RANKING
にほんブログ村 歴史ブログへ
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK

2020年10月09日

学校が無くならないのは何故か

 

 

前回は、「学校は百害あって一利なし」を記事にしました。

そう言い切る理由は、

1 小学校で習う漢字や加減乗除を除けば、学校で教える中身が全く役に立たない

2 子どもの成長に最も重要な遊びが、勉強ばかりの学校によって失われている

3 学校制度が始まってから、言語能力、追求力、活力はどん底にまで落ちた歴史総括

があることを前回記事にしました。

http://bbs.jinruisi.net/blog/2020/09/5071.html

 

その学校が無くならないのは何故か、が今回のテーマです。

 

現在の学校制度は明治政府により作られましたが、その理由は徴兵制の一貫として作られ軍隊をモデルにしています。つまり、学校は「校則は絶対」「教師の命令は絶対」という強制圧力によって成り立っており、その強制圧力のもと従順な国民を育てることを目的としています。

 

「そもそも学校に行く必要はあるのか?」「何で学校は無くならないのか?」

 

誰もそんな疑問を持たない今の現実こそ、考えない国民を育てるということを証明しているでしょう。学校を無くせない理由に、そんなお上の理屈があるというのは一つあります。しかし、お上の理屈だけで学校は残り続けているのでしょうか。大衆の側にも学校を必要とする理由はないのでしょうか。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2020年10月07日

日本のセックスレス急増は、次代の男女関係に向けた前兆ではないか!?

一般社団法人「性・愛・命の学び舎」代表理事・夏目祭子氏は、日本のセックスレス急増は、逆に明るい未来の前ぶれなのではないかと主張されています。いか、著書『あなたが目覚める愛と性のギフト~至福の男女関係をつくる』から引用します。

* * * * * * * * * * * * * * * * *
2000年以降の20年間で、セックスレス夫婦の割合が驚くほど急上昇している。2010~17年にかけてのさまざまの調査結果(日本家族計画協会ほか)を見ると、その比率は、なんと2組に1組程度まで増加しています。
たとえまだ若くて肉体的には問題なくても、たとえ性欲自体は持っていても、たとえ相手に愛情をもっていても。それでも、行為そものは「やりたくない」と避ける人たちが、男女ともに、幅広い世代で増え続けているのです。私がこれまで相談を受けてきた人たちの実態と、世の中の情報を照らし合わせていくと、男女それぞれ二つの代表的な理由に集約されることが見えてきました。

まず、男性の理由の第一「疲れるから」。言葉は違いますが「面倒だから」というのも、ここに含まれます。
だけど、「セックス=疲れるもの」という現代の感覚は、実は大きな誤解なのです。本来、男女の性行為は「疲れが癒されるもの」で、「生命力が再生されて、元気が出るもの」というのが当たり前だったのだから。これはつまり、世の中で常識とされるセックスの「方法そのものが間違っている」ことを意味しています。

男性の第二の隠れた理由「イヤらしい気分になれないから」。
これは、現代の男性が、AVを「性の教科書」として学習してきたことから生まれた大きな弊害です。つまり、AVのようにイヤらしく興奮した気分にならないと、セックスができないように「脳の回路ができてしまっている。」のだと、ある40代の男性が証言してくれました。

一方、女性の理由の第一「肉体的に苦痛だから」。
これは、多くの女性が行為の最中に「痛み」を経験していることがあるのです。女たちが苦痛を感じるのは、世の多くの男性が、女性の体の適切な扱い方を知らないことが原因です。つまり、セックスの「方法が間違っているから」。なにしろ、男たちがお手本にしてきたAVは、そもそも「男性が一人で、すみやかに効率よく射精を行うため」に構成された「ファンタジー(仮想の物語)」なのだから。

女性がセックスをしたくない第二の理由は何かといえば「精神的に苦痛だから」。
個人的な問題でいえば、これまでの人生で経験した、さまざまな形の「性暴力」が、個々の傷として残っている場合が少なくありません。また、そうした暴力を受けた経験がない場合でも、なぜかパートナーとセックスをすると「相手に奪われている感じ」や「体を利用されている感じ」がして、あまり嬉しくない、という声も聞きます。
こうなると、世界が数千年前に「男尊女卑の思想」に染められて以来、女性の体が「跡継ぎを産むための道具」、または「男性の性欲を解消するための道具」であるかのように扱われてきた時代の悲痛な感情が、私たちの集合意識の中にも積もっていることも影響しているに違いありません。
だからこそ今、私たちは性行為の方法とイメージの両方を塗り替える必要があるのです。

