2009年05月26日
北タイの母系集団における「家族」について
世界の性意識シリーズ、前回はタイのカレン族をご紹介しました。
今回もタイから、母系集団の家族について報告いたします。
タイ北部、ランバーン県北部の農村に暮らした、文化人類学者:川野美砂子さんのレポートからの引用です。
(写真は川野さんのHPからお借りしました。
先ずは応援お願いします。
(以下引用)
6 タイにお姑さんはいない
(中略)
日本で嫁-姑間につきものと考えられる忌避と遠慮の感情は、かつては同じイエのしかも台所を中心とする同じ領域で展開されていたが、核家族が一般的になり嫁と姑が同居することが希になった現代でも、多くの女性たちに経験され、またそうした経験をもたない人でも、その感情の存在を理解している。テレビ番組でも嫁-姑間の感情的な葛藤をテーマとして扱ったドラマが高視聴率を獲得している。この嫁-姑関係は日本のイエとよく似た父系的な家族制度をもつ韓国にもあって、さらに厳しいとされる。他方、北タイのように伝統的に妻方居住であったところには、姑を特別に表す言葉はなく、夫の母と息子の妻の間に他の関係にはない特殊な感情が生じるとは考えられていない。
妻方居住の理由を北タイの女性たちに尋ねると、出産や育児のときに母親や姉妹たちの助けが得られるのでその方がいい、という答えが返ってくる。インドやかつての日本や中国や朝鮮半島のように夫方居住の場合、女性たちが結婚によって生まれ育った家族や地域を離れ、ただ一人、夫の家族やその人間関係の中に入っていかなければならないのに対して、妻方居住では女性たちは、母や姉妹たちばかりでなく自分が築いてきた人間関係のネットワークを、結婚後ももち続けることができる。それは特に初めての出産や育児に直面する女性たちにとっては大きな助けになる。
他方日本では、夫のイエに入ることはなくなった現代ですら、「夫の家の家風に合わせる」という言葉や「嫁として」という言葉が、ごく若い世代を読者にもつ雑誌などでも当たり前のように使われている。ついこの間も結婚してまもなく離婚することになったアナウンサーが「嫁として失格」という見出しで週刊誌に報道されているのが目に留まった。このような社会の現象を北タイの女性たちの場合と比較して見ると、結婚によって日本の女性たちがその人格を、かつてのように断絶させられることはないまでも変容を迫られるのに対し、北タイの女性たちの人格は連続性が保たれるのだといえるかもしれない。
私の住んだ北タイの小さな村の女性たちは、口を大きくあけて実によく笑ったものだ。そして一人一人がまるで演劇の中の登場人物のようにキャラクターがくっきりしているように感じられたのも、おそらくはこの人格の連続性の結果なのだろうと思う。
18 北タイの「家族」
(中略)
「家族」と私たちが言った場合、私たちは一つの家屋に住み、かなり固定的なメンバーシップをもち、排他的で境界のはっきりした、婚姻と血縁の絆により結ばれた集団を想定しがちだが、北タイにはそのような家族というものは存在しないと言っていいだろう。
「家族」という言葉は人々が日常的に使う語彙にはなく、私たちが「家族」という言葉を使うのと同じくらいの頻度で用いられたのは「ヤート(親戚)」という言葉であった。一つの家屋に住む人々の集団を、私たちはともすれば他の人々からは明瞭に区別される「家族」なのだと思いがちなのだが、北タイにおいてはその顔ぶれは短期間にしばしば変わり、また互いの関係も必ずしも私たちが考えるような「近い」血縁あるいは夫婦ではない。ここで「あなた方の関係は?」と問えば「ヤートだ」という答えが返ってくるばかりである。したがって住居を別にする他の血縁者たちとの間にも、それほど明瞭な境界は引けないのである。
33 彼女はメー・カイの「親戚」なの?
