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2019年06月06日

西欧科学の成立年表補1 1480~1520年前期魔女狩りは宗教改革の布石

「魔女誕生」は、魔女狩りを前期1480~1520年/後期1580~1670年に分けている。
以下は、その要約。
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前期魔女狩り:宗教裁判所が先頭に立って行ない、犠牲者は限られていた。カトリックが主導
後期魔女狩り:世俗裁判所(領主・国王)が行ない、被害は大きかった。プロテスタントが主導
それ以前から異端審問はあったが、魔女狩り、つまり女をターゲットとした迫害が始まるのは、1480~1520年にかけての前記魔女狩り以降である。
魔女狩りは、魔女狩りの手引書『魔女の槌』が著わされた1480年代に始まり、その後一時停滞し、1580年代に再び、魔女についての新しい文献が出て再燃。

魔女狩り以前から、キリスト教とは異なる様々な呪術概念が存在していた。それら民衆の呪術に対する教会の見解は、「呪術を信じることは悪魔にだまされているからであり、それらは現実には起こり得ないことである」というものであった。そして、民衆の呪術概念を駆逐しキリスト教の教化が行われたが、その教化の具体的指導書が「贖罪規定書」である。その目的は民衆の悪しき誤りを正し、キリスト教信仰の定着を図ることであった。このため、魔女的な行為に対する罰は、さほど厳しいものではなく、まして火あぶりにされることはなかった。

また、1450年頃までの異端裁判では、女性に非難が集中したわけではなかった。実際、1438年ラ・トゥール・ドゥ・パンの裁判では被告はほとんど男であった。
キリスト教世界に害悪をもたらす女性という後世の魔女のイメージは、1486年に出た『魔女の槌』で初めて登場する。
女性を妖術と結びつけてその悪を論じた『魔女の槌』は魔女狩りの手引書となり、魔女=キリスト教世界に害悪をもたらす女性というイメージが確立された。

『魔女の槌』の著者は、インスティトリスとシュプレンガーという二人の異端審問官、つまり教会のエリートたちである。
そのターゲットとなったのは賢女である。実際の経験から直観と多くの呪文によって忠告や助言を与える術を心得ていた老婆や産婆を指すとみてよいだろう。彼女らは手をかざして病気を治したり、悪の魔術を防ぐお守りやその他の手段を講じ、そのうえ多くの者は、占いや愛の魔術も取り扱った。
これらの女性は、その不可思議な知識や能力を身につけているために怖れ敬われる存在であった。なぜなら、病気を治したりできるのなら、逆に病気や災いを引き起こしたりもできるだろうと考えられたからである。
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問題は、なぜ1480~1520年に前期魔女狩りが起こったか?どのような目的で教会のエリートたちは魔女狩りを始めたかである。
注目すべきは1517年宗教改革が始まると同時に、前期魔女狩りが沈静化している。
このことは、前期魔女狩りが宗教改革の布石であったことを暗示している。
実際、宗教改革派の攻撃の的になったのは、免罪符と異端審問(魔女狩り)である。魔女狩りの火をつけておいて、宗教改革派に攻撃させるというマッチポンプが前期魔女狩りだったのではないだろうか。

なぜ、宗教改革が起こったのか?については、「市場論・国家論8.宗教改革とイエズス会」
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・キリスト教は武力支配の時代に作られた宗教であり、欧州が次第に資力支配の時代に移行してゆくにつれて、その教義を修正する必要が出てくる。とりわけ、金貸しにとって、利息の禁止や蓄財の罪悪視は、金貸し支配の社会を構築してゆく上での大きな障碍となっており、何としてもその教義を変革する必要があった。それは、市場を拡大してゆく上で不可避な変革であったとも言える。
・その為には、バチカンを完全な支配下に置く必要がある。又、騎士団領主を実働部隊として大航海を遂行する上で、騎士団に対するバチカンのお墨付きは不可欠であり、そのためにもバチカンを支配下に置く必要があった。
・そこで、金貸しは、バチカンを支配下に置くために、
(1)まずは、金持ちたちに、教会に寄進するよりも金貸し(銀行)に預けた方が得だと宣伝して、バチカンを金欠状態に追い込み、
(2)金欠状態に陥ったバチカンに、免罪符の発行を唆(そそのか)し、
(3)バチカンが免罪符を発行するや否や、ルターとカルヴァンを使って教会批判の火の手を上げさせて、欧州各地で商工業者を中心に改革派の勢力拡大に奔走し、
(4)改革派が一定の勢力に達すると、今度は改革派に対抗してバチカンの勢力を拡大するためにという名目で、騎士団を中核とするイエズス会を設立し、バチカンに公認させた。
以降、現在まで、イエズス会がバチカンを乗っ取り、支配し続けている。
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2019年06月02日

西欧科学の成立年表

なぜ、西欧においてのみ近代科学が登場したのか?
その過程を年表化した。
時系列で並べると、
十字軍→ルネサンス→商業数学の発達→大航海→前期魔女狩り(カトリック)→宗教改革→後期魔女狩り(プロテスタント)と戦争(植民地戦争と三十年戦争)を経て、1600年代に西欧科学が誕生。

