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2019年12月29日

右脳の潜在意識を活性化させ、宇宙との一体化を促進する松果体

松果体という器官があり、それが潜在意識と繋がる右脳の働きを活性化し、宇宙との一体化を促進するらしい。
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『アンチエイジングで幸運ハッピーライフ』「天才脳のメカニズム~間脳と右脳の密接な関係」の要約。

人間の大脳は、大脳辺縁系(哺乳類の脳)、脳幹(爬虫類の脳)、脳梁に分かれる。脳幹は、間脳、中脳、脳橋、延髄から出来ている。脳の中心には脳幹があり、その回りに、大脳辺縁系が取り巻き、更にその周囲を大脳新皮質が取り巻いている。
大脳の右半球と左半球をつないでいるのが脳梁。間脳の中には、視床、視床下部、脳下垂体、松果体がある。

人間の脳は受精後、爬虫類の脳である脳幹、哺乳類の脳の大脳辺縁系、霊長類の脳の大脳新皮質へと、外側に向かって発達してゆく。最深部にある脳幹は、テレパシーを媒体とするチャンネルが働き、大脳辺縁系はイメージを媒体としたチャンネルが働く。

大脳新皮質の左脳には言語回路の機能しかないが、右脳は下位層のイメージ回路やテレパシー回路とつながっている。乳児期には、大脳辺縁系(哺乳類の脳)と脳幹(爬虫類の脳)と連結している右脳のみで、テレパシーやイメージが使える。その後、左脳の発達に従って、右脳の働きが出にくくなる。左脳は下位層の機能とはパイプがないため、左脳の顕在意識で右脳の働きや、下位層の脳の働き(テレパシーやイメージ)を抑えこんでしまうので、大人は潜在能力が発揮しにくくなる。

現代人は、顕在意識の言語と論理認識の左脳偏重で生きている。教育も、言語と顕在意識の左脳教育に偏重している。イメージやテレパシーを媒体とした潜在意識を引き出す右脳教育がなされない。
しかし、この潜在意識(無意識)にこそ、天才的能力が眠っている。この右脳のイメージ情報系とテレパシー情報系と左脳の言語情報系の3つをまとめているのが、間脳である。そして、間脳こそ最も深い所での人間意識と記憶を受け持っている。

一方、人間の身体をコントロールする情報系統に、神経系と内分泌ホルモン系の二種類がある。60兆個もの細胞に伝えるためには神経系だけでは間に合わない。内分泌ホルモンを血液中に放出し、全身の器官へ伝達し、各器官からそれぞれのホルモンを分泌し、全細胞をコントロールしている。

脳下垂体のホルモン分泌の調整をしているのが視床下部。そして、視床下部を活性化させる重要な器官が松果体である。
松果体は、脳の一番深い場所に位置した0.1~ 0.2gの小豆大ほどのクリスタル構造をした特別なホルモン分泌腺。人体の中で最初に完成する器官。
松果体は、生命力や若さ、免疫を強化するメラトニン、リラックスのセロトニン、やる気と快楽ホルモンのドーパミン、アセチルコリン、βーエンドルフィン等の脳内ホルモンを活性化させる。
松果体が目覚めると、第3の眼といわれるイメージ力やテレパシー能力、直感力、宇宙情報のインスピレーション、透視能力などが働き出す。
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『感謝の心を育むには』「こんなにスゴイ自然治癒力~気は波動である:松果体と右脳の働き」の要約。

「五官」以前の機能で捉えられる波動が「気」であり、それをキャッチする器官が松果体である
松果体とは第3の目といわれる受信機能だが、進化史上は、実は最初にできた第1の目である。

松果体は、ナメクジウオや、カマキリ等の一部の昆虫では表面に露出している。ハナカマキリやコノハムシ、木の枝に酷似したナナフシ等、露出している松果体は、外界の(主に光の)情報をキャッチし、それに刺激されホルモンが分泌されることで、擬態という躯体の形態までをも変化させることが可能になったと思われる。つまり、松果体は、身体の機能に直結する受信機能である。それに対して、人間の松果体は、脳の中央付近:小脳と視床下部の間にあり、視覚優位や大脳進化の過程で、脳の中央部に押しやられていったと考えられる。

最初は主に光を受信する機能だったが、人間の場合は電磁波の受信・発信機能もある。松果体は右脳との連関が特に強く、松果体への刺激により右脳が活性化する。右脳優位となると、松果体の機能が活性化し、松果体が受信した情報に鋭敏となり、「気を感じる」。

アイヌやユタや潮来、アボリジニのナンガリ・女の癒し手等、巫女やシャーマンは、幼い頃からその教育を受ける。それは、松果体が幼少期にもっとも活性化しており、その機能を使わないと徐々に石灰化してしまうためである。逆に、常に使っていると幼少期の活性状態「気を感じ取る」機能が保たれる。

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2019年12月22日

赤ん坊=人類の言語の習得過程2

言語交流研究所(ヒッポファミリークラブ)の創設者が始めた言語習得方法(赤ちゃんの方法)を紹介します。
赤ん坊の言語の習得過程は、人類の言語の進化過程をなぞっているはずで、言語の進化過程を解明するヒントがあるように思います。

榊原陽『ことばはボクらの音楽だ』(初版は1985年)の11章中2~3章の要約。

【2】ことばは美しい秩序系
5歳くらいで外国に移住した時でも、友達と仲良く遊べば、半年も立てば言葉を話せるようになる。
言葉を自然習得する過程には、文法用語は出てこない。覚えた表現をノートに整理して書くこともない。子供たちは楽しく遊びながら、無計画にランダムに英語のツマミ食いをしているだけである。それだけで5歳くらいの子供なら、新しい言葉が半年で完成する。
5歳の子供が半年間でランダムに拾う言葉の総量は限定されたものだが、発音訓練もなしに、アメリカ人そっくりに話すようになり、文法の一つも知らないのに、文の基本的な誤りは犯さない。
5~6歳の子供なら、自然の言葉の環境さえあれば、身につけることができるだろうが、大人はそうはいかないのだろうか?
一般的に10歳前後に言語習得能力に質的変化があるかの如く言われるが、それは事実なのだろうか?
多言語国家であるインドやウガンダの大人は、2~3週間くらいで片言の日本語が話せるようになる。
幼児が言葉ができるようなる振舞い、5歳児が新しい言語環境であっと言う間に新しい言葉が話せるようになる振舞い、多言語人間が易々と言葉を次から次へとマスターする振舞い。
そういう言語の振舞いを一貫した美しい秩序として記述することが言語研究の目標であろう。

