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2010年05月13日

本格追求シリーズ2 世界婚姻史の構造解明「第7回 牧畜・遊牧部族編」

 これまで採取(漁労・採集)部族、狩猟部族の婚姻形態を見てきましたが、今回は牧畜・遊牧部族の婚姻形態である”略奪婚”を取り上げます。
sabini.gif
ブッサン画「サビーニの女たちの略奪」ルーヴル美術館所蔵

略奪婚といっても、現代風の既婚者との不倫の果ての略奪婚ではありません。古代の略奪婚は上の画のように男が逃げ惑う女を武力により略奪して強制的に婚姻関係を結ぶという強引な婚姻様式です。
一体何故そのような婚姻様式が生じたのか?このあたりを、人類の生産様式の変化との関係から考えていきます。

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前回までの内容はこちらから。

  第1回 プロローグ 
  第2回 極限時代の婚姻形態
  第3回 採取時代の婚姻形態 採取部族編1
  第4回 採取時代の婚姻形態 採取部族編2
  第5回 採取時代の婚姻形態 採取部族編3
  第6回 採取時代の婚姻形態 狩猟部族編

今回の対象は、下の図の青い囲みの箇所(略奪婚→私有婚)です。
taisyo.jpg
世界婚姻史図解を拡大

今回テーマとなる「略奪婚」を見る上で、その前提となる生産様式である遊牧とは何か、がきわめて重要な認識となりますので、まずは牧畜・遊牧について見ていきます。
◆牧畜・遊牧の登場

これまで見てきた採取(漁労・採集)や狩猟という生産様式を経て、推定8千年前~6千年前頃、採取民族は農耕・漁労、狩猟民族は牧畜・遊牧という生産様式へと移行する部族が現れます。
農耕や牧畜の段階では人類の婚姻形態は、採取・狩猟時代と同様に母系制ですが、遊牧という生産様式を見出した部族は父系制に転換します。
ここで、母系制、父系制という言葉が出てきました。Wikiにわかりやすい解説があったのでここに引用します。

———————————————————————–
(引用開始)
母系制(ぼけいせい)とは、母方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度であり、概ね次のような特徴を持つ。

  • 母方の血筋をたどる(母系出自)
  • 母方の地位を受け継ぐ(母系継承)
  • 母方の財産を相続する(母系相続)
  • 結婚後、夫婦は妻方(母方)の共同体に居住する(母方居住制)
  • 農耕社会に多く見られる

母系制社会であっても女性が男性より優越するケースは稀であり、支配権は母の兄弟や長女の夫が持つ場合が多い。
引用:Wiki (母系制)
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では父系制とはどのようなものでしょうか?同様にWikiサイトで検索してみると、驚いたことに何も検索結果が出てきませんので、ここで定義してみます。母系制とほぼ逆と考えることができます。

父系制(ふけいせい)とは、父方の血筋によって家族や血縁集団を組織する社会制度であり、概ね次のような特徴を持つ。

  • 父方の血筋をたどる(父系出自)
  • 父方の地位を受け継ぐ(父系継承)
  • 父方の財産を相続する(父系相続)
  • 結婚後、夫婦は夫方(父方)の共同体に居住する(父方居住制)
  • 狩猟(⇒遊牧)社会に多く見られる。

