2010年07月28日
「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」7.生産課題から切り離された子育ては、異常なのかも知れない

前回の記事(「本格追求シリーズ3 共同体社会に学ぶ子育て」6.子替えの仕組み)に引き続き、今日は、その後の明治から昭和初期の子育ての特徴について見ていきたいと思います。
上の写真は、この時代によく使われた「いずめ」と呼ばれる子育て道具です。この頃のお母さんは、この「いずめ」をよく使っていました。では、どんな子育てをしていたのでしょうか?
前回までの記事はこちらです。
第1回:プロローグ
第2回:現代社会の子育て問題の実態
第3回:現代社会の子育て問題の実態2
第4回:現代社会をめぐる子育ての意識潮流
第5回:江戸に学ぶ人育て人づくり
第6回:子替えの仕組み
江戸後期では、村落共同体の中で「子替えの仕組み」が作られ、互いに相手の家の子を預かり育てていました。そして、共同体の子は、その共同体みんなの子として成長していきます。
その後、明治~昭和期では、子育てはどのように行われたのでしょうか?
以下、るいネットより紹介します。
日本の伝統的な子育て(明治~1960年代) 1
日本の伝統的な子育て(明治~1960年代) 2
■労働する母親昭和初期まで、母親は生産活動の中心であり、子供とべったりではなかったようです。 では、集団(共同体)と母親、子供の関係は、どうなっていたのでしょうか? るいネット「日本の伝統的な子育て」を読んでより紹介します。
昭和期の大半を通して、広く行われていた子育ては、労働のかたわらに行うのもだった。母親の労働とは、農業や商業などの家業が中心。母親たちはどうやって家業と子育てを両立させていたのか?
「いずめ(いいづめ)」または「えじこ」などと呼ばれる、独特の子育て道具があった。
昼間に農作業をするとき、いずめに入れて作業現場まで連れて行く。いずめに入れておけば自由に動き回れないから何とか仕事ができる。一方、動きまわれなくしてしまうことは、子供にとっては危険と隣り合わせの手をかけられないやり方だった。注)「いずめ」とは?(リンク)
いずめとは、今でいう、ベビーラックでしょうか?昔は、杉の桶の底に「もぐ」と言われる藻を乾燥させたものを敷いて、その上におしりを出した赤ちゃを座らせ、その上から布団や紐で動かないようにして、囲炉裏のそばや農作業の傍らに置いてあやしたそうです。■母乳及び授乳の役割
ほとんどが母乳だったが、授乳の回数が昼間少なくなりがちだった。農繁期には、暑さも重なり水分不足で体力を消耗して死亡に至る子供が増えた。労働に忙しい母親には、授乳さえも許される行為ではなかった。
授乳を規則的にするという風習はなかったが、「泣けば飲ます」ほどの自由も母親に与えられてはいなかった。第一に、母親の労働、第二に子どもの要求だった。不規則な授乳は、子どもの消化器に負担がかかるため「下痢や腸炎」になって、命を落とす子も多かった。
■添い寝
添い寝は、おんぶとともに日本人の母子の身体的な接触による親密さを象徴すると考えられてきた。1950年代の終わりの調査では、平均終了年齢は、東京のサラリーマン家庭で4歳、地方農村では8~9歳だった。
■おんぶ
赤ちゃんを背負いながらも両手が使えるおんぶは、人手を増やさずに子どもを育てるやり方。おんぶという風習があったからこそ、母親は乳児を連れて工場へ労働にいくことができたし、年端の行かない子どもにも子守ができた。
(コメント)私の母達が子供の頃も、まだ姉が弟達の面倒を見るのは当たり前だったと聞きました。母親が農作業を行う時、小さい子供達の面倒は、地域の高齢者や年上の姉がみていました。地域及び家庭の中に、母親の生産活動を支える役割があったんですね。
そもそも、昔の子育てとは、集団をどうやって維持していくか?という共同体みんなの共通課題の中の一部でした。だから、集団を維持するための闘争課題(労働)を担いながらできる「子育て」であり、言葉は変ですが、「闘争のための子育て」であるように思います。翻って現代の子育てはというと、まさに「子供のための子育て」。子供が健全に育つためには何をさせればいいのか?何を食べさせればいいのか?などなど、細々した所まで子供のことを考えて、子供のためにせっせと大人が動いています。一見、こっちの方が子供のために良さそうなのに、それでは失敗するということは、日々起きる悲惨な事件を見れば明らかです。
「子供のための子育て」では破綻するということは、母親が何らかの外圧⇒課題がある集団に属し、その圧力を受けることで、初めて子育ても真っ当な課題となり、活力が湧くということを意味しているのではないでしょうか。ただひたすら子供を見つめていても答えは出てこない。育てる人たちがまず大きな課題に向かい、その中で子育てをどうするかと考えることが、真っ当な子育てにつながるのではないかと思います。
昭和初期までの子育てを見ていくと、農村や商店等の生産の場で子育てをしているという特徴があります。子育て以前に、母親には、生産者としての役割があり、生産という課題を中心とした共認充足があります。
本来「子育て」とは、生産と一体であり社会と繋がっている行為だったのではないでしょうか?
戦後、そこが切り離されたことが、現在の母親の「子育て不安」を生み出した根本原因だと考えられます。子育てが、生産活動を通じて集団・社会と繋がっていたからこそ、子はみんなの子でもあったのです。
専業主婦として生産・社会と切り離された家庭:「密室空間」の中で子育てをする方が、歴史を振り返っても非常に特殊であり、短期間だったのではないでしょうか。
写真はこちらからお借りしました。
テーマ展 「結婚・子育て・山里のくらし ―昭和のかあちゃん―」
ケペル先生のブログ
- by yooten
- at 23:07


昭和期の大半を通して、広く行われていた
ほとんどが母乳だったが、授乳の回数が昼間少なくなりがちだった。農繁期には、暑さも重なり水分不足で体力を消耗して死亡に至る子供が増えた。労働に忙しい母親には、授乳さえも許される行為ではなかった。
赤ちゃんを背負いながらも両手が使えるおんぶは、人手を増やさずに子どもを育てるやり方。
comments
>「闘争のための子育て」
この視点は興味深いですね。直感的には子どものための子育ての方がいい気はしますが、そうではないことを示唆するような現実。
この視点は継続して考えてみようと思います。
>「子供のための子育て」では破綻するということは、母親が何らかの外圧⇒課題がある集団に属し、その圧力を受けることで、初めて子育ても真っ当な課題となり、活力が湧くということを意味しているのではないでしょうか。
と言う分析は凄く的を得ていると思います。
母親が生産課題の中にあることで充足するのはもちろん、子供にとっても外圧の中で育つと言うのが重要に思います。
>子育て以前に、母親には、生産者としての役割があり、生産という課題を中心とした共認充足があります。
赤ちゃんの夜泣きは、母親の不安が原因と聞いたことがあります。赤ちゃんは100%同化存在なので、母親の精神の影響を大きく受けるようです。紹介していただいた昔の母親達は、生産という課題を通じて集団とつながり、充足を感じることで、安定していたのかもしれませんね。それが子育てにも良い影響を及ぼしていたのではないでしょうか。
>専業主婦として生産・社会と切り離された家庭:「密室空間」の中で子育てをする方が、歴史を振り返っても非常に特殊であり…
確かに。この視点は非常に重要だと思います。
少子化対策など厚生労働省がいろいろと動いはているようですが、
これは社会全体の仕組みの問題であり、
ある一セクションが動いたところで解決する問題ではないことは明らかですね。
現代の子育てパパの姿勢は大変過剰な行為であることが分かりました。
ありがとうございました。