【3】私自身(榊原氏)の体験から
私が言葉の教育を始めた動機は常識的なもので、これから地球が狭くなるので、これからの子供たちはヨーロッパ語一つ、アジア語一つくらいはできたほうがいいだろうというものだった。
全くの素人だったが故に事実に学ぶより他に方法がなかった。はじめは常識的に英語を教えることから出発し、外国語教育に成果を上げているプログラムを探した。しかし、始めてみると、言葉を教えることがどんなに難しいことか思い知らされた。

例えば、英語の代名詞”he””she”。「彼」とか「彼女」とかいう表現は輸入語で、日本語の日常にはないのである。これを4~5歳の子供に教えようとするだけで大変だった。子供たちもだんだん苦痛になってきて、10人→5人→3人と減ってゆく。
そこで、外国語教育で常識とされている方法を忘れ、言葉について身近に知っている事実を踏まえて、一から構築し直してみようと考えた。
私が3~4歳の頃、父親が英語の絵本を読んでくれた。「”Once upon a time”昔むかし、”a man had a donkey.”ある男がロバを飼っていたよ」
それが2年ほど続いた頃には、いちいち翻訳してやらなくても、わからない所は聞くようになっていたという(父親の後日談)。
子供たちに物語を一文、一文、日本語と英語で聞かせてやろう。同時に聞こえてくる英語にも自然に触れてゆく。
その蓄積で英語を無意識に自分で見つけてゆくことができるのではないかと考えて、物語の日本語・英語による読み聞かせを始めた。
物語の活動が始まって3~4ヶ月経った時、『グルンパ』という英語の物語を日本語と英語で聞いているうちに、幼稚園の年長の男の子が英語だけで10分くらいの物語を話せるようになった。

階梯を踏んでゆく教科では、先の課程まで進んでいるグループに最初から始めることも入れるわけにはいかないが、日本語と英語で語られている物語で遊んでいるのであれば、ずいぶん前に入った子も、一週間前に入った子も一緒に遊べる。共通の日本語で物語の話題を楽しむことができるからである。グループ編成が同年齢構成から縦軸年齢グループに変った。
これまでの教える教科から、遊びながら言葉を見つける活動への方向転換に加えて、グループの縦軸年齢構成も相まって、子供たちがなんとなく、柔らかくふっくらと育ってゆくように見えた。
∵同年齢グループは誰が誰よりできるorできないと問題になる競争的グループ構成だが、縦軸年齢では上の子が下の子の面倒を見るといった役割分担グループになるからである。

※子供たちが自然な環境で言葉を習得してゆく過程は、単語の一つ一つを理解して、それを組み合わせて文を作るのではない。文の理解が先行する。例えば、子供が寂しい時に「アイムソーローンリィ」と言ったとしてもが、Ⅰもamもsoもlonelyの意味も解っていない。

※子供たちは二つの言葉が完全に話せるのに、ある年齢に達しないと、通訳することを拒否する。10歳くらいになって初めて、突如として通訳してくるようになる。これは多くの人が体験として知っている事実だが、学校の英語教育の中で、いつも日本語との対比で言葉を学ぶ経験しかなかった大人たちにとって、自然な言語環境で新しい言葉をそのものとして見につけてゆく子供の姿が見えなかったであろう。

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2019年12月22日

赤ん坊=人類の言語の習得過程1

言語交流研究所(ヒッポファミリークラブ)の創設者が始めた言語習得方法(赤ちゃんの方法)を紹介します。
赤ん坊の言葉の習得過程は、人類の言語の進化過程をなぞっているはずで、言語の進化過程を解明するヒントがあるように思います。

榊原陽『ことばはボクらの音楽だ』(初版は1985年)の1章の要約。

●著者略歴
1930年生。両親は教育者で豊かな学びの機会を与えるという恵まれた家庭環境。ところが、旧制中学卒業後、通常の進学の道を拒否し、学ぶことに対する境界や制限にとらわれず、知の探求に対して、自らの本能に従って思索を進めていった。
特定の研究機関や学問分野にこだわる必要がなかった彼は、赤ちゃんや幼児が、母語を習得する過程に深い考察を繰り返し、自らの目と耳を頼りながら、ことばを自然に獲得する過程について独自の考えを生み出した。

【前書き】
本書は多言語活動の体験を具体的に、また、その理論的大枠をできるだけ平明に述べることを目的とする。言葉が身近であるために当たり前のこととして見過ごしている事実の中に、重要な情報が含まれている。だから、誰でも知っている当たり前の事実から、言葉とは何か読者と一緒に考えようと思う。

【1】赤ちゃんの方法
赤ちゃんは自然科学者だ。取りまく全てのものが珍しく、好奇心に充ちた眼差しでひたすら何かを追い求めている。赤ちゃんと同じ道筋で、人類は言葉を見つけ、人間の言語世界を創り出してきた。自然の存在そのものである人間によって、自然の論理にしたがって創り出されたものが人間の言語である。その言葉を創り出す自然の論理とは、方法とは、どのようなものか。

人間は誰でもその言葉が話されている環境さえあれば、その言葉を習得できる。日本では日本語、韓国なら韓国語だが、3~4つの言葉が飛び交うルクセンブルクでは、誰でも例外なく、4つの言葉を同時に自然に話せるようになる。
表層的には全く似ても似つかぬ言葉であっても、その深層の秩序は普遍的であり、すばらしく平明な秩序を持っている。だから、幼児は何語であれ、環境さえあればその言葉を習得する。赤ちゃんにとっても何語であっても、自然言語である限り同じ人間の言葉なのである。