さて、男女間のセックスレス問題は欧米にも存在します。けれども、これほど急増しているのは日本だけの現象だと、世界からも不思議がられています。「だから少子化が進むのだ」と将来を憂う人たちは多いでしょうけれど、実はこの現象に、逆に「明るい未来」を感じていると言ったら驚くでしょうか。
なぜならこれは、多くの日本人が、これまで常識とされてきた、でも実は「本来の自然な性よりも暴力的に歪められたセックスのイメージや方法」に、無意識のうちにも違和感を覚え、体で拒否し始めたということだから。それなら、歪められる以前の、人間が本来持つ能力を十分に活かした、豊かな性の味わい方を知ることができれば、新しい形での男女の「セクシャルなコミュニケーション習慣」が活発になっていくのではないかと予想しています。

つまり、今のセックレスの急増現象は、いったん古い形のセックスを手放して、日本のセクシャル・コミュニケーション能力が進化する前ぶれとも読めるのです。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2020年10月01日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-17

 

前回は、共同体における課題について、全員一致の話し合いと結論への過程を重視することで本質的な合意に至ることを述べた。

そもそも共同体にとっての課題は、これまでの分業化した社会を前提としたものから大きく転換し、はるかに統合的、網羅的なものとなっていく。生産課題=企業として特化した集団も、家庭が持つ生殖課題を包摂していくことで共同体化が進んでいくし、逆に家庭は育児、教育が外注化されてしまい、その生殖の場としても風前の灯であるので、新たな場の構築が不可欠となっている。かつて「百姓」は百の姓=役割=仕事を持つ力があり、ほとんどの課題をこなしてきた。そのような全方位的な生き方が求められる。

現代的な課題の次元を考慮すると、社会次元で解決しなければならない事が大半であるので、共同体どうしの連携が不可欠となる。その場合も前回述べたような全員一致の原則に照らして合意に至ることが重要だと思われる。現実的には、賛否を問うような単純な課題ではなく、環境問題のように何をいつまでにどうするのか段階的に確定していくような課題になるし、地域差などおかれた環境によってもその内容の差が許容できる原則が求められる。いかに重層的な社会構成となっても、単位となる共同体も全体のネットワークでの課題も同一の原理で方針化されていくだろう。

今回は、そういった事例として超古代のインカ文明やネイティブアメリカンの社会を紹介したい。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2020年09月29日

私たちは性行為の方法とイメージの両方を塗り替える必要がある。

一般社団法人「性・愛・命の学び舎」代表理事を務め、真実の性の語り部と称する夏目祭子氏。著作の『あなたが目覚める愛と性のギフト~至福の男女関係をつくる〔6つの封印解除]』を紹介します。

【プロローグ】
・性の感覚は、美しくて豊かなもの。私たちの内側にはある「資源」が眠っている。それは、誰かと親密な愛情を交わしあうことから生まれる豊かな力。その価値あるものとは私たちの「性」のこと。恋愛、結婚の悩みの裏には「性の問題」が隠れている。今や多くの人たちが、「自分の性を心の底から肯定して、愛する人と本能的な喜びを分かち合う体験」から遠ざけられている。

・聖なる性が下劣なものに転落した原因。私たちの世界では、性を下劣なものと思い込ませる、歪んだマインドコントロールが働き続けている体と言えます。元をたどれば数千年も時代をさかのぼる、古代から始まっていた、根深い歴史があるのです。簡単にいうと、男女が一つに結ばれることから生まれる大きな力が、「下品で恥ずかしいこと」として制限されたために、私たちはその力を十分に発揮できなくなった。さらにそんな下品な行為へと男を誘い込む女は「卑しい人種」だと貶められたからこそ、女たちは自分を無力な存在だと誤解するようになった。世界各地で一握りの権力者たちが、大勢の庶民の力を弱めて、支配しやすくするために作り上げた、大がかりな迷信の数々と言えます。

