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2015年03月05日

日本人の家族観 変化する意識・変化しない制度

●強固な日本の家族制度

現在、結婚後に夫婦が違う姓を名乗る「夫婦別姓」は法制度として認められていません。“夫婦別姓は違憲でない”という判決が、東京地裁によって2014年に下されたばかりでです。

婚外子の出生割合については、日本は2パーセントほどで、アメリカでは40パーセント、北欧やフランスでは50パーセント以上あり、日本の低さは際立っています。また民法は、婚外子の相続分は婚内子の半分と定められています。

1980年代にDINKs(ダブルインカムノーキッズ)という言葉が流行しましたが、実態としては結婚した夫婦の多くには子どもがいます。子どもを持たない、と選択する夫婦は少ないといえます。

また現在、4組に1組の結婚が、結婚前に妊娠しその結果を受けて結婚するという、いわゆる「できちゃった婚」です。日本の男女の多くが、「子どもを持つことは結婚によってのみ可能である」と考えていますし、結婚する唯一の理由が「子どもを持つため」と考える男女も少なくありません。

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2015年02月27日

シェアハウスは住まい方の本源回帰か?(集団と住まいの歴史)

近年、住まい方の潮流で「シェアルーム」や「シェアハウス」が注目されています。
しかし、近世までの古い集落や民家群、町屋・長屋群などを見ると、群的、共用・共有的であるのが通常で、一戸の家が単独的でないほうが一般的なのです。つまり、人々の住まいは元々共有的・シェアハウス的なもでした。そのように考えると、住まい方の新しい潮流とは、本源回帰とも言えるのではないでしょうか?

そこで、本ブログ「共同対社会と人類婚姻史」というテーマから、今回は住まいの歴史を長いスパンで見ていきたいと思います。
※集団と住まいとの関係を歴史的は、生産様式(生産体制)、婚姻様式、集団統合体制と密接に関連します。

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2015年02月26日

高齢者が先導する新たな共同体!~シリーズ11:地域共同体構想の実現基盤と実現手法 その7~地域共同体構想まとめ

こんにちは。 今回は、これまでの記事のまとめとして地域共同体構想を書いています。 ●実現の時代

■潮流の先端 リンク

・私権の終焉⇒本源収束(未知収束⇒集団収束⇒共認収束) 2002年、世界的な供給過剰はついに私権秩序の終焉を迎え、「もはや遊んでいる場合ではない」と現実の場における課題・役割欠乏が生起し、共認収束の潮流が顕在化した。

と同時に、自然志向や節約志向といった脱市場の価値観、生活が顕在化した。 私権秩序にしがみつくしかないお上がなりふり構わず暴走を続け、危機感の上昇とともに、命を守る・地域を守るというような集団収束へ向かい始めた。

そして2013年末の不正選挙により秩序崩壊の危機は決定的となり、人々は「もはやお上にまかせておけない」と自給志向・自考志向が上昇し、さらには「何かやりたい」という志が生起し、地域活動などがさらに加速することとなった。

今後さらに秩序崩壊が進むほどに社会収束が強まり、未知なる社会を把握しようと追求欠乏が高まり認識収束していくことは間違いないだろう。

このように、共認回路上の欠乏(共認収束)から、本能レベルでの集団収束、適応回路上の未知収束へと、人々の意識は根底へと深く根を下ろしつつあり、この潮流は止まらない。

 

■運動論 人々の課題収束、自考志向の先が、まず命を守る⇒地域を守る⇒社会を守る、といった順になるのは、身近な消費生活過程ほど可能性が高いからであり、まずは「地域を守る」に向かう。

秩序崩壊の危機に伴い、企業も生き残りに必死であり、舵取りの見直しを迫られている。

しかし追求力の時代に入った以上、企業の共同体化は必死で、すでに企業の3割くらいは共同体化に向かいつつあるのが現状である。

社会統合の要は国家であり、いきなり「国家・社会を変える」のは困難であるが、しかし、命に関わる健康・医療・原発などをはじめとした事実認識は秩序崩壊の危機を直撃し、社会収束に直結する問題である。

