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2022年09月14日

縄文人の世界観~動いて循環しているからこそ世界は調和する~

※画像はこちらからお借りしました。

 

八百万の神々を身近に感じ、目に見えない存在との繋がりや循環を大事にしてきた縄文人。

 集団の中心にあった“自然の摂理≒精霊観”とは?①~生命の根源にある摂理は「循環」

 集団の中心にあった“自然の摂理≒精霊観”とは?②~「何をどうしたら循環させられるのか」

 縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理1

 縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理2

 縄文人の世界観~見えぬものにこそ本質が隠れている~

 

科学技術も発達していない当時に、これほど的確に万物の摂理を捉えていたことは驚くべきことですが、実は、環境も生産様式も全く異なるインディアンの世界観も、縄文人のそれと非常に共通しているのです!

 

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2022年09月13日

縄文人の世界観~見えぬものにこそ本質が隠れている~

※画像はこちらからお借りしました。

 

万物は姿形を変えて、巡り巡って再生している、循環していると捉えていた縄文人。

 縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理1
 縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理2

 

そのような世界観で生きていた縄文人の思考や感覚は、「大和言葉」としていまだ色濃く残っています。

今日は、私たちが日ごろ何気なく使っている「大和言葉」から、その精神世界に触れてみたいと思います。

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2022年09月11日

縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理2

画像はこちらからお借りしました

命の巡り、命の再生こそ自然の摂理そのものと捉えていた縄文人。

前回の記事に引き続き、月と蛇と縄文人(著者:大島直行)を参考に縄文人の世界観を考察します。

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2022年09月11日

縄文人の世界観~万物の命の巡り、命の再生が自然の摂理1

 

前回の記事では縄文時代の「祭り」について、その本質は何かを考察しました。

集団における生命力の源である「祭り」とは?①~男女の性エネルギーが最大化する場

集団における生命力の源である「祭り」とは?②~宇宙、自然、生体のリズムと一体となる時

縄文時代、「祭り」は、自然をはじめ万物と同期し、また仲間とも同期して全てが一体となり、大きなエネルギーを生み出す場。その中心に男女の性があり、新たな命を生み出す時であったことは、ごく最近まで多くの祭りに見られる共通項であり、現代人でも想像に難しくありません。

 

先日「実現塾」にて縄文時代の世界観とはどのようなものかを追求し、非常に気付きがありました。今日はそれを紹介したいと思います。

 

『月と蛇と縄文人(著者:大島直行)』を参考にしながら縄文時代の世界観を見てみます。

 

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2022年09月04日

集団における生命力の源である「祭り」とは?②~宇宙、自然、生体のリズムと一体となる時

祭りという、男女が生み出す性エネルギーを中心として、万物と一体となる場。このような祭りは、日々の中でどのように行われていたのでしょうか。

 

祭りに欠かせなかった「踊り」は、「雄取り」「雄捕り」から来た語という説があります。

 

原始の人間には、動物と同じく性周期があり、それに従って性交の時期も決まっていたと思われる。その証拠が月経で、月経を巡って女たちの生理は躍動し、それを身振りにあらわして男性を挑発したのが舞踏(尻振り踊り)のはじまりとされる。

旧石器時代のスペインの壁画に、特殊な装いをして乳房を出した9人の女が、性器を勃起させた一人の男を取り巻いて、尻振りダンスで性の発情を誇示しているらしい情景がある。『日本婚姻史』(高郡逸枝著)

 

確かに、現代でも、満月・新月の時に赤ちゃんが生まれやすかったり、排卵や生理出血があったりと、命を宿す女の身体は月の満ち欠けと連動していると言われています。女の身体のリズム=月の満ち欠けと連動して祭りは行われていたのではないでしょうか。

画像はこちらからお借りしました

 

普段は、狩りなどを役割の中心にしている男集団子育てや採集を役割の中心にしている女集団に分かれて過ごしていたと思われますが、その男女が月の満ち欠け=女の性的欲求が最大限に高まるタイミングで顔を合わせる。女は男を挑発し、男はそれに応え、男女の和合エネルギーが全てを包摂する。

