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2016年04月01日

ネアンデルタール人はなぜ滅亡したのか? 諸説の整理

ネアンデルタール人( Homo Sapiens Neanderthalensis )が何故滅亡したのかということは、現在でもはっきりと分かっていません。
現世人類の祖先は、クロマニオン人を代表とする新サピエンス型人類で、大体20万年以上過去に遡ることができます。他方、ネアンデルタール人も、20万年ほど過去に遡ることができます。

約10万年前、ヨーロッパに鋭利な剥片石器を特徴とするムスティエ文化があり、同じ頃、同様の特徴を持った文化が西アジア、アフリカにもありました。このムスティエ文化は、4万年前頃まで継続します。ムスティエ文化を持っていたのは、ネアンデルタール人と考えられます。

そこで、ムスティエ文化が消える頃、または消えた後で、ヨーロッパには、3万5千年から3万年前頃から、オーリニャック文化が生まれます。この文化は、後続して、洞窟壁画やヴィーナス像を伴います。また、骨製品なども伴います。この文化は、クロマニヨン人、新サピエンス型人類の文化と考えられています。

ネアンデルタール人が4万年前に滅亡したというのは、ムスティエ文化の終了・消失と関係があり、また、ネアンデルタール人の化石はムスティエ文化と共に出土し、オーリニャック文化時代には出てきません。

また、サピエンス型人類は、20万年以上前に遡ると書きましたが、10万前に始まるムスティエ文化の遺跡が見つかる、パレスティナのカルメル山のタブーン洞窟や、カフゼー洞窟などでは、ネアンデルタール人の化石骨が出土するのですが、またサピエンス型人類の化石骨も出土します。これについては、同じ時期に、ネアンデルタール人とサピエンス型人が共存していたのか、同じ洞窟に住んではいたが、居住年代が異なるのだという二つの説があります。同じ時期に共存していた場合、混血が起こった可能性があるのです。

ネアンデルタール人の滅亡の原因として、現在までに考えられた主要なものは、三つに分かれます。

1)新サピエンス型人類とネアンデルタール人のあいだで闘争などの生存競争があり、新サピエンス人がネアンデルタール人を滅ぼした。

2)新サピエンス型人類とネアンデルタール人は、長期に共存し、交配可能であったので、混血が進み、ネアンダルタール人は新サピエンス人に同化し吸収され、独立した生物類としては消えてしまった。

3)ネアンデルタール人と新サピエンス型人類は、共存し、別々の集落・集団を造って生活していたのであり、互いに干渉はなかったが、ネアンデルタール人は知的に限界があった為、新しい技術文化や共同体を創ることができず、人口減少して集団の基本母数を維持できなくなった。

ネアンデルタール人は、南北アメリカ大陸には進出しておらず、東アジアにも進出していないようですが、それでも、ヨーロッパ、中東、アフリカと広範囲に分布していました。気候変動と共に、適した土地に移動することができますから、やはり、生活領域の狭さによって、集団を存続させるための最低人口を維持できなくなった結果、少しずつ静かに消えて行ったのだと考えるのが適切だとも思われます。

ネアンデルタール人の化石遺骨は百体ぐらい見つかっていますが、特定の時点で見ると、世界中に存在したネアンデルタール人は、10万人程度の規模だったとも考えられています。対し、オーリニャック文化期の新サピエンス人は、百万人ぐらいに人口増加していたと考えられます。

(註:ホモ・サピエンス Homo Sapiens は、ネアンデルタール人も含みます。クロマニヨン人や、現代の人類は、ホモ・サピエンス・サピエンス Homo Sapiens Sapiens と言い、ネアンデルタール人は、最初に書いているように、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス Homo Sapiens Neanderthalensis です。どちらも、ホモ・サピエンスです)。

【参考】「ネアンデルタール人は何故滅んだのか」リンク

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2016年03月31日

新人類の出アフリカ~移動ルート

DNAから導きだされる日本人の起源」 より紹介します。

 

◆人類誕生から現代人まで
• 人類の誕生は500万年前といわれる。
300万年前の有名なルーシ-呼ばれる完全な人類化石が東アフリカの大地溝帯で発見された。
いくつもの系統の人類が発生し・生存し、化石を残し、滅んでいる
• 原人の世界への拡大
150万年前に大地溝帯で原人が誕生し、100~50万年前にアフリカを出て世界に広がった。 ジャワ原人、北京原人。
旧人とも呼ばれるネアンデルタール人がヨーロッパへ進出したのは、50万年前。
• 新人
現代の世界人口70億人の人類は、20万年前にアフリカで誕生し、一人の女性の子孫と云われる。
トコンドリアDNAの解析から証明されている。
• 人類は、猿、類人猿から別れ、500万年前に誕生し、2足歩行、言語、道具を得て進化。
幾つかの身体的違いを持った系統に分れ進化を遂げ世界に拡散した。厳しい気候の変化や生存競争などにより、
最終的には、20万年前に発生した新人が世界中に広がり、70億人にまで拡大した。
※ 今回のDNAから導きだされる日本人の起源では、このアフリカで20万年前に誕生した新人までの起源を溯る。

 

