2006年11月12日
6000年前;黄河中流域「仰韶文化」以前4千年の空白?
長江流域に続き、黄河流域における略奪闘争伝播の系譜を調べてみました。
「仰韶文化(6800~4500年前)の間に母系から父系に転換したらしい」というところまではわかりましたが、生産様式の変遷や民族的な系譜は殆どわかっていないようです。(るいネット『仰韶文化とその周辺の黄河文明の補足』参照)
中国でも自ら≒『漢民族』の出自解明がブームのようですので、当ブログでも父系転換以前の約4千年の空白を埋めるべく追求していきましょう!(by nandeyanen)
地図の拡大図はこちら
『古代で遊ぼ>黄河流域の初期文化』より、6000年前頃の状況を見ると・・・・・
BC.4500頃
山東省泰山南部に大ブン口文化(ブンはサンズイに文)。
現在は乾燥地帯だが、水辺を好む動物や揚子江ワニの骨が多数あり、大型の石斧が出土するところから湿地帯や森林のある環境だった可能性大。稲はなし。
抜歯風習あり。ノロ(鹿の一種、日本にはいない)の牙を使った特有の装飾品。
竪穴住居、屋根をかけたと思われる柱跡あり。
土器に石斧など記号と思われるシンボルが刻まれている。
穂摘み用の石包丁使用。繊維製品は未発見だが骨針と紡錘車あり。
大量の副葬品の多くは武器や土器。木製品は見あたらないが腐食した可能性。
副葬品から貧富の差が生じていると見られる。
武器と思われる矛あり、後の青銅製矛の形状に類似。石製と骨製の双方あり。
良渚文化に侵入を受けたと見られる江蘇省北部の墓には骨製短剣の副葬多し。
良渚文化との混合でBC2500頃に龍山文化へ変遷する。
黄河中流域の仰韶文化圏との接触の可能性あり。
BC.4000頃
黄河中流域に仰韶文化。母系社会、殷とは文化系譜は異なる。
新石器文化、骨格はモンゴロイドの東アジア型の特徴を持つ。
集落に環壕あり。集落周囲には大量の落ち葉が堆積、当時は森林の可能性大。
臨潼姜寨遺跡では竪穴住居で草木製の屋根だが、隣接の半坡遺跡の住居は土壁のキノコ状で出入り口は鳥の巣箱のように小さいようで住居形式が異なる。
粟、黍の栽培がメイン食料、動物は鹿、イノシシなどあり。
穂摘み用の石包丁あり。オカリナ類似の土笛あり。
粘土製の球体あり。何らかの投擲道具の弾丸の可能性あり。
彩文土器の縁に記号が刻まれたものが多く出土。制作者のシンボルという説あり。
中国特有の「戈」登場。対人用の武器。
住居土中から頭骨のみの発見あり、首のない遺骨あり。首狩り風習の可能性。
埋葬された人間の両側に貝を並べて図形を描いて副葬としたものあり、それぞれ龍(ないしは恐竜)と虎と判断可能。
- posted by nandeyanen at : 2006年11月12日 | コメント (3件)| トラックバック (0)
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comments
中国の朝貢外交にも通じるものがありますね。
勉強になります。
ブログランキングに参加されているんですね。
私は歴史のほうで登録しています。
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