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2010年07月09日

単一起源説vs多地域起源説を切開するvol.7 DNA解析(先端技術に潜む罠)

シリーズ「単一起源説vs多地域起源説を切開する」、今日は第7回をお届けします。
シリーズ「単一起源説vs多地域起源説を切開する」インデックス
  vol.1 『起源説の概要』
  vol.2 『単一起源説を支持する分子遺伝学的証拠とは?』
  vol.3 『ネアンデルタール人、現生人類と交配?』
  vol.4 『DNA解析って何? 』
  vol.5 『DNA解析って何?-2~分子時計』
  vol.6 『DNA解析って何?-3~分子進化系統樹』
前投稿で、
>次回は、「単一起源説vs多地域起源説」という論争の本質とは何か?に迫り、この違和感の正体に迫りたいと思います。
と告知しましたが、ここへ切り込む前に、DNA解析にまつわる素朴な疑問を呈しておきたいと思います。
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    【大三元】HP 引用させていただきました
●一事が万事の疑問

ある縄文人骨のMtDNA(全塩基の1%ほど)がバイカル湖周辺の今の住民のものと一致した。すわ、日本人のルーツはバイカル湖にあり、という論調がある。そのような短兵急な結論めいた言説は学問の進展を阻害するものでありましょう。万年の期間に生まれて死んだ縄文人は何千万人にもなるでありましょう。そのうちのせいぜい二千体(一万分の一、0.01%)でしょうか、が今に残存して、そのうちの極く一部のDNAが調べられ、それもMtDNA16000余塩基の1%ほどが照合されているに過ぎない、と考えますと、まだまだ緒についたばかりなのではないでしょうか。少ない事例から、何かがある、という議論はできても、何かが無い、とか、定量的な何かが多い・少ないという議論はまだ無理なのではないでしょうか。

●統計的配慮

選挙の当確予想、内閣支持率などのサンプル数は約1000と聞きます。これはどうやら答えの(分散の)予想がついていることと、ランダム抽出に配慮がなされているからこの程度のサンプル数で良いのだ、ということのようです。しかし日本人(縄文から現代までの累積)を分類するに際して幾つかのカテゴリーに分類するとして、それぞれのカテゴリーの頻度分散は不明なわけです。それを知ろうとするわけですから。一体幾つくらいのサンプルが必要なのか、是非ともお考え頂きたい、恐らく、それに対して、まだまだ僅かな例しか語れないのではないか。もしそうなら、そういうことを正直に仰って頂きたい。
また、分子人類学が、恐らく病理の研究との関連から発達したことにもよるのでしょう、拝見しているデータが有病者とその家族のもののようで、すなわちサンプリングに偏りがありそうだ、また、縄文人骨は偶然で見つかるわけで雑駁に云って石灰質の多い土壌に住んでいた人のデータですから、とても正規分布からランダム抽出したサンプルとは言えないでしょう。DNAの場合ですと、120あまりのサンプルが60余りのパターンを有していた、すなわち、同じパターンは2人ほどしか共有していない、というデータがあります。まさか、今の日本人が6000万種類のパターンに分かれるとも思いませんが、少なくとも万を数えるのでありましょう。そのうち、いくつのパターンが同定されてルーツ論が展開されているのでしょうか。一つ一つデータを積み上げて行かれる先生方の御努力に頭を下げる一方、ルーツ論展開のためになさねばならぬことの全貌に対してのご配慮を望むものです。

●パターン一致の意味

ある縄文人骨とバイカル湖周辺住民のDNAが一致した(仮にMtDNAの1%だとしても)ということの意味の広さ深さも啓蒙して頂きたい。すなわち、このことから、縄文人全体の元郷がバイカル湖だ、とはならない、ということを。「その」縄文人と、「その」ブリヤートモンゴルは「過去」に共通の母に遡りうる、というに過ぎないことを。その共通の母が何世代前なのかも、その所在地も特定できないことを。勿論、他の知見をもとになんらかの推定が出来る場合もありましょうが。

●難問

分子人類学は一方では、例えば日本人のルーツ探求に有力なツールと考えられ、他方では、個人個人の識別が出来るように云われます。(最近ではフセイン元大統領もDNA鑑定で本人と特定したなどと報道されていました。)
研究が進めば進むほど(データが増えれば増えるほど)まさに何人であれ、何民族であれ、それらの集団がいかに遺伝的に多様であるか、ということをいや増しに証して行くのでありましょう。そうなると、その集団のルーツを問う、というのは一体どういうことなのか。
民族の定義の一部に同じ言語、同じ習慣、という要件があったと思います。分子人類学から見ると、同じクラスターに入っていても異民族だし、同民族でも多数のクラスターに分かれる。
MtDNAならある特定個人の母系ルーツをたどることができる、これは判る。しかし「日本人のルーツ」とは、一体何がテーマなのか、その定義から必要ではないのでしょうか。