宇宙、自然や生物、そして、生体のリズムと一体となった祭りは、エネルギーが最大化する、男女が最も解放される場になる理由になりそうです。

なお、月の満ち欠けは、明治までの長い間、暦としても使われてきました。そこからも、月の満ち欠けは人々のリズムであったと言えそうですよね。

性も、婚姻も、宇宙、自然、生体のリズム、男女の役割、それらと密接に関連している。

そう考えると、様々なリズムと切り離れ、男女の役割を見失っている現代の男女関係や婚姻関係が、混迷し、行き詰まるのも当然なのかもしれません。

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2022年09月03日

集団における生命力の源である「祭り」とは?①~男女の性エネルギーが最大化する場

縄文時代は、激しい気候変動火山活動、さらに大陸からの病原菌、後期になると人口が増えて各集団の生存域が接触するという高い外圧の中にありましたが、どのようにして生き延びてきたのでしょうか。

その際、始原人類が過酷な状況の中を生き延びるべく獲得した同期回路・一体化回路は、集団の在り方とどのように連関していたのでしょうか。

 

 

縄文時代、集団の中心にあったのは「祭り」です。

祭りといっても、現代のように、年に1度の特別なイベントでも、発散のためにむやみに騒ぐような場でもありません。

生きていくために、自然をはじめとする万物と同期し、一体となる機会でもありましたが、何より、集団とは男女関係(婚姻関係)そのものであり、とにかく、男女の性エネルギーが最大化する場であったようです。

 

例えば、『日本婚姻史』(高郡逸枝著)には、縄文時代の「同じ火を囲み、同じ性を分け合っていた」という共食共婚性を引き継いでいる祭りがいくつも紹介されています。

 

美濃国郡上郡東村大字祖師野の氏神の秋祭りでは、村中の老若男女が夕刻から神殿に集まり、太鼓に合わせて輪をつくって乱舞した。それがすむと、人妻と処女の別なく、入り乱れて共婚神事を営んだというが、伝統の古さが窺われる。

 

トツギ祭りというのがある。その多くは大漁や豊年を祀って行う共婚神事であって、これはザコネ式や闇祭り式などがあり、個別的な好き嫌いを許さない共婚性を示しているが、帰着するところは、食と性に対する共産共有の意識を象徴した原始共同体的な祭りの一種であろうことは間違いがない。

 

大和国磯城郡纒向という所では、毎年旧正月10日に、網掛神事というのが行われた。田一反分の藁で男根の形をつくり(これをスサノオ神という)、同じ分量で女根をつくり(これを稲田姫神という)、神官氏子が立ち会って、トツギ神事を執行したというが、元は氏子同士が営んだものを、男女の性神に委託して象徴したものであろう。

 

祭りが、自然を祀って、お供え物や捧げ物(出土物から、何らかの儀式があり、お供え物をしていたことと見られています。)、歌、踊り、、、などで、恵みを与えてくれているものへお返しをする時でもあり、また、男女の性が解放され、新たな命を生み出す時でもあったことが窺い知れます。

同類と同期しあい、万物へとつながり、全てと一体となり、それらが集団の中、自然や宇宙の中を流れ、循環するという、これらの大きなエネルギーは、集団における生命力、活力となっていたに違いありません。

 

祭りでは、なぜ、このような大きな一体感が生まれるのでしょうか。一体感の中心にある強く惹き合う男女の性エネルギーはどのように生み出されているのでしょうか。

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2022年08月27日

集団の中心にあった“自然の摂理≒精霊観”とは?②~「何をどうしたら循環させられるのか」

前回記事では、縄文人が生命の摂理を循環であると認識していたのではないかと追求しました。
生死、男女の性などの「生命」を「循環」と捉えていたのなら、「何をどうしたら循環させられるのか」という意識が主軸になっていたのではないでしょうか。

 

■循環していった人々の祈りや叡智の結晶

「何をどうしたら循環させられるのか」という意識は出土物からもうかがうことができます。

 