◆新人・出アフリカ (ベースとなる時期と事象)
現生人類の歴史を辿る前に、判明している基本的な事実の時期と場所を明確にしておきたい。
(ネアンデルタール人などの旧人のことは除外)
• 現代のホモ・サピエンス(新人)は20万年前にアフリカで進化した。
• 7万から5万年前にアフリカから外へ移住し開始、結局ヨーロッパとアジアで既存のヒト属と置き換わった。
• ヨーロッパへの侵出開始は、4万年前以降とされている。
• ウクライナのマンモスの骨で作られた住居で有名なメジリチ遺跡の年代は、放射性炭素法で1万8000年前と測定いる。
• スンダ大陸からオーストラリアへの移動は5万年~4万5千年前。
• 3万年前、モンゴロイドがシベリアに移住。
• 2万年前~1万5千年前、厳寒期への体躯の適応現象が起きた。(バイカル湖周辺)
• シベリア大陸から南北アメリカへの移住は1万8千年~1万年前。
• 出アフリカを果たした新人の置かれた状況:地溝帯は、四季を通じて(一年中)食物が採集できる地で、温暖な地だった。
出アフリカは道々の日々の食料確保が問題で移動中の気温の変化への対応も生き延びるために不可欠な条件だった。
新人達のもって出た道具箱の中身が、生存の条件となった。
寒く食料の採取できない冬を越えることは、出アフリカと移動の最も基本的な条件。
ヨーロッパへの進出が4万年前以降となった最大の理由は越冬の難しさと云われる。
考慮が必要な事は、7万年前から1万年前までの期間は氷河期だった事。移動と越冬が難しい時期であったこと。

 

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2016年03月25日

ヒトの起源を調べる方法

DNA解析による人類の起源について、前回は言語分布と人類の移動ルートについて紹介した。

DNA解析にもいくつか手法があり、「DNAから導きだされる日本人の起源」リンクに、分かりやすくまとめられているので紹介する。

 

従来の日本人起源論

 

◆ヒトの起源を調べる方法の種類
• ヒトのルーツを解析するために、従来から使われてきた方法論がある。
– 石器、青銅器、鉄器
– 土器、食器、道具
– 民俗学、民族学
– 伝承、神話
– 言語、記述された歴史
– 骨、歯、身体的特徴

• 新たに使われる医学・科学ベースの方法論
– 放射性元素による絶対年代の測定
– ヒトのDNA
– 病原菌・ウィルスの羅病
– 家畜等のDNA

• 医学・科学ベースの方法論により、正確な事実が判明してきたことは、大いに歓迎する。
併し、その断片的な事実を、従来の 方法論で調査されて明らかになった事実と、論理的な整合性のない説が散見される
新論旨と整合性の取れない従来の手 法を頭から否定するのは戴けない。

• これから展開する論旨は、従来からの方法論・事実をつなぎ、DNAなど医学・科学ベースの方法論が導き出した、
ワクワクす る新しい事実から、日本人の起源と日本語の起源に迫る。

• 発想の新しさを大切にして、独創性・革新性を持ち、歴史的事実や貴重な研究成果との普遍性をもった起源論としたい。

 

ヒトのDNA

 

同じDNAを発見

 

 

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2016年03月17日

言語分布と人類の移動ルート

DNA解析による人類の起源について調べているが、その中で、人類の移動ルートと言語分布についての資料があった。
DNAから導きだされる日本人の起源 より紹介する。

 

◆言語の分布図と人類の移動ルート/DNA
• 世界の共通語となっている英語は、: I saw a dear. の主語・動詞・目的語の語順で、日本語では: 私は、鹿を、見たと、主語・目的語・動詞の順で、語順が違う。そう云えば、フランス語もドイツ語も英語と同じ順で、漢文も英語と同じ順。日本語だけが違う。

• 多くの人が、日本語だけが、特殊な語順と思ってきたが、実は、日本語と同じ語順を持った言語が多く、「日本語は特殊な言語では無い」との書籍が発刊されている。「世界の言語と日本語」副題:言語類型論から見た日本語 著者の角田太作(東大)

• 日本語の上手なモンゴル出身の相撲力士には、いつも感心するが、実は、モンゴル語は、語順が日本語とほぼ同一で、単語が違うだけとのこと。韓国語の語順も同様で、アイヌ語も同じとのこと。 ニューギニアに、日本語と語順に近い言語がある「アルタイ語とオセアニア言語学との接触」江実著との説から、DNAから辿る日本人の起源のルートと語順のから見た言語の分布が一致する可能性を予見した。

• 上記の角田太作氏の著作の付表を地図に照らし、可視化してみると、人類の移動ルートとの関係が判明する。

JPNfrmDNA

 
DNA

◆分布図と移動ルートから読み取れること
言語の分布地図とルートを重ね合わせると、
– 最初にスンダ大陸に来て、ニューギニア・オーストラリアに渡った人達の子孫は、日本人と同じ、主語S・目的語O・動詞V:SOVの語順を持つ言語をもっている。

– スンダ大陸から、3.5万年前に北上をし始めた初期型のモンゴロイド、は、いずれもSOVの語順を持つ。
• 日本の縄文人→アイヌ、韓国、モンゴル人など

– 2万年前に耐寒体型になった初期型モンゴロイドが移動したルート上は、SOVの語順を持つ言語が使われている。
• 南北アメリカ、モンゴル、チベット
• 更に中国の雲南から南下し、インド大陸に移動したモンゴロイドもSOV型の言語を持つ。

– 一方、後からスンダ大陸に来た、後期型モンゴロイドは、日本語と異なるSVOの言語系を持って居る。
• インドネシア、フィリピン、マレーシア、カンボジアなど
• 更に後期型モンゴロイドの北上した漢民族の言語(中国語)

