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2016年07月01日

超宇宙エネルギーの時代が到来

前回記事(リンク)では、
【目に見える、祈り、感謝、言葉の力】として、言葉の持つ力、波動エネルギーの不思議について書きました。

「感謝の波動」などで検索してみると、かなりたくさんの記事があることに驚きます。
みな一様に、感謝の言葉の力、心の在り様などが言われているため、なにやら怪しさも感じてしまいますが、
未知の領域だけに、どこまで追求がされているのか、興味津々の内容ですので、引き続き紹介していきます。

今回、紹介するのはコチラ「捕らえる!! これが超宇宙エネルギー
◆驚くべき「プライムエネルギー」
これまで人類が頼ってきたエネルギーは、基本的には、何かの物質を消減させて得られるエネルギーでした。しかし、そのままでは自然破壊が進む一方ですし、人口が増え続げる人類のエネルギーの消耗に対応し続けることも不可能です。
これに対して、空問に無限に存在すると思われる未知の宇宙エネルギーを自由に取り出せれば、先の間題は解決されてしまいます。
ただし、ここで問題なのは、物質的な側面から理解されている未知のエネルギーと、気のエネルギーなどのような精神的な側面から理解されている未知のエネルギーが、いったいどんな関係にあるのかがはっきりしないのです。

人間がもつエネルギーには、筋力など肉体的なレベルのエネルギーから精神的なレベルのエネルギーまで幅広く存在し、しかも、それらは、次元の差を越えて相互に交流しています。同じように、この宇宙にも、物質的なレベルのエネルギーから精神的なレベルのエネルギーまで各種のエネルギーが存在し、しかも、それらは次元の差を越えて相互に密接に交流しているのです。
このような姿で人間や宇宙にエネルギーが存在するようになった原因は、その発生の根源となった完全なる真空場(完全調和を保っている真空場で、重力場とかスカラー場と呼ばれる)のなかにあります。
今までの科学は、この真空場を物質的な側面からだけ理解しようとしてきましたが、精神的な側面からも理解しないと、そこから発生したエネルギーの本当の姿は見えてきません。

以上のようなまったく新しい視点に立って研究した結果、はっきりとその姿が見えてきたのがこれから紹介する「プライムエネルギー」なのです。このエネルギーは、この宇宙に現れたあらゆる種類のエネルギーの根源となるもので、これを利用することに成功すれぼ、実に驚くべき大変革を人類は成し遂げることができるのです。
ここではざっと次のようなプライムエネルギーの特性を見て下さい。

①精神的エネルギー、物質的エネルギーの根源となるエネルギー、
②プラスもマイナスも含む「中性」「中和」「調和」のエネルギー。
③全ての元素や分子構造に影響を与え、生命体に対しては、自然治癒力として作用。
④人間の意識ともっとも共鳴しやすく、意識がエネルギー場に作用すると、意識のレベルに応じて意識が増幅されます(これが大きな特長)。
⑤とくに肯定的で前向きな意識に強く共鳴して、自己啓発を促し、隠された人間本来の潜在能力の開発を助けてくれます。

◆最大の特長は意識と強く共鳴すること
以上の説明からもすでにお分かりのように、このプライムエネルギーの最大の共鳴体は、人間そのものなのです。
したがって、もし、このエネルギーを正しく理解し意識のレベルを高めて、このエネルギーとの回路を開くことができれば、人間の中に眠っているまったく新しい様々な可能性が開かれてくるのです。
そして、何より驚くべきことは、このエネルギーの研究によって、こうした回路を開く方法が明らかになっていることです。
実際に、このエネルギーと回路を開き、共鳴することによってすばらしい結果が得られています。ここでその一部を紹介しましょう。

たとえぱ、細胞が活性化されて驚くほど筋力がアツプしたり、体のかたさが消える、神経系のバランスがよくなる、内臓の働きが活性化するなど、肉体面にも驚くような変化が現れます。
また、防腐効果、食品の長期保存など、様々な分野においても、その効果が確認されています。
しかし、何よりも注目すべき点は、人間の意識にきわめて敏感に反応しやすく、前向きで肯定的な意識とはとくに強力に共鳴して、様々な現象を起こすことです。
実際に、このエネルギーとの共鳴体験によって、まったく新しい自己を発見し、潜在能力に目覚めたという体験談が、続々とプライムエネルギー研究会に寄せられています。

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◆プライムエネルギーは自然治癒力や自然回復力を増幅させる
このプライムエネルギーが発生する根源的な場は、完全調和が保たれた完全なる真空場であると考えられます。そこは、陽と陰のバラソスがとれた完全な中和状態にあり、見かけは質と量がともにOで何も無い状態にあります。
つまり、無(O)と有(∞)が共存しているようなエネルギー場なのです。これを哲学的に表現すれぼ、空や無、太極そのものと見ることができます。このような完全調和が保たれた完全なる真空場(重力場とかスカラー場とも言う)にゆらぎが生じると、そこからエネルギーが生まれてきます。このとき、真空場にゆらぎを生じさせた原因的エネルギーは、人間という高度な生命体をも生み出した根源ですので、人問以上にレベルの高い生命体から発生したエネルギーと考えることができます。

このように、完全調和が保たれている真空場から生まれてくるプライムエネルギーは、強い中和性をもっており、乱れた波動をバラソスのよい状態に整形する作用があります。したがって、人問に対しては乱れた生命力の波動を整えて、自然治癒力や自然回復力として作用するのです。事実、プライムエネルギーに共鳴することによつて、人問の肉体が本来持つている生命維持能力が呼び覚まされ、それによって体の障害を克服できたという体験談も前述したように数多く報告されています。また、不安定だった精神状態がとても安定し、さらには新たな潜在意識に目覚めて、自分の可能性に自身がもてるようになったという意識レベルでの体験談も多く報告されています。

◆プライムエネルギーの5大特性
①全てのエネルギーの基になる根限的なエネルギーであり、量やベクトルや周波数などにおいては、「ゼロ」から「無限」までを包合し、また、「中性」で「中和」の条件を満たしています。
②このエネルギーを生み出す場は重力場とかスカラー場といわれ宗教的には「空」、「無」、「太極」を意味し、物理的には「完全な真空」を意味します。
③全ての元素や分子構造などに影響を与え、その特性を変えることができ、また、生命体に対しては、自然回復カや治癒力として作用します。
④あらゆるかたちのエネルギーのなかでも、人間の意識ともっとも共鳴しやすく、意識がエネルギー場に作用すると、意識のレベルに応じてプライムエネルギーが変化し、増幅されます。
⑤特に、肯定的で前向きな意識に強く共鳴して、自已啓発を促し、隠された人間本来の潜在能力の開発を助けてくれます。

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2016年06月23日

目に見える、祈り、感謝、言葉の力

人類と、その他生物の違いはといえば、決定的なのは人類のみが(言葉や文字の)観念回路を身につけたこと。
猿と同じく、本能と共認回路しか持たない状況から、どのように観念回路を獲得したのでしょうか?
それも、人類が誕生して、数百万年もの時間をかけて、、

