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2006年10月31日

日本は森を崇め,欧州人は森を忌み嫌った?!

人類は、農耕はじめ都市を作り、燃料としての木材の伐採などで、森林破壊をして来た。 Shocked
が、その後は、日本人と欧米人の森への意識は全く違っているらしい。欧州人の潜在意識には、森林を忌み嫌い伐採してしまうと言う歴史的な文化が刷り込まれているという。 m054 m054

さらに、キリスト文化までもが............ブログランキング・人気ブログランキングへ

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2006年10月30日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 5

moso2.jpg<母系社会を営むモソ人の食生活は自給自足である。僻地にあり豊かな土地でないとしても、それは集団としての当然のありようである。生活必需品を他集団とやり取りすること、交易に依存することはありえない。

(by石野)

食生活は自給自足できるものが多い。ただし、現在ワラビ村の主食は水稲であるが、ワラビ村の標高は米を栽培できるぎりぎりの高さであり、赤い米を栽培している。それも不作の年が多いようである。そもそもワラビ村で水稲栽培が始まったのは60年代以後である。それ以前の主食はトウモロコシであったという。なお、ワラビ村より少し標高の高いリジャズ村ではもう水稲栽培はできず、トウモロコシの飯やパンを主食にしている。ワラビ村には水田の数がそもそも少なく、半年ほどで食い尽くしてしまうため、ほんの少し標高の低い、永寧郷の村々の米を買うことが多い。また冬は野菜が取れないため、ほとんど食べないが、永寧の市場に出かけていって野菜を買ってくることもある。トウモモロコシは現在ほとんどが家畜の餌となっている。

モソ人の食生活

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2006年10月29日

トロブリアント諸島(ニューギニア)の母系社会

近代人類学の祖といわれるブロニスラフ・マリノフスキー(Bronislaw Malinowsky, 1884-1942)が調査した、ニューギニア西北海上のトロブリアント諸島の母系社会の様子を紹介します m030
以下、大阪市立大学のインターネット講座『世界の民族』より抜粋。

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2006年10月27日

長江文明年表

◆長江文明の年代と特徴 ◆

B.C.14000 玉蟾岩遺跡(~B.C.12000) 稲作、土器 <中流域>

B.C.12000 仙人洞/呂桶環遺跡 洞窟遺跡、栽培稲、石器、骨製器、土器 <中流域>

B.C.8000 八十ダン遺跡 環濠集落、栽培稲 <中流域>

B.C.7000 彭頭山遺跡城背渓文化(~B.C.6000) 環濠集落、住居跡、ごみ捨て場 <中流域>

B.C.5000 河姆渡遺跡 馬家浜文化(~B.C.3800) 稲作、玉器、土器、農具 <下流域>

B.C.4500 大渓文化(~B.C.3500) <中流域>

B.C.3500 城頭山遺跡屈家嶺文化(~B.C.2600) 城壁都市、稲作 <中流域>

B.C.3300 良渚文化(~B.C.2000) 稲作、玉器、絹 <下流域>

B.C.3000 石家河文化(~B.C.2000) 都城遺跡、運河、宮殿、絹、玉器 <中流域>

B.C.2500 三星堆遺跡宝墩遺跡 城壁都市、青銅器、玉器、象牙、金製品 <上流域>

B.C.2000 馬橋文化 土器、玉器 <下流域>

■稲作文明の誕生
長江中流域にB.C.14000頃に稲作を行っていたとされる遺跡が発見され、長江の稲作農業は世界最古といわれる文化と考えられるようになってきているようです Shocked しかし、稲作の跡は発見されましたが、玉蟾岩遺跡で見られるものは、今のところ栽培稲か天然稲かの区別はつかないようです。

<参考サイト>中国的こころ

2006年10月26日

中国最古の城塞都市はどこか?

世界最古の城塞都市はメソポタミアの5500年前とされている。(「5500年前ごろ城壁が出現」より)
では中国ではどうか?

長江中流域の城頭山遺跡から発見された6300年前の城壁が最古だが、これが城塞都市なら、メソポタミアより800年も早く、さらに西アジアで掠奪闘争が勃発した6000年前頃よりも前に長江流域で掠奪闘争が開始されたことになる。
果たしてそうなのだろうか?