1096~1270 十字軍 教皇権絶頂
1100年代    (伊)北イタリアで都市国家成立
1200年代    為替手形等の商業技術が発達。遠隔地間の決済が可能になり、遍歴商業→定住商業へ転換(13世紀商業革命) 
1202      (伊)フィボナッチがイスラムの計算術と代数学、アラビア数字と十進法による計算をイタリアに紹介
1204      (伊)ベネチア艦隊がコンスタンチノープル攻略、クレタ島などを得て、東地中海最強国家に
1220頃     (仏)テンプル騎士団 仏王の財産管理者に
1241      (独)ハンザ同盟 北海貿易を独占 

1300~1500 (伊)ルネサンス(恋愛小説→絵画・建築・魔術)
(伊)商人や職人の算数教室が広まる
1328      (伊)算数の教科書『諸問題の書』で代数学(方程式論)
1300年代    中国から火薬が伝わる
製鉄技術の発達(フイゴの駆動に水車使用→高温の銑鉄→高炉)
1390      (伊)ベネチアで利子が正式に解禁→銀行が次々と設立
1400年代    (伊)商業都市で、商業・銀行実務から複式簿記(借方=貸方)が発達
1410      (伊)フィレンチェのメディチ家が教皇の財産管理者に
1420~     (ポルトガル スペイン)大航海(1488喜望峰、1498インド到着 1519~35南米征服)
1450年頃    (英仏)百年戦争末期に火砲使用 グーテンベルクの活版印刷
1450~     硬貨需要と兵器需要→金属鉱石生産急拡大→定量的測定が重視される
1452      (伊)マネッティ『人間の尊厳と優越について』人間中心主義

1480~1520 前期魔女狩り(カトリック主導)
1486      (伊)ピコ『人間の尊厳について』自然支配魔術
(伊)異端審問官インスティトリスとシュプレンガー『魔女の槌』→魔女=女性イメージが確立。
それ以前から異端審問はあったが、女性をターゲットとした迫害が過激化。
1494      (伊)パチョリ『算術大全』ベネチア式複式簿記の体系化→代数学・方程式の発展(16世紀数学革命)
1500頃     (伊)ダ・ヴィンチ 絵画・解剖学・力学など様々な分野を追求
1517      (独)ルター免罪符批判→宗教改革(異端審問批判)~前期魔女狩り沈静
1534      (英)イギリス国教会成立
(仏)イエズス会結成
1536      (スイス)でカルヴァンの宗教改革。蓄財を肯定
1537      (伊)タルターリア 弾道学(→力学・機械学へ)と三次方程式の解法
1543      (ポーランド)コペルニクス地動説発表
1545      (伊)カルダーノ 四次方程式の解法と虚数概念
1555      (独)帝国議会でルター派承認。諸侯はカトリックかルター派を選択可能に

1558      (英)デッラ・ポルタ『自然魔術』磁力の定量的測定→数学的関数で表される力概念への端緒
1558~1603 (英)エリザベス1世(中央集権の絶対主義と重商主義)
1560~1670 後期魔女狩り(プロテスタント主導)
1568~1609 (蘭)オランダ独立戦争
1563、1580 (英)エリザベス1世の魔女狩り強化令
1579      (英)技術者教育機関グレシャム・カレッジ設立
1581      (蘭)オランダがスペインから独立
1588      (英)イギリス、スペイン無敵艦隊撃破
1592~1598 (仏)ユグノー戦争(カルヴァン派のブルボン家とカトリック派の内戦)→ブルボン王朝成立
1590年代    (伊)ガリレオ 落体の法則

1600      (英)イギリス東インド会社創設
1604      (英)ジェームズ1世の魔女狩り強化令(ジェームズ1世著『悪魔論』)
1609      (独)ケプラー 惑星運行の法則
1618~1648 三十年戦争→カルヴァン派とオランダ独立承認。ドイツ騎士団発のプロイセン(ルター派)が台頭
1620      (英)フランシス・ベーコン『ノヴム=オルガヌム』
1633      (伊)ガリレオ 地動説を擁護し、カトリックの異端審問で有罪判決
1637      (仏)デカルト『方法序説』
1640      (英)ピューリタン革命
1651      (英)ホッブズ『リヴァイアサン』
1652~1674 (英蘭)第一次英蘭戦争
1661      (英)ニュートン 万有引力の法則
1662      (英)ボイルの法則
(英)ロンドン王立協会設立
1670頃     後期魔女狩り終焉
1687      (英)ニュートン『プリンピキア』
1689      (英)名誉革命でオランダのウィリアム3世が英王に。英仏植民地戦争開始(~1763)
1690      (英)ロック『統治論』
1694      (英)イングランド銀行設立

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2019年05月30日

宇宙の循環を捨象した時空認識を前提とする近代科学の根本的誤り

●宇宙(自然対象)の循環を無視して成り立っている近代科学
ニュートンは外的な事物とは無関係にそれ自体で一様に流れる「絶対時間」や、外的事物とは無関係に存続する不動かつ不変の「絶対空間」概念を唱え、それが近代科学の大前提となっている。
しかし、楢崎皐月氏が指摘するように、このような宇宙(自然対象)の循環と切り離された時空認識は架空観念ではないか。
そして、このような時空観→ニュートンの絶対時間・絶対空間は時間・空間を数学的形式に当てはめるのに都合が良かった。
その代表がデカルト座標である(その原点座標0は、デカルトが原点とする自我に相当する)。
実際、近代科学の物理量(単位概念)は、この時間と空間(長さ)と質量と電気量を加えた4つ基本単位を組み合わせて構築されている。つまり、この時空観が近代物理学の根幹概念を成して、現代の科学者の頭を支配している。
しかし、その大元の時空観が宇宙(自然対象)の循環と切り離された架空観念なのだとしたら、近代科学では宇宙(自然対象)を解明することができないのは当たり前である。
「デカルト座標」(これを学校で教え続けている)
Cartesian_coordinate_system

