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2016年03月03日

日本語の起源カタカムナ~カタカナの起源は基底思念を表す四十八の声音符

日本語の起源は、カタカムナの上古代に、カタカムナ人の鋭い直観によって、天地宇宙の万象の発するヒビキを感受し、それを、人間の発音しうる、ほぼあらゆる声音(四十八個)にうつしたところにあった。そこに、古代にシナ語が入ってきた。
以下、相似象学会誌『相似象』五号(1973年3月)より引用・要約したものです。
カタカムナ4107

●オンとクン

このような日本人の音感からすれば、同じ文字のオンとクンであっても、ココロと心(シン)は同じではないし、イノチと生命(セイメイ)、カミと神(シン)は違ふはずである。もし全く同じで、日本人の感覚が、心(シン)だけで充分なら、「ココロ」の方は消えて居たであらうし、あるひは「カミ」も消えて、「神」だけが残り、又、「生命」が残って「イノチ」の方は失せて居たかも知れない。心や神や生命のほかに、ココロやカミやイノチといふ言ひ方が、今日まで使ひつづけられて、伝へられたのは、日本人はどうしても、これらの古い和語のヒビキを、捨て去るわけにゆかなかったからである。

そもそも同じ漢字に、オンとクンがあるという事は、どういふ訳であろうか?オンとは、当時のシナの発音であり、クンとはそれに該当する、日本語の「翻訳」という事であろう。つまり「心」のシナ語の発音がシンであり、和語のココロが、それに当ると、当時の日本の智識人が、解釈したのであらう。同様にして神をカミに、生命をイノチに当てた。しかし、この翻訳は必ずしもピタリではなかった。

日本語の中に移植された以上、日本民族のココロに共振して日本語の「オン」となったが、しかし、どうしても共振しきれないものがあって「クン」として残って、もとのままのカミと発音され、やはり日本語の中に生き続けたのであらう。

では「神」の「シン」といふ「オン」と「カミ」という「クン」はどう違うのか?

その違ひが、形や数量などで表せるものならことは簡単に片付くが、「ココロ」や「カミ」のような目に見えぬ潜象の存在についての直感を表明したこれらの言葉は、我々もまた直感を以って迫るしかない。その場合ヒントになるのは、彼らが用い、そして今もなほ我々も使っている、この日本語の、一音一音のヒビキのもつ「基底思念」である。

言葉はたしかに、日常的なコミュニケーションの道具であり、人間の作り出したものに違ひない。しかし、使ふ人のココロに応じた表現性をもつのは、言葉の発生の根源に、天然理に通じるものがあったからである。少なくとも日本語の発生は、天然宇宙の「ヒビキ」を感受したところにある。それが現代の日本語にもかすかに伝はるのである。

●日本の文字の特殊性(カタカナの起源)
以上のように、カタカムナ文献の解説により、「カタカナ」という名称のおこりは、「カタカムナ」という言葉からでたものであるということ、カタカムナの四十八の声音符が、今日の我々の使っているカタカナ文字の原型であることを直観した。そして、この図象文字を創作した部族集団を、カタカムナ人と呼ぶことにしたのであるが、それは、彼ら自身が、自分たちのサトリを表はす為につくった表象物を、ヤタノカガミと言ひ、その意味を述べた、
ヒフミヨイ
マワリテメクル ムナヤコト
アウノスヘシレ カタチサキ
ソラニモロケセ ユヱヌオヲ
ハエツヰネホン(カタカムナ)
の四十八のウタを、「カタカムナのウタヒ」と称しているからである。

この四十八文字のウタこそ、我々の日本民族のもつ、最古のウタの記録であり、その内容は、それ以後の、日本人の心情や、精神構造を解明する上に、最も根本的な、日本民族の独自の哲学の、原型を示すといへるものである。
民族の発展の原初の時期に、このような強い基礎が置かれていたからこそ、そして、それが、後代の人々にとっても、マットウな、スジの通ったものであったればこそ、その後、いかに漢字の採用や、外来語の流入による混乱があっても、やがて整序されて、日本語は、発祥以来の原型を数万年後の今日まで、もちつづけるといふ、非常に稀有なケースとして、人類の文化の中に、独特の存在を示すことになったのであらう。

人知が、「神」や「心」「霊」「私」「愛」「孝」等々の文字を、必要とするような、欲求を持つよりも以前に、カタカムナの上古代人は、より根元的な、宇宙天然の「イノチとココロ」のサトリに到達して居た。そして、人間の権力や経済の契約や、神への祈りを記録する類いの、文化が展開するよりも以前に、既に、より高次の、イノチとココロのサトリを伝達する「文字体系」が成立して居たのである。
そのために後代、外来文化の流入により、表層がいかに混乱していても、そのカゲには、つねにその伝承を受け継ぐ人々があってその流れは、数万年後の今日まで絶える事がなかったのである。

現代文明を誇る西欧諸国の民族も、歴史をさかのぼれば、みな、カタカムナ人的な、原初の人類のスガタにゆきつくのではあらうが、現在の彼らの用ひて居る言葉や文字は、丸で別なものに変化してしまって居て、そのカミをたどるべくもない。日本語のように、上古代人の言葉が今なほ使はれ、その意味が、現代人に通用する、というような例は、無いであろう。

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2016年03月03日

日本語の起源カタカムナ~宇宙・万象のヒビキを表した四十八の声音

現代人の精神を蝕んでいるのは、近代思想が作り出した「自分脳」と「否定脳」だけではない。学校制度が作り出した「暗記脳」も、現代人の思考力をドン底にまで劣化させてきた。そして、学校制度と近代観念が相俟って、人々を完全なる思考停止の檻に閉じ込めている。これは精神破壊とも言うべき所業であり、人類に対する致命的な犯罪である。事実、明治以降、日本人の言語能力は低下する一方であるが、その最大の原因は、学校や塾の「教える教育」にある。

「学校教育が生み出す「暗記脳」と言語能力の低下」
逆に言うと、言語能力を再生する必要に迫られているのが現代人である。
では、人類の言語能力はどのようにして形成されたのか?
そのヒントとして、原初の日本人(カタカムナ人)による日本語の起源を紹介する。
以下の文章は、相似象学会誌『相似象』五号(1973年3月)より引用・要約したものです。
カタカムナ4107

●日本語の起源
最も古い文字の遺物は、金銭や物品の交換や納品の記録、経済の契約や戦勝の記録などであった。しかし日本語の起源であるカタカムナ人の残した図象文字とその文献の内容は、従来の文字や言葉の概念では律しきれるものではない。なぜなら、それは自分たちの権力や戦力を誇示しようとか、経済上の必要の為とか、又、祈祷や呪巫等の為のものでは全く無く、又、所謂「神話」の類でも無い。殊に、その文の構造は、主語、動詞、形容詞等といふ、所謂我々の文法的な常識の尺度では、到底解読できないものであったからである。