・土偶

土偶は飾るためではなく、土偶に込められた霊魂を広くいろいろな場所に配布できるよう、壊され、一部をそれぞれ持ちかえり、廃屋になった住居の窪みやムラの各所に納めたり、自分の住居の中に埋めたりされていたのではないかと考えられています。

例えば、富山県八尾町長山遺跡の土偶の多くは頭部・腕・胸部・でん部・脚部を別々に作り、それらを組み合わせて一体の土偶を作っていますが、それぞれの破片は離れた場所から出土しています。

 

・地鎮祭

大地に埋めて循環させるという点では、現代に残る地鎮祭も同様と言えそうです。富山県大山町東黒牧上野遺跡では竪穴住居の柱穴から土偶が出土していたり、弥生時代になると高床式住居の地面から勾玉が発見されています。

大地の神を鎮めるための鎮物として、人々の祈りや叡智の結晶である土偶や勾玉を捧げていたのです。

 

・黒曜石

他にも、刃物や鏃等に使われていた黒曜石は、貴重なものにもかかわらず、自集団を超えて他集団に渡っていたこと分かっています。
伊豆諸島神津島、長野県和田峠、北海道白滝、日本海男鹿・隠岐、九州姫島・阿蘇山・腰岳など産出地はある程度限定されるのにも関わらず、隠岐産の黒曜石などは、中国地方、さらには、日本に止まらず朝鮮、さらにはウラジオストクやナホトカ周辺まで運ばれて使用されていたようです。

画像はこちらからお借りしました。

 

縄文時代、人々の中心にあったであろう祭りこの祭りも、「循環」のためだったとも考えられないでしょうか。
お供え物、捧げものに始まり、祈り、歌、踊り、、、など祭りにある人々の様々な行為を、恵みを与えてくれているものへのお返しだったと想像するのは、難しいことではありません。

 

画像はこちらからお借りしました。

 

■“自然の摂理≒精霊観”の中核にあった「循環」

「循環」は、現代人が持つ「私有」「所有」という観念と真逆のもの。
もし、縄文人が、家庭・社会・自然などの環境や、人々の肉体・精神など、至る所で行き詰まっている現在をみたら、「全ては循環している。自分のところに留めている(私有している)ものが一つでもあるのなら、上手くいかないのは当然。」と思うかもしれません。

縄文時代の“自然の摂理≒精霊観”の中核にあった「循環」という摂理。この最も根源的ともいえる「循環」という観念から、改めて、生死や男女、集団を捉えなおしてみたいと思います。

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2022年08月26日

集団の中心にあった“自然の摂理≒精霊観”とは?①~生命の根源にある摂理は「循環」

前回までの記事で、
・縄文時代の集団には、リーダー的存在はいなかった
・縄文時代は、現代のように、人(リーダー)が集団の統合軸ではなく、生死など自然の摂理そのものが統合軸であったと追求してきました。

 

では、縄文人の“自然の摂理≒精霊観”とは、どのようなものなのでしょうか?
捉えた摂理は様々あると思われますが、中心になるようなものはあったのでしょうか?

 

■縄文人の“自然の摂理≒精霊観”とは?

縄文時代の思想を現していると考えられるものから捉えてみたいと思います。
例えば…

・土偶

女性や妊婦を模っているように見えるものが多く、安産や豊穣への祈りが込められて作られていたのではないか。また、何らかの女神信仰があり、それを具現化したものではないかと考えられています。女性は生命を宿し産み出す存在であり、生命エネルギーの塊のように捉えていたのかもしれません。なお、土偶は、飾られるためというより、壊され配布されていた可能性が高いようです。

 

・土器

画像はこちらからお借りしました。

縄文土器の特徴は、縄文後期などが明確ですが、日常用とは思えない、男や女、妊婦、蛇や梟、縄や渦巻きなどの繊細なモチーフが装飾されていることです。男と女はもちろん、蛇や梟、縄、渦巻きなどは性や生命エネルギーを現すモチーフ。単なる器ではなく、生命の誕生や再生への祈りを表現したものと考えられています。

 

