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2016年09月29日

サヴァン症候群に学ぶ~余計な観念を身につけるほどに才能がしぼんでいく

人間の成長を最も阻害しているのが、他ならぬ学校教育である
赤ん坊は生れ落ちた段階では、人間としてはカタワの状態だ。
人類の人類たるゆえんの言語機能が殆ど機能していないからだ。
だから、生命の根源である適応欠乏全開で周りに同化し共認充足を得ては、一体化を試み言語機能を習得しようとする。
不完全な存在ゆえに、常に「どうする?」と感じ思考し続ける。まさに、生きる欠乏の塊である。
そんな赤ん坊も、物心がついて学校で学び始めるにつれ、次第に大人しく物分りのよい子になっていく。

そんなことを考えていてふと思ったのは、障害者ながら特異な才能を発揮している人々。
健常者が、その持てる好奇心や追求心を次第に無くしていき、物分りの良い子になり、終いには思考停止に陥ってしまうのとは逆に、障害者のなかには子どもの頃からの才能を大人になっても持ち続け、様々な場面で活躍している人々がいる。
いったい、どういう仕組みになっているのだろうか?

そこで、サヴァン症候群について調べてみた。

天才脳!【サヴァン症候群】の謎に迫る!サヴァンが生まれる原因とその特異な能力とは
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重度の精神障害を持ちながら、ある特定の分野において飛びぬけた能力を発揮するというサヴァン症候群。
サヴァン症候群の症状の出方は、人によって様々です。決まった傾向や規則性などは特にありません。
例としては、
・一度読んだだけの書籍をすべて暗記できる。
・過去の日付や曜日をすべて覚えている。
・一度聞いただけの音楽を最後まで間違えずに弾ける。
・航空写真を一度見ただけで、写真のように描き細部まで再現できる。
など、異常なまでの記憶力や再現力を発揮することが出来ると言われています。

サヴァン症候群の研究では、多くの研究者が詳細な観察や神経心理学的な研究を続けていますが、発見から100年以上経過しているにも関わらず、その原因については未だ解明されていません。それは、サヴァン患者の多くが「なぜそれができるのか」「どのような処理手順で行っているのか」という問いに対してまったく説明しない、あるいは説明できないということが理由として挙げられます。

サヴァン症候群の患者は、脳の左半球に異常にがあることが多いというのも報告されています。
左脳は思考・論理を司る脳で、言語や文字を認識する。右脳は知覚や感性を司る脳で、イメージとして認識するという左脳・右脳の記憶のメカニズムはよく知られています。脳の左半球に何等かの損傷があった場合、右半球がそれを補うために独自の発達をとげ、その結果、芸術的な才能が開花したり、「カメラのように記憶する」というイメージ認識が行われているのではないかとも考えられています。
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詳しくは解明できていないようだが、脳の成長に秘密があるのは間違いないだろう。
なかでも、言語を司る左脳に障害があるというのがミソのように思える。
人類がもつ機能は、本能、共認、観念の3つの機能。
赤ん坊は本能機能だけを身につけて生れ落ちた状態といってもいいかもしれない。
共認回路、観念回路は受け継いでいるものの、まだ回路として繋がっていない状態。
だから、赤ん坊の最初の仕事は本能欠乏(生きる欠乏)を全開にして、廻りとの一体化を試みては共認回路を太くし、母親との共認充足に安心感を得、さらには観念回路もフル回転して次第に言葉を身につけていく。

だが、言語を習得していく左脳に障害があると、右脳で得た様々な情報、感じたことなどが観念としてうまく繋がっていかない。本人の意識としてはどうなんだろうか、統合不全なのだろうか?
統合不全のままでは生きられないので、そこをカバーするべく右脳をはじめ周辺回路が異常発達していく。共認回路も人並以上に発達していることだろう。学校に行くようになって、意味の分からない(現実と繋がらない)言葉を教わっても、構造的に受け付けないというのも有利に働いている。

大雑把ではあるが、おそらくこのようなかたちで特異な才能が生まれたのだと思われるが、サヴァン症候群に学べば、左脳には余計な言葉を与えない方が良い結果が生まれることを意味している。おそらく幼児期のような好奇心旺盛な追求心のまま成長していけば、もっともっと柔軟な、自由な思考ができるように成長していくことだろう。
人類の最先端機能である観念機能を蝕んでいるようでは「教育」とは言えない。

新概念定義集」より
>収束とは、一点に収斂してゆくこと。全ゆる存在は、外部世界に適応しようとして先端可能性に収束する。先端可能性への収束とは、与えられた状況の中で最も可能性のありそうな対象とそれに対応する機能に収束すること。各機能がその時々の先端可能性に収束することによって個体の意識は統合され、各人が先端可能性に収束することによって集団や社会は統合されている。<

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2016年09月22日

人間の成長を最も阻害しているのが、他ならぬ学校教育である

赤ん坊に学ぶ。

赤ん坊は生れ落ちた段階では、人間としてはカタワの状態だ。
人類の人類たるゆえんの言語機能が殆ど機能していないからだ。
だから、生命の根源である適応欠乏全開で周りに同化し共認充足を得ては、一体化を試み言語機能を習得しようとする。
不完全な存在ゆえに、常に「どうする?」と感じ思考し続ける。まさに、生きる欠乏の塊である。
そんな赤ん坊も、物心がついて学校で学び始めるにつれ、次第に大人しく物分りのよい子になっていく。