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長江中流には7000年前に城壁が作られた?

東アジアでは黄河文明以前、揚子江流域で略奪闘争が勃発した可能性がありそうです。
城壁で囲まれた都市遺跡があるらしい。
なんと Shocked 5500年前のメソポタミヤ(リンク)よりも早い“7000年前”頃という記述がありました。

以下『アジア世界の歴史を中国文明の周縁地域の文化から再考察』というタイトルのサイト(リンク)から引用します。

三星堆遺跡は、現在の四川省成都市の近郊で発掘された。諸葛孔明が根拠地にした三国時代の蜀の地にあたるが、紀元前6500年頃に稲作栽培をはじめた長江中・下流域の文化が、紀元前5000年頃から巨大な城壁に囲まれた都市文明に発展し、その余波を受けて長江上流に古代都市文明を築いた遺跡が三星堆である。

この内容からすると城頭山遺跡(リンク) と同じとも考えられますが… m052

いずれにしろ揚子江流域の先史探索が、東洋での略奪闘争勃発を解明する鍵となりそうです。(by なんでやねん)

弓矢を手に入れた人類は、獲物を求め遠征!!


m090 樹上という楽園を手放さざるを得なかった人類は、それ以降ずっと極限的な飢えに晒され続けてきた Embarassed

しかし、約1万年前に弓矢を発明した人類は、小動物を狩るようになり、徐々にその飢えを克服するこになる m273

弓矢の発明とはまさに、人類史における大きな転換期であったと言えるだろう m033

今日は、弓矢を手に入れて以降の、人類のお話 m165

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2006年10月25日

木の上に住む民族は現存する!!

人類の洞窟から地上進出を調べていて現在でも樹上で生活をしている民族がいるとのことだったので調べてみた。 Embarassed

木の上に住むコロワイ族 m050

東南アジアの密林の中、高い木の上に建つ家がある Shocked Shocked Shocked m050
地上6mから25mくらいの高さに住むコロワイ族は、部族で戦争のあった時代には地上50mの家もあったとのことだ。 m196 m008

パプア・ニューギニアに近いインドネシアの島に住む彼らの存在が発見されたのは25年前。実際に行って見てみたいものだ Twisted Evil m024

だけどコロワイ族にお茶をごちそうになるとする。 Cool
木を登って家の中に入る。 m208  ⇒着席する。 m106  ⇒床の木の隙間から数十メートル下の地面が見える。 m002 m002 m002  ⇒風が吹くと家がゆさゆさ揺れる。 m004  ⇒これはこれで生きた心地しないわ m081 m300

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逆境⇒どうするを蓄積→結実

ちょっと話がそれるかもしれませんが、
近年の人類が遭遇した気候変動と生産様式の革新について考えてみます。


    <時代>            <気候変動>            <革新>   
1.8万年                                   弓矢 m223 発明
     ~1.45万年前  オールデスト・ドリアス寒冷期 m009   (1.5万年前)

1.3万年                                   農耕 m146 開始
     ~1.0万年前   ヤンガードリアス寒冷期 m009      (1.2万年前)
                                             
1.0万年                                   牧畜 m172 開始
     ~0.95万年前    プレボレアル温暖期 m005        (1.0万年前)

0.95万年                                遊牧 m071 m172 開始
     ~0.8万年前     ボレアル寒冷期 m009         (0.8万年前)


このようにして見てみると・・・
<革新>のところにある人類の大発明・大発見は、「逆境」の最中、もしくは、「逆境」が緩んだときに生み出されていることがわかります。

寒冷期という途方もない「逆境」は生きることに必死なはず。
しかし、この時期は、あきらめず「逆境」を乗り越えるために「どうする?」を繰り返し試行錯誤する時期であったということだと思います。

オールデスト・ドリアス寒冷期 m009 の間、「どうする?」と試行錯誤を繰り返し、技術を蓄積。
寒冷がゆるんだ頃にその集大成として弓矢 m223 の技術が開花→結実。