洞窟の中で隠れて暮らすしかなかった人類にとって、唯一の頼みの綱であった共認回路を踊りや性の充足感でさらに太くし、未知の対象であった自然界に対しひたすら祈りを捧げ、感謝のエネルギーを送り続けるることで、自然界~宇宙のエネルギー、波動の存在を掴んだのではないか、、そうして観念原回路は祈り~感謝の心を下敷きに形成された。

人類は最先端の観念機能を獲得したものの、その観念内容は進化することなく、むしろ本能、共認機能に蓋をしている状態。
現代人には波動や宇宙エネルギーらしきものを感じることは出来ても観念的に理解することしか出来ないが、原始人は数百万年もの時のなかで自然を注視するなかで宇宙の波動やエネルギーまでをもつかんでしまったというのだから、相当に高度に本能、共認機能が研ぎ澄まされていたに違いない。
原始人が掴んだ世界がどのようなものだったのか、未知の世界を少しでも見ていきたい。

以前に、水やご飯に「ありがとう」と言葉をかけると美味しくなると聞いたことがありますが、感謝の言葉(波動)で水の結晶が変わると目に見えるカたちで紹介しているサイトがありました。リンク

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言葉や文字には、それぞれ固有のエネルギーが宿っています。
水に、よい言葉や文字を見せたり、音楽を聴かせると、「水の結晶」は美しく変化します。
★ 例えば、「愛や感謝」のような言葉は、美しい結晶を作り、逆に、暴力的な言葉は、水の結晶が壊れてしまうのである。水には見えない世界のエネルギーを映す性質があるようです。

これまで長年、「意識や言葉」にはエネルギーがある、と言われてきました。しかし、いくらそうは言っても、見えないものは、容易に信じることができません。また、それを目で見えるような形で示すものもありませんでした。 ここにきて、ようやく、それを証明するようなものが現れてきました。
これを事実として見せてくれたのが、「水の研究」で有名な、I.H.M.総合研究所の「江本勝 氏」 である。
目に見えぬ世界の一端を、「目で見える形で明らかにした」という点で、画期的な出来事である。

● 常識では考えられないことですが・・・
ガラス瓶に「水」を入れて、一方には、「ありがとう」と書いた紙を貼り、もう一方には、「ばかやろう」と書いた紙を貼り、水の結晶を写真に撮ると、大きな違いが出てくるのである。

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「ありがとう」の結晶  「ばかやろう」の結晶

ここで言えることは、私たちが何気なく使っている言葉が、いかに大事なのかを教えてくれます。「よい言葉」を口にすれば、回りによいエネルギーを与え、逆に「悪い言葉」を口にすれば、破壊のエネルギーとなってしまうのである。文字や言葉にも固有のエネルギーがあるのです。
古来より、日本では「言霊」(ことだま)という言葉があり、「言葉には霊が宿っている」と信じられ、言葉のもつ不思議な力に気づき、大切にしてきました。昔から「言葉を選びなさい」「言葉を大切にしなさい」などの教えがあるのはこのためです。

● 同じように、「・・・しようね」と書いた文字を貼った水は、
キレイな結晶を作りますが、「・・・しなさい」と書いた水は、結晶を作りません。

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「しなさい」の結晶      「しようね」の結晶

「・・・しようね」は、”ひまわりの花”のような美しい結晶です。キレイですね。
これに対して、「しなさい」は結晶を作りません。命令形は、心に伝わらないのです。
ちょっとした言葉でも、こんなに大きな違いがでてきます。意味深いですね。

● 最も美しい結晶をつくるのが「愛、感謝」という言葉であるという。
それは、最高の美、完璧な輝きの結晶である。やはり、この世の中で「愛と感謝」の気持ちに勝るものはない、ということでしょう。

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愛・感謝は黄金の輝き     「自己愛」の結晶

無条件の愛、博愛という言葉に代表されるように、愛は崇高なエネルギーです。
あらゆる宗教の根源もここにある。それは私たちへの「メッセージ」です。愛と感謝が最高のエネルギーならば、 今、私たちに最も必要とされるのは、「愛と感謝」になります。言葉で言うと 「ありがとう、愛してます!」。

● 若い人たちが言葉にする、「ムカツク、殺す」の結晶です。
醜くゆがみ、すさまじいほど破壊的なエネルギーである。

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「ムカツク、殺す」の結晶、恐ろしい姿です。
言われた人より、言った人が影響を受けることになります。

この結晶は、「アドルフ・ヒットラー」という文字の結晶とよく似ているそうです。テレビやゲームから流れてくる「残虐な言葉」や、破壊的なシーンは要注意です。子供にいかに影響を及ぼすかか想像できます。。

人が言葉を発すれば、それを最初に受け取るのは「自分自身」です。
良い言葉であれ、悪い言葉であれ、自分の発した言葉は、まずは耳に聞こえ、そして、「全身」に響き渡ります。人間の体の70パーセントは水です。言葉を発すれば、(水の結晶みたいに)、言葉のエネルギーが「体」に刻まれるかもしれない。

良い言葉であれ、悪い言葉であれ、すべては自分に返ってきます。他人には聞こえないような小声でも、自分の耳には確実に届きます。人の悪口、暴力的な言葉であれば、それも自分の体に刻まれることになる。自分で自分の体を傷つけていることになる。意味深です。

●祈り、意識の力! 思いのエネルギーは、”水を浄化”します。
「水への感謝・祈り」を行うと、結晶にも変化が現れ、荘厳な結晶を作ります。
(1999年7月25日、朝4時30分、350名の人が集まって琵琶湖に向かって祈りをささげたと言われる)

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①琵琶湖「祈りの前の結晶」   ②琵琶湖「祈りの後の結晶」    合掌したときにできた「祈りの水の結晶」

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群馬県の藤原ダムの水。寺の住職が祈祷した後にできた水の結晶です。それは完璧な結晶です。

このような水を飲んだら、心身ともに健康になるでしょう
どんなに汚れた水、水道水でも、人の思いや祈りに応えてくれるというのは、神さまからのプレゼントかもしれません。いま地球規模での環境汚染が進んでいますが、私たちの努力しだいで、よくなるということが分かってきました。思いやり、祈りが純粋であれば、水は美しい結晶に変化してくれるのです。感謝、ありがたいことです。

意識には、このような力がある。私たちが思い考えることが、それが形(現実)となって現れてくるのです。だからこそ、良いことを望むなら、自分の言葉に気をつけたり、やさしさ、思いやりなど相手の人を敬う気持ちが大切になります。

● 今、地球環境の危機が叫ばれ、私たちはその瀬戸際に立たされている。
異常気象とは、あえて言えば、私たちの破壊的な行動、否定的な思いが外側に投影されたものです。巨大な地震や台風、ハリケーンが猛烈な破壊をもたらして駆け抜けるとき、それは私たちが空間に放出したネガティブな思い、「怒り、憎しみ、うらみ、絶望」というエネルギーが荒れ狂っているのかもしれない。