離婚と再婚は1990年に私が住んでいた北タイの小さな村でもよく見られた(27参照)。
稲の収穫の終わった季節、山間扇状地に広がる水田の一つで、その両端に立ち、間に細い綱を張って、田を2分している男性たちを見かけた。何をしているのかと尋ねると、この田の持ち主の夫婦が別れるので、田を折半しているのだということだった。
(中略)
山岳地帯に住む次男のパン(37)は、妻と3歳の男の子を伴って定期的にメー・カイの家に来たが(22参照)、時おり途中でサラーウットという名の15歳の少年を乗せて来た。彼はパンの前の妻との間の子どもだった。
あるときサラーウットが、それまで見かけたことのない娘と仲睦まじくメー・カイの家の敷地内を歩いているのを見かけたので、メー・カイに「彼女はサラーウッドの恋人か、それともクラスメイトか」と尋ねると、「ヤート(親戚)だ」という答えだった。
北タイの村の人は「ヤートだ」と答えるとそれで充分だと思うようで、さらに「具体的にはどういう関係なのか」と尋ねても、何を聞かれているのかわからない様子で、「ヤートだ」を繰り返すばかりである。それは私たち日本人の感覚で考える「関係」について話したくないからではなくて、どのような血縁と姻戚関係でつながっているかとラインでたどる考え方が希薄だからだということが、村で同じやり取りを繰り返すうちにわかったことだった。
それで、「彼女はサラーウットのお母さんのお姉さんのこども?」などとあれこれ当てずっぽの問いを重ねていって、ようやくわかったのは、彼女はサラーウッドの母の、パンと結婚する前の夫との間の娘だった。立派な体格と大人びた風貌で18くらいに見えるサラーウットとお似合いのように見えた彼女は、はたちの大学生だったが、華奢で小柄なので少女のように見えたのだ。
息子の別れた妻の前夫との間の娘は、日本では「親戚」とは呼ばないだろう。それどころか、なかなか複雑な感情の対象になりそうな関係であった。
(以上引用終わり)
母系集団の中で女たちが活き活きと暮らし、女たちの安心基盤が集団全体の活力を上昇させている様子が活き活きと伝わってきます。
「姑」と言う言葉・人間関係自体が、父系社会・私権社会の人工的な(父系社会を守るための規範)関係なのだと思います。だから、嫁と姑は上手くいかない・・・・
また、「家族」とは固定的なものではなく、必要な場所に必要な人員が移っていく緩やかな関係であり、「家族」という小集団を越えた「ヤート(親戚)」こそが現実に集団の紐帯になっているようです。
次回はまたまたタイから、アカ族の生活を紹介します。
- posted by sinkawa at : 2009年05月26日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
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comments
私、昇進したくない(昇進にはあまり興味がない)女のひとりです♪
>性差別がなくなりさえすれば、職場には女性が続々と進出し、男性と肩をならべて出世競争に邁進するはずだ。なぜなら男女は本質的に同一の存在であり、求めるものも同じなのだから
読んでいて、とても違和感がありました。
このように考えられていたんですね!驚きです。
私の違和感は、なんで屋さんでいろんなことを学んできたから?もしなんで屋さんに出会っていなかったら、その言葉のまま受け取ってしまってたんでしょうか。。
『なぜ女は昇進を拒むのか』
興味深い本ですね。
紹介、ありがとうございます☆
男と並んで出世競争?
日本女性は、そんなの望んでいないですよね。
だけど、「男女雇用促進法」などが出来て、「セクハラ」などを、法律、国、さらにはマスコミが言い出して、社会を混乱させている感じがします。
日本のリーダーやマスコミが、歪んだ観念をまき散らかしているいい事例ですね。
ふぇりちゃん、早速コメントありがとう!
もし読む機会があったら是非感想コメントしてくださいね!
hermes 1030 wien 共同体社会と人類婚姻史 | 書籍紹介 『なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス』
共同体社会と人類婚姻史 | 書籍紹介 『なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス』
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