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2020年12月10日

日本人の性意識はどうなっているのか? -10

前回は性関係を規定している集団の在り方として伝統的な母系集団のほうが女性にとって理に適っていることを探った。それが私権をめぐる闘争の時代以降、父系集団に転換してしまい、それに比例するように女性の充足性も低下していった。つまり現代は本来の女性という太陽を失ってしまったといえる。

現代は集団意識さえ失い、男女関係は希薄であくまで自分にとって都合の良い関係でしかない。それを象徴するかのように、男女の恋活としてマッチングアプリを活用している人が増えているという。とある企業の調査によると相手に求める6割が「容姿」と「人柄」とのこと。男は「容姿」を求め、女は「人柄」であるという。ともにそれが前提としてないと続かないという倒錯した状況となっている。(マッチングアプリで異性に求める条件は?利用者の約6割が「容姿」と「人柄」を重視 )

これまで、このシリーズで伝えたかったのは、人は男女関係も仲間関係も仕事関係もすべて、本来の集団の中で深化していくものであり、活力となるもの。近代の個人主義に発する男女同権に染められていてはそこに到達できない。市場原理が終焉を迎えつつある今、時代は本来の人類の在り方に向かって大きく、深く動いていることを感じて頂きたいと切に願う。

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2020年12月03日

日本人の性意識はどうなっているのか? -9

前回は、性の本質をポリネシアの人々の事例から、生命エネルギーの交流が“性の充足”の原点だと捉えていることを探った。現代人は、この感覚、認識と程遠いことを自覚する必要があるようだ。

今回は、そういうポリネシアをはじめ、もともと人類にとって性の場でもある集団の在り方を探ってみたい。大きくいえば、母系か父系かに分けられるが、母系集団はライオンや狼、ハイエナなどの哺乳動物や人類の起源である霊長類でもオランウータンなどに見られる一般的な形態である。始原人類の過酷な状況はここでは触れないが、集団の在り様も洞窟に隠れ住むぐらいの外圧状況で、その後弓矢などの武器を持つ段階でようやく母系集団という形態に立ち戻れたのではないだろうか?

現代でも、母方の実家に寄り添うほうが、円満な家庭多いといわれる所以がもともとの母系集団であることの名残であることからくる。女性が安定するという意味でも、母系集団は理にかなっている。そこに立ち返ることが性の意識を転換していくカギを握っているのではないだろうか?

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2020年12月01日

なぜ、男と女がいるの?

小さい頃にふと「なぜ、男と女がいるのだろう?」と疑問に思ったことがありました。
でも答えが分からず、そういうものなんだ!神様が作ったものだから・・・と、考えることをあきらめてしまいました。
でも、その後生物の進化史を知ることでその意味が分かり、とても納得したことを覚えています。

そして現在のジェンダーフリー教育は、生物の摂理、人類の摂理に照らし合わせてみるとても危険なものだということが分かります。
男と女がいる理由について、リンクより紹介します。

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実現論 前史

ロ.雌雄の役割分化

生物史上の大進化はいくつもあるが、中でも生命の誕生に次ぐ様な最も劇的な進化(=極めて稀な可能性の実現)は、光合成(それによって生物界は、窒素生物から酸素生物に劇的に交代した)であり、それに次ぐのが雌雄分化であろう。生物が雌雄に分化したのはかなり古く、生物史の初期段階とも言える藻類の段階である(補:原初的にはもっと古く、単細胞生物の「接合」の辺りから雌雄分化への歩みは始まっている)。それ以降、雌雄に分化した系統の生物は著しい進化を遂げて節足動物や脊椎動物を生み出し、更に両生類や哺乳類を生み出した。しかし、それ以前の、雌雄に分化しなかった系統の生物は、今も無数に存在しているが、その多くは未だにバクテリアの段階に留まっている。これは、雌雄に分化した方がDNAの変異がより多様化するので、環境の変化に対する適応可能性が大きくなり、それ故に急速な進化が可能だったからである。

