2010年01月09日
平塚らいてうが目指した「女性解放」とは

今日は、女性解放運動の先駆者として有名な平塚らいてうさんについての投稿をるいネットから紹介したいと思います。
「女は太陽」という文言や与謝野晶子さんとの母性保護論争など多くのエピソードを残した平塚雷鳥。
彼女が目指した女性解放はどんな物だったのでしょうか。
最近は「女性解放運動」という言葉自体殆ど聞かなくなりました。
戦後の女性運動はやがて単なる要求運動へと成り下がってしまいます。豊かさが実現された今、多くの人はそこに魅力も可能性も感じなくなったのが原因と思われますが、
かつて平塚が目指した女性解放の真意は何だったのでしょうか。
いま改めて振り返ってみたいと思います。
以下、るいネット・西村秀彦さんの投稿、
「女性の社会進出」からの引用です。

(画像は婦人文芸誌「青鞜」の創刊号)
『元始、女性は実に太陽であった。』
平塚雷鳥により、1911年に婦人文芸誌「青鞜」創刊の辞に記された有名な文言である。
この一文は、そして平塚雷鳥は近代の女性運動の象徴としてしばしば取り上げられる。
しかし、この初期の女性運動は、男女同権を求めるものでも、女性の権利を主張するものでもなかった。
私権時代に抑圧されてきた女としての役割を、社会においてまっとうに果たしたいという思いが根底にあった。
それは、同じ創刊の辞の後半部に見ることができる。
『 ~前略~ 女子が男子と同等の教育の機会を与えられていない現状は残念ではあるが、致命的ではない。知識は真の智への手段の一つに過ぎない。学者であって真を見ること困難な盲者は、男性にも多い。無暗に男性を羨み、男性に真似て、彼等の歩んだ同じ道を少し遅れて歩もうとする女性を、私は見たくない。 ~中略~ 然らば私の希う真の自由とは解放とは何だろう。潜める天才を、偉大なる潜在能力を十二分に発揮させる事に外ならぬ。 ~後略~ 』
この素直な女の社会的役割欠乏が権利要求運動へと歪曲されていったのは、欧米近代思想(個人主義、女権論~男女同権論etc.)の流入によるところが大きい。だが、そうした事実根拠の無い権利要求運動が、何をもたらしたかといえば社会の閉塞である。
そして、そんな運動に対しては人々の違和感も強まってきている。>女性が社会進出を目指したのは、決して男と同じ役割を欲したり、権利を主張する為ではない。ましてや社会閉塞をもたらすためなどではあるはずもない。
男と社会的課題を共有して女の担う役割を果たし、共認充足を得る為であったはずだ。
そんな社会進出の実現態のひとつが、辻さんの投稿にあるように感じた。> そこで店主をやる気にさせた最大の活力源は、彼女たちの答え期待の圧力だった。なんでに答え始めると、待ってましたと言わんばかりに真剣に聞き始める。こちらも彼女らの期待に応えて答えを紡ぎ、彼女らもリアルタイムで評価(反応)する。羅針盤でもある。<
> こちらも自然と(立ち見のお客さんも含め)彼女たちに、もっといい女になって(男たちに闘争期待を加えて)と期待をかける。
脇では弟子が必死でメモを取ったり、ぶつぶつと復唱して覚えようとしている。女たちは彼にも優しい眼差しで期待を加えている。
蒸し暑さも忘れさせるほど、充足感があふれた場になった。<(同上)
このようにして『潜める天才』を発揮する女はまさに『太陽』である。 これが、今みんなが必要としている女性の社会進出だ。 そして、そんな『太陽』に照らされて、男はみんなが求める答えを出すべく闘っていくのだ。以上、引用終わり。
こうして見てみると、平塚雷鳥さんが目指した女性の解放とは、女性の「性」を肯定し、社会の中でそれを如何に役立てて行くかという点にあったことが分かります。
女性運動は、昨今のそれだけを見てしまうとそうしても要求運動の観を否めませんが、
平塚さんが目指した「女性解放」とは個人主義でも男女同権でもなく、まさに社会に向けての女性の充足可能性の追求に他ならなかったと言えるのではないでしょうか。
- by yama33
- at 00:03



comments
明治時代に女たちが「女性たちの生き方」を探求していた時期があった。
働く女性と子育てについて大正の昔に与謝野晶子と平塚らいてうで繰り広げられた「母性保護論争」です。
この母性保護論争は子産み子育てと仕事の関係について論じた古典の中で、平塚は、「子育て環境(=経済支援)を国家が行うべきだ」と唱えたのに対して、与謝野は「男にも国家にも頼らず女も経済的自立すべきだ」と論議しています。
時代は、江戸時代の鎖国から明治の開国へと世界の列強各国の中に日本が市場開放されていく時代です。
明治政府は急激な「文明化」を図り、明治憲法の家長制度を定め、工業化~農村から都市への流出が進み、以前のような農村共同体の中にあった女性たちの役割も無くなり、「女性たちの生き方」が問われだしたのでした。
そして、日本は1868年に鎖国時代に世界に国を開放して市場社会に突入して132年が経った。
当時の「女性の役割」(≒社会の仕組みそのもの)を、改めて議論すべき状況に来たと思います。
>女性の「性」を肯定し、社会の中でそれを如何に役立てて行く<
雷鳥が求めた本来の女の役割とは、周りに期待をかけ、自らは充足存在となることであったのではないか。つまり、性的充足存在としての価値を全うしたかったのだと思います。
それは江戸時代までは都市部の支配層を除きその下に位置する共同体においてはごく普通に女の役割として集団から期待されていたものなのだと思う。
(性的価値といってもいわゆる性的”商品価値”ではないでしょうね)
フェミニズム⇒ウーマンリブ⇒ジェンダーフリーと変化してきた近代思想も私権の衰弱と共にその影響力はほとんどなくなってきています。
否定発の思想は、その対象が衰弱すれば衰弱するのは必然だからです。
そのような状況下にもかかわらず声高に叫び続ければ、余計に周りに違和感を与え、バッシングされるのも当然なのでしょう。