原発事故を契機に、とりわけ2013年の不正選挙以降は、もはや本源収束を突き抜けて秩序崩壊の危機⇒社会収束が一気に加速している。とすれば、すでに秩序崩壊⇒未知収束が作動し始めた以上、地域も企業も社会も同時一体的に共同体化していくものと思われる。

だからこそ、秩序崩壊の危機を生起させる事実認識(ミニ新聞や宅配NW)の共有~追及共認の形成が運動論としての可能性として浮上する。

 

●企業も地域も社会も同時一体で共同体化

脱市場の潮流も2012年までは自然志向・健康志向止まりであり、また共認収束の潮流も課題収束までであったが、2013年不正選挙を契機とし、共認収束を突き抜けて社会収束→未知収束が全面に出てきた。

共認→集団→未知収束と、本源回帰はより深く根を下ろしつつある。

命を守る、地域を守る、社会を守るといった志のもと、消費者や有権者のNW化が出来ていくことで、自分たちで形成していく新たな共同体社会の実現となり、NWにおける共認形成の軸となるのが事実認識を中心としたミニ新聞であり、共認関係の場が宅配NWによって拡大していき、その宅配事業の主力を担うのが、志をもった老人や主婦となる、、、

追求力の時代、追求闘争こそが現代の闘争の本場であり、追求関係を統合するミニ新聞⇒宅配NWの拡大闘争こそが最先端の課題となる。

 

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2015年02月17日

地域づくりの事例に学ぶ~全国に広がる「地域の茶の間」、その思い

前回紹介した「地域の茶の間」ですが、創設者の河田氏のインタビュー記事がありましたので、紹介します。
全国30,000のコミュニティカフェの先駆けで、お手本として注目されている「地域の茶の間~うちの実家」ですが、
一体どのような思いから始め、どのような志をお持ちなのでしょうか。

 

いくつかのポイントを挙げると、
・現在、地域で一番足りなくなっているのは、隣近所同士の絆
隣近所同士で何かあったときに「ちょっと助けに来て」って言えるような関係性を再構築していく時期

・人を放っておけないとか、これは見過ごせないってところに自分の生きがいや存在などを重ね合わせて動き始める

・肩肘張って組織を作って何かしようってことではなくて、誰かの何かしてほしいという呟きとかを形にしてきただけ。

・人が切望するもの、本当に必要なもので、いろんな人が共感するものであれば、皆が協力してくれる

・制度の枠外の部分で「市民だから」「家族だから」「友人だから」「知人だから」という関係性の中で助け合う

・一番大事にしているのは、参加される方が主役ってところ、、、

 

地域活動の原点なんでしょうね。
組織を作って、さあ始めるぞ~というような形ではなくて、
誰かが必要としていることに真摯に応えていくことで、自然と同じような思いを共有する人が集まってくる。
そして、みんなで力を合わせて、ひとつずつ形になり、大きな輪になっていく。
このようにして出来た地域の繋がりは、きっと代々と受け継がれていくんだろうなと感じます。

 

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「地域づくりの広場」より
今回は、新潟市の住民参加型の在宅介護の助け合い「まごころヘルプ」の創設者であり、空き家を活用した交流拠点「うちの実家」の運営に携わりながら、地域の福祉の質の向上のために人材育成や研修、講演活動を続けている河田珪子さん(新潟市在住)にお話を伺いました。

インタビュアー:
「うちの実家」代表、支え合いの仕組みづくりアドバイザー 河田 珪子さん「うちの実家」は前身の「地域の茶の間」の毎日型・常設型とのことですが、「地域の茶の間」を始めたきっかけなどを教えてください。
河田さん:
「まごころヘルプ」という有償の助け合い活動を行っていたとき、ひとり暮らしのお年寄りや、小さい子どもを抱えているお母さん、退院して間もない方など、とにかく誰かと話をしたい、話を聞いてもらいたいという想いがある人がたくさんいらしたので、歩いて行ける範囲に誰でも集まれる茶の間のようなところがあったらどんなに良いだろうって思っていました。
そして、近所の敬老会に呼んでもらってお話をさせてもらったときに、集まっていた人たちといつも自分が訪問していたお年寄たちが重なって見えて、思わず「第3日曜日に私の家を開放します」って言ってしまったんです。そうしたら自治会長さんが「こんなにたくさんの人では入りきれないでしょうから、自治会館を使ったら良いですよ」と言ってくださったのが始まりです。 