あるいは、地球の深部にある「痛みの波動」、それは現在、”戦争や飢え”で苦しんでいる人々の想いかもしれない。人間の思考や感情には、創造の力がある。怒り・憎しみなどのネガティブな感情は、外へ出したからといって、それが空間に消え去るのではない。ネガティブなエネルギーは、その「発生源」に戻ることによってのみ表現される。それが荒れ狂う異常気象かもしれない。

人は絶望すると、免疫力が落ちて、病気になったりします。
水は言葉のエネルギーを映し出すので、「絶望」のという文字は、そのような結晶を作ると思われますが、実際には六角形になろうとする結晶を作るそうで す。どんな絶望にも、「希望」があるということなのでしょう。水の結晶は、私たちにそのことを教えて くれます。感激です!たとえどんなに辛くても、越えることができるのです。
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2016年05月12日

日本語の成り立ち~渡来人が縄文語を習得、稲作と共に伝播

先日の実現塾にて日本の歴史を学んだが、その中で日本の言語はどのように成立したのかという点は興味深かった。

渡来人の歴史を振り返ってみると、
・縄文時代
32000年前頃~:寒冷化に伴いバイカル湖の狩猟民がサハリン経由で日本に移住。旧石器時代の中心となる。
14000年前頃 :スンダランド水没~周辺地域へ南方モンゴロイドが拡散。日本にも漂流民がたどり着く?
4000年前頃  :長江大洪水で文明消滅。日本に江南人が流入(江南人渡来第一波)
2900年前頃  :佐賀の菜畑で日本最大級の水田遺跡
・弥生時代
2500年前頃  :呉越戦争で呉が敗北、呉人は朝鮮半島、九州に流れる(江南人渡来第二波)
2300年前頃  :越が楚に敗北、越人が朝鮮半島、日本海側に流れる(江南人渡来第三波)
2220年前頃  :徐福が老若男女3000人を率いて日本に亡命、古代豪族の基盤となる。

・弥生時代以降、渡来人は日本の地元民と混血融合し、勢力争いを続けていく。
縄文人×江南人⇒弥生人
縄文人×高句麗系⇒東の古墳人 ・・・・高句麗系=ツングース族
弥生人×百済系+伽耶系⇒西の古墳人

このように、渡来人と縄文人の融合により日本人が形成されたわけだが、言語はどのように形成されたのか。
実現塾においては、
日本語は文法がアルタイ語で、語彙がスンダランド系との類似点が多い。
当時の広東語も縄文語も「てにをは」の無い言語と考えられる。また、広東語には漢字があった。
渡来人が現地人に融合したこと、言語は母親がまず教えることから、基本は縄文語をベースに渡来人が縄文体質に合わせていき、縄文人の上位層から漢字を学び身に付けていったのではないか、との仮説が提起された。

今回、日本語の成り立ちについて調べてみたところ、
日本語はオーストロネシア語とツングース語の混合言語であり、3000年前のかなり早い時期には混合言語として完成していた。
弥生時代、水田稲作農耕技術をもたらした渡来人は、予想以上に高度な日本基語を習得し、北部九州方言「倭人語」をもって勢力を拡大し、西日本一帯に文化圏を確立、これにより倭人語は「日本祖語」といえる標準的存在となった、とする説がありました。
時期的にかなり早い気がしますが、北九州(倭国)発のクニの成立と、稲作の伝播と、日本語祖語の成立とは整合性がありそうです。
「日本人の源流を探して」 より紹介。

■■■旧石器時代、当時のホモサピエンスがどの程度文法的に完成された言語を使っていたのか、、、
既に高度な剥離技法などを使う石器が発明され、やがて人類史上始めて、化学的変化を伴う「土器」という製品を生み出した人々が、言語とは呼べないレベルの言葉しか使っていなかったとは考えられない。
なぜなら、高度な石器や土器の製作技術やノウハウを、多くの人びとに広め、次世代に伝えていくためには、所謂“見様見真似”だけでは困難であり、かなりのレベルの言語的説明や、やり取り(質疑応答)をしなければならなかったと考えられるからである。すなわち、言語もそのレベルに達していたと考えるのが、自然であろう。

 
■華北文化センターからナイフ形石器文化を伴って、プリミティブな原始ツングース系言語が朝鮮半島や日本列島(津軽海峡まで)に展開した。20000~30000年前のことである。

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■ 12500~13000年前ごろ、荒屋型彫器を伴う、クサビ形細石器文化が、極東方面に怒涛のように押し寄せた。彼らは原始アイヌ系言語を使っていたらしい。彼らは冷涼な気候を好み、日本列島ではあまり西日本地域と混交することはなかったのに対し、北部朝鮮では、ツングース系朝鮮語と混合したようである。安本美典の分析では、アイヌ語と日本語より、アイヌ語と朝鮮語の方が近い関係にある。
崎山は、アイヌ語とツングース語とは系統が異なるというが、文法的、音韻的特徴に大差はない。(華北とバイカルの両文化センターは、もともと親子関係にあったから言語的にも大差はなかったと思われる。)

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■6000年前、縄文前期のころ、同じツングース系の言語であった、古日本語と古朝鮮語は方言のレベルから別の言語に分裂したと、言語年代学から推測される。
古日本語には、東アジアにおける位置的関係から、照葉樹林文化(雑穀)や古栽培民の文化(芋)、熱帯ジャポニカを含む文化などを持つ、様々な民族や集団が断続的に流入し、多くの南方系言語の語彙をもたらした。

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筆者は、古日本語(日本基語)は、かなり早い時代に完成していたと考える。少なくとも、完成し尽くされた言語といわれる、サンスクリット語の成立時期、3000年前には、すなわち新年代観でいっても、水田稲作農耕技術の到来以前に、日本基語は混合言語として既に成立していたと考える。

なぜなら、1万年以上に及ぶ縄文文化が崩壊し、全く新しい、農耕技術や社会制度をもたらした弥生渡来人の故郷が、上代日本語から全く推測できないという、異常としか言いようのない現象は、日本基語がよほど完成され、語彙も当時としてはそれほど借用しなくても済むほどに十分であったから、渡来人の言語を農耕技術関連語として以外必要としなかった、という理由しか説明が付かない。
しかも、農耕技術関連語をセットとして持ち込んだ、渡来人の出自集団(おそらく長江下流域の民族集団)は、現在においては既に消滅してしまったらしい。

また、安本美典は、ビルマ語系の身体語や植物語は、稲作文化と一緒に入ってきたというが、たとえそれが、日本語の語彙としては例外的な単音節語だとしても、身体語や植物関係の言葉が、いわば基礎語彙が、日本基語成立後に借用されることなどあり得ない。
さらに、安本はインドネシア系言語は大和朝廷が、全国を統一する過程で、古くから居住していたインドネシアンを服従させる過程で、取り込んだものだろうと言っているが、これもあり得ない。なぜなら、オーストロネシア系言語の影響が著しい、崎山理のように日本語の語彙の80%がオーストロネシア系ということであれば、1300年~1700年前の出来事とはとても考えられない。このころは、既に中国語から政治や文化に関する言葉を、借用する段階に入っていたと考えるのが常識であろう。

 

