2016年09月29日
サヴァン症候群に学ぶ~余計な観念を身につけるほどに才能がしぼんでいく
人間の成長を最も阻害しているのが、他ならぬ学校教育である
赤ん坊は生れ落ちた段階では、人間としてはカタワの状態だ。
人類の人類たるゆえんの言語機能が殆ど機能していないからだ。
だから、生命の根源である適応欠乏全開で周りに同化し共認充足を得ては、一体化を試み言語機能を習得しようとする。
不完全な存在ゆえに、常に「どうする?」と感じ思考し続ける。まさに、生きる欠乏の塊である。
そんな赤ん坊も、物心がついて学校で学び始めるにつれ、次第に大人しく物分りのよい子になっていく。
そんなことを考えていてふと思ったのは、障害者ながら特異な才能を発揮している人々。
健常者が、その持てる好奇心や追求心を次第に無くしていき、物分りの良い子になり、終いには思考停止に陥ってしまうのとは逆に、障害者のなかには子どもの頃からの才能を大人になっても持ち続け、様々な場面で活躍している人々がいる。
いったい、どういう仕組みになっているのだろうか?
そこで、サヴァン症候群について調べてみた。
天才脳!【サヴァン症候群】の謎に迫る!サヴァンが生まれる原因とその特異な能力とは
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重度の精神障害を持ちながら、ある特定の分野において飛びぬけた能力を発揮するというサヴァン症候群。
サヴァン症候群の症状の出方は、人によって様々です。決まった傾向や規則性などは特にありません。
例としては、
・一度読んだだけの書籍をすべて暗記できる。
・過去の日付や曜日をすべて覚えている。
・一度聞いただけの音楽を最後まで間違えずに弾ける。
・航空写真を一度見ただけで、写真のように描き細部まで再現できる。
など、異常なまでの記憶力や再現力を発揮することが出来ると言われています。
サヴァン症候群の研究では、多くの研究者が詳細な観察や神経心理学的な研究を続けていますが、発見から100年以上経過しているにも関わらず、その原因については未だ解明されていません。それは、サヴァン患者の多くが「なぜそれができるのか」「どのような処理手順で行っているのか」という問いに対してまったく説明しない、あるいは説明できないということが理由として挙げられます。
サヴァン症候群の患者は、脳の左半球に異常にがあることが多いというのも報告されています。
左脳は思考・論理を司る脳で、言語や文字を認識する。右脳は知覚や感性を司る脳で、イメージとして認識するという左脳・右脳の記憶のメカニズムはよく知られています。脳の左半球に何等かの損傷があった場合、右半球がそれを補うために独自の発達をとげ、その結果、芸術的な才能が開花したり、「カメラのように記憶する」というイメージ認識が行われているのではないかとも考えられています。
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詳しくは解明できていないようだが、脳の成長に秘密があるのは間違いないだろう。
なかでも、言語を司る左脳に障害があるというのがミソのように思える。
人類がもつ機能は、本能、共認、観念の3つの機能。
赤ん坊は本能機能だけを身につけて生れ落ちた状態といってもいいかもしれない。
共認回路、観念回路は受け継いでいるものの、まだ回路として繋がっていない状態。
だから、赤ん坊の最初の仕事は本能欠乏(生きる欠乏)を全開にして、廻りとの一体化を試みては共認回路を太くし、母親との共認充足に安心感を得、さらには観念回路もフル回転して次第に言葉を身につけていく。
だが、言語を習得していく左脳に障害があると、右脳で得た様々な情報、感じたことなどが観念としてうまく繋がっていかない。本人の意識としてはどうなんだろうか、統合不全なのだろうか?
統合不全のままでは生きられないので、そこをカバーするべく右脳をはじめ周辺回路が異常発達していく。共認回路も人並以上に発達していることだろう。学校に行くようになって、意味の分からない(現実と繋がらない)言葉を教わっても、構造的に受け付けないというのも有利に働いている。
大雑把ではあるが、おそらくこのようなかたちで特異な才能が生まれたのだと思われるが、サヴァン症候群に学べば、左脳には余計な言葉を与えない方が良い結果が生まれることを意味している。おそらく幼児期のような好奇心旺盛な追求心のまま成長していけば、もっともっと柔軟な、自由な思考ができるように成長していくことだろう。
人類の最先端機能である観念機能を蝕んでいるようでは「教育」とは言えない。
「新概念定義集」より
>収束とは、一点に収斂してゆくこと。全ゆる存在は、外部世界に適応しようとして先端可能性に収束する。先端可能性への収束とは、与えられた状況の中で最も可能性のありそうな対象とそれに対応する機能に収束すること。各機能がその時々の先端可能性に収束することによって個体の意識は統合され、各人が先端可能性に収束することによって集団や社会は統合されている。<
- posted by TOKIO at : 2016年09月29日 | コメント (0件)| トラックバック (0)