☆私たちは性行為の方法とイメージの両方を塗り替える必要があるのです

【第1の封印解除】:性の営みの本質はエネルギー交流
・「性行為は女性が男性の肉欲の餌食になる苦行である」これは、今をさかのぼること数千年の昔、それまで世界の価値観が「調和的な女性性優位」だったものから「競争的な男性性優位」へと大きく方向転換した後に、「男性が女性と子供を所有する社会」となったために刷り込まれた考え方。さらに宗教組織の権力者たちが「子作り目的以外の性行為は、卑しい欲望に堕ちるものだ」と戒める教えを作ったものだから、いつしか性の営みは、女性にとっては屈辱的な苦行として、男性にとってもどこか気恥かしいコンプレックスを伴うものとしてのイメージが刷り込まれたのでした。

性の営みとは、お互いの全身全霊を一つに溶け合わせようとする行為なのです。自然が美しいのと同じように、性も美しい。私たちの性は、自然界との調和の中にあるのだと。

・実は性エネルギーというのは、性行為のためだけにつかわれるものではありません。ここから湧き出したエネルギーは、私たちの体を縦に貫くように、頭のてっぺんまで上昇していく性質を持っています。ヨガの教えでは、性エネルギーのことを「クンダリーニ」とよび、会陰から尾てい骨にかけての生殖器ゾーンに、2匹の蛇がとぐろを巻いたような姿で収まっているといいます。このクンダリーニが体の中心軸に沿って上昇していくとき、中心軸上に並んでいる7箇所のチャクラと呼ばれる、私たちのエネルギー体にあるパワースポットを活性化していきます。

・下半身をうずうずさせる性エネルギーが体内を昇り始めると、それは小さならせん形をくるくる描きながら、まさしく蛇が立ち上がるような動きで昇っていくのがわかります。それが全身を貫いて脳まで上昇すると、私たちは日常意識を超えた「変性意識状態(トランス状態)」を体験するわけです。それは別の言葉で表現すれば、恍惚感、エクスタシーということ。この性エネルギーのエクスタシーは、必ずしも相手のある性行為をしなくても、自分の体を愛撫するマスターベーションでも味わえます。また、セクシャルな行為ではなくても、チャクラを刺激する瞑想呼吸や、ダンス、水浴び、自然散策などの五感を刺激する活動の最中に、不意に湧き起こることもあるのです。

・人間は、背骨に沿って体を貫く「性エネルギーの上昇経路」を通して、空と大地のエネルギーをつなぐ働きをしているのだ、と私は考えます。では、日本人はもともと、セックスのことをなんと言っていたのでしょう。漢字が使われ始める以前の時代から今に伝わる「大和言葉」には「まぐわい」という言葉が残っています。後から当てられた漢字では「目合い」と表現されました。ただでさえ、エネルギーの動きに敏感だった縄文人にとっては、目と目を強く合わせた時からすでに、二人のエネルギーの絡み合いは始まって、近寄るほどに混ざり合うのが全身でひしひしと感じられたことでしょう。初めにエネルギーが溶け合い、次に体も一つに合わせていく。そうして男女は互いを結び合ったのです。

・性器ももともとはいくつかの美しい大和言葉で呼ばれていました。膣を表す代表的な言葉は「ほと」。漢字では「火処」と当てられました。その意味は、火のある処、つまり「かまど」のこと。それに対する男根は「ほこ」と言います。その意味は「矛」つまり武器である剣のこと。男女のまぐ合いとは、熱せられたかまどの中に、ひんやりした硬い剣を差し入れて、あたかも鉄が火の中で鍛えられるように、硬かった剣が燃えさかる熱の中で溶かされ、また明日も元気に働くぞという活力になるような新たなエネルギーを吹き込まれる、そんな意味をもつ行為だと。思考の束縛をはずして、本能が宿す生命エネルギーの動きに体を明け渡す時、人は高らかに日常レベルの意識を超えた領域に昇ることができるのです。

【第2の封印解除】:女性から男性へと流れ込むエネルギー

・誰もが男女両性の要素を持っている。本来、男女がともにいるだけで元気になるように、私たちは造られています。それは男女の体の電気的な性質が反対になっていることから生まれる効果です。人は自然界から細胞が元気になるマイナスイオンの電子エネルギーをもらっている、実はそのエネルギーを効率よく吸収できるのは女性だけ。女性の体と触れ合うことで、男性の体は「充電」されたように元気になるというわけ。男性にとってすべての女性は、「癒される自然界の一部」だということ。

