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2009年12月02日

本格追求シリーズ1 人類の”性”の本質を探る<人類の性欲構造1(後半) 性(欲)衰弱の原因構造>

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前回の記事「人類の”性”の本質を探る<人類の性欲構造1 現在の性のいきづまり>」に引き続き、性(欲)衰弱の原因構造について追求しているところですが、先週のなんでや劇場「性欲が出てこないのはなんで?」で、ちょうどこの原因構造についての追求がありました。一気に構造の解明が進んできました。
今日は、この「なんでや劇場」で解明された内容をもとにお伝えします。
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前回の記事「人類の”性”の本質を探る<人類の性欲構造1 現在の性のいきづまり>」では、「現代の性の行き詰まりは、年代を問わない現実(社会)問題である。」ことがハッキリしました。そして、婚姻関係にあるカップルのセックスレスの割合は、36.5%(2008年値)です。
一方、昔の日本では「夜這い婚」や「SEXを禁止する日=性交禁忌の日が定められていた。」とか『30させ頃40し頃50ゴザむしり』という言葉があるように、セックスレス・性衰弱は全く見られません。
性衰弱は、現在に特有の問題なのです。
実際に草食男子と呼ばれる20代の男達に性捨象についての意見を聞いてみると
以下、るいネット「性捨象ってどうなってる?」より
=============================================================
>彼らが共通して頷いていたのが、以下。
●男女のコミュニケーション充足を求めている。
・例えば、飲み屋に行って女性のバーテンダーと話すのが楽しい。
・男女仲間で話すのが楽しい。コミュニケーションの充足が性より上。
・話してて楽しいがスキンシップまでは行かない。性関係など考えもしな
い。

●そこから性関係に発展する気がしない。遠い。
・性関係になると、大事なものが壊れてしまうのでは?と思う。
・男女コミュニケーション関係に自我独占の性が入ると充足が壊れる。
みんな引く。

●また、性に向かうにはブレーキが掛かる。
今日のメンバーからは、次の3つの観念ブレーキが出てきた。
○結婚ブレーキ
・一対婚に全く可能性を感じない。充足できる気がしない。
○責任ブレーキ
・庇護意識からセックスしたら責任意識を感じる。それがめんどくさい。
○セクハラブレーキ
・大学の頃から多少はあったが企業に入って顕著になった。下ネタも話せ
ない。
・会社の忘年会も男の席と女の席に自然に分かれて、交流はない。
・こんな場では、女性も女性同士で話した方が楽しいだろうと思う。
・その後は、先輩とスナックに行きスナックの女の子と話し歌い楽しい。

●更には、性よりも、もっと楽しいこと(趣味etc)もある。
男女関係もコミュケーションの充足止まりでよい。<
=============================================================
若い男達は、仲間的男女関係は求めているが、セックスにはブレーキがかかるのが分かります。
そのブレーキの中身は、セックス→責任が生じる・・結婚?一対婚?~そんな余裕はない!可能性も感じない。という意識です。
また、’08年から始まった金融危機ぐらいから路上の声でも明らかですが、若い男達には「それどころではない(女どころではない)」という意識が高まっています。同時に勉強意識も高くなっています。
この「そんな余裕はない」と「それどころではない」は完全に一致します。これは、特に若い男達に顕著ですが、この間の社会状況から全世代共通の意識だと見ることができます。
この「それどころではない」という意識が、実は、性衰弱へと繋がっています。
しかし、性欲とは本能であり、哺乳類・サルにとって最大の引力です。その本能である性欲でさえ、「それどころではない」と脇に追いやる強い力とは?何でしょうか?
■収束不全、もっと深いところで「どうする?」と探索が始まっている。
今まで、るいネットやこのブログでは、
私権時代の性は自我・私権の性であり、性幻想という引力で性回路を作動させてきましたが、根本にある私権欠乏が衰弱したので性回路を作動させるエネルギーが衰弱し、性欲が衰弱したという論理が中心でした。この論理は確かに整合します。
しかし、性欲の元は本能です。私権の衰弱が原因だけではスッキリしない部分が残ります。
今回劇場の追求で新たに提示されたのが「収束不全説」です。確かに哺乳類にとって雌雄の引力は最強の引力ですが、雌雄に分化する有性生殖以前の生物には、雌雄の引力は存在しません。
収束不全は、性よりも深い所にある適応本能を直撃する不全です。
適応本能が作動しもっと深いところで「どうする?」と探索に向かった結果、性が「それどころではない」脇に追いやられたのではないでしょうか?