インタビュアー:
誰かの協力を得ながら始めていこうと考えたのでしょうか。
河田さん:
思い付きのように言い出したことがきっかけで、誰かの協力があるからやり始めたわけではありません。初回は誰も来てくれないかもしれないと思っていたところ、自治会長さんが回覧板で周知してくださったので50人も集まってくれました。主人がゴザを引いてくれていたら、それを見ていたお年寄りたちを送りに来ていたご家族が手伝い始めてくれましたね。
そして、「地域の茶の間」に来ていたお年寄りが、「このまま帰らないでここに泊まりたいね」って言い出したときに、「じゃあ泊まれるところを作ろうか」ってことですぐに空き家を借りてできたのが「うちの実家」なんです。
肩肘張って組織を作って何かしようってことではなくて、ニーズというか、誰かの何かしてほしいという呟きとかを形にしてきただけで、まず誰かに手伝ってくださいとか皆が手伝うから一緒にやりましょうとか言わなくても、自然に協力者ができていったんです。
 

インタビュアー:
協力者が増えていったのは河田さんの人柄もあると思います。
河田さん:
そう言ってくれる方もいますが、そうではないんです。

人が切望するもの、本当に必要なもので、いろんな人が共感するものであれば、皆が協力してくれると思うんです。協力というより、皆で一緒に楽しくやってるって感じですね。 

インタビュアー:
「うちの実家」の運営など、河田さんの活動は行政に頼らない姿勢が感じられます。
河田さん:
頑なに頼らないってことではないんですよ。
私は新潟に来る前は、大阪府立の特別養護老人ホームで仕事をしていました。(※河田さんは平成元年に親の介護のために仕事を辞め、大阪から新潟に帰ってきました。)その頃は、人の暮しの中には制度の枠からはみ出した部分がたくさんあるのに、その部分に対して何もできないつらさを強く感じていました。だから新潟に来てからは、制度の枠外の部分で「市民だから」「家族だから」「友人だから」「知人だから」という関係性の中で助け合うことに徹してみようと思っているんです。
新潟に来た頃は、スウェーデンのような先進的な福祉を行政がやるべきだと言われていた時代でしたが、それはちょっと違うんじゃないかっていうのが私の気持ちでした。行政サービスで必要なことはきっちりされるべきですが、全ては無理だと思うんですね。だから、行政がやれない隙間には、私たち自身が皆で優しい気持ちをちょっとづつ出し合えば解決できることがたくさんあるので、行政とともにひとつの幸せを作るという目的の下に歩いて行けば、必ずうまく行くものだと思っています。
 


インタビュアー:
活動において苦心されてきたことはどんなことでしょうか。
河田さん:
新潟で「まごころヘルプ」を作った平成2年頃は、現在のようなヘルパー養成等の研修体制がなかったので、大阪府が私を育ててくれたように、今度は自分と関わる人たちが勉強できる機会を私が作れたらいいなと思って、「まごころヘルプ」の活動をする会員向けの研修を行いました。
「まごころヘルプ」はボランティア活動ですが、現場の体験を理論付けしながら成長していくための研修を行いました。また、やっていることの意味を理解し、誇りを持って活動できるように、「人の家庭に入る」「人の生き方に係わる」ことの重要性等を認識するための研修を行いました。
 


インタビュアー:
「うちの実家」の運営で苦労していることはありますか。
河田さん:
ないんですよね。
お金の面も参加費と年会費でうまく回ってます。人が来て居心地の良い場所、また来たいと思う場所を作るっていう以上の目的はないから、贅沢もしませんし。
あと、一番大事にしているのは、参加される方が主役ってところですね。お客様扱いはしませんけど(笑)。
 