父系制社会では男性が女性より優越するケースが大半で、支配権は父が(家父長権などを)もつことが多い。

どうでしょうか?
現代の我々は母系か父系かおわかりになりますか? 多分わかりますね、父系制です。
相続については現代では母方の財産も子供が相続しますし、サザエさんのマスオさんのように妻方(のサザエさん)の家に同居するスタイルも存在しておりますので、多少母系風な形態もミックスしていますが、現代社会は母系制か父系制かと問われれば主流は明らかに父系制となります。
結婚すれば妻は夫の名字を名乗るのも夫方の家に入ることを意味し、生まれる子供の名字も夫の名字となりますので、男の子孫の名字は残っていくということになり(あたりまえですが)このあたりからも日本だけではなく、現代のほぼ大半の国家(特に先進国)は父系社会であるということが容易に認識できるかと思います。
つまり人類はある段階までは母系社会だったのが、あることをきっかけに父系社会に転換したことになります。
 もしこのブログを読む読者が女性であれば、母系社会の方が安心できるように感じられるかもしれません。というのも、母系社会では夫が自分の家に婿入りしてくる社会であるため、現代の所謂、嫁姑問題などは起きようがないためです。生まれた時から一緒に過ごしてきた安心できる家族(とその周りの地域)という安心基盤の中に夫が入ってくる母系制社会が、人類の歴史のある時期になって妻側が夫側の家族に嫁ぐ父系制社会に転換したわけです。
そうなると、嫁ぎ先の嫁姑問題なんかも出てくるは、知らない家族や土地に嫁ぐことでの不安も生じるはで、女性にとって、それまでの母系制社会での考え方を180度転換せざるを得ないということになります。
一体なぜ、このような母系制から父系制への大転換が起こったのか。
答えは、“遊牧”という生産様式にありました。
◆父系制への大転換
 父系制への大転換が何故起きたのか、それの答えは“遊牧”にあります。そこで、“遊牧”という生産様式を見ていくことにします。
 当時の遊牧はヤギ等の家畜を連れて牧草を求め小集団で数百~千キロにも及ぶ徒歩移動を行う過酷な非定住型の生産様式でした。この生産様式においては、いい牧草地がどこにあるか、どこが危険な場所かという地理把握が生死を分ける重要な知識となり、これらの知識を有する男性は部族(集団)にとって極めて重要な存在となりました。また、移動中にハイエナなどの猛獣から集団を守り、他部族と接触した時には縄張りを守る防衛力としても男の戦力は重視されました。
 このような遊牧部族が婚姻様式において、これまで通り母系制を続けると、集団にとって貴重な地理知識を持った若い男性が別の部族に婿入りすることになり、自分たちの貴重な知識が相手部族に伝わってしまうと同時に、自集団の防衛力が低下することとなり、これを避けるため、嫁側が男集団に嫁入りする、父系制へと転換したと考えられます。
父系制への転換後は、知らない集団に嫁入りすることになった女性達側の不安が増大し、それが集団内の蓄財意識を生みだし、やがて部族間の私益競争へとエスカレートし、さらなる私益を求めて略奪闘争(=戦争)に発展し、武力統合社会⇒国家へと、現代に繋がる社会潮流が形成されます。
 と、書きましたが、多分何を言っているのか、ちんぷんかんぷんと思われますので、そのあたりの説明を類ネットの投稿で補足します。

———————————————————————–
(引用開始)
③父系制になるとどうなる?

  • 母系集団では女が移籍することはないので、女同士の結束(共認)が強かった。しかし、父系制に転換してしまうと、女が一人で他の集団に移籍することにな り、しかも、各々の女の出自はバラバラなので、女同士の結束(共認)は弱くなってしまう。
  • 女が移籍する場合は、婚資(家畜)を持参することがセットになっていたが、婚資の良し悪し(乳が良く出ればいい等)で、嫁ぎ先の集団からの扱いは変わっ てくる。(婚資が少ないと良く思われない。)
  • だから、母系制よりも父系制の方が、女の不安は増大する。
  • 婚資は、初めは「嫁ぎ先の集団でも安心して暮らしてゆけるように」との親心だったかも知れないが、女の不安の増大から、しだいに「自分の娘が移籍する際 は肩身の狭い思いをさせたくない」「娘が移籍する際の婚資は少しでもいいものを」という形でエスカレートしてゆく。
  • そこで、女たちは、男たちにもっと家畜を増やすよう期待してゆく。この闘争期待は、自分の小集団(氏族)内の蓄財意識を生み出し、私有意識を芽生えさせ てゆく。
  • このような私有意識の芽生えは、氏族間の私益競争を促してゆく。(互いに家畜の多さを競い合うようになる。)しかし、氏族間の私益競争を放置しておく と、氏族間の小競り合いが増え、部族全体のまとまり(統合)がつかなくなってしまう。
  • この危機的状況を打開するためには、各部族は、他の部族との縄張り闘争=部族間の私益競争を共通の課題として氏族をまとめるしかなかった。
  • やがて、部族間の私益競争が高まってゆくにつれて、部族全体が私益集団としての色彩を強めてゆくことになる。
    ④人類史のターニングポイント

  • 人類はそれまで(500万年の歴史の99.9%)は、土地や食料や財産・家畜などはみんなの共有物として生きてきた。
  • ところが、遊牧部族の父系制への転換は、私有意識を芽生えさせ、人類の共同性を破壊してゆく出発点となった。
  • これを出発点として、その後人類は、私益(私権)を求めて略奪闘争(戦争)を繰り広げるようになってしまう。