●物理学者の朝永振一郎氏も、現代物理学の矛盾の所在がその時間・空間概念にあることを指摘している。
氏の著作『量子力学と私』(みすず書房刊)から引用する。
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それでは、自然は一体どちらを望んでいるのであろうか。
すなわち、相互作用をいくらでも小さくすることが実際に可能であり、したがって互いに無関係な素粒子という概念が明確な意味をもっていて、その上無限大などの現れて来ない理論が要求されているのであろうか。
それとも、相互作用の小ささには限界があり、したがってわれわれの理論の構成の土台になっていた「互いに無関係な素粒子」という概念の変更が要求されているのであろうか。
このいずれかが自然の真相である。
しかして量子力学と相対性理論とをそのままの形で結び合わせたわれわれの理論は、このどちらにも属せずに内に矛盾を含んでいるのである。
この矛盾の所在は多分この理論の中の素粒子とか相互作用とかあるいは時間とか空間とか、そういう概念にあるのだろう。
なぜならこれらのものは相対性理論において絶対運動の概念が、量子力学において粒子・波動の概念が受けたような批判を、まだ少しも受けずに多分日常的な意味で用いられているからである。
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答は後者である。物理学の前提を成す「互いに無関係な素粒子」や「絶対時間・絶対空間」など存在しないのである。

●宇宙の循環を無視した近代科学を象徴するのが、天地創造説に基づくビッグバン説と終末論に基づく熱力学である。
古くは12~13世紀、神学者グロステストは<光>によるビッグ・バンとでも言うべき特異な宇宙開闢説を提唱している。ここで言う<光>は、物理的で可感的な光ではなく、すべての物体に先だって存在する形而上学的存在である。この説は「神は”光アレ”と言った」という『創世記』冒頭に伝えられている光を踏まえたものであろう。

そして、「宇宙はひたすら無秩序化→熱的死に向かっている」という熱力学の第二法則(エントロピーの法則)は終末論を引き継いだものであろう。
熱力学第一法則も第二法則も宇宙は孤立系であることを前提として成り立っている。物質もエネルギーも時間とともに孤立した空間の中に無秩序に拡散してゆき、いずれ「熱的死」を迎える。そして、その孤立空間の中で、時間も空間も不可逆(一回限り)のものとされている。

ところが、この熱力学の法則では生命現象は説明できない。それは熱力学が孤立系を前提としているのに対して、生命は常に流転し、常に外界とのエネルギーの流出入があるからである。

楢崎皐月氏が発掘したカタカムナ人の認識では、宇宙は孤立系ではなく、有限宇宙球<アマ>を取り巻く無限の潜象世界<カム>との間で常に循環している。そこでは、時間量も空間量も相互に入れ替わりながら、物質もエネルギーも相互に入れ替わりながら、無限世界<カム>と有限宇宙球<アマ>の間を循環している可逆性のものである。そこでは熱力学の第2法則(無秩序化)とは逆方向の、秩序化=統合の法則が存在しているという。
それに対して、終末論的熱力学をはじめとする近代科学の欠陥の一つは、自然対象が(宇宙も生命も)循環していることを捨象していることにある。それでは循環する宇宙や生命を解明できるはずがない。

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2019年05月30日

キリスト教→近代科学の終末論的宇宙観(時空認識)

近代科学が架空観念であることを示す事例は他にもある。
キリスト教が近代科学に及ぼした、終末論に基づく特異な時空認識と宇宙観である。

●西欧以外の古代人にとって、時間とは宇宙の循環を表すものであった。
ほとんどの古代人の時間認識は、円環的・循環的時間観であり、そこでは過去と未来の区別がなかった。
唯一の例外が最後の審判=終末論を体系化したペルシアのゾロアスター教である。
そのパラダイムを受け継いだキリスト教は天地創造にはじまる世界の出来事の一回性と最後の審判に終る歴史的終末論と直線的な時間観を主張した。
それは古代人に普遍的であった循環的で再現可能な時間観と対立する。アウグスティヌスは『神の国』でキリスト教教義を支える終末論的な直線的時間観を述べて、それに反するギリシア人を痛烈に非難している。
つまり、キリスト教の天地創造論と終末論に基づいた時間認識は歴史的に見て、決して普遍的なものではなく、極めて特異な認識である。
そこでは、空間も天地創造から一方的に無限に広がるが、やがて終末を迎える。そして、時間も空間も不可逆(一回限り)とされている。

一方、日本の江戸時代以前の時間認識は次のようなものである。
夜明け前と夕暮れ時を基準にして、昼を6等分、夜を6等分し、この6等分されたものを「一つ(一とき)」と云う。夜明けや日暮れは季節によって変わるので、夏の昼の「一つ(一とき)」は長く、夜は短く、冬は昼は短く、夜は長くなる。そのため、1年間を二十四節気にあわせて二十四分割し、時刻を変えていた。自然に合わせた生活であり、これを不定時法と云う。

