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2020年01月26日

オナガザルに淘汰された最小類人猿は体重3.6kg(現存テナガザルより小さい)

『The Asahi Simbun GLOBE+』2018年12月21日「ケニアで見つかった世界最小の類人猿、猫より小さかった」の要約。

低木が広がる酷暑の地、ケニアのトゥーゲンヒルズ見つかったごく小さな歯(大臼歯)の化石から、世界で最も小さな古代の類人猿の存在が確認された。
学術名Simiolus minutus。推定体重約3.6キロ。
発見した大臼歯は、直径が約3.8mm。これからあごと体の大きさを推定すると、古代の絶滅種から現存種までの、知られているどの類人猿よりも小さかった。ちなみに、現存種の最小はテナガザルで、体重は約4.5~13.6kg。

歯の形状を詳しく分析した結果、完全な葉食動物かどうかはともかく、葉を食べていた特徴を備えていた。これより先に、同じ場所から見つかった化石がコロブス亜科のサルのものと特定されており、同じ食物をめぐって類人猿とサルが争っていたことが推測された。

1250万年ほど前に、木の上で葉っぱを食べて暮らしていたと見られる。しかし、同じ食物をとるコロブス亜科(霊長目オナガザル科の亜科の一つ)のサルとの生存競争に敗れ、絶滅した。中新世時代(2300万~530万年前)の出来事で、類人猿とサルとの間にあった厳しい自然淘汰が浮かんでくる。

それまでは、類人猿が支配的な存在だった。ところが、それがこの時代に逆転。現在では、類人猿の種は20ほどしかない。一方、アフリカとアジアの「旧世界ザル」(中南米の「新世界ザル」と対比した新旧大陸別の分類)の種は130を超える。コロブス亜科のサルだけで、ルトンやシシバナザルなど60種以上もがアジアからアフリカにかけて生息している。
なぜ、Simiolusなどの小型のものを含めて、多くの類人猿が姿を消したのかは、よく分かっていない。サルとの生存競争の激化や環境の変化が原因ではないかというのが、現在では中心的な仮説になっている。

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2020年01月21日

洞窟の中に隠れ住んでいた事実が、古人類の交雑を促した

5万年前、ユーラシア大陸では現生人類(ホモサピエンス)の他に、旧人と言われるネアンデルタール人とデニソワ人が共存していたことがわかっている。 それら古人類のDNA分析が進んだ結果、
・現生人類×ネアンデルタール人
・現生人類×デニソワ人
・ネアンデルタール人×デニソワ人
の間で交雑があったという衝撃的な事実が判明している。従来、現生人類とネアンデルタール人は【別種】と考えられていた。交雑の事実は、現生人類と旧人は別種ではなく【亜種】であること示している。

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以下、ナショナルジオグラフィックの記事から。

【1】ネアンデルタール人、現生人類と交配リンク
最新の研究により、ほとんどの現代人がネアンデルタール人とのつながりを持っていることが明らかになった。遺伝子構造の少なくとも1~4%はネアンデルタール人に由来するものだという。
研究では、遺伝子解析により、現生人類(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)の異種交配を示す確かな証拠が発見された。ネアンデルタール人はおよそ3万年前に絶滅した人類の近縁種である。アメリカ、ミズーリ州セントルイスにあるワシントン大学の人類学者エリック・トリンカウス氏は、「われわれが実際に受け継いでいるネアンデルタール人のDNAは、今回の研究が示す数値よりもはるかに多いと思う」と話す。「1~4%というのはあくまで最低限の値だ。10%、あるいは20%という可能性さえある」。

【2】デニソワ人、現生人類と交雑の可能性リンク
現生人類とは別系統とされる「デニソワ人」について、最近行われた遺伝子解析の結果から、現生人類の祖先と交雑していた可能性が高いことが判明した。
デニソワ人は、数千年に渡ってアジア一帯に分布していたとされる人類の一種。ロシアのデニソワ洞窟で発見された約4万年前の少女の骨をDNA解析したところ、現在パプアニューギニアに住むメラネシア人から採取したDNAと一部共通の配列が確認されたという。これはメラネシア人が現生人類の祖先とデニソワ人との交雑の子孫である可能性を示唆している。
現生人類とデニソワ人が異なる種ならば、交雑によって生まれた子どもには生殖能力がなかったと考えられる。だが今回の研究でわかったように、デニソワ人のDNAはメラネシア人に受け継がれている。フィオラ氏は、デニソワ人と現生人類は同種の可能性が高いと見ている。

