2009年12月18日
日本語の成り立ち5 ~多重層説・言語の器としての日本~
お待たせしました!『日本語の成り立ち』シリーズその5です 😀
これまでの
・村山氏による南方語の上に北方語が積み重なってできたとする「二重層説1」
・川本崇雄氏の今北方語の上に南方語が積み重なってできたとする「二重層説2」
に引き続いて、今回は安本美典・本多正久氏の著書「日本語の誕生」から「多重層説」の紹介です。
日本語はもっと重層的・波状的に成立した。とする安本氏らの説とは!?
気になりますよね。
応援よろしくお願いします!
さて、本題に入る前に安本氏らが重層説に至るためには、それまでの言語学とは異なったアプローチが必要でした。その経緯をまず氏の著書「日本語の誕生」からご紹介します。
比較言語学の音韻対応の法則
どのような二つの言語をとってもその意味と音が似ている言葉は見つけ出すことが出来る。
例えば、日本語の「そう」と英語の「so」、日本語の「なまえ(名前)」とドイツ語の『ナーメ(name)」、日本語の否定の「ぬ」とフランス語の否定の「ヌ(nu)」などである。これらが偶然の一致なのか、そうでないかを見分ける方法はあるのであろうか?これらがこじつけか、そうでないかを弁別する方法はないだろうか?
その偶然性を排除するのが、これまでは比較言語学における音韻対応の法則であった。
従来の比較言語学「音韻対応の法則」とその限界
<音韻対応の法則>の有効範囲
一つの祖語から二つの言語が分かれる場合、分裂がはじまってから約2500年以内の場合は、一語一語の特殊性があっても、対極的にはほぼ確実に音韻対応の法則が見出すことが出来る。(これは洋の東西・言語の種類を問わない。)
二つの言語が分かれてから2500年~5000年になる場合、音韻対応の法則を見出す事が困難になる場合が生じる。
二つの言語が分かれてから5000年以上たつ場合は、音韻対応の法則を見出す事はほぼ困難になる。(現在のところ祖語から分かれて5000年以上たっていることが明らかな言語において音韻対応の法則が厳密に確かめられている例はない)
日本語の場合、地理的には一番近い朝鮮の言語でさえ分裂してから5000年を超える可能性が高い。(東大名誉教授の言語学者服部四郎氏は言語年代学の方法により、もし日本語が朝鮮語から別れたとしても、分裂の時期は7000年以上前になると述べられている)
したがって、日本語の起源を探る場合、音韻対応の法則を見出すという方法では、手が届かなくなる。また、比較言語学において音韻対応の法則が確立していない場合、二つの言語は「同系」であるとはみなされない。琉球語を除き、世界中の言語の中で日本語と音韻法則が確立した言語は存在しない⇒どうする?
このような比較言語学の限界から、ついに安本氏は数理言語学・語彙統計学(確率論)の可能性に収束し、日本語多重層説へとたどり着く事になります。
語彙(ごい)統計学とは?
<語彙表の一部>
語彙(ごい)統計学とは言語年代学ともいわれアメリカの言語学者モリス・スワデシュが確立した学問で、基礎語彙という概念を用いて、二つの言語の一致の度合いが、偶然に起こる確立かどうかを調べ、言語の系統関係を明らかにしようとするものです。
文化的な語彙が他言語から借用される可能性が高いのに対し、この※基礎語彙はそれぞれの言語独自の発展を見せ、借用関係については強い抵抗力・抗体性を持つといわれています。
この基礎的な語彙=基礎語彙とはどんな言語にも見られるもので、例えば、「ある・ない、全部、大きい・・」等の語彙を100語もしくは200語に限定してリスト化し比較を行います。このリストは比較する全言語について基本的に同一語彙のリストです。
※「基礎語彙」=「手」「目」「耳」などの身体語や、「山」「川」「月」「日」「雲」などの自然や天体に関する語、「鳥」「犬」「木」「葉」「根」などの動植物に関する語、その他をさす。
安本氏・本多氏の唱える多重層説
では、お待たせしました 😀 本題です。以下が多大な困難を乗り越え、多くの協力者の力を得て、なんとヨーロッパの諸言語をのぞく四十八言語もの「基礎語彙表」を作成し、語彙統計学によって安本氏らが導き出した結論です。
<前提>
統計学上、日本語・朝鮮語・アイヌ語の三つは、語彙において相互に確率的に偶然では起こりえない一致を示している。また、この3つの言語には「主語→目的語→動詞」の語順などに見られる独特の文法的特長が見られる。
→現代の日本語は、日本語、朝鮮語、アイヌ語の三つの共通する言語から派生し重層している可能性が高い。
●日本語の起源第1層