日本に限らず、西欧中世でも農民の間では時間は循環すると考えられており、季節に関わらず昼が12時間、夜が12時間だったという。
このように、直線的時間認識に支配されたのはキリスト教→近代科学が発達した近代西欧人だけであって、それ以外の民族にとっては、時間とは宇宙(自然対象)の循環サイクルを表すものであり、宇宙の循環と不可分一体のものであった。だから、昼夜を6等分するという、自然の循環に合わせた対象世界と一体化した時間認識だったのである。
その代表が、原日本人(カタカムナ人)の時間・空間認識である。
楢崎皐月氏は『相似像 第六号』「ニ.物の観方考へ方の相異の根元(時・空量、質量について)(4)最新の科学とカタカムナのサトリ」で、次のように述べている。
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時間といふものは、物体が発現しない限り、無いものである。「物体の存在」を離れて「時間」が存在する事はない。物体の存在の他に、時計が時を刻むような「時間」があると思ふのは、人間だけが思考作用によってつくりあげて居る「観念」にすぎない。
本来、生物にとって「空間」とは、めいめいの生存する「トコロ」のことであり、「時間」(トキ)とは、めいめいのイノチが刻々に発生消滅を続けて、統計的に存在し(イマタチ)、トコロを占めて居る期間のことである。言ひかへれば、ものが発生してトコロを占めると同時に、それぞれのトキ(時間の経過)が存在するだけで、時間と空間は、決して分離して存在する二つの「元」などではない。
時計で計る客観的な「時間」は、人間が決めた約束までのことであり、星の距離をはかる光年も、計算上の方便にすぎない。人類や地球や自分の変遷を、歴史的な「時間」として意識するのは、人間だけの観念作用であり、<トキ トコロ>と異なる時・空の観念が固定化して、現実から遊離し、「カン」を狂はせて事実の本質を見失ひ、生命を損ふ方向にゆくとしたら、全く、愚かな悲喜劇である。
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2019年05月30日

近代科学の法則は、数学的に公式化できるように作られた架空観念

山本義隆氏は「近代科学は自然を虚心坦懐に在るがままに記述するものではない。近代科学の法則とは数学的処理ができるように人間が単純化し抽象化した現象の法則である」と述べている。『新・物理入門』駿台文庫 『十六世紀文化革命』みすず書房
その要旨は以下の通り。
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近代科学、とりわけ物理学は、自然を虚心坦懐に眺め在るがままに記述するのではなく、複雑で多彩な自然を単純化・理想化し、特定の現象を捨象することから始まる。
近代以前のアリストテレス自然学では、物体の熱い・冷たい、湿っている・乾いているという性質が本質と考えられていた。実際、日常的に経験される現実の物体はそのような多彩な性質をもつ。しかしガリレイやデカルトは、そのような性質は感覚する人間との関係であり、物体にとって本質的ではないとして捨象し、物体を位置と幾何学的形状だけをもつものとして単純化した。
また小石はストーンと速く、木の葉はヒラヒラとゆっくり落下する。それに対してガリレイは、その差は空気抵抗の影響で、空気抵抗が十分小さくなった極限としての真空中では小石も木の葉も同じ加速度で落下すると主張した。
ガリレイは、物体を幾何学的に単純化された抽象物、空気抵抗を物体の運動にとって副次的・非本質的撹乱要因だとみなす。ガリレイにとって現象とは取捨選択され理想化された現象である。それによってはじめて運動の本質が暴き出されるとガリレイは考えたのである。

ガリレオは「物体がなぜ落下するのか?なぜ加速されるのか?」という追求を放棄し、真空という現実には存在しない理想状況で、物体はどのように落下するのかという問題(落下運動の数学的表現)に自ら守備範囲を限定した。万有引力の法則を数学的に定式化したニュートンも、重力の本質(なぜ引き合うか)を明らかにせず、自ら棚上げにした。

近代科学、とりわけ物理学の成功の理由の一つは、本質の追究を放棄し、その目的と守備範囲を数学的法則の確定に限定したことであるが、数学的に法則化させるためには、あるがままの自然を受動的に観察するのでほなく、現実には存在しない理想にできるだけ近い状況を人為的・強制的に作り出す必要があった。
実際、カントも「近代物理学の法則はあるがままの自然にたいする虚心坦懐な観察や、無前提的で闇雲な測定によって導かれるものではない。その検証は、人間の思考の枠組みに適合するように自然にたいして強制的に働きかけてはじめて可能となる」と記している。