ヤンガードリアス寒冷期 m009 の間、少ない獲物を飼いならすことに「どうする?」思考を働かせ、試行錯誤。
プレボレアル温暖期 m005 で暖かくなるとその技術が開花→結実。

という具合です。

どんな「逆境」でも、絶対にあきらめない。
それを前提とした試行錯誤が「革新」として開花→結実するのもまた、外部環境(外圧)によるのですね。

<隼>

2006年10月24日

牧畜の始まりを探索する。

 人類の牧畜はいつどこで始まったのか。約一万年前、西アジアの三日月地帯が有力のようです。その時代の様子を 「森 m221 と人 Very Happy地球史」から紹介します m146 。そして、その理由は豊かな穀物と家畜(になる予定の草食動物)だけのの存在だけだったのか・・・・・・・・・・・・。


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2006年10月23日

霊長類のメイト・アウトとインセスト回避

「近親相姦のタブー」はどうして出来たの? に続いて。
人類の先祖は、少人数で孤立した集団だったので、近親同士を含む性交をくり返し、奇跡的に生き延びてきた。
レヴィ=ストロースは、人類に普遍的なのはインセスト(近親相姦)のタブーではなく、インセストだと述べている。人類の婚姻は基本的にはすべてインセストだが、社会によって異なるやり方でタブーを規範化しているに過ぎない。

ところで人間以外の霊長類でも、インセスト(近親相姦)はめったに起こらない現象らしい。
ただ、インセストの回避とメイト・アウト(思春期に達したオスやメスが自分の生まれ育った集団を離脱したり、加入した集団を再び離脱すること)という、異なる動機に基づいた行動があり、メイト・アウトが結果的にインセストを回避することに貢献していると考えられている。逆のインセスト回避がメイト・アウトを促進する例は少ない。

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2006年10月19日

抜歯って???

縄文時代に広く見られる様式で抜歯というものが有ったそうです。
             011-01.jpg
今から約2500年程前の縄文時代のこの屈葬人骨(くっそうじんこつ)。 m252 m252
歯をよく見てみると、上顎(うわあご)の犬歯(けんし)が2本ともありません。 m251 m251
これは縄文時代の「抜歯(ばっし)」という風習です。男女関係なく行われていたこの抜歯という風習、行われていた理由は・・・ Rolling Eyes

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竪穴住居に住んでいた男女の関係は?

m043 縄文・弥生時代の男女関係について、ありましたよ。 m008 m008 興味深い内容です。
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「妻問婚」?とか、「クナド」?などで説明されています。
竪穴式住居の縄文時代も、現在と同じように一組の男女が夫婦( m189 )と、疑問に思っていたんですが、現在と同じ一対婚と言う仮説とは、大きく異なる男女関係の説がありました。詳しくは..........

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2006年10月18日

弓矢を使っている人類の洞窟の壁画

ないとう@なんで屋です。

人類の地上進出 ~動物は畏れの対象から狩りの対象へ~

>弓矢の発明の起源は依然としてその年代の特定には至ってないようですが、「壁画」に描かれる弓矢の姿から、少なくともその時代に弓矢があったことが確認されているようです。
>現在、発見されている壁画で弓矢の表現が残されているものには、フランスのラスコー洞窟にあるものと、スペインのカステリョンの岩陰に描かれたものなどがあるそうです。

この頃の洞窟壁画は、スペインの切手で見ることができます。

◆アルタミラのバイソン◆約18,000年~10,000年前
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◆REMGIA洞窟 「狩猟」の壁画◆
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◆CINGLE洞窟 「弓矢を持つ人々」の壁画
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◆MORELLA洞窟 「戦争」の壁画
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2006年10月17日

縄文時代の集団規模は、共同性規範が行き渡る範囲で決まる

縄文時代の集団規模って一体何から決まったのでしょう?
土地の広さ?取れる食物の量?

