2010年07月27日
日本人の可能性⑥~”考えない日本人”のこれからの可能性はどこにあるか?
こんにちは。
こちらのブログには初参加です、今後ともヨロシクお願いします♪
さて、「日本人の可能性」シリーズ、第6回目をお届けします。
今回のテーマは“考えない日本人”の可能性、、、一緒に“考え”ましょうネ。
日本人の可能性①~日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理
日本人の可能性②~西欧と日本の階層意識の違い
日本人の可能性③~西洋と東洋の民主制の違い
日本人の可能性④~共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い
日本人の可能性⑤~日本人(=縄文人)の持つ舶来信仰を「るいネット」から紹介する
応援クリックよろしくです。
まずは“考えない日本人”~日本人の弱点構造から。
るいネットより紹介します。
●考えない日本人
先に紹介した投稿の中で、舶来信仰の中身と出所が押さえられていますが、その本質は縄文時代1万年間の間に断続的に流れてきた渡来民、漂着民の受け入れの歴史です。
日本列島の地理的特徴は大陸の東の最果てという場所でかつ島国であるという特徴です。
縄文人は長い年月を通じて戦闘の意思を持たない渡来民を受け入れてきています。そして彼らから少なからず大陸の文化や知識、情報を入手してきました。舶来信仰の中身とは外から来る人・モノ・情報を全て肯定的にまずは受け入れるという積極性であり、警戒心のなさであり、好奇心の強さでもあります。この時代、中国での文化は一歩も二歩も進んでいます。それらの受け取りを繰り返すうちに大陸文化=得がたいものというように舶来志向は舶来信仰へと上昇していきます。
さらに舶来化に拍車をかけたのが縄文人の贈与体質です。良い物は進んで受け入れて回りに与えていく。その事によって舶来の品々や情報はあっという間に広がっていきます。すでに縄文時代晩期に形成されていた贈与ネットワークを通じて大陸の情報は大衆レベルであっという間に伝播して言ったのだと思います。
この間、縄文人は何を考えたのでしょうか? 日本人は何を考えたのでしょうか?
いかに進んで舶来のよいものを取り入れ、真似をし、伝えていくか。一歩でも一時でも早くそれらを取り入れたものが優位に立つ。その繰り返しで、日本をどうする?とか、日本とは何か?などを正面から考える事はなかったのではないかと思います。幕末の攘夷思想がそれに相当しますが、それとて、所詮縄張り争いの道具に過ぎません。第2次大戦の国家戦略にしても海軍と陸軍の縄張り争いに終始し、本当の敵(アメリカ)に対してどうする?は誰もまともに考えていませんでした。だから信じられないような戦局で壊滅的な敗戦をしました。
その意味では日本人は、所属する集団をどうすると考えるのが限界で、縄文時代の集団統合観念を時々に適用させていたに過ぎないと思います。
何か事あれば受け入れ体質―舶来信仰で国家間の外圧に対峙してきた日本は、一度も本気で「どうする?」を考えた事がない稀有な民族かもしれません。
確かに日本人は、自集団を超えて“社会をどうする?”とか“日本をどうする?”などと、本気で考えた事は無かったのでしょう。
その象徴が天皇(制)であると、個人的には思っています。
なぜ何も考えなかったのか、考えなくても済まされてきたのかと言えば、そのような課題に直面する事が無かったからであり、外圧を受ける側にとってみれば受容れるか拒否するかの“選択”だけを考えれば済んでいたということでしょう。逆に侵略者にとっては、この国をどうする?どう統合する?と真剣に考える必要があったわけです。(戦後のアメリカによる洗脳政策などはお見事というしかないですね)
ところが現代においては欧米の侵略者たちの社会秩序(=市場原理社会)が悉く崩れている段階であり、秩序崩壊という未だ嘗て経験した事の無い危機的な状況を迎えつつあります。
このような状況において日本人は考え始めるのでしょうか?可能性の基盤はどこにあるのでしょうか?
るいネットより続きを紹介します。
●これからの可能性はどこにあるか?
これまで一度も”考えた事がない”日本人。これからの四回目の変化はもう真似る対象がいません。その意味ではここで初めて考える必要に迫られた状況が登場しました。ひとつの可能性として先の投稿の最後の部分を紹介しておきたいと思います。
>受け入れ体質の奥にあるどれだけ受け入れても決して変らない強いものがあるのではないかと思うのです。
>「変わらない強いもの」の究極の正体は、様々な外圧に対する“当事者意識”が長く残存したことではないでしょうか。社会圧力=私権闘争圧力に関してのみは当事者ではなかったでしょうが、それ以外の自然圧力、村内のもめ事、隣接する村とのいざこざなどあらゆることを自分たちで解決する(支配者層は関知しない)自治権を持っていたことが大きいと思われます。勿論、村(集団)内は本源共認が残存していたことが前提になります。縄文人の本源性解明が“当事者論”とつながる予感がしています。
これらのヒントも加えながら”考えない日本人”はどのようにすれば「考える日本人」に変わっていけるか?をこれから考えていきたいと思います。私にはこの日本の「舶来信仰」の歴史を識り、四回目はないという事で覚悟を決めるところから始まるように思います。
その為に必要なのが「受け取る」日本人がこれまでしてこなかった「発信」にあるのだと思います。
私権原理から共認原理に転換した現在において、必要なのは新たな観念体系であり、新たな秩序の構築である。その実現基盤はすでにこれまで紹介されている。
・新たな観念体系をつくり出すには、自然への同一視、共同性を母胎とした、現実直視の東洋の観念体系にこそ可能性がある。(日本人の可能性④~共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い)
・その為には、「個人の自由で主体的な判断」の西洋型民主性よりも「皆で知恵を出し合って考える」日本型の方が適している。(日本人の可能性③~西洋と東洋の民主制の違い)
・だから、“周りが全て敵”で階層意識の強い西洋よりも、皆に開かれている日本の方が実現可能性が高い。
(日本人の可能性②~西欧と日本の階層意識の違い)
・何より、日本人の特徴たる勤勉さは充足発のものである。
(日本人の可能性①~日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理)
これまで日本人は自集団の枠を超えて考えることが無かったわけですが、自集団の課題における当事者意識は高かったわけです。所属する会社をどうする?という課題は多くの企業が直面している事であり、それは突き詰めれば社会をどうする?という課題と同義でしょう。
そして、自集団を超えて社会を考える潮流は、すでにネットの発信において多く見られるようになりました。日本人の可能性は、新たな観念体系による草の根の共認形成の場を如何に形成していけるかにかかっているように思えます。
- posted by nishipa at : 2010年07月27日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comment form