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2022年02月17日

一体充足に全面収束した人類~無毛化に向かった理由とは~その②

(画像はこちらこちらからお借りしました)

 

一体充足の果てに、自然の本質(波動)を捉えることができるようになり、さらには期待を込めて同一視すれば応えてくれる存在を自然のなかにも見出すことができた人類。

 

つまり、人類固有の機能である観念機能形成の基盤は「一体充足」、とりわけ「オスとメスの性エネルギーの充足(増幅)」にあるというのが、当ブログの仮説です。

 

今日は、その一体充足を高めるために、人類は無毛化したのではないかという説について考えてみたいと思います。

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2022年02月17日

一体充足に全面収束した人類~無毛化に向かった理由とは~その①

画像はコチラコチラから借りました。

 

精霊回路を掴み、より未知追求の一体化回路を高めていった人類。

このあたりの時期に、精霊回路の獲得と合わせて人類に起こった変化として更に注目したいのが、体毛を無くしていったことです。(正確には、人類の毛穴の数は類人猿と同程度あるので、一本一本の毛を細く短くしていったこと)

 

なぜ人類が無毛化していったか?については諸説ありますが、前回までの記事にあるように、この時人類が高めていった、より一体化したいりスッキリしたいという未知への欠乏発が鍵なのではと考えています。

 

そこで、今回はいくつかの記事に分け、まずは人類が無毛化していった理由として挙げられている通説はなにか?

また、そもそも皮膚が持つ機能とは?無毛化して肌が露わになることでどんなメリットがあるの?

といった視点を整理していきます。その上で、これまでの議論と絡めながら人類無毛化の仮説を導いていきたいと思います。

 

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2022年02月11日

相手に伝えたい答えや意識【=再現】がもたらした身体機能進化(表情やジェスチャー)

精霊回路を獲得した人類は、同類を対象にする共認機能を自然に対して作動させ、圧倒的な力や存在である自然と一体化(期待応合)して、本質を見出す追求回路が発達していきます。

画像はこちらこちらこちらからお借りしました

不自然な世界をスッキリさせたいという欠乏は、絶え間なく追求回路を作動させ続けます。自然の対象物を抽象化してとらえ、イメージとして記憶し、さらに、その記憶を【再現】する力(ジェスチャー、壁画や文字はその延長上にある)は、人類と類人猿の決定的な違いです。

 

約150万年前の火の使用=精霊回路獲得から脳容量は2.5倍(600cc→1500ccと指数関数的に増えています。観念といえば「言葉」をイメージすると思いますが、話し言葉ができたのは約5万年前ですので直接的な要因ではありません。意外ですよね。

画像はこちらからお借りしました

精霊回路の獲得は、追求(自然と一体化、スッキリしたい)⇒観念(再現・本質の抽出)⇒共認(共有したい・伝えたい)の無限の循環を生みだしました。これが脳容量を増やした要因であると考えられます。

 

その結果、言葉を発する前の相手に伝えたい答えや意識【=再現】が、繊細な表情や身振り、ジェスチャーという「身体機能進化」をもたらします

 

感覚情報(外識)と欠乏(内識)の連携が、再現により格段に増え急激に神経細胞を増やし、脳容量(大脳新皮質)を発達させていったと考えられます。ちなみに、火の使用により効率的に栄養を吸収できるようになり、脳が大きくなったとしている説が多いですが、それであれば近現代において脳容量が増えるはずですから、それはあり得ません。

 

携帯もスマホもない時代、海外で一人旅をしていた時ですが、片言の単語とジェスチャーだけでも十分相手との意思疎通ができると実感しました。むしろ言葉に頼らない方が、深く繋がる感覚も同時にもちました。これは母子のコミュニケーションも同様でしょう。言葉で会話していても、実際に伝えているのは表情や感情なのだと思います。

 

通常の会話においては、言語と非言語(視線・ジェスチャー・表情・身体動作・抑揚など)で情報を得ている割合を調査した実験結果では、35%:65%と非言語が支配的でした。例えば、笑いながら「謝れ」という矛盾する内容の場合、非言語を信頼する割合は93%を超える結果がでていますが、これも実感と合います。

 

次回も引き続き、精霊回路を獲得した人類の追求をしていきます。

お楽しみに。

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2022年02月10日

精霊回路は追求力の源泉

画像はこちらからお借りしました。

ヒトは、得体のしれないものを見たり、わけのわからない現象に遭遇したとき、それが何なのか、すっきりしないと気が済みません。

そして、何かしらの理由がつけば(正しいかどうかは別として)安心する。さらに、それを誰かと共有できれば、安心は倍増します。

 