赤ちゃんは生まれたばかりの時は見えない。というのはまだ真っ暗な闇の世界の中にいるということだろう。それが、日に日に少ずつ光を感じ始め、明るさに目覚めてゆく。やがてその明るさの背後にぼんやりとした影のようなものが見えてくる。赤ちゃんはまだ焦点を合わせるということを知らないが、その影を追い始め、焦点を合わせるという目の体操を始める。

膨大な光の波の足し合わせで作られる波形を、目は形として認識し記憶する。音声言語も膨大な数の波の振動の足し合わせの束であり、それを音声認識する。音声認識も目の形認識も、複雑な波形の型認識である。幼児でも満一歳にもならないうちに、母親の音声を聞き分ける。音声の複雑な波形のうちに母親の顔を見るのである。
赤ちゃんの音声認識の発達プロセスは、ぼんやりとした全体の認識から、徐々にくっきりとした細部の認識へとゆるやかに時間をかけて整然と進行する。

生まれたばかりの赤ちゃんには言語の複雑な個別音など全く聞こえない。煩雑な個別音を識別し、いちいち一つ一つに捉われていたら、言語の習得など不可能である。

幼児は、まず全ての人間言語に共通の普遍的な言葉らしさを認知する。いかなる言語音声といえども無秩序な音の列ではない。聞こえてくる人間の言語音声が苦痛を催すものであれば幼児は耳を覆う。
やがて言語一般の型認識から個別言語のらしさを見つけ、その型の中にぼんやりとした意味を見つけ、その用意された型の中に徐々に個別音を取り込み、少しずつはっきりとした言葉らしいものの姿が見えてくる。ここまで来ると、猛スピードで一気に言葉の山を駆け上がる。用意された型で言葉を一挙に取り込むとも言えるし、ぼんやりとした型として取り込まれていたものがクッキリしてくるとも言える。
「チュメタイ(冷たい)、チャムイ(寒い)」といった幼児語は、その型認識の段階を示す目安である。やがて「さむい」「つめたい」と言えるようになるための健康な過程であり「チュメタイ、チャムイ」と言っているのを発音矯正する親もいない。型認識の順調な成長を喜ぶ。3~4歳までは子供は天才であり、ここまでは親たちも楽天的な加点法主義である。
以上が、幼児が言語習得する過程で、その内側で行っていると想像される営みである。

従来の言語学の方法は、これと対立する。個々の言語を完成されたものとして外側から捉える。それぞれの言語を部品の全体と考え、まず部品(発音・単語・単語の並べ方・・・)の整理、分類から始める。このような言語観の上に、これまでの言語教育のほとんどがある。発音練習、単語の暗記、文法の練習などを、分類の用語ともども勉強しなければならない。そして、何一つ間違ってはいけない。これは厳しい減点法の世界である。この人工的な方法の強制の中で、大半の人が外国語嫌いになり、自分は言語無能力者だという確信を植えつけられる。

赤ちゃんは天才だ。しかし、大人になったら、もうダメなのか。もう一度赤ちゃんに帰ってやってみよう。3~4つの言葉が飛び交う地域では、誰もがいつのまにか複数の言葉が話せるようになる。言葉が混じることはない。こうしてヒッポファミリークラブの多言語活動が始まった。

ヒッポのメンバーの家では絶えず7つの言葉のテープがバックグランドミュージックのように鳴っている。それを耳を澄まして聴くことが重要ではない。いつも言葉ができるだけ聞こえてくる場を作ることだけで十分。3~4ヶ月もすれば、「これは何語だ」ということは誰でも解る。それぞれの言語の波形の大きな特徴を捉えることができるようになったということであり、人間の型認識の技である。半年~1年もすれば、だいぶ細かい所まで波の形が捉えられるようになり、早く聞こえたスペイン語もゆっくりと聞こえる。そのことにはスペイン語を口ずさみ始める(間違ってはいけないなどと思いもしない)。すると、その言葉を受け止めてくれる仲間が欲しくなる。

何歳になっても人間の中には赤ちゃんが生き続けている。外側からいくら観察しても、赤ちゃんの内側で起きていることを知るには限界がある。自分の中に生き続けている赤ちゃんと出会った時はじめて、赤ちゃんの内側の自然の神秘的な営みが、なだらかな当たり前の事実として見えてくる。

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2019年12月17日

初期人類の多様性の中心は、東南アジアの島々

10年近く前、謎に包まれた初期人類の小指のかけらがシベリアで発見された。この未知の人類は、骨が発見されたアルタイ山脈のデニソワ洞窟にちなんでデニソワ人と名付けられた。

彼らはネアンデルタール人に近い種で、何万年もの間アジアで暮らしていたと考えられている。そこまでわかったのはDNAが採取できたおかげだが、化石は指の骨、数本の歯、頭蓋骨のかけらが1つしか見つかっていない。しかも、発掘された場所はデニソワ洞窟だけと、試料の数自体はきわめて少ない。

ところが、2019年4月「学術誌Cell」に発表された論文により、驚きの新事実が明らかになった。いや、むしろデニソワ人の謎が深まったと言える。東南アジアの現代人のDNAを大規模に調べたところ、デニソワ人は実は1つのグループではなく、独立した3つのグループが存在したことが示唆されたのだ。そのうちの1つは、ネアンデルタール人とデニソワ人の違いと同じくらい、他のデニソワ人と異なっているという。

さらに、1つのグループは、およそ4万年前に姿を消したネアンデルタール人よりも新しい時代まで生き残っていたかもしれない。論文によると、デニソワ人は少なくとも3万年前、おそらく1万5000年前まで、ニューギニア島で現生人類と共存し、交配していた。この年代が確かなら、デニソワ人は、知られている限り、私たち現生人類以外で最も最近まで生きた人類ということになる。

複数いた謎の祖先

近年、古代アジアの人類が驚くほど多様だったことを示す発見が相次いでいる。フィリピンで新種の初期人類ルソン原人が見つかったと発表されたばかりだが、今回の刺激的な発見もそうした流れに連なるものだ。

初期人類の多様性の中心は東南アジアの島々だということが、突然表面化したようなものです」と、論文の共著者でニュージーランド、マッセー大学のマレー・コックス氏は、フィリピンやマレーシア、アジアの先の広大な海域に浮かぶその他の諸島を指して言った。