– 気になる点
• 欧州とアジアの境目のグルジアなどは、チンギスハンの欧州制覇に関わる結果と思われるが、白人のトルコがSOVで有る点
• 中米地方のマヤ文明を築いた人達の言語が、周辺と違うSVOで有る点。
• 若干の気になる点はあるが、ほぼ人類の移動ルートと語順で分類する言語は一致している。

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2016年03月16日

人類の道具の進化史~従来説よりも早くから人類は道具を進化させていた

『別冊日経サイエンス 化石とゲノムで探る人類の起源と拡散』「創造する人類」(H.プリングル)「祖先はアフリカ南端で生き延びた」(C.W.マリーン)の要約。
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人類の創造性は、出現から数百万年間さしたる進歩を遂げなかったが、人類が発明や芸術などの創造性を獲得した時期は,4万年前の後期旧石器時代の初頭であると従来考えられてきた。ヨーロッパにいたホモ・サピエンスが様々な石器や骨角器を作り始め、貝製ビーズのネックレスで身を飾り、洞窟の壁に動物の絵を描いていた頃だ。そうした発見から、その頃に起こった遺伝子突然変異が人間の知能を一気に飛躍させ、「創造の爆発」を引き起こしたという有名な学説が生まれた。しかしこの10年ほど、はるかに古い考古学的証拠が見つかり、人類の創造性の起源は、ホモ・サピエンスが出現した20万年前よりもさらにさかのぼることがわかってきた。

340万年前 石器による切痕がある動物の骨(エチオピア・ディキカ遺跡)

260万年前 剥片石器(エチオピア・ゴナ遺跡)石を打ち欠いて作ったチョッパー。動物の死体から肉を剥ぎ取るのに使われた。

176万年前 両刃の石器(ケニア・トゥルカナ遺跡)

100万年前 火を使用していた証拠となる焼けた骨や植物(南アフリカ・ワンダーウェーク洞窟)
       ホモ・エレクトスが暖をとり、動物から身を守るために火を起こしていた可能性。

 50万年前 木の柄に取り付けたとみられる尖頭器(南アフリカ・カサパン1遺跡)
      ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの共通祖先ホモ・ハイデルベルゲンシスが使用。

 20万年前 ネアンデルタール人がカバノキの樹皮を原料とするタール状の接着剤で木の柄に石の薄片を固定し、柄付きの道具を作成。

19.5~12.3万年前の間、寒冷化と乾燥化のせいで、アフリカ大陸の大半は、動植物が姿を消した。人類が暮らせたのは、ほんの数カ所の草原や地中海性低木地帯だけだった。アフリカ南岸は、冷たいベンゲル海流の湧昇流による栄養豊富な水と温かいアガラス海流のおかげで貝類が豊富な上に、ここのフィンボス植生地帯だけに生える可食食物もあり、人類がこの気候変動を生き延びるための数少ない避難所の一つとなった。

16.4万年前 細石刃と熱処理された石器(南アフリカ・ピナクルポイント遺跡)
  南アフリカ・ピナクルポイントの洞窟PP13Bでは、貝やアザラシやクジラの骨が発掘された。16.4万年前から海産物の採集が行われていた。貝類を採集する上で、アフリカ南岸沿いで安全に十分な収穫が得られるのは、大潮の干潮時だけ。しかも、潮の干満は月の満ち欠けと関係しているので、毎日50分ずつ遅れてゆく。ビナクルポイントの人類は、月の満ち欠けと干満の関係を把握し、それに合わせて海岸に貝を採りに行く日を決めていた。
  彼らは異なる材料を組み合わせた道具を作成していた。石器の中には、かなりの数の細石刃(剥片石器)があるが、手に持って使うには小さすぎるので、これらは木の柄に固定して、投擲武器として使われた。 シルクリート(珪質礫岩)と呼ばれる地元産の岩石を火にかざして加熱し、加工しやすい光沢のある材料に変えていた。
  未加熱のシルクリートは粒子が粗く、細石刃を作ることはできないが、加熱することで細石刃を作ることができる。彼らは加熱によって原材料の性質を大きく変えられることを知っていた。シルクリートの細石刃を作るには、まず温度を保つための砂場を作り、350℃までゆっくりと上昇させてからしばらく温度を一定に保ち、その後ゆっくりと温度を下げてゆくといった、複雑な手順(工程)が必要になる。手順を考えて実行し、技術を次の世代に伝えるには、言語が必要だっただろう。

  また、PP13Bの最古の地層で発掘したレッドオーカー(酸化鉄)には、粉末を作るために削ったりこすったりした跡があった。その細かい粉末を動物の脂肪などの接着剤と混ぜ合わせて、身体の表面に塗りつけることができる顔料を作っていた。

10~7.5万年前 模様が刻まれた黄土(酸化鉄)(南アフリカ・ブロンボス洞窟)
   黄土の塊に模様を刻み、骨をピン状に加工し(皮の衣服を作るために使われたと考えられる)、
   キラキラ光る貝製ビーズのネックレスで身を飾っていた。また、粉末にした紅土をアワビの貝殻でできた容器に収めた。

7.7万年前 虫除け効果がある寝具(南アフリカ・シブドゥ洞窟)
   多種多様な樹木から1種類の葉で作った寝具。その植物には、病気を媒介する蚊に有効な天然の殺虫成分が微量に含まれている。
   洞窟から出土した尖頭器に付着していた黒い残留物は接着剤で、尖頭器を木製の柄に固定していた。

