2010年09月09日
「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」13 江戸時代の家族形態と子育て意識の変化
本来、子育てとは共同体の中で生産活動と共に行われていました。では、現在の家庭での子育ては、どのようにできあがったのでしょうか?家族形態はどう変化してきたのか?その中での子育て意識は?
今日は、『子宝と子返し「近世農村の家族生活と子育て」大田素子(藤原出版)』をもとに、江戸時代の豪農(在郷商人)の日記から、この流れを時代背景と共に押さえていきたいと思います。
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まず、『子宝と子返し「近世農村の家族生活と子育て」大田素子より、江戸時代の前期の奥会津と、後期の瀬戸内の豪農の日記から、家族形態の変化と子育て意識の変化を比較表にまとめてみました。
江戸時代、農村は村落共同体を維持していましたが、地域の豪農は武家と同じく父系制に転換し、「家を守る」ことを主軸に親族ネットワークを形成していきます。この流れの中で、本来持っていた「地域共同体の中での子育て」が、「家を守るための子育て」に変化していく様子が見て取れます。
●地域共同体は、私権意識の高まりにより、親族ネットワークから直系家族へと変化した。
江戸中期の豪農は、次男三男の分家・養子と連携し、その地域での親族ネットワークを形成していきます。また、本家・分家は従兄弟同士の結婚を重ね、親族ネットワークの結束を高めていきます。
江戸後期になると、親族のつながりは地域的に離れたこともあり、関係は薄れ社会的な関係へと変化していきます。そして、市場・商品社会の発達により、私権意識が高まり、直系家族への収束力が強まっていきます。
●子育て意識は、「集団」の維持から「家」の維持へと変化し、子への私権期待が強まっていった。
江戸中期の親族ネットワークの中で、親族の子も含めて子供達は共同体的に育てられます。
その成長は、15~20歳の間に一人前になるように、親世代と一緒に生産活動を通して、自然と学んでいく方法でした。
江戸後期の直系家族での子育ては、「家(財産)」を維持していくために、手習いの時期も早くなり、学問・武術・算術と一通りの教育が修業的に行われました。
*市場化・商品化の流れの中で、家の財産の継承者を育て、自らの老後の安泰を目指して、子育て・教育が行われました。
●まとめ
・江戸時代の豪農は、既に農村の中でも身分が上であり、地域共同体的な要素は崩れてきている。
・市場・商品社会による私権収束と共に私有意識は高まり、親族のネットワークから、直系家族の利益へと、家族形態と家族意識が変化している。
・子育て観も、それに伴い、親族の利益を守ることから、家族の利益の守る方向へと変化し、より修業的な教育方法がとられるようになった。
一方この時代には、「子返し」という言葉があります。子返しとは何でしょか?
次回は、この「子返し」について紹介し、更に追求を深めたいと思います。
- posted by yooten at : 2010年09月09日 | コメント (9件)| トラックバック (0)
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はじめまして。突然のコメント。失礼しました。
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