 

事実、進化の源泉はDNAの多様性にある。つまり、同一の自己を複製するのではなく、出来る限り多様な同類他者(非自己)を作り出すことこそ、全ての進化の源泉であり、それこそが適応の基幹戦略である。しかし、同類他者=変異体を作り出すのは極めて危険な営みでもある(∵殆どの変異体は不適応態である)。従って生物は、一方では安定性を保持しつつ、他方では変異を作り出すという極めて困難な課題に直面する。その突破口を開いたのが組み換え系や修復系の酵素(蛋白質)群であり、それを基礎としてより大掛かりな突破口を開いたのが、雌雄分化である。つまり、雌雄分化とは、原理的にはより安定度の高い性(雌)と、より変異度の高い性(雄)への分化(=差異の促進)に他ならない。従って、雌雄に分化した系統の生物は、適応可能性に導かれて進化すればするほど、安定と変異という軸上での性の差別化をより推進してゆくことになる。(注:本書では差別化という概念を、優劣を捨象した客観的な概念として用いる。)

 

 

事実、この系統の生物は雌雄の差別化をより推進してゆく方向で進化してきた。それは、雌雄が同じ役割のままでいるよりも、安定性の求められる生殖過程はメス、危険性の高い闘争過程はオスという風に役割分担を進めた方が、より種としての環境適応が高くなるからである。例えば脊椎動物の系統では、魚のメスは卵を産み落とすだけで子育てなどしないが、爬虫類になると卵を温めて孵化させる種が現れ、更に哺乳類になると胎内保育をし、その上かなり長期間子育てに携わる様になる。つまり、進化するにつれてメスの生殖負担がどんどん大きくなってゆき、そのぶん闘争負担は小さくなってゆく。他方のオスは、それにつれて生殖負担が小さくなり、そのぶん闘争負担が大きくなってゆく。例えば哺乳類は、一般に内雌外雄の集団編成を取っているが、これは外敵には闘争存在たるオスが対応し、その集団(オスたち)に守られて生殖存在たるメスと子供が存在するという、外圧に対する二段編成の構造(=同心円の構造)である。だから、オスが子育てをする哺乳類など、殆どいない。

 

この様に、哺乳類は(自然界でも一般には)メスが生殖過程を主要に担い、オスが闘争過程を主要に担うことによって、メスとオスが調和し、種としてのバランスを保っている。それが、オスとメスを貫く自然の摂理である。(現在、男女同権論者たちは「男と女の役割分担は、社会によって作られた悪習である」と主張しているが、それは生物史の事実に反する嘘であって、上述した様に人類が登場する遥か以前から、オス・メスの役割分化は進んでいる。それは数億年に及ぶ進化の塗り重ねの上に成り立っており、たかが近代二〇〇年しか通用しないイイ加減な理屈で変わる様なものではない。人間は、自然の摂理を冒涜してはならない。その意味で、男女同権論に惑わされた現代の男女が、差別化という進化のベクトルに逆行して中性化しているのは、種にとって極めて危険な状態である。)

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2020年11月26日

性の営みは、自然界との調和の中にある

現代の常識では、男女の性行為の目的といえば「種の保存と、快楽の充足」だと理解されています。
しかし、「性・愛・命の学び舎」の代表理事・夏目祭子氏によれば、性の営みとは、個人的欲望や人間だけの利益を満たすといった次元を超えて、もっと大きな意味を持つ自然と協力し合う行為なのだと説きます。

以下、夏目氏の著書「あなたが目覚める 愛とと性のギフト」より引用します。

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人が自然の懐に抱かれながら生きていた時代のことを思い浮かべてみましょう。その頃の人たちは、樹木や草花に囲まれた自然の風景の中で、性を営む機会が多かったことでしょう。