リンク
>乳幼児期までは「これ何?」「何で?」と聞きまくり、貪欲に言葉を吸収していた子供が、学校に行くと吸収意欲を失い、勉強嫌いになって終うのは、なぜでしょうか?
その元凶は、強制的な勉強圧力にあります。
学校で与えられる教科書の中身は、周りと繋がりたい一心で言葉を吸収していた幼い頃のような肉体的な欠乏と全く繋がっていません。
これでは、学校の勉強に対して何の意欲も湧いてこないのも当然です。そんな「勉強」を強制すればするほど、子供の活力は衰弱し、遂には生きる意欲そのものを失ってゆきます。もちろん、子供たちは上から与えられた答を何とか理解しようと頭に詰め込みますが、そこでは本来の「何?」「何で?」という思考回路は(試験とは関係ないので)封鎖されてゆきます。<

言葉は、極限時代の人類が、絶望の環境の中で、生きるために常に「どうする?」と追求し続けた果てに獲得した適応機能である。
だから、言葉はコミュニケーションのためではなく、追求するためにある。
であれば、人間の成長とは、真っ当に追求するための言葉をまず獲得し、磨き続け、様々な課題を突破していくことにある。
ということは、人間の成長を最も阻害しているのが、他ならぬ学校教育ということになる。

実現論)より
>哺乳類の哺乳類たる最大の特徴は、弱者が種を維持する為の胎内保育機能(それは、危機ゆえに出来る限り早く多くの子を産むという、危機多産の本能を付帯している)である。
しかし、卵産動物が一般に大量の卵を産み、その大部分が成体になるまでに外敵に喰われることによって淘汰適応を実現しているのに対して、胎内保育と産後保護の哺乳類には、適者だけ生き残ることによって種としてより秀れた適応を実現してゆく淘汰適応の原理が働き難くなる。そこで、淘汰過程が成体後に引き延ばされ、成体の淘汰を激化する必要から、哺乳類は性闘争=縄張り闘争の本能を著しく強化していった。<

哺乳類の淘汰適応戦略は生体後の適応闘争にあり、初期段階では性闘争本能強化による淘汰適応であったが、集団を形成したサル・人類は性闘争本能を抑止することで集団収束し、共認機能、観念機能を獲得することで外圧適応態として進化を遂げた。
学校教育は、この外圧適応のための観念機能の獲得を阻害していることに他ならず、生命の適応原理に反しているとうことを、あらためて認識しておきたい。

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2016年08月19日

遊びは、子どもの「やってみたい」という気持ちから始まる

夏休みを期に、今回は子どもと遊びをテーマににした記事を紹介します
子どもにとってあそびとは、「生きること」そのもの。食べたり飲んだり眠ったりといった、人間の生命を維持する行為と同じように大切です。子どもの発達にとって、遊びはなくてはならないものであり、遊ぶことによって成長します。

◆遊びはこどもの「やってみたい」からはじまる ~『ボーネンド・キッド』より~
「あそび」と聞くと、「勤勉」や「努力」の対極にあるものと感じるかもしれません。「あそび」と似たようなニュアンスの言葉に、「娯楽」があります。両方とも、とても耳慣れた言葉です。どちらも何となく「楽しい」という共通点があるように思えますが、しかし「あそび」と「娯楽」、両者を比較すると、下図のような違いがあります。

【あそび】 【娯 楽】
プレイ   エンターテイメント
日常的   非日常的
能動的   受動的
蓄 積   消費・消耗
継 続   一過性
全生活   余暇・暇つぶし

端的にいうと、あそびは自発的なもの、娯楽は受動的なもの。あそびは、子どもの「やってみたい」という気持ちからスタートするものであって、決して「やりなさい」と命じられてするものではありません。一方、娯楽はテレビゲームや電気仕掛けのおもちゃのように、スイッチを入れればあとは受動的に物事が進んでいきます。そして、乳幼児や成長過程の子どもにとっては、あそびの方がより重要なのです。
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◆よく遊び よく学べ!(動物たちはこう育つ) ~『NHK教育 地球ドラマチック』より~
野生で生きる動物たちが最初に学ぶのは、「生き残る」コツ。インパラ(野生の鹿の一種)がぴょんぴょんと横とびをして遊ぶのも、野生のヤギが山の急斜面を駆け上がって遊ぶのも、自分たちをねらう肉食動物から逃げる方法を自然と学ぶためなのです。

人間の子どもたちが遊ぶとき、女の子はお人形さん遊びが好きだったり、男の子はプロレスごっこが好きだったりと、性別によって遊びの好みが違っていることがあります。野生の動物たちも同じで、例えばチンパンジーのメスは、子ザルを抱っこして子育て遊びをしますし、オスはオス同士でレスリングをして力を競い、大暴れして遊びます。それぞれの群れでの役割を、遊びながら学んでいるのです。

ある動物園に、人間によって育てられたシロクマがいます。この若いメス、ティグワークはほかのクマを全く知りません。ある日、オスのシロクマ、エディと対面することになりました。ティグワークは警戒し、なかなか友だちになろうとはしません。しかし、母グマに育てられてクマ同士のコミュニケーション方法を知っているエディは、仲良くなるコツを身につけていました。おもちゃを持ってきたり、水に飛び込んで追いかけっこしようと誘ったりしたのです。そのうちティグワークはエディと一緒に遊ぶことがとっても楽しいと気づき、2頭は友だちになっていくのです。

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子どもたちの「遊び」は、本能に根ざしたものであり、同時に集団で生きる術を学ぶものではないかと思います。そして、動物にとっても人類にとっても、遊びは子どもたちの最大の学習課題ではないでしょうか。