2018年、米ワシントン大学のシャロン・ブラウニング氏らが、デニソワ人と現生人類の交配の波が2度起きていたことをすでに明らかにしていた。今回の論文はそれを拡張するものだが、ブラウニング氏は今回の結果と意味に興奮しつつも、こう注意をうながす。

人類史のほんの一部にすぎません。でも、こうした小さな発見の積み重ねで、全体が明らかになるのです

デニソワ人は、少なくとも40万年前にはネアンデルタール人との共通祖先から枝分かれした可能性が高い。そして、ネアンデルタール人がヨーロッパと中東に広がる一方、デニソワ人はアジアに広がり、やがてアジア系の現代人の祖先と交配した。そのおかげで、デニソワ人の遺伝子の痕跡が現代のホモ・サピエンスに残され、デニソワ人の謎を解き明かす手がかりとなっているのだ。

【参考】ナショナル・ジオグラフィック
「デニソワ人に別グループ、アジアでまた驚きの発見」(リンク
「解説:新種の人類、ルソン原人を発見、フィリピン」(リンク

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2019年12月17日

言語機能を司る脳の構造(小脳発達/左脳が右脳を抑制制御)

『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』(中田力著 紀伊国屋書店)に、鳥類の歌う機能と対比しながら人類の言語機能を司る脳の仕組みを論じた一節がある。

その論点は、
【1】鳥類には知性(観念機能や共認機能)はないが、言語機能(聞いて真似て発声する機能)は持っている。このことは言語機能は観念機能とは独立して存在し得るものであることを示唆している。

【2】人類も鳥類も、運動機能を司る小脳の進化によって、言語機能を進化させた。

【3】人類も鳥類も言語機能に優位半球がある(左脳優位になる)。

【4】言語(発声)機能に使われる筋肉(球筋)は、もともと呼吸や食物摂取をはじめとする基本的な生命維持に必要な筋肉である。一般の筋肉は右側の筋肉は左脳、左側の筋肉は右脳に支配されているが、この球筋は左右両脳の支配を受ける。これは、片側の脳に障害が起こっても、生命維持に不可欠な球筋が麻痺しないためである。


【5】ところが、言語機能の場合だけ、右脳の支配を抑制制御する仕組みを脳は作り上げた。これが言語機能における優位半球(左脳優位)である。

以下、その引用。
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脳科学の立場から興味深いことは、カナリヤが歌を歌うために用いる脳に優位があり、その内容が学習によることである。カナリヤは人間の言語同様に、片側の脳を優位に使って歌を歌い、父親から最初の歌を習う。

ここに、ヒトの言語が生まれてきた秘密を解く鍵が隠されている。
脳の機能画像で確認されたことの一つが、言語と音楽とは、少なくともヒトの脳にとっては、ほとんど同一の機能であること。
ここから、言語機能の発生にとって、高い知能が必須でなかったことがわかる。
オウムも九官鳥もカラスも、人間の真似をしているだけではあるが、言葉を話す。ヒトの言語が鳥の「オウム返し」の言語と違うところは、高度の知性にもとづいていることである。鳥は言語機能を獲得したものの、高い知性を獲得しなかったために、あまり知性の高くない言語しか持っていない。

ヒトも鳥も小脳の機能を顕著に進化させることで、運動機能の飛躍的進化を果たした。事実、ヒトの脳が相対量として最も増加させた脳は小脳であり(絶対量としては前頭葉である)、鳥の脳でその中心を占める脳もまた、小脳である。
言語機能は運動系の進化から、それも、小脳の進化から生まれてきたと考えられる。
音による意志伝達の方法論を既に獲得していた哺乳類であるヒトの祖先は、高度化した声を出す運動機能を用いて、音による意志伝達のための機能をも精密化することに成功する。ここに言語が生まれることとなった。
言語機能にとって小脳が重要な役割を果たすことは、自閉症の研究によって知られていた。言葉を発しない子供たちに共通の因子は、小脳の未成熟度であった。
鳥類は小脳の進化による運動機能の精密化を飛行という形で成し遂げた。中には、その能力を発声の運動機能に応用する種が生まれ、音楽機能を獲得したのである。しかし、鳥類では、高度な知能を保証する脳はなく、その結果、歌を歌う能力と、オウム返しの言語能力しか獲得できなかった。

歌を歌う鳥はその音楽機能に片側の脳を優位に使う。ヒトが言語機能に優位半球を持つこととまったく同じである。
ヒトの脳が持つ左脳と右脳との機能乖離はヒトの脳が持つ最大の特徴とされるが、歌を歌う鳥は同じような機能乖離を獲得している。人類と鳥類というかけ離れた進化の道を歩んだ種が、音楽機能と言語機能という基本的に同一の脳機能を誕生させるに至って、優位半球という極端に特殊な機能形態をも共有することになったのである。
これは、言語機能の基本構造が調音器官の精度の高い運動機能として登場する時に、優位半球を持つことが必須であったことを意味する。

その必須条件とは何だったのか?何故、両側の脳を使っていてはいけなかったのか?
発声に使われる筋肉は、元々、呼吸とか食物の摂取とか、生きてゆくための基本的な動作に必要な筋肉である。神経学的には球筋と呼ぶ。これは、これらの筋肉を直接支配する神経が出発する部分(延髄)が、球根のような形をしていることから生まれた名前である。
球筋に独特の特徴は、左右両方の脳から支配を受けることである。ここに優位半球登場の秘密を解く鍵が隠れている。
全身の筋肉は左右対称に存在する。一部の例外を除いて、身体の右側にある筋肉は左の脳、左側にある筋肉は右の脳に支配されている。
従って、一方の脳に障害が起こると、反対側の身体半分が利かなくなる。
ところが、球筋は左右両方の脳の支配を同時に受けている。これは、球筋が身体の中央に位置することと、生命に直接関係した筋肉であることから出来上がった仕組みと考えられている。
両側の脳からの支配を受けていれば、たとえ、片側の脳に障害が起こったとしても球筋の麻痺は起こらない。呼吸や食物の摂取など、直接的に生命の維持を左右する筋肉は麻痺しない。