カタカムナ人は、自分たちのサトッた天地宇宙のコトワリを、子孫に伝える工夫として、まづそのサトリを表す表象物をつくり、それを説明する言葉のために、その表象物の〈ヤタノカガミ〉の図象を分解し、四十八の音を示す文字(声音符)をつくったのである。
四十八の音をきめた発想のもとは、彼らが、自分たちのスナホな体覚によって感受した、宇宙天然のあらゆるヒビキを、人間の発声できる、近似の音にうつしたところにあったと考えられる。
言い換へれば、すべて、モノが動けば音を発する。況や我々の地球や太陽のような大きなモノが、旋転(マワリ)したり循環(メグリ)したりして宇宙を運行すれば、もの凄い音響を発しているに違ひない。・・・そしてそれは人間の耳にキャッチ出来る音ではなく、人間の五感に登らぬとしても、鋭い体覚があれば、なにかしら、その気配を、感受できぬ筈はないであろう。

おそらくどの民族でも、大昔の人々はそのような機能をもっていたであらうし、現在でも、なほ、多かれ少なかれもって居る人はあり、又、鍛錬次第でよみがへるようである。西欧にある占星術等の起源も、そのような何らかの感受に発したものであったかもしれない。

カタカムナ人は、そのような、音ならぬ音を、<ヒビキ>として感受し、それを、ほぼ四十八の、人間の声で発音できる音にうつして示したと考へられる。つまり日本語の起源は、先に人間の側の意志や思念があり、それを四十八の音にあてはめたものでは無い。宇宙のヒビキが先にあって、それを感じ分けたのである。

日本語の起源は、カタカムナの上古代に、カタカムナ人の鋭い直観によって、天地宇宙の万象の発するヒビキを感受し、それを、人間の発音しうる、ほぼあらゆる声音(四十八個)にうつしたところにあった。日本語の四十八の一音一音は、おのづから、天地宇宙が、そのようなヒビキを発して居る、さまざまな様相を、表はしたものであった。それで、そのような音を、二個三個と組み合わせて構成される日本語は、当面の意味の奥に、つねに、それぞれの音の意味する、天然宇宙の様々な様相のニュアンスを、ひとりでに包蔵して居ることになる。そして、それらの二音三音が、更に組み合わされて、おのづから、五・七、五・七調のウタとなって、人々の口をついて出るのである。

●日本語の特徴
要するに、日本語のナリタチは、その一音一音に意味があり、いはば、ただの一音でも「言葉」なのである。
例えば、「○○へ」といふときは、方向を示す思念の「へ」の方が、「え」よりふさわしいわけであるが「岩」については、カタカムナ人の用例によれば「岩」が渾然と固まっている居る有様を示すときは「イワ」といひ、岩にもイ(アマの微粒子の思念、ここでは電子)の正反(ハ)がある、といふ意味のときは「イハ」といっている。なほ、同じく大きいものを表はすにも、立体的に六方にガッチリとかまへた岩(イワ)のような大きさなら「オオキイ」と言ひ、正反親和したスガタには「オホキイ」と発音したようである。

人間のアタマの機能といふものは、大本のスジさえ通っていれば、相当複雑なことでも、らくに会得しうるが、スジの通らぬことを覚えさせるには、特別なエネルギーが必要・・・日本語の教育を正すには、一音一音の基底思念を、追体験的にさとらせる事から出発すべき事から出発すべきである事を、私達はカタカムナの解読によって知ったのである。

●日本語の音感
日本語に極めて多く見られる、コロコロ パラパラ グズグズとか、サッパリ ウッカリ オットリ ポツンとはいふ言ひ方は、多民族の言葉にもある擬音語擬態語の類いではないし、同じくモノがあらわれるにも、パッと出る、ヌッと出る、ニョキニョキ出る、モジモジ出る、スー―と出て、ゾォーッとさせるのは幽霊、ヘマが出ればウンザリ、ガッカリ等々、もしその状況を、他国語に翻訳するとなると、多くの形容詞、副詞、動詞を並べ立てても、トテモ日本人同士ほど、それこそ「パッ」と通じるような具合にゆくものではない。我々の間では、例えば、イソイソとかゲッソリとか言えば、それだけでその様子が、マザマザと伝わるが、・・・・・西欧人には、その代わりに手振り身振りが発達する事になったのかも知れない。
又、例えば、ミッチリとミッシリ、シックリとユックリ、あるいはガッチリ ガックリ ガッシリ ガッポリ等の、チとかクとかシとかホとかの、唯一音の違いが、その昔、カタカムナ人のとらえたヒビキの基底思念を、何とよく保ち伝えて居ることか!

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2016年02月25日

人類の祖先は本当にチンパンジーだけなのか?(他のサルからの分岐もありうる)

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「現生人類とネアンデルタール人は交わっていた」では、従来の学説では混血できなかったされてきたホモ・サピエンスとネアンデルタール人が、実は交配していたという事実を紹介した。

それだけではなく、人類はチンパンジーからと分岐したという定説も怪しい。
人類とチンパンジーが分岐したという説の根拠は、両者のDNAが99%一致することとされているが、この99%一致という話自体が、データを都合よく改竄した上で成り立っている
ものらしい。
『gigazine』2015年07月21日「人間とチンパンジーのDNAは99%一致するというのは本当なのか?」
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「人間とチンパンジーではDNAの違いはわずかに1%しかない」という「99%一致説」が世間に浸透しています。しかし、本当に遺伝子配列の99%が一致するかというと、そうではないことが指摘されています。人間とチンパンジーのDNAの違いはどの程度のものなのか、DNAの違いを調べることに意味はあるのかなどが、分かりやすく解説されたムービー「Are We Really 99% Chimp?」が公開されています。

よく言われるのは人間とバナナの遺伝子(DNA)は50%が一致するということ。同様に、人間と犬では80%が、チンパンジーにいたっては99%のDNAが共通だと言われます。この場合、体内の細胞を取り出してみると、染色体に代表されるDNAの遺伝子情報のごく一部のみが異なるように受け取れます。

しかし、実際には人間とチンパンジーでは、DNAの遺伝子情報はかなり違っています。人間とチンパンジーが別の種に別れたのは600万年前から800万年前。別の種になってからも、ともに進化を続けて遺伝子情報がそれぞれ変化してきました。人間の染色体は23対なのに対してチンパンジーは24対と、それぞれ独自の進化を遂げてきました。

遺伝子情報を文字に書き起こして比べてみます。
人間にあるけれど、チンパンジーにはない遺伝子情報やその逆もあり。それ以外の部分は、塩基配列はごく一部が違うだけでほとんど同じ。これらの違いを科学者がどう捉えるのかが、99%一致説の鍵を握ります。