■弥生時代、水田稲作農耕技術をもたらした渡来人は、予想以上に高度な日本基語を習得し、いわばその北部九州方言「倭人語」をもって勢力を拡大し、西日本一帯に遠賀川式文化圏を確立する。これにより倭人語は「日本祖語」といえる標準的存在となった。
中部・関東地域でも農耕文化を受け入れた集団は、日本祖語を受け入れる。一方、旧東日本地区で、あくまで狩猟採集文化に拘った集団は、東北地方に後退し、独自の文化・東日本縄文文化を継承していく。

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■邪馬台連合王国からヤマト王権が成立する時代、南部九州にも新しい文化を拒否して、南西諸島にスピンアウトした集団がいた。彼らが使っていた方言がより独立色を強め、琉球語(琉球方言)となった。
一方、日本祖語は中国語から、文字という記録媒体を手に入れ、文化や思想語を大量に日本語の中に取り入れ奈良時代に「上代(上古)日本語」が成立した。

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2016年05月04日

人類はチンパンジーと分岐したとする定説の根拠2~1980年代以降、分子系統学でチンパンジー起源説に

●1980年代以降、分子系系統学による霊長類分岐が全盛となる。
1981年、ヨーロッパ人の一個体でヒトのミトコンドリアDNA全塩基配列が報告される。
1987年、5地域147人のミトコンドリアDNAを調べて、ミトコンドリア・イブ仮説。
1995年、国立遺伝学研究所の宝来聡らが、類人猿4種(チンパンジー・ボノボ・ゴリラ・オランウータン)のミトコンドリアDNAの全塩基配列を解読。ヒトを合わせた5種のミトコンドリアDNAの塩基配列を比較して、チンパンジーがヒトと最も近縁であると結論づけた。

★宝来聡らの実験方法は次の通り。
5本のミトコンドリアDNAについて、一つの遺伝子を指定する配列の始まりと終わりを揃える。ミトコンドリアDNAの37種類の遺伝子のうち、タンパク質を指定する13種類の遺伝子では5本の配列は整列できたが、残りのtRNA遺伝子やrRNA遺伝子には、塩基に欠失や挿入により配列の長さが異なるので、調整した(どう調整したかは不明)。その上で、5本の配列間の塩基置換数(変異数)をコンピュータでカウント。

非同義変異数:RNA遺伝子変異数比が5種ともほぼ同じなので、分子変異速度は一定であるとして、非同義変異数とRNA遺伝子変異数を元に遺伝距離(相対距離)を計算している。オランウータンが分岐した絶対年代を1300万年前として、残り4種の分岐年代を推定。ゴリラ656±26万年前、ヒトとチンパンジーの分岐年代を487±23万年前とする系統樹を作成した。
※タンパク質を指定するDNAの塩基配列において、アミノ酸を変えない塩基置換(変異)を同義置換、アミノ酸を変化させる置換(変異)を非同義置換という。ヒト・類人猿5種では、圧倒的に同義置換が多いが、同義置換数ではオランウータンと他の4種との間で大差がない(あまり変異していない)。オランウータンの同義置換数を補正しても使えないので、分子変異速度一定に都合のよい非同義変異数RNA遺伝子変異数を使って、遺伝距離を推定している。

2001年、ヒトゲノムの配列発表。2005年、チンパンジーのゲノム配列発表。
(チンパンジー以外の類人猿の全ゲノムの解読は未了2009年段階)

2006年、ヒト・チンパンジー・ゴリラの252の遺伝子座(染色体やゲノムにおける遺伝子の位置)の比較では、ヒトとチンパンジーが近縁であることを示すのが110個(44%)、ヒトとゴリラが近縁であることを示すのが45個(18%)、チンパンジーとゴリラが近縁であることを示すのが38個(15%)、系統関係がはっきりしないのが59個(23%)で、ヒトとチンパンジー近縁を示すのは半分もない。ところが、このような事は、種分化が短期間に連続して生じ、かつ集団の個体数が大きい場合には一定の確率で生じることが理論的に示されているらしい。

※ヒトとチンパンジーのゲノム配列を比較すると1.23%の違いとされているが、この数値は相同なゲノム領域を比較した時の数値であって、一方の種には見つかる領域が他方にはないというように、構造の違いも指摘されている。

※ヒトはチンパンジーと分岐したというのが定説化したものの、その化石は発見されていない。
チンパンジーやゴリラ・ヒトの共通祖先の有力候補とされるのが、ヨーロッパで多数発見されているドリオピテクス(1200~900万年前)であるが、異論もあって未確定。実際、ドリオピテクスの化石にはヒトとオランウータンの特徴も入り混じっているらしい。また、現生人類とオランウータンの間で共通する形態的・生理的特徴が多いので、ヒトはチンパンジーやゴリラよりもオランウータンに近い主張する学者が未だに存在する。
また、分子系統学が前提とするのが分子時計の仮定「分子の変異速度が一定」であるが、種によって分子変異速度は異なっておりること、実際、分子時計による分岐年代と古生物学的な推定年代とが大幅に食い違っていることがいくつも報告されている。
「分子時計による分岐年代決定法の矛盾点」
「生物は外圧適応態であり、急激に外圧が変化すれば変異スピードは著しく早くなる。実際、カンブリア大爆発や哺乳類の適応放散をはじめとして、急速に進化する事例は生物史には無数にある。また、紫外線による破損やコピーミスをはじめとしてDNAの突然変異は日常的に起こっているが、それは修復酵素によって修復されている。その修復度合いも種によって異なっており、分子の変異速度が一定になるはずがないのである。」

【参考】
『新しい霊長類学』京都大学霊長類研究所 講談社ブルーバックス
『ヒトはどのようにしてつくられたか』山極寿一 岩波書店
『シリーズ進化学5 ヒトの進化』斎藤成也 岩波書店
『DNA人類進化学』宝来聡 岩波科学ライブラリー
『DNAに刻まれたヒトの歴史』長谷川正美 岩波書店
『アナザー人類興亡史』金子隆一 技術評論社

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2016年05月04日

人類がチンパンジーと分岐したとする定説の根拠1~1960年以前は人類アジア起源説だった

人類は、500万年前、チンパンジーとの共通祖先から分岐したというのが定説になっているが、その定説はどのような根拠で成立したのか?
1960年以前は化石を元にしたアジア起源説だったのが、次第に、分子時計を前提とした分子系統学によってアフリカ起源説に塗り替わっていったらしい。
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●1932年、インドのシワリク高原でラマピテクスの上顎・下顎と歯の化石(1400~800万年前)。歯列や犬歯・臼歯の形や質が類人猿よりも人類に似ていたので、60年代にはラマピテクスが人類の直系祖先とされるようになった。人類はラマピテクス以前に分岐したとされ、当時の人類学の教科書では、類人猿とヒトの分岐は4000~3000万年前と書かれていた。

