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2019年05月16日

人類のオランウータン起源説⇒ラマピテクス起源説

チンパンジー起源説に対して、現生人類に最も近いのはオランウータンだとする主張がいくつも提起されている。

●オランウータンと人類は身体的に酷似している。
以下、「Journal of Biogeography」に掲載された論文の骨子(米バッファロー科学博物館ジョン・グレハン氏とピッツバーグ大学ジェフリー・シュワルツ氏)「National Geographic」2009.6.23
人間をチンパンジーと結び付ける遺伝的な証拠によって、この事実は軽視されてきたが、遺伝的な証拠そのものに欠陥がある。
2005年、チンパンジーのゲノム解読によって人間とチンパンジーは遺伝学的に96%同一であることが証明されたというが、DNA鑑定は人間とチンパンジーのゲノムのごく一部しか調べておらず、しかも、多くの動物が共有する古いDNAの形質が人間とチンパンジーの類似点として挙げられている。
それに対して、身体的な特徴に注目すると、オランウータンの方が類似点が多い。人間とオランウータンは固有の身体的な特徴を少なくとも28個共有する。チンパンジーは2つ、ゴリラは7つしか共有していない。

オランウータンと人類が共有する特徴は、
【1】エナメル質が厚く表面が平らな大臼歯、他の動物より非対称な右脳と左脳、前腕の軟骨と骨の比率に大きな差があること、肩甲骨の形など。
【2】人間に固有のものとされてきた口蓋の穴が、オランウータンにもある。
【3】人間とオランウータンは他の動物より乳腺が広範囲に分布している。
【4】ともに最も髪を長く伸ばす動物である。他の霊長類と違って、生え際が存在し、そこから目の上まで髪を下ろす。
【5】アフリカやヨーロッパで発掘された古代の類人猿の歯とあごに、オランウータンのような特徴がある。

それらの類似点を踏まえてシュワルツ氏らは、人間とオランウータンは共通の祖先を持ち、現存するアフリカの類人猿はそこに含まれていないとする。
人間の祖先はオランウータンに似ており、約1300万年前、アフリカやヨーロッパ、アジアに広く分布していたと推測。その後、気候や環境が変化して多くの種が絶滅し、アジアの種とアフリカの種は独自に進化したとしている。
ロンドンの自然史博物館アンドリュース氏はチンパンジー起源説だが、「チンパンジーと人間を結び付けるような(身体的)特徴は皆無に等しい。ほとんど分子的な証拠のみに基づいて結び付けられている」と言う。

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他にもある。
●目の構造と、顔の形態に雄雌の性差がある。
白目と黒目は、ヒトとオランウータンだけだという。
「オランウータンとヒト、形態から考える」京都大学野生動物研究センター幸島教授
ヒトの目の特徴は、
【1】黒目の外側の「露出強膜」が白い
【2】目の中で露出強膜(白目)の占める割合が大きい
【3】目の輪郭が横長
大部分の霊長類が露出強膜をこげ茶色にしているなかで、ヒトだけがまったく色素がない。
白目の大きさは「白目が大きいほど黒目が小さくなり、黒目を動かせる余地が広がる」「体が大きいほど、目玉だけを動かして見る方向を変えたほうが効率が良い」といわれているが、もうひとつ、白目がある理由として「視線を強調する狙いがあるのではないか」と指摘している。「目は口ほどにものを言う」ことからも、ヒトにとって言葉以前に視線は相手の感情を読み取るコミュニケーション機能だ。
幸島教授によると、こうした指摘は形態が似たオランウータンにもできそうだという。
オランウータンはしばしば相手をじっと見つめ、何か考え込む様子をすることから「森の哲人」と呼ばれている。樹上で互いに見たり見られたりすることでコミュニケーションをとっているのではないか、というのが幸島教授の推測だ。
さらにオランウータンの特徴である顔の性差が出るのが目の周辺であることにも着目。年を取るにつれて雄と雌の間で顔の色や特徴の違いが出てくることを指摘。

●血液型の多様性(特にO型があるのはオランウータンと人間のみ)
以下、「日本人は何処から来たか」の要約。
オランウータンは、A型、B型、O型、AB型(人間と同じ)。チンパンジーはほとんどA型、O型がまれで、B型は皆無。ゴリラはB型のみ。オランウータンの祖先のテナガザルにはA型、B型、AB型だけでO型がない。
血液型は多様性の獲得。O型はA型、B型両方に抗体をもっている。逆にA型とB型はO型に対する抗体が無い。O型は最後に生まれた血液型であろう。
とすれば、オランウータンと人間がO型を有しているということは、両社の親近性を示している。 東南アジア人にはO型が多いという。

●分子系統学の手法の一つ最節約法で解析すると、人類とオランウータンには共通祖先がいたという結果が出る。
最節約法については分子系統学の基礎
以下、「ヒトに最も近いのはオランウータン?:異説・珍説の扱い方」の要約。
最節約法を使って、現存大型霊長類(ヒト、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン)とアフリカ、アジア、ヨーロッパの化石大型類人猿との間での(形態形質による)系統関係を調べた。
解析の結果、現存大型霊長類は単系統で、二つの姉妹群(ヒト+オランウータン、チンパンジー・ボノボ+ゴリラ)が検出された。ヒト+オランウータンには、化石人類および中新世の類人猿が含まれていた。
つまり、ヒトとオランウータンには(アフリカの類人猿をのぞく)共通祖先がいた可能性がある。
その共通祖先は、少なくとも1300万年前までは広い分布をもっており、その後の分断分布によって、東アフリカのヒト科人類や、スペインから東南アジアに分布する中新世の類人猿へとなった可能性がある。

