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2006年11月19日

弥生時代の人口増から婚姻の歴史が変わった?!(その2)

縄文時代の後期(晩期)から弥生時代にかけて人工の爆発的な増加があった事は、ちょっと調べてみると様々な説で論じられていますね。
今回は、その根拠となる二つの説をもとに考えてみたいと思います。
①渡来人が大量に上陸したから。 :roll:
(「弥生時代の人口増から婚姻の歴史が変わった?!」 R.H.Tさんの記事を参照してね!
http://www.jinruisi.net/blog/2006/11/post_52.html
②大陸から伝来した稲作が定着したから。 :roll:
いづれも、遺跡や他国との歴史上の関わりから相互に関係しているとも考えられますが、一方で「稲作の定着の方が有力(普通)」と考える論調もあるようです。
また、人口増の背景となる集団の構成や婚姻様式が大変気になります。共同体集団である縄文人と、父系制であろう大陸渡来人との間では、どの様な接触・交わりがあったのでしょうか?

気になる方は続きをどうぞ・・・。↓↓↓

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人工増加説①「渡来人が大量に上陸したから」 :roll:
(「弥生時代の人口増から婚姻の歴史が変わった?!」 R.H.Tさんの記事を参照してね! http://www.jinruisi.net/blog/2006/11/post_52.html)

toraijin23.jpg
船を模った埴輪
人口増加説②「稲作が定着したから」 :roll:
稲作の伝来(渡来人)と定着は、これまでの狩猟・漁猟を中心とした縄文時代に比べて、安定的な収穫と貯蔵が可能になり、加えて安定的な集団の営みが得られたためと考えられています。
その根拠として、墓数や集落の遺跡から分析される「増加率」によって論じられているようです。
九州大学ミニミュージアム~墓数の変化から見た人口増加率~

通常、毎年の死者の数は、その母集団の人口規模に比例する。そこで、墓の数が正確にわかり、しかも年代区分も可能な甕棺墓の数の変化を追跡して、その墓を残した弥生人集団の人口変化を探ってみた。
 まず、福岡県下では最大規模の埋葬遺跡である筑紫野市の隈・西小田遺跡で計算すると、弥生時代中期前半には、年率1%前後で人口が増えていたことが明らかになった。検証の地域を広げてみても同様の高い人口増加率が算出された。弥生中期前半に新たな大量渡来があった証拠は無く、この増加は国内での渡来人集団の自然増と解釈するのが合理的であろう。
 
 こうした高い人口増加率からすれば、弥生~古墳期の急激な人口増加も十分説明可能であり、大量の渡来人を想定する必要はないと考える。

また、それぞれの遺跡から見られる人骨の形体が同じ頭骨や身長であり、縄文人と渡来人とに区別できる様です。
弥生ミュージアム~弥生人の身体的特徴~

弥生人の身体的特徴を最も雄弁に物語るのが、北部九州地方の甕棺墓等から出土する人骨です。佐賀県の三津永田遺跡や吉野ヶ里遺跡、山口県の土井ケ浜遺跡出土の弥生人骨は面高で身長が高く、中国黄河流域や朝鮮で出土した人骨と同じ特徴を備えています。一方、同時期の西北九州や東日本から出土する人骨は、そうした特長は見られず身長も縄文人同様の低身長です。
これらのことから、縄文時代晩期から弥生時代にかけて中国大陸や朝鮮半島から人々が日本列島に渡来したが、渡来系の人々の数はそう多くなく、北部九州周辺に分布する程度であったことが窺えます。

1661S.jpg
いずれにせよ、縄文から弥生にかけて人工が爆発的に増加したことは事実の様ですが、渡来人が大量(数百万規模)に来たという説と稲作の定着による人口増加とは微妙にかみ合いません。
前者だと文化の違う人種との劇的な婚姻形態の変化があったかも知れない。また後者は徐々に混血していったという形態が想像できます。
・・・もう少し追求したいと思います。
by ヨネ

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comments

女性の地位が高かったクレタ文明から、明らかに不当なミケーネ文明に転換したのは、やはり女の浮気が恐ろしかったからなのでしょうか?
>女子は厳重に隔離されているにもかかわらず、しばしば夫を欺く方法を見出した。
どんなに厳しく禁じても、やっぱり父系制においては女の浮気心は止められないものなんですかねー・・・(^^;

  • 春風
  • 2006年11月24日 20:14

春風さん、コメントありがとう。
クレタ文明からミケーネ文明に移行したのは、クレタ文明がミケーネ文明のアカイア人に滅ぼされたからです(天災説もあるようですが…)。
それぞれ出自を別にする集団なのです。
それに母系制では“浮気”ってなかったと思います。
私有婚では女の浮気って、なかなかなくならないようで、次のローマ時代はもっとすごいことになったみたいです。
平和と繁栄がよみがえるにつれ貞節道徳が崩れ、男女は奔放さを互いに競ったと報告されています。(以下『古代社会』より)
>女子の本来の控え目は漸次ますますなくなり、贅沢と浪費が極めて盛んになった。
そして多くの女子については、
「私の妻は生意気で、これ見よがしにしゃべりまわり、傲然(ごうぜん:偉そうに人を見下すさま)としており、ぜいたく屋で威張り散らす」
と言われたのであった。
多数のローマ貴婦人は、夫から無視されるのを埋合わせるために、貴婦人の護衛という口実で、始終、彼女に随行する彼女自身の愛人をもった。
この当然の結果として、独身生活がたえず男子の間に増加し、また離婚に関してはきわめて軽率な行為が存在した。
日本のバブル時代を見るような… ^_^;
『夫から無視されるのを埋合わせるために』がポイントかも。

  • 2006年11月25日 02:28

??その後。

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