7.1万年前 飛び道具の先端部(南アフリカ・ピナクルポイント遺跡)

4.3~4.2万年前 楽器のフルート(ドイツ・ギーセンクレステルレ洞窟)

4.1~3.7万年前 洞窟絵画(スペイン・エルカスティーヨ洞窟)

4~3.5万年前 造形美術品(ドイツ・ホーレフェルス遺跡)

なるほど、4万年前のヨーロッパで人類の創造性が爆発的に進化したという従来の説は、白人の優越性の演出だと考えられる。実際は、もっと早くから人類は工夫思考によって道具を進化させてきたと考えた方がよさそうである。

但し、出典文中には次のような一文があるが、これは見当違いであろう。
「7.7万年前のシブドゥ洞窟にはアンテロープ(レイヨウ)の骨が散在。小さいアンテロープを捕らえるために罠を考案していた。洞窟から出土した尖頭器のサイズや形、磨耗パターンから判断すると、アンテロープよりも危険な動物を仕留めるために弓矢を作っていたと考えられる。」
洞窟の中からレイヨウの骨が出てきたとしても、屍骸を拾ってきたにすぎない。7.7万年前に弓矢が発明されていたならば、人類は洞窟に隠れ住む必要がなく、地上(野や森)に進出していたはずだからである。

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2016年03月11日

遺伝子解析による人類史の解明~Y染色体の遺伝の仕組み

遺伝子解析、なかでもY染色体により、人類の拡散の歴史を遡って追跡できるという。
どのような仕組みなのだろうか、まずは学説を紹介する。

 

(リンク)より

人類史を詳細に推論する上で貴重なツールであることが最近実証された一片のDNAがある。
人類の祖先がその流浪の旅路で辿った道のりを、これまでにないほどはっきりと見せてくれたのである。
このDNAは父から息子にのみ伝えられるという意味で、父系のミトコンドリアDNAに相当する。
ミトコンドリアDNAの研究で 明かされた母系統に対応する存在として、父系独自の血筋を規定しているのである。
・・・(このDNAはY染色体と呼ばれる)

まず、染色体というのはどういうものなのだろうか。
それは、一口で言うと総数30億文字(塩基)で出来ている核DNAの集合体の単位とでも言えようか。
一つひとつの細胞の中には核があり、その中に22種類の対の常染色体と性染色体が納められている。
右の顕微鏡写真は、男性の染色体で、赤丸で囲んだ性決定部分はX染色体とY染色体の組み合わせとなっている。
女性はこの部分がXXの組合わせである。
染色体の長さは、最も長いもので2億5200万文字(塩基)あり、最も短いものは、3800万文字という長さで出来ている。   

 

3800万~2億5200万文字という大小のDNAから出来ている染色体が、どれも“こけし”に似た形をしているのは、次図のような生成構造によるものである。また、“染色体(Chromosome)”と命名されたのは、塩基性(アルカリ性)の色素でよく染色されることからChromo「色のついた」に、-some「体」と名付けられたという。

 

上の顕微鏡写真のように、通常は1対で存在する染色体は、親から子へ遺伝するとき、片方一本だけの染色体となって卵子や精子のなかに納まる。その一対から一本だけの染色体となる過程を専門用語で“減数分裂”という。
その際に下図のような、“組み替え”という変化すなわち染色体の交叉・混交がおこり、染色体の多様化が促進される。

 

■■Y染色体の遺伝の仕組み

ところが男性の性染色体、Y染色体には、常染色体やX染色体のようにペアとなる相同の染色体はない。
したがって、父親が精子を作るときには、組み換えが起こらず、お祖父さん由来のY染色体を持つ精子とお祖母さん由来のX染色体を持つ精子の2種類が出来ることとなる。
受精の様子は次のようなものである。

(上図の雌性前核とか雄性前核という聞きなれない用語は、受精卵内における卵子や精子が持つ一本(片方)の染色体のことである。)まったく一般的な遺伝の法則にしたがって、母親の卵子とX染色体を持つ父親の精子が受精すれば女の子が、母親の卵子とY染色体を持つ父親の精子が受精すれば男の子が生まれる。

ただ、このようにしてY染色体を持つ男の子が生まれるのであるが、いま見てきたように、この男の子のY染色体はお祖父さんのものである。そしてお祖父さんのものも、またそのお祖父さんのY染色体なのである。
すなわちY染色体は、mtDNAと同じく、混ぜ合わされることなく、祖先のY染色体がそのまま、父親から男の子へ、世代から世代へと連綿と遺伝される、そういう父系遺伝の性質を持っているのである。

以上の ように、Y染色体は、いわばまことに“孤独な”染色体である。同じ相手があると組み替え反応、すなわち多様化や修復が行われるが、 孤独なY染色体ではそのようなことは起こらず、祖先のY染色体がそのまま、父親から男の子へ連綿と遺伝されることになる。 また、ミトコンドリアは、いま調べたような“異常な抹殺システム”によって、母系遺伝だけが許されることになっているのである。

 

■■人類の系譜が高度に蓄積されたY染色体

DNAの分析を人類学に応用することは、まずミトコンドリアのDNA(mtDNA)を解析することから始まった。

mtDNAが先行したのは、一つの細胞の中に核DNAが一つしかないのに対し、mtDNAの方は数百~数千の単位であり、すなわち量的に集めやすく、しかもmtDNAを構成する文字数(塩基数)が16,500文字(塩基)と極めて少なく、扱いやすいDNAであったことによる。