■収束不全:古い秩序が崩壊・消滅しようとしている、しかし新しい秩序が登場しない。
最強の引力を持つ性欲さえ脇に追いやるほど強い引力を持った、何か得体の知れない「不安」と「焦り」があります。この、全てに優先する、得体の知れない気懸かりなもの(不安・焦り⇒先行き探索に向かわせるもの)の正体は何でしょうか?
これと近い歴史事実はないかと遡って考えてみても、極限時代にも、採集時代にも、私権時代にも、この婚姻史ブログでも明らかなように、性が衰弱した事実はありません。
性の衰弱とは、生物が雌雄に分化して以降経験したことのない異常事態なのです。
●極限時代、採集時代、私権時代を貫く、現在と違う共通項があるはず。それは何か?
「明日もその先も、今日と同じ」ということが共通項ではないか。
・極限時代は、凄まじい外圧に晒される状態は今日も明日も同じ。
・採集時代も、平和で豊かなのは今日も明日も同じ。
・私権時代も、今日も明日も私権時代。
・それに対して、現代は、明日、何が起きるかわからないという「不安」や「焦り」でいっぱいです。
人類史の中では、飢餓や戦争や革命によって秩序原理は変わることはありましたが、何が起きても秩序は間違いなく存在してきています。だから「明日もその先も、今日と同じ」と思えたのです。
秩序が存在(安定)しているからこそ、パターン化でき「この先どうなるか?」が読めました。
人類は極限時代にも生きてきたし、共同体が侵略され大多数が奴隷化した時代にも生きてきました。戦争に負けても生きてきたし、その間、性は衰弱していません。何が起きても秩序は存在してきました。古い秩序が崩壊or消滅しようとする時は、一方で新しい秩序が登場してきました。
現在は、秩序が崩壊or消滅しようとしているにもかかわらず、新しい秩序は登場していません。
この社会秩序が崩壊してゆく感覚、しかも新しい秩序が見えない・分からないという「不安」と「焦り」が、性欲さえ「それどころではない」と脇に追いやるほどの強い力を持った、得体の知れない不安と焦りの正体なのです。
■生命とは秩序化の存在である。
本能機能も共認・観念機能もそれ自体が一つの秩序体系であり、秩序化のベクトルに貫かれて存在しています。即ち生命は秩序化の存在なのです。
秩序の崩壊とは、秩序化という生命原理の崩壊であり、生命にとっては全てに先立って解決しなければならない最優先課題です。だから性が脇に追いやられるのです。
そして、この秩序の崩壊現象は、本能・共認・観念機能のどこからでも、誰もが普遍的にキャッチし、得体の知れない不安と焦りを感じ取れる現象です。
従って、現代人は、最も深い適応本能の位相で、秩序の崩壊or消滅という問題意識を普遍的に孕んでいます。
従って、こういう感覚を抱いたからと言って「自分はおかしいのでは?」と悩む必要は全くありません。
セックスレスが自我・私権の性のリセット過程であり、本源の性に向かうために避けて通れない、むしろ望ましい方向なのです。
■新たな男の闘争課題とは?そして女の役割とは?
これによって、男の「不安」と「焦り」の正体がはっきりしました。
そして、男の最優先の闘争課題は「秩序崩壊のキャッチと先行き探索、新秩序を構築すること」です。
そして、現在最も可能性のある「充足基調」を生み出している女の役割とは、持ち前の羅針盤感覚をもとに、女が先行き探索と新秩序の形成を男に期待していくことです。そして、男がその闘争課題に応えて行くことで、新しい男女関係の構築が始まります。
■新しい秩序の形成と性の再生は、男女規範の共認から始まる。
現在の秩序崩壊の状況から、新しい秩序を作っていく上で、最初の共認レベルでの秩序形成は、男女規範を作っていくことです。女規範・男規範の共認が核(卵)であり、女の充足発信で男の闘争を誘引・喚起し、男女共認の輪を広げていきます。
秩序の崩壊で「性は、それどころではない」と脇に追いやられました。新秩序の形成とは、この性の再生よりも深い位置にあります。
この深い位置ある新しい男女規範の形成(秩序の形成)が、新しい性の再生へと繋がっていくのではないでしょうか。