●1960年代に分子系統学による種間距離の測定が始まる。
グッドマンは、抗原抗体反応の大きさを使って霊長類種間の免疫学的距離を推定した。
ヒトの血清タンパク質をウサギに注射すると、ウサギはヒト血清タンパク質に対する抗体をつくる。その抗体を含むウサギの血清(抗ヒトタンパク質血清)をヒトやサルの血清と混ぜる。ヒトの血清とは強く抗原抗体反応を起こし沈殿物が多く出る。チンパンジーやゴリラの血清との反応よりも、オランウータンの血清との反応は明らかに弱かった。反応が強いほど、ヒトの血清タンパク質とアミノ酸配列が似ていると考えて、グッドマンはオランウータンよりもチンパンジー・ゴリラの方がヒトに近いと結論づけた。

1967年、サリッチとウィルソンは免疫抗体法で推定したヒトや類人猿の免疫学的距離に分子時計の考え方を導入して、分岐年代を推定した。
ヒト・チンパンジー・オナガザルの血清アルブミン抗体をつくり、ヒトや類人猿、オナガザルの血清と反応させ、ヒト・チンパンジー・ゴリラ・ウランウータン・テナガザルの免疫学的距離を推定、ヒトはオランウータンよりもチンパンジー・ゴリラに近縁であると結論づけた。
さらに、種間の免疫学的距離の常用対数が2種の分岐年代に比例すると仮定して相対的な分岐年代を推定。オナガザルと類人猿が分岐した絶対年代を化石記録から3000万年前と固定。そこから計算してチンパンジー・ゴリラとヒトが分岐したのを500万年前と推定した。

●分子生物学者と化石学者(1400万年前のラマピテクス説)との間で論争が始まるが、次第に分子系統学派が優勢になってゆく。
例えば、1970年代には、雑種DNA形成法による遺伝的距離の測定が始まる。
比較する動物の二本鎖DNAをほぐして一本鎖にし、混ぜ合わすと二種のDNAが組み合わさった雑種DNAができる。二種の動物のDNAでは塩基配列が少しずつ違うので、雑種DNAでは、元のDNAのような結合対は組めなくなり、熱的に不安定になる。熱安定性の低下の度合いを図ることで、DNA塩基が異なっている割合を推定する。これが雑種DNA形成法。
1977年、サリッチとクローニンは、免疫学的距離と雑種DNA形成法による遺伝的距離を測り、オランウータンが分かれたのが1100~900万年前、ヒト・チンパンジー・ゴリラが分かれたのが500~400万年と結論づけた。

1978年、パキスタンのポトワール高原でシヴァピテクスと呼ばれる類人猿の顔面と頭蓋片の化石が発見された。化石形状からシヴァピテクスがオランウータンの祖先とされると同時に、ラマピテクスもシヴァピテクスのメスであり、オランウータンの祖先と看做されるようになる。1980年代以降、人類のアジア起源説は廃れ、500万年前アフリカ起源説が学界の定説となった。
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【参考】
『新しい霊長類学』京都大学霊長類研究所 講談社ブルーバックス
『ヒトはどのようにしてつくられたか』山極寿一 岩波書店
『シリーズ進化学5 ヒトの進化』斎藤成也 岩波書店
『DNA人類進化学』宝来聡 岩波科学ライブラリー
『DNAに刻まれたヒトの歴史』長谷川正美 岩波書店
『アナザー人類興亡史』金子隆一 技術評論社

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2016年04月28日

Y染色体 東アジアに於けるD系統分布の謎を解く

Y染色体のD系統について、日本とチベットのみに高い頻度で見られ、その他の東アジア地域ではごく僅かしか見られないのは何故なのか。
D系統はアジアに定住したもっとも初期の人類であり、60,000万年前に北方移動を開始し、30,000万年前には日本に到達していたという論文がありましたので、一部を紹介します。
論文では、約5,000人の男性の遺伝子サンプルを採取しており、また約30,000-40,000年前に現生人類がチベット高原を探索していたという事が書かれており、チベット経由で北上した根拠になるかもしれない。

 

■■東アジアに定住したもっとも早期の現生人類
とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について

アジアにおけるY染色体の系統地理学は、アフリカ起源の現生人類が最初、東南アジアの大陸部に定住し、それから約25,000~30,000年前には北方へ移動し、東アジア全域に広がっていったことを、これまで示していた。
しかしながら、このようなシナリオでは、東アジアに特有のY染色体系統(すなわちD系統ーマーカーM174)が、チベットと日本列島およびアンダマン諸島にだけ、高い頻度で見出されるというような分布の断片化を説明することが出来ない。

■結果
本研究でわれわれは、73の東アジア民族集団から5,000人の男性のサンプルを集め、Y染色体D系統(マーカーM174)の系統地理学的理論を再構築した。われわれの結論では、D系統は東アジアの現生人類の非常に古い系統を示しており、北方の集団と南方の集団の間には、遠い昔の深い分岐の跡が観察されたのである。

■結論
われわれは次のように提唱する。
すなわち、D系統は南方に起源があり、D系統の北方への拡散は、約60,000年前に起こった。
そして、ほかの主要な東アジアのY染色体の系統の北方への移動の先駆者であったと。
おそらく、最終氷期最寒期と新石器時代の漢文化の拡張がキー・ファクターとなって、東アジアにおけるD系統の現在見られる、遺物のような分布を導いた可能性が強い。チベット人の集団と日本人の集団は、主要な東アジアに特有のY染色体系統-OハプログループとDハプログループ-をもつ、二つの古代の集団が混交したものである。

■はじめに
まずサブ・ハプログループDE*、これはおそらく、D/Eハプログループのなかでは最も古い系統で、アフリカ人ではナイジェリアからだけ見出された系統である。それは、現生人類の起源に関する「出アフリカ」仮説を支持するものである。
サブ・ハプログループEというのも、アフリカに起源するということが確認されている。その後、その系統は約20,000年前ごろ中東やヨーロッパへ拡散したと考えられる。
さらに興味深いことは、サブ・ハプログループDは、東アジア特有の系統で、特にチベット人と日本人に豊富(30-40%の頻度)に見出されるが、また、他のほとんどの東アジア集団でも、あるいは、東アジアの境界付近の地域(中央アジア、北アジア、中央アジア)でも、稀な頻度(普通は5%未満)ではあるが見出されている。

D系統の範疇にあるとはいえ、日本人は何回もの突然変異(たとえばマーカーM55,M57,M64など)によっていくつものサブ系統に分かれているし、一方チベット人のサブ系統はまた異なっており、それは、日本人との間に遠い昔の深い分岐が関与していることを推測させる。東アジアにおけるD系統の分断化された分布は、ほかの東アジアに特有の系統のパターンーたとえばハプログループOの下位にO3,O1,O2が繋がるーとは無関係に見える。

さらにチベット人と日本人に加えて、D系統は、東アジアのいくつかの南方系少数民族集団にも認められる。それらは、たとえば南西中国の雲南省のチベット・ビルマ語を使う民族(14.0-72.3%)、中国南部の広西チワン族自治区の モン・ミエン族(30%)、タイのダイック語族(10%)など、ごく最近の民族混交で説明できる民族が含まれる。