そんなことをやっているのは人間だけです。

動物は、どんな事象に対しても大抵どのように行動するか、本能によって決まっています。

プラスかマイナスか、無関係かしかありません。エサなら食べる、敵なら逃げる、それ以外は無関心。

 

ヒトはなぜそんなに「スッキリしたい」と思ってしまうのでしょうか。

それは逆に言えば、我々人類にとって世界のすべてがスッキリしないものであふれているということです。

どうしてそうなったのか。それは万物の背後に精霊を見出したからだなのです。どういうことでしょうか?

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2022年02月03日

自然のなかに精霊をみた極限時代の人類

画像はこちらからおかりしました

 

石を加工すること。火を使うこと。

いずれも極限時代の始原人類が進化させてきたことですが、火を扱えるようになるには、石の加工以上の能力が必要になります。小さな種火を大きくしたり、逆に燃え盛る炎を鎮めたり。始原人類はどのようにして火を制御できるようになったのでしょうか。

 

前回の記事でも述べた、始原人類の在り様を物語るデルスウザーラはヒントになります。

火に勢いを与えるためウォッカを飲ませるようにかけたり、パチパチと爆ぜる火を「悪い人」と表現したり。まるで火を擬人化しています。

 

現代人でもこの感覚は解りますね。

枯れている植物をみて、元気が無くなっていると思い、声をかけて元気づけたり。

虫の声やカエルの鳴き声を聞いて、歌を歌っているように聞こえたり。

キラキラした太陽を見て、万物に活力を与えてくれていることに感謝したり。

荒れ狂う海や嵐をみて、海やお天道様が怒っていると感じたり。

 

自然のあらゆる対象には、その一つ一つに、人と同じような感情や欠乏があるという感覚。極限時代の始原人類はこの「万物の背後に精霊が宿っている」ことを見出したことで、自然の気持ちになり、精霊の欠乏や期待に応えるようにして、火を制御できるに至ったと思われます。

 

これを精霊信仰(アミニズム)といいますが、八百万の神が示すように、日本をはじめ東南アジアには精霊信仰が色濃く残っています。

 

では、始原人類はどのようにして、万物の背後に精霊が宿っていることを見出したのでしょうか。

 

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2022年02月02日

始原人類の観念機能の獲得~「火」をどのように捉え、生活の中に取り込んでいったか~

前回の記事では、観念機能獲得の第2ステージとして、石器をどのように使っていったか、を扱いました。仲間から広げた対象=自然をひたすら直視することで、自然と一体化し、本質が見出せるようになったことがポイントでした。

 

今回は、さらに次の段階である、「火の使用」を考えていきたいと思います。

石器の使用は、より硬いものを選んだり、石同士をぶつけて、鋭利なもの・握りやすい形をつくって進化していったと考えられますが、火は、着火や着火後の扱いが、道具としてはかなり難易度が高いです。どのようにして、火を扱えるようになっていったのでしょうか。

 

「火を使う」というと、使いたいときに着け、調整し、終わったら消火するというような「コントロールする」というイメージを持ちがちですが、まず、火をどう捉えていたか、彼らのおかれた状況をふまえて考えてみます。

 

木から落ちた始原人類(オランウータン)は、真猿時代の共認機能の進化により、同類の欠乏も理解できるようになっていました。欠乏をキャッチする対象は、最初は同類に対してでしたが、徐々に、対象が「同類」から「自然」に広がっていったと思われます。私たちが、晴れの天気を願ったりする感覚に近いかもしれませんが、彼らはおそらく、そこから願うだけでなく、対象と一体化するために注視を続けていきました。

 

黒澤明監督の「デルスウザーラ」には、原住の民(ナナイ族)の猟師「デルスウザーラ」が登場します。山の中で生活し、自然のわずかな変化から情報を得て行動し、厳しい自然外圧をものともせず生きるデルスの姿が描かれています。デルスは、あらゆるものを「ヒト」と例え、この世で一番偉い人は「太陽」、2番目は「月」、そして怒らせると怖いものは「水」「火」「風」だと言っており、火にウォッカを飲ませるようにかけたり、パチパチと爆ぜる火を「悪い人」と表現したりしています。

 

画像はこちらからお借りしました

 