・月・蛇
月と蛇は、生命力と生命の源である水を司るもの。また、28日ごとに消滅し、再び新月として蘇る月と、脱皮と冬眠を繰り返しながら甦る蛇を再生の象徴と捉えていたようです。同じく女性の子宮は生命の源であり、月から与えられる水は、蛇によって子宮に運ばれ、生命を育むとも考えられていました。

 

・縄
縄目が土器の表面を飾っていることからも、縄文時代にはすでに発明されていたと考えられており、とめどない生死の交替の中で、死は終わりではない、生死は縄目のように終わりなく循環するという考えがあったようです。また、男女の性的結合の象徴としても祀られていました。
出雲大社などのように縄が祀られている場所や、木や岩などの信仰物に対してしめ縄(七五三縄)が掛けられたりと、今もなお残っています。

 

・ストーンサークル・ウッドサークル

画像はこちらからお借りしました。

縄文後期の遺跡からは、細長い石または木柱を横に放射状に並べられた広場が多く発見されており、集団規模が大きくなった縄文人たちの生死を中心とした祭りの場であったのではないかと考えられています。なお、中心部にある石柱は男女の性的結合の象徴とも言われています。環状集落などの構造もあわせて考えると、縄文人の世界観は、北/南、山/海のような直線的な二元論ではなく、螺旋を彷彿とさせる円環的で同心円状だったといえます。

 

土偶、土器、月・蛇、縄、円形…など様々な具象物の奥に「生や死」「男女の性」、そして、生死は縄目のように終わりなく循環するといった「命はめぐる」という摂理を感じていたようです。
あらゆるものの生命が、自分たちにとって恵みを与えてくれるものでもあり、また、畏れをもたらすものでもあり、自分たちを超えた存在。

そして、「自分たちもそれら全ての中の一部」「与えてもらった自分たちの命もまた、めぐっていく」ということも、縄文人にとって自然の理だったうです。

 

「循環」が、生命の根源にある摂理であると認識していたことは、出土物からも分かるんです。次の記事では発見された物から迫ってみたいと思います!

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2022年08月21日

縄文時代はどのようにして集団が統合されていたのか?②

(画像はコチラからお借りしました)

 

 

前回のブログでは、縄文時代には現代に見られるようなリーダーとしての役割存在はいなかったのではないか?について扱ってきました。

今回も引き続き、同じテーマについて深めていきたいと思います。

 

役割があったかどうかの視点に続き、縄文時代の集落における生活の様子から何か抽出できるポイントがあるでしょうか。

 

前回引用した岡村さんの記事の別の記述を見てみます。


>旧石器時代に遊動生活をしていた人間たちは、地球環境の変化にともなって、次第に定住生活へと移行し、縄文時代のころには数多くの村が生まれました。縄文時代のモデル村、通常の村の形は円形、環状の村です。

集落の真ん中には広場があり、その中心には墓地がありました。広場を囲むようにして、縄文人の住処である竪穴住居が配置され、そのさらに外側にゴミ捨て場や、食べ物を貯蔵する穴がつくられていたんです。

縄文時代の墓地というのは、共同体における精神的な拠りどころだったんです。

縄文人の生活が現代人の生活と違って特徴的なのは、霊的な存在を共同体の中心に据えつつも、ムラとして組織化された実社会のなかでは、中心となるようなボスや偶像を置かなかったという点です。

共同体の真ん中に権力を置かないことで、みんなが等距離にある状態をあえてつくりだしていたと考えられます。心理学的にいうと『中空の原理』ですね。


 

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2022年08月20日

縄文時代はどのようにして集団が統合されていたのか①

(画像はコチラからお借りしました)

 

近年、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されたりと、世の中的に縄文文化が注目されているようです。

 

本ブログでも、前回から縄文を題材に追求テーマを発掘していますが、今回はその中で、

●縄文人の精霊感とは?

⇒原始集団の集団統合って?縄文にリーダーはいたのか?

について掘り下げてみたいと思います。

 

現代社会と当時で集団構造はどう違ったのか?1万年以上も続いた社会性から、我々は何を学び取ることができるでしょうか。

 

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