前回までの記事で、
・縄文時代の集団には、リーダー的存在はいなかった
・縄文時代は、現代のように、人(リーダー)が集団の統合軸ではなく、生死など自然の摂理そのものが統合軸であったと追求してきました。
では、縄文人の“自然の摂理≒精霊観”とは、どのようなものなのでしょうか?
捉えた摂理は様々あると思われますが、中心になるようなものはあったのでしょうか?
■縄文人の“自然の摂理≒精霊観”とは?
縄文時代の思想を現していると考えられるものから捉えてみたいと思います。
例えば…
・土偶
女性や妊婦を模っているように見えるものが多く、安産や豊穣への祈りが込められて作られていたのではないか。また、何らかの女神信仰があり、それを具現化したものではないかと考えられています。女性は生命を宿し産み出す存在であり、生命エネルギーの塊のように捉えていたのかもしれません。なお、土偶は、飾られるためというより、壊され配布されていた可能性が高いようです。
・土器
画像はこちらからお借りしました。
縄文土器の特徴は、縄文後期などが明確ですが、日常用とは思えない、男や女、妊婦、蛇や梟、縄や渦巻きなどの繊細なモチーフが装飾されていることです。男と女はもちろん、蛇や梟、縄、渦巻きなどは性や生命エネルギーを現すモチーフ。単なる器ではなく、生命の誕生や再生への祈りを表現したものと考えられています。
・月・蛇
月と蛇は、生命力と生命の源である水を司るもの。また、28日ごとに消滅し、再び新月として蘇る月と、脱皮と冬眠を繰り返しながら甦る蛇を再生の象徴と捉えていたようです。同じく女性の子宮は生命の源であり、月から与えられる水は、蛇によって子宮に運ばれ、生命を育むとも考えられていました。
・縄
縄目が土器の表面を飾っていることからも、縄文時代にはすでに発明されていたと考えられており、とめどない生死の交替の中で、死は終わりではない、生死は縄目のように終わりなく循環するという考えがあったようです。また、男女の性的結合の象徴としても祀られていました。
出雲大社などのように縄が祀られている場所や、木や岩などの信仰物に対してしめ縄(七五三縄)が掛けられたりと、今もなお残っています。
・ストーンサークル・ウッドサークル
画像はこちらからお借りしました。
縄文後期の遺跡からは、細長い石または木柱を横に放射状に並べられた広場が多く発見されており、集団規模が大きくなった縄文人たちの生死を中心とした祭りの場であったのではないかと考えられています。なお、中心部にある石柱は男女の性的結合の象徴とも言われています。環状集落などの構造もあわせて考えると、縄文人の世界観は、北/南、山/海のような直線的な二元論ではなく、螺旋を彷彿とさせる円環的で同心円状だったといえます。
土偶、土器、月・蛇、縄、円形…など様々な具象物の奥に「生や死」「男女の性」、そして、生死は縄目のように終わりなく循環するといった「命はめぐる」という摂理を感じていたようです。
あらゆるものの生命が、自分たちにとって恵みを与えてくれるものでもあり、また、畏れをもたらすものでもあり、自分たちを超えた存在。
そして、「自分たちもそれら全ての中の一部」「与えてもらった自分たちの命もまた、めぐっていく」ということも、縄文人にとって自然の理だったようです。
「循環」が、生命の根源にある摂理であると認識していたことは、出土物からも分かるんです。次の記事では発見された物から迫ってみたいと思います!