塩基配列のわずかな違いは一つずつ数え上げることは可能。では、まったく違う部分はどう扱えばよいのでしょうか?
例えば、人間とチンパンジーとで記述自体は共通しているけれど、人間では2回繰り返す場合はどうでしょう。
これらをすべて1文字ずつ違うものとして数え上げるべきか……それともパラグラフ全体を「1つ」の違いとして数えるべきか。
同じパラグラフでも異なる場所に現れている場合はどう考えるべきか?
文字列の順序が反対の場合は?
文を区切れば一致する場合はどうか?……など判断が難しい場合がたくさんあります。

この難問に対する科学者の回答は……なんと、「大きく異なる部分は切り捨てる」という大胆な方法。
その数、なんと13億文字。
一方、残った24億文字だけを考えて……比較した結果が「98.77%の一致」というわけです。つまり、人間の25%のゲノムとチンパンジーの18%のゲノムを無視して、残りの部分だけを比較して出されたのが「人間とチンパンジーはDNAが99%一致している」という99%一致説なのです。

さらに、根本的な問題としてDNA情報の異なる「程度」は単純な文字列の違いでは計れないというものがあります。
わずかなDNA情報の違いで、姿かたちがまったく異なることがあったり……他方でDNA情報がかなり違うのに、ほとんど同じ形の場合もあったりします。
つまりは、DNAの情報がほとんど同じであることをもって、生物学的に「近い」とは言えないということ。
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つまり、人類とチンパンジーの遺伝情報37億文字のうち、大きく異なる13億文字(35%)を除いた24億文字(65%)だけを比較して、人類とチンパンジーのDNAが99%と一致すると、学者は唱えているということだ。
同じ部分だけ比較すると一致するのは当り前であって、まるでペテンのような話だが、実態としては、人類とチンパンジーの遺伝情報は64%程度しか一致していないということになる。

それどころか、人類とチンパンジーの遺伝子は8割以上違うという研究結果さえ発表されている。
「遺伝子:チンパンジーとヒト、違い8割以上(毎日新聞)」 ― 研究チーム「違いは想像以上に大きい」
【元村有希子】毎日新聞 2004年5月27日 2時00分
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理化学研究所などでつくる国際共同研究チームがチンパンジーの22番染色体とヒトの染色体を比較した結果を、27日付の英科学誌ネイチャーに発表した。生命の設計図と呼ばれるゲノム(全遺伝情報)の暗号文字(塩基配列)の違いは約5%だったが、それを基に作られる遺伝子は8割以上で違いが見つかった。研究チームは「両者は進化の隣人と呼ばれるが違いは想像以上に大きい。ヒトへの進化をもたらした遺伝子の解明は簡単ではない」と話している。

チンパンジーとヒトの祖先は共通で、チンパンジーの22番染色体はヒトの21番染色体にあたる。研究チームは、チンパンジーの22番(3350万塩基)の配列を昨年夏に決定し、既に解読済みだったヒトの21番と精密に比較した。

これまで、ヒトとチンパンジーの塩基配列の違いは1%余りとされていた。しかし、今回の研究では、両者で塩基の種類が変わっている部分が1.44%あったほか、塩基配列が加わったり、逆に欠けている部分が約6万8000カ所も見つかった。合わせた違いは5.3%になるという。また、染色体上の遺伝子231個を両者で詳しく比べた結果、192個(全体の83%)で、遺伝子が作り出すたんぱく質に違いがあった。

エイズウイルス(HIV)のように、ヒトにもチンパンジーにも感染するが、ヒトでしか発症しない病気などの仕組みも遺伝子の比較から分かる可能性がある。理研の榊佳之・ゲノム科学総合研究センター長は「DNAのわずかな違いの積み重ねが、ヒトとチンパンジーの遺伝子の違いを生んでいる。今後は、特定の遺伝子同士の比較や、人間の病気の解明につながる研究に発展させたい」と話している。
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つまり、人類とチンパンジーの塩基配列の違いは5%だが、遺伝子が作り出すタンパク質では83%、つまり、ほとんどで違いがあるということだ。

人類がサルから進化したことは間違いないし、その中の一種がチンパンジーであることは否定しない。しかし、遺伝子にこれだけの違いがある以上、チンパンジーだけを人類の祖先と限定することはできないのではないか?ゴリラやオランウータンをはじめとする他のサルから分岐したということも十分、有り得るはずである。
なぜならば、足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサルが人類である(「実現論前史ヘ.人類:極限時代の観念機能」)以上、その方が自然だからである。

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2016年02月25日

「まつり」は本来、目に見えない神や精霊の世界とつながる場

今回もシャーマニズムの続きです。

 

前回投稿:

シャーマニズムは、ヒトと自然界とのつながりを保ちつづけるための深層の絆
人類はコトバの獲得と文化の形成によって自然から離れてしまった

・「まつり」は本来、目に見えない神や精霊の世界とつながる場だ。
・ヒトは太古からシャーマニズムの文化を発達させ、変性意識状態になることで目に見えない精霊(スピリット)の世界とのつきあいを保ってきた。
・シャーマンと呼ばれる人たちは規則的な音や幻覚性植物の力などによってある種の変性意識状態(シャーマン的意識状態とも呼ばれる)に入り、自然界の精霊や祖先の霊などと交流する。
・太鼓の音やドラッグなどで変性意識に入ることによってその枠組みが 一時的に外れると、日常の世界の思考や行動をまるで違う視点から眺めることができたりする。

 

太古のヒトにとって、自然界の精霊と交流することは特別なことではなかった。
その入口は、踊りやうたによる「まつり」によって生まれる変性意識状態にあり、現代人は身に付けてきた様々なコトバや枠組みにより、自然界の精霊と交流するような自由な思考を失ってしまった。
現代人も「踊り」によって得られる変性意識状態により、様々な枠組みから自由になれるのだろうか、、、

 

踊るヒト科の、明日はどっちだ?(リンク)より

「踊る」という行為が、現代社会でよみがえりつつある。
その最たるものが、90年代から盛り上がったダンスミュージックやレイヴパーティーのシーンだ。
レイヴパーティーとは、野外のキャンプ場などでトランスとよばれるテクノミュージックを大音量でかけ、一晩中踊り明かすイベント。レイヴ(rave)とはもともと「うわごとを言う、荒れ狂う」という意味。80年代の終 わりにイギリスで起きたアシッド・ ハウスの野外パーティーのムーヴメントに端を発し、ヨーロッパ各国やアメリカなどの先進諸国、そしてインドのゴアや地中海のイビザ島など伝統的なヒッピー の楽園にも飛び火していった。日本では96年頃から本格的な盛り上がりをみせ、「レインボー2000」をはじめとする大規模な野外レイヴも行なわれるようになった。レイヴの場では、同じリズムを共有しながら、集団で踊りという原初的な快楽に身をゆだねる。踊り方はまさに好き勝手。誰もが、一番気持ちいい状態、一番「ハマれる」状態にどっぷりと漬かるのだ。