しかしながら、最近の研究では、アンダマン諸島の人々に高い頻度(56.25%)でD系統が認められることが報告されている。彼らは、インド洋の離島に住んでおり、東南アジアに最も早い時期に移り住んだアフリカ起源の現生人類のひとつだと考えられている。アンダーヒル等による別の研究では、D系統は、約50,000年前に東アジアに到達した可能性が高いことが示唆されている。これは、東アジアのYAP系統の起源がまさに、非常に古いことを意味している。

D-174_bunnkijiki_table3

■仮説
われわれのこれまでの研究では、東アジアに特有で且つ支配的なY染色体ハプログループ、O系統(平均の頻度44.3%)は、ことによると東アジアで最も早期の現生人類の拡散を反映している可能性を示していた。
東アジアの集団のほとんどにO系統が広がっているのに反して、D系統を比較的高い頻度で保持する集団は、ほとんど東アジアの大陸部の周辺地域に、分断化された形で分布している。このことは、人類の先史に関して二つの解釈が出来ることを意味している。

まずひとつのシナリオは、O系統と同様に、D系統もまた、東アジアにおける現生人類の旧石器時代の移動に関し、北向きに行動した系統の、まさに一つであった可能性がある。
次いで、(最終氷河期がひとつのキー・ファクターとなった可能性が高いが)集団の下部構造(基本構成)が形成され、そこへ最近の漢文化の拡張の影響が加わり、D系統の分布は、現在の地理的パターンに分断化されてしまったと考えることである。

もう一つのシナリオは、われわれのこれまで提唱してきたシナリオと違って、まったく独自の早い時期の移動があったと考えることである。その疑問に答えるため、われわれは、73の東アジア人と東南アジア人の集団から、5,000人以上の男性のサンプルを採取し、遺伝子分析を行った。主要なD系統のY染色体のSNPとSTRデータと主なD系統の推定年代に基づいた分析から、われわれは次のことを提唱する。すなわち、旧石器時代に東アジアの現生人類(D系統)は、これまで提示してきた北方への集団移動(O系統を含む)に先行して、独自の北方移動を行っていたと。

最近の考古学的発見によれば、興味深いことに、約30,000-40,000年前現生人類がチベット高原を探索していたという。その時期は、これまでに示された時期よりはるかに早いが、われわれの仮説には合致している。
後氷期の海面上昇は、最終的には、日本と大陸とを隔てさせることとなった。それは現在の日本人集団の中にD系統が遺物のように分布していることの説明になる。
考古学データは、約30,000年前の日本列島に、現生人類が初めて到達したことを示している。これは、D2系統のわれわれの推定年代(37,678 ± 2,216 年前)と一致する。同時に、現在のチベット人集団と日本人集団はそれぞれ、おそらくD系統とO3系統の二つの古代の集団が混血して出来上がったのだろうと考えられる。

■おわりに
要約すると、われわれは、東アジアで、これまで提唱されてきた北向きの集団移動に先行して、より古い、旧石器時代の集団移動があったことを実証してきた。D系統が現在分断化されて分布している状況は、最終氷河期に起こった人口膨張とその後の新石器時代の人口膨張の組み合わせ、両方に起因する可能性が高い。

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2016年04月26日

チンパンジーと人類の違いから ~追求充足が進化の源泉~

1頭のチンパンジーが蟻塚の前で立ち止まり、小枝を拾った。そして、巣の入口を覆っている柔らかい土に小枝の片端を挿し込み、蟻塚の兵隊アリが攻撃してくるのを待った。アリの群れが小枝を10cm程登ってくると、チンパンジーは巣から枝を抜き、枝の向きを手際よく変えて巣に刺した片端を自分の口に向け、群がっていたアリを食べた。たらふく食べるまでその過程は繰り返される。
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チンパンジーは様々な道具を巧みに使う。石で木の実を割ったり、葉を使って木のうろにたまった水を吸い取ったり、棒で栄養価の高い植物の根を掘り出しできる。しかし、彼らはこの知識をもとに前進したり、もっと高度な技術を生み出したりはできないようだ。例えば、棒を使ったシロアリの狩猟法を仲間に教えることはできるが、別の物を挿し込んでみようということはなく、同じことを繰り返すだけだ。

一方、現生人類はそのような限界はない。実際、私たちは日常的に他人のアイデアを拝借し、それに独自の工夫を加えて改良し、最終的には新しくて非常に複雑なものにする。例えば、一個人だけではノートパソコンに投入されている複雑な技術のすべてを思いつくことはできない。そのような技術的偉業は何世代にもわたる発明の塗り重ねによって出来上がっている。

人類学者はは、私たち人類のこの特技を「分化の累積(カルチャル・ラチェッティング)」と呼ぶ。これには何よりもまず、ある人から別の人へ、あるいはある世代から次の世代へと、誰かが改良のアイデアを思い付くまで、知識を伝えていく能力が必要となる。

★何故、人類は知識の伝達・応用ができ、サルはできないのか?

2012年、英国の霊長類学者が、ある実験を行った。実験用パズルボックスを設計し、チンパンジーとオオマキザル、そして英国の幼稚園児の集団にやってもらった。このパズルボックスには難度レベルが3つあり、あるレベルの問題はその下のレベルの問題を解いた後でないと解けない仕組みになっている。

55頭のサルのうち最高レベルにたどりついたのは1頭のチンパンジーだけで、しかも30時間以上もかかった。
しかし、幼稚園児たちははるかに上手くやった。サルの集団と違って、園児の集団は話し合ったり、励ましたり、正しいやり方を教え合うなど協力して取組んだ。2時間半後、35人のうち15人が最高レベルに到達した。
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(写真はイメージです)

こうした認知能力と社会的スキルを私たちの祖先は、なぜ獲得することができたのか。前述の実験を受けて、ロンドン大学の進化遺伝学者たちは「人口密度」が関係しているのではないかという仮説を立てている。

集団規模が大きいほど、技術を進歩させるアイデアを誰かが思いつく可能性が高まる。さらに、隣接集団と接する可能性が高いほど程、新しい技術革新に触れる機会が高まる。しかし、文化的な革新には、個人どうしが密に結びついた特別な社会状況が存在していたのではないかと考えられている。

『追求のススメ(サルから人類へ:観念機能の創出)』
足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちがそうであるように、足の指で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力に直面した。とうてい外敵に対応できない原始人類は、洞窟に隠れ棲むしかなかったが、彼らは恒常的に飢えに苛まれていた。

彼らは常に生存の危機に晒されており、当然「どうする?」⇒「世界(自然)はどうなっている?」という未知への収束と追求回路に全面的に先端収束する。そして、人類は、直面する未知なる世界=不整合な自然世界を「なんとしても掴もう」と、自然を凝視し続けた。それは、生命の根源をなす適応本能(整合本能)と共認機能を深く結びつけることになった。そのようにして、みんなで毎日毎日追求し続ける、その中で、追求共認⇒追求充足の回路が、共認回路の奥深くに形成され、その共認充足が更に強く皆を追求に向かわせていった。

追求充足の回路が、共認回路の奥深くに形成されてきた結果、幼稚園児どうしがが話し合ったり、励ましたり、正しいやり方を教え合うなど協力して取組んだ実験結果に繋がっていると考えられます。
そのように考えると、追求共認⇒追求充足回路の獲得が、人類進化の源泉といえるのではないでしょうか。

