2009年05月05日
北方起源説
モンゴロイドの成立に続いて、日本人はどこから来たか?の答えの一つ、北方起源説を紹介します。池田次郎著『日本人のきた道』より。
北方起源説
現代の遺伝形質やウイルスの抗体保有率の研究者たちは、日本列島全域の縄文人・後期旧石器時代人を北方アジア起源とみる点で意見の一致をみている。
根井正利(ペンシルベニア州立大学)
多数の遺伝子データを使い、新人アフリカ単一起源説を支持した根井正利は、次のように北東アジア起源説を提唱している。
西アジアから東へ向かった新人の一部はインドを通って東南アジアへ移動したが、一部はヒマラヤ山脈の北を経て5-7万年前に中国北部に達し、そこを起点として南は中国大陸を南下して東南アジアまでひろがり、北は極北を経てアメリカ大陸へ渡った。日本列島へは朝鮮半島経由で3万年前から1万2000年前までの間断続的に流入したが、それ以後、大規模な渡来はなかったので、日本列島はこの間に形成されたといえる。
遺伝距離からみて、アイヌ、本土、沖縄の三集団すべてが東南アジアの集団群ではなく、朝鮮半島集団と同じグループに入るのも、列島人が北東アジア起源だからである。
応援よろしく by岡
根井正利『人間集団の起源』 邪馬台国の会よりお借りしました。クリックすると大きくなります。
(引用者注)DNAでたどる日本人の成り立ち1では、どの系統も東南アジアから北上したとあるが(C、D、O系統とも)、根井説は、インドから北周りで中国北部に達し、そこから南、北、東へ広がったとする点が特徴的です。また日本列島への流入も、D2系統が1.5~1.2万年前としているのに対し、根井説は3万年前の後期旧石器時代からとしている。これらは残された課題です。
松本秀雄
アイヌ・本土・沖縄の三集団のGm(免疫グロブリン)遺伝子は北方型に属する。北方型の標識遺伝子はバイカル湖北部に住むブリアートでもっとも高頻度に出現するので、日本人発祥の地はシベリアのバイカル湖畔に求められるという仮説を提唱した。
針原伸二(東京大学)
現代人のミトコンドリアDNAの九塩基対の欠損頻度が南方集団で高いのに対して、日本列島や朝鮮半島では低く、しかもアイヌと沖縄集団では、渡来弥生人を介して北方アジアの遺伝的影響を受けている本土日本人よりさらに低い。
田島和雄(愛知県がんセンター研究所)
HTLV-I(成人T細胞白血球ウイルス)の分布は、環太平洋地域ではシベリア・沿海州・南米に限られ、朝鮮半島・中国、およびニューギニアを除く東南アジアには及んでいない。列島の南北両端や本州の海岸部など日本の僻地に偏在するこのウイルスの保有者は、弥生時代に朝鮮半島や中国から渡来した集団の子孫ではなく、それ以前の縄文人や旧石器時代人の子孫であり、彼らの原郷は北アジアのどこかであったはずである。
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次回は、北方起源説を土台にした三ルート渡来説を紹介します。
- posted by okatti at : 2009年05月05日 | コメント (7件)| トラックバック (0)
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comments
縄文時代とひと言にいっても、気候・植生とも変化し続けていた時代なんですね。さすがに「その歴史は実に1万3500年間!!」。
>そして縄文早期になると定住生活が出現します。
定住生活への転換は、それまで移動生活を中心としていた人たちにとって大転換だったのではないかと思います。なぜ、定住生活が出現したのでしょうか?これも気候・植生の変化と関連があるのでしょうか。
気候グラフと縄文カレンダーは逸品ですね。
気候グラフで、1万3000年前-1万年前の急激な寒冷化と大型動物の絶滅は関係あるのでしょうか?それまでの寒冷期に繁栄していたので、気候だけではないように思えます。
縄文カレンダーは感動もので、特に冬は狩猟メインというのは気付きでした。
移動生活から定住生活が定説ですが、弓矢の発明までは洞窟に隠れ住んでいたとすれば、それまでも立派な定住だと思うのですが…(狩猟部隊がキャンプしていた?)。単に洞窟から出て地上生活になっただけなのでは?いつも疑問に思っています。
さいこうさん、コメントありがとうございます!
定住生活は本当に大転換だったと思います☆
>なぜ、定住生活が出現したのでしょうか?これも気候・植生の変化と関連があるのでしょうか。
はやり気候・植生の変化が大きいと思います。植生の変化から草原・草食の大型動物が激減→絶滅→生産様式の転換→森・採取+小動物狩猟+漁労中心の生産→移動の必要▼という形で半定住→定住へ移った可能性が高いと思われます。
あと、1万年前に物理的に大陸から日本が切り離されたっていうのも、大きく移動を限定した要因ではありますね。
大杉さん、コメントありがとうございます!
>気候グラフで、1万3000年前-1万年前の急激な寒冷化と大型動物の絶滅は関係あるのでしょうか?それまでの寒冷期に繁栄していたので、気候だけではないように思えます。
大型動物の絶滅は1万年前の寒冷化というより、その直後の温暖化にその原因があるといわれています。大型草食動物の主食である草(草原)=寒冷・乾燥適応植物が温暖化により他の植物に変わっていったことによる食料▼→絶滅という構図です。
>移動生活から定住生活が定説ですが、弓矢の発明までは洞窟に隠れ住んでいたとすれば、それまでも立派な定住だと思うのですが…(狩猟部隊がキャンプしていた?)。単に洞窟から出て地上生活になっただけなのでは?いつも疑問に思っています。
これは確かになるほどですね。初期人類はかなりの長い間洞窟に暮らしていたので定住といえば定住生活です。そういう意味では、移動型狩猟生活の方が人類史に於いては特殊なのでは?と言う可能性は仰るように高いと思います。
また、最近では弓矢の発明は、大型動物の減少・絶滅から小型動物へと狩猟対象が変化→動きの早い小型動物を仕留める必要からだと考えられています。
人類の外敵に対する防衛力と狩猟に於ける攻撃力はそれ以前に、石器・石斧・石槍といった形で200万年ほど前から獲得が始まっていますし、弓矢発明以前にも幾度も人類の拡散・移動も行われています。
この辺りの具体的なイメージと論理整合性は、初期人類探索グループのこれからの研究に期待したいところですね☆
kasahara さん、こんにちは。
>この辺りの具体的なイメージと論理整合性は、初期人類探索グループのこれからの研究に期待したいところですね☆
「移動生活と定住生活」「外敵に対する防衛力と狩猟に於ける攻撃力(道具の発達)」のあたりの関係ですね。
なかなか興味ある提案ですね~。初期人類探索グループ(?)としては、ぜひ取り組んでみたいところです。まずは具体的なイメージがわく物証探しかでしょうか。どのあたりから探ってみたらいいのかな?参考になりそうなサイトなど探索してみますね。
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