ヒトは太古から、集団で踊るという行為を続けてきた。
幕末に 広がった「ええじゃないか」や、鎌倉時代に流行した「踊り念仏」、アメリカでは1969年のウッドストック・フェスティバル。時代時代に形を変えて「踊る記憶」は受け継がれてきたとも言える。昨今のレイヴやダンスシーンの盛り上がりは、その再来とも言える。それは、ヒトという種が秘めている内的な衝動・エネルギーのある種の噴出なのかもしれない。

そして、うたもリズムも、踊りとともにあった。
現在の世界各地の先住民族たちもそれぞれに自分達の踊りとうたとリズムを持っている。文字を持たないヒトはいても、踊りと音楽を持たない民族はないといっていいだろう。そして彼等にとって踊りと音楽は、共同体を維持し、ヒトを自然や宇宙と結びつける重要なメディア(媒介)なのである。

心臓の鼓動を思わせるリズムに身を委ね、仲間たちとともに身体をゆする。素足で大地を踏み、飛び跳ねる。嬌声をあげる。笑う。そしてその光景は面白いことに、コンピュータで生み出された音楽が鳴り響く先進国のレイヴのありさまと驚く程似通っているのだ。
思えば近代人はこういう快楽的な踊りをこれまで長い間、自らに禁じてきた。というか、「気持ちいいこと」そのものを罪悪視してきたフシがある。しかし近代的なシステムのほころびが誰の目にも明らかになりはじめた今、「気持ちいい」ことを徹底的に追求する若者たちが大量に発生しはじめたというわけだ。

僕にとってこれまでで最良のレイヴは、98年7月に岐阜で行われた、イクイノックスというオーガナイザーによるパーティーだ。湖のほとりのキャンプ場を借り切って、3日間にわたって開かれた。みんなテントやバンガローに思い思いに陣取り、気が向いたら踊りの輪に加わる。手作りアクセサリーや食べ物の店もいろいろあったし、外国人もたくさんいた。
いいレイヴでは、参加者の身体がシンクロし、気持ちがひとつになる。この岐阜のパーティーで僕は心底生まれてきてよかったと思ったし、今生で一度きりのこの場に居あわせることができたことを感謝した。そこにいるすべての人が、生えている草木が、飛んでいるすべての鳥がいとおしく思えた。土埃と汗にまみれて踊っていた参加者のだれもが笑顔に輝き、だれもがとてつもなく優しかった。これこそがヒトという動物の本来の姿だと思えた。すべてがリアルだった。感動のあまり涙が出てきた。

この岐阜のパーティーではいろんなことを感じ、考えた。そこには なぜか懐かしさが感じられた。時空を越えた既視感とでもいうべきだろうか、「こうして皆で身体全体でリズムを感じて踊るということを、僕たちの祖先は営々と行ってきたのではないか・・・」という気がしてしかたがなかったのだ。森林を出て直立歩行を始めアフリカの大地を踏みしめたヒトの祖先がその生の喜びを身体全体で表した時、そこに踊りが生まれたのではなかったか。石器時代から縄文時代へと何万年にもわたって受け継がれてきた遺伝子レベルの「踊る記憶」が、しばしの中断を経て再び呼び覚まされた・・・そんな思いを抱かずにはいられなかった。

現存する 世界中の民族舞踊をみると、狩猟採集民と農耕民ではそのスタイルに傾向の違いがみられる。農耕の民が大地から足を離さずに静かに動く水平的な踊り方をする(能や日本舞踊の摺り足などその典型)ことが多いのに比べ、狩猟採集民では大地から跳びあがる垂直的な動きが多い。生業のスタイルとしてはもちろん狩猟採集の方が古いのであって、政治・宗教権力や経済システムの発生も農耕が行なわれて からの話である。おおざっぱに言って、農耕の開始とともに社会システムの高度化がはじまり、それと同時に原初的な踊りも徐々に変貌し様式化していったのではないだろうか。だとすると、日本列島でも数千年前の縄文時代までは原初の踊りの営みが日常的に行なわれていたのかもしれない。縄文遺跡からは、有孔鍔付土器という、太鼓とも思しき土器が見つかっている。

今後、ヒトはますます「踊ること」に目覚めていくのだろうか。理屈ではなく、そういう身体的な次元から世の中が変わっていったらすばらしいと思う。

 

文字を持たないヒトはいても踊りと音楽を持たない民族はない、というのはなるほど興味深い。
共同体において、踊りの持つ意味は極めて大きいに違いないが、どのようにして生まれたのか?
>森林を出て直立歩行を始めアフリカの大地を踏みしめたヒトの祖先がその生の喜びを身体全体で表した時、そこに踊りが生まれたのではなかったか< というのは本当だろうか。

 
以下、るいネット【原始人類集団のリーダーは、精霊信仰⇒祭祀を司る女であった】より

まず、この原始人類の生存状況に同化してみよう。
足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った。そして、人類は1~2万年前まで、まともに地上を歩くことが出来ず洞窟に隠れ棲むしかない様な、凄まじい外圧に晒されていた。
洞窟の中で餓えに苛まれなが暮らしている。つまり、大半の時間を洞窟の中で過ごしていたわけで、原始人類はその間、何をしていたのか?
まず考えられることは、エネルギー源としての充足の追求であり、それによって人類は充足機能を発達させてきた。カタワのサルである人類は地上で適応するために直立歩行の訓練を始め、それが踊りとなり、この右・左と足を踏み鳴らす踊り=祭りが日々の充足源(活力源)となった。
この踊り=祭りの中でトランス状態に入り、そこで観た幻覚の極致が精霊である。人類が万物の背後に見たこの精霊こそ、人類最初の観念であり、人類固有の観念機能の原点である。

 

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2016年02月18日

人類はコトバの獲得と文化の形成によって自然から離れてしまった

前回記事:シャーマニズムは、ヒトと自然界とのつながりを保ちつづけるための深層の絆

シャーマニズムは、万物に精霊(スピリット)が宿るとするアニミズムの世界観を前提にしている。
シャーマニズム(とアニミズム)は、実はヒトにとってとても普遍的で深遠な精神文化なのだということがわかってきている。
狩猟採集社会では誰もが精霊の世界にアクセスでき、とくに秀でたものが共同体の仲間の為に働くシャーマンとなっていた。
直立するサルであるヒトは、「言葉」と「文化」を持ったために自分たちを特別視するようになった。
ヒトは知恵を働かせ両手を使うことで人工的環境をつくり生きることができるから、自然界に背を向けることができてしまう。
しかし、どこまで行ってもヒトは自然に養われているわけで、自然からの乖離が行き過ぎると自らの首を締めることになる。
シャーマニズムは、そんなヒトと自然界とのつながりを保ちつづけるための、深層の絆なのではないだろうか。

 

かつて、太古の人類はだれもが精霊の世界にアクセスできていた、、
どのようにして精霊の世界にアクセスできるようになったのだろうか、、
だれもが、、、と考えると、やはり集団の営みである「祭り」や「踊り」の充足体験から獲得したのだろうか