また、数学的処理になじむよう現象や対象を単純化・抽象化しなければならない。そうして数学的に法則化されたのが近代物理学の法則である。
例えば、物理学で扱う物体を抽象化した概念として、質点・剛体・弾性体などがある。質点は位置のみをもち、大きさはない。剛体は大きさをもつが、変形しない。弾性体は力を加えると変形するが、力をのぞくと元に戻る。
しかし、現実の物体は大きさをもち、力を加えれば変形し、力を除いても完全にはもとに戻らない。つまり、質点も剛体も弾性体も、現実の世界には存在しない抽象概念である。
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ロシア科学アカデミーの佐野千遥氏も「現代物理学は自然には実在しない連続実数値を前提とする誤った数学(微積分と確率論)を利用するという決定的な誤りを犯している」と指摘している。
ということは、近代科学の概念や法則は現実を対象化したものではない。数学的に公式化できるように作り上げられた架空観念にすぎない。
その結果、どんなことになったか?山本義隆氏は、次のように述べている。
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近代自然科学の法則は、周りの世界から切り離された小世界、環境との相互作用を極小にした実験室の中で人為的・強制的に創出された現象によって導き出されたものである。自然科学はこのような特殊限定空間における法則の体系であり、そのような科学に基づく技術が、生産の大規模化にむけて野放図に拡大されれば、実験室規模では無視することの許された効果や予測されなかった事態が顕在するのは避けられない。
そもそも、近代の科学技術が自然の支配と地球の収奪を目的としたものである以上、自然破壊や生態系の混乱を生み出すのは必然である。

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2019年05月28日

精子半減をどうする!?② 放置状態にある日本の環境ホルモン規制

◆環境ホルモン問題は終わっていない

『奪われし未来』が翻訳出版された1997年を機に、環境ホルモン問題は、大きな社会的関心を集めた。
日本でも、環境ホルモンの調査が行われたが、当時、明確な問題の因果関係が明らかにならなかった。環境省は、「一部の物質は魚類への影響が認められたが、人間への明らかな影響は認められなかった」との試験結果の報告を出し、2005年に環境ホルモンリストを廃止し、研究計画を大幅に縮小した。その結果として「環境ホルモンから騒ぎ論」として、業界寄りの学者やジャーナリストによって問題がないように報じられ、一件落着したようになっている。

そのため、我が国の環境ホルモン問題は、世界の研究から遅れてゆくことになった。現在では、WHO も環境ホルモンは人間も含むすべての生物に対して「世界的な脅威」であることを指摘している。新しい毒性である環境ホルモンに対して、環境省の試験は不十分であり、単に1つの結果に過ぎなかったのである。これまでとは全く異なる新しい毒性に対しては、新しい試験方法の開発が不可欠であったと言える。これをせずに、環境ホルモン問題は、1つの結果だけによって結論を出し、影響が出なかったので「環境ホルモンは大した問題ではない」、「安全だ」などとしてきたが、とんでもない間違いである。

環境ホルモンの毒性の特殊性は、それは直接標的になる細胞を攻撃するのではなく、間違った情報によって細胞に誤作動を起こさせることである。環境ホルモンは、生物が体内で細胞同士の情報伝達に使うホルモンをかく乱するという従来の毒物と全く異なる問題を起こすのである。
各細胞の受容体には、特定のホルモンが結合して遺伝子に働き掛け、必要な活動を行わせる。ホルモンは50種類以上存在し、それぞれのホルモンは、特定の受容体だけと結合するようになっている。ところが環境ホルモンは、ニセのホルモン様物質であるにもかかわらず、本来のホルモンになり代わって細胞の受容体と結合し、間違った情報を細胞に伝えるのである。

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◆安全な量が決められない ⇒ EUでは使用禁止に、日本では規制放置

胎児期は、環境ホルモンに対して、感受性が高いことから暴露すると取り返しのつかない影響を受ける。この視点から、EU では農薬や殺虫剤で環境ホルモン作用が疑われるものは、原則使用禁止にした。なぜなら環境ホルモンは、これ以下の濃度なら安全であるという「閾値」が決められないと判断したからである。
当初ビスフェノールA に関しては、一日摂取許容量(TDI)が決められた。しかし、その後の研究でTDI 以下の低容量でも、実験動物の母親が摂取した場合、子どもに脳神経の発達障害や肥満、生殖異常、成長後の乳がんの増加などの影響が出る、という研究結果が発表されたことから、使用禁止となったのである。

一方日本では、放置状態にあることから至る所に環境ホルモンを含むものがあるといえる。食べ物、医薬品、化粧品、パーソナルケア用品などが多数使用されている。

【食べ物】には、水銀が蓄積した魚、水道水の一部には鉛管の鉛が、さらに一部の米にはカドミウムなどの重金属が残留し、魚・肉・乳製品の脂肪分にはPCB・ダイオキシン・有機塩素系農薬が蓄積している。さらに野菜や果物には有機リン系農薬やネオニコチノイド系農薬が残留し、缶詰の内側コーティングやポリカーボネート製食器にはビスフェノールA などが、いまだに使用されている。

【医薬品】でも鎮痛剤のアセトアミノフェンなど、水虫治療薬のアゾール系真菌剤、栄養ドリンクのパラベンがある。

【化粧品・パーソナルケア用品】など肌に直接使用するものとして、薬用石けんなどの殺菌剤であるトリクロサン、香料に合成ムスク、化粧品に使用されているパラベン(防腐剤)、日焼け止めに使われるベンゾフェノン、フタル酸エステル類(香料)が問題である。

【建材・家具・オフィス用品】にも環境ホルモンが多種類存在する。塩化ビニルなどのプラスチック製品の可塑剤としてフタル酸エステル類、ポリカーボネート製品がある。またカーテン、カーペットなどには防炎用として臭素系難燃剤が使われている。家庭用の防虫剤としてピレスロイド系農薬は、蚊取り線香や電気香取、殺虫スプレー、防虫シートにも使われている。