色々考えられますが、そういった物的な要因もさることながら、集団維持の出来る、意思疎通可能な規模といった説を紹介します。(佐藤)

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2006年10月16日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 4

moso5.jpg性はいつから隠すべき、恥ずかしいものになってしまったのだろうか。 ワラビ村の温泉は、もともと性はおおらかであったことを物語っているし、一夫一婦制(一対婚)の浸透には男女の隔離と性幻想が必要であったことを暗示している。

(石野)


露天の男女混浴という温泉の評判は70年代には寧★にも聞こえ、県の役人も訪れるようになった。そうした中で、男女隔離の政策がある高官から出され、浴槽に塀が建てられたのだそうだ。一度はこの塀はモソ人の手によって壊されたが、再び78年には塀が建てられたのだそうだ。それはモソ人の意見も聞いたもので、1メートルに満たないものだったという。しかし、90年代には現在の立派な建物に建て直された。(上述の温泉の歴史については、中国人ジャーナリストによる紀行文(沈★著、譚佐強訳『西南秘境万里行』恒文社)によった。)現在の温泉は我々が普通に想像する銭湯のようなもの。ただし洗い場はない。湯船には20人ほどなら普通に入れるだろう。湯量は豊富で数週間ぶりの温泉は天国だが、皆が浴槽の中で洗剤で頭や体を洗うため、湯の取り入れ口付近にいたほうがいい。母系社会を営むモソ人の村へ

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2006年10月15日

「近親相姦のタブー」はどうして出来たの?

婚姻史を調べていると出くわすのが「近親相姦のタブー(近い血縁関係にある者同士が性的関係を結ぶこと)」。

専門家の間でも「なぜ、近親相姦のタブーがあるのか?」に関しては、、優生学的配慮に求める説、社会的要因に求める説などがあり、必ずしも一致した見解は無いようです。

そこで、人類500万年の婚姻の歴史を遡って考えてみました。

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2006年10月13日

シベリアの究極の狩猟具・細石刃

シベリアのマンモス・ステップ』の続き。
西アジアからアルタイ地方(西シベリア南部)に進出した5万年前の洞穴からは、マンモスの狩りをした証拠が見つかっていない。まだ他の動物の食い残しを密猟する段階。
ところがシベリアに進出する3万年前頃から、狩猟具と見なせる石器が、大量のマンモスの骨とともに各地で見つかるようになる。

2万4000年前のウスチコバ遺跡から出土した石器は、両側に鋭い刃の付いた槍先の形をしている。2万3000年前のマリタ遺跡からは、長さ32.9cmもあるマンモスの牙製の槍先が発見されている。石以外に骨などの素材を積極的に使い始めるのも、この時期の特徴である。

こうした道具の進歩の結果、2万1000年前頃に、究極の石製狩猟具・細石刃が生まれる。

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2006年10月12日

『弓矢』使用の痕跡は石鏃の有無でわかりそう

『弓矢の起源』についてあっちこっち調べてみました。
‘弓’のほうは弓本体も弦も植物製ということもあって、化石などはっきりした証拠が残り難いようです。
それに対して‘矢’のほうは先端に『石鏃』と呼ばれる石器が取付けてあり、これが出土すれば「弓矢を使用していた」証拠と見做されるようです。

%E7%9F%B3%E9%8F%83.jpg ←多様な石鏃のレプリカ
上の写真は『黒曜石の石鏃』というサイトから借用しました。

『石鏃』は黒曜石などで作られる小さく手の込んだ石器で、まるで「精密機械」のよう。
見るだけでも弓矢発明に向けて大幅に観念進化したであろうと想像できます。

2006年10月11日

『男性社会の遊牧』と『女性社会の採集』

森と人の地球史』というサイトで表題のような比較をしていました。妙に納得してしまったので紹介します。

      ◆遊牧部族◆             ◇採集部族◇

      移動する生活               定住生活

   動物性蛋白質を主食          植物性炭水化物を主食

  強者が弱者を捕食する            群で行動する
  「肉食動物的攻撃性向」         「草食動物的協調性向」

従的な採集には女性や子供が参加   従的な狩猟や漁撈に男が参加                         の「父系家族制度」             の「母系家族制度」

 「交易や戦いという足の文化」        「モノ造りという手の文化」

  移動の指標となる星に収束       草花の生長を願う太陽に収束

 こうした違いにより、前者は必然的に猛々しい唯一の「人格神」を生み、後者は多彩で温和な「自然神」を持ち続けるのだそうだ。


 両者を分かつのは自然環境の違いだったのだろう。自然外圧による生活様式の違いから、男女の役割分担の違いを経て全く違う思考パターンになってゆく辺りは何だかリアルに想像できてしまう。

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2006年10月10日

狩猟と採集を分けないのが常識?