インタビュアー:
「うちの実家」は地域と支え合う良い関係ができてきて、少しづつ認知されてきているようですね。
河田さん:
「うちの実家」は最初に地域に回覧板を回すことから始めました。どういう目的で何をしたいところなのかってことを理解してもらって、自由に中を見てもらいました。地域の宝になろうっていう考えを大事にしてきて、ようやく地域の方から「うちの実家」があって良かったと言ってもらえるようになりつつあります。
現在、地域で一番足りなくなっているのは、隣近所同士の絆だと思うんです。ですから、たとえば地域内の道路なんかは複合施設の中の廊下だと思うようにしています。今、公的な制度や「まごころヘルプ」のようなインフォーマルな仕組みと組み合わせてもまだ足りなくて、隣近所同士で何かあったときに「ちょっと助けに来て」って言えるような関係性を再構築していく時期に入っているので、「うちの実家」もそれをやり始めているんです。昔のようにベタベタした関係、プライバシーを侵すような関係ではない隣近所との関係性を地域に作っていく、複合施設の廊下なんて考えが必要なかった人たちも含めて、この地域で生きて死にたいって思えるまちづくりをする時代に入ってきていると思います。
 


インタビュアー:
「うちの実家」がその起点になっていきますね。
河田さん:
起点というのは難しいですが、少し前に石山地区公民館と共同で行った研修で、支え合える地域ができそうな手応えを感じました。
「うちの実家」は、地域のどういう役に立っていけるか、また優しさとか方法論などを地域全体に広げていくにはどうするのかと考えるところに入ってきてるんですね。こうだったら良いなっていうものを具体的な形にしていくのは可能だと信じて、それを皆と楽しんでやっていこうと思っています。
 


インタビュアー:
ホームページを閲覧している地域づくりを志している人へのメッセージをお願いします。
河田さん:
何かを始めるときっていうのは、人を放っておけないとか、これは見過ごせないってところに自分の生きがいや存在などを重ね合わせて動き始めるはずですが、活動している間に「こんなにしてあげてるのに何で分かってくれないの」とか、「これはそもそも行政がやるべきだ」って気持ちになることがあると思うんですね。駄目になってしまう活動というのは、自分は一生懸命やってるつもりだけど、いつのまにか最初の原点を忘れてしまっているのではないかなって気がします。
活動が20年間継続しているのは、私自身が一番嬉しいと思うところにいつも軸足を置いてるからかもしれませんね。いろんな人たちと知り合えて仲間もできて、「良いことしたかな」なんて気分にさせてもらえることが一番嬉しいんです。そういうことを忘れないようにしていけば、活動は継続すると思います。
 


○「地域の茶の間」について
子どもからお年寄りまで、障害の有無を問わず、誰でも好きな時に立ち寄って好きなことをし、誰が来ても「あの人、だれ?」という目で見ない、エプロンは台所以外ではしない、といった決まりごとの下、「お世話する人・される人」という関係をなくし、誰もが生涯現役でいられることを理念に掲げている。同様なシステムは県内だけでなく、全国にも広がりつつある。
 

 

 

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2015年02月13日

【女主導の原理と現代への適応】母系社会の適応原理

女主導の原理を探る上で、改めて押さえておきたいたい点が、母系社会の在り方。
今回は、現代にも残っている母系民族から「女主導の原理」の具体的な中身をみていきたいと思います。

『生命の根源は女。母系社会をめざせ』(リンク)より
中国の少数民族、モソ族は1500年以上前から四川省南部の辺境で暮らしてきた人口約5万の民族で、現存する世界最後の母系社会といわれています。
この母系大家族制度は、祖母が家庭の中心で、一族の資産を管理します(家長と財産は、代々女性に引き継がれていきます)。家族全員が祖母の血を引き、結婚という制度をとらず、男は、妻を娶らず、女は嫁がず(お嫁にいかず)、生まれた家で、母親、兄弟、姉妹と、生涯を一緒に暮らす女の国です。
モソの風景
■四川省南部の風景

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2015年02月12日

地域づくりの事例に学ぶ~全国に広がる「地域の茶の間」

地域コミュニティの事例を調べていたら、新潟市にある「地域の茶の間・うちの実家」に行き着いた。
全国に30,000箇所はあると言われているコミュニティカフェの先駆けとして注目されており、
今なお全国に広がりをみせつつある「地域の茶の間」について紹介してみたい。リンク

 