始原人類は、火を、このような欠乏をもった対象、期待に応えてくれる対象として捉え、生活の中に取り込んでいったのではないか、ということが想像できます。その中で、火という現象の本質を少しずつ掴んでいったのではないでしょうか。

 

次の記事では、火が精霊信仰とどのようにつながっていったのかを扱いたいと思います。

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2022年01月28日

観念機能で自然の性質を見出すことができるようになった人類の進化~石器の制作~

画像はコチラからお借りしました。

 

人類極限時代の第2ステージ。

前回までの記事で、人類がどのようにして「観念機能」に繋がる「観念原回路」を獲得してきたかを扱ってきました。

 

観念機能の真髄は、探索=追求回路を作動させ、対象の本質を掴むこと≒一体化にあります。対象をひたすら直視することで、その本質が見出せるようになったのです。

人類は極限時代の中で、仲間だけでなく、更により広い対象世界⇒自然とも一体化し、本質を掴むことができるようになります。

この観念原回路を獲得したことにより、人類の生活はどのような変化があったのでしょうか。いずれは言語機能の獲得に繋がっていきますが、現代人類のような多様な発音ができる骨格になるのはまだ先の話。

まず焦点を当てたいのが、観念原回路を獲得したとされる300~200万年前頃の、「石器の使用」です。しかし、ただ道具を使うだけなら、類人猿でも可能です。例えばチンパンジーでは、アリの巣に植物の茎や樹皮を差し込んでアリを釣ったり、固い果物の実を石で割って食べる行動などが知られています。

ではこうした道具の使用と、当時の人類の石器の使用は何が違ったのでしょうか。

 

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2022年01月26日

人類はどのように観念機能を獲得していったのか~自然に飛び込むオス、自然を取り込むメス~

(画像はこちらこちらからお借りしました)

 

観念機能の形成を追求中です。

当ブログでは、オスメスの役割・特性から考えて、観念機能形成の過程では、波動を受け取り一体化するメスと、受け取った波動から本質や特性を抽出するオスというように役割分担が行われているのではという仮説を立てています。

 

その論拠として、前回は、電子エネルギーを受け取る皮膚の違いについて紹介しました。

 

今回は、万物との一体化能力においては特に優れている「シャーマン」からそのヒントを探ってみたいと思います。

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2022年01月21日

人類はどのように観念機能を獲得していったのか~自然界のエネルギーはメスを通じてオスへ~

(画像はこちらからお借りしました)

 

自然の波動をキャッチし、その本質を表出させる、観念(=言葉や、言葉の原型となる像やイメージ)機能。

この形成(追求)過程において、メスによる波動の共鳴・増幅を受け、オスが本質や特性を抽出するという連携(役割分担)が行われているのではないか」というのを前回の記事で扱いましたが、身体的なある機能も、どうやらそれを裏付けるような進化をしているようなのです!

 

実は、女性の皮膚は電子の受け皿となる穴が発生しやすく、人が自然界からもらうマイナスイオンを効率良く吸収できるのは女性だけなんだそうm001.gif

では男性はというと、直接は取り込みにくいけど、なんと女性の体を通してそれを取り込めるようになっているんだとかm208.gif

夏目祭子さんの著作『あなたが目覚める愛と性のギフト』より紹介します。

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2022年01月19日

人類はどのように観念機能を獲得していったのか~オスとメスが一体になって追求

男女和合の道祖神の写真はこちらからお借りしました。

人類だけが持っている言葉や概念を操れる観念機能。その原点の構造を明らかにして人間の本質に迫ろうとしています。

前回は、観念を生み出したのは、万物が発する波動を感じ、同化するところから始まったのではないかという話しでした。木に登れないサルという本能不全を抱え、飢えの圧力に苦しめられていた人類にとって、周りはすべて恐怖の対象。しかし、性充足の果てに宇宙=万物と一体であるかのような感覚を得たことは、なによりの安心感だったはずです。

 

そして、万物と一体という感覚、つまり、自分は自然の一部で、自然と一体=同じなんだという感覚が得られたことを意味します。

人類にとってこの感覚を得たことは大きかったと思います。これまで恐れるだけの対象だった自然が、周りの仲間と同じような存在かもしれないということを潜在意識のレベルで掴んだわけです。

そして、その感覚に導かれながら、仲間に対するのと同じように、自然という対象=波動エネルギーの中に、「期待し応合する」ものを見出そうと、おそらく数百万年に及ぶ探索が始まることになります。

 

今回は、その追求の様相に迫るべく、観念の追求にオスとメスで違いがあっただろうという追求です。

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