2010年01月07日
日本語の成り立ち7~縄文語の復元
日本語の成り立ち6~国内形成論・『日本祖語→弥生語』の仮定~に続いて、いよいよ縄文語の復元です。小泉保著『縄文語の発見』(1998年)より。
(写真は中実遮光器形土偶(縄文晩期)、東京大学総合研究博物館からお借りしました。)
1 縄文語の復元は可能か
縄文語の復元は、日本語の方言についての比較言語学的考察が可能にしてくれる。
①次の4方言を比較しその原形を復元すれば、本土縄文語の姿を取り戻すことができよう。九州の方言、関西の方言、関東の方言、東北の方言 → 本土縄文語
②また琉球列島において次の比較をすれば、琉球語の祖先を突きとめることができるだろう。奄美諸島の方言、沖縄諸島の方言、宮古諸島の方言、八重山諸島の方言 → 琉球縄文語
③さらに「本土縄文語」と「琉球縄文語」を比較することにより、「原縄文語」を再構成することができるはずである。
④弥生語は北九州において成立し、やがて畿内に移動したという見解が有力である。そこで「北九州言語が渡来人の言語の影響を受けて弥生語となった」として九州縄文語を再現しよう。九州縄文語は琉球縄文語によってその原形をうかがい知ることができるであろう。
だが、これ以外に有力な縄文語の候補がある。まず、この辺りから手をつけていこう。
応援よろしく by岡
2 縄文語を探し出す方法
縄文語を探し出すには、柳田國男氏の提唱する「方言周圏論」が有力な武器になる。
氏の『蝸牛考』(1930)ではカタツムリの異名について考証しており、「デデムシ」は近畿を中心に中国地方へと延び、その外側の関東や北九州では「マイマイ」と呼ばれている。
東北の秋田および四国西部では「カタツムリ」、九州熊本辺では「ツムリ」の形が残っている。また、東北の青森と九州中部では「ナメクジ」と称している。
これを図式化すると、近畿を中心に同心円を描いて日本の東北部と南西部へと分布していることが分かる。
柳田氏は、中央部の近畿から、デデムシ>マイマイ>カタツムリという順に新しい呼称を次ぎ次ぎに送り出した結果、これが波紋状に全国へ広がっていくので、末端の地域により古い形が残存する傾向がある、このため、北奥地方や沖縄・南九州に類似した語形が保存される、と説明している。
同じく中本正智氏(1985)も「文化と言語の動きをみると、強文化圏では言語が新しく生まれ、周辺の弱文化圏では古層を残しやすい。東北と琉球のように地理的に遠く離れても、古層同士で類似した語形を認めることができる。」としている。
3 カオとツラ
方言周圏論と一致する語として「顔」がある。「顔」は「カオ」と「ツラ」二様の言い方がある。
『日本言語地図』(1968)によれば、「カオ」(古くはカホ)は日本の中央部、すなわち近畿、中国、四国で用いられているが、東北地方一帯と九州南部は同じく「ツラ」である。しかも沖縄本島では「チラ」と呼ばれている。
なお、関東や近畿の一部ではツラとカオが共存している。
ともかく、「ツラ」「チラ」は形質的に縄文人の直流と考えられる人たちの居住する地域で使われているから縄文語と見なすことができよう。すると「カホ」は弥生語に相当することになる。
4 トンボの原形
トンボの古語は「蜻蛉(あきづ)」である。
トンボの方言分布
(東北岩手) (本州中央部) (九州宮崎) (沖縄本島)
アケズ トンボ アケズ アケージュー
アケズの変異形を地域別にまとめ、各地域の再構形をさらに広範囲の地域へと総括しながら、最終的な推定原形を導きだすと、アケズの原形「アゲンヅ」こそ諸方言に分布する以前の原日本語の姿を映し出していると考えていいだろう。
(東日本)アケズ ← *アゲンズ ←┐
(西日本)アキヅ ← *アケヅ ←┼─ *アゲンヅ
(琉球) *アゲンヅ ←┘
「ゲ」は、清音の「ケ」と濁音の「ゲ」の中間音「ゲ」を設定し(半有声と呼ばれている)、仮名を青色で表わす。清音と濁音のどっちつかずの音と考えていただきたい。
「ズ」はいわゆるズーズー弁の「ズ」で、「ズ」の「ウ」は、舌の位置が共通語の「ウ」よりもやや前進している。ここでは仮名を紫色で書いて、中舌のウであることを示す。