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2016年08月18日

神や精霊との交流が「芸能」の始まり

踊りによる変性意識状態→精霊に出会う→皆に伝えるために壁画を描いた

前記事では、洞窟壁画は踊りによる変性意識状態でみた精霊を仲間に伝えるために生まれた、というお話を紹介しましたが、
そもそも原始人たちにとって、踊りとは何のために行なっていたのでしょうか。

 

まず考えられるのは、二足歩行の訓練のため。これは人類が誕生して相当初期の段階。
次に、皆で踊ることによる親和的充足、不全感の解消。
皆で踊ることの充足感、一体感は極度の不全を解消してくれたことでしょう。
そしてその背景にあるのは、不全の対象である万物への畏怖から、祈り、感謝の念。
明日生きられるかも分からないような極限の不全状況では、単に楽しみや喜びのために踊るなどということは考えられない。
不安や怯えを解消するため、万物への祈りと感謝を込めて、ただひたすらに踊っていたのではないか。
そしてついに踊りによるトランス状態のなかで精霊に出会い、会話ができるようになったのだろう。
、、、この間、何百万年もの時をかけて。
そう思うと、生きながらえてくれた原始人たちのおかげで今自分たちがここに生きていられるということに、感謝しかない。

 

そのような共同体の祈りや感謝における呪術的儀式が、現代の芸能の原点だとする記事を紹介します。
なぜ人は、歌い、踊り、演じるのか

今、芸能というと「エンターテイメント」をイメージする人が多いのではないでしょうか。
「エンターテイメント」とは、人を楽しませる、喜ばせること。もともとは「もてなす」という意味でした。
転じて、今では芸能を「見て楽しみ、日常の忙しさをひととき忘れるための娯楽」といったふうに考えられているようです。
しかし、古い時代に遡ると、芸能はもっと深い意味をもっていました。

今でもそうですが、「芸能」とは、踊る、舞う、歌うことです。
その極致は、一口で言えば神々の世界と交流し、「狂う」状態に入ることです。
精神が通常の状態ではなくなってしまうわけです。
日常を忘れ、神のごとく非日常の世界に入る、忘我の境地。これが芸能の究極です。

なぜ、こうした「芸能」が生まれたのか。
起源はおそらく縄文時代以前、石器時代人からではないかと考えています。
大自然のなかで、いわば丸裸の状態で生きていた人間は、自然の力を頼って生きていました。
日が照らさないと作物が育たないし、雨が降らなければ作物は枯れ、自分たちも飲み水に困ります。
そこで、畏怖をこめて天には神がいると考えるようになりました。
地や山、川、海、森にもそれぞれ精霊が宿っており、大自然で起きる現象はすべて神や精霊の働きによると考えたのです。
今なら気象衛星で台風だとわかりますし、大地震は地球を覆っているプレートが動くことによって起きることがわかっています。
けれど古代では、神を怒らせると暴風雨や大地震が起きると信じられていたのです。
こうした「超自然観」をアニミズムといいます。現在の宗教のはじまりといえるでしょう。

アニミズムにおいては、人間は神様なくして生きられません。
豊作も飢饉も自然災害も神様の気持ち次第ですから、神に祈ったり感謝したりすることが非常に重要です。
この時、祈りや願いを通じて神様と交流する人を「シャーマン」といいます。
「シャーマン」は自ら恍惚のトランス状態に入り、通常のヒトとしての人格を放棄して、神や精霊と交わり、お告げを受けます。
病気の治療もおこないました。
このような原初的な共同体の祈り(祭祀)や感謝(祭礼)における呪術的儀式が芸能の原点なのです。

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2016年08月17日

踊りによる変性意識状態→精霊に出会う→皆に伝えるために壁画を描いた

人類、500万年の歴史。
人類の先端機能たる観念機能(言語)は、いつ頃、どのように獲得したのだろうか。

・500万年前 最初の人類=猿人が登場(アウストラロピテクス、パラントロプス)
・400万年前 精霊信仰の始まり⇒観念原回路の形成(400万~300万年前と推定)
・220万年前 原人の登場(ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス、ホモ・エルガステル)
生存様式の進化=貯蔵、火、道具etc=言語機能の獲得?
・180万年前 原人の出アフリカ
・ 30万年前 旧人の登場(ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・ハイデルヘル)
・ 20万年前 新人の登場(ホモ・サピエンス)
・ 10万年前 新人の出アフリカ
・ 5万年前 新人がスンダランド到達
・ 4万年前 新人が欧州~ユーラシアほぼ全域へ
生存力進化→壁画象徴表現、舟、調理具、衣服、戦闘防衛具、、
=共認機能⇒観念機能⇒精霊信仰と原始科学?
・ 2万年前 弓矢の発明→生存力・生産力上昇→地上居住(洞窟脱出)

400万年前から精霊信仰が始まり200万年前には火や道具を使っていたとすれば、弓矢の発明まで時間かかり過ぎ。
現在につながる人類の歴史として、原人、旧人の進化を受け継ぎながら登場した20万年前の新人からと考えれば、スンダランド到達以降、急速に観念機能⇒生存力を進化させてきたことが分かる。
観念機能の獲得は、セックスのエクスタシーにおける宇宙との交信、踊りによるトランス状態における宇宙との交信が始まりと思われるが、トランス状態で見た世界をみんなに伝えるため、共有するために壁画が生まれ、次第に言葉化していったのかもしれない。「彼岸の生物学① ダンスと変性意識」より紹介する。

 