 

「まつり」と変性意識

「まつり」は本来、目に見えない神や精霊の世界とつながる場だ。
たとえば盆踊りだって、元々は故郷に還ってきた死者の霊を慰めるためのものだし。

以前、バリ島の小さな村の祭りを見たことがある。寺院の境内に大勢の男達が上半身裸で座り、ガムランの演奏に合わせて仮面劇や剣の舞が演じられる。その後、演奏が最高潮に達し、ある瞬間に同時に何人もの男たちが白目を剥いて立ち上がり、剣を胸に当てて暴れ始めたのだ。彼らは明らかにトランス(変性意識)状態に入っていて、周囲の者がそれを取り囲み、懸命に押さえつけにかかる。決められた儀式や舞を奉納する日本の「祭り」とは違い、目に見えない世界がすぐそこにあり、祭りの場ではそこにアクセスできる、そんな異様な「本気」の空気を感じて鳥肌が立った。バリ島に生まれ育ちバリ・ヒンドゥーを信仰する人たちにとって、神や精霊はとてもリアルな存在なのだろう。

変性意識というのは通常とは違う意識状態全般のこと。
酒に酔ったり、寝て夢を見たり、薬物で酩酊したりするのも変性意識状態であり、さまざまな 種類がある。
ヒトという動物には、変性意識状態になる能力が備わっているのだ。

バリはヒンドゥー教だが、多くの呪術師が活躍するシャーマニズム世界でもある。
ヒトは太古からシャーマニズムの文化を発達させ、変性意識状態になることで目に見えない精霊(スピリット)の世界とのつきあいを保ってきた。シャーマニズ ムは世界中にみられるが、シャーマンと呼ばれる人たちは規則的な音や幻覚性植物の力などによってある種の変性意識状態(シャーマン的意識状態とも呼ばれる)に入り、自然界の精霊や祖先の霊などと交流する。それは、現実世界の自我がいったん死に、向こう側の世界を旅して、またこちらに戻ってくる、「死と再生」のプロセスでもある。海の底にダイビングして龍宮城をめぐり、再び水面に戻ってくるように。

僕らはふだん、「世界はこれこれこういうものだ」と無意識のうちに身につけてしまった枠組みで世界を認識している。コトバによる世界の意味化、分節化といってもいい。コトバのレベルだけでなく、我々の脳の構造という枠組みもある。 そうした秩序化・構造化によって我々は自分と世界を区別し、日々の行動もそれによって可能になっているわけだが、それは同時に我々の認識の可能性をあらかじめ狭めてしまっている「くびき」でもある。太鼓の音やドラッグなどで変性意識に入ることによってその枠組みが 一時的に外れると、日常の世界の思考や行動をまるで違う視点から眺めることができたりする。

誰もが太鼓の音を聴いたりして変性意識状態に入って「世界を止める」べきだとは思わない。それはたとえば、誰もが飛行機で海外旅行に行かなくてもいいというのと同じことだ。でも、旅をすると現実の見方が変わったりする。そうすることの価値に対する認識が広まり、そこから汲みだされたシャーマニズム的・アニミズム的世界観がヒトという動物にとって本来的で自然なものだということを、多くの人が感覚的なレヴェルで思い出してくれればいいな、とは思う。そうすることで僕らヒトは、再び新たな形で自然との関係を取り結べるかもしれない。

変性意識は、コトバの獲得と文化の形成によって自然から離れてしまったヒトが、自然とのつながりを失わずにいるためのチャンネルだった。しかし、どうしてそういう形でしか自然とつながれなくなってしまったのだろうか。もしかしたら、言語をもたない動物達の意識状態は、かえってヒトのシャーマンたちの変性意識状態に近いものがあるのかもしれない。(変性意識は非言語的 なイメージの世界でもある。)つまりシャーマンたちは変性意識に入ることで本来の動物としての意識状態に「戻る」のかもしれないのだ。

 

サルと人類の決定的な違いは、人類は観念機能、コトバを獲得したことだ。
観念の進化によって、外部世界の適応の幅が拡がり、人類は進化してきた、はず。
ところが、コトバを獲得したがために、自然と会話できなくなり、精霊世界にアクセスできなくなったとしたら、
それは、本来不要な観念ばかりを身に付けてきた、ということなのだろう。古代宗教しかり、近代観念しかり、、、
とすれば、必要なことは、不要な観念は捨て去り、観念以前の本能、共認機能でもって感じ、考えることなのだろう。

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2016年02月18日

現生人類とネアンデルタール人は交わっていた

従来の学説では、現生人類とネアンデルタール人の遺伝子差異は他の動物種ならば当然別種と認定されるレベルであり、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは混血できなかったとする考え方が有力であった。
旧人類は競争に負け、新参のホモ・サピエンスに取って代わられた。ホモ・サピエンスがアフリカから世界各地に広がる際、出会った旧人類をことごとく全滅させた可能性も指摘されていた。ところが、現在、この定説は大きく書き換えられつつあるらしい。
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『NAVERまとめ』「現生人類とネアンデルタール人は交わっていた!? 揺らぐ定説」

ネアンデルタール人と、現生人類“ホモ・サピエンス”は当たり前のように交配していたかもしれない…そんな驚くべき事実が、最近の遺伝子レベルの研究から徐々に明らかになってきています。
ネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)解析で、なんと現生人類(ホモ・サピエンス)とネアンデルタール人が一部の遺伝子を共有していることが分かりました。

ネアンデルタール人のゲノムが解読された2010年に、あらゆる地域の染色体6万個とネアンデルタール人のハプロタイプを比較したところ、サハラ以南アフリカの地域以外の世界中の人々の遺伝子にネアンデルタール人のDNA配列が存在することが分かった。
アフリカ人を除く全ての現生人類は、ネアンデルタール人の遺伝子を平均で2%持っていた。

ネアンデルタール人との間に何が起こっていたか

約3万年前までネアンデルタール人とホモサピエンスが異なる種として共存していた事が分かっています。
つまり約47万年もの長い間ネアンデルタール人とホモサピエンスが別個の種とし独立して存在していたことに、なります。
数万年前に、私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人が出会った時に、何が起きたのか。石器の技術が伝わるといった文化的交流はあったらしい。おそらく物々交換も行われていた。もちろん、争うこともあっただろう。
実は、両者が争ったことを示す明確な証拠は今のところない。希望的観測かも知れないが、両者の関係は、おおむね良好なものだったのではないだろうか。

ネアンデルタール人との交雑

骨や遺物からだけでは、交雑が起こったかと言う問いに決して答える事は出来ない。ネアンデルタール人の骨からDNAを取り出してその配列を解読するしかこの問いには答えられない。この問題にチャレンジしたのが現在ライプチッヒのマックスプランク人類進化研究所のスバンテ・ペーボさんのグループだ。
彼はまったく新しい方法を使って、これまでまったくわからなかったネアンデルタール人の行動を明らかにした。それは、私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール人の性交渉である。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、セックスをしていたのだ。
今回の研究結果の一番の驚きは、ヨーロッパだけでなく、大陸全域の現生人類が、つまりフランスから中国、日本、パプアニューギニアまで、同じ割合でネアンデルタール人の遺伝子を秘めていることだ。結果的にこれは中近東でネアンデルタール人と現生人類が初めて出会い、そこから種として広まっていった、という仮説を裏付ける。
詳しく見ていくと、非アフリカ系現代人でも、ヨーロッパ人よりも東アジア人の方が、平均的にはわずかながらネアンデルタール人由来のDNAを多く有していることが明らかになってきました。

ネアンデルタール人は想像以上に魅力的だった?