左右の脳から二重の支配を受けることは、片方が壊れたときの保険としては良い構造である。しかし、両方の脳が健全な時には、ちょっと働き難い。左右両方の脳の正確な同期を要求するからである。
これは職場に同じ決定権を持っている上司が二人いる場合と同じである。片方がいなくなっても仕事はできるが、普段の仕事では常に二人の合意を取っていなければならない。それでは、あまり効率の良い仕事はできない。
それでも仕事の効率に問題を起こさないためには、普段から行う仕事の内容を一定にして、あまり複雑なことをやらせないようにしておくことである。実際のところ、球筋の主な仕事である呼吸とか食物の摂取などは、ほとんど一定の作業として決められている。随意に動かす場合でも、それほど自由な動きをさせることはできない。

ヒトは調音器官に高度の運動機能を獲得することで、言語機能を獲得した。その調音器官の中心的な運動は球筋によってなされる。ところが、球筋は、元々左右の脳の両方から支配を受け、単純作業をやるものと決められていた筋肉である。言語機能という繊細な運動機能には向いていない。
そこで、脳は言語機能の場合だけ、球筋に指令を出す脳のランク付けをすることにした。
言語機能に関する運動においてのみ、球筋への命令を与える権利を片側の脳に優先的に与えることにしたのである。

とはいっても、いざというときの保険を残したまま、つまりは、基本的な球筋の運動の両側支配は残したまま、言語運動のときだけ片方の脳に支配させる機構を作ることは、それほど容易ではない。
そこで、脳が選んだ方法が、(意識して故意に行う)随意運動でのコントロールである。言語運動は随意運動である。従って、球筋の随意運動に左右の脳にランクをつける機構を開発したのである。
脳は、随意運動を開始する信号を受けて、自動的に片方の脳の支配を押さえ込んでしまう制御装置を作ることにした。随意運動の開始が自動的に片側の脳の支配力を低下させ、その結果、片側の脳が球筋の運動支配に優先権を持つようにしたのである。優位半球の登場である。
神経学的には、このような機構を抑制制御という。

抑制制御の装置を加味することで、もともと存在した両側支配の構造を変えずに、片側支配を作り出すことができる。言語機能という随意運動の場合のみ、球筋への支配は優位半球からの信号が優先されることになる。

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2019年12月17日

日本の婚姻史3 族外婚

日本の婚姻史2の「族内婚」に続いて、もう一つの群婚である族外婚について紹介します。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)

群の定着と族外婚
縄文前期ごろから群は定着し、生産力の増大、人口の増大から、かつては別れ去った分枝群もいまは隣り合って集落を作るようになる。この段階で群は族内婚から、隣群との族外婚に進む。(筆者注:氏族単位で集団分割した上で集団統合力強化のため、氏族間で交じり合う婚姻制に転換する。交叉婚ともいう。)

族外婚の典型はオーストラリアに見られ、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というもの。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則。

ところが日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。(筆者注:拡大族内婚とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。「日本の交叉婚の特殊性」参照。)

通婚関係にある男女は、各自別群に所属している。だから子は当然母の群に生まれ育ち母の族員になることにより、母系氏族制がはじまる。群は氏族になり、氏族は母系によって継承されることになる。そして族員たちは互いにハラカラ(同母族)と呼び合うようになった。

クナド方式

クナグという古語は性交を意味する。(『トツグ、マク、クナグ』参照)
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などとみえる。だからクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所の意味。
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっている。

クナドは文字通り神前共婚の場所であるが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもある。原始段階では性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。大国主神の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのもこの理由に他ならない(後日詳解の予定)。

・猿田彦神話では、国堺のヤチマタに異国人の猿田彦が立ちはだかっていると、ウズメという女神が乳房と陰部を露出してこれに立ち向かい、両者唱和して交通がひらけたとある。だから猿田彦は交通の神でもあり性の神でもあり、ウズメは雄取式舞踏(カグラ踊り)の祖神となった。

・女が性器を出して先駆すれば必ず敵軍を軟化させ得るという俗言から、沖縄の軍陣ではサキパリ(先張り?)というウズメ式巫女が用いられたという。
交通の要所に立つチマタの神や、道祖神や、村境にあって外からの害悪を防ぐサヘの神、これらが複合して同時にクナドの神とされ、いまも性の神とされているのは、その場所で神前集団婚が行われたからで、市場における定期的な集団婚カガヒ(歌垣)のことは、「万葉」にも謡われている。
カガヒは掛け合いの義。歌を掛け合うという意味で歌垣ともよばれる。カガヒは筑波(右の写真)や杵島などの入会山でも行われた。歌垣山という名の山も各地にみられる。歌を掛け合い踊りを踊ってそれを婚交の前奏曲としたことは、つぎの招婿婚(婿入婚)段階にもひきつがれて、ヨバヒの場合の唱和や相聞歌となり、平安期には文使いの儀式となったりした(文の方式は、村には明治ごろまで遺存して、若者たちの通い婚の序曲となっていた)。和歌など文学の起源はここにある。(筆者注:歌垣は、東南アジアや中国南部の雲南地方など、照葉樹林文化圏に広くみられる。)

クナドでの族外婚では、それが集落婚姻圏を超えて広域的なものとなればなるほど、男性略奪(雄取り)と同じ観念、つまり子ダネをとるという観念が第一義となったろうが、それだけでなく外族との和平や政治的、経済的ブロックの拡大への動機がからんでいた。原始部落の女性たちは、胸乳をあらわしホトを露出したウズメ式の身振りの尻振り踊りによって他部族の男性を誘惑した。

・この段階が過ぎて個別婚の時代になると、この雄取式形態は、神社の巫女によって相続者をうる手段とされ、または娼婦によって歪曲化されて受け継がれた。
・平安時代には遊女(アソビメ)という娼婦がいたが、外来者とみれば取り囲んで歌舞し男客を誘惑した。

・沖縄の娼婦ズリの起源も外来者との婚交にあり、まれ人(客人)に仕える神の妻(め)にあるようだ。

・人妻と処女の別なく、外客を迎えて枕席にはべった鎌倉期の俗、とくに長者制の俗(長者の家での外客への饗応にはじまった娼婦制)も同じ原始の雄取婚からの遺制にちがいない。