※参考 久留米大学比較文化研究所・河内俊英氏『環境ホルモン最新事情』(リンク

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2019年05月24日

教科書には載らない近代科学者たちの自然支配の言葉

西洋科学が自然を征服・支配することを目的としていたとする証拠がある。
『十六世紀文化革命』「第10章-15.近代科学の攻撃的性質」(山本義隆著 みすず書房)によると、17~18世紀の科学者たちは自然を征服・支配しようとして、次のような言葉をその著作に記しているとのことである。
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【フランシス・ベーコン】1561~1626
「自然の秘密もまた、技術によって苦しめられるとき、よりいっそう、その正体を現す」
「自然研究の目的は、行動により自然を征服することにある」
「技術と学問は自然に対する支配権を人間に与える」
「自然は自由を失い、奴隷となり、束縛を受けなければならない」
「人間の知恵と力が一つになったとき、自然は切り裂かれ、機械と人間の手によって、それまでの姿をくずされ、押しつぶされ、型にはめこまれるだろう」

【ガリレオ】1564~1642
自然支配魔術のパトロンであるメディチ家の庇護を受けて木星の衛星を発見。メディチ星と名付けて「メディチ殿下のご庇護により私が発見したのですから、メディチ星と名付けたとしても、誰が咎めましょう」とコジモ・メディチに捧げる。
また、自然界には存在しない真空中での落下という理想化状態に人工的に近づけて、落下運動の実験を行う。
しかし、「落下運動の加速度の原因が何であるのかについて研究することは適当ではない。そのことで得られるものはわずかしかない。私が求めているのは、その原因は何であれ、加速運動の性質を研究し説明することである」と、なぜ落下するのか?という原因追求は捨象。
また「自然という書物は数学の言語で書かれており、数学的手段がなければ人間の力ではその言葉を理解できない」と書き、落下運動の数学的法則性を読み取ることに課題を限定。

【デカルト】1596~1650
「私たちは自然の主人公で所有者のようになることができる」

【ロバート・ボイル】1626~1691
「私は元素の混合によって生ずるといわれている諸物体そのものを試験し、それらを拷問にかけてその構成原質を白状させるために忍耐強く努力した」

【ジョセフ・グランヴィル】1636~1680
「自然は、より穏やかな挑発では明かすことのできないその秘められた部分を、巧みに操られた火の暴力によって自白する」

【ニュートン】1642~1727
ニュートンは自然支配魔術を研究していた。彼は自然支配魔術の「隠れた力=遠隔力」である万有引力を法則化したが、万有引力が存在する原因を「非物体的で生命ある知性をもった偏在する存在者=神」と書いて、本質追求は棚上げにした。
※ニュートンの錬金術研究書を購入した20世紀の経済学者のケインズは、「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と発言している。
※ニュートンは世渡り上手だったようで、晩年は造幣局長官に就任している。

【カント】1724~1804
自然界には存在しない真空中での落下という理想化状態に人工的に近づけようとしたガリレオの実験に対して、その意義をカントは次のように述べている。
「理性は一定不変の法則に従う理性判断の諸原理を携えて先導し、自然を強要して自分の問いに答えさせねばならない。そのことを自然科学者が知った」
「それはもちろん自然から教えられるためであるが、しかしその場合に、理性は生徒の資格ではなく本式の裁判官の資格を帯びるのである」

【ミシェル・シュヴァリエ】1806~1879
「弱く貧弱な存在にすぎない人間は、機械の助けを借りて、この無限の地球上に手を広げ、大河の本流を、荒れ狂う風を、海の満ち干をわがものとする。地球の脇においたら一つの原子にすぎない人間が、その地球を従順に働く召使にしてしまう」
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このように近代の科学者たちは、自然を「実験」という拷問にかけることによって、その仕組みを白状させ、征服しようとしたのである。
自然に対する攻撃と征服。それが近代科学が当初から目指してきたものである。それが近代科学に刻印されている以上、原爆・原発をはじめとして、近代科学がトコトン自然を破壊し続けてきたのも必然である。

ところが、こうした科学者たちの言葉が学校の教科書に載ることはない。
以下は、高校世界史の教科書『詳説世界史』(山川出版2006年版)の「科学革命と近代的世界観」についての記述である。
「17世紀のヨーロッパは科学革命の時代とよばれるほど、近代的合理主義の思想や学問が本格的に確立されて、自然界の研究が進歩した。天体運動の観察から出発して万有引力の法則をとなえ、近代物理学の基礎をうちたてたニュートンは、この時期を代表する自然科学者である。また、事実の観察を重んじ、そこから一般法則をみちびく帰納法による経験論を説いたイギリスのフランシス=ベーコン、数学的な論証法をもちいる演繹法による合理論をうちたてたフランスのデカルトらが、近代哲学への道をひらき、その後も、新しい世界観を確立する努力が続いた。」
「イギリスの経験論と大陸の合理論は、18世紀末のドイツの哲学者カントによって総合された。カントは、人間の認識能力に根本的な反省を加えて、ドイツ観念論を確立した。」

近代科学者・哲学者たちが残した言葉と見比べてみよう。この教科書の記述は、近代科学の正体を隠すための騙しではないか。

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2019年05月24日

ルネサンスの自然支配魔術からニュートンの万有引力へ

自然を支配するためのルネサンス自然魔術に、実験的論証と数学的推論が加わって、ニュートンの万有引力が生まれ、近代物理学が始まったという説を紹介する。山本義隆著『磁力と重力の発見2(ルネサンス)』の説である。

