2010年04月06日
「共認運動の実現構造とネットの可能性」最終回~新しいまつりの場、それがネットであり、統合サイトである~
前回までの記事:
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その① ~社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その② ~ネットにおけるツールの進化~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③ ~潜在思念は、ネットに収束するか?~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④ ~変革課題VS逃避解脱~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その⑤ ~チンケな運動(要求運動の終焉)~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その⑥ ~錯誤の根は、古い武力闘争のパラダイムにある~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その⑦ ~運動信仰を捨てて、共認革命を~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その⑧ ~強制共認と発信階級の犯罪~
これまで「共認運動の実現構造とネットの可能性」と題してシリーズで、るいネット投稿「共認革命1~9」を紹介してきました。
いよいよシリーズ最終回の今回は、
発信階級の撒き散らす情報と強制共認(共認支配)が全ての閉塞の元凶だとしたら、突破口(新しい可能性)はどこにあるのでしょうか?その答えとは?
をポイントとして紹介します。
いつも応援ありがとうございます 。
共認革命10 新しいまつりの場、それがネットであり、統合サイトである
貧困が消滅し、私権の強制圧力がとことん衰弱してゆく以上、もはや私権によって(人々を私権に収束させることによって)社会を統合することは不可能である。従って、教宣階級をはじめとする旧い統合階級の存在基盤は日に日に亙解してゆき、早晩消えて無くなるだろう。それだけに、長い間人々を閉じ込めてきた強制共認に代る、素人たちの手による共認形成の場の成立が急がれる。
幸い、私権の衰弱に伴って、私権収束から本源収束への潜在潮流は日増しに大きくなってきている。従って、私権統合から本源統合へと社会の統合軸を転換させる為には、素人の社会的な共認の場さえ形成できれば良い。それは、人類が長い間奪われてきた“まつり”(参加充足=共認充足)の場を再生してゆくことでもある。その場こそ、ネットに他ならない。つまり、ネットは人類に与えられた新しい“まつり”の場であり、人類最大の共認充足の場となるべきものなのである。
『実現論』第四部:場の転換が明らかにした様に、人類は今、衰弱する一方の私権圧力に代えて同類圧力を新たな(と云っても、サル時代からそうであった様に、当然の)活力源にしようとしている。同類圧力とは、課題や期待や評価etcの様々な共認圧力であるが、中でも現在の人類の命綱となるのは、私権闘争から評価競争に移行中の、同類闘争を止揚する社会統合の共認圧力である。
いずれ、この社会統合という課題や期待や評価の共認を母胎として、その上に(その中から)規範共認や制度共認あるいはそれらの正否判断の基礎となる事実共認(現象事実から構造事実まで)が確立されてゆくことになるだろう。そこで、今まず必要なのは、社会統合という課題・期待・評価の共認の場であり、従って何よりも重要なのは、まずもって皆の共認の場=新しいまつりの場を形成することである。
しかし、まつりの場は自ら参加しなければ成立しない。つまり、見ているだけでは駄目で、投稿してはじめて場が形成される。もちろん、はじめは単なる評価投稿や感想投稿でいい。又、まつりは、参加者が多いほど盛り上がるし、場が盛り上がれば上がるほど参加者が増えてゆく。
だから、皆にお願いしたい。周りの人に、投稿を呼びかけて欲しい。新しい社会は、皆が社会統合サイトに投稿することによって、簡単に実現するのだと云うことを、人々に訴えて欲しい。
(上記投稿の図解はこちらを)
これは、今や私権が衰弱し、圧力=活力源が私権の強制圧力から同類圧力へ大転換したということ、そして、社会の統合軸が私権統合から本源統合へ大転換し始めたということ、を意味しています。
つまり、今や社会全体が「自分発からみんな発」に大転換しているということです。現在の発信階級(マスコミ)の凋落とネットの進展はこの時代潮流を背景としていると言えるでしょう。
これまで私権時代は、共認形成(というもっとも充足する行為)を一部の特権階級が握ってきました。まさに今必要なのは、素人たちの手による共認形成の場を作っていくことなのです。
→それは、ネットという「まつり場」。
「素人の手による社会的な共認形成の場」とは、「人類が長い間奪われてきた“まつり”(参加充足=共認充足)の場」であり、それは「ネット(社会統合サイト)」に他ならない。
一時的な解脱充足や集団内での共認充足なら対面でも可能ですが、集団を超えた社会をどうする?という課題に対する共認充足(皆で共認形成する充足)はネット(時空を超えた共認形成ツール)でこそ可能なのではないでしょうか?
ネットでは、肩書・年齢・個人名など重要ではなく(むしろそれらのしがらみ無く)、発信・投稿内容が全てです。そして、ネットでは、常にその発信内容がどれだけみんな発か?(みんなを充足させてくれるか?)という評価圧力(共認圧力)が形成されます。
まさに、ネットとは、みんなで作る社会空間=共認圧力空間であり、「自分発からみんな発へ」、「不全発から充足発へ」と導いてくれる場(充足発の場=まつり場)なのだ と言えるでしょう。
このシリーズでも見てきたように、この10年間ネットは飛躍的に進展してきています。このようなネットの進展(=可能性の実現)こそ、ネットが皆の充足期待に応える場(充足発の場=まつり場)であることを示しているのではないでしょうか?
→新しいまつり場は、皆の参加(投稿)により作られる。
「自ら参加」し「周りの人に投稿を呼びかけ」て「社会統合サイトに投稿する」。こうしてまつり場が作られていく。「新しい社会は、皆が社会統合サイトに投稿することによって、簡単に実現する」。
生存圧力(自然圧力や外敵圧力)は、向こうからやってくる圧力であった。しかし、共認圧力は、期待と応望によって自分たちが作り出す圧力である。例えば解脱共認は、先ず自分から心を開いて相手に期待し応望しようとしない限り、決して形成されない。闘争共認も同じであって、先ず自分から期待し提起し応望しない限り、決して形成されない。従って、何事もまず自分から期待し応望してゆかない限り、同類圧力=共認圧力は形成されてゆかない。
(『実現論』:第四部:場の転換より)
シリーズの冒頭で提起した
(どうする?)に対する答えも ⇒ 「われわれ自らその場(まつり場)を作っていけばいい」 となります。
このようなスタンスでこの「婚姻史ブログ」も盛り上げて行きましょう 🙂
- posted by echo at : 2010年04月06日 | コメント (1件)| トラックバック (0)
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