私たちは自然界からエネルギーをもらって生きているけれど、それは食べ物や水のような、目に見える形だけではなく、実は風景から直接エネルギーをもらうという形もあるのです。それも、暖かな陽の光に包まれることや、植物から放たれる新鮮な酸素を吸うといった、わかりやすい形だけでなく、もっと繊細な「電子のエネルギー」をもらっているのです。
昔から全国各地には、「そこに行くと病が治る、元気になる」ということから「イヤシロチ(弥盛地)」と呼ばれる特別な場所がありました。この不思議な現象にはきちんとした理由があって、どうやらイヤシロチというのは、大気中のマナイスイオン濃度がほかより高い土地だということがわかってきたのです。

電子の多いマイナスイオンが体に取り込まれると、細胞を老化させる活性酸素が中和されるため、細胞の元気がよみがえって、新たな生命力を吹き込まれたような働きをします。電子もまた、私たちの“ごちそう”なのです。なぜなら、私たちの体の働きだけでなく、心の働きも取り仕切っている全身の神経回路は、まさしく電気信号を使って動いているのだから。

自然の中で性の営みは、自然の風景から放たれる電子のごちそうを、全身の皮膚から吸収します。それが栄養となって、普段より濃密な感覚を体験することができます。そしてエネルギーが高められた男女の周囲に、かすかな光や花火のような姿で全身から放たれて、自然界へと返されていきます。それは美しい「放電現象」です。

その時、自分たちと自然界との境界線がなくなる「一体感」を感じることができます。おそらく精神文明の人たちは、男女の間を通い合うエネルギーの絆と、自分たち自然界との間に通い合う絆が交差する、至福の高揚感に包まれながら、自分がこの世界の一部でありこと、そして「自分たちがこの世界に歓迎されてうること」を、頭の考えからではなく、いやおうなしに全身で体感することができたのでしょう。
自然が美しいのと同じように、性も美しい。私たちの性は、自然界との調和の中にあるのだと。

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2020年11月26日

日本人の性意識はどうなっているのか? -8

前回は、女性本来の持つ充足性を、「いい女」の代表例として挙げられることの多い夏木マリさん、岡本敏子さんの記事を通して探った。自らが充足感あふれる存在のみならず、その充足感がまわりに伝搬することが共通点としてあげられる。そして徹底して「相手第一」を基本に感じて、考え、行動する。一見すると「相手」とは固定して閉じた関係に見えるが、彼女たちの意識は、その相手の背景にある闘いや安息の場、集団、そして社会、果ては宇宙全体にまでつながっている。そこにこそ性の本質があるといえる。

現代人に欠けているのは、この集団、社会や時空総体としての宇宙とのつながりであろう。すべては原初、混然一体としたものから生命が発している。本来の性はあらゆるものとつながる感覚が呼び起こされると言われる所以は生命原理そのものであるからに他ならない。

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2020年11月19日

宗教で縛られることのなかった日本人の性意識

近世まで、厳格な一神教はもちろん、何か一種類の宗教で丸ごと倫理観がしばられることのなかった日本では、性に対して比較的おおらかな気風が続いていました。
以下、夏目祭子・著『なぜ性の真実〈セクシャル・パワー〉は封印され続けるのか』より引用します。

日本人の宗教観の一大特徴は、「神仏」と「人間」を厳格に別々のものとして分けない、というところにある。死んだ人間は浄化されて「仏」となり、特にこの世で功績のあった者は「神」として祀られたりもする。また、死ぬまでもなく生きている間にも、人々はこの世で日々犯してしまった大小の罪を、山間修行で霊力を身につけた行者の祈祷によって祓い清めてもらう習慣があった。