●西洋において魔術は古代以来廃れたことはないが、中世キリスト教社会では魔術は異端として抑圧されていた。一方、同じ超自然的現象でも、教会に都合の良い聖人(キリストやモーセ)の行為は「奇蹟」として肯定された。

●ルネサンス期(15世紀後半)に魔術が復活する。
印刷書籍の登場、新興ブルジョアジーの台頭によってキリスト教のイデオロギー支配が揺らぎ始める。商人や職人や役人といった新興の都市市民が力を獲得し、現世利益の追求へ向かった。それがルネサンスの原動力となり、ルネサンスの人文主義者は古代ローマの共和制やギリシャの都市国家の市民生活に生の理想を求め、人間中心主義が登場する。
この人間中心主義が魔術を復権させる。
ルネサンスの想念は「人間は一切を認識し万物に君臨しうる、自然の主人にして支配者になりうる」いうものであり、それは中世における神と人間の関係を根本的に改める。神には許されていた奇蹟を人間が行使することも許される。それはまさしく魔術である。
15世紀後半に魔術思想を復権させた中心はフィレンツェのプラトン・アカデミーであり、それは新興財閥メディチ家の始祖コジモ・デ・メディチの庇護で形成された私的なサークルである。メディチが魔術を庇護したのは、魔術の力で自然と人間社会を支配したいという欲望(権力的野心)に突き動かされていたからであろう。
この人間中心的な魔術思想は都市市民層の現世利益の追求意識に訴えかけ、西欧の知識人にも急速に広がってゆく。

●中世魔術との違い(自然に内在する力を発見し使役する自然魔術)
15世紀後半に復活したルネサンス魔術は、悪魔や天使の恣意により魔術や奇蹟が生じるという中世の魔術(ダイモン魔術)と区別され、自然魔術と呼ばれた。それは超自然的なものではなく、自然の内在する「隠れた力」の法則を発見し使役するものである。
自然魔術の世界像は有機体的世界像、すなわち、天上世界の事物と地上世界の事物が宇宙の精気を介して相互に影響をおよぼしあい交感しあっている巨大な有機的統一体であるというものである。人間は地上における(磁石によって代表される)諸物体のあいだの共感と反感の関係を組み合わせてその力を利用し、天の影響を人間に有利な方向に向けさせることさえ可能となる。それがルネサンスの自然魔術であった。それは、共感と反感の関係を読み取り操作する術であり、けっして超自然的なものではなかった。従って、それなりに経験的で技術的で実践的なものに変わっていった。
とりわけ、磁力の力はまさに「隠れた力」の典型であり、「自然魔術」における恰好の研究対象となった。

●観察や実験、数学的推論という手法を生み出した16世紀自然魔術
自然を学ぶことで人間が宇宙の力・自然のエネルギーを使役しうるという信念が公然と語られるようになった。その後の科学技術の推進力の一つは、このルネサンスの魔術思想に発しているが、ここから直線的に近代科学が生まれたわけではない。15世紀の魔術思想家たちは古代信仰・文章信仰に捉われており、実際に磁石で実験してはいない。その限界を越えたのは16世紀の思想家である。

15世紀の魔術は宗教的で思弁的で言葉の世界に閉じこもる傾向にあったが、16世紀の魔術は経験的で数学的でかつ実践的な性格を有し、さらに職人たちによって担われてきた技術と結びつく傾向を示している。そして、帰納的観察や実験という近代実証科学の方法は、「隠れた力」を操作する「自然魔術」の方法として、17世紀科学革命にさきがけて16世紀に登場した。
このようにして16世紀後半には魔術思想は、実験的方法と数学的推論に基づき、技術的応用を目的とした「自然科学の前近代的形態」へと変貌する。それは、文献魔術から実験魔術への転換である。とりわけ磁力と静電気力は、魔術思想の根拠にある「隠れた力」の典型と見られていたがゆえに、経験的で実験的な自然魔術の格好のテーマであった。

●遠隔力→万有引力の土台となった魔術思想
近代科学に至るには、実験的論証と数学的推論の二つの方法の確立とともに、遠隔作用としての万有引力概念の獲得が必要であったが、数学的推論も実験的方法も魔術に対立するものではなかった。むしろ、自然魔術は数学的で技術的な性格を帯びるとともに、経験的観察と実験的方法を生み出していった。さらに、魔術思想の内に機械論や原子論の還元主義が密かに導入されることによって、力に対する合理的説明の要求も生じてくる。とりわけ、船乗りや職人や軍人たちによって観測の対象とされてきた磁力は、他方では魔術師たちの研究対象とされ、遠隔作用としての万有引力概念を生み出す土台となった。

デッラ・ポルタの『自然魔術』は、磁力の定量的測定の可能性を探ることで力の作用圏という概念を語り、数学的関数で表される力という近代物理学における力概念の理解への端緒を開いた。のみならず、磁石をめぐる古代からの言い伝えを実験により否定し、自然認識に対する中世的な秘匿体質から脱皮し、魔術の脱神秘化・大衆化を計ったことにおいて、『自然魔術』は近代科学を準備するものであった。デッラ・ポルタにより、ルネサンスの魔術思想は近代の科学技術思想にあと一歩の所に到達した。
自然界は諸事物とその相互作用からなり、人は観察を通してその力を知ることができるという魔術思想は、ケプラーやニュートンによる近代物理学のキー概念ともいうべき万有引力概念を準備するものとなったのである。

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2019年05月23日

自然の支配視→分子時計をはじめとする生命機械論

分子時計による年代推定は当てにならない
この分子時計説は、生命を機械と見做す生命機械論が前提となっている。
「分子時計」という言葉がその象徴である。分子の変異速度一定という発想も、分子を一定速度で時を刻む機械時計と見做しているからこそ生まれる。
では、この生命機械論はどのようにして西洋で登場したのか?