■太古から人類はシャーマニズムを持っていた
ネアンデルタール人の埋葬跡やクロマニヨン人の残した壁画等、人類の精神文化史をたどっていくと「シャーマニズム」が見られる。その初源的な姿のヒントとなるのが、先住民社会等に残される「シャーマニズム」の伝統だ。
シャーマンは世界各地域に事例が見られ、その歴史は長い。「シャーマン」という言葉は、東シベリアのアルタイ系先住民、ツングース族の「エヴェンキ語」の「シャマン」に由来し、「暗がりの中で見える人」「知識と知恵のある人」。したがって、シャーマニズムはアルタイ語系諸民族の宗教的伝統と言える。

 

■エクスタシーの語源は体外離脱体験
そもそも、シャーマンとは、自ら変性意識に入って聖なる源にコンタクトする者をいう。シャーマンたちの他界への旅を人類学では「脱魂」「呪的飛翔」「エクスタシー」と呼ぶ。宗教学者のミルチャ・エリアーデは、シャーマニズムを「エクスタシーの技術」と定義する。なお、エクスタシーという言葉は、気持ちいいというニュアンスで使われているが、もともとのギリシア語「エクスタス」は「外側に立つ」という意味で体外離脱体験を示唆している。体外離脱体験は、深遠な法悦感を伴うことからそういう感覚がエクスタシーと称されるようになったのであろう。

 

■脱魂型シャーマン文化が最も基礎
シャーマンの変性意識は、「脱魂型」と「憑霊型・憑依型」とにわけられるが、体外離脱体験によって、自我への執着を瓦解させる狭義の「脱魂型」のシャーマンは、全世界の4分の1の社会にしか存在しない。その大半は、カラハリ砂漠や極東シベリアやアメリカ先住民で、狩猟採集生活をおくってきた人々の社会だ。そして、脱魂型のシャーマニズムには、魂の解放そのものをもたらす深さがあり、旧大陸でキリスト教や仏教が果たしていた世界観を与える役割も果たしている。このことから、脱魂型シャーマンが最も普遍的な宗教実践の基本形であることをうかがわせる。

 

■最古の人類クン・サン族にも微細な身体の概念がある
クン・サン族のシャーマンは、トランス・ダンスという踊りを通じて意識状態を変容させて、彼岸の世界に入っていく。シャーマンたちは、『ンム』と呼ばれる大変な高温と活力を発生させる能力を持つ。人類学者リチャード・カッツ博士に対して「踊って踊って踊る。すると、ンムがお腹の中に入り込んで背中を持ちあげる。すると身体が震え始めて熱くなる。ンムが身体のあらゆる部分、足の先から髪の毛の中にまで入り込む。それは神から与えられる」と語っている。

bushwoman.jpg

鍵となるのは、踊りであり、長時間踊っていると、臍の下にある生命エネルギーが熱くなり、脳天を突きぬけて上昇する。中国では、人間を「気」や生命エネルギーの場としての「微細な身体」として捉えてきた。けれども、興味深いことに、これを見れば、「気」やインドのプラーナに相当する概念が、最古の狩猟採集民、クン・サン族にもあり、クンダリニーの覚醒とほぼ同一の体験をダンスを通じてしていることがわかる。

 

■シャーマニズムでは動物の精霊が重要な地位を占める
太古のシャーマニズムでは、動物の精霊が聖なる象徴で、熊や鷲は特別重要な存在とされていた。旧石器時代の壁画が、現在の狩猟採集部族が、共通して動物霊を聖なる存在として重視していることからも、そのことがわかる。

動物霊と交信する宗教は、アニミズムと呼ばれ、原始的とされがちである。けれども、アニミズムが多神教に発展し、多神教が一神教へと発展していくとする図式はかなり怪しい。現存する部族社会においても至高神信仰が多くあり、狩猟採集社会の最初の神の観念も至高神であったとの主張もある。

とはいえ、部族社会の至高神の観念には、地球生態系への深い感謝や祈りが付随する。動物の精霊が重要な地位を占めていて、上から人格神が支配するといった観念は見出せない。

 

■ホモ・サピエンスはなぜ15万年、文化を持たなかったのか
現在、最古されるホモ・サピエンスは、エチオピアで発見された19万6000年前のものである。彼らは、解剖学的には現代人とまったく同じ肉体に進化し、現代人と同じ高度な脳も手にしていた。にもかかわらず、象徴化の能力が示され始めるのは10万年前からであり、かつ、アフリカでしか起きていない。

「シンボル化」の最古の事例は約11~9万年前に南アフリカに出現した骨で作られた道具である。また、約7万7000年前には、南アフリカのケープ州のブロンボス洞窟で、幾何学模様が付いた赤色のオーカーや小さな貝殻に穴を開けたビーズのセットが発見されている。

オーストラリアにも古くから人類が移住している。その年代は6万年前とされるが、大洋を航海するためには高度な抽象化の能力が必要であろう。そこで、ブロンボスのオーカーの年代に近い7万5000万年前にまで遡るとする意見もある。

 

■4~5万年前に意識革命が起きた
フランスのラスコーやスペインのアルタミラ等の洞窟には世界最古の芸術が残されているが、これまで発見されているヨーロッパ最古の洞窟壁画は3万5000年前のものだ。すなわち、4~3万年以降に突如として洞窟芸術の爆発が怒り、約1万2000年前まで続いている。

すなわち、洞窟芸術の爆発が起こり、人類の意識革命が起きたのは4~5万年前のことでしかない。約25万年前に出現したネアンデルタール人は、象徴化の能力を欠いており、ホモ・サピエンスも15万年は文化を持たなかった。すなわち、原生人類の脳の肉体構造と精神との間にギャップがあることを意味している。

 