すべての女性には、居ながらにして男性を元気で幸せにする力が、もともと備わっています。女性は見えないもの、男性は見えるもの担当。女性性の真骨頂は「感じる力」、男性性の真骨頂は「見る力」。女性は、まだ形にならないものを直感として受け取って、言葉にすることに長けています。一方、男性は、それを現実世界で形にすること、つまり構造化してプロジェクトに仕立てたり、組織化して広めたりする行動が、女性より素早くできる人が多い。

・女は円環、男は直線。男性性は、目的を目指してまっすぐ突き進む、一本の直線。それに対して女性性は、まろやかな曲線が似つかわしい。・すべての人の中に住む、水のように受容する女性性と、火のように貫く男性性が、仲良く手を結べば、男女がお互いを尊重しあえる関係を育てることができるのです。男女が互いのやわらかな「命の器」を差し出し合う行為は、心の最もやわらかい部分を通わせあって、誰よりも深くつながる絆を結ぼうとする営みなのかもしれません。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2020年09月25日

シニア世代の男性8割、女性7割以上が性を謳歌??

人間にとって「性」の問題は重大な関心事であり、それは高齢になっても変わりません。「何歳まで、セックスができるのか?」「死ぬまで、セックスは必要なのか?」
その実態に斬り込んだのが、東大名誉教授の石川隆俊氏。がん研究を専門にしてきた医学者の探求心と好奇心で、高齢の男女に対し聞き取り調査を実施。そこから浮かび上がってきた高齢者の愛と性のありのままの姿を紹介します。

『熟年世代の性の実態を東大名誉教授がレポート(2019.2.1)』(リンク)より

石川先生の調査は、50代から90代のさまざまな生活スタイル持つ、男女各80名延べ160人を対象に、一対一の対話形式で行われました。
「1人、1~2時間をかけ、生まれ、育ち、恋愛、結婚生活、夫婦以外の相手との関係の話など、率直に質問をぶつけました。みなさん、性愛の記憶は実に鮮明で昨日のことのように丁寧に話してくださいました。よく聞いてくれたと、眼を輝かす方もいました。調査前は、性欲が弱っている高齢者はセックスを卒業した人ばかりと予想していましたが、事実は全く異なっていたのです」

驚くことに多くの証言から、インタビューした高齢の男性8割、女性7割以上がセックスに積極的であることが判明。80代、90代でも、性愛を楽しむカップルは珍しくなかったのです。しかも、これはごく一般的な高齢者のエピソード。地域やグループによる偏りがないかを確認するため、石川先生は同様の調査を時期と地域をかえ2回にわたり実施しましたが、やはり結果は同じだったそうです。

◆実際に高齢者はどんなセックスをしているのか?

では、実際にどんな性愛の形があるのでしょうか?インタビュー結果によると、人それぞれ。一部を抜粋してご紹介しましょう。

「今でも、薬なんか使わなくてもセックスを楽しめます」(93歳・男性)
奥さまが亡くなった後、現在は事務所の秘書(55歳、独身女性)とのセックスが癒し。歩行が少し不自由で、言葉を発する際に、時折くちごもるが、頭の働きは少しも衰えず、90歳を過ぎてもセックスは現役。

「閉経は早かったけど、セックスに問題はないです」(70歳・女性)
31歳で9歳年下の男性と結婚するが、夫の浮気で離婚。3人の子どもを養うためスナックに勤務。42歳で閉経し、55歳に再婚したが1年後に夫が病気で死去。その後も何人かの男性と同棲。「閉経後も、女はその気になればちゃんと男性を受け入れられる」と振り返った。

「ずっとベッドはいっしょ。セックスレスでも幸せです」(66歳・女性)
24歳のときに4つ上の男性とお見合結婚。子どもは2人。孫に恵まれ、結婚当時から今も夫婦一緒のベッドで休んでいる。7年前にご主人が前立腺がんになり、ホルモン治療をはじめてセックスは遠のくものの、ご主人は寝る前に奥様への親密なハグを忘れないのが日課。

「若いころと比べても、よろこびは変わりませんね」(72歳・男性)
EDになったのは3年前。いろいろ試してみても勃起せず。バイアグラに頼ると奥様を満足させられるまでに回復。最近は奥様からそれとなく求めてくることも。週2回のペースで夫婦生活を行っていて、奥様も愛液は今も充分に出ている。