【参考】「別冊日経サイエンス ~化石とゲノムで探る人類の起源と拡散』

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2016年04月21日

人類の軌跡~Y染色体の旅

遺伝子解析による人類史の解明~Y染色体の遺伝の仕組み 以前の投稿にてY染色体の仕組みについて投稿したが、今回はもう少し詳しい記事を紹介する。
分子生物学の進歩により進化の軌跡をたどれるようになったが、まだまだ不完全であるようだ。

◆ヒトのY染色体
ヒトのY染色体は男性のみが持つ染色体である。そのサイズはおよそ25メガbpであり、うち、チミンが30.35%、アデニンが29.92%、グアニンが19.91%、シトシンが19.82%と、かなり偏っている。これをATリッチである、という。
アンプリコン配列と呼ばれる繰り返し配列が非常に多いため、Y染色体の配列を決定するのは困難を極めた。
この配列を含む領域のことは、キナクリンという蛍光染色料でよく染まるのでキナクリン染色領域といったり、有効な遺伝子が存在しないので遺伝子砂漠と呼ばれている。

Y遺伝子は比較的頻繁に変異している。常染色体とは違い普段は減数分裂時の相互転座に参加しないとされ、Y染色体は変異しづらい不活性なものと考えられていた。
現在、減数分裂時にX染色体との間で相互転座が起こすこともあると考えられており、Y染色体自身の中に、他の場所にあるDNAと入れ替えをしていることが明らかになっている。
ここから、、Y染色体は比較的突然変異を起こしやすい染色体であるといえる。
この特徴はY遺伝子の突然変異が世代を重ねるうちに修復できる働きと見られるが、逆に男性赴任などの先天異常を起こす。

人間のX染色体及びY染色体は、他の動物と同様、2億4000万年から3億2000万年前に通常の一対の常染色体から発展しました。この差異は哺乳類及び鳥類の血統分岐後に起こったと正確に指摘されています。X及びY染色体の再結合しない領域は、その後数年にわたって高度に差別化されるようになりました。

Y染色体は長い年月を過ぎても その性質が変化しない特徴があります。そのためY染色体上の変異はその進化の過去の時点の記録を表し、系図学者及び考古学者の研究を補助するもとして利用されています。
ある変異が個人の再生能力に影響を与えない限り、その変異は保存され、子々孫々に受け継がれます。
DNAの積み木のようなヌクレオチドのブロック間の交換は一塩基多型(SNP)、または、点突然変異と呼ばれています。
Y染色体上の、多型の異なる連なりはハプロタイプとして知られています。
これらのハプロタイプの変化を見ることにより、2名以上の個人の生物学的関係を構築することができます。

スタンフォード大学のピーター・アンダーヒル博士は、現代人がアフリカから移住したことが判明している古代のヒトの移住からの子孫であるとの遺伝的証拠を発見するためにY染色体SNPマーカーを利用しました。図は、研究者がY染色体進化の研究から発見したものを要約したものです。

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◆『Y染色体から探る人類の旅』

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Y染色体の遺伝子は、もっと単純なメカニズムによって父系遺伝する。約1/2の確率でXYに結合した受精卵は、Y染色体上にあるSry(スライ)遺伝子が身体が男性になるように指示する。核DNAの塩基数は約60億個で46本の染色体に収められている。(ミトコンドリアの塩基数の約40万倍) このうち、Y染色体のDNAは6000万塩基であり、しるしとなるYAPはそのうちのわずか300塩基の部分である。常、Xに比べ、Y染色体DNAは機能を持つ遺伝子が極めて少ない。 当然、Y遺伝子の調査対象は男性のみであり、男性にいわゆる”縄文系”、”弥生系”の区別があり、女性にはこの区別がない。( ミトコンドリアは男性も女性も持ち、しかも母系遺伝する。)
ただし、Y染色体遺伝子は、しばしばDNAが欠落し正確に伝わらないことがある。

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◆『Y染色体から探る人類の旅』
Y染色体の遺伝子は、もっと単純なメカニズムによって父系遺伝する。約1/2の確率でXYに結合した受精卵は、Y染色体上にあるSry(スライ)遺伝子が身体が男性になるように指示する。核DNAの塩基数は約60億個で46本の染色体に収められている。(ミトコンドリアの塩基数の約40万倍) このうち、Y染色体のDNAは6000万塩基であり、しるしとなるYAPはそのうちのわずか300塩基の部分である。常、Xに比べ、Y染色体DNAは機能を持つ遺伝子が極めて少ない。 当然、Y遺伝子の調査対象は男性のみであり、男性にいわゆる”縄文系”、”弥生系”の区別があり、女性にはこの区別がない。(ミトコンドリアは男性も女性も持ち、しかも母系遺伝する。)
ただし、Y染色体遺伝子は、しばしばDNAが欠落し正確に伝わらないことがある。

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◆Y染色体はX染色体よりずっと小さい。
さらに,この2本の間には,単なるサイズの違いだけではなくもっと本質的な違いも存在する。
例えば,X染色体には2000~3000もの遺伝子が含まれているが,Y染色体にはせいぜいで数十個の遺伝子しかない。
また,Y染色体上の遺伝子の中には,X染色体上に対応する遺伝子が存在しないものがある。
さらに,染色体を構成するゲノムDNAには,タンパク質やRNAの設計図となるといった生理的な機能を持っていない「ジャンクDNA(がらくたDNA)」が含まれているが,Y染色体ではジャンクDNAの占める割合が異常に高いことも知られている(訳注:正確に言うと,ジャンクDNAは,まだ機能がはっきりとわかっていない部位のことで,未知の大切な機能をもっているかもしれない)。

つい最近まで,Y染色体がこのように他の染色体と大きく違っている理由を説明するのは難しく,多くの生物学者が唱えたさまざまな説を検証することは不可能に近かった。
しかし,ヒトの24種類の染色体(22本の常染色体とX,Y染色体)に含まれるDNAの全塩基配列を決定しようというヒトゲノム計画とそれに関連した研究のおかげで,この状況は一変した。古生物学者が現存の動物と化石動物の骨格を比べることで種の進化の軌跡をたどるように,分子生物学者もDNAの塩基配列を比較することによって染色体や遺伝子の進化の軌跡をたどれるようになった。

世代の途中でY染色体にある変化が生じると(突然変異)それ以降の男性はすべてその変化を受け継ぐことになるが,こうしたY染色体の少しずつの違いを基にタイプ別に分類して,Y染色体の系統図というものが作られている。

ミトコンドリアDNAに比較すると突然変異を起こす確立が10分の1程度で、長さが3000倍もある、Y染色体であるが、人類の共通祖先であるY染色体のDNAは多量の突然変異が蓄積している可能性がある。Y染色体の系統関係が、最近かなり分かってきてハプログループの分類が2002年に153のハプログループに定められました。しかし、ミトコンドリアDNAは標準化されておらず、篠田氏の分け方は多くの研究者が使用しているが、細部では混乱が残っている。

image_excel01
Y染色体DNAの系統図:Y染色体でもミトコンドリアDNAの系統図と同じく、アフリカに分岐の深いハプログループが存在していることがわかる。それぞれのハプログループの分布している地域を見ると、ごく少数の集団がアフリカを出て、世界に拡散したことがわかる。