(※分子系統学は条件設定によって如何様にも結論が変えられるので決定的な証拠にはならないが、分子系統学的にも人類とオランウータンの共通祖先説が成立することを示している)

●1960年代まではインドのラマピテクスの化石(1400~800万年前)の歯列や犬歯・臼歯が人類に似ていたので、ラマピテクスが人類の祖先とされていたが、1980年代以降、分子系統学によってこの説は葬られ、チンパンジー起源説一色となった。そして、ラマピテクスはオランウータンの祖先と看做されるようになった。「1960年以前は人類アジア起源説」
しかし、オランウータンと人類が近縁なのであれば、葬り去られたラマピテクス起源説の方が正しかったのではないだろうか。
少なくとも、当てにならない分子時計法しか根拠がないチンパンジー起源説よりも事実に近いと思われる。

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2019年05月14日

精子半減をどうする!?① ~少子化の元凶は化学物質~

日本で不妊症に悩むカップルは5.5組に1組といわれ、何らかの不妊治療を受けている人は50万人近いと推測されています。不妊は女性だけの問題とみなされがちですが、乏精子症や無精子症などの男性不妊も決して少なくなく、不妊は男女を問わず深刻な問題となりつつあります。

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◆人類の精子が50年で半減している

戦後、男性の精子が激減してします。それは、世界的な傾向です。約50年で人類の精子は半減したというのですから、おだやかではありません。1940年にくらべて1990年までに精子数は約1億2000万匹(1ミリリットル当たり)が約6000万匹に激減していたのです。これはデンマークのスカケベック博士が世界21カ国、約1万5000人も精子を精査した結果です。さらに博士は「睾丸腫瘍が3倍に増えている」と警告します。さらに「毎年約2%の勢いで減り続けて25年後には約3000匹になる」可能性まで指摘しています。

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わずか半世紀で人類全体の生殖能力が半減したというのは由々しき事態です。その元凶として研究者たちは環境ホルモンの影響を強く疑っています。それは、内分泌系攪乱物質と呼ばれ、ホルモン作用を乱す化学物質です。それが自然界のオスをメス化させているのです。ダイオキシン、PCBなど戦後の石油化学工業は、それまで地球上に存在しなかった化学物質を多種多様、大量に生産してきました。それらは医薬品、農薬、化粧品、食品添加物、化学建材、合成洗剤、プステック添加物などで、身の回りに溢れています。これら人工化学物質は、一見、生活を豊かにしたように錯覚させています。しかし、それらは人体や環境を恐ろしいレベルにまで汚染しているのです。

◆戦後50年でプラスチックの生産量は900倍

たとえば日本でのプステック生産量は戦後50年間で900倍と爆発的に増えています。そして、プラステック添加物として数十万トン単位で大量使用されてきたフタル酸エステルやビスフェノールAなどは、まぎれもない環境ホルモンなのです。ドイツでは、すでに少なくとも400種類以上の化学物質を環境ホルモンと認定しています。それ以外の多くの化学物質も環境ホルモン作用が疑われています。まずは、化学物質をできるだけ体内に入れない生き方が大切です。

環境ホルモンの最悪効果は疑似〝女性ホルモン〟作用です。超微量でも体内に入ると男性を女性化させるのです。これが世界中の男性の精子を激減させていることは、間違いありません。精子激減は、日本の男性では、さらに深刻です。98年、帝京大学医学部の報告はショッキングです。体育系の男子学生34人の精子を調べたら、「不妊症レベル」をクリアしていたのは、たった1人(3%)だったのです。WHO(世界保健機構)は「不妊症」の基準を定めています。それは①精子数2000万匹以上。②精子活性度50%以上。この基準をクリアしないと「不妊症」と認定されます。それは「妊娠最低レベル」の数値です。しかし、精力旺盛なはずの学生たちの33人(97%)は「不妊レベル」だったのです。この実験を行なった押尾茂講師は、他の実験でも20代男性で正常精子を持つのは50名中2名だった、と報告しています。やはり、結果は同じだったのです。

98年、大阪の不妊治療専門のIVFクリニックの調査も同じです。19歳から24歳までの若者60人中57人(95%)に、奇形精子など「異常率」が10%を超えていました。10%を越えると「不妊原因」となります。さらに「精液過少症」が43%、「乏精子症」が40%……と、信じられない数値が続きます。「これら精子異常は不妊治療を受けている患者より、さらに劣っていた」(同クリニック:『日本不妊学会』報告 98/11)20歳前後の若者95%が精子異常などで不妊レベルだった……。大阪IVFクリニック報告は衝撃的です。
【参考】fine-club.project「50年で精子半減」(リンク

次回は、この精子半減をどうする!?について追求していきます。

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2019年05月14日

★明治期庶民がどのようにして新しい家族制度を受け入れたのか

 

江戸時代は、庶民の結婚スタイルは自由であり、混浴の銭湯が社交場であったとか、主婦が行う期間限定のレンタル妻という職業や、隠れた人気職業は「妾」だったetc…男女関係においても、とても大らかな時代でした。
それが明治時代に入ると西洋文化を取り入れた近代化が進められ、人々の生活が大きく変化していきました。中でも、新しくできた家族制度について庶民たちはどのように感じ、受け入れていったのでしょうか?
リンク より紹介します。

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庶民にとって暮らしの中で最も身近な位置にある家族制度が、明治期になりどのように変わり受け入れられていったかを調べてみました。
江戸時代の家族は、以下のような姿でした。

●江戸時代中期頃になると、新田開発などが進み小農が自立するようになり、人口の大多数を占めていた農民の中では比較的小規模な直系家族が形成されるようになっていました。