ネアンデルタール人。現生人類よりも原始的で知能が低く言葉もなく、大柄で筋肉質で猿人類のような顔だと推測されたい放題だが、積極的に火を使い、石器や壁画なども見つかっている事から、「当時のホモ・サピエンスとさほど変わらなかったのでは?」という声も多数ある。
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の体格は、ほぼ同じである。ネアンデルタール人のほうがガッシリしている分、体重はありそうだが、交配ができないほどの違いではない。

遠目には現生人類とあまり変わらない外見をしていたと考えられている。また、思春期に達して第二次性徴が現われるまではネアンデルタール人としての特徴はそれほど発現せず、特に女性の場合には(ネアンデルタール人類に限らず、現生人類を含む全ての進化段階で)形質の特殊化が弱いと考えると、我々現生人類はネアンデルタール人から見て幼児的・女性的に見えたかもしれないとも指摘されている。
遺伝子混合が何世代にもわたると、個体数が圧倒的に少ないネアンデルタール人のゲノムはしだいに減り、現生人類の中に吸収されていった。

混血が人類を強く進化させてきたらしい

ホモ・サピエンスとの混血があった旧人類はネアンデルタール人だけではなかった。近年発見されたデニソワ人(シベリアの洞窟で見つかった4万年ほど前の謎めいた指の骨から回収されたDNAによって特定された人類集団)も、私たちの先祖との間に混血があった。

英科学誌ネイチャーに掲載された研究論文によると、これまで知られているものの中で最古となる30万年以上前の旧人類のDNAの解析で見慣れないDNAが発見された。これは、氷河期の欧州では人類の間で、従来考えられていた以上に広範に異種交配が行われていたことをうかがわせるという。

チベット人は最近発見された「デニソワ人」の遺伝子を受け継いでいるので「高地適応」できるようになりました。また、メラネシア系の人たちはかなりの量、デニソワ人由来のDNAを受け継いでいるそうです。
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だとすると、現生人類(ホモ・サピエンス)/新人(クロマニヨン人)/旧人(ネアンデルタール人)/原人といった区分全体が妥当なのか?その見直しが迫られる問題ではないか。
そのためにも、そもそも、現生人類(ホモ・サピエンス)/新人(クロマニヨン人)/旧人(ネアンデルタール人)/原人という区分の遺伝子学的根拠は何なのか?それを明らかにする必要があるだろう。

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2016年02月04日

シャーマニズムは、ヒトと自然界とのつながりを保ちつづけるための深層の絆

以前の記事で、シャーマンの性別分布を調べた内容がありました。
リンク【女主導の原理と現代への適用】番外編 シャーマンの性別分布

>傾向① 「北方系は、男性シャーマン」?!
気候条件が厳しく外圧が高い地域は、男性の持つ闘争能力への期待が大きいということでしょうか。
>傾向② 「スンダランド系は、女性シャーマン」?!
自然からの恵みが比較的豊かなこれらの国々では、女性の持つ同化能力への期待が大きいということでしょうか。
>傾向③ 「民族移動の起点に、男性シャーマン女性シャーマンが混在」?!
地域的にそもそも混在していたのか、民族が入り乱れるうちに混生するようになったのか、、、

あらためて調べていたら興味深い記事がありました。
リンク 自然とつながる手段としてのシャーマニズム

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シャーマニズムは、新石器時代から現代にいたるまで、おもに狩猟採集社会で受け継がれてきた精神文化だ。
シャーマンとよばれる人が病人を癒すなどの目的で変性意識状態(トランス)に入り、さまざまなスピリット(精霊)と交流する。
万物に精霊(スピリット)が宿るとするアニミズムの世界観を前提にしている。

シャーマニズムというとすぐに「神がかり」的なキワモノというイメージを持つかもしれない。
しかしシャーマニズム(とアニミズム)は実はヒトにとってとても普遍的で深遠な精神文化なのだということがわかってきている。

子供のころ、誰でも動物と語り合ったり、空の雲の形や夜の闇に何かを感じたりしていたはず。
それがシャーマニズム/アニミズム的な感覚である。そうした感性はヒトに元々備わっているはずだし、すぐれた芸術家や詩人は(たとえば宮沢賢治のように)「見えない世界」を感じ取れるシャーマン的資質を持っていたのだ。ただ、近代はそうした感覚を抑圧してきた。

シャーマニズムには「脱魂型」と「憑依型」の2タイプがある。
おもに狩猟採集生活をする(つまり自然のサイクルの中で生きる)世界中の先住民の間に広くみられるのが脱魂型で、シャーマンの魂が身体を抜け出て、天上界や地下世界などを旅し、祖霊や自然界の精霊と出会ってメッセージを受け取るというもので、シャーマンの多くが男性である。これは、農耕文明やそれを基盤にした西欧近代がこの数千年間で世界を覆いつくすまでの長期間にわたって、ヒトの社会を支える基本的な文化様態だったとかんがえられている。

いっぽう「憑依」型は、「狐憑き」や「神がかり」「チャネリング」のように、向こうからやってくる霊がシャーマンに乗り移るもので、農耕社会に多くみられ、女性シャーマンが多い。農耕が行われて社会が階層化するにつれ、社会の精神的支柱であった脱魂型シャーマンが憑依型に変わり周縁的存在になっていったと考えられる。日本では青森のイタコや沖縄のユタがそうだ。

もともとの狩猟採集社会ではだれもが精霊の世界にアクセスでき、そのうちでとくに秀でたものが共同体の仲間のために働くシャーマンとなっていたのが、社会が階層化・複雑化するにつれ、その役割を祭司や聖職者や天皇が代表し独占するようになり、シャーマニズムは抑圧された。すべての宗教の根源にはシャーマニズムがあって、シャーマニズムが制度化・システム化することによって宗教が発生したといえる。そして、悩みごとなどの相談を受ける憑依型シャーマンが陰の存在として細々と残るようになったわけだ。

