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2010年07月22日

日本人の可能性⑤~日本人の持つ舶来信仰とは~

連続シリーズ「日本人の可能性」。これまで・・・・・・
日本人の可能性①~日本人の基点「勤勉」は、充足発の女原理 
日本人の可能性②~西欧と日本の階層意識の違い 
日本人の可能性③~西欧と西洋の民主制の違い 
日本人の可能性④~共同性がの差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い

以上、4つの記事をお届けして来ました。
これらでは西洋と日本を比較しながら、日本人の体質が縄文時代から受け継がれて
いる共同性にある事を明らかにしてきました。
今回は日本人の「受け入れ体質」「舶来信仰」を扱った、るいネットの「日本人(=縄文人)の持つ舶来信仰を「るいネット」から紹介する」と言う投稿を紹介し、日本人の可能性を見出して行こうと思います。

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日本人(=縄文人)の持つ舶来信仰を「るいネット」から紹介する

「縄文体質を切開する」というシリーズを縄文―古代ブログで展開していますが、その中でどうしても押さえておかなければならない日本人の体質があります。これは先日のなんでや劇場で語られたことですが、日本人の持つ舶来信仰という中身です。さらにそこから派生し、垣間見える「考えない日本人」という特質です。
日本は有史以降、大陸の外圧に対応してこれまで3度の大きな変化を繰り返してきました。いずれも集団や制度や文化においてそれ以前の日本と180度変わるくらいの大きな変化です。

1)弥生時代から飛鳥時代にかけての稲作、鉄の伝播に伴う国家黎明期。
この時期には国家制度として中国の制度が取り入れられ、同時に漢字が日本語として定着します。さらに建築や文学、宗教、金属加工、農業技術などが数百年の間に日本列島に伝播し、定着します。この変化は縄文以来1万年続いてきた共同体をベースにした集団の解体の始まりです。後の2つの変化に比べて最大の変化であったと言えます。

るいネットから同様の事例を挙げますと、
日本における私権時代への移行
日本市場史2~弥生農耕民の従順さと縄文以来の舶来信仰が古代市場拡大の原動力
単一民族日本が持つ特殊性と可能性について

これらは共同体をベースにした集団の解体の始まり、とも捉えられますが、単位集団にとって役に立つものは積極的に受入れ、真似をし、他集団へも伝播していく、同化能力の凄さ、とも捉えられます。

2)江戸末期から明治以降
それまでの鎖国政策を解禁し、西洋文明を積極的に取り入れ制度、文化、市場、医学、工学などさまざまな西洋文化が流入します。明治時代半ばには、ほぼその体制は定着していた事から約30年で転換した事になります。建築に至っては最も西洋建築が乱立したのが明治時代であることから現在より精密に西洋文化を模倣していた事が伺えます。

るいネットから同様の事例を挙げますと、
江戸の教育の基本は「個別教育+自己学習」 
明治維新は日本人の心の崩壊の序曲だった 
農地改革が所有の意識と大地主を生み出した 
日本における肉食の歴史 

ここでも西洋から来る人、もの、情報全てを肯定的に受け止め積極的に受入れています。

3)第二次大戦以降のアメリカ化
戦時中の鬼畜米英という意識が解かれ、アメリカの占領下におかれた日本の大衆は終戦後5年もすると好んでアメリカ文化を受け入れ、大量消費、大量生産を通じて豊かさを求め生活も人々の意識もどんどんアメリカへ傾斜していきました。この時代の変化はさらに短く敗戦直後から変化を受け入れ日本全体が変わるのに10年も経過しなかったと思われます。

家庭を聖域にしてはいけない から事例を挙げますと
え?!こんなところまで?!~戦後のアメリカ支配@育児~
え?!こんなところまで?!~戦後のアメリカ支配@労働運動
え?!こんなところまで?!~戦後のアメリカ支配@日本の教育
え?!こんなところまで?!~戦後のアメリカ支配@マスコミ