●農民に次いで人口の多かった武士は、長男相続・親と長男夫婦の同居・都市居住のサラリーマンで妻は専業主婦という家族形態が主流でした。(近代以降の家族の原型になるものでした)

●一方、都市部に暮らしていた庶民(町人)たちは長屋の共同体的な世界に暮らしながら、基本は小家族あるいは単身所帯でした。

さて、明治維新を経て、西欧列強に伍してゆくために中央集権体制の国民国家の形成を目指して様々な制度が作られていきました。
家族制度に直接繋がるものとしては、明治4年制定の戸籍法があり、明治6年に地租改正と徴兵令が定められました。
戸籍法によって戸主が定められ、地租改正で土地の権利が定められると戸主名義の財産となっていきました。また、徴兵制が成人男子を対象にしていて、一時、戸主の免役があったことから、長男相続へと方向付ける原因のひとつになったようです。
その後、明治23年に教育勅語が発せられ、明治31年に家族制度を明文化した民法が制定されました。
教育勅語については、当時回付された西欧流の民法草案に対して、家族の中に権利規定などを持ち込むべきでないという考えを持った保守層などがその制定を強く働きかけたようです。
明治民法は、欧米列強と付き合い、治外法権を撤廃させるために欧米流の法制度を制定するという色彩が濃かったようです。そのため、国内では様々な議論があり、家族法関連の規定についてはある意味骨抜きにされた条文で制定されました。
このあたりの事情については、ざっと以下のようです。

●明治民法は、 元老院の審議によって多くの条文を削除されて実効力を削がれた旧民法の条文をもとに、 明治前期に整備されていた戸籍制度を基礎にして、 戸籍に体現される 「家」 を基幹の家族制度として家族法の規定を整備した。 この結果、 日本民法は、 相続という効果を除けば、 戸籍の登録基準を定める法として主に機能するものになってしまった。

●明治民法は、 本来的な家族法としては無力な法であったけれども、 家制度を定めて家族の正統的なあり方を宣言することにより国民の家族意識を形成する法としては、 圧倒的に強力なイデオロギー的効果をもった。
当初は現在の住民基本台帳と同じように、 ひとつの屋敷ごとの住民登録として作成された戸籍は、 実際の生活を反映したものであったから、 もともと家制度は生活実態や感情と重なるものではあった。 しかし逆に、 明治民法の家制度や戸籍制度によってそれが制度化され、 その制度の側が国民の意識を形成したことも大きかった。

●家制度は国家公認のイデオロギーとして推進された。 明治民法立法以前は、 わが国では戸籍上も夫婦別姓であったのだが、 その記憶は瞬く間に遠のいた。

●明治民法そのものよりもあるいは戸籍制度や氏のほうが、 国民の家族意識形成に働いた力は大きかったかもしれない。
住民登録とも連絡しており公開原則のもとで本人の意思にかかわらず他人から容易にアクセスできる戸籍という家族簿は、 国民各人が人生の重要な場面で記載内容が問題とされる逃れられない身分証明でもあって、 その記載はさまざまな差別をもたらしうるものであったから、 戸籍の記載内容への関心は絶大なものであり、 その存在が国民の意識に重大な影響力をもつのも当然のなりゆきであった。

●第2次大戦後の民法改正はイデオロギー的にはたしかに大きな転換ではあったけれども、 実際には、 家意識は、 戦後改正による家制度の解体後も根強く残った。 それには、 氏の果たした機能が大きかったと思われる。 個人の表象である氏名は本人にとって人格権的な意味をもつ非常に重要なものであるから、 本人の意思に合致した変更であればともかく、 意思に反しても婚姻に伴って氏を変更させることは、 「家」 の変更として人々の意識に圧倒的な影響力をもたらしたであろう。
以上から見えてくるのは、戸籍法、地租改正、徴兵令、教育勅語、民法といった様々な法律、制度が制定されたとはいえ、新しい家族制度への変化の上では戸籍登録と婚姻に伴う氏の変更(庶民に名字が許されたのは明治になってから)という実態的な規定に基づく「家」の具象化が基礎になっていたと言えるようです。
そして、教育勅語で「親への孝行」などが教え込まれ、戸主の財産権の規定から民法での家父長の規定へと繋がる序列観念の浸透が「家」制度を補強するようになっていったと思われます。
江戸期の庶民(農民、町人)たちのおおらかな婚姻規範と共同体的なつながりの中に組み込まれていた家族は、明治期の西欧列強に伍するための中央集権体制の国民国家の形成を目指した法制度の制定と近代的な産業社会への移行という社会の変化の中で、「家」制度に基づく家父長の下に統率された家族へと変化していきました。

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2019年05月09日

分子時計による年代推定は当てにならない

サルの進化史・人類史年表(定説)を読み解く上で注意すべきことがある。
それは、ヒトとチンパンジーの分岐年代を400~600万年前とする定説をはじめとして、年代推定の根拠となっている分子時計法が、当てにならないということだ。

分子時計法とは、異種間のDNA塩基やタンパク質、アミノ酸の分子の違いに着目し、その分子変異を時計と見なして進化系統上の分岐年代を決める手法である。ミトコンドリアDNA解析やY染色体亜型分析など様々な手法があるが、共通するのは、分子の変異速度が一定であるという仮定が措かれていることである。例えば、化石記録から10万年前に分岐したと確定しているAとBという種のDNA塩基配列が10個違っていたとすると(分子変異速度が同じであるとして)Aと5個しか違わない種は5万年前にAから分岐したと推定される。
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ところが、分子時計法は様々な矛盾を露呈している。