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■□■活動のきっかけ・経緯
・代表者の河田さんは、大阪で特養に勤務ののちに義父母介護のために新潟に帰郷し、会員制で有償による市民相互の助け合いの住民参加型の在宅福祉サービス「まごころヘルプ」を1990年に設立した。しかし、活動するなかで家族といても孤独な高齢者が多いことに気づき、子どもからお年寄りまで1時間でも1日でもいられ更に泊まることができるところが必要と感じ、「地域の茶の間」を開催した。

・活動は、1997年7 月から地域の山二ツ会館で毎月1回第3日曜日に「地域の茶の間」を開催したことから始まり、やがて新潟県の長期総合計画で県内各地に広がった。その後、地域外の参加者が増えたことや、参加者のいつでも利用したいなど新たなニーズを受けて、発展的にこれを解消して、2001年3月に常設型の「うちの実家」を任意団体として設立した。2003年3月には空き家を借りて整備し、オープンな憩いの場所として利用されており、公的援助無しで採算の合う運営がされている。

・現在、河田さんは、「うちの実家」を代表として運営すると共に、同様の居場所作りやコミュニティカフェなどの普及のために全国でセミナーや講演の講師として積極的に推進活動を行っている。 またこの「うちの実家」は全国に30,000 箇所あると言われているコミュニティカフェの先駆けとして、その手法を学ぼうと、全国の福祉や地域活性化を担う関係者の視察が訪れる注目の場所となっている。

 

■□■活動内容
・誰かに会いたい、誰かと話したい、誰かと一緒にお茶を飲みたい、行くところが欲しいと言う人々の願いに応えた常設型の地域の茶の間で、子どもからお年寄り、障がいの有無に関わらず、誰でも、いつ来ても、いつ帰ってもいい居場所で、男性の参加者や外国から来て日本に暮らす親子もいる。

・この場所ではみんなで行う特別なプログラムはなく、何をしてもいい。得意なことや、やりたいことをする、何もしなくてもいい。参加者が自分の実家ですごすように、思い思いの時間を過ごす。いろいろな人がお互い様の関係の中で一緒の時間を過ごすことで、相手の不自由さを知り、いつの間にか自然に助け合うようになっている。

・利用できる日は、火・金曜日と第1・第2土曜日の 10~15 時。実家のように泊まることも出来る。
・利用料金は、参加費が1日300 円、食事が300円、宿泊が2,000 円(光熱費、リネン洗濯代)、会員の年会費は2,000 円である。

 

■□■ポイント・工夫している点
■運営経費の収支状況
・参加者からは会員会費とその都度参加費や食事代を頂き、バザー、寄付、で運営し当番1名のみ小額有償して、参加者が出来ることを当たり前に助け合っており、ぎりぎりだが赤字は出していない

■地元自治会の協力を得る
・設立時は、地元自治会の協力を得て自治会に入り回覧板で周知した、バザー・除雪・庭木の手入れ・来客時に近所の家などの空き駐車場を借りるなど地域の協力を得ており、正式に自治会に入り会費を払って日常回覧板やゴミ当番にも対応し実施している。

■地元の小学校の子供たちも利用
地元の小学校の子供たちが授業の一貫として訪れたり、夏休みなどに誘い合って遊びに来ている。
研修、視察なども多く、その説明はうちの実家の参加者の活躍の場ともなっている。
・みんなの決まりごとがあり、利用者が上下関係なく和やかに静かに過ごせるようにしている。

■「夜の茶の間」として異業種交流の場に利用
・金曜日の夜は、「夜の茶の間」として異業種交流の場にしており、会社員、公務員、医者、社会福祉協議会、NPO、事業者、自治会、民生委員等々誰でも参加できる。この日のみ名刺交換があり、情報交換の場になっている。

■多様なネットワークを活かしたイベント利用
・個々のネットワークとしての活用だけでなく、この多様なネットワークを活かして講演会なども企画実施している。
・石山地区公民館、東区社会福祉協議会、地元コミュニテイ協議会、およびうちの実家が毎年共催している講座では、地域住民を対象に、不便な家でも暮らせるように、実践的な実技研修をバリアだらけのうちの実家の中で行っている。