*今後の新しい男女関係と性の再生を実現していくために、次回から本格的に、今までの自我・独占欲の性と、今後の期待応望の性の違いについて追求していきます。
るいネット
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ネアンデルタール人がなぜ絶滅し、人類はホモサピエンス1種のみとなったのか。
人類の移動に伴ない、未知のウィルスや病原菌に遭遇したという観点は、なるほどと感じました。
傍証事例ですが、マンモスも病原菌により絶滅したのではないかという記事がありましたので紹介したいと思います。
権藤正勝氏の記事 「冷凍マンモスはなぜ見つかるか?」
http://www.gondo.com/g-files/manmos/man.htm
地域的には制覇種であったマンモスは、非常に多くの頭数が生息していたようです。
気候変動にも対応していたようで、それらが絶滅していった原因は、マンモスが免疫を持たない病原菌だったのでは、という内容です。

  • sinkawa
  • 2010年3月19日 12:38

私たちの脅威となる疫病。スペイン風邪やペスト、天然痘、結核・・・あげたら切がありません。有史以来、様々な被害が報告されています。
しかし、考えてみれば、疫病は36億年前からあったのでしょうか?
ウィルスや細菌は、私たち人類よりはるか昔から存在していました。おそらく、これらの病原体は、ある場所の風土病として存在するものの、種の存続を脅かすことは稀だったのではないでしょうか。風土病での死亡者は発生したでしょうが、大きく見れば共生関係にあったのだと思います。
では、なぜ疫病が問題化したのか。それは、私たち人類が、地球規模で拡散・拡大したからだと考えます。住み慣れた生息域を離れ、地球の裏側まで移動した陸上動物は人類だけです。ライオンはどんなに飢えてもアフリカ大陸からは出られません。
未開の地への長距離移動(決死行)と、彼の地での適応を可能にしたのは、人類に特有の観念機能 故でしょう。すなわち、道具や火の使用、衣服を作って身体の恒常性を維持するなどです。過去の経験を活かして進路や天候を予測するなどもあげられるでしょう。いずれも、他の動物たちでは真似出来ない身体機能を超えた適応方法です。これらがアフリカ大陸から地球規模の拡散を可能にしたのだと思います。
しかし、その一方で、長距離移動するたびに風土病の種を連れまわすことになってしまった。特に、時間をあけてアフリカから出てきた新人は、ヨーロッパやアジアで暮らす他の原人たちにとっては、未知の病原体そのものだったのではないでしょうか。
現在、絶滅の危機に瀕しているゴリラやチンパンジーは、観光客として訪れる人間の持ち込むウィルスによって個体数の減少に追い討ちをかけられているそうです。それと同じことが過去に起こったのだと思います。

  • HAYABUSA
  • 2010年3月20日 23:08

>免疫力の格差による原人の絶滅アフリカは熱帯地域で
>ウイルス・病原菌の活性度が高く、媒介生物も多いため、
>多様で強力な種が進化し易い(AIDS、エボラ等)。
>そのため、アフリカに住み続けている人類では、ウイルス等
>で死ぬ者も多いが、中にはウィルスの進化に応じて耐性を
>獲得する者が現われ、免疫力が強化されてゆく。・・・・

なぜホモ・サピエンス1種だけが生き残ることができたのか?
の答とし“てウィルスや病原菌に対する免疫力の格差”と
いう仮説は、なるほどとうなずかせるものがあります。

しかしインターネットで調べる限り相手にされておらず、
どちらかと言えばトンデモの部類として扱われています。

これはどういう事なのでしょうか?
裏付ける資料が見つかっていないというレベルでは一般的に
言われている説も似たり寄ったりのような気がします。

  • tensen
  • 2010年3月23日 21:26

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