ヒトとチンパンジーの分岐年代が400~600万年前という定説も、分子時計法によるものだが、2001年にアフリカのチャドで発掘された猿人の化石は700万年前のものとされている。
また、種によって分子変異速度は異なることがいくつも報告されるようになった。
例えば、一般哺乳類よりもゲッ歯類は速く、サルは遅い。とりわけ、真猿は進化するほど分子変異速度が低下することがわかっている。
その結果、分子時計による分岐年代と古生物学的な推定年代とが大幅に食い違っている。
例えば、分子時計では1500万年前以前に分岐したとされるサルについては、化石年代はその1.5倍以上古い。分子時計で1000万年前以降の分岐と推定されるサルについては、化石年代はその2倍以上古い。このように分岐時期が新しいものほどズレが大きくなっており、人類の分岐年代も500万年前より古い可能性がある。(1960年代に分子時計法が登場する以前の人類学者は、人類の分岐を1000万年前以前と主張していた。)

こんなことになるのは、分子時計法が前提とする「分子の変異速度が一定」という仮定が、現実には有り得ないことだからである。
∵生物は外圧適応態であり、急激に外圧が変化すれば変異スピードは著しく早くなる。実際、カンブリア大爆発や哺乳類の適応放散をはじめとして、急速に進化する事例は生物史には無数にある。また、紫外線による破損やコピーミスをはじめとしてDNAの突然変異は日常的に起こっているが、それは修復酵素によって修復されている。その修復度合いも種や環境によって異なっており、分子の変異速度が一定になるはずがないのである。

「分子変化率は一定か~古生物学からの分子時計への疑問~」
この論稿の著者(古生物物学者の瀬戸口烈司氏)は、分子時計説を痛烈に批判している。
その骨子「分子時計は分子変化率一定の仮説に立脚しているが、実際は分子変化率は一定ではない。にもかかわらず、変化率一定の仮説をあてはめる分子時計は、科学的根拠がない。ところが分子生物学者たちは変化率一定の仮説に固執し、ヒトとチンパンジーの分岐時期は500万年という標語を繰り返している。分子時計の概念が提示された当初から、分子変化率一定の仮説には疑問が投げかけられてきたが、この仮説が覆されると分子時計の計算式が成立しないので、分子進化研究者はその疑問を無視し続けてきた。そして分子時計説に整合しないゲッ歯類を除外し、整合するものだけを集めてテストする。すると分子時計説に都合のよい結果が得られるが、その結果は分子変化率の一定性の証明にはなっていない。」

このように、分子の変異速度一定という仮定は、現象事実と照らしても、また論理的にも破綻している。にもかかわらず、分子時計年代がまかり通っているのが、生物学界の現状である。

さすがに、あまりにも矛盾が大きいので、分子生物学者の一部は、分子変異速度は一定ではないと認めつつあるが、彼らは分子変異速度という概念を温存したまま、種別の変異率を変えたり、統計的手法を用いるなどして、化石年代との辻褄合わせを図っている。しかし、ヒトとチンパンジーの分岐年代の辻褄を合わそうとすれば、オランウータンの分岐年代が古くなりすぎるなど、混迷を続けている。
『自然史ニュース』「ヒト進化で分子時計は正確?」

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2019年04月28日

人類史年表10万年前~5千年前(定説)

人類の起源を探る前提として、現在の定説となっている人類史年表(10万年前~5千年前)を掲げる。
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10万年  現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て拡散
(7万年前との説も)
(ミトコンドリアDNA分析では現代人の共通祖先の分岐年代14.3万年前±1.8万年)
赤、黄と茶の中間色のオーカー(クレヨン)出土。線刻。
イスラエルのカフゼーとスフールで埋葬痕跡
9万年  コンゴのカタンダ遺跡で骨製尖頭器。漁

7.5万年 南アフリカのブロンボス洞窟で赤色オーカーに幾何学模様の線刻
→世界最古の抽象模様。シンボル操作能力の証左
貝製ビーズも出土。骨器。錐か槍

7.3万年 スマトラ島トバ火山大噴火。地球気温が数年間3-3.5度低下
(人類は一万人以下に激減)
(ヒトDNA解析では遺伝多様性が失われ現人類に繋がる種のみ残った)

7万年  7万年前±1万3000年にヨーロッパ人と日本人の共通祖先分岐
細石器。ネアンデルタール人、埋葬文化

6.3万年 アフリカ人、東ユーラシア人系統集団、西ユーラシア人系統集団、分岐

6万年  ナミビアのアポロ11遺跡より岩板に動物壁画
ウクライナのモロドヴァ遺跡でマンモス骨の小屋or風除構造物

5万年  クロマニョン人。ホモ・サピエンスの出アフリカ
イスラエルのカフゼー遺跡で線刻のある石片。

4.5万年 ケニヤのエンカプネ・ヤ・ムト遺跡よりダチョウの卵殻製ビーズ
ユーラシアで骨角器。サフルで大型動物絶滅、人類狩猟説も

3.7万年 南仏アルデーシュのショーベ洞窟壁画。(約3万年前)

3.5万年 クロマニヨン人大地母神崇拝(ヴィーナス像)、壁画
日本で刃部磨製石斧(世界最古)

3万年  約3万-2万年以前 – ヒトがアメリカ大陸へ。氷河期にベーリング海峡は地続き

2.1万年  最終氷期(ウルム氷期)の最寒冷期。気温は年平均で7-8℃低下
後、温暖寒冷の小さな波、長期で徐々に温暖化

2万年  ラ・ガルマ洞窟。絵、テントのような構造物。

1.6万年 東南アジア、スンダランドが海面上昇で徐々に後退
ベーリング海峡海没、日本も徐々に島化
縄文時代の始まり。縄文土器
ラスコー壁画(約1万8000年-1万6000年前)
絵の具の配合など、原始的な化学的な操作。石のランプ、松明の使用