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2019年12月13日

日本の婚姻史 2

前回は、日本の結婚形態の変化を時代とともに見ていきました。リンク
今回は、それぞれの婚姻様式を紹介してゆきます。

最初は群婚(族内婚と族外婚)のうち族内婚から。族内婚を明らかにするのは記録がなく難しいが、遺跡や遺物、遺語、招婿婚(婿入婚)から類推できる。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)
共食共婚
原始の家は後代の固定的なそれと違って、移動的な群単位の血縁集団の段階だったと考えてよかろう。縄文早期の遺跡は数個の竪穴からなり、その一つは面積約25㎡、5~6人程度の収容能力で、まだ炉の跡もなく、移動性が濃厚に見られる。
群は必然的に孤立的で、洞窟や竪穴式・平地式住居に住み、共食共婚であったろう。つまり同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた。共食共婚こそ同族の特権であり、連帯性の基礎であるとされたのであろう。古語のヘグイは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは群時代の共食共婚の俗をうかがわせる。

神前婚
togari008.jpg
原始的集団は、協業や防衛等の必要から、必然的に成員の団結を求めて祭治集団化していく。自然物の豊穣を祈り、人口の増加を願い、成員の血縁性への自覚による親和を念じて、その象徴としての「生む」母神像を創作して祭り、その神前で共食共婚の例祭を執行することを不可欠の行事とした。(右写真は「縄文のビーナス」)
族内共婚の遺習は、後代では村内共婚として見られる。例えば、美濃国郡上郡東村大字祖師野の氏神の秋祭りでは、村じゅうの老若男女が夕刻から神殿に集まり、太鼓に合わせて輪を作って乱舞した。それがすむと、人妻と処女の別なく、入り乱れて共婚神事をいとなんだ。万葉集にも「人妻に吾もまじらむ、吾妻にひとも言問へ」といって神前共婚が演じられたとある。
トツギ祭というのがある。その多くは大漁とか、豊年とかを祈って行う共婚神事であって、これにはザコネ式や闇まつり式などがあり、個別的な好き嫌いを許さない共婚性を示しているが、帰着するところは、食と性に対する共産共有の意識を象徴した原始的共同体的な祭りの一種であろう。
大和国磯城郡まき向(ムク)というところでは、毎年旧正月10日に、網掛神事というのが行われていた。田一反分のわらで男根の形をつくり(これをスサノヲ神という)、同じ分量で女根をつくり(これを稲田姫神という)、神官氏子が立ち合って、トツギ神事を執行したというが、もとは氏子同士がいとなんだものを、男女の性神に委託して象徴化したものであろう。

女性発情の告知方式
月経をめぐって女性の生理は躍動し、それを身振りにあらわして男性を挑発したであろう。これが舞踏(尻振り踊り)のはじまりであったろう。
踊りは「雄取り」(ヲスの鳥などをとらえるときメスの鳥をいわゆるオトリに使うのに同じ意)から来た語であろうという説があるが、女性発情の告知方式が上のような尻振り踊りなら、この踊りが雄取りに通ずることはうなずける。(後の族外婚ではもっと誇張された雄取方式になる。)
女性自身による告知方式は第一義的に尊重されたろうが、群が発達して共同体運営の関係から祭治制が発明され、食も性も神前における規律下にいとなまれるようになると、群は女性の発情期をトして(うらなって、判断して)、一定の祭礼を行うようになったらしい。それはたぶん戸外で、共食共婚をともなう舞踏会(女性の尻振り踊りに男性も同化して)として催されたであろう。

族内婚図
原始時代の族制は、いわゆる類別組織で、性別と年齢階級が基本となっている。(「我」を中心として直系親から傍系親へ、近親から遠親へ叙述していく等親的な個別組織の後代の属性とは対照的である。)
(一)原初型
年齢階級
性 セ(チ)――┬コ(幼児)
別 イモ(ハ)―┘
性別のイモとセには、長幼の意味はない。単に族内婚の意味、つまり後の言葉でいえば兄弟姉妹で同時に夫婦であるという意味だけである。幼児のコから成年男子をチ、同女子をハと呼んだろう。どちらも族の長老の意味にもなった。ハには母の意味が生理的にも濃厚だったろう。イモをオモと転じても母となり、接頭語のイをのぞいてモといっても母のことになった。
(二)その進んだ型
年齢階級や性別の呼称が分化して複雑となり、群内の族制が秩序だってくる。神前婚が起こったのもこの段階であろう。
年齢階級
<オヤ>           <コ>
性 セ  オチ(大父)/ヲチ(小父)―― ヲノコ(ヲヒ)―┬マコ
別 イモ オハ(大母)/ヲハ(小母)―― メノコ(メヒ)―┘
オチ・オハ=後代転化して母系および父系の祖父母をいう
ヲチ・ヲハ=後代転化して母系および父系の伯叔父母をいう
ヲヒ・メヒ=実母子族の発展後転化して甥・姪の義となると想定
(三)内部の実母子族
イロハ(実母)―┬―イロセ(実兄弟)
└―イロモ(実姉妹)
内部に実母子族(母子小家族)が認識されて、はじめて禁婚観念が族内にめばえてくる。世界的には、親世代と子世代の禁婚が第一に行われ、次に実母子族の禁婚が行われるというが、日本では親世代と子世代(つまり異世代間―おぢとめい、おばとおいなど)の禁婚は行われず、実母子族の禁婚のみが著明に見られる。これは南北朝頃まで維持された。
日本は原理的には、実母子族禁婚を除いて他に禁婚がない。この点で日本の婚姻制は族内婚型といえる。後に父系が貫徹してから、父系中心の近親婚が禁じられてくるが、それでも従兄弟姉妹は禁婚されてない。非常に強く原始の族内婚型が影響しているのである。

以上、次回(族外婚)も紹介しています。

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2019年12月11日

千島学説「腸管造血・細胞可逆説」とケルブラン「生体内原子転換説」の接点

千島喜久男博士の「腸管造血・細胞可逆説」とケルブランの「生体内原子転換説」。
この二つの学説は接点がある。千島学説は細胞レベルの転換、ケルブラン説は原子レベルにおける転換であるが、どちらも「可逆的変化」ということを基本にしている点にある。

