2009年10月30日
始原人類の婚姻制 ⑤ 『交叉婚』
シリーズ“始原人類の婚姻制”。第1回から振り返ると、①原始婚と性習俗、②エスキモー族の風習、③『風土、生産様式、婚姻制』と来て、前回は、始原人類の婚姻制 ④『 兄妹婚 』について紹介しました。いよいよ、具体的に始原人類の婚姻に踏み込んだ内容でしたね。
今回は、前回に引き続いて、漁労・採取部族だった始原人類の次の婚姻様式「交叉(こうさ)婚」について紹介します。
またまた耳慣れない婚姻様式が出てきたと思われたかもしれません。しかし、実は、交叉婚は世界各地で行われていた、もしくは今でも行われている婚姻様式です。さて、どんな婚姻様式なのでしょう。
・・・・・・その前に、みなさんにお願いがあります。それは、是非、ご自分が始原人類になった状態をイメージしてから読んで頂ければ、ということです。
個人が原点であり、男女一対の自由恋愛による結婚が当たり前と思っている私たちは、集団を原点とする「婚姻規範」等になかなか馴染めません。しかし、考えてみてください。あらゆる道具が満足にない中で、自給自足で、食べるものに乏しく、病気になったら医者も薬もない状態だったら・・・あなたはどうしますか?そんなことをイメージしたときに湧き起こる感覚をもって、読んでもらえれば嬉しいです。
では、るいネットの投稿『「交叉婚」の集団性は?』より引用し、以下に続きます。
■■■「交叉婚」の集団性は?(前半)■■■
~前略~ トリブリアンド島の事例、たいへん参考になります。以下の点についても、観察、見解などありましたら教えて下さい。
トリブリアンド島以外に、オーストラリアのカミラロイ族やハワイでも見られた交叉婚は、兄妹婚をとっていた採集生産部族が、生産力の上昇に伴い人数規模が拡大する過程で、兄弟婚をアレンジしてできた様式だと考えています。
~もとは、ひとつの氏だった“部族”が縄張り拡大に伴って、母系でたどれる血縁を基準に “氏族” に分割し、その中で兄妹婚を踏襲していた。~が、世代を経ると、他氏族間の交流が減るので、氏族単位での閉鎖性が強まるとともに、部族としての統合力が下がってくる。~ここで改めて、部族としての統合力を高めるために、氏族内の兄妹婚を禁止し、(部族内かつ他氏族の兄たちと妹たち=)従兄たちと従妹たちとの婚姻を規範とした。~という具合です。
言葉で書かれてもわかりづらいと思いますので、前回の「兄妹婚」を含めて、漁労採取民族の婚姻史を概念図としてまとめてみました。(なんでや劇場資料7 先史人類の婚姻史(H18.9.24)より該当部分を抜粋して示します)
↓↓↓↓↓こんな感じです↓↓↓↓↓
引用文の、交叉婚が「氏族内の兄妹婚を禁止し、(部族内かつ他氏族の兄たちと妹たち=)従兄たちと従妹たちとの婚姻を規範とした」ものだ、というあたりがわかりましたか?漁労・採取部族の集団規模の拡大、それに伴う集団の変化を理解するのに役立てばと思います。
■■■「交叉婚」の集団性は?(後半)■■■
ここで私が驚いたのは、採取時代の人類は、男女の婚姻関係・性関係が、“集団統合上の重要課題である”ことを、ごく当たり前のように認識していたと思われることです。
現在の男女関係は、その大部分が個人の自由に委ねられており、一見、これとは無関係に社会は成立しているように見えます。しかし実は、現在も社会を最基底部で規定しているのは、採取時代と同様に男女関係なのではないでしょうか?
もう1点着目しておきたいのは、交叉婚でも婚姻相手の単位は“個人”ではなく、“集団”であるという点です。採集生産系の民族では、その後、私財(権)の発生に伴ない姉妹集団が個人に分断されてきますが、それまでは、男女関係においても“私”が集団統合上の問題として登場することはなかったのでしょう。
上記の捉え方については、ほかの婚姻様式でも検証・対比していきたいところです。
冒頭に述べた、始原人類になったイメージ・感覚をもってみると、苦楽を共にし、安心を与えてくれる仲間=集団は何にも変えがたい存在であっただろうと思えてきます。大切な仲間は多いほうがよく、子供が生まれると皆で喜んで迎えたのでしょう。
そのように考えると、単位集団を氏族集団に分割するのは、とてもつらい事だったのではないかと思えます。皆が強い絆で結ばれた集団にとっては、色々な意味で「皆が一緒に居ることが一番」。食糧確保等の事情があるにせよ、それを分割するのは、相当の決断が必要だったのではないでしょうか。
氏族集団に分かれた後も、各集団の独立性を廃し結束を保つ必要があったのは、適応のため「皆が一緒にいることが一番」という精神に貫かれていたためと思います。交叉婚の婚姻様式も、そのような始原の集団性を背景にして、それを保つために生まれたのではないかと思えてきました。
- posted by hayabusa at : 2009年10月30日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
本当に10年前では想像も付かないような、ネット環境の変化ですね。
①ハードの普及がほぼ終了
◆携帯電話は、(高校生以上の大人に)ほぼ100%近く普及。
◆パソコンも、ほとんどの家庭で(高齢者はまだ?)ほとんど普及。
②情報の蓄積が充実して、何でもまずはネットで調べるようになってきた。
◆買い物、旅行、料理(レシピ)、映画予約、レストラン探し~予約などなど、ネットでの調べ物が常識化してきた。
③生産者と消費者が、ネット上で直接関係になる。
◆地方の特産品店も、ネットでうまく宣伝すれば、宅配便とで全国のお客と対峙できるように成って来た。そのおかげで、既存の流通は衰退するかも。
④ネットを利用した解脱の意見交換は、失速してきた。
また、2チャンネルの勢いも小さくなってきて、芸能人はじめブログ女王などもアクセス数が減少してきている。
つまり、情報探索と出来るネットの箱はどんどん普及し活用するようになったが、相互意見交換が出来る分野では、中身が伴わない解脱だけでは続かない(飽きてきた)。
そろそろ、中身を伴う意見交換(=共認)の形式が求められ始めているのだと思う。
るいネット、関係衛星サイトの訪問者も(中身充実と営業しだいで)これから増えてくるのだろう。
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