狩猟と採集という生産様式が区分されないのが現在の常識なのでしょうか?
メソポタミア地域で遊牧と農耕がほぼ同時期に発生しているのがその理由だとか。


 1万年ほど前この地で狩猟採集から脱して、遊牧・農耕という2つの農業様式がほぼ同時に発生している。そのためもあって西洋発の文明史論は、「農耕と牧畜といった二項対称の方法は、起源的にも社会構造的の視点からも、妥当なものとは考えられず、異質の2種類の構造類型として抽出することは不可能である」(ブリタニカ・電子ブック版「農耕文化」の項より)という立場を取っている。

 (考えればわかることだが)、「遊牧という生活手段は、それまで草原で狩猟を行ってきた民の発明であり、農耕は森の中で採集を行ってきた民の発明であって、もともとはそれぞれ別々に獲得してきた生活手段であり、たまたま中東においてこの2つの生活手段が並行して行われていたとしても、実際には異なった文化であったことは自明の理であり、それを一括に論じることは不自然ではないか。

中村忠之氏のサイトから引用

寒冷化、乾燥化によってそれまでの狩猟や採集といった生産様式では生きていけなくなり、狩猟部族は牧畜、さらには遊牧に、採集部族は農耕に向かって行ったのではないかと思います。
そして、それぞれの生産様式は明らかに生活域の違い、サバンナなのか、森なのか、がベースにあり、当然その環境に適応した生産様式に収束していたものと考えるのが自然だと感じます。

中村氏も指摘されているように、西欧人が自己中心的に作り上げた説が常識とされているのではないかと感じます。

(新川)

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2006年10月09日

シベリアのマンモス・ステップ

アメリカ原住民の婚姻制を紹介したが、彼らのルーツを辿っておきたい。彼らの祖先は、約10万年前アフリカを出た新人(ホモ・サピエンス)が、西アジアから北東のシベリア平原へ向かった北方モンゴロイド=採集・狩猟部族。(インドを通って東南アジアのスンダランドへ辿りついたのが南方モンゴロイド=採集・漁労部族。)
西アジアから西に向かったコーカソイドとモンゴロイドに別れたのは、約5~6万年前とされている。
新人の世界進出図 ←「日本人はるかな旅展」より

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2006年10月06日

世界の暴力連鎖は、『マルツゥ』から始まる?

人類の争いの起源は、平和な狩猟採取生活から略奪を開始した,部族闘争に起源すると思われます。

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それが中東発で、紀元前3000年頃、中東地域は急激な乾燥化を迎えて、狩猟採取生活がとても困難になってきていた為です。
『セム系部族社会の形成』のサイトの中で「今日の世界は暴力連鎖のただ中にあり、その一大要因としてセム系部族社会の存在が考えられています。」と書かれてあります。

そのサイトの中にある「マルトゥの結婚」:シュメール語で書かれた粘土板には、町の外に住むマルトゥが、結局、町の有力者の娘と結婚するという物語が,書かれてあり、当時は婚姻制度がどうだったのかを,思い馳せながら読むと.......。

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2006年10月04日

オランウータンの生殖戦略

1000万年前、類人猿の一部がアジア(中国地方)へ流れました。
さらに南下し東南アジアへ移動し、現在のオランウータンとなりますが、そのオランウータンの生殖について少し紹介します。

%EF%BC%92%E6%AD%B3.jpg(2歳)
「オランウータン」
分類: 脊索動物門 哺乳綱 霊長目 ショウジョウ科
東南アジアのボルネオ島とスマトラ島だけに分布する大型の類人猿。
それぞれの島の個体群は亜種とされ、ボルネオ島のものがボルネオオランウータン(P.p.pygmaeus)、スマトラ島のものはスマトラオランウータン(P.p.abelii)と呼ばれます。日本では、ボルネオオランウータンの方が多く飼育されているようです。


オランウータンに見られる性行動は戦略的なものだった?

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