それに対してY染色体は、容量が5,000万文字(mtDNAの3,000倍)もありmtDNAとは比較にならぬほど、かっては扱い難いDNAであった。しかしそのことは、Y染色体には、mtDNAより極めてゆっくりとしたペースではあるが、過去に起こった突然変異の痕跡が、比較にならぬほど大量に蓄積していることを意味する。

また、Y染色体では組み換えが行われないため文字配列の順序の混乱が起こらず、突然変異の順序を推測することが可能なことである。これにより高い精度で集団の分岐や発生の時期を推定することが出来る。
すなわち、人類の変化(多様化)を長期に亘って追跡するには、mtDNA以上に、Y染色体が極めて適していることがわかり、DNA解析技術の飛躍的進歩もあって、10年ほど前から急速に研究が進められるようになったのである。

 

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2016年03月11日

日本語の起源カタカムナ~万物万象はアマから生まれ、アマに還る

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相似象学会誌『相似象』五号(1973年3月)より引用・要約したものです。
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現代科学が時間空間を「元」とする一方、カタカムナ人には、時空を「元」とする思想はない。「トキ トコロのマリ」が、時間空間とよばれる現象の「本質」であり、時間空間をはじめ、あらゆる現象事象の発現するもとを、「アマの元」に統括して居る。そして、電気、磁気、光等の現象をあらはす「電磁波」や「プラズマ」等をほじめ、生物無生物、生命質や物質、有機物無機物等とよばれる「物質」を構成する「諸元素」も、すべて、この、アマ始元量の「変遷」と観じたのである。

先づ、「アマの細かく分れた状態」を<アメ>と言ひ(雨はその相似象)、<マリ>といふときは、そのアマの細かく分れたモノが、「次第に結球するスガタ」としてとらへた思念である。そしてその潜象のマリが、次第に集合し凝縮し旋転して、電子にも、原子にも、変遷するといふ直観である。又、潜象のマリの「素量」の状態は、<イカツミ(電気) マクミ(磁気) カラミ(力)><ミツゴ(結晶系) モコロ(構造系)>等とよんで居る。
そして、そのように、マ(アマ)と、マリ(マから離れたもの)とで、大小さまざまの森羅万象が構成されてゆくことを、<マトマリ>といふわけである。そして、大きなマトマリを<タマ>とよび、チタマ(地球)、タカマ(宇宙)、ハコクニ(原子)などとよんで居る。(又、アマの微分の思念から、<イマ>とか<ココロ>といふ言葉も発想されて居る。)

<マ>の活用形の<ミ><ム><メ><モ>等の声音にも、カタカムナ人は、それぞれ、<マ>の潜態に関係する重要な意味を持つヒビキを
当て、例へば、ミ(イカツミ マクミ カラミ)、ム(カム ムス等)、メ(アメ、メグリ等)、モ(モコロ等)の言葉が形成されて居る。

「今」と<イマ>の違ひを現代語で説明することは難しいが、基本的な要点を述べてみると、<イマ>といへば一応極微的な思念であるが、実は、<イマ>は、これ以上小さく出来ぬ分化の極であると同時に、測りようのない大きなもの、則ち、拡大の極に通じ、要するに、<マ>の絶対的な単位量(大小長短などの観念では言へない、潜態の始元量)として把へたモノである。もしそのマリ(イマ)が、それ以上分化して小さくならうとすれば、もうマリ(イマ)ではなくなって「消失」してしまふしかない。(消失した最小の極は最大のアマに通じる。)
消えて亡くなったイマ(マリ)はどうなるのか?・・・
そこにカタカムナ人は、<アマ>の潜態への統合を直観したのである。「消失」とは則ち、アマ始元量への「還元」を意味する。
我々が、「時間空間」といふ観念でよんで居るものの本質は、とりも直さず、この<イマ>であり、言ひかへれば、<トキ トコロのマリ>といふことになる。