男性のグループも継続して活動
・男性の料理教室に通っていたグループ(八浪会)から年3回食事作りを担当してもらっている。
退職者の男性たちが立ち上げた農園「にいがた・夢農園」の連絡場所として活用してもらうと同時に昼食食材の野菜を届けてもらっている。

災害時の避難所として利用
・7.13 水害の時(2004年7月)は、避難所にいた 5 人の要介護者の9日間の生活の場となった。
また、中越地震(2007年7月)の際は、川口町の仮設住宅に暮らしている人の実家として活用された。

■部屋の貸出など広く利用
・要望に応じて、町内会役員会や、生き辛さを感じている人達のグループに部屋の貸し出しや、知的障がい者作業所や精神障がい者作業所の焙煎コーヒー、トイレットペーパー、豆腐などを日常的に使用している。

 

■□■課題と今後の展開
・課題は特にないが、今は新潟市でも施策として取り組み、歩いていける範囲に「地域の茶の間」が出来てきているところから、うちの実家の継続に固執する必要はなくなってきている。
・居場所づくりを目的にするだけでなく、お互いの不自由を知り、できることを進んでやり、自然に助け合いがなされる地域づくりが大切だと考えている。そして自ら「助けて!」といえる地域づくりにつながることを願っている。

 

 

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2015年01月26日

高齢者が先導する新たな共同体!~シリーズ10:地域共同体構想の実現基盤と実現手法 その6~社会形成=共認関係の形成

前回の続きです。

>人々を結びつけて社会を成り立たせている本体は観念共認である。
人類は観念共認によって社会を形成したが、社会(交流・関係)が拡がるほどに観念収束~観念追求の必要が上昇し、進化が早くなる。リンク

 ■対象世界の拡がり⇔観念力の上昇 
現在は実現に時代=追求の時代。
追求(追求力)なしに生きていけない時代に入った。
社会が拡がるほどに観念追求の進化が早くなるとは、どういうことか。

対象世界、関係世界が拡がるということは、すなわち未明世界(未知課題)が拡がるということ。
国家や社会という超集団を対象に追求すること、それ自体が未明世界である。
加えて現在の国家は秩序崩壊の危機にあり、不整合感は増大する一方である。
つまり、社会収束すればするほどに、観念力の上昇は不可欠となる。

しかし元々、生存の危機下において、全面的な外圧(未知世界)を注視し続けた果てに形成されたのが人類固有の観念回路であり、
対象世界が拡がり、未知なる外圧が大きくなれば観念力が上昇していくのは必然である。
対象世界が拡がることで観念力が上昇し、また観念力が上昇することにより対象世界が拡がり、追求力が上昇していく。

 ■社会形成=共認関係の形成 
現在の社会収束と観念収束の関係はどうなっているだろうか。

・人類500万の歴史のうち99%は単一集団の世界であり、人類が贈与関係を皮切りに社会形成に入ったのはわずか1万年前である。
・観念機能に先端収束した人類が、社会形成に向かうのは必然である。
・社会を成り立たせているのが観念共認であるから、同類闘争集団たる人類が観念収束に向かうのは必然である。
・私権の終焉により脱物化した人類は、一段と観念収束を強め、観念統合を強めていく。
・観念力の上昇は対象世界の拡大と一体なので、観念力は社会収束と一体に上昇していく。
・要するに、脱物化した人類は、本格的な社会形成の時代に入った。
社会形成の時代
社会形成の本体は観念共認であり、その中身は追求関係(共認関係)の形成にある。
これからの社会形成は、追求力・観念力を武器とする集団(新事業群)が、
これまでの交換関係・取引関係を追求関係・共認関係に移行させ、さらにネットワークを形成することによって進んでいく。
つまり、本源社会の社会関係は、交換関係を下敷きにした追求(共認)関係が主力となり、その本体が観念共認である。

 

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2015年01月20日

高齢者が先導する新たな共同体!~シリーズ9:地域共同体構想の実現基盤と実現手法 その5~社会形成

前回の続きです。

>そして2013年の不正選挙、もはやお上にまかせてはいられないと、自給・自考志向~未知への追求欠乏が生起しました。
ついに社会収束⇒「社会形成の試み」の段階に入ったといえます。
>次回は、地域共同体を担う生産主体と、新認識の共認形成手法について具体的に扱う予定です。リンク