なお、想定形には*印をつける決まりがある。
5 縄文期における原日本語
周辺言語との同系性を証明する比較方法の手がかりがつかめないとするならば、日本語は、日本列島が孤立して以来1万年の間に、この島国の中で形成されたと考えなければならない。縄文文化が醸成されるのと歩調を合わせる形で、異質の複数言語が競合しながら次第に統一され原日本語が定立されたと推測するしかないだろう。
だがここに原日本語の姿をおぼろげながら垣間見ることができる。これは、比較言語学の手法によって再構築された「アゲンヅ」の原形に含有されている半有声の「ゲ」や前鼻音子音「ンヅ」である。これらの音は理論的に設定されたものであるが、実際には東北地方で今も聞かれる半有声の「ゲ」や入りわたり鼻音「ンド」に近似していると思われる。
すると、東北方言の子音は原日本語のすくなくとも縄文後期の音形をよく保持していると言えよう。
6 東北方言の特徴と分布
改めて東北方言の特徴を確認しておこう。
(1)母音
a.語頭では、母音の「イ」と「エ」が合体して、その中間音が用いられる。共通語の「エ」よりも舌の位置がやや高めの「エ」で、「イ」とも「エ」とも聞こえる。
例えば「息」イキも「駅」エキも、ともに「エギ」となる。
b.舌の位置が少し後退した中舌の「イ」と舌の位置が少し前進した中舌の「ウ」をもっている。
このため、「シ・チ・ジ」と「ス・ツ・ズ」の区別が失われる。
(2)子音
a.語中ではカ行音とタ行音が濁音(有声)化する。
例:「赤」アガ、「底」ソゴ、「肩」カダ、「跡」アド
b.語中のガ行音、ザ行音、ダ行音、バ行音の子音は前鼻音を帯びている。
例:「籠」カンゴ、「窓」マンド、「壁」カンベ
こうした東北弁的特徴を念頭において、それぞれの特徴が全国的にどのような分布をなしているか調べてみよう。
①イとエの区別がない地域
仙台や新潟では、「胃」イと「柄」エがともに「エ」となる。富山と能登半島や金沢付近、島根県の出雲でも同様な現象が見られる。
②中舌化した「シ」と「ス」の分布
南奥羽型の「ス」に対して、北奥羽型の「シ」は青森、秋田、山形、新潟と日本海の沿岸に広がり、富山、能登と飛び石状に西へのびて出雲まで及んでいる。
7 出雲方言の地位
出雲方言が東北系であることは疑う余地がない。
(1)イとエの中間音「エ」が用いられる
「命」エノチ、「犬」エノ、「枝」エダ
(2)中舌の「イ」と「ウ」をもっている
「炭」シミ、「月」チクイ、「櫛」クシ、「海」ウミ
(3)「シ」と「ス」、「チ」と「ツ」、「ジ」と「ズ」の区別がない
「乳」と「土」はともに「チチ」 「口」と「靴」はともに「クチ」
大昔に東北の人々が大挙して出雲に引っ越してきたとは考えられないので、出雲地方の言葉はずっと以前から東北弁の系列に属していたと推定するのが穏当であろう。
しかも出雲地方と東北地方とのつなぎとして、新潟、富山、石川県にも東北型の方言特徴が残されている。
以上から、かつて日本海沿岸は北の津軽から西の出雲に至るまで東北弁が話されていたと推測される。
8 裏日本方言
筆者は、縄文晩期の時点では、縄文語は裏日本方言と表日本方言それに九州方言に大別できるのではないかと考えている。また九州縄文語から琉球縄文語が分派したと推測される。そして、北九州に侵入してきた渡来人が、九州縄文語を基にして弥生語を作り出したというシナリオを描いている。ここにアクセントの問題がからんでくる。(次回の投稿で)
弥生期に入り大和政権が琵琶湖を北上して若狭に進出したため、京都と兵庫が弥生化し、福井、石川、鳥取の一部がその影響を受けることになった。
現在では、縄文語が東北弁で代表され、弥生語は直系の関西弁となっている。福井~新潟は関西弁の勢力下にありながら東北弁的性格を保持している。
このように、日本海沿岸の旧縄文語地帯が次第に弥生語に蚕食された結果が現代のような虫食い状の方言様相を招いたことになる。
9 裏日本的母音の分布
天孫族すなわち大和系の弥生語と、これに対抗する土着の縄文語の代表ともいえる裏日本語は、次のような全国的分布をなしていたと推定できる。