1.5万年  アルタミラ洞窟壁画(約1万4000年-1万3000年前)
BC12,000年頃、中国長江流域で陸稲稲作の開始

1.3万年 日本列島が大陸から完全に離れ、ほぼ今の形に
中石器文化。マンモス、バイソンはいなくなっていた
ツンドラステップは北方後退、樹林ひろがる。鹿、猪、鳥、魚介類、木の実
弓矢の発明、石臼の普及。壁画の伝統は途絶
BC11000年頃、最も古い神殿跡が、イェリコのテルの最下層から発見。

1.2万年 イスラエル、ヒラゾン・タクティット洞窟遺跡で人々の宴会の痕跡
BC9,050年頃、シリアのテル・アブ・フレイラ遺跡で最古級のライムギ農耕跡
BC9000年頃、パレスチナのイェリコやアスワドでコムギ類とマメ類栽培開始

1万年  最後の氷期(最終氷期)が終わったとされる

9000年 新石器時代
農耕の開始。この時期より主に磨製石器が使われた
西アジアから伝わった農耕、牧畜がヨーロッパでも開始
土器、村落社会、贈与・流通システム、巨石文化
フリント、石斧、琥珀、貝殻、金、銅、錫など
BC8800年頃、銅製の小玉がイラクから出土、最古の銅製品
BC8500年頃 – 長江流域で水田稲作がはじまる
BC8300-7300年頃 パレスチナ、イェリコで周囲を石壁で囲った集落
BC8000年頃 – 西アジアでヒツジ・ヤギ・ブタの飼育

5000年 エーゲ文明、エジプト文明、メソポタミア文明など

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2019年04月28日

人類史年表500万年前~10万年前(定説)

人類の起源を探る前提として、現在の定説となっている人類史年表(500万年前~10万年前)を掲げる。
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500万年 猿人出現。最初の人類(華奢型猿人、アウストラロピテクスなど)
足の指形から二足歩行の可能性
脳容積500 ml。一定の道具使用

300万年 地球寒冷化。 氷河時代開始

270万年 頑丈型猿人(パラントロプス)と原人(ホモ・ハビリス)分岐
原人、言語使用か(左脳ブローカ野痕跡より)

260万年 前期石器時代はじまり
石器で動物解体。死肉食。オルドヴァイ型石器

230万年 ホモ・ハビリス出現(脳の増大、歯の縮小化)
狩りではなく、自然死or肉食獣が倒した動物を食べた

180万年 ホモ・ハビリスの出アフリカ。ユーラシアへの拡散

160万年 ホモ・エレクトス

78万年  最新の地磁気の逆転
概ね70万年前から10万年周期の気候変動(氷期・間氷期)

60万年  アフリカ旧人。ネアンデルタール人と人類分岐

50万年  ヨーロッパ旧人、北京原人

30万年  ネアンデルタール人(30~23万年前頃。3万年前頃絶滅)
脳容積1400 ml(ホモ・サピエンス同等以上)、言語使用
28万年  ケニアのバリンゴ遺跡でオーカー出土。顔料使用。石刃。すり石

25万年  中期石器時代(~5万年前)。尖頭器

23万年  温暖期ピーク。後、緩やかに寒冷化、14万年前頃氷期ピーク

20万年  ホモ・サピエンス出現。
(16±4万年前のミトコンドリア・イブ。アフリカ出現、10万年前頃ユーラシア拡散)

14万年  氷期(リス氷期)ピーク。後、急速に温暖化
海産資源の利用。漁。長距離移動・流通

13万年  温暖期ピーク。後、急寒冷化、約11万年前頃から緩上下、氷期へ
初期のヒト属による火の利用。
(日常広範囲で火の使用を示す証拠、約12.5万年前遺跡から)

10万年  現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て拡散
(7万年前との説も)
(ミトコンドリアDNA分析では現代人の共通祖先の分岐年代14.3万年前±1.8万年)
赤、黄と茶の中間色のオーカー(クレヨン)出土。線刻。
イスラエルのカフゼーとスフールで埋葬痕跡

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2019年04月28日

サルの進化史年表6500万年前~500万年前(定説)

人類の起源を探る前提として、現在の定説となっているサルの進化史年表を掲げる。
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6500万年 生物の大量絶滅。恐竜絶滅。隕石落下で環境激変。寒冷化
原始霊長類の出現。モグラに似た哺乳類が樹上生活に適応
約5500万年前に現れたアダピス類が初期の霊長類
プルガトリウス、カルポレステス、プレシアダピス。
夜行性。鉤爪、親指の発達(対向指へ)。昆虫、果実食
従来は北米起源説
中国湖南省で最古霊長類の頭骨化石、アジア起源浮上

5500万年 温暖化。海底火山、マグマ熱でメタンハイドレート爆発
広葉樹、高緯度まで、樹冠=サルの楽園。原始原猿拡散、繁殖
ショショニアス:正面に並んだ目→立体視が可能
原始霊長類より原猿類と真猿類と分岐

4500万年 インド、ユーラシア大陸衝突、ヒマラヤ形成、テチス海消滅

4000万年 南極大陸で氷河の形成がはじまり、徐々に寒冷化。
高緯度地域の樹林が消え、サルはアフリカ、一部南アジアへ
カトピテクス:高い視力(眼窩後壁→視細胞集中→明瞭映像)
真猿下目の狭鼻下目(旧世界猿)と広鼻下目(新世界猿)分岐