【3】少女の両親は、ネアンデルタール人とデニソワ人リンク
「ありえない」――古遺伝学者のビビアン・スロン氏は、当初、骨のDNAの分析結果を信じられなかった。その骨は、ネアンデルタール人のDNAとデニソワ人のDNAを、ほぼ等量もっていたのだ。彼女は何かの間違いだろうと考えた。スロン氏は、ドイツにあるマックス・プランク進化人類学研究所の博士研究員だ。分析結果によると、約9万年前の骨片は、10代の少女のもので、母はネアンデルタール人、父はデニソワ人だということだった。
科学者たちは、数種のヒト族がいた時代、交雑があったと考えている。古代や現代のヒトゲノムの中に、彼らの遺伝子を痕跡が見つかっているからだ。ただ、交雑によって生まれた子の存在が実際に確認されたのは今回が初めてだ。この発見は、2018年8月22日に科学誌「ネイチャー」に発表された。2種のヒト族の交雑によって生まれた子どもの初の決定的な証拠であり、古代のヒト族同士の関係の理解を進めるヒントだ。

★これらの新たな研究は、ヒト族同士の交雑が以前考えられていたよりも一般的だったこと可能性があることを示している。それにしても亜種である人類の交雑が進んだ要因はどこにあるのだろうのだろうか?

このことについて、ネアンデルタール人とデニソワ人のDNAから交雑を解明に携わった米カリフォルニア大学のコンピューター生物学者リチャード・E・グリーン氏は、洞窟がカギを握っているのではないかと考えている。 「洞窟では骨が保存されやすいということもあるが、洞窟に多様な集団が集まることが要因ではないか。」

∴人類は足の指が先祖返りし、木に登ることができない「カタワのサル」。洞窟に隠れ住むしかなかった事実が、古人類の交雑を促したのではないだろうか。

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2020年01月19日

1000万年前以降、衰退する類人猿と台頭するオナガザル

現在の類人猿の棲息場所は、アフリカと東南アジアの赤道付近に限られているが、かつてはアジア~ヨーロッパ全域に分布していた。

1800万年前以降、類人猿はアラビアから西はヨーロッパ、東は中国までユーラシア全域に広がっていた。
ところが、1400万~1300万年前以降、アフリカの類人猿化石は発見されなくなる。
アフリカのゴリラやチンパンジーに直接つながる化石は何も見つかっていない。

次いで1000万年前以降、ユーラシアでも類人猿化石が減少。
1000万年前以降、ヨーロッパでも類人猿化石が減少。インド亜大陸の北部でも、800万年前頃を境に類人猿が化石記録から消える。但し、中国南部や東南アジアではオランウータンやテナガザルの化石が出土している。

衰退しアフリカ・東南アジアの赤道付近に追いやられた類人猿に代わって、各地でオナガザル科の霊長類(旧世界ザル)が台頭し、現在のようにアフリカとアジアで多様化し、繁栄した。

個体の腕力(→肉弾戦)が強いのは類人猿だが、化石記録から見る限り、種としての適応力が高いのはオナガザルと考えるべきだだろう。
実際、チンパンジーもゴリラもオランウータンも絶滅危惧種となっている(オナガザルはそれほどでもない)。
チンパンジーが父系制という特異な集団形態になったのも、オナガザルによって絶滅の危機に瀕したことがあったからではないか?

類人猿化石の分布図 「義経はお盛ん?大型類人猿」より。

以下、「東部ユーラシア新第三紀の化石類人猿」(國松豊 京都大学霊長類研究所)から転載。

現在では類人猿の分布はアフリカの赤道付近のコンゴ盆地から西アフリカにかけての森林と, 東南アジアのインドシナ半島やスマトラ, ジャワ,ボルネオなどの島撰部の森林に限られている。しかし, 過去においては化石類人猿の分布は現生類人猿のそれよりいちじるしく広く, 現在, 類人猿が棲息している地域から遠く離れた南アフリカやアラビア半島, ヨーロッパからも類人猿の化石が発見されている。

類人猿と思われる最古の化石は漸新世後期(2500万年前) のもので, ケニヤ北部ロシドク から見つかったカモヤピテクスである。その後,中新世(2300万~530万年前)前半には主に東アフリカからプロコンスルをはじめとする多様な化石類人猿が知られている。

1600~1700万年前頃のユーラシア類人猿(グリフォピテクス)はまだ比較的原始的なものだったが, 1200~1300万年前頃になると,現生類人猿との結びつきをうかがわせる比較的進化したタイプが, ヨーロッパ (ドリオピテクス) や,アジア(シヴァピテクス)に出現する。これらがそれ以前にユーラシアに進出したグリフォピテクスのようなものから直接進化したのか, あるいはアフリカからユーラシアへ新たに進出してきたのかは, いまのところ明らかではない。

ユーラシアの化石類人猿は, ヨーロッパや南アジアでは一部の例外をのぞいて800万年前頃を境に姿を消した。
中国南部から東南アジアでは更新世(260万~1万年前)のオランウータンの化石が若干見つかっているが, 800万年以降の中新世(2300万~530万年前)後期から鮮新世(530万~260万年前)の時期に彼らがどのような進化の道筋を辿っていたのかについてはほとんどわかっていない。
テナガザルについては, 更新世(260万~1万年前)の化石は幾らかあるものの,それ以前の進化史については知られていない。