裏日本語は、縄文語の直流として、弥生前期において、現在よりもさらに広範囲に山陰、北陸、信濃北部と東北および関東の全域を占めていたと考えていいだろう。
10 縄文語の子音
縄文語の母音として中舌母音をもつ裏日本方言の母音体系を復元したが、
子音の方は有声音の鼻音化、すなわち鼻にかかる濁音に解明の鍵がある。
右の濁音と鼻音化濁音の分布図を参照されたい。
濁音化、鼻音化は、九州南部、四国の南辺、紀伊半島の南部というように、まさに西部日本の外縁をふちどっている。
有声音の鼻音化は東北方言の個性的特徴であるし、これが室町時代以前に遡及する発音方法であったことから、かつて山陽、近畿、四国、九州全域にもこうした東北弁的濁音が用いられていたことを暗示しているように思える。
すなわち、弥生語が形成される直前の今から2500年前ごろ、日本全土で東北弁を基調とした縄文語の子音が使用されていたと推測してよいではないかと思う。
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いかがですか?少し長くなりましたが、見事に縄文後期の縄文語が復元されましたね。東北弁で代表されるんですね。
歴史的にも東北は、12世紀においても奥州藤原氏三代の治世下で独立していたし、頼朝による奥州征伐後も中央政権の興亡からは圏外であった。戦国時代と江戸時代にあっても地方分権的支配体制だったので、各方言はかえって固定化してしまった。
新井白石も南部藩の武士の使う言葉を聞いて、「物云ひ、鼻よりうめき出て、世の人、聞き分くべきとも覚えぬ」と、まるで異界の生物であるかのように記しているそうです。
では、次回は「弥生語の成立」です。お楽しみに~
- posted by okatti at : 2010年01月07日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
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comments
交叉婚って一見、凄くややこしい制度に感じてしまいますが、部署移動をイメージするとその本質が解ると言うのは面白いですね。
集団の統合力UPを図った背景には、やはり他部族との関係性、同類闘争の圧力があるのでしょうか。
部族間の緊張が高まる中で、自部族の統合を図る必要があった。
そう考えると、カミラロイも北米インディアンも集団間の緊張が強い部族なので、納得です。
>オーストラリア原住民のカミラロイ族は、6つの氏族に重なる4つの婚姻班があり、第1班の姉妹たち(or兄弟たち)は第4班の兄弟たち(or姉妹たち)とのみ通婚が許され、第1班の女と第4班の男の間にできた子はと第3班の属する等の取り決めがある。(第1班と第3班は同系の胞族なので、子供は広義の母系氏族に所属することになる。)
これってすごい複雑ですね。一読しただけではよくわかりませんでした…
こんな複雑なシステムをつくりあげるほど、集団統合の必要性が高く、かつ困難だったということなのでしょうね。
>その打開策が先の交叉婚だった
閉鎖性は集団にとって、発展性を感じませんね。
よく考えられていて、感心しました。
>この時代はまだ近代のように個人が婚姻単位であるという発想は無く、集団が婚姻の単位であったという点です。<
集団が婚姻単位だったから、そこで生まれる子供も、当然、その集団・部族の子供として、みんなに庇護され教育され育ていったのだと思います。
現在の母親の子育て不安や様々な事件に対する答を出すためにも、集団と婚姻との関係を見直す時代になってきたのでは?と思いました。
>分派・独立してゆく単位集団が多発し、そのような部族は集団崩壊と言う危機的状況になった。
確かに、閉鎖性を強めた集団とは、協力関係が築けなくなりそうです。集団統合のため、婚姻を活用しているのが、面白いと思いました。
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