    引用:(類ネット)遊牧部族の父系制への転換は人類史のターニングポイント
    ———————————————————————–

  • この略奪闘争こそが、今日にまで続く人類の文明を作り出す源泉となります。メソポタミア・エジプト・インド・中国・ギリシア・ローマ等、文明発祥の地と呼ばれる場所は全て牧畜・遊牧部族による略奪闘争が繰り広げられた場所です。
    すなわち、今日の文明は全て略奪闘争の結果作り出されたものであるとも言えます。

    ◆略奪部族の登場⇒略奪婚

    さて、ようやく今回のテーマである婚姻様式に入ることができます。すでに略奪集団と化した遊牧部族を略奪部族と呼ぶこととし、この略奪部族がどのような婚姻様式を取っていたか、もっとも顕著な婚姻様式が”略奪婚”です。
    現代、”略奪婚”と言えば、独身女性が既婚男性を不倫によって奪い、相手の家庭を破壊したあとで、当該男性と略奪的に結婚する、というような意味でつかわれていますが、紀元前数千年前の略奪婚と言えば、全く逆で、男性が女性を力によって奪い、強制的に妻(or奴隷)にするとういう婚姻様式です。
    略奪闘争が拡がると、至る所で滅亡する部族が現出しました。その結果、かろうじて生き延びた数人の男たちが、他部族の女を略奪して、(混血)部族を再建。このような部族は新たな略奪部族となり、周辺に多数の滅亡部族を作り出すので、女を略奪して再建した混血部族が玉突き的に激増してゆきます。これが略奪婚の本質であり、世界中の至るところで略奪婚の名残は確認できます。これら滅亡→脱出→略奪部族にとって、女は貴重な財産であり、はじめは強姦だったにせよ、大切に扱われました。
    略奪婚の最も典型的な事例としては、古代ローマが挙げられます。
    ◆古代ローマの略奪婚の事例
    古代ローマの時代背景
    時代は今から2800年前、伝説ではロムルスとレムスという狼に育てられた双子の兄弟が、付近に住む羊飼い(牧畜集団)を率いてアルバ王国を滅ぼし、その 後ローマの地に都市を建設しました。
    ローマ建設時にロムルスとレムスの関係が悪化し、ロムルスは双子の弟であるレムスを殺害しローマの初代王となります。建国当初のローマの最大の課題は、男集団 によって都市を建設したことから圧倒的に女性が少なく、つまりは国家の生殖基盤となる若い女性(=結婚相手)が圧倒的に少ない事であった。
    そこで、ロムルスは計略をめぐらす。

    ———————————————————————–
    (引用開始)
    ロムルスは、近くに住むサビーニ族を祭りに招待した。神に捧げられた祝祭日には、戦闘は禁じられている。サビーニ族も、一家総出で、招待に応じてローマま でやってきた。
     
    祭りの気分も高潮した頃、ロムルスの命令一下、ローマの若者たちはサビーニの若い女たちに襲いかかった。不意を突かれたサビーニ族の男たちは、妻や子供や 老人たちを守って自分たちの部落に逃げ帰ることしかできなかった。
    とはいえサビーニ族も黙って引き下がりはしない。強奪された娘たちの返還を要求した。それに対してロムルスは、正式に結婚して妻にする、と答える。答えだ けでなく、自ら率先して結婚式をあげた。彼自身からして、独り身であったのだろう。それでも満足しないサビーニ族はローマに対して戦いを宣告した。
    ローマとサビーニ族との戦闘は、合計すれば4回におよんだ。そのほとんどはローマ優勢のうちに進んだが、一度などはパラティーノの丘とカピトリーノの丘の 間で戦われたというから、攻め込まれたこともあったのだろう。
    だが、4度目の戦闘の最中、強奪されていたサビーニの女たちが戦いの間に割って入った。そして口々に、夫と親兄弟が互いに殺しあうのは見ていられないと訴 えたのである。女たちは、強奪されたものの奴隷にされたわけではなく、妻として相応しい待遇を受けていたのでローマ人の夫たちに愛情を感じていたのだっ た。
    ローマの王ロムロスもサビーニ族の王タティウスも、女たちの訴えを聞き入れることが良策と判断した。二部族間の和平は成った。
    引用:ローマ人の物語(塩野七生)
    ———————————————————————–

    sabini2.jpg
    ダヴィッド「サビーニの女たち」(1799)
    この略奪婚が、現在の一対一の婚姻制度=一対婚制度に繋がる、私有婚の起源となっていきます。
    次回は略奪婚から生み出された私有婚、そして現在に至る一対婚制度への繋がりを見ていく予定です。
    お楽しみに。

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