アフリカでは, ユーラシアで化石類人猿が繁栄していくのと入れ替わるように, 1300~1400万年前以降の時代の類人猿化石の発見は非常に稀である。
ケニヤのトゥゲン丘陵から見つかったオロリン・ツゲネンシス (600万年前) や, ほぼ同じ時代(600~700万年前) のものとされるチャドのサヘラントロプス・チャデンシスなど, ごく初期の人類化石が出始めるまで, 数百万年のあいだ, ヒト上科の化石はほとんど見つかっていない。
現生のゴリラやチンパンジーの系統とわかる化石記録は皆無である。

これに対して, 中新世(2300万~530万年前)の後半からはオナガザル上科が台頭を始める。
1500万年前のケニヤのマボコからはケニヤピテクスなどの類人猿化石にならんで, 原始的なオナガザル上科(ヴィクトリアピテクス) が大量に出土している。
後期中新世(1000万~530万年前)から鮮新世(530万~260万年前)以降は, アフリカ, ヨーロッパ, アジア各地で現代型のオナガザル上科 (コロブス亜科, オナガザル亜科) が化石記録の上に続々と現れる。
現在では, 種数も分布域も限られている類人猿にくらべて, オナガザル類は, 寒冷になりすぎたヨーロッパでは絶滅したものの, アフリカとアジアにおいては多様な種類に分化し, 繁栄している。

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2020年01月14日

世界の地域別血液型割合(A・B・O・AB)

●世界平均    A型35% B型17% O型44% AB型5%
「世界の人種・民族別血液型割合」から転載。

●アジア・オーストラリア
日本      A型38% B型22% O型31% AB型9%
ネパール    A型37% B型24% O型30% AB型9%
チベット    A型37% B型24% O型30% AB型9%
オーストラリア A型40% B型10% O型47% AB型3%

韓国      A型32% B型30% O型27% AB型11%
中国      A型30% B型29% O型33% AB型8%
台湾      A型27% B型23% O型44% AB型6%
フィリピン   A型26% B型24% O型45% AB型5%
スリランカ   A型22% B型26% O型47% AB型5%
ミャンマー   A型25% B型32% O型35% AB型8%
タイ      A型22% B型33% O型39% AB型6%
マレーシア   A型25% B型29% O型38% AB型8%
ベトナム    A型22% B型31% O型42% AB型5%
カンボジア   A型23% B型35% O型39% AB型3%
モンゴル    A型22% B型34% O型37% AB型7%

インド     A型21% B型41% O型29% AB型9%
イラン     A型25% B型34% O型31% AB型10%
アフガニスタン A型25% B型36% O型29% AB型10%
パキスタン   A型25% B型34% O型31% AB型10%

●中東・北アフリカ
イラク     A型31% B型26% O型35% AB型8%
クウェート   A型24% B型24% O型47% AB型5%
エジプト    A型34% B型24% O型34% AB型8%
リビア     A型36% B型19% O型40% AB型5%
チュニジア   A型31% B型18% O型46% AB型5%
アルジェリア  A型39% B型13% O型44% AB型4%
モロッコ    A型34% B型23% O型37% AB型6%
ナイジェリア  A型21% B型23% O型52% AB型4%

●中央アフリカ・南アフリカ
エチオピア   A型28% B型21% O型47% AB型4%
ソマリア    A型26% B型13% O型58% AB型3%
チャド     A型27% B型26% O型45% AB型2%
セネガル    A型25% B型21% O型50% AB型4%
リベリア    A型25% B型24% O型46% AB型5%
ガーナ     A型22% B型25% O型49% AB型4%
カメルーン   A型22% B型21% O型54% AB型3%
コンゴ     A型27% B型20% O型49% AB型4%
ギニア     A型17% B型17% O型64% AB型2%
アンゴラ    A型25% B型22% O型49% AB型4%
ウガンダ    A型23% B型23% O型49% AB型4%
モザンビーク  A型23% B型17% O型57% AB型3%
マダガスカル  A型23% B型28% O型43% AB型6%
ケニア     A型26% B型22% O型49% AB型3%
ザンビア    A型25% B型27% O型45% AB型3%
南アフリカ   A型35% B型16% O型45% AB型4%

●北欧・西欧
ノルウエー   A型49% B型8% O型39% AB型4%
スウェーデン  A型47% B型10% O型38% AB型5%
フィンランド  A型42% B型18% O型33% AB型7%
デンマーク   A型44% B型10% O型42% AB型4%
フランス    A型44% B型8% O型43% AB型4%
スペイン    A型45% B型9% O型42% AB型4%
ポルトガル   A型48% B型8% O型41% AB型3%
ドイツ     A型43% B型13% O型38% AB型6%
オーストリア  A型44% B型13% O型39% AB型4%
スイス     A型47% B型8% O型42% AB型3%

