求にはじめて乗り気であるところをみせるが、今度は途方もない代価を口にする。こうしてやっと合意が成立するのだが、何度も途中解約をちらつかす。
結婚のあとでさえ新妻は2、3年、自分の両親のもとにとどまり、夫のもとには訪問するだけである。夫側の催促でやっとのことで新妻はあきらめて夫の住む家におもむくが、それでも、ほんの些細な口実さえあれば妻は両親のもとに逃げ帰る。両親は当然にも妻の肩をもち、夫側が再び好ましい気持ちを抱くまで娘を実家に置いておく。
ハカ・チンでは、娘が村の外に嫁ぐ場合、花婿は花嫁の父と兄弟のために、家を1軒自分の村のなかに見つけなくてはならない。家の持ち主は花婿の贈るブタを食べることによって花嫁の男性親族または兄弟として遇せられるようになる。夫婦喧嘩をしたとき、花嫁はこの家の持ち主のもとに逃げ込む。花嫁が病気になれば、彼が彼女を介抱する。
要するに妻はつねに両親の家族の庇護下に置かれていて、家族はいつでも彼女を実家または兄弟の家に呼び戻すことができる。妻を連れ戻したいと思うなら、夫は補償金を払わなくてならず、この支払いが済むまでは夫は妻に対して性交権しかもたない。花嫁代価は性的権利を充当するというよりはむしろ(カチンは選好親等に対しては婚前交渉自由)、女とその子供が決定的に失われることにかかわっている。
(筆者注:父方居住・父系体制ゆえに、女たちは婚姻によって「故郷から追放された」との感情を抱く。上記は、女たちの不安を少しでも和らげるための規則として存在しているのでしょう。)
かくしてカチンの夫方と妻方とは運命づけられた姻族であるが、敵対的関係が重なり合っている。まさに「婚姻とは社会的に調整された敵対行為である」ことを、このカチンの全面交換体系ほどみごとに例証するものはない。
3.購買婚が新しい定式へ
全面体系は先物取引体系を創設する。つまりAはBに、BはCに、CはAにそれぞれ娘か姉妹の一人を譲与する。したがって全面交換には信頼という要素がつねに存在し介入してくる。一度開かれた周期がやがて閉じることへの信頼、やがて受け取る女が最初に譲与した女を、最終的に相殺してくれるとの信頼がなくてはならない。体系全体が存在するのは結局のところ、この信頼のもとで投機をなすからにほかならない。
集団的投機に発する全面交換は多様な手練手管の余地を開き、保証をも求めるので、パートナーたちによる個別的・私的な投機を招く。リスクに対しては二重に備えることができる。一つは量的に、つまり人々の参加する交換周期の数を増やすことによって、もう一つは質的に、つまり担保を蓄えること、すなわち支給者リネージの女をできるだけ多く占有することによって。その結果、姻族範囲の拡大と複婚とが現れる(全面交換に限らないが)。
このように、全面交換は平等を前提に出発しているが(そうでないと周期が閉じず、調和的に機能しない)、不平等の源泉をもはらみ、身分の違う配偶者間の婚姻(異身分婚)にほとんど不可避的に通じ、この体系を崩壊に招く要因になる。
全面交換による組織化は、無際限の拡張も可能で、社会集団がどれほど複雑であっても、理論的には中断も不調もなく働き続けることができる。
しかし全面交換を脅かす危険要素は、形式的集団構造からでなく、外部から、集団の具体的諸性格から噴出してくる。そうなると購買婚が全面交換に取って代わり、新しい定式となる。
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レヴィ・ストロースは、観察されたカチン型体系を、全体構造が崩壊するまさにその瞬間にさしかかった全面交換を示していると述べ、その歴史的原因構造については、「形式的集団構造からでなく、外部から、集団の具体的諸性格から噴出してくる」としています。
つまり、この体系を崩壊に招くのは、参加している集団の私益であり(その結果の私権格差であり)、その背後に「婚姻とは社会的に調整された敵対行為である」とするほどの同類闘争圧力の高まりがあると見てとれます。
共認原理のなかに私権原理が入り込み、体制の内部から規則を蝕み変質させていった、というイメージでしょうか。
この中にあってもアジア諸部族は、全面交換による集団間の関係維持は放棄しなかったものの、ほとんどの部族が母系(母方出自・母方居住)から父系(父方出自・父方居住)に転換しているので、女は婚姻により「故郷から追放された」との悲哀を感じることになります。父系の全面交換体系は、女の充足可能性を犠牲にしての体制でもあります。
次回は親族の基本構造の3つ目(これが最後)、全面交換の父方交叉イトコ婚(父の姉妹の娘との婚姻)です。このタイプは南インドでしか見いだせさせない非常に稀なものです。
ではお楽しみに~。最後まで読んでもらいありがとう
- posted by okatti at : 2010年09月10日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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