また、大乗仏教が民衆に広まって以降は、一人一人の日々の念仏によっても罪・穢れは浄化されるものと考えた。実はこの時点で、本来は禁欲や瞑想を通して悟りの境地をめざすものとしてインドで広まった仏教も、独自の「日本教」と化してしまったのだといえる。だから、宗教によって強いられる性の禁欲は修行僧や山間行者にまかせて、一般に人々は、性を自然に与えられた喜びとして、隠すことなく楽しんでいた。
ただし、大陸からせっせと文化や技術を取り入れていた大和・奈良の時代に、お堅い「儒教」を道徳のモデルとして採用したことによって、はじめは権力者階級から、段々下に広がる形で、性を「秘め事」として覆い隠す風潮が定着していく。

それでも日本の庶民の間では、女陰や男根、あるいは男女の抱擁の姿をした像を祀って拝む「道祖神」信仰が全国各地で続けられていた。武家など支配者階級では儒教的な貞操観念が重んじられるようになったものの、一般の村落や下町では、合理的なルールに基づく夜這いの風習が営まれていた。

ひと口に夜這いといっても、そのルールは地域により幅があった。
より目的が狭く絞られている所では、それは未婚の若者や娘たちものだった。目的は二通りあって、一つは、心得のある性教育役に親が依頼して、息子・娘たちに初体験をさせること。もう一つは年頃の彼らに結婚相手を選ばせるための、お見合い代わりだ。

一方、目的が大きく広げられている所では、既婚の男女も含めて自由解放状態という例もあった。ただし、それを現代のスケベ根性で「乱婚天国の村」などと考えるのは筋違いなのだ。それは、自分の妻の産んだ子供のタネが誰であろうと問わずに自分の子として育てる、という村人全員の了解のもとで許されていたことだからだ。

つまりこの場合の実態は一種の「集団婚」で、村全体が一つの「家族」として結び付けられていたのだと言える。それというのも、当時は日頃の農作業などにおける結束が、皆が生きていくために不可欠だっとのはもちろん、いざその地方で戦乱があれば、本家・分家などの伝統的な序列のもと、村がそのまま一個の軍隊と化して自衛戦にも臨める機能を持つ、まさに運命共同体としての絆があったからなのだ。

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2020年11月18日

日本人の性意識はどうなっているのか? -7

“元始、女性は実に太陽であった。”

平塚雷鳥により、1911年に婦人文芸誌「青鞜」創刊の辞に記された有名な文言である。この言葉ほど近代、曲解されてきたものはない。本質は下記の文言のなかにある。

“潜める天才を、偉大なる潜在能力を十二分に発揮させる事に外ならぬ。”

このことは、まさに太陽のごとく、(男を)育てることにあるのではなかろうか?

現代ではそういう意識を持っていないし、むしろ年配者には男が女を育てるという風潮もあった。がそれは、自分にとって都合のいい女に育てることに過ぎず、女側から見れば、そんなチンケな目的では充足しないし、本来の女性の持つ力を発揮できない。今回は、そういう女性本来の持つ充足性を探りたい。

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2020年11月12日

日本人の性意識はどうなっているのか? -6

前回は、若者を中心に、性に対する意識が転換する可能性があるのかを探った。制度的な面ではベーシックインカム(基礎保障制度)もひとつの手段として紹介したが、本質的には性意識どう変えるか、変わっていけそうかの意識構造の転換につきる。