●東欧~トルコ
チェコスロバキアA型41% B型18% O型33% AB型8%
ハンガリー   A型43% B型19% O型30% AB型8%
ポーランド   A型38% B型19% O型35% AB型8%
ユーゴスラビア A型42% B型14% O型37% AB型7%
ルーマニア   A型45% B型17% O型34% AB型7%
ブルガリア   A型44% B型16% O型32% AB型8%
アルメニア   A型50% B型13% O型29% AB型8%
キプロス    A型46% B型13% O型35% AB型6%
トルコ     A型45% B型15% O型33% AB型7%
レバノン    A型47% B型12% O型36% AB型5%

●北米・南米
アメリカ    A型41% B型10% O型45% AB型4%
メキシコ    A型11% B型4% O型84% AB型1%
グァテマラ   A型3% B型2% O型95% AB型0%
エルサルバドル A型26% B型11% O型60% AB型3%
ニカラグア   A型7% B型1% O型92% AB型0%
コスタリカ   A型31% B型13% O型53% AB型3%
キューバ    A型36% B型12% O型49% AB型3%
ジャマイカ   A型20% B型21% O型56% AB型3%
ドミニカ共和国 A型31% B型13% O型53% AB型3%
ハイチ     A型27% B型18% O型51% AB型4%
プエルトリコ  A型30% B型13% O型47% AB型10%
ボリビア    A型5% B型2% O型93% AB型0%

「知識の泉Haru’sトリビア★世界の血液型とその分布を知ろう!」から転載。

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2020年01月14日

世界の血液型因子(A・B・O)の分布図

「知識の泉Haru’sトリビア★世界の血液型とその分布を知ろう!」から転載。

A型因子の分布図
★世界の血液型とその分布を知ろう!_a0028694_112739.gif
血液型因子分布の世界平均は、 A23% B11% O66%
A型は北欧から西ヨーロッパにかけてに多く、 A型の最も多い地域は北スカンジナビア、特にモンタナのブラツクフットインディアン(30-35%)、オーストラリア原住民(多くのグループが40-53%です)、ラップ人か、サミィの人々(50-90%)です。

B型因子の分布図
★世界の血液型とその分布を知ろう!_a0028694_11275115.gif
血液型因子分布の世界平均は、 A23% B11% O66%
B血液が最も多いのは中央のアジアで、比較的多いのがアフリカです。少ないのがアメリカ大陸とオーストラリアです。

O型因子の分布図
★世界の血液型とその分布を知ろう!_a0028694_11282821.gif
血液型因子分布の世界平均は、 A23% B11% O66%
O血液型は世界中で一番多く、分布比率が100%に近いのが中南米の原住民、オーストラリア原住民と西欧(特にケルト族の先祖がいる人口における)です。 O型が少ないの東欧と中央アジアで、そこで多いのがB型です。

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2020年01月07日

西洋婚姻史=性の覇権闘争史②

西洋婚姻史=性の覇権闘争史①に続き、中世の結婚、14世紀の結婚、プロテスタント主義の影響、近代の結婚をリンクより引き続き紹介します。

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■中世の婚姻
中世を通じて、婚姻の管理は宗教的権威の任務と考えられていた。教会は、婚姻のような宗教的意義をもつ行為は、教会の祝福が必要であると要求した。そこで結婚する本人たちは教会に集まり、そこで司祭の祝福を受けることが慣習となった。しかし婚姻締結そのものは当事者間の私的契約として残った。この婚姻の合意は、それに続く肉体的結合により秘跡にまで高められ、かくて婚姻は不解消のものとなる。これは1917年制定の教会法に基づき、今日もなおローマ・カトリック教会の法として定められている。教会の扉のところで司祭の祝福を受ける慣習は、その後宗教的義務として確立された。その正式決定は、1215年の第4回ラテラノ公会議で発布された。しかしこの布告に対する違反は、教会からの懲戒と処罰をもたらしただけで、婚姻そのものを無効にするものではなかった。

■14世紀の結婚
若者と家族が結婚に同意すると、婚約式がとり行われた。それは指輪の交換によって確認された。指輪は2つ用意され、婚約者は互に相手の指輪を受けとった。これは単なる指輪の交換ではなく、法的効力をもった。
契約の監視人である教会は、典礼定式書に従って婚約を公にする役割をもった。婚約者である二人は、両親、友人とともに教会に行き、戸口で主任司祭の前で婚約を誓った。そして40日の間「婚姻」を公示したあと、その教会の戸口で結婚式が行われ、そのあと教会の中でミサが行われた。