直立するサルであるヒトは、「言葉」と「文化」を持ったために自分たちを特別視するようになった。
言葉と文化によってヒトは自然から独立した自分たちだけの快適な生活環境をつくることができ、その分だけ自然界の一員であることを忘れてゆく。 野生動物は、いつも餌を探し敵の気配を感受しなければならないから、深いレベルで自然の生き物たちの世界とつながっている必要がある。でもヒトは知恵を働かせ両手を使うことで人工的環境をつくり、そこに生きることができるから、自然界に背を向けることができてしまう。だからヒトの魂は、他の動物と違って自然界から離れてしまいがちなのだ。

しかし、どこまで行ってもヒトは自然に養われているわけで、自然からの乖離が行き過ぎると自らの首を締めることになる(現代の僕らがまさにそうだ)。シャーマニズムは、そんなヒトと自然界とのつながりを保ちつづけるための、深層の絆なのではないだろうか。現生人類は何万年もの間、自然からの疎外を埋め合わせるべく、自分たちが自然界の一員であることを想起し実感する文化装置~シャーマニズム~を編み出し継承してきたのだろう。

近年、アメリカなど先進国では先住民の精神世界に共感する人が増え、自然とのつながりや心身の癒しを求めて、ネオシャーマニズムとよばれるシャーマニズム復興の動きも盛んになっている。レイヴカルチャーのある部分はあきらかにシャーマニズム的性格を持っているし、近年の「スピリチュアル」やニューエイジのブームも、シャーマ ニズムへの潜在的関心の表れともいえるだろう。

われわれは、失われた深層の絆をとりもどせるのだろうか。
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たしかに人類の出発点は、万物に魂を感じ、徹底的に同化することで精霊観念を獲得したところから始まる。
そして西洋文明は、そんな自然界を人間は支配、征服できるという前提のうえに成り立っている。
疑問としては、
宗教の根源にはシャーマニズムがあって、シャーマニズムが制度化・システム化することによって宗教が発生したとはどういうことだろうか。西洋の、男性による脱魂型シャーマニズムと、宗教の根源~宗教の発生とはつながっているのだろうか、つながっているとすればどのような関係なのだろうか。

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2016年01月26日

恋愛を脱し、「連帯結婚」を模索する若者たち

若者の恋愛観が激変している。

’90年代以降、「バブル崩壊と長引く不況」、「恋愛リスクの露呈とリスク回避」、「超情報化社会と行き過ぎたコミュニティ志向」、「男女平等社会と男女不平等恋愛」、その結果、

・「若者にとって、恋愛がとても『面倒』な時代になった」 (谷本奈穂・関西大学教授)
・「現20代にとって、恋愛は精神的に『思い』もの」 (高坂康雅・和光大学准教授)
・「現実主義者となった若者から見て、恋愛は『コスパ』に合わない」 (山田昌弘・中央大学教授)

昭和の「恋愛結婚」は、相手を見つけるのも、生活を始めて子作りするのも、別れるのも、すべて「本人の自由」だとする部分にメリットがあった。でも裏を返せば、自由の根底には「自己責任」が横たわる。

表面上は「誰と結婚してもいい」「いつ分かれてもいいんだよ」と言いながら、現実にはここ数年、生活保護や就学援助を縮小する自治体が相次ぐ一方で、不妊治療費の助成やシングルマザーへの支援など、「不妊」「離婚」へのバックアップはなかなか進まない。多少の婚活支援はしても、その後の生活は完全に「あなた任せ」、だから若者は「失敗したくない」と、恋愛や結婚に身構える。

また、これだけ結婚しない「おひとりさま」が増え、3組に1組が離婚する時代なのに、いまだに政府が税制等の標準モデルとするのは、夫婦に子ども2人の4人家族。2030年、日本の総人口の約半数(47%)は「おひとりさま」になる、との試算もある(野村総合研究所)。いったいいつまで、こんな時代遅れの制度を続けるのか。

いまの若者は、この国に期待していない。「日本はどうせ、こんなもの」と諦めている。ていのいい自己責任論を振りかざし、何もしてくれない大人にうんざりし、「せめてリスクだけは減らそう」と、恋愛にまで背を向け始めた。

一方で、そん彼らがまだ期待感を持っているのが、同棲や結婚だ。恋愛スルーの若者でも、9割は「いずれは結婚したい」と望んでいる。不安な時代だからこそ、誰かと連帯する経済的・心理的メリットを痛感しているから。

【結婚の利点についての意識調査】(社会保障・人口問題研究所「第14回出生動向基本調査」より)

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ならば、大人たちも「恋愛結婚が当たり前」ではなく、彼らが望む「連帯結婚」の在り方を具体的に支援すべきだ。
とはいえ、「21世紀型の結婚モデルは、○○です」と、親や大人がすべてお膳立てするのはおかしい。行き過ぎた先導は、若者に不信感を抱かせ、自立を妨げるだけ。大丈夫、いまの若者は我々が思うよりずっと賢い。潜在能力も多分にある。強引に既成概念を押し付けなければ、自分の力で、あらたな男女関係や結婚の姿を見出してくれるはずだ。
【参考】牛窪恵・著『恋愛しない若者たち』

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2016年01月14日

10/14実現塾「サル・人類史年表4」~共認充足を命綱にして生き延びたカタワのサル=人類

引き続き、10/14実現塾「サル・人類史年表」の議事録要約版を投稿します。
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大型化・凶暴化した制覇種が類人猿だが、同類闘争圧力が衰弱した特殊環境に棲息するチンパンジーの亜種ボノボでは、凶暴性は影を潜め、性充足(共認充足)によって統合されている。では、人類はどうであったのか?

人類の起源説の一つに、アフリカ東部の草原説がある。アフリカ東部の大地溝帯両側の山脈が隆起して大西洋からの湿った風を遮った結果、乾燥によって森林が減退し草原化した。類人猿は大地を歩かざるを得なくなって直立二足歩行を身に付け、完全に空いた手は道具を扱うようになったから脳が発達して現在の人類が誕生したという説である。この説はあたかも真実であるかのように流布されてきたが、近年、全くの嘘であったことが明らかになり、提唱者(イブ・コパン)自身が撤回宣言を出している。

大地溝帯が本格的に隆起したのは400万年前で、500万年前に人類が登場した、その後の話である。しかも、それによってアフリカ東部はそれほど乾燥化したわけでもなく、森林は十分あったとのこと。そして決定打は、アフリカ西部のチャドから二足歩行する上に600-700万年前のトューマイ猿人の化石が発見されたこと。このトューマイ猿人が棲息していた環境は「魚やワニの化石」が残っている事からして、湿潤な環境だったと考えられる。「直立二足歩行する人類の発祥、有名な仮説が崩れていた」

人類は足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサルである。樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、人類は想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。そこで、本能上の武器を失った人類は、残された共認機能を唯一の武器として、自然圧力・外敵圧力に対応し、そうすることによって、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させた。
『実現論前史』「人類:極限時代の観念機能」