以下の論点が、性意識にも及ぶのか興味深い。

共認機能と観念機能の断層 より引用

【日本人はこれまで共認機能だけで生きてきた】
☆「コロナ」や「勉強第一」等、完全に観念支配されているが、共認と観念の関係は?
◎共認原理で生きてきた日本人は力の原理=強制圧力にめっぽう弱い上に、順応意識が強いので、学校やマスコミが与える観念に簡単に染められてゆく。この観念支配から脱却するには、自らの手で正しい観念=事実認識の体系を構築し、観念内容そのものを塗り替えるしかない。
・勉強第一は、子どもたちの勉強に対する拒絶反応によって⇒「学校の勉強は役に立たない」という事実認識によって、解体されてゆく。その根底にあるのは、私権の崩壊⇒本源収束だが、具体的には、観念が塗り替わることによって、突破されてゆく。
・コロナの嘘も、事実認識に塗り替えられることによって、脱却できる。この認識の塗り替えなしには、同調圧力の中身は変わらない。
◎つまり、共認機能→同調圧力だけでは、脱却できない。観念の中身が事実認識に塗り替えられることによってはじめて、共認機能→同調圧力があるべき方向に作動するようになる。
◎結局、最も重要なのは、どうしたら勝てるか?どうしたら実現できるか?⇒そのための徹底した現実直視と事実の追求→その結果としての事実認識の獲得に尽きる。(既存の事実認識たる『実現論』は、生物史的事実や人類史的事実を構造化したものに過ぎないので、誰でも実感に落とし込めるはずで、実感に落とし込めれば肉体化できる。)

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根幹的な性意識に蓋をしているのが、男女同権思想とそれから派生した諸制度にあることは以前述べた。この強固な固定観念を取り払うには、まずその事実構造を知るところから、固定観念を外すところが不可欠である。そして、童心に帰ってひたすら実感に委ねることが効果的であるといわれている。また、性という生命の根幹的な営みは感覚機能をはじめ本能に委ねるところまで至らなければならない。潜在的には誰もが感じているところであるが、それを顕在化させていくことに過ぎないともいえる。

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2020年11月10日

女性解放の歴史

江戸・明治・大正・昭和・平成・令和と時代とともに女性の働き方は大きく変化してきました。
その変遷を紹介したいと思います。リンクより

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■江戸時代の女性の社会的地位
江戸時代、女性の仕事は家庭内労働や農業での労働に限られていました。 その頃の女性の主な仕事は子供を産み育てることでしたが、同時に、農業が主産業であった江戸時代では、農業の補助的な労働力、夫を助ける労力としてなくてはならないものでした。
また、開国により生糸産業が活発化してくると、生糸生産は農家の副業として行われるようになりましたが、これを主に担当したのが農家の主婦でした。 一方、武士の妻は夫を助け、良い跡継ぎを産み育てることが義務とされていました。

■初めて会社に雇われた女性たち
ペリーの来航により開国した日本には明治維新がもたらされ、続いて産業革命が起こると、製糸産業や紡績産業が発達し、各地に工場が建てられるようになりました。こうした工場に雇われたのが、農村で暮らしていた結婚前の若い女性達でした。若い未婚の女性が雇われたのは、その頃の女性はある一定の年齢になると結婚し、子供を産み育児のために家庭にはいってしまう場合がほとんどだったからです。

一番最初に官営模範製糸場として建てられたのが富岡製糸場でしたが、ここでは士族の娘が雇われました。その後、1882年に設立された大阪紡績会社の工場は日本初の大規模紡績工場で、動力として蒸気機関を利用していました。こうした事実だけ見ると、近代化されているようです。しかし全般的に、どこの製糸・紡績工場でも、労働条件は悪く、低賃金で長時間労働ということで、雇われた工女たちは不満を抱きながら働いていました。 そのような状況の中で起きたのが、1886年の雨宮製糸場のストライキでした。このストライキは日本で初めて起こったストライキというだけでなく、女性によるストライキということでも大きな注目を浴びました。

■職業婦人の出現
製糸・紡績産業は明治に始まった産業革命が生み出した産業の一つでしたが、産業革命は、他にも数々の新しい職業を生み出しました。そこで人手を確保するために農村の若い女性も駆り出され、都市に出て仕事をするようになりました。こうした女性は「職業婦人」と呼ばれ、中には新聞配達、牛乳配達、床屋など、それまでは男性しかしなかった仕事にも従事するようになりました。