3000万年 赤緑色盲に退化した哺乳類のうち狭鼻下目が3色型色覚再獲得。
(ビタミンCを豊富に含む色鮮やかな果実等の獲得と生存に有利)
狭鼻下目のヒト上科がオナガザル上科から分岐
ヒト上科=テナガザル、オランウータン、チンパンジー、ゴリラ、ヒト共通祖先

2500万年 アルプス・ヒマラヤ地帯などで山脈の形成がはじまる。
最古の類人猿と思われる化石(アフリカ、ケニヤ)

1500万年 急速な寒冷化
ヒト科とテナガザル科が分岐
ヒト亜科とオランウータン亜科が分岐
ヨーロッパ、南・東アジアなどユーラシア各地に類人猿化石

1000万年 アフリカ大地溝帯の形成が始まる(人類誕生に大きな影響か)

700万年  気温が下がり始める
最古人類化石は中央アフリカ、サヘラントロプス・チャデンシス

600万年  ヒト族とゴリラ族が分岐

500万年  ヒト亜族とチンパンジー亜族が分岐
猿人の出現。最初の人類とされる。
(華奢型猿人、アウストラロピテクスなど)
チンパンジーほどの大きさで、足の指の形から二足歩行の可能性
脳容積500 ml。一定の道具使用

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2019年04月26日

受精から誕生まで ~進化の過程をたどる脳の発達~

ヒトの脳は、母体で受精した後、38週で形成されます。
受精後に始まるヒトの脳の形成と発達は、生命そのものの脳の進化の軌跡を辿ることになります。たとえば、今から5億年前に生命が獲得した神経管は受精後3週目に形成され、今から6500万年前に発達した大脳の皮質は、受精後17週目頃までに形成されます。

◆進化の過程をたどる脳の発達
・受精後約3週間で、ヒトの脳のもとになる神経管の形成が始まります。その後、神経管では特殊な機能をもつ部分に分かれる「分化」が起きます。後に大脳・間脳になる「前脳」「中脳」、橋・小脳・延髄になる「菱脳」への分化が始まり、ヒトの脳へのと形づくられていきます。

・大脳での神経細胞の分化は、受精後17週頃に終了し、大脳皮質の神経細胞の数は、この時の約150憶個をピークに増えることはなく、以降、少しずつ減っていきます。受精後、約20週で、脳の基本構造はほぼ完成され、神経細胞はその後、ネットワークを広げていいきます。

・受精後、脊椎動物が共通してもつ神経管から、脳幹と脊髄だけの原始的な魚の脳機能の状態を経て、大きな大脳を持つヒトの脳へと進む発生は、進化の過程をたどっているようにみえます。この考え方を「反復仮説」といいます。

脳の発達

【受精直後~17日】:『胚』と『神経板』の誕生
卵子に精子が着床して胚になると、胚は細胞分裂を繰り返して細胞の数を増やし、平らな円盤状の『内胚葉』『中胚葉』『外胚葉』を形成する。
受精後17日頃になると、外胚葉が肥厚することで全ての神経系の基になる『神経板』が形成される。

【受精後3週】:脳の基になる『神経管』の誕生と発達
胚の中で神経板が形成された後、神経板の正中部に神経溝と呼ばれる1本の溝が生じる。そして神経板の両端が盛り上がると同時に神経溝に沿って徐々に内側に折りたたまれていくことで、長さ2mm、直径0.2mmほどの管状の『神経管』が形成される。
神経管は発生時、1本の管になっているが次第に隆起する部分が生じ、前方部分から後方部分にかけてそれぞれ大脳、間脳、中脳、小脳、延髄、脊髄などへ分化していく。
神経管の壁面内部では、『マトリックス細胞(新生ニューロン)』が分裂を始める。マトリックス細胞は神経管の壁面内部で内側と外側を往来しながら細胞分裂を繰り返す。分裂した細胞の片方は樹状突起や軸索を持つ神経細胞に変化し、もう片方の細胞はさら細胞分裂を繰り返す。神経管の壁面は、マトリックス細胞が管の内側から外側にかけて放射状に並ぶことで形成されていく。こうしてマトリックス細胞が分裂して増殖を重ねることによって、神経管の壁面は成長していくことになる。形成された神経細胞は神経管の外側に蓄積され、樹状突起を伸ばして神経回路を形成していく。

800px-図1

【受精後4週】:各領域の基盤の形成
神経管から大脳、間脳、中脳、小脳、延髄、脊髄の基盤が形成された後、脊髄で神経細胞が分化しはじめる。

【受精後5週】
胎児の全長が1cm程度となる。大脳は神経細胞を生み出すマトリックス細胞だけからなり、神経細胞は脳幹と脳髄にだけみられる。前脳、中脳、菱脳のふくらみができはじめる。
体の部位ではひれの形をした手足が突きだしてくるが、指は未だ形成されていない。

【受精後7週】
胎児の全長が2cmを超え、首や体の屈曲運動や手足の屈伸運動をするようになる。脊髄の神経細胞の分化は概ね完了し、大脳では神経細胞が分化し始める。分化した神経細胞は他の神経細胞から情報を受け取るための樹状突起や、情報を伝えるための軸索を介して他の神経細胞との情報網を形成していく。

【受精後10週】
胎児の全長が7cm前後になる。脊髄の神経細胞が手足の末端まで伸び、筋肉と結合する。

【受精後13週】
全長が13cmを超え、全身の器官の基礎形成が完了する。大脳では盛んに神経細胞が生み出され、大脳皮質の形成が活発に進行する。脳幹(間脳・中脳・延髄)の神経細胞の形成は、この頃に完了する。