「私はまだ女。好きな人ができたらセックスしたい」(70歳・女性)
51歳でご主人が亡くなった後は独り身。再婚話は何度かあったが、子ども達から猛反対。孫から慕われるおばあちゃん。「でも、私自身はまだ女なんです。これから、もしも好きな人ができたら、今でもセックスしたい」と告白。

「うつ状態からセックスレスに。徐々に再開すると落ち込みが改善」(65歳・女性)
年をとってからのセックスも頻繁。テレビで性的な場面をみると濡れてしまうこともあったが、息子さんの離婚騒動でうつに。夫の求めも拒絶。しかし仲良くしようと心掛け、受け入れるようになると、気持ちが明るく戻ってきた。

石川先生の聞き取り調査で、選択式のアンケート調査では知りえない赤裸々な実態が見えてきました。
話を聞いた多くの方は性の直接の結合(挿入)にこだわらず、長年連れ添ってきたパートナーと、愛を深めるスキンシップを持ってることも判明。
また、パートナーがいない場合でも、思い切って新しく望ましい伴侶を求めることや、異性への興味を持つことで、残りの人生を豊かにしていたのです。
驚いたのは、ほとんどの女性は閉経後でも性交痛などに悩まされずセックスを楽しんでいたこと。女性に男性を受け入れる気持ちがあれば、肉体もスムーズに反応できていました。

また、男性は若き日の女性遍歴を懐かしく話していたものの、今となっては奥様と仲良く過ごしている方がほとんどであったそうです。男と女は結婚を通じて、戦友のような関係になるのです。
「年老いてなおセックスに執着するのは嫌悪すべきと、私は考えていたのです。確かに世の中にもそういう風潮はあります。セックスはあまりにも魅力的な行為ですが、高齢者が体を絡めるさまは滑稽で見苦しいと考えるむきがあります。自分のやっている姿は見えませんからね(苦笑)。しかし、調査によって、セックスが人生にもたらす意味や価値に改めて気が付きました。また、医師としての立場から健康面への効果も知ることになりました」

◆高齢者の性のあり方とは?自然でおおらかなセックスが人生を豊かに
「高齢者のセックスは若い時のように激しいものではありません。パートナー同士が一緒に抱き合って過ごす。愛おしい相手と近づきたいという思いだけでも、充分に生きていく力になっていました。子どもの頃、『明日、遠足がある』と気分が盛り上がるのと同じ。ワクワクすれば脳内に幸せ物質のドーパミンが分泌されますが、セックスは最強です。ドーパミン分泌の減少はうつに陥る原因のひとつ。日頃からパートナーとセックスを通じたコミュニケーションを大事にすれば、うつや認知症の予防になるのは間違いないでしょう。実際、インタビューに応じてくだった高齢者は若々しく快活な方ばかりでした」

いくつになっても、セックスに対して興味を持つのは、恥ずかしいことでも、ふしだらなことでもなく、死ぬまで人生を豊かにするエッセンス。みなさんは、どうお考えになりますか?

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2020年09月24日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-16

 

このシリーズも16回目という回を重ね、共同体という人類本来の集団の在り様として様々な切り口で展開し述べさせてもらったが、具体的に日常の課題をどう運営するか、何をどう決定していくかを過去の村落共同体の事例から探ってみたい。

現代では、市議会から国政に至るまで議決は多数決という一見合理的にみえる手法がとられているが、その裏では利権の駆け引きが横行してそこで結論が決まってしまう。名ばかりの民主主義である。

一方で、かつての村落共同体では、全員合意するまでは決まらないという暗黙の規範が存在した。夜通し議論を尽くしたりもあったという。お互いを知る仲間であるからこそこういう本質的なことが可能であることは言うまでもないが、こういう決め方であればこそ、課題の本質が皆に浸透し、走り出したら実現に向かいやすいともいえる。

どちらが合理的か、成員にとってやりがいがあるのかは自明のことではないだろうか?

