現在の類人猿の棲息場所は、アフリカと東南アジアの赤道付近に限られているが、かつてはアジア~ヨーロッパ全域に分布していた。
1800万年前以降、類人猿はアラビアから西はヨーロッパ、東は中国までユーラシア全域に広がっていた。
ところが、1400万~1300万年前以降、アフリカの類人猿化石は発見されなくなる。
アフリカのゴリラやチンパンジーに直接つながる化石は何も見つかっていない。
次いで1000万年前以降、ユーラシアでも類人猿化石が減少。
1000万年前以降、ヨーロッパでも類人猿化石が減少。インド亜大陸の北部でも、800万年前頃を境に類人猿が化石記録から消える。但し、中国南部や東南アジアではオランウータンやテナガザルの化石が出土している。
衰退しアフリカ・東南アジアの赤道付近に追いやられた類人猿に代わって、各地でオナガザル科の霊長類(旧世界ザル)が台頭し、現在のようにアフリカとアジアで多様化し、繁栄した。
個体の腕力(→肉弾戦)が強いのは類人猿だが、化石記録から見る限り、種としての適応力が高いのはオナガザルと考えるべきだだろう。
実際、チンパンジーもゴリラもオランウータンも絶滅危惧種となっている(オナガザルはそれほどでもない)。
チンパンジーが父系制という特異な集団形態になったのも、オナガザルによって絶滅の危機に瀕したことがあったからではないか?
類人猿化石の分布図 「義経はお盛ん?大型類人猿」より。
以下、「東部ユーラシア新第三紀の化石類人猿」(國松豊 京都大学霊長類研究所)から転載。
現在では類人猿の分布はアフリカの赤道付近のコンゴ盆地から西アフリカにかけての森林と, 東南アジアのインドシナ半島やスマトラ, ジャワ,ボルネオなどの島撰部の森林に限られている。しかし, 過去においては化石類人猿の分布は現生類人猿のそれよりいちじるしく広く, 現在, 類人猿が棲息している地域から遠く離れた南アフリカやアラビア半島, ヨーロッパからも類人猿の化石が発見されている。
類人猿と思われる最古の化石は漸新世後期(2500万年前) のもので, ケニヤ北部ロシドク から見つかったカモヤピテクスである。その後,中新世(2300万~530万年前)前半には主に東アフリカからプロコンスルをはじめとする多様な化石類人猿が知られている。
1600~1700万年前頃のユーラシア類人猿(グリフォピテクス)はまだ比較的原始的なものだったが, 1200~1300万年前頃になると,現生類人猿との結びつきをうかがわせる比較的進化したタイプが, ヨーロッパ (ドリオピテクス) や,アジア(シヴァピテクス)に出現する。これらがそれ以前にユーラシアに進出したグリフォピテクスのようなものから直接進化したのか, あるいはアフリカからユーラシアへ新たに進出してきたのかは, いまのところ明らかではない。
ユーラシアの化石類人猿は, ヨーロッパや南アジアでは一部の例外をのぞいて800万年前頃を境に姿を消した。
中国南部から東南アジアでは更新世(260万~1万年前)のオランウータンの化石が若干見つかっているが, 800万年以降の中新世(2300万~530万年前)後期から鮮新世(530万~260万年前)の時期に彼らがどのような進化の道筋を辿っていたのかについてはほとんどわかっていない。
テナガザルについては, 更新世(260万~1万年前)の化石は幾らかあるものの,それ以前の進化史については知られていない。
アフリカでは, ユーラシアで化石類人猿が繁栄していくのと入れ替わるように, 1300~1400万年前以降の時代の類人猿化石の発見は非常に稀である。
ケニヤのトゥゲン丘陵から見つかったオロリン・ツゲネンシス (600万年前) や, ほぼ同じ時代(600~700万年前) のものとされるチャドのサヘラントロプス・チャデンシスなど, ごく初期の人類化石が出始めるまで, 数百万年のあいだ, ヒト上科の化石はほとんど見つかっていない。
現生のゴリラやチンパンジーの系統とわかる化石記録は皆無である。
これに対して, 中新世(2300万~530万年前)の後半からはオナガザル上科が台頭を始める。
1500万年前のケニヤのマボコからはケニヤピテクスなどの類人猿化石にならんで, 原始的なオナガザル上科(ヴィクトリアピテクス) が大量に出土している。
後期中新世(1000万~530万年前)から鮮新世(530万~260万年前)以降は, アフリカ, ヨーロッパ, アジア各地で現代型のオナガザル上科 (コロブス亜科, オナガザル亜科) が化石記録の上に続々と現れる。
現在では, 種数も分布域も限られている類人猿にくらべて, オナガザル類は, 寒冷になりすぎたヨーロッパでは絶滅したものの, アフリカとアジアにおいては多様な種類に分化し, 繁栄している。