▼イマタチ
現代人は一般に、「今」が次の今に、そのまま、川の流水のように移動するものの如く思って居るが、カタカムナ人の考へ方は、刻々に発生し、刻々に消滅する、<イマ>の、統計的な存在(イマタチ則ちイマイマ的な性質)としてとらへて居る。
その様相をわかり易い例でいへば、丁度電光ニュースをみるようなもの(一個一個の電球は点滅するだけであるが、人間の目には、それが流動するスガタとしてうつる)、又は映画をみるようなものといへるであらう。
現代人は、送電線によって電気が送られる現象を「電流」と称し、あたかも電線上を、電子がそのまま移動するかの如く扱って居るが、実はそのようなことはあり得ない。
やはり電線上に、電子が、次々に発生、消滅して居るもの(極めて早い電光ニュース板か、又は映画のフイルムの一コマ一コマを連続的に見て居るようなもの)と考へられる。
電子の荷ふ電気素量は、アマの変遷した潜態(イカツミ)である故に、現代科学では、まだその様相を説明しきれないで居る。
しかしその真相は、カタカムナ人の把握した<イマタチ>の物理によって、はじめて解明されるであらう。
ただ、電流の場合は、電磁波速度で次々と生滅を続けるが、<イマ>の場合は、その発生消滅のスピードが更に早く、科学でもっともはやいとされる光速度よりも、さらにはやいと彼らは感受して居たようである。
遮ぎるものがない限り、我々の周囲にも、そのイブキが及んで居る、とカタカムナ人は観じて居た。
細胞の新生(イノチの発生)も、新陳代謝も、個体の死も、このような<イマ><イマ>の関連による統計的なもの、と彼らは直観したのである。
<イマ>とは、このように「アマの絶対的な単位量」として、しかも架空の観念ではなく、彼らの実感にとらへられた、潜象の粒子(マリ)であり、<イノチ>とは、この<イマ><イマ>のイブキの中で、さまざまの干渉、抵抗をうけたイマ(マリ)が、物質系にあらはれ、ある「空間」と、ある「時間」を保って居る状態(ソコチクネ)である。
電子から天体に至るまで、いかにも、万象は、確かな形を保って存在して居るようにみえる。
しかしその真相は、やはり、電光ニュース板のように、刻々に、発生し消滅する、「今」「今」の連続にすぎない。
決して前の「今」が、後の「今」にそのまま流れて移行するのではない。
<イマタチ>とは、このように、万象のイマ、イマ的性質(タチ)を洞察し、すべてを<イマ>の相似象として、固定することなく、アリノママにとらへた言葉である。
この、万象を「統計的存在」として把握したところに、カタカムナ人の「直観物理」の特徴があったのである。
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万物万象の始元は、宇宙(アマ)の微粒(マリ)であり、そこでは時空も「トキ トコロのマリ」として一体化している。
そして、マリが集まって電子や原子を形成され、電磁気力が生まれ、万物万象が形成される。そして万物はアマに還る。
もしかすると、佐野千遥氏の「単極子」も、マリが変遷した一つの相(スガタ)なのかもしれない。

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2016年03月10日

日本語の起源カタカムナ~時空を統合する<マ>という言葉

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「間が悪い」と言った場合、その多くは「タイミングが悪い」という意味ですから時間に関する言葉であり、「間合いを取る」と言った場合は空間に関する言葉である。このように 日本語には「マ」という言葉に時間と空間、両方の意味がある。
このように、カタカムナの「マ」という言葉は、時空(時間空間)を統合する概念である。
同様に、場所を表す「トコロ」という言葉は、時間(タイミング)を表す場合にも使われる。
どうやら、時間と空間は元は一体or繋がっているらしい。

以下、相似象学会誌『相似象』六号(1973年12月)より引用・要約したものです。
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▼マの変遷(イマ、タマ、トキ トコロ)
<マ>とは、日本人にとっては極めてアタリマヘの常識語として誰にでも通じる言葉であるが、それを外国語に当てようとすると、大へん難しいことになるのは、<マ>とは、それを計量したり、科学的に説明できる対象ではないからである。

<マ>を、ズバリと宇宙的に大きく把握した表現が<アマ>(アまねきマ)であった。上古代人が、<マ>とか<アマ>とよんだモノは、人間の眼には見えない「潜象」であるから、顕微鏡や望遠鏡では捉えられぬが、直観でなら、誰にも観じられる存在として、我々の日本語の根本になって居たのである。

<アマ>を微分的に言へば<アメ>であり、アマ一般から<マ>がマトマリ出せば<マリ>になる。アメもマリも潜象であるが、マリは球状でマワリテ居る。それは、目に見えぬ<マ>から独立的に離れ(リ)て、アマ界(宇宙球)に生まれた最もハジマリの量(始原量)であり、別言すれば<イマ>(今)である。則ち<イマ>は、最小の空間(トコロ)と最小の時間(トキ)をもってアマ界に発生した潜象の微粒子(マリ)として把握されたものである。したがって<イマ>も亦<トキ トコロ>と同様に、感じとしては誰にでもわかるが、科学的手段によって、捉へることの出来ぬ潜象のマリである。

科学は時間空間を何万分の一や何ミクロンまで微細に極めながら、「今」といふモノの本質を説明できないし、時間、空間の本質もわかって居ない。
<イマ>の連続的な発生を我々は「時間」と感じ、又<イマ>の集合拡大したものを、我々は「空間」と感じて居たと言へよう。
上古代語の<トコロ>とは、我々のいふ「空間」、則ち「何も見えないトコロ」といふ意味だけではなく、その空間に「トコロを占めて居る大小のモノ」(原子も天体も)すべてトコロである。

<イマ>とはこのように、「変遷しつつある<マ>」といふ思念によって発生した上古代語であり、「変遷しながら統計的には、つねに存在する、微分量」を「今」として把握したのである。つまり<イマ>は、現象の「時計時間」では、捉へられない「統計的存在性(イマタチ)」のものである。

要するに、時間空間の最も根源的な本質は<イマ>であり<マリ>であって、潜象の<アマ>の変遷であるから、現象系の物質としては捉へられない筈である。したがって客観現象にあらはれて居るものの本質を把握するにはどうしても潜象系の存在を認めなければならない。この<アマ>(始原量)の微粒のマリから、電子、原子、分子、細胞等とよばれるものが構成されて、宇宙のすべての万物万象が発現する。そして万物万象は、やがて又<アマ>の始原量に還元する大きな循環系である、といふのが、カタカムナ人の把握した直観物理の考へ方である。
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2016年03月10日