■プロテスタント主義の影響
1563年のトリエント公会議で、婚姻の有効性の必須条件として、結婚式は主任司祭ないし教区司教により、また最低2名の証人を必要とするという決定が下された。かくして、無式結婚も内密婚も不可能となった。しかしこの教会法の宣告が適用された地域は、ローマ教会に忠誠を捧げる範囲に限られた。
16世紀の宗教改革により、婚姻を民事的な契約であるという考え方が強くなった。この影響を受け、イギリスではクロンウェル治下に出された民事婚条例(1653)で、婚姻する男女が判事の前で誓うことで法的に有効となった。その後変転をみたが、1753年の婚姻法改正によって、婚姻が有効であるためには、婚姻予告の公示を行い、その後にイギリス国教会の司式規則にのっとった儀式を行うことが必要になった。

■近代の結婚
17世紀までのヨーロッパの国々にとって、婚姻は明らかに宗教的な出来事であった。しかしイギリスでは、1836年の「婚姻法」によって聖職者でない登録官の面前でも行われるようになった。だがこれにより、当事者は特定の事項を記載した通知書を提出し、登録官の面前で宣誓するのであるが、教会での宣誓とは違い、登録官事務所の挙式では「汝を妻とする」と述べるだけである。ただし統合婚姻法(1949)により、イギリス国教会で挙式する場合には、「事前に婚姻予告の公表をしなければならない」など伝統的な規定がある。
イギリス植民地であったアメリカでは、コモン・ロー婚、つまり両当事者の合意だけで成立する無式婚姻であった。コモン・ロー婚はイギリスで1753年禁止されたことがあるが、植民地であるアメリカには適用されなかった。1776年アメリカが独立して以来、婚姻は民事契約とする考え方が一般的で、今日ではアメリカのほとんどの州で、このような法令が制定されている。合衆国では一般に、結婚式を挙げた州の法律に従っていれば、住所地の法律と違っていても婚姻の効力は有効とされる。
ヨーロッパでの「民事婚」の確立は、フランス革命によるものであり、1791年の革命憲法には「法律は婚姻を民事契約とのみ認める」と宣言された。そこでは、聖職者でない市長、村長の面前で行われる儀式以外に有効な婚姻はないものとされ、民事婚が義務づけられたのである。民事婚の義務は、その後フランスからヨーロッパの他の国々へと広がっていった。
(引用終わり)
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2020年01月06日

人類の起源と拡散⇒Y染色体亜型分布よりも確かな血液型分布

人類の起源と拡散を追求する上では、Y染色体亜型分布よりも血液型分布の方が確かである。

例えば、血液型O型の両親からはO型しか生まれないなど、血液型の遺伝法則は間違いない事実であり、DNAの極一部の配列だけで決められたY染色体亜型よりも、はるかに確かな拠り所である。
また、Y染色体亜型分布の標本数が少ないのに対して、血液型の標本数は膨大にあり、統計的な信頼度ははるかに高い。
何より、Y染色体亜型が現生人類だけの分類にすぎないのに対して、血液型は霊長類から存在する。従って人類の起源を追求する立脚点としては血液型の方が適している。

●類人猿と人類の血液型
テナガザルは、A型、B型、AB型(O型はなし)
チンパンジーはA型9割、O型1割(B型、AB型はなし)
ゴリラはB型10割(A型、O型、AB型はなし)
オランウータンと人類は、A型、B型、O型、AB型

●世界の人種・民族別の血液型割合
140393238635341545225
社会実情データ図録より

●血液型因子(A、B、O)の人種・民族別割合
血液因子は父親、母親からそれぞれひとつずつ子供にもたらされ、子供の血液型を決めることになる。血液型にはAB型、A型、B型、O型の4種類があるが、その血液型を構成する元は、父親と母親からもたらされるA因子とB因子である。血液型の分布をA因子とB因子の存在確率に直す計算を行った。その結果を示したのがこの表である。
140397042339884282225
「アルケミストは考えた~世界のABO式血液型分布と、そこから推量されることがら」より。

●血液型の世界分布図
140394570089602627225 140394572494198715225 140394576449857872225
社会実情データ図録より
A型の分布は、ヨーロッパで割合が高い点が目立っている。また北極圏やオーストラリア原住民でも割合が高い。アジアでは、日本も高い。
B型の分布は、インドから中央アジア、西シベリアをへて北極海へ抜ける地域(東南アジア大陸部へも広がる地域)、及び韓国、満州など東北アジア地域で多い点が目立っている。日本もこれに連なっている。
O型は、他の血液型に比べて世界的に割合が高いが、特に、ラテンアメリカで割合が高くなっている。日本はユーラシア大陸の中緯度帯と同様、O型が相対的に少ない。

●血液型から見た民族系譜
140394580011563709225
社会実情データ図録
これはアフリカ起源説とは全く違う、人類の起源と拡散過程を示している。
アジア起源で人類は誕生し、それがヨーロッパ・アフリカへ分岐していったとも読み取れる図である。

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2020年01月04日

西洋婚姻史=性の覇権闘争史①

いくつか日本の婚姻史について紹介しましたが、今回は西洋の婚姻史について紹介します。
その内容は、日本の婚姻史とは大きく異なっていることが分かります。
以下、「西洋婚姻史」(リンク)より