■変性意識状態から洞窟壁画と宗教は産まれた
古代サン族が描いた格子、網目、梯子、ジグザグ模様の幾何学パターンは、現在のボランティアの被験者たちが幻覚物質で体験した「内視現象」やヨーロッパの洞窟壁画と似ている。そのことに南アフリカのウィットウォータースランド大学のデヴィッド・ルイス=ウィリアムス教授は気づき、1988年に「現代人類学」で、洞窟壁画と宗教の起源に関して神経心理モデルを提唱している。

 

■洞窟壁画に登場する動物は変性意識で出会った
マイケル・ウィンケルマン教授は、ペンシルバニア大学のユージーン・ダギリ博士や人類学者ウィリアム・ラフリン博士が、提唱する「神経現象学」をさらに深め、脳科学とシャーマニズムの研究をつなげようと試みている。

後期旧石器時代に起きたこの精神革命は宗教につながるが、洞窟や岩絵に描かれたモチーフは、現代人が変性意識で体験する光のビジョンと共通する。すなわち、その背景にシャーマニズム的な呪術的実践で生れた変性意識状態があったことは間違いない。

壁画のほとんどは馬、野牛、マンモス等を描いている。このため、狩猟の対象となる動物を支配するための魔術のためだと考えられた。けれども、洞窟に残された骨から祖先が食べていたものを知ることができるが、それは壁画に描かれたものとは一致しない。

また、壁画には人間と動物とをあわせた想像上の怪物が描かれている。ギリシア語の野獣を意味する「テリオン」と人間を意味する「アントロポス」を合わせ、「テリアントロプス」と呼ばれる。例えば、約1万7000年前のフランスのトロワ・フレール洞窟には、フクロウ、狼、鹿、馬、ライオンが混ざった「呪い師」と呼ばれる絵が有名である。イタリア北部の約3万5000年前のフマネ洞窟にも人間と野牛があわさった野牛人間がある。これはフランスの約3万2000年前のショーベ洞窟のものと一致し、スペイン北部の約1万5000年前のエル・カスティーヨ洞窟のものにも酷似している。

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アフリカのナミビアの洞窟でも約2万7000年前の下半身が人間でライオンの頭部をもつ絵が発見されている。南アフリカには下半身が人間で上半身がカマキリである絵もある。南アフリカのサン族は、カマキリのイメージを含めて、自分たちの祖先が残した洞窟壁画について説明しているが、彼らによれば、壁画は部族のための情報を得るために霊界を旅したシャーマンによって書かれたという。ヨーロッパ南西部にある300程の洞窟壁画はビジョン芸術だったのである。

 

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2016年08月14日

グループ追求は孤高の天才に勝る~江戸時代の自主追求グループ「連」

「グループ追求は一人の天才に勝る」という趣旨の書籍を紹介します。

『凡才の集団は孤高の天才に勝る--「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア』キース・ソーヤー著 金子 宣子(翻訳 ダイヤモンド社)

2009年3月22日毎日新聞に掲載された田中優子氏の書評を転載します。
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◇日本の伝統とも共通する創造力の秘密

 ビジネス書の書棚には近づかない方なのだが、この本の題名を見て思わず手にとった。それは私が、江戸時代の都市部で展開していた「連(れん)」というものに関心を持ち続けてきたからである。連は少人数の創造グループだ。江戸時代では浮世絵も解剖学書も落語も、このような組織から生まれた。個人の名前に帰されている様々なものも、「連」「会」「社」「座」「組」「講」「寄合」の中で練られたのである。

 私はこの創造性の秘密は、日本人固有のことではなく、人間の普遍的なありようではないのかと、常々考えていた。江戸時代では、個人が自分の業績を声高に主張しなかったので、連による創造過程があからさまに見えるのではないだろうか。コーディネイターとして人と人をつなげながら自分の能力を発揮した人こそが、日本の文化史には残っている。

 さて本書は原題を「グループ・ジーニアス」という。著者は経営コンサルタントを長く経験し、企業にイノベーション(革新)の助言をすることを仕事にしてきた。同時に心理学博士で、そしてジャズピアニストだ。この組み合わせには納得。江戸の連はジャズのコラボレーションに酷似している、と私も考えてきたからだ。そういう著者であるから、本書には即興演劇集団がどのようなプロセスで芝居を作ってゆくのか、ジャズセッションはどういう過程をたどるのか、著者自身の詳細な記録に基づいて述べられている。それと全く同次元で、ポスト・イット(付せん)がどう生まれたか、ATMやモールス信号がどのように発明されたかを書いているのが面白い。そこから見えるのは、個人の発明だと思っていたものが、実は様々な人々からの情報提供と深い意見交換を契機にしているという事実である。また個人のレベルでは十中八九失敗であるものも、最終的には画期的な発明がなされている。失敗が新しい時代につながる理由こそ、コラボレーションの力なのだ。

 江戸の連には強力なリーダーがいない。町長や村長など「長」のつく組織は明治以降のものであって、町や村もピラミッド型組織にはなっていなかった。それは短所だと言われてきた。戦争をするには、なるほど短所であろう。しかし新しいアイデアや革新を起こすには、社員全員で即興的に対応する組織の方が、はるかに大きな業績を上げている。本書はブラジルのセムコ社やアメリカのゴア社の事例を挙げ、現場のことは現場で即時対応することや、規模を小さくとどめるために分割することに注目している。それが伝統的な日本の創造過程とあまりにも似ていることに驚く。