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2020年09月17日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-15

前回、かつての共同体においていかに重層的な人間関係が形成されるかを紹介し、学びとは知識だけではなく、現実の人間関係はどうあるべきか、自分たちが生きている世界をどうとらえるかという根底的なものであることを述べた。

現代の欠陥として挙げられる人間関係の忌避は、そもそも闘争忌避という問題に置き換えられる。つまり、共に闘わなければならない状況にあることに気づいていない、考えていないに等しい。かろうじて、生産課題として、企業などの集団での闘争がある程度である。今回は、この闘争課題という次元でこれからの共同体社会をとらえていきたい。

いま、時代の転換期において、食い扶持としての生産課題にとどまっていては何も変わらない。闘争という次元がますます高まっていき、地球規模の諸問題をどう解決するのかという課題を突き付けられている。つまり闘争とは、皆が安心して生きるための課題であると捉え返すことができる。であれば、皆が共有し、皆が取り組むべき課題である。専門家に任せておしまいというわけにはならない。これまでの私権をめぐる競争原理という次元を超えた難問であるともいえるし、だれでも担えるという可能性のある闘争ともいえる。

その為には、共同体という集団をベースに闘争課題を昇華させていかなければ、分断された個人では胡散霧消となってしまう。例えば、健康という課題にたいしても善良な医師が個人レベルで提唱しても、巨大な製薬利権の前には治療法など一蹴されてしまうような事例は枚挙にいとまがない。私権をめぐる闘争課題を超えて、自然の摂理や生命原理に即した回答が求められる以上、人類の起源から適応してきた共同体という集団が必要である必然性はそこにある。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2020年09月17日

学校は『百害あって一利なし』

 

 

学校は『百害あって一利なし』

明治以降の学校教育の歴史を総括すれば、そのように断言できるのではないかと思います。

このように言うと、「えっ、百害ってどんな害?」「一利か二利くらいはあるのでは?」「友達もできるし」と反論の声が聞こえてきそうですね。何故学校は『百害あって一利なし』と断言できるか。

大きく3点の事実があります。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2020年09月10日

これからの共同体社会はどのように創られていくのか-14

前回、教育は共同体の核心をなし、絶対に手放してはならない集団の課題でであると述べた。そして寺子屋や職人の事例から、まさに現実の外圧に適応する為の本質的な教育(学び)がなされていたことを紹介した。

一方、現代は共同体が解体されて教育が外注されて知識のみ教える学校というものに堕落してしまったともいえる。同一年齢で密室に隔離され、先生という絶対的な存在と対峙しなければならないところでは、まともな感覚、能力が形成されないだろうことは想像に難くない。

今回は、かつての村落共同体においていかに重層的な人間関係が形成されるかを紹介したい。学びとは知識だけではなく、現実の人間関係はどうあるべきか、自分たちが生きている世界をどうとらえるかという根底的なテーゼに応えていくものだろう。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2020年09月08日

日本の家族形態①~戦前の家制度から核家族へ~

核家族について数回に亘り考えていきたいと思います。
日本の家族形態を近年で見てみると、戦前、戦後、現代と大きく変化してきています。
戦前の地域社会と繋がっていた家制度(大家族)時代から現代の核家族化時代では人々の生活、精神にどんな変化が生じてきているのでしょうか?
まずは、家族形態の変化について確認していきます。リンクより

************************************

ファミリーと呼ばれる日本の家族形態の変化の特徴

■戦前から終戦までの歴史と変容
戦前の日本の家族は、家制度に基盤をおき、地域社会はもとより、国家とつながる「イエ」を形作っていた。
「家制度」は「家」と「家父長制」の二つを大きな要素としていた。
「イエ」という親族集団の一体的結合と継続的発展を重視し、家族の人々を「イエ」に従属する存在とみなした。 家父長権の相続(家督相続)、本家・分家などの階層性、それらを対外部的にひとまとまり(ウチ)としてとらえる心性・制度であった。

■終戦から1950年代まで
太平洋戦争の終戦を機に、民法の改正により家制度は廃止された。 経済復興と給与労働者の増加により、家庭は家内労働の場という側面が薄まり、家庭の教育的役割が強調されていく。

■現代の家族
1950年代以降の家族変動の最も顕著なものは単身世帯の増大である。 つまり、現代の家族には、同居親族数が減少し核家族化が進んだこと、共同体の力の減退に伴って家族の基盤に変容が生じたこと、の二つの特徴があげられる。 合わせて、夫婦の共働きも一般化しつつある。
それによって、育児や子育てが保育園や学童クラブ、地域の野球やサッカー、スイミングスクールなどのスポーツクラブ、学習塾などに一時的に委託されることも増えてきた。家族の機能の分散化ともいう。 また、共働きに伴う性別役割分業の問題、老親の扶養の問題も表面化してきた。

************************************

 

 

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List