以下、『Study Support』第4講 機械論的自然観 人間中心主義」「第7講 西洋自然観の変遷」によれば、西洋の自然観は次のように変遷し、生命機械論は17世紀のデカルトが創始したとのこと。

【古代ギリシアの自然観】
アリストテレスは、あらゆる自然的事物は、事物の素材の内部には、それがどのようなものかを決める性質(形相)がある。物の素材はその形相が正しく立ち現れるように、その目的に向かって絶えず運動し発展している。この「目的に向かって絶えず運動し発展している」ものが自然であり、人間も運動し発展し続ける自然の中の存在にすぎない。
この自然観では、自然は人間を離れて独立して存在するものであり、それ自体が常に目的に向かって生成・発展・運動していく生命あるもの(有機的自然)である。但し、自然は人間と離れて自立して存在するといっても、近代的二元論のように対立関係にあるものではなく、人間は自然の内部に包み込まれる。

【中世キリスト教の自然観】
自然も人間も神によって造られたものだが、神は自然を支配して統治するものとして人間を造ったとしている。神の下に人間、その下に自然という階層になっており、自然は人間の利用のために創られている。この「人間は自然を利用するものである」という考え方が近代合理主義自然観につながる。

【近代の自然観=自然を支配するための機械論】
中世までは自然の中にある種の目的や意志が宿っていると考えられていたが、自然は定められた法則通りに動くだけの、巨大な機械と捉えられるようになった。そして、自然はすべて微小な要素(原子や分子)などから構成され、それが定められた法則どおりに動くだけなので、人間は自然を一つ一つの要素にバラバラに分解することができるという要素還元主義が生まれた。
デカルトの物心二元論によって自然は人間と対立するものとされ、「中心」に位置する心や精神を持つ人間は、心や精神を持たない「周縁」の自然を要素に還元してその原理や法則を発見し、自然を征服していくことが人間の知性の勝利であるとされた。
こうして、人間が自然を一方的に支配し加工し搾取する人間中心主義=自然の支配視が登場した。

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2019年05月21日

★「戸籍制度」がある日本は、世界でも珍しい

江戸時代から明治時代になり、 中央集権の国家体制の下、様々な制度が作られました。
その一つが「戸籍法」です。
これにより家族制度が大きく転換し、人々の意識にもじわじわと浸透していきました。

「戸籍制度」は、私たち日本人には当たり前のような存在ですが、世界で見てみると非常に珍しい制度のようです。 以下リンクリンク より紹介します。

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■海外の戸籍制度
ご存知の方も多いとは思いますが、いわゆる「戸籍」があるのは日本、韓国、台湾の3国です。
韓国については、現在のように家族の中での身分を表す公証制度となったのは日本によって統治されていた時期です。

戸籍とは違いますが、ドイツには「家族簿」というものがあり、家族単位の身分登録が行われています。(他に事件別登録もあったと記憶しています。)この家族簿はナチス時代に人種政策に用いるため導入されたものです。
ただし家族簿には筆頭者が無く、夫婦は書類上平等な形で記載されています。
その他に家族単位の登録を行っているのはスイスです。

家族単位での登録は、国民の管理を目的に導入されているのが目立ちます。これらの国では、国による個人の姓への干渉が比較的強いようです。ドイツも別姓が選べるようになりましたが、婚姻時の姓の指定についてはこまごまとした決まりがあります。

個人単位での登録を行っているのはスウェーデン、オランダです。

人間を単位にした登録ではなく、事件別(出生、結婚、死亡)の登録を行っている国もたくさんあります。完全に事件別で、個人の身分変動を一覧できない仕組みになっているのがカナダ、アメリカです。これらの国では州によっては婚姻にあたって姓の選択の届出が必要ですが、多くは特に干渉していないようです。

事件別登録を行ってはいるけれど、附表などを用いてその後の身分変動を記録し、個人登録に近いことをしているのがイギリス、フランス、中国、旧ソ連諸国です。これらの国はもともと姓の変動が無かったり、法律で管理するような習慣が無かったりします。

現在の中国の身分登録制度は「戸口」と言い、これは日本の戸籍と住民登録制度の両方の機能を併せ持つものなのです。
実際の生活単位を元に登録されるので、一人暮らしの人は「戸主」になりますし、集合住宅などに住んでいる場合はそこの住民全体を一つの「戸口」に登録する事もできます。

というわけで、日本や韓国の親族を中心とする戸籍とは性質がだいぶ違うのです。それで、いわゆる「戸籍」がある国、には入れませんでした。
ちなみに、戸籍がある国でも、台湾は中国に近い制度ではないかと思います。

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注:韓国の戸籍制度は、2008年に廃止になっています。

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