 本書で提唱しているのはコラボレーション・ウェブ(蜘蛛(くも)の巣状の網の目)である。その基本の一つが会話だ。事例として日本の大学生の会話も収録されている。そこに見える間接的な言い回しが、可能性を引き出し創造性につながるものとされている。日本語(人)の曖昧(あいまい)さと言われるものが、実はコラボレーションの大事な要因なのだ。相手の話をじっと聞き、それを自分の考えと連ねることによって、新たな地平に導く可能性があるからだ。これは相手まかせではできない。能動的な姿勢をもっていてこそできることである。人を受け容(い)れるとは能動的な行為なのだ。

 江戸時代までの日本人は、集団的なのではなく連的であった。本書もピラミッド型集団とコラボレーションとの違いを明確に区別している。こういう本を読んで、日本のコラボレーションの伝統と力量に、今こそ注目すべきだ。
*****************************************
(引用以上)

ここで挙げられている「連」「会」「社」「座」「組」「講」「寄合」とは、江戸時代の庶民による自主追求グループであろう。
リサイクル技術をはじめとして、江戸時代の日本人の技術力が世界トップレベルであったことが明らかになりつつあるが、その追求力をはぐくんだ母胎が自主グループ「連」や「講」であったことは想像に難くない。
そして、追求充足が創造の源泉であったことは、江戸時代固有の話ではなく、人類の普遍的な在り様である。それは原始時代から歴史貫通的に当てはまる構造である。

『追求のススメ(サルから人類へ:観念機能の創出)』
足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちがそうであるように、足の指で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力に直面した。とうてい外敵に対応できない原始人類は、洞窟に隠れ棲むしかなかったが、彼らは恒常的に飢えに苛まれていた。
彼らは常に生存の危機に晒されており、当然「どうする?」⇒「世界(自然)はどうなっている?」という未知への収束と追求回路に全面的に先端収束する。そして、人類は、直面する未知なる世界=不整合な自然世界を「なんとしても掴もう」と、自然を凝視し続けた。それは、生命の根源をなす適応本能(整合本能)と共認機能を深く結びつけることになった。そのようにして、みんなで毎日毎日追求し続ける、その中で、追求共認⇒追求充足の回路が、共認回路の奥深くに形成され、その共認充足が更に強く皆を追求に向かわせていった。

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2016年07月28日

思考の解放、邪魔をする自我

>無意識を顕在化させ、可能性に導くことが重要であり、現代的な最も重要な課題である(リンク

無意識を顕在化させること、潜在思念に耳を傾け思考を開放すること、、
気になる言葉を拾ってみた。(リンク

◆エゴの発見
ルネ・デカルトは、常に自分が考えているという事実は疑いないとした。そして、「われ思う。ゆえにわれ在り」と述べた。けれども、デカルトは、「存在」と「思考」を同一化した。究極の真実を発見するかわりにエゴの根源を発見した。けれども、それに自分で気づいていなかった。

◆今という瞬間に集中する
「無心状態」に達するもうひとつの方法は、意識を100%、「いま」という瞬間に集中させ、思考活動を遮断することである。エゴは常に、いまというこの瞬間に抵抗している。エゴは決して瞬間と仲良くはできない。したがって、「いま」という習慣を友人にする決意をすることは、エゴの終わりを意味する。「いま」という瞬間に背を向けてしまうのは、他の何かの方が重要だと思っているからだ。

◆アイデンティティが崩壊するとエゴが消える
アイデンティティを思考から切り離すことができれば、自分が正しいかどうかはどうでもよくなる。負けたからといって、アイデンティティが揺らぐことはなくなるからである。自分を同一化していた形が崩壊するとエゴは崩壊する。何かの対象に同一化する意識ではなく、意識そのものとしての自分のアイデンティに気づく。思考は意識と同じではない。意識がなければ思考は産まれないが、思考は意識活動の一側面にすぎず、思考がなくても意識は存在できる。

◆抵抗せず、あるがままを受け入れる
エゴは現実を恨むことを好む。つまり、不幸の第一の原因は状況にはなく、その状況についてあなたがどのように考えるのかの思考にある。いわゆる悪は自分で作り出している。

 どの状況でも役割に自分を同一化せず、しなければならないことをやっていく。これが、この世に産まれた私たちが学ぶべき基本的な人生の教訓である。役割を演じないとは、行動にエゴがでしゃばならないということだ。自分を守ろうとか強化しようという下心がない。完全に状況に焦点を合わせている。

 意識を外に向けると思考と世界が現れ、過去、未来、そして、身体のアイデンティティを身にまとう。意識を内に向けると目に見えない世界へと帰っていく。

◆無意識の思考や感情に溺れることを抜け出るひとつが客観的に観察すること
「完璧な人は自らの心をひとつの鏡とする。それはなにものもつかまず、何も拒絶せず、受け止めはするが保とうとはしない」。
すなわち、思考の「声」に耳を傾け、思考を「見張る」り、思考を客観的に眺めれば、この思考の束縛から解放され、その行為をしている「ほんものの自分」に気づき、意識は新たなレベルに達する。
思考を客観的にながめることができれば、高次の意識が活動を始める。

◆見るためには思考を止める必要がある
偏見を捨てて、新鮮な目でモノを見るためには、習慣的な考え方やモノの見方を止めなければならない。多くの改革プロセスでは、状況について自分の想定を裏付ける情報だけを集めている。すなわち、過去の経験と記憶を反映して、あらかじめ、見ているつもりのものだけを見ている