地域共同体の建設に向けての具体的な運動論の前に、まだまだ検討しておく課題があります。
そもそも「社会形成」とはどういうことなのか、これまでどのように行われてきたのか、地域共同体とは何なのか、、、
ということで、もう少し基本の社会構造について確認します。

■社会はどのように形成されてきたか
1.最初は、共同体相互の定期的な贈与関係から始まった。
生活必需品の物々交換が市場の起源であるという話など、真っ赤な嘘である。
(参照:超国家・超市場論9 私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である

2.7000年前頃、遊牧集団が農耕集団との間で定期的な取引関係を形成、武装化を強めていく。

3.6000年前頃 人口の増大による同類闘争の緊張圧力が上昇。乾燥による飢餓から略奪闘争が始まる。
(参照:5500年前、イラン高原で最初の戦争(略奪闘争)が勃発
(参照:交易によって何が変わったのか?

4.略奪闘争の結果、力の序列共認⇒身分序列で統合された国家が成立した。
国家を統合する為には、身分序列の共認をはじめとする法制共認が不可欠であり、
統合軸が、力を背景にした観念共認に移行し、文字が生み出された。
しかし、法制共認だけでは収奪に苦しむ民衆を統合し切れず、救いに応える宗教共認が不可欠になる。

5.500年前頃、交易・金融集団(金貸し)が資力と情報を武器に境界や国家を支配し(国家から収奪する仕組みを構築し)、十字軍遠征や大航海を通じて莫大な富を蓄積していく。
(参照:金貸しの存在基盤は国家からの収奪。そのための支配戦略が戦争・革命と共認支配

6.100年前頃、豊かさ期待に応える工業の発展と共に市場が拡大し、企業と取引関係が普遍化する。
あたかも取引関係が社会を覆い尽くしているように見えるが、市場とは別に国家も共同体も残存する。
しかし、国家は金貸しに支配され、共同体は収奪され、家族は市場に依存するだけの存在に成り果てた。
(参照:大衆の期待の変化に応じて統合力も変わってゆく

 

■社会形成の本体
概ねこのような流れで社会が形成されてきた。

関係形成に着目すれば、
・古代    :飢え・戦争を背景とした支配関係
・市場の時代 :物的欠乏を背景とした交換関係、取引関係
・脱市場の現在:期待・応望を母体とした共認関係 であり、
社会を形成してきたものは、集団間の交換・取引関係の形成、序列共認の形成、観念共認の形成の3つである。
序列共認は法制共認が不可欠であり、交換・取引関係は観念共認無しには成立しないことから、
関係形成の主力が何であれ、人々を結びつけて社会を成り立たせている本体は観念共認である。
例えば、学校(教育)は国家が法制共認を確立・浸透させる機関であり、新聞は共認支配のために作られた。
つまり、観念共認なしには社会は成立しない。

観念共認によって社会を形成したのは人類だけであり、人類が観念収束によって統合されるのは必然である。
そして、秩序崩壊の危機感とともに、今後ますます観念収束を強めていく。
私権時代は、「反」発、「否定」発の架空観念(宗教や近代思想)に収束したが、本源社会では可能性収束に基づく事実認識に収束する。
事実認識こそが実現基盤を発掘できる。
かつ、本源社会では多かれ少なかれ誰もが追求者となり、現在すでに追求なしに生きていけない時代に入った。
人類は観念共認によって社会を形成したが、社会(交流・関係)が拡がるほどに観念収束~観念追及の必要が上昇し、進化が早くなる。
従って、今後の本源社会では社会意識が上昇していくのは間違いない。
以上が、社会形成の実現基盤である。

 

 

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2015年01月15日

【女主導の原理と現代への適応】女性原理こそが21世紀の文明を作る(2)

前回に引き続き、上洋子さんの著作『女神の時代』を紹介します。

これまでの考古学は、人類の歴史はせいぜい約6000年前から5000年前の文明から始まっているとされていました。そして、旧石器時代と新石器時代については、人類は非常に厳しい自然と戦いながら食料を求めて地上をさ迷い歩いていた、というのがこれまでのイメージでした。