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1節 西洋婚礼史

西洋における婚姻制度は、ギリシア、ローマ、ヘブライ、およびキリスト教の伝統を主流として長年にわたって発展してきた。
キリスト教的な婚姻の形態が生れる直前まで、ユダヤ人やゲルマン人は、初期のギリシア・ローマ人と同じく、父系首長の統率する親族集団支配の社会で、すべての個人が父系首長の支配する氏族に所属し、首長の指示に従って婚姻が行われた。

■父系首長支配下の婚姻
女性は婚姻によって属する氏族から離れ、夫の氏族へ入った。女性は氏族の首長の了解なしにその氏族から離れることはできず、男性は首長の許可なくして妻をめとることはできなかった。かくて婚姻は当事者間の出来事ではなく、それぞれの首長間の取引であった。また首長は氏族の成員を追放出来る権力をもっていたから、自分の妻、息子の妻、その他あらゆる成員の妻を放逐することができた。
ところで、バビロンの捕囚(前6世紀)以後のユダヤ人の間では、もはや氏族による婚姻の統制はなかった。しかし、妻を追放しうるという考えは存続し、律法の一部として不変のものとなった。イエスの時代になっても、この「律法」により、婚姻はいつでも夫から一方的に終結することができた。
しかし、ギリシア人、特にローマ人の間では、急激な変化が起った。初期ローマでは、婚姻は当事者が儀式を行うことによって結ばれていた。しかし、のちの共和制の時代からは、儀式をしなくても婚姻を開始することができるようになった。むろん、婚姻のように重大な行事には、宗教的な祝典とか家族の祝宴を伴った。しかし、正当な婚姻関係そのものは、単に相互に夫婦となる意思をもつ当時者が同棲を開始することによって成立したのである。さらにこの自由な結合は、その開始と同様に当事者のどちらからでも自由に終結させることができた。

■古代ギリシャの結婚
古代ギリシャの結婚式は、主に冬に行われた。結婚の神であるゼウスとへラに生贄を捧げる前に、新郎新婦は聖なる泉で水を浴びた。そして花嫁の家で親類、友人などが集り、儀式のあとに宴会が行われた。花婿は白の衣装、嫁は色もの衣装を着用し、顔にヴェールをかけた。宴会が終わり夜になると、花嫁は花婿への家へ行列をした。花婿も牛にひかせた車に乗って行列に加わった。行列の参加者は手に手に松明を持ち、花嫁の付添いは婚礼の歌を歌った。家の入口では花婿の母親が行列を待ちうけ、そして人々は二人の部屋に麦をまき、花婿の母親は装飾された新婚の部屋に二人を導いた。客が帰ると花嫁はヴェールをとって花婿の前に姿を現わすのである。

■古代ローマ人の結婚
古代ローマはギリシャの結婚とほぼ同じである。まず結婚に先だって婚約式が行われる。婚約式には2人の両親や親族が招かれ証人となった。さて結婚式になると、花嫁は前夜から結婚衣装を身に付ける。そして当日花嫁は家族と共に家の前で花婿とその家族を迎えるのである。そして神殿か家の中庭に行き、そこで動物の生贄をささげ、結婚の誓いを行う。誓約のあと、宴会が夜まで行われて、そのあと松明に先導されて婚礼の行列が新郎の家に向かうのである。当時、ギリシア人とギリシア化されたアジア人は、多かれ少なかれローマ人、・ゲルマン人、その他ローマ化された人々と同様、婚姻は自由に開始され、また当事者のどちらからでも、任意のときに定まった形式もなく離婚することができた。

■キリスト教と婚姻
古代に広く行き渡っていた婚姻の形式は、キリスト教によって大きく変化した。ヨーロッパでは、紀元1世紀ころからキリスト教は、信者に婚姻に際して、神の祝福を与えていたようであるが、婚姻そのものはローマ式に行われていた。4世紀になると教会の力が強くなり、婚礼は従来通り行われたが、翌日教会でミサを受けるようになった。10世紀には教会の前で神父によって行われ、そのあと会堂に入ってミサを受ける形となった。キリスト教の伝統では、婚姻関係は一夫一婦であり、死ぬまで共同生活と結びつき、かつ貞操の義務がかせられていた。婚姻は秘跡であるという教義により、結婚そのものが宗教的儀礼となった。そして婚姻により、夫婦おのおのが神に対して責任をもつようになり、離婚することは許されなくなった。中世の教会が、婚姻を含む一切の秘跡に関する問題を決定しうるのは宗教裁判所だけであった。たとえば遺産請求の判決を下すために婚姻の存否を決める必要がある場合でも、宗教裁判所の決定が必要だった。
(以上引用終わり)