この3つの言語と共通する言語の存在を「古極東アジア語」として想定する。この共通する古極東アジア語は、1万年から2万年前に日本海を中心とした朝鮮・中国大陸を含む広範囲で使用された言語であったと考えられる。→この古極東アジア語は統一性をもっていたと考えられる。
その後、気候変動によって日本列島が大陸から分離され各々、古日本語・古朝鮮語・古アイヌ語は方言化し、異なる言語となっていった。
●日本語の起源第2層
この古日本語を祖として、初めに台湾のアタヤル語と結びつく語彙が日本に流入したと考えられる。(アタヤル語等のインドネシア系の集団が、南九州から四国地方に居住)その後、6~7000年前の縄文期にカンボジア語と結びつく、モン・クメール語系の語彙が日本列島に流入したとみられる。しかし、これらインドネシア語・カンボジア語系の言語は比較的早期に日本列島に流入しているものの、居住域に限定された地域性の強いものであり、当時は列島で統一的に使用された語彙ではないと考えられる。
●日本語の起源第3層
更に弥生時代はじめ頃にビルマ系ボド語群(南方語)と結びつく語彙が、稲作文化と共に中国の江南地方からもたらされたと考えられる。身体語や植物語等、かなり多くの語彙が明快に現在の日本語と結びついている。第三の波はおそらく、その人口はかならずしも多くなかったであろうが、政治的な力はもっていたであろう。そして、はじめは北九州に上陸し既に北九州に存在していた(朝鮮祖語との関連を保っていた)古極東アジア語の系統を引く言語と結びつき、日本語祖語を形成したと思われる。
第三の波であるビルマ系江南語は、基本的な語順は古極東アジア語と共通していた。この勢力は南九州・本州へと勢力をのばすにしたがい、庶民の間にかなり広く広がっていたインドネシア系の言語的要素を飲み込んでいったのであろう。
●日本語の起源第4層
この日本語祖語がその後、中国語の影響を大きく受けて現在の日本語が形成されていったのであろう。
日本語の成立過程
これらを踏まえて現代の日本語の成立を考えるならば、
① 旧石器時代までには既に大陸の広範囲に「環中国語」とも呼べる広範囲に使用されたなんらかの言語が存在していた。
② 旧石器時代の頃にはその環中国語の系譜の「古極東アジア語」が日本海を中心とするエリアに広く存在した。その言語は統一的言語であった可能性が高い。
③ その後、気候変動により大陸と完全に分断され、古極東アジア語が方言化し「古日本語」が派生。
④ 縄文期(6~7000年前)にまずインドネシア語、続いてカンボジア語などの南方語が流入、地理的に極在。
⑤ 弥生時代、長江下流域(中国江南地方)からのビルマ系言語の影響をうけて「日本語祖語」が成立する。
⑥ やがて大和朝廷が、日本列島を統一していく過程の中で、日本語祖語は古くから列島各地に存在していたインドネシア系やカンボジア系の言語などの語彙を吸収し言語が統一された。
⑦ そして、飛鳥時代以降、中国語の影響を強くうけながら現代の日本語を形成していった
と考えられる。
日本という器の中の日本語
<系統論と成立論の概念図>
日本語の起源において成り立つのは、その特殊な地域特性から西洋型の「系統論」ではなく、いかにして日本語が成立したかの「成立論」であると安本氏らは言っています。それは、すなわち、日本語の成立にあたって、日本という器に流れ込んだ言語としてはどのようなものが考えられるか?それはどのような形で寄与したのかが重要なのだということです。
以上が安本氏らの唱える日本語の成り立ち「多重層説」でした。
安本氏の概念モデルを比較すると、西洋が分化する言語であるのに対し、日本語は日本を器として塗り重なって進化する言語であると言えそうですね。
さて、続いて次回は 日本語の成り立ちその6.国内形成論のご紹介です!お楽しみに
<抜粋・引用・図版元>「日本語の誕生」 安本美典 本多正久著 大修館書房より
- posted by kasahara at : 2009年12月18日 | コメント (2件)| トラックバック (0)
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comments
>明治とはまさに日本婚姻史上の最大の混乱の半世紀であったといえるだろう。
支配階級の婚姻制度は、教科書等でなんとなくわかりますが、大多数の庶民がどんな婚姻形態をとっていたかあまり知りませんでした。
しかし、大多数の庶民においても明治時代は大きな転換期だったんですね。
共同体社会と人類婚姻史 | 日本婚姻史1~その8:日本人はどのように恋愛観念を受容したのか?~明治編
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