やがて、女性がした方が成果が上がる仕事があることも認められるようになり、かくして生まれたのが女性電話交換手やバスの女性車掌などでした。電話交換手は1901年(明治34年)にすべての男子交換手が女子交換手に置き換えられています。また、1924年(大正13年)に誕生した女性車掌は「バスガール」と呼ばれ当時の職業婦人の花形でした。

■女性解放運動の始まり
職業婦人の出現と同時に、女性の職業意識はだんだんと高くなっていきましたが、基本的な権利では、まだまだ女性にとって不利な状態でした。そのため、職場でも女性は、男性に比べ、低賃金など不利な条件で働かなければいけませんでした。 そのような状態をさらに悪化させたのが1898年に制定された「新民法」です。新民法は、家庭における女性の権利を全面的に否定するもので、返って男女の不平等性を法制化した形になり、そこから女性解放運動が活発化していきました。

さらに、明治時代も押し詰まった1910年(明治43年)、日露戦争を機にそれまでじわじわと高まっていた社会運動の気運を良くないものと思っていた明治政府は、社会主義のリーダーであった幸徳秋水とその仲間に対し「明治天皇暗殺計画を企てた」という罪を捏造し死刑に処してしまったのです。この事件は「大逆事件」と呼ばれ、社会運動を鎮圧するどころか、返って助長してまいました。その一つが、女性解放運動の本格化です。

■平塚らいてうの女性解放理念
大逆事件の起こった翌年の1911年、女性解放活動家、平塚らいてう(「らいちょう」と読みますが「雷鳥」と記されることもあります)が当時の日本女子大学の同窓生を集め、婦人文芸思想誌「青鞜(せいとう)」を創刊し、ペンの力を借りて、女性解放を訴えていきました。

「青鞜」の創刊において、平塚らいてうは次のような発刊の辞を述べています。 「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他に寄って生き、他の光によって輝く、病人のような青白い顔の月である。・・私共は隠されてしまったわが太陽を今や取り戻さねばならぬ。・・私の願う真の自由解放とは・・言うまでもなく、潜める天才を、偉大なる潜在能力を十二分に発揮させることに外ならぬ・・。」(一部略)

■女性の地位が向上した昭和時代
1911年に始まった女性解放運動は、更に発展し、1920年には平塚らいてうが中心となり、新婦人協会が結成されました。この協会に参加したのが市川房枝でした。市川房枝は昭和に入ると、婦人参政権の獲得に尽力し、その甲斐あって、1945年(昭和20年)に「男女普通選挙権」が施行されるようになりました。

それから約30年後の1972年(昭和47年)、「男女雇用機会均等法」が制定されたことにより女性の雇用条件が大幅に改善されました。また高度経済成長により、家電製品が普及したことで家事が楽になり、この頃から結婚しても仕事を続ける女性が増え始めました。さらに、託児所の改善や保育所が各地に開設されるなど、子供を産んでも仕事続けられる環境が整うようになったことで、生涯働き続ける働き方を選択する女性がだんだんと増えてきました。このようにして共働きという働き方が広まっていったのです。

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女性も男性と同じような雇用条件で働くようになった現在の女性たちの様子を見ていると、平塚らいてうの提起した「偉大なる潜在能力を十二分に発揮させる」リンクことに繋がっているのだろうか?と疑問をぬぐえません。

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2020年11月05日

日本人の性意識はどうなっているのか? -5

前回は、男女同権により換骨奪胎してしまった性意識を転換する必要があると説いた記事を紹介した。

状況として、ゴリゴリの私権意識がバブルとともに消え失せて以来30年が経過した今、若い人はすでに、仲間第一、相手第一に転換しており、かつての独占欲に根差した恋愛関係には見向きもしない傾向が強まっている。転換の鍵は、性意識を自己と相手の閉鎖した関係で捉えるのではなく、すでに可能性を感じている仲間第一の価値観にシフトすることにある。

それでは、性に対する意識が転換する可能性があるのか否か、今回はそこを探ってみたい。

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