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●氏族集団の本源の性関係から掠奪集団による性支配へ
人類の婚姻は氏族同士の婚姻(=族外婚)に広がってからもその婚姻の決定権は首長が握っていた。しかしこの段階は、性は支配されているわけではなく、女に対してもその婚姻集団内で子供を生み育てることへの集団期待があった。

そして、ギリシャ・ローマの時代になると、婚姻は当事者間の合意による自由婚へと変貌を遂げる。
しかし、ギリシャ、ローマとはその出自は海賊・山賊集団であり、掠奪集団である。本源集団を失い自らも掠奪集団化するしか生きてゆけなかった彼らを集団として唯一つなぎとめた統合観念が「平等観念」である。(11/28なんでや劇場(3) 山賊・海賊によってつくられたギリシア・ローマリンク
したがって、奪った女は平等に分け与えられ、誰かが独り占めするわけではなくなった。ここから掠奪部族である「市民階級」による、女の私有化(性の支配)が始まった。
すなわち、ギリシャ・ローマ時代の当人同士の合意とは、あくまで市民階級のことであり、市民階級は誰でも平等に(誰かに制御されることなく)性を支配できたが、奴隷となった非征服民の女たちは、その性を一方的に支配される立場に貶められたといってもいいだろう。

集団の中で、女なりの集団期待も受けながら完結していた性が、歴史上初めて完全に支配された時代といってもいいのではないか。その略奪者たちによる完全支配という動かぬ現実の中で、奴隷たちの間に救いを求めて発生したのがキリスト教である。

●キリスト教による性支配へ
奴隷たちの間で生まれた「支配からの脱却=自由を求める観念」は、非常に強烈なものとなる。しかも、「自由、平等」という観念は本源欠乏も刺激し、万人に受け入れられる。
そうしてやがては支配層も受け入れざるを得ないまでの勢力を持つにいたり、国教化される。
こうしてキリスト教の婚姻規範が集団、国の婚姻規範となり、教会が婚姻関係の元締めとなる。
略奪者によって支配されていた性の支配権を、今度は教会が奪ったのである。

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2019年12月31日

古代人類のDNA系統分類

近年、発見されたデニソワ人について…ネアンデルタール人のアジア型説、ネアンデルタールとサピエンスの混血説など様々な仮説が出ている。 最新のY染色体ハプロタイプの系統樹では、以下のように追加されている。

・A0000デニソワ(ホモサピエンス・アルタイ)、
・A000ネアンデルタール(ホモサピエンス・ネアンデルタールレンシス)

そうなると...

・A00がホモサピエンス・イダルトゥ、アフリカのA系統、B系統はイダルトゥ直系で、CT(ネアンデルタールと交配)以降がホモサピエンス・サピエンスになるの可能性がある!? (現世人類を亜種レベルで分類することを許容さるだろうか?) デニソワ人がネアンデルタール人より上位に置かれたことで、中国の学者が唱えるサピエンスアジア起源説を、欧米の研究者も真剣に考えている可能性がある。近い将来、ホモサピエンス・アルタイは、ホモエレクトゥス・ペキネンシスからの進化とする仮説が出てくる可能性も有り得る。人類の進化については、あらゆる可能性を排除してはいけない。それはまた、未来についてもあらゆる可能性を排除しない。

日本列島で世界最古の局部磨製石斧が作られた4万年前、後期旧石器時代(欧米の一部研究者は日本列島で人類最初の新石器時代の開始されたとしている)には、
・北海道からシベリア方面にC系統(C,C1a2,C1b)のマンモスハンター(のちにCからC2が分岐)、
・太平洋側から海洋に進出したC1系統(日本に留まったC1a1、オセアニアに進出したC1b2)の海洋魚猟民、
・山岳地帯で半ば定住生活を始めたD系統山岳狩猟民(標高600メートル超の野尻湖遺跡など)、
の3グループが日本列島にいた。

D系統もグアムに渡ったり、フィリピンに南下したD2、最終氷期(約2万年前)に大陸と繋がっていた(繋がっていなかった説もある)アンダマンに到達したD1cなど海洋進出したグループも存在している。 現在のチベットに多いD1bの姉妹系統(とは言っても分岐が古いので、現代チベット人と日本人が遺伝的に近いわけではない)D1aは、アルタイ山脈付近でデニソワ人からEPAS1という高地に適応した遺伝子を受け継いでいる。

また、海洋に進出したメラネシア人(C1b2a)、アボリジニ(C1b2b)はデニソワ人(アウストラロデニソワ人?)の遺伝子が濃い(メラネシア、オーストラリアは氷期にはサフル大陸を形成)、一方、アンダマンのオンゲ族(D1c)と日本人、その他アジア人はデニソワ人の遺伝子は薄い。 そして、日本人はネアンデルタール人由来のTLR遺伝子を最も多く受け継いでいる。縄文人の祖先(D系統)は、中東でネアンデルタール人と混血した遺伝子、出アフリカに近い形質、言語を保ったまま、日本列島で暫く孤立していたと考えられる。