【受精後16週】
視神経が大脳と結びつくことで視覚情報を感じることが可能となる。

【受精後17週】
全長が20cm程度となる。大脳での神経細胞の産出が完了に近づき、約140億個の神経細胞が大脳皮質を形成した状態となる。大脳の神経細胞数はこの時期で最大となり、これ以降は生涯を通じて減少していくことになる。

【受精後20週】
全長が25cm程度、体重は200g~300gとなる。脳幹や脊髄を中心に、成熟しつつある神経細胞の軸索に『髄鞘』が形成され始める。軸索は発生当初、剥き出しのままだが発達にともなって『グリア細胞』が巻き付いて鞘(髄鞘)がつくられる。髄鞘は絶縁体の役割を果たし、電気信号が髄鞘の節から節へと跳躍して伝わる。これにより、脳内の電気信号の伝導効率が著しく高まる。髄鞘化を経て、神経細胞どうしの連結と信号の伝達・処理機能の完成へ向けた脳機能の整備が始まる。
この時期になると大脳皮質の折りたたみが始まり、大脳皮質のしわが増えていく。大脳や小脳などの脳の基本構造の区分が概ね完成し、感覚器官や中枢神経系の大枠もこの時期に形成される。

【受精後21週】
内耳と外耳という基本形態ができあがる。内耳は大脳と聴神経によって配線され、音を感じ取る聴覚情報処理が機能し始める。

【受精後22週】
脳幹では動眼神経や顔面神経などに続いて、眼や顎に関する三叉神経、聴神経、内耳神経などの感覚神経でも髄鞘化が始まる。もっとも、この時点では実際に見えたり聞こえたりすることはない。なお、脳幹の発達が一定の水準に達するため、この時期に産まれても生存していくことは可能となる。

【受精後26週】
大脳の表面に中心溝や頭頂後頭溝、シルビウス裂(外側溝)が明確にみられるようになる。この時期になると、人間らしさを特徴づける大脳の大枠が形成される。脳幹も完成に近づき、音や光に対する反射や呼吸へ繋がる運動が現れるようになる。

【受精後30週】
全長が45cm程度になる。神経面も、生まれるための最低限の準備がほぼ整うことになる。
視神経や脳幹、脊髄から大脳に向かう軸索にも髄鞘化が始まる。中耳が形成され、外界の音が聞こえる体制ができる。また、光が脳に伝えられるようになる。

【受精後37週】
全長が50cm程度となり、いつ生まれても可能な体制が整う。
大脳皮質のしわが増え、ヒトの脳としての完成に近づく。大脳内部の軸索も髄鞘化が始まる。やがて脳の活動には一時的な抑制がかかり、胎動もほぼ停止し、出産を待つことになる。

【受精後38週】
受精から38週にわたって胎内で育った後、出生する。

胎内では脳の基本的な構造が形成されますが、そうして形成された脳が出生後にどれほどの機能を有し、どれだけの役割を果たすかは、成長後の環境によって定まることになります。

【参考】
・『脳科学メディア』~脳の発達38週間~(リンク
・『大人のための図鑑』~脳と心のしくみ~(池谷裕二・監修)

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2019年04月25日

人間とチンパンジーのDNAが99%一致するという定説もウソだった

人類はチンパンジーからと分岐したという定説も怪しい。
この説の根拠として両者のDNAが99%一致するとされているが、この「99%一致」はデータ改竄の産物であることが、『gigazine』2015年07月21日「人間とチンパンジーのDNAは99%一致するというのは本当なのか?」で指摘されている。以下、要約する。
人類とチンパンジーの遺伝情報のうち、比較できない人間の25%とチンパンジーの18%を除いた、57%だけを比較して、人類とチンパンジーのDNAが99%と一致すると、科学者は唱えているということだ。
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「人間とチンパンジーではDNAの違いはわずかに1%しかない」という「99%一致説」。しかし、それは間違いであることが指摘されている。
公開動画「Are We Really 99% Chimp?」

実際、人間とチンパンジーでは、DNAの遺伝子情報はかなり違っている。
染色体に至っては、人間23対に対してチンパンジー24対と、本数そのものが違っている。

遺伝子情報を文字に書き起こして比べると、人間にあるがチンパンジーにはない遺伝子情報やその逆もある。
塩基配列のごく一部が違うだけで、ほとんどは同じという場合は、塩基配列のわずかな違いを一つずつ数え上げることができる。
しかし、まったく違う部分が存在する。例えば、人間とチンパンジーとで記述自体は共通しているけれど、人間では2回繰り返す場合がある。
同じパラグラフでも異なる場所に現れている場合や、文字列の順序が反対の場合、文を区切れば一致する場合など、判断が難しい場合がたくさんある。
このように数えるだけでは済まない場合は科学者はどうしたのか?
科学者たちは、大きく異なる部分は切り捨てたのである。切り捨てた文字数は13億文字。そして、残った24億文字だけで比較した結果が「98.77%一致した。つまり、人間の25%のゲノムとチンパンジーの18%のゲノムを無視して、残りの部分だけを比較したのが「人間とチンパンジーのDNA99%一致説」なのである。