動物の血液のなかのヘモグロビンと、植物のクロロフィールとは、その化学構造式は酷似している。ヘモグロビンの中心が鉄で、クロロフィールの中心がマグネシウムであることが主たる違いで、両者とも4つのピロールリングが結合していて、単なる偶然の類似ではなさそうである。葉緑素と血色素、すなわちクロロフィールがヘモグロビンに転換するということが理解できれば、草食動物が草だけを食べていて、あの巨大な肉体を形成していることの謎が解ける。
Mg(12) + 2H(1) → Si(14)
Si(14) + 4Li(3) → Fe(26)

ケルブランはマグネシウムから鉄への転換には触れていないが、しかし、バクテリアの作用によって、珪素とリチウムが結合して鉄になることを示している。その方程式を応用して、マグネシウムを生体内の水素と結合させて珪素に転換し、珪素がリチウムと結合すれば鉄に転換する。生体内において、植物の緑色のクロロフィルが、動物の赤色のヘモグロビンに原子転換することは、これで説明がつく。

また、ケルブランは窒素が熱変性して、炭素と酸素に分割するときに、一酸化炭素が生成されることを示している。これを生体内で可逆的に逆転換させれば、炭素と酸素が結合して窒素が合成される。これは千島の ″赤血球分化説″ を生化学的に証明することになる。なぜなら、赤血球に含まれる窒素は脂肪に含まれないから、赤血球が脂肪変性するときに窒素は消失する。窒素のゆくえがケルブランの原子転換説で求めることができるからである。

これらの原子転換は、ケルブランによってイヌおよび人間で実証済みである。ケルブランも千島も、これは腸内共生菌の作用によるものだろうと述べている。事実、窒素分の少ない食物を摂取続けると、窒素の内部生産が腸内のなかで増えてくる。これは生体の防衛反応というべきもので、腸内では炭水化物や脂肪がタンパク転換するからである。窒素の少ない植物を主食にしている彼ら草食動物が、窒素の多い肉や卵や乳を生産する理由も、この論理と実際で解決できる。タンパク質飢餓による餓死説は、再検討されなければならないだろう。千島の ”赤血球と脂肪(細胞)との可逆的変化″ は、染色反応など組織科学が進歩すれば確認できるはずである。

だが、それを証明するための生物学的手段はまだ生まれていない。そのために、千島はそれを「生体の場の誘導任用(field unduction)」 という理論を持ち出して、生物学的特性に支配されているとした。しかし、千島はその「場」 が持つ詳しい物理的・科学的性質の説明はできなかった。ケルブラン説と千島学説は、丸山教授によって、ノーベル賞に推薦されながら受賞とはならなかった。

自然科学の領域をひろげ、夢の世界とされていることに意識の次元をたかめたが、現代生物学や医療の基礎原理に反するために、どちらの研究にも追随する研究者の追試がなく、却下されてしまったのである。学界はこの二つの学説に対して、いまも沈黙しているが、実際に観察されたことがらであるから、その事実は認めるべきである。事実であっても説明できないことは否定するという、科学者の態度は正しくない。

【参考】
・忰山紀一著 『生命の自覚 ~よみがえる千島学説~』
・るいネット『現代科学の根底を覆す、「原子転換説」のケルヴラン博士と「千島学説」の千島喜久男博士の可逆(→循環)世界観』(リンク
・Cafeすてきに活ききる旬亭『千島学説』(リンク

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2019年12月10日

人類のアフリカ起源説も覆されている

人類史の定説であったチンパンジー起源説だけではなく、アフリカ起源説も揺らいでいる。
以下、「今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など 人類史の常識が次々と覆されている」の要約。この論考はデイヴィッド・ライク『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(NHK出版)の知見を紹介したもの。

【1】全ゲノム解析によりホモ・サピエンス(現生人類)のアフリカ起源説が揺らいできた。
多地域進化説では、180万年ほど前にユーラシアに拡散したホモ・エレクトス(原人)が各地で進化し、アフリカ・ヨーロッパ・アジアの異なる地域で並行的に現生人類に進化したとする。それに対してアフリカ起源説では、現生人類の祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラシア大陸に広がっていったとする。

1980年代後半、ミトコンドリアDNA解析によるミトコンドリア・イブ説が登場。現生人類は約16万年(±4万年)アフリカにいた1人の女性から分岐したとされ、それ以降、アフリカ起源説が常識となっているが、だからと言って現生人類が10~20万年前のアフリカで誕生したとは言えない。
ライクによれば、この誤解はミトコンドリアのDNAしか解析できなかった技術的な制約によるもので、全ゲノム解析によると、ネアンデルタール人の系統とサピエンスの系統が分岐したのは約77万~55万年前へと遡る。サピエンスの起源は、従来の説より50万年も古くなった。

そうなると、アフリカ起源説では、77万年前~16万年前までの約60万年間、現生人類はずっとアフリカで暮らしていたということになるが、アフリカ起源説を揺るがす化石が北アフリカのモロッコで発見された。この現生人類の最古の化石は約33万~30万年前のものとされた。アフリカ起源説では、現生人類はサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡ってアフリカを出たとされていたが、30万年前に北アフリカに現生人類が棲息していたとなれば、アフリカ起源説は覆される。

【2】遺伝学的には、現生人類はアフリカ系統とユーラシア系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年前にアフリカを出て世界中に広がり、アフリカ系統はそのままアフリカに残った。
ユーラシア系統はネアンデルタール人と交雑したためネアンデルタール人のDNAを保有しているが、ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったのでアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人のDNAの痕跡はない。
従来の説では、出アフリカ後に北に向かった現生人類がヨーロッパのネアンデルタール人と交雑したとされていたが、現代人のDNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5~2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系の割合はヨーロッパ系より若干高いことがわかった。