【参考】「旅する縄文人15 ~人類アフリカ起源説に疑問!?」(リンク

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2019年12月29日

松果体と右脳による波動の共鳴によって宇宙と一体化する

「五官」以前の機能で捉えられる波動が「気」であり、それをキャッチする器官が松果体である。
そして、遠隔地に「気」を送る。その土台となるのが右脳の一体化機能である。

以下は、『感謝の心を育むには』「こんなにスゴイ自然治癒力~気は波動である:松果体と右脳の働き」の後半部の要約である。

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女性の神経解剖学者ジル・テイラー博士が脳卒中を経験し左脳の機能を失い、右脳だけの働きとなった状況の記録がある。

「書籍紹介『奇跡の脳』①」 「書籍紹介『奇跡の脳』②」 「書籍紹介『奇跡の脳』③」 「書籍紹介『奇跡の脳』④」

自分が宇宙と一体化していく。脳が作っている自分という働き、それが壊れてしまうのだから、いわば「自分が溶けて液体となり」、世界と自分との間の仕切りが消えてしまう。つまり宇宙と一体化するのである。

右脳の情動(右脳マインド)は言葉のないコミュニケーションに敏感で、感情移入し、感情を正確に読み取ります。宇宙とひとつになる永遠の流れを気持ちよく受け入れます。それは聖なる心、智者、賢人、そして観察者の居場所なのです。直感と高度な意識の源泉です。右脳マインドは常にその時を生きていて、時間を見失います。

右脳マインドは新しい可能性を受け入れて、枠にとらわれず自由に考えます。左脳マインドが決めた枠内の規則や規制なんかには縛られません。右脳マインドは、新しいことにトライしようという意欲があり、とても創造的なのです。それは混乱さえも、創造的なプロセスの第一歩として評価します。運動感覚があり、機敏で、世界の中で流体のように動く体の能力が大好き。細胞が「直観」として伝える微妙なメッセージにも耳を傾けます。右脳マインドは触って体験して学習するのです。

右脳マインドはひたすらに自由な宇宙を求め、過去や未来の不安によって身動きが取れなくなることはありません。わたしの生命と、あらゆる細胞の健康を讃えます。気遣うのは自分のからだだけじゃありません。あなたのからだが健康かどうか、社会の精神的な健康、そして母なる地球とわたしたちの関係までも気にするのです。

右脳マインドは、宇宙が織物のように複雑にからみあい、お互いに結びついていることを理解しています。

境界についての知覚が全くないので、右脳マインドはこんなふうに言います。「わたしは全ての一部。わたしたちは、この惑星上の兄弟姉妹。わたしたちは、この世界をもっと平和で温かい場所にするのを手伝っている」。右脳マインドは、生きとし生けるものがひとつに調和することを思い描きます。

右脳は、長い波長の光を知覚します。ですから右脳マインドの視覚的な知覚はやや溶けて柔らかい感じになります。知覚が鈍いことで、右脳マインドは事物がどんなふうに関係しているかという、より大きな絵に集中できるのです。同様に、右脳マインドは低周波の音に同調しますが、それはわたしたちのからだや自然の 中で普通に発生するものです。そのために右脳
マインドは、生理機能にすぐに耳を傾けるよう、生物学的に設計されているのです。

「「自分が溶けて液体となり」、世界と自分との間の仕切りが消えてしまう。つまり宇宙と一体化する」ということ、そして、「わたしたちのからだや自然の 中で普通に発生するものです。そのために右脳マインドは、生理機能にすぐに耳を傾けるよう、生物学的に設計されている」
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この「宇宙や自然、周りの人、自身の身体との一体感」という感覚は、アボリジニやアメリカのヘヤインディアンなどの文献に必ず登場する。また、シャーマンや気功師に共通する感覚であるが、この右脳の機能は現代人の誰にも備わっている。実際、気功師たちは「気功は誰にでもできる」と言う。

誰にも備わっている松果体の受信(発信)機能と右脳の働きを再生すれば、遠く離れた対象とも一体化することができる。それが「気を送る」ということである。

松果体が五官では捉えられない波動をキャッチする。そして、右脳の低周波波動(長い波長の光)が相互に共振し合う。
この松果体と右脳による、五官を超えた波動の共鳴(共振)。それが宇宙との一体化である。それによって遠く離れた相手でも、自身のことのように相手の状態を把握することができる。

実際、幼い頃から松果体を使い続けている超能力者からは電磁波が発生している。超能力を持たない普通の人でも「準電界」といわれる生体電位が発生している。それを「気配」として感じる。
「人間の秘められた能力‐4~共振周波数に同調すると、治癒が促進される」 「人間の不思議能力(気配)の正体」

このように、五官では捉えられないが、松果体が捉えることができる周波数の波動を、原始人類や未開部族、乳幼少期の子供や超能力者や気功師たちは感じ取ることができる。その波動情報を「気」と呼んでいるであろう。

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