もっと根本的な問題として、DNA情報の異なる程度は、単純な文字列の違いでは計れない。わずかなDNA情報の違いで、姿かたちがまったく異なることがあるし、逆にDNA情報がかなり違うのに、ほとんど同じ形の場合もある。つまり、DNAの情報がほとんど同じであることをもって、生物学的に近いとは言えないのである。
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実際、人類とチンパンジーの遺伝子は8割以上違うという研究結果さえ発表されている。「遺伝子:チンパンジーとヒト、違い8割以上(毎日新聞)」 ― 研究チーム「違いは想像以上に大きい」【元村有希子】毎日新聞 2004年5月27日 2時00分
人類とチンパンジーの塩基配列の違いは5%だが、その遺伝情報によって作られたタンパク質では83%で違いがあるということだ。以下、要約する。
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チンパンジーの22番染色体とヒトの21番染色体を比較した結果が英科学誌ネイチャーに発表された。
ゲノム(全遺伝情報)の暗号文字(塩基配列)の違いは約5%だったが、それを基に作られる遺伝子は8割以上で違いが見つかった。
これまで、ヒトとチンパンジーの塩基配列の違いは1%余りとされていた。
しかし、今回の研究では、両者で塩基の種類が変わっている部分が1.44%あった他、塩基配列が加わったり、逆に欠けている部分が約6万8千カ所も見つかった。合わせた違いは5.3%になる。
また、染色体上の遺伝子231個を比べた結果、192個(全体の83%)で、遺伝子が作り出すたんぱく質に違いがあった。
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2019年04月18日

人類のアフリカ起源説も覆されている

人類史の定説であったチンパンジー起源説だけではなく、アフリカ起源説も揺らいでいる。
以下、「今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など 人類史の常識が次々と覆されている」の要約。この論考はデイヴィッド・ライク『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(NHK出版)の知見を紹介したもの。

【1】全ゲノム解析によりホモ・サピエンス(現生人類)のアフリカ起源説が揺らいできた。
多地域進化説では、180万年ほど前にユーラシアに拡散したホモ・エレクトス(原人)が各地で進化し、アフリカ・ヨーロッパ・アジアの異なる地域で並行的に現生人類に進化したとする。それに対してアフリカ起源説では、現生人類の祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラシア大陸に広がっていったとする。

1980年代後半、ミトコンドリアDNA解析によるミトコンドリア・イブ説が登場。現生人類は約16万年(±4万年)アフリカにいた1人の女性から分岐したとされ、それ以降、アフリカ起源説が常識となっているが、だからと言って現生人類が10~20万年前のアフリカで誕生したとは言えない。
ライクによれば、この誤解はミトコンドリアのDNAしか解析できなかった技術的な制約によるもので、全ゲノム解析によると、ネアンデルタール人の系統とサピエンスの系統が分岐したのは約77万~55万年前へと遡る。サピエンスの起源は、従来の説より50万年も古くなった。

そうなると、アフリカ起源説では、77万年前~16万年前までの約60万年間、現生人類はずっとアフリカで暮らしていたということになるが、アフリカ起源説を揺るがす化石が北アフリカのモロッコで発見された。この現生人類の最古の化石は約33万~30万年前のものとされた。アフリカ起源説では、現生人類はサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡ってアフリカを出たとされていたが、30万年前に北アフリカに現生人類が棲息していたとなれば、アフリカ起源説は覆される。

【2】遺伝学的には、現生人類はアフリカ系統とユーラシア系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年前にアフリカを出て世界中に広がり、アフリカ系統はそのままアフリカに残った。
ユーラシア系統はネアンデルタール人と交雑したためネアンデルタール人のDNAを保有しているが、ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったのでアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人のDNAの痕跡はない。
従来の説では、出アフリカ後に北に向かった現生人類がヨーロッパのネアンデルタール人と交雑したとされていたが、現代人のDNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5~2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系の割合はヨーロッパ系より若干高いことがわかった。

【3】その後も、単純な「出アフリカ説」では説明できない発見が相次いだ。
2008年、ロシアのデ二ソワ地方の洞窟で約4万年前の人類の骨が発見された(デニソワ人)。DNA解析でニューギニアやメラネシアでデニソワ人との交雑が行われていたことがわかった。ライクは、これをシベリア(北方)のデニソワ人とは別系統としてアウストラロ(南方)デニソワ人と呼んでいる。

さらに、アフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デ二ソワ人の共通祖先(約77万~55万年前)よりもさらに古い140万~90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したとされる。

約5万年前にサピエンスがアフリカを出た時、ユーラシアには少なくともネアンデルタール人とデニソワ人という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇し、交雑した。しかし、交雑は極めて近い血統でなければ起こらない(性交によって子を作れなくなった時点で分類学上は別の種になったと見做される)。
ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということになる。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万~38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万~55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスが突然ユーラシアに現われ、彼らと交雑できるとは考えられない。

そこでライクは、現生人類もユーラシアで誕生したという説を唱えた。
従来の人類学では、人類はアフリカで誕生し、約180万年前にホモ・エレクトス(原人)がユーラシア大陸に進出した後も、ネアンデルタール人の祖先やサピエンスなど、さまざまな人類がアフリカで誕生しては繰り返し「出アフリカ」したことになっている。
だが、新しい人類はアフリカでしか生まれないのか。ユーラシア大陸にも180万年前から多くの人類が暮らしていたのだから、そこで進化したと考えることもできるはずである。

ライクは古代人のDNA解析にもとづいて、ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらに現生人類(サピエンス)、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐したと考える。
デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに広がり、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布した。
現生人類は脆弱でネアンデルタール人に圧迫され中東に押し込められていたが、その後、ネアンデルタール人が中東に進出したことで、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退した。だからモロッコで現生人類の化石が発見される。

ところが5万年前に、脆弱だった現生人類が北アフリカや東アフリカを出て、ユーラシア中に広がる。中東でネアンデルタール人と交雑した現生人類の一部は東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑。こう考えると、アフリカ系にネアンデルタール人のDNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できる。
その後、彼らはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ、海を越えてオーストラリア大陸へ、そして千島列島から北海道、本州へと渡り縄文人の先祖になった。

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