日本語の起源カタカムナ~現代日本語に残る、重要な<マ>という声音

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「日本語の起源カタカムナ~宇宙・万象のヒビキを表した四十八の声音」では、宇宙・万象のヒビキを表した四十八の声音が日本語(カタカナ)の起源であることを紹介した。
つまり、日本語の一音一音にはそれぞれの意味があり、カタカナも単なる表音文字ではない。ただの一音でも「言葉」であり、その組合せによって宇宙の万物万象を表す物理概念であると云ってもよい。
今回は、その中で重要な声音である<マ>の意味について紹介する。
以下、相似象学会誌『相似象』六号(1973年11月)より引用・要約したものです。
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現在の日本語の中に生きて居る、「重要な上古代語」<マ>について
日本人にとって、<マ>が、いかに大事なモノであるかを知らぬ者はない。
能や歌舞伎に於て、<マ>といふモノが、如何に重んじられるか?「マが合はぬ」とか「マがはづれる」とか「マが悪い」といふ事は、決して単なるタイミングとか、音楽的なリズム感や休止・間隔の問題ではない。
<マ>の重要性をわきまへぬ者は、日本では、人間としての基本的教養を欠いた者として、「マヌケ」扱ひをされたのである。
このように、<マ>といふ思念は、芸術や哲学的な意味ばかりでなく、日常生活の、はしばしにわたるまで、日本人の精神構造の上に、大きな支配的な影響をもつ、重要な上古代語から出て居たのである。

何と答へてよいかわからぬが、「丁度、それがその場に<ハマル>べきモノ」それが<マ>であり、一寸でもはづれると「マがぬける」のである。
ある時はリズムのような意味でもあるが、単なるリズムではない。どんなに楽符に正確に演奏しても、楽符に表はしきれぬ微妙なものがある、といふことは、西欧人でも知って居る。しかし、日本語は、それをズバリ<マ>と言ふのである。又、例へば絵を画く場合の「空間」も、話をする「呼吸」も、太刀を打ちこむ「スキ」も、<マ>である。そして、そのような<マ>の機微をつかむ能力を、「カン」と、日本人は言って来たのである。

<マ>といふ唯一音の声音は、「唇をもつ哺乳類」である人間にして、はじめて発声しうるものであるが、カタカムナの上古人は、これを、すべてのハジマリの、そしてすべての生命を生む、最も大事な<アマ>をさす言葉に当てたのである。「アマ」とはアまねき<マ>の意味である。また、日本人が、心から驚くときの表明でもある。(因みに西欧人も他の東洋人もマァ!とは言はない。)

マのつく日本語は実に多いが、無意識に使って居たそれらの言葉が、いづれもこの<マ>の思念を潜めて造語されて居たことに驚かされる。
マリ、イマ、タマ、マワリとか、ハジマリ、アツマリ、マトマリ、カタマリ等の自然法則(サダマリ)に由来する言葉をはじめ、
アマヒ(空間)、マトモ(真実)、マツリ、マゴコロ、マットウ、マジメ、マッスグとか、
マサに、マメに、マモル、マふ(舞)、マツ(待、先づ)、マタ(又・亦、未だ)
マす(増・益)、マかす(任)、マト(的)、マヘ(前)、マデ(迄)、マく(巻、負)、マネ(真似、招く)、マナぶ(学)とか、
アマリ、ウマリ、ツマリ、コマリ、セマリ、ナマリ、トマリ、キマリ、シマリ、タマリ、ハマリとか、
シマ(島・縞)、アンマ(按摩)、マンマ(幼児語)等々・・・・
あるひは「その方がマシだ」とか、マドロミ、マタタキ等といふのも面白い表現である。

又、「マが良い」「マが合ふ」「マに合う」等といふ事はマコトに有難いことであるが、
「ほんのマに合わせ」とか「マにうける」「マンマと」「マサカ」「マルデ」等と言へばニュアンスが変わってくる。
更に「マチガヒ」「アヤマリ」、「マヤカシ」「マボロシ」などに
「マが(歪曲)」ったり、「トンマ」「ヘマ」をしでかしたり、「マがぬけ」たり、「アマえ」すぎて「ワガママ」、「気ママ」になったり、「マヨ(迷)」ったり、「マがさし」て「マ(魔)」になったりすれば、「マったく」有難くない、「キマリ」の悪い事になる。

その他「マヅ」は「マアマア」となだめたり、「マヂマヂ」とみつめたり、
「どうぞ、そのママ」「ママならぬうき世」「ツマリ」「ニンマリ」「タンマリ」「マンマル」等・・・の俗語に至るまで、
<マ>といふ上古代語の、基底の思念は失はず、「正」にも「反」にも、何と自由自在に変遷し、又変態してゆくことであらうか!
おマケに<アマ>には「アマノジャク」といふオチまでついて居る・・・。)

ともあれ、カタカムナ人が<マ>とよんだモノは、科学では扱はぬ潜象ながら、すべてのモトであるいふ感応があったのであらう。彼らがマをつけて示した言葉には、アマのチスジが通っている。

それこそ、「日本語」や「カタカムナ文字」のナリタチが、カタカムナ人の直観した<マ>のサトリを示すものとして創作され、天然自然の発する振動音(アマ-カムヒビキ)を四十八の声音に聞き分け、そのヒビキとカタチとカヅ(数)の物理を抽象したものであったから、その四十八の一音一音に意味があり、それを二つ三つと組合せて成り立つ日本語は、極めて短い単語にも、おのづから、天然自然の様々な相(スガタ)の「相似象」があらはれる。

おそらくどの民族の言葉も、その発祥は、カタカムナ的であったかもしれない。たとへば、「ママ」といふ声音が、西欧語でもシナ語でも共通に、母性的な意味で今も使われて居るとか、「海」に当るフランス語が「母」と同じ発音であるなどといふことは、どの民族にも少しは残って居るが、日本語は上古代語の伝統が数万年後の現代まで、脈々と生きて通用して居る、極めて稀有な例である。
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2016年03月08日