戦後、GHQが介入してから日本に起きた大きな出来事は事例のように沢山ありますが、貧困だった当時の日本にとって勝者(アメリカ)の文化にあこがれ、吸収する必要があり、役に立つことであった。
と考えたのだと思います。  

この3つ変化はいずれも無血革命です。改革派と保守派が思想的対立を起こすという事なくあっという間に新しい方に為政者も大衆も流れていきます。通常の国ではあまり考えられないこれらの現象を説明する上で舶来信仰という日本人の特性抜きにしては説明がつきません。
すでにこれまでるいネットでもこの志向性について鋭く分析された投稿がありますのでまずはその中から紹介していきたいと思います。
稲作伝播に見る受け入れ体質
>水田稲作が渡来人によって北部九州にもたらされて以降、わずか100年で西日本に伝播し、その200年後には関東平野、さらに100年後には津軽平野まで達するスピードの速さは驚異的である。400年で1500kmの移動とすると毎年3.75kmとなり、中国の0.15~0.2kmと比較して約20~25倍のスピードになる。遊牧を伴っていたため加速されたであろうと考えられている西アジアからヨーロッパへの農耕文化の移入にしても、その速度は毎年1kmと推定されている。
(中略)
これら稲作伝播の速度を説明するには縄文人の欠乏だけを推進力に帰するのは困難に感じます。やはり、渡来人の強い先導力(=同類闘争圧力)→それを受けての縄文人の友好を旨とする受け入れ体質、さらにここから派生して形成された進んだ文化に対する舶来信仰という力学構造なしに、世界でも例を見ない稲作の驚異的なスピードでの伝播と定着はなし得なかったと考えられます。本源集団で育まれた受け入れ体質こそが、「可能性収束」と見える所以だと思われます。

■縄文人の本源性と当事者論36722
>元々の問題である縄文人の“友好を旨とする受け入れ体質”の出所は、精霊信仰でも「自然との共生思想(そもそも縄文人はもっていませんが)」でもありません。本源集団(共同体)における仲間の助け合い精神、その原点は外敵に襲われた仲間を助けるという危機救助の精神ではないでしょうか。この単位集団内の共認原理を、他集団の人間に対しても延長適用すると“友好”“受け入れ”となります。

大陸から切り離された地理的要素も無関係で、大陸においても極限人類や採取人類は同様の体質・価値観をもっていたはずです(近年まで現存していた採取部族がそうでした)。地理的要素がその後の日本人の体質に影響するのは、舶来信仰が強いという点です。
舶来信仰は“友好”“受け入れ”体質をベースに形成されましたが(渡来人を敵として戦闘を始めたなら生まれなかった)、世界の僻地故に、大陸からやってきた部族は常に進んだ文化をもっていることから生まれます。その最初が弥生人の渡来文化であり、その後大和、中国、明治の西洋、戦後のアメリカ信仰と、一貫して舶来信仰は働き続けています。

 
以上から日本人の「受け入れ体質」とは“無条件降伏体質”では無く、当事者として外圧を受け止め、外圧に同化する“同化体質”と捉えるとすごくしっくりきます。共認体質=同化体質=肯定視が強く、否定視が弱い縄文体質と言えます。

だから、個人的には否定視⇒攻撃性=愛国心は弱いが、課題共認がなされれば一気に統合される。半面、自虐史観のような共認操作には弱い=洗脳されやすいのだと思われます。
次に「舶来信仰」ですが、その中身とは外から来る人、もの、情報を先ずは全て肯定的に受け入れると言う積極性であり、警戒心のなさであり、好奇心の強さでもあります。
この時代、中国、西欧での文化は一歩も二歩も進んでいます。それらの受け取りを繰り返すうちに「大陸文化は得がたいもの」というように舶来志向は舶来信仰へと上昇して行ったのでしょう。


何か事あれば「受け入れ体質」⇒「舶来信仰」で国家間の外圧に対峙してきたのです。
ただ「舶来信仰」にまで上昇すると「洗脳され易い」と言う弱点ともなります。
弱点をも踏まえた上で次回はいよいよ日本人の可能性について考えてみたいと思います。

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