しかし今や、考古学は貧しき石器時代というイメージをがらりと変え、豊かな石器時代というイメージへと見直しつつあるのです。
旧石器時代と新石器時代は、平和で女性的なるものが、すべてを包み込んでいた世界でした。それは、アフリカのサハラ砂漠の岩絵から、フランスのラスコーの洞窟、東ヨーロッパ、トルコのアナトリア、インド、そして東南アジアから、日本の縄文文化にいたるまで共通しています。石器時代は、宗教から芸術にいたるまで、あらゆるものに女神の存在が表現され、女神的世界であり、人生のテーマは、生きる喜びと再生だったのです。

遺跡女神画像

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2015年01月13日

高齢者が先導する新たな共同体!~シリーズ8:地域共同体構想の実現基盤と実現手法 その4~地域活動の現状と課題

こんにちは!
前回は「潮流の先端」として、秩序崩壊→「命を守る、地域を守る、社会を守る」といった潮流について述べました。今回は、地域活動の現状と課題について扱います。

 

■地域活動の現在
前回記事にて確認したように様々な地域活動などがすでに各所で行われてはいますが、その活動が大きく社会全体に広がり、社会が良い方向へと変わっていく気がしないのは何故でしょうか。

現在拡がりを見せているのは、自らの命さえ守ることができれば、、、自分たちの地域さえ守ることができれば、、、などという狭い了見での活動ではないはずで、ゆくゆくは活動の延長として社会全体を新しく作り変えていくことこそ、本来の実現の目指すところだろうと思われます。

地域を超えて社会全体へと拡がっていくには、集団の壁、社会統合の壁がありそうです。
地域集団単位では何らかの活動が実現したとしても、地域集団を超えてネットワークを形成する、あるいは社会全体に広くネットワーク化する際の壁、つまり社会統合化の壁があります。

歴史を遡ってみると、古代国家が登場するまでは各地の村落共同体単位での集団が自立的に存在するのみで、その集団間はゆるやかなネットワークで繋がっている関係でした。地域集団を超えて新たに国家統合していくためには、統合のための共通観念(法律、制度、などの仕組みや、その為の統合理論)が必要でした。

これは現在についても同じことが言えます。
命を守る、地域を守る、社会を守るといった様々な活動(志)の先に、どのような社会を築いていくのか、それは未知なる課題ゆえに、これまでの歴史事実を踏まえた上での確かな認識(統合理論)が必要となってきます。
では、現在における社会統合理論(新認識)はどのように位置にあるのでしょうか。

 

■実現の時代
現在は、実現の時代(=追求力の時代)です。
自由な可能性を封じ込めてきた私権秩序が崩壊し、本源的な主体意識が一気に噴出し始め、至る所で実現可能性が開かれる時代となりました。

時代を振り返ってみると、
◆1990年 バブル崩壊は、自然回帰・健康志向・節約志向という潮流を生み出しました。これは、脱市場⇒「自然再生の試み」であると考えられます。
◆2002年 収束不全(私権の終焉)は、本源回帰の大潮流を生み出し、保育・介護といった人の役に立つ仕事が注目を集めました。これは、核家族の矛盾・限界⇒「集団再生の試み」であると考えられます。
◆そして2013年の不正選挙、もはやお上にまかせてはいられないと、自給・自考志向~未知への追求欠乏が生起しました。ついに社会収束⇒「社会形成の試み」の段階に入ったといえます。

「自然再生の試み」=命を守る、「集団再生の試み」=地域を守る、「社会形成の試み」=社会を守る。
このような志、活動の成否を分けるのが、新認識であり、そのための追求力です。
地域活動をはじめ、現在様々な活動が行われていますが、一向にまとまっていく気配がないのは、この新認識(統合理論)および追求力の欠如だといえます。

 

その1図解

 

秩序崩壊⇒地域を守る・社会を守る(地域共同体の建設)⇒(その為に)世界を掴む
地域共同体の形成は、もはや時代の必然の流れともいえますが、どのように認識力を吸収し、追求力を獲得していくか、さらには新認識の共認形成をいかに諮り広めていくかがもっとも必要な課題となります。

次回は、地域共同体を担う生産主体と、新認識の共認形成手法について具体的に扱う予定です。

 

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