人類の祖先は、近縁種と交配し続けてきた

現生人類(ホモ・サピエンス)は、約20万円前にアフリカで誕生したことが化石記録から示されています。この現生人類は、アフリカ内や、アフリカを出てヨーロッパやアジアに移住していったときに、出会った旧人類と交配していたことが最近のDNA研究からわかっています。本ブログ『現生人類はネアンデルタール人と交わっていた』参照。

このDNA研究に取組んだのが、ドイツのマックスプランク人類進化研究所のスバンテ・ペーボ博士のグループ。

ヒトはアフリカの共通の祖先から分化したと言う見方を取ると、それが起こったのは約10万年前のことですが、その頃地球上では、ヒトが唯一の人類ではなかったのです。他の人類も同時に存在したのです。おそらく最も有名なのはネアンデルタール人でしょう。数十万年前 西アジアとヨーロッパに棲んでいました。興味深い疑問は、我々が出会った時どうなったかです。ネアンデルタール人はどうしたのでしょう?

この疑問に答えようとして、私の研究チームは25年以上かけて、ネアンデルタール人や数万年前に絶滅した動物の遺骸から、DNAを抽出する方法を研究しています。大量のDNA分子の配列を超高速に解読する技術のおかげで、昨年私たちはネアンデルタール人のゲノム配列の第一版を公表しました。

そこから生まれる疑問は、我々が出会ったとき何が起こったか?ということです。

交配しあったのでしょうか? この疑問に答えるには、ネアンデルタール人と現代人のゲノムとを比較することです。その手始めとして、2人のアフリカ人のゲノムを調べ、互いに異なる点やネアンデルタール人に類似している点はどこかを調べました。統計的に見てネアンデルタール人は、いずれのアフリカ人にも類似性がありませんでした。しかしヨーロッパ人やアジア人を見ると、結果は違うのです。明らかに高い頻度でネアンデルタール人は、アフリカ人よりもヨーロッパ人に近いのです。中国人とアフリカ人を比較しても同様です。ネアンデルタール人は中国人に、より近いのです。これもまた驚きです。ネアンデルタール人は、一度も中国に棲んでいません。
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これの説明として我々が提唱するのは、約10万年前現代人はアフリカから旅立った後に、ネアンデルタール人に出会ったのです。最初は、ネアンデルタール人が棲んでいた中東で出会ったと思われます。もしそこで交配が起こったなら、その現代人がアフリカ以外の人全ての祖先となり、世界中の子孫にネアンデルタール人の部分のゲノムを広げたのです。このようにして、今日アフリカ以外の人はDNAの約2.5%を、ネアンデルタール人から受け継いでいるのです。

古代人の遺骸を調べてDNAを抽出する技術を活用して、ネアンデルタール人のゲノムを比較対照することができます。これを我々が初めて行ったのが、南シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワという場所です。2008年に考古学者が山の洞窟で、とても小さなヒトの骨を発見しました。この骨は保存状態がよかったので、我々はこの人物のDNAを解析することができ、このゲノムをネアンデルタール人や現代人と比較してみました。その結果約64万年前、この個体はネアンデルタール人と共通のDNA配列を持つ祖先を共有していたことが分かりました。さらに80万年前まで遡ると、現代人とも共通の祖先につながるのです。

従ってこの個体の属していた集団は、ネアンデルタール人と共通の祖先を持ち、それよりはるか以前から独自の歴史があったのです。この人類の集団を、初めて発見された場所にちなんで「デニソワ人」と呼びます。デニソワ人についても、ネアンデルタール人と同じ質問ができます。現代人の祖先との間で交配したのだろうか? この問いかけに対して、デニソワ人のゲノムを世界中の人と比較すると、驚くことに、パプア・ニューギニアを始めとした メラネシアや太平洋の島々の人は持っているのです。これが意味するのは、デニソワ人は以前はより広く分布していたということです。メラネシア人の祖先がシベリアに棲んでいたとは考え難いからです。

絶滅した人種のゲノムを研究することで、現代人がアフリカから外へ旅立ち始めた頃の、世界の様子が分かり始めているのです。西にはネアンデルタール人が棲み、東にはデニソワ人が棲んで、おそらく他にも未知の人種が 棲んでいたことでしょう。これらの人種の居住地域の境界線はよく分かりませんが、南シベリアには少なくとも過去のある時期、ネアンデルタール人とデニソワ人の両方が棲んでいたことが分かっています。その後アフリカのどこかで現代人が現われ、アフリカを出ておそらく中東に行きました。そこでネアンデルタール人に出会い交配し、世界中に広がり続け、東南アジアのどこかでデニソワ人と出会い交配し、太平洋へと向かって行ったのです。の後これらの古代人は絶滅しましたが、特定の現代人の中で、その一部が生き続けているのです。アフリカ以外の人のDNAの2.5%は、ネアンデルタール人に由来します。メラネシアの人はこれに加え、約5%のDNAをデニソワ人から受け継いでいます。

最後にまとめると、現代人と絶滅した人種との比較ゲノム研究から、何が分かったのでしょう。多くのことが分かりましたが、一つ大事な点と思い申し上げるのは、我々は常に交配してきたということです。我々の祖先は古代人と出会うたびに交配し、それ以降は現代人同士で交配を続けているのです。

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