学者は先の草原直立説だけでなく、洞窟内からマンモスの骨が出土することを以て原始人類がマンモス狩りをしていただとか嘘を並べ立てているが、彼らは原始人類が置かれた極限状況を全く理解していない。草原になったからと云って、樹上という楽園を捨て、好き好んで危険な草原に出てゆくはずがない。森林の移動に合わせて移動すれば終いである。このように、草原化したから二足歩行になったという学者の論理は全く整合していない。
人類が地上に棲むようになったのは、突然変異によって樹上機能を失ったからだと考えるしかない。樹上機能を失った人類は、キツネなどの小動物にも負ける弱い存在なのであって、マンモスのような大型動物を狩れるはずがない。もし、それだけの力があれば、他の動物も棲まない劣悪な環境である洞窟に500万年間も隠れ棲むはずがないだろう。洞窟から動物の骨が出土するのは、他の動物が喰い残した動物の死骸の骨を拾い集めて、脳髄や骨髄を主食として啜っていたからに他ならない。

では、人類はどのようにして圧倒的な極限状況を突破しようとしたのか?

本能上の武器を失った人類は、残された共認機能を唯一の武器として、自然圧力・外敵圧力に対応し、そうすることによって、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させた。 もちろん、共認機能の発達によってすぐさま、他の動物と互角に闘えるようになったわけではない。が、絶望的な状況下に置かれたカタワのサル=人類が、その極限時代500万年間を生き延びることが出来たのは、強力な親和共認充足を形成し得たからであり、もしそれがなければ、人類は生きる希望を失って早々に絶滅していたであろう。
その充足源(活力源)の中心が性であり、とりわけ人類の雌は性充足機能を著しく進化させている。もう一つ、日々の充足源となったのが踊り(祭り)である。その副産物として、左右交互に足を踏み鳴らす踊りが歩行訓練にもなり、結果として直立歩行できるようになったのである。そして、直立によって両手が自由に使えることになった人類は、石器をはじめとして様々な道具類を作り出し、生存様式を進化させていったのである。

このように、共認充足を命綱として極限状況を生き延びてきた人類は、類人猿由来の凶暴性を封鎖したと考えられる。加えて、極限状況ゆえに人類は単独集団として生存しており、人類史500万年のうち499万年は同類闘争を行っていない。つまり、DNAに刻印された凶暴性を発現する契機はなかった。

もちろん、共認充足機能を強化しただけでは、外敵動物と互角には闘えない。実際、つい1.5万年前までは人類は洞窟に隠れ棲んでいた。
では、原始人類はどのようにして、極限的な生存圧力に適応していったのか?

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2016年01月07日

10/14実現塾「サル・人類史年表3」~大型化・凶暴化して制覇種となった類人猿

引き続き、10/14実現塾「サル・人類史年表」の議事録要約版を投稿します。
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原猿と真猿の定義をまとめると、次のようになる。
拇指対向性と立体視機能を獲得したのが原猿である。この樹上機能によって繁殖した原猿たちが同類同士で縄張り闘争を繰り広げる。本能にはない同類闘争の同類闘争の不全感を揚棄するために原猿たちは共認回路を形成した。この親和充足共認の機能によって原猿のオスたちは不全感を和らげたが、縄張りを確保することはできなかった。それに対して、縄張り確保という課題共認⇒評価共認⇒役割共認⇒規範共認というオス同士の闘争共認を形成したのが真猿である。

では、類人猿の定義は?何を以て類人猿と呼ぶのか?

学界ではテナガザルを類人猿としている。テナガザルがチンパンジーや人類の共通祖先であることがその根拠であるが、その行動様式や共認内容が、それまでのサルと変わりがなければ、テナガザルを類人猿に含めることに意味がない。
テナガザルは、細い枝にぶら下がって移動するために小型化、軽量化した種である。それに対して、チンパンジーやゴリラたち類人猿は大型化の道を選んだ種である。
真猿たちが、現在見られる様な比較的安定した棲み分け分布を示す様になる前は、新たに登場した真猿他種との間で、激しい種間闘争が繰り拡げられた。チンパンジーやゴリラやオランウータンは種間闘争に対応して大型化し、夫々の棲息域で勝ち抜いて他種を圧倒した制覇種である。実際、彼らは制覇種だけあって、かなり凶暴である。
つまり、木の枝の先の果実を採るために小型化するよりも、真猿他種を蹴散らして縄張りを拡大する方が手っ取り早い。そのために大型化・凶暴化路線を選んで制覇種に進化した真猿を類人猿と定義することができる。

では、類人猿のDNAを受け継ぐ人類は、その凶暴性から脱却できたのか?or脱却できるのか?

この問題を追求する上で、注目すべきは、チンパンジーとDNAがほとんど同じボノボである(むしろチンパンジーより人類に近いとされている)。
「チンパンジーよりもヒトに近いボノボ」
DNA上はチンパンジーと変わりがないにもかかわらず、ボノボの行動様式はチンパンジーとは正反対で、凶暴さは影を潜め、性によって集団を統合していると云っても過言ではない。「性の問題を力で解決するチンパンジーと、力に関わる問題をセックスで解決するボノボ」と対比される所以である。

ボノボもチンパンジーから枝分かれした種であって、元々は大型化・凶暴化によって種間闘争を勝ち抜いた真猿であった。
ところが、その後、ボノボは大河に挟まれた特殊閉鎖地域に隔離されて生息することになる。この閉鎖された地域では同類闘争圧力(とりわけ種間闘争圧力)が衰弱し、かつ食糧が豊かで餓えの圧力が低下した。その結果、ボノボにとっては、同類闘争よりも共認充足を高めることが第一義となっている。その中心は性(雌雄の解脱共認)である。充足の中心を成すのが性であり、ボノボは年中、おしゃべりと同じ感覚でセックスを楽しむ。雌雄間の性交だけではなく、おとなの雄同士や雌同士、おとなと子ども、子ども同士など幅広い組み合わせで、キス、オーラルゼックス、性器の愛撫、二頭の雄がペニスをぶつけ合うペニスフェンシング、雄が雄の上に乗るマウンティング、発情期の雌同士が性器をこすり付けあうホカホカなどの行動が観察されている。こうした行動は通常オーガズムには至らず、コミュニケーションが主眼のようで、敵意がないことを伝える、興奮を静める、挨拶する、緊張を和らげる、絆を深める食べ物を分けてもらう、仲直りをするといった目的で行うこともあれば、単に快感を求めて行う場合や、こどもの遊びが性交の練習になっている場合もある。
稀に同類闘争の緊張が高まっても、敵とメスが性交して、同類闘争を解消してしまう。

このボノボの事例は、DNA上は大型化・凶暴化の道を歩んだ類人猿であっても、その後の外圧状況によっては凶暴性が薄れ、共認充足(性充足)によって集団を統合することも可能であることを示している。
では、人類はどうであったのか?(次稿)

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