◆最後に
以上から分子生物学の最近の目覚しい進歩で、遺伝子というミトコンドリアDNAとY染色体からみた、人類の広がりと分布が描かれたが、まだまだ不明な点が多い。更に詳しい検査結果と供に、考古学など色々な研究分野を駆使して、更に詳しい分布を描かれてくるように期待したい。

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2016年04月14日

日本人の起源

前回までの記事。
遺伝子解析による人類史の解明~Y染色体の遺伝の仕組み
言語分布と人類の移動ルート
ヒトの起源を調べる方法
新人類の出アフリカ~移動ルート
渡来人・徐福一行のDNA

これまで遺伝子解析による人類の移動ルート、日本人の起源について紹介してきましたが、今回でラストです。
DNAから導きだされる日本人の起源」より。

 

JPNfrmDNA

 

① G(Gm)遺伝子の分布で説明の付かなかったオーストラリアのアボリジニーは、スンダ大陸で、モンゴロイドが生成される時期よ り前(5万年前)に、スンダ大陸から移動したとすると、ルートが明瞭となる。
– インド大陸のコーカソイド系列の遺伝子を持ち、北方系モンゴロイドと同じ比率の遺伝子を持つインド大陸の民族の存在も説明が付く。

② Y染色体DNAの、日本人に特有な、D2、 O2b1(Y2型)の由来が、
– 最初に北上し、日本へ移動した民族がD2で、
– 長江文明(水田稲作・高床住居)を築いた部族の一民族の大移動(徐福伝説)がO2b1(Y2型)
– O2b1(Y2型)の遺伝子を持つ台湾に移住した福老・客家の祖先と徐福一族の接点も判明

③ 母親が共通祖先であることが判明した
アメリカ・インデアンと日本人、縄文人とインドネシア・フィリピン、縄文人とバイカル 湖付近のブリヤート人。
この共通性は、今回の移動ルートで、明瞭になった。 そのルートと時期は下図の通り。

JPNfrmDNA41

④ ATLウィルスの残存地域は、
– 北上していった初期型モンゴロイドの移動ルートに沿っていることが判る。

 

まとめ

• 新しいDNAの解析結果を読み直すことによって、判明した日本人と世界のモンゴロイドの移動ルートによって
– 日本人の二重構造が明瞭に説明できた。又、南方起源説も証明された。

• 今回、示したルートに沿って考えると、従来の課題・疑問が自然に解消する。
– 男女のDNA:免疫グロブリンG(Gm)の遺伝子の分布で、解釈の付かないオーストラリア・ニューギニアのアボリジニーの孤立が解消。 沖縄の港川人のアボリジニーに類似していることも納得できる。
– Y染色体のDNA:
• D2遺伝子は孤立していた訳ではない。
同じ黄海沿いを北上したD1・D2・D3の遺伝子グループの内、D2グループが 日本に降り、その外は、北上し、バイカル湖まで行き、生き延び、南下し、D1はチベット等に、D3はブータンへ移動したと考えると、孤立とはならない。
ブータンの着物と日本・アイヌの着物の類似は興味深い。
• 渡来人のO2bは、家族名・家系の判明した貴重なDNAで、中国古代、神話の時代に、そのルーツを溯ることができ、 日本人の由来を
考えることが出来る。又、甕棺埋葬や水田稲作から長江文明を担った一族と遡れる。
– ミトコンドリアDNA: 日本人と共通の母系が、各地にあることが、今回のルートで納得できる。
• バイカル湖畔と茨城県の発掘人骨の共通の母系の存在
• アメリカ・インディアンと日本人の共通母系
• 浦和の縄文人とマレー人・インドネシア人の共通母系 いずれも、移動ルートに存在する。
– 白血病を引き起こす、ATLウィルスの到達ルートもスンダ大陸からの北上とその後の移動から納得できる。
– 日本語とタミル語の同一性も、このルートから説明が付き、DNAも男女のGm遺伝子のパターンからも、弥生人と同一の人々が、
雲南からミャンマー(ビルマ)からインドへ移住し、水田稲作を広め、居住し、インダス文明を築いていた処を白人系の侵略者に
追われ圧迫されたことが、DNAから読み取れる。

• 結語
日本人は南方から来た初期型モンゴロイドが、黄海沿いに南下し、最初に住み着いたアイヌ人=縄文人が一つのグループ。
同じく黄海沿いに下り、日本の近くを通り抜け、シベリア大陸に入り、バイカル湖畔で、耐寒のため体型を変えた北方系モンゴロイドが、暖化後に南下し、長江中流で水田稲作を開始、長江文明を担い、戦乱の続く中、民族滅亡の危機に直面し、秦の始皇帝の助力を得て、民族大移動を行った徐福一行のグループが、もう一つの日本人の起源。
その二つのグループが、約2300年 の間に、混血し、現在の日本人となった。

日本語は、アイヌ・縄文人の単語を残しつつ、渡来してきたグループの言語の進化・変遷したもの。
言葉は民族と人の根源であるが、1000年の単位では極めて大きく変るため、大きな概念で辿る必要がある。
南インドのタミル語は、日本とインドに分岐する以前に使っていたであろう品物(稲作・衣食住)、身体の名称などで同じ単語が用いられ、五七五の韻を踏む歌などが一致し、且つ、民俗学的風習などが一致し、同一又は極めて近い民族と言語が、日本以外にいたことは、なんとも云えぬ安堵を感じる

 

 

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2016年04月07日

渡来人・徐福一行のDNA

もう5年くらい前でしょうか、
日本人の起源について議論していた際、大和朝廷の主役は葛城ネットワークであり、
その源流は、中国を脱出した徐福の一団ではないかとの仮説を立てていました。

以下が、その内容。

日本に脱出してきた徐福が作ったネットワークが大和朝廷
日本人の基層をなすのは、3~1万年前にスンダランドからやってきた縄文人である。
そこへ、2500年前~2200年前、中国での戦乱から逃れてきた江南人(倭人)が流れ着き、混血して弥生人が生まれる。
※秦の始皇帝から逃れてきた徐福一派は、この江南人の系統と考えられる。
・縄文人+江南人(中国南方出身)=弥生人
次に古墳時代(1750年前頃から)には、朝鮮半島の北方部族(扶余族・高句麗)の南下に押し出される形で、
韓人(主に百済人、伽耶人)が、西日本にやってくる。同時期東日本には、高句麗人がやってきて縄文人と混血する。
・弥生人+韓人(扶余族+倭人)=西の古墳人
・縄文人+高句麗人(扶余族)=東の古墳人

 

これまで紹介した「DNAから導きだされる日本人の起源」でも、遺伝子分析の結果として、弥生時代の渡来人は徐福であると記載されていました。

 

元_ページ_29徐福1

元_ページ_31徐福2

元_ページ_32徐福3

元_ページ_33徐福4

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