 「ふつうは人間は思考を支配しているのではなく、思考が人間を支配している」。自分の思考を意識できれば、自分の思考によって見るものを左右されることも少なくなる。

 人は自分の考え方にしがみついている。しがみついているのを止めたとき、自分の考え方に気づく。

◆大いなる存在とつながると本当の平安、愛と憐れみが得られる
こうして、思考活動が停止し、心が「空」の状態となれば、常に、愛、歓び、そして、心の平安を体験できる

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2016年07月26日

中野明(著)『裸はいつから恥ずかしくなったか ~日本人の羞恥心』

『裸はいつから恥ずかしくなったか~日本人の羞恥心』中野明(著)を紹介します。

この本は1854年、安政元年に描かれた下田の公衆浴場の謎からはじまります。
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男女が混浴で浴場に入っていて、裸を隠すわけでも、恥ずかしがる訳でもなく堂々としている。今日では有り得ないことであるし、私たちの常識では、昔の日本でこんな混浴がごく普通に行われていたのかさえ既に知らないことになっている。

全国全てに混浴が行き渡っていたかというとそうではなくて、まだらのようにあったようだ。また銭湯からあがった人は、近ければ別に裸で帰ったという。行水や沐浴のようなことも、外から見える庭で平気で行われていたし、通りや往来に近いところでも普通に行われていたようだ。若い女性でも関係なかった。

どうしてそういう公衆の前でも裸でいることに平気だったのか、著者は裸は「顔の延長」のようなものではなかったのかと推測する。現代でも顔を恥ずかしがる人はいない。裸もそういう「顔の感覚」で捉えられていたのではないのかという。

裸体は制度により「無化」されていたのではないのか。裸は「コモディティ(日常品)」のようなものであり、珍しくもなかったし、隠すこともなかったものではないか。社会制度として裸の価値は、今日のような性的な意味を付与されたり、禁止されるものではなかったのである。

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2016年07月21日

人類とは初めて無意識を持ったヒトである

気になる記事があった。
ネアンデルタールとホモ・サピエンスの違いは無意識にある、というが、
進化機能としては、本能機能、共認機能、観念機能ともに獲得しており、違いは無い。
脳回路の接続、結びつき方が違うのであろうか、、

結びにおける、無意識をできるだけ純粋な形で取り出そうとする試み、という点は共感できる。
わかりにくい言葉が並んでいるが、
閉塞した現代社会において、その実現基盤たる無意識=潜在意識は本源社会の実現を望んでいるのであり、だからこそ無意識を顕在化させ、可能性に導くことが重要であり、現代的な最も重要な課題である、と読んだ。

贈与の生物学① 脳神経の配線変化による人類の誕生
◆ネアンデルタールとホモ・サピエンスの違いは無意識にある
ネアンデルタール人は、高度な技術的才能を持ち優れた石器を作り出した。間違いなく言語も話していた。ネアンデルタール人は妊娠期間が1年近くもあった。そして、ネアンデルタールは、子ども時代が非常に短く、3歳でも新人の成人並の脳を持っていた。けれども、ネアンデルタール人の脳は言語的認識を行う部分、社会的認識を行う部分がバラバラに別れて発達し、それぞれが独立して作業をしており、その間のスムーズな連携網は発達していなかったらしい。けれども、象徴的思考、メタファーの能力が欠如していた。

 一方、ホモ・サピエンスでは、脳内の結合組織が横断的につながれ、これまでなかった流動的知性が発達する。このことで、人類は「記号」ではなく「意味」として物事を理解できるようになり、そこから「言語」もいまある形へと組織化される。

 あらゆる言語は、異なる領域を重ねて圧縮する「隠喩(パラディグマ軸)」と異なる領域をずらす「換喩(シンタグマ軸)」からできている。言語は人間の象徴だとされるが、より正確にいえば、言語を可能としている比喩能力、そして、それを可能としている流動的知性の働きこそが人間の証なのである。この比喩的思考能力によって、言葉で表現する世界と現実とは必ずしも一致しなくてもよくなり、現実から自由な思考が可能となる。このため、人類は、言葉をしゃべり、歌を歌い、神話という最初の哲学を作り出し、複雑な社会を作り出すことが可能となった。

◆統合失調症は無意識が生で表れた症状
レヴィ=ストロースはことあるごとに「神話は無意識の行う思考である」と語っているが、象徴的思考には、圧縮や置き換えによって意味を横断的につなぎあわせていく流動的な知性活動が不可欠である。それは、豊かな無意識が必要である。そして、フロイトによれば、「無意識」は、ホモ・サピエンスは妊娠期間が短く、未熟なままに子どもが産まれてくるという「未熟さ」のため発達する。「夢」は「無意識」が語る言葉と言われるが、夢は、イメージを圧縮する隠喩とイメージをずらす換喩からできている。「無意識は言語のように構造化されている」とジャック・ラカンが語ったのはそのためなのである。すなわち、人類とは初めて無意識を持ったヒトであると定義できる。

◆無意識は個を認識しない
この神話的思考を動かしている最も基本的な思考プロセスは、現在の科学的思考とまったく同じ「二項論理」であり、それ以来、人類の知的能力は進歩していない。けれども、神話と科学には大きな違いがある。科学は二項論理を用いてアリストテレス型の論理を働かせる。うち、最も重要なのがAという命題があり、非Aという命題があるとき、Aと非Aとは両立しえないという「矛盾律」である。

 けれども、無意識も神話と同じくアリストテレスの論理に従わない。アリストテレスの論理は「個」を認識することから出発する。けれども、無意識は「個」には関心を示さず、「個」を日本国民や人類のように一般化して扱おうとする。これを哲学者、京都大学の田邊元名誉教授は「種の論理」と呼ぶ。すなわち、フロイトが見出した無意識では自己と他者との区別をせず、個を認識しない。