【3】その後も、単純な「出アフリカ説」では説明できない発見が相次いだ。
2008年、ロシアのデ二ソワ地方の洞窟で約4万年前の人類の骨が発見された(デニソワ人)。DNA解析でニューギニアやメラネシアでデニソワ人との交雑が行われていたことがわかった。ライクは、これをシベリア(北方)のデニソワ人とは別系統としてアウストラロ(南方)デニソワ人と呼んでいる。

さらに、アフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デ二ソワ人の共通祖先(約77万~55万年前)よりもさらに古い140万~90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したとされる。

約5万年前にサピエンスがアフリカを出た時、ユーラシアには少なくともネアンデルタール人とデニソワ人という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇し、交雑した。しかし、交雑は極めて近い血統でなければ起こらない(性交によって子を作れなくなった時点で分類学上は別の種になったと見做される)。
ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということになる。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万~38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万~55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスが突然ユーラシアに現われ、彼らと交雑できるとは考えられない。

そこでライクは、現生人類もユーラシアで誕生したという説を唱えた。
従来の人類学では、人類はアフリカで誕生し、約180万年前にホモ・エレクトス(原人)がユーラシア大陸に進出した後も、ネアンデルタール人の祖先やサピエンスなど、さまざまな人類がアフリカで誕生しては繰り返し「出アフリカ」したことになっている。
だが、新しい人類はアフリカでしか生まれないのか。ユーラシア大陸にも180万年前から多くの人類が暮らしていたのだから、そこで進化したと考えることもできるはずである。

ライクは古代人のDNA解析にもとづいて、ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらに現生人類(サピエンス)、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐したと考える。
デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに広がり、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布した。
現生人類は脆弱でネアンデルタール人に圧迫され中東に押し込められていたが、その後、ネアンデルタール人が中東に進出したことで、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退した。だからモロッコで現生人類の化石が発見される。

ところが5万年前に、脆弱だった現生人類が北アフリカや東アフリカを出て、ユーラシア中に広がる。中東でネアンデルタール人と交雑した現生人類の一部は東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑。こう考えると、アフリカ系にネアンデルタール人のDNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できる。
その後、彼らはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ、海を越えてオーストラリア大陸へ、そして千島列島から北海道、本州へと渡り縄文人の先祖になった。

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2019年12月10日

人間とチンパンジーのDNAが99%一致するという話はウソだった

人類はチンパンジーからと分岐したという定説は怪しい。

この説の根拠として両者のDNAが99%一致するとされているが、この「99%一致」はデータ改竄の産物であることが、『gigazine』2015年07月21日「人間とチンパンジーのDNAは99%一致するというのは本当なのか?」で指摘されている。以下、要約する。
人類とチンパンジーの遺伝情報のうち、比較できない人間の25%とチンパンジーの18%を除いた、57%だけを比較して、人類とチンパンジーのDNAが99%と一致すると、科学者は唱えているということだ。
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「人間とチンパンジーではDNAの違いはわずかに1%しかない」という「99%一致説」。しかし、それは間違いであることが指摘されている。
公開動画「Are We Really 99% Chimp?」

実際、人間とチンパンジーでは、DNAの遺伝子情報はかなり違っている。
染色体に至っては、人間23対に対してチンパンジー24対と、本数そのものが違っている。

遺伝子情報を文字に書き起こして比べると、人間にあるがチンパンジーにはない遺伝子情報やその逆もある。
塩基配列のごく一部が違うだけで、ほとんどは同じという場合は、塩基配列のわずかな違いを一つずつ数え上げることができる。
しかし、まったく違う部分が存在する。例えば、人間とチンパンジーとで記述自体は共通しているけれど、人間では2回繰り返す場合がある。
同じパラグラフでも異なる場所に現れている場合や、文字列の順序が反対の場合、文を区切れば一致する場合など、判断が難しい場合がたくさんある。
このように数えるだけでは済まない場合は科学者はどうしたのか?
科学者たちは、大きく異なる部分は切り捨てたのである。切り捨てた文字数は13億文字。そして、残った24億文字だけで比較した結果が「98.77%一致した。つまり、人間の25%のゲノムとチンパンジーの18%のゲノムを無視して、残りの部分だけを比較したのが「人間とチンパンジーのDNA99%一致説」なのである。

もっと根本的な問題として、DNA情報の異なる程度は、単純な文字列の違いでは計れない。わずかなDNA情報の違いで、姿かたちがまったく異なることがあるし、逆にDNA情報がかなり違うのに、ほとんど同じ形の場合もある。つまり、DNAの情報がほとんど同じであることをもって、生物学的に近いとは言えないのである。
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実際、人類とチンパンジーの遺伝子は8割以上違うという研究結果さえ発表されている。「遺伝子:チンパンジーとヒト、違い8割以上(毎日新聞)」 ― 研究チーム「違いは想像以上に大きい」【元村有希子】毎日新聞 2004年5月27日 2時00分
人類とチンパンジーの塩基配列の違いは5%だが、その遺伝情報によって作られたタンパク質では83%で違いがあるということだ。以下、転載する。
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理化学研究所などでつくる国際共同研究チームがチンパンジーの22番染色体とヒトの染色体を比較した結果を、27日付の英科学誌ネイチャーに発表した。生命の設計図と呼ばれるゲノム(全遺伝情報)の暗号文字(塩基配列)の違いは約5%だったが、それを基に作られる遺伝子は8割以上で違いが見つかった。研究チームは「両者は進化の隣人と呼ばれるが違いは想像以上に大きい。ヒトへの進化をもたらした遺伝子の解明は簡単ではない」と話している。

チンパンジーとヒトの祖先は共通で、チンパンジーの22番染色体はヒトの21番染色体にあたる。研究チームは、チンパンジーの22番(3350万塩基)の配列を昨年夏に決定し、既に解読済みだったヒトの21番と精密に比較した。

これまで、ヒトとチンパンジーの塩基配列の違いは1%余りとされていた。しかし、今回の研究では、両者で塩基の種類が変わっている部分が1.44%あったほか、塩基配列が加わったり、逆に欠けている部分が約6万8000カ所も見つかった。合わせた違いは5.3%になるという。

また、染色体上の遺伝子231個を両者で詳しく比べた結果、192個(全体の83%)で、遺伝子が作り出すたんぱく質に違いがあった。

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