指摘されている通りだと思います。
現在、人類学の世界では、先端技術としてDNA解析が重用されています。
しかし、このDNA解析の結果なるものを、そのまま信じてよいのでしょうか?
文献もなく物証すらほとんどない時代を考察する上では、仮説が生命線となります。そして、その仮説は、論理整合性に支えられています。しかし、最近の研究成果は、仮説そのものに恣意的なものが潜んでいるような気がします。
先日のIPCCのデータ捏造を持ち出すまでもなく、多くの研究が《目的意識》を欠如した目先の成果主義に陥っているのではないでしょうか?そのような思考回路で駆使される先端技術は、子供にあたえられたおもちゃと本質的に変わらないと思います。
Vol.7のまとめとして、このシリーズでも、問題提起されている【学者と報道】のありかたに対する武田教授の見解を引用させていただきます。
あれは、そうだったのか! 学者と報道の謎が解ける より

あるシンポジウムの後、私は次のような質問を受けた。
「武田先生は、なぜ、リサイクルとか温暖化で、そんなに国と違う意見を言われるのですか? 何が目的ですか?」質問をした方は学識、人格、人柄、すべて優れた人で、だからこそこのような直接的なご質問をしていただいたのだろう。
私はこの質問をいただいて、瞬時にこれまで長年、疑問に思っていたことが氷解した。それは、私が持ち続けていた逆の質問、「なぜ、皆さん(主に学者と報道)は環境問題で国の方針に疑問を抱かないのですか?」というものだった。
長年、不思議に思っていたことがあった。それは私も、そして私の言動を見ている人も、私と意見を異にする人も、ともにお互いに理解できなかったことだった。

20世紀のはじめのころ、マックス・ウェーバーという偉大な社会学者が「職業としての学問」という書を著している。私はそれを恩師から紹介され、むさぼるように読んだ。
そこには、「人間の興味としての学問」と「職業としての学問」が対比されていた。
「興味として学問」をしていた時代には、自然を観測し、解き明かし、時にはそこでわかった原理を応用して機械を作る・・・ということが行われてきた。観測は正確に行われ、議論は真摯に進み、そして発明された機械はジワジワとその価値を認められるようになった。
ところが「職業としての学問」が誕生して以来、都合のよいデータが公表され、職とお金に関係のない議論は無視され、計画的に機械が考案される・・・それは、学問がその身をお金に売り渡したことだ。
その弊害は至る所に現れる。マックス・ウェーバーはその一場面を大学の中に求めているが、現代の大学でもまったくそのまま当てはまることだ・・・腐敗した大学。
「学問の職業化」がもたらしたことは、またの機会に十分なスペースをとって考えてみたいと思うが、ここでは、「学問の職業化」と「報道の職業化」が「環境問題」に何をもたらしたかに絞って議論を進めたい。
「職業化」とは、「お金化」と言ってもよく、学問を賃金や名誉に置き換え、学問的興味より、賃金が上がるとか、名誉が得られるということを上位に置く考え方を言う。マックス・ウェーバーは「学問の手段化」とも解釈している。学問はそれ自体が本来の目的を持っていたが、それがお金を稼いだり、名誉を得たりする手段になったことを意味している。
「学問に夢中になっていたらノーベル賞をもらった」というのと、「ノーベル賞をとるために頑張った」というのとの差である。

私が環境問題に疑問を持ち、学会や社会にそれを問うているのは「学問的興味」であって「別の目的」はない。たとえば「温暖化すると南極の氷は融けるか?」ということを物理的に考えると「増える」となるのに、なぜ「融ける」と言っているのか?政府やNHKには多くの学者が参加しているのに、なぜそのようなことが言われているのか?というのは「真理」を追求する学者にとっては当然の疑問で、「何の目的で質問しているのか?」などと聞いてもらっても、どう答えて良いかわからない。
もし、「私の興味で聞いています」と言うと、「そんな暇はない」という返事が来そうである。
また「温暖化しても日本の環境は悪くならない」という結論に達すると、「温暖化が脅威だ」という人の論文を読んだりしたくなるし、疑問もぶつけたくなる。
でも、現在の日本では「温暖化が脅威」という人たちの集まりに言って質問してもほとんど答えてくれない。あるときに「2℃上がると大変だ」と偉い人が講演で言われるので、「今の地球の気温は15℃ですが、日本にとって何℃が最適ですか?」と質問したら、返事そのものをされなかった。
座長も講演した先生も、私の質問は完全に無視した。「2℃上がって大変だと言っているのだ。つまらない質問をするな」という感じだった。
NHKの度重なる誤報も「報道のお金化」によるものだろう。「正確な報道をいかに早く視聴者に伝えるか」という報道に興味があるのではなく、視聴率とか国会議員の印象などを通じて「自分たちの組織とお金を守るためには」という考え方だ。
何となく絶望感もある。これほど世の中が世知辛くなり、「目的がなければやらない」ということになると、話をしていても「目的」がないなら聞いても意味がない。
「儲かることだけ聞きたい」、「儲かるような方向なら合意する」という時代なのだろう。

                                 (平成22年6月29日 執筆) 武田邦彦
今回の問題意識のもと、次回は、いよいよ、論争の本質問題に迫りたいと思います。

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