◆無意識は非対称の関係性を対称的に扱う
無意識は非対称の関係を対称的に扱おうとする。これをブランコは「対称の原理」と呼ぶ。そして、時間は消失し、部分と全体との差異もなくなる。例えば、統合失調症の患者は情動に障害があるが、ブランコによれば、それは、非対称の関係にある愛と憎しみが同質の情動として扱われてしまうためなのである。

◆対称性原理の復興が必要
神話的思考では「対称性の論理」が働いていたが、近代以降の科学や哲学は、「非対称の原理」によって成り立ち、対称性の論理を極力排除しようとする。形而上学、資本主義の経済活動、国家権力のすべてが非対称性の論理と関係している。それが、無意識の働きに抑圧や歪みをもたらしている。
そこで、神話の対称性の論理を復活させることには今日大きな意義がある。交換が贈与となり、言語は詩となり、人間が宇宙の一部にすぎない倫理的思考が生命を取り戻すからである。
とはいえ、現代人がもはや神話の思考に戻ることは不可能である。「野生の思考」だけでこの状況に立ち向かうことはできない。したがって、流動的知性=無意識の中から出現する新たな智、「対称性人類学」を作り出して行くしかない。「対称性人類学」とは抑圧されていない無意識をできるだけ純粋な形で取り出そうとする試みなのである。

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2016年07月14日

脱魂型シャーマン、憑依型シャーマンとは?

狩猟採集文化の脱魂型シャーマン、農耕文化の憑依型シャーマン、この違いが気になっている。
シャーマニズムとは、忘我的な精神状態(トランス)の中で、魂が身体から抜けだして,神霊界を遍歴するのを脱魂型と呼び、その人の身体に別の神霊が憑依侵入するのを憑霊型と呼ぶ。
いろんなサイトから検索してみた。
分かったのは、より根源的なのは脱魂型であり、超自然的存在と直接的に接触、交流が可能であるということ。
自然との同化の極みがシャーマニズムなのだろう。

 

脱魂型のシャーマン
シャーマンとは、自ら変性意識に入って聖なる源にコンタクトする者をいう。そして、この変性意識は、「脱魂型」と「憑依型」とにわけられる。

狩猟採集文化においては、体外離脱体験によって、自我への執着を瓦解させる「脱魂型」が中心である。脱魂型のシャーマニズムには、魂の解放そのものをもたらす深さがあり、北米で発達した脱魂型のシャーマニズムは、旧大陸でキリスト教や仏教が果たしていた世界観を与える役割も果たしていた。

脱魂型の変性意識に入る為には、聖なる植物を摂取したり、一定のリズムで太鼓を連打したり、自然の中で一人断食をする等、様々なやり方がある。太鼓の音の連打が変性意識をもたらすことは、日本の仏教での木魚を見ても明らかである。空也の踊躍念仏もシャーマン的な行為と言える。

 

「なぜ華北黄河流域で天の信仰が、華南長江流域で太陽の信仰が誕生したのか」
農耕民は食糧を生む大地を信じ、そこに神々の存在を感得するのにたいし、狩猟民や牧畜民は大地をはなれたところ=天に神の存在を信じる。

農耕民の信じる大地の多様な神々のなかでの最高神が農作物の豊凶を支配する太陽神であった。

狩猟民は獲物の獣を追う。その獲物は身体の内部に神の分身を宿している。狩猟民はその神をつねに追うことになる。幾世代にもわたって神を「追う」生活が脱魂型のシャーマンを誕生させた。彼らの多くは神の分身の獣を守護霊としている。

農耕民は大地をたがやして収穫を待つ。収穫物は農耕民にとっての神の分身である。幾世代にもわたって神を「待つ」生活をくりかえした農耕民のなかのえらばれたシャーマンが、自己の肉体を依代としてそこに神を待ちうける憑霊型を生みだした。

仮面も神をよりつかせる依代である。憑霊型のシャーマニズムの分布地帯と仮面の分布地帯がほとんどかさなるのはそのためである。

 

狩猟採集社会の脱魂型シャーマンから農業祭司社会の憑依型シャーマン
狩猟採集の部族社会では、シャーマンたちが「聖なるもの」と直接交流し、その豊穣な世界を話し言葉でコミュニティの構成員とわかちあうことで、誰もが密接なつながりを感じることができた。各個人が「聖なるもの」に直接的にコンタクトすることも認められていた。こうした狩猟採集民の社会におけるシャーマンの権力は、個人的な能力に依存していた。

戦闘集団の長である男性が部族長となる。戦争の果てに古代初期に王国が誕生すれば、その武装勢力を率いてきた部族長が王となっていく。こうして、元々は祭祀長が部族長であったのが、戦闘隊長が部族長へと昇格し、その下や横並びに祭祀長(シャーマン)が控えるという形に逆転した。すなわち、より社会の分業化が進むにつれ、政治を行なう首長、公的儀礼を司る祭司、占いや病気治療等の私的領域をサポートする憑霊型シャーマンへと役割が分化する。

 

アフリカ狩猟採集民のシャーマニズム
シャーマニズムの定義のもっとも重要な点は,「超自然的存在との直接接触または直接交流」にあるという。

彼らは,超自然的存在と感応する回路を開いている。さらに,夢に代表されるような潜在意識にまで想像力を広げている。感覚を鋭敏にし,意識的な呼吸をおこなうことで,身体と意識を拡張させる。彼らは,このようにして神と出会い,神と対決し,災難や不幸を乗り越えてきたのである。

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