2010年01月01日
年始挨拶~日本語の凄さ~
皆様、明けましておめでとうございます。
本年も当ブログをご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
正月のモルゲンロートの富士 Demianさんの旅行記よりお借りしました
私たちのグループで追求してきました“日本語の成り立ち”シリーズの中間報告と今後の抱負を述べて、年始のご挨拶にしたいと思います。
応援よろしく by岡
これまで、日本語の特徴を見たうえで、その成り立ちに関する諸説を見てきました。
・ある言語Xと起源を同じくしているとする様々な同祖論、
・南方語の上に北方語が積み重なってできたとする村山七郎氏の二重層説1、
・逆に北方語の上に南方語が積み重なってできたとする川本崇雄氏の二重層説2、
・もっと重層的・波状的に成立したとする安本美典・本多正久氏の多重層説、
・そして、日本祖語は弥生語としながらも縄文語とは連続しているとする服部四郎氏の国内形成論
段々と正解と思われる説に近づいてきましたが、残りのシリーズでは、最後の国内形成論の路線を踏襲して、服部氏では到達できなかった縄文語を復元し、弥生語の音韻的特色も取り出せることを示すことで、日本祖語が縄文語にあることを証明した小泉保氏の説を紹介します。
その動機を小泉氏は次のように述べられています。
言語は民族のもっとも有力な証拠である。言語の中に日本人の本質がかくされている。それだけに日本語の系譜を知りたいのである。そのためには日本祖語に当たる縄文語の解明が大前提をなすのである。
原始の時代より一貫して生きつづけてきた日本語は、本源共認の中で育まれてきたことを以下の投稿で見ましょう。
日本語の音声認識が日本人を性格づけているより
世界のほとんどは子音を中心に認識する。ヨーロッパ語もアラビア語も中国語も。口から空気を出すときに障害を作り変化を出すのが子音である。相手との距離を保ち、威嚇する発音体系である。
日本語は必ず一つの子音が母音とのセットの発音になっている。音声の認識も母音を中心に認識する。
母音は息に制動をつけず、声帯振動だけで出す自然体の音である。伸びをするときは「あー」と言い、痛みに耐えるときは「うー」と言い、感動したら「おー」と言う。心を開かせる音である。
母音を言語脳である左脳で聞くために、同じような音である自然音まで左脳で聞くように脳を組織化している日本人。
子音をより明確に聞くため、子音のみを左脳で聞き、母音や自然音や音楽を右脳で聴く西洋人、アラビア人、中国人、その他大勢。母音を右脳で聞くため、まず右脳から音声が入り、それから左脳の言語野へ移動する。
そのため彼らは言語主体と、認知主体に断絶がある。だから必ず「I」と言う。
日本人は認知主体も言語主体も連続しており、あえて言語主体「私」を発声する必要がない。
そして、言語は各民族の歴史風土から創られるもの。日本語は幸い、この日本列島でずーっと発達してきた。歴史風土と断絶が無い。ゆえに、音そのものにニュアンスがあることを日本人同士は了解している。これは世界では希な事なのだ。
日本人は、言語、自然音、動物、昆虫などの鳴き声から雑音、川のせせらぎ、風の音に至るまですべての音が左脳へ送られ意識・分析しますので識別=『聞こえる』のです。
そして、そこで分析された情報を右脳で記憶していき、学習・蓄積されていきます。
自然音を意識することは『抽象の世界』を創造します。それが能や和歌、俳句、お茶の世界など数々の文化を作り出したのですが、実はこれが古くから日本人が精神的、技術的、能力などで優れていた理由の一つだろうと思います。もちろん元来日本人が心が優しいのもです。動物などの鳴き声にしても気分がいいのか悪いのか大体声でわかります。
さらに、音のない見えない世界も創造します。
「風が笑う」、「光がおどける」、「愛が音を立てて崩れる」などの表現です。そうした心の音さえも感じることで、相手に対する感情や思いやりなども生まれて来ると思います。
如何ですか。日本語って優れものでしょう
実は言葉だけではなく文字も凄いんですが、それはこれからのお楽しみにしておきます。
ともかくこのような本源共認の中で悠久の年月育まれてきた日本人が、私権文明崩壊の危機に直面した今、その本領を発揮して共認社会の将来像を描けるか、まさに正念場を迎える年になると思います。
実現論第二部 ロ.私権文明を問い直す(東洋と西洋)より。
本源集団を破壊した私権文明が滅亡の危機を迎えた今日、東洋人の心の底に残る本源集団性・本源共認性は、人類再生の基盤を成すものとして極めて重要になる。中でも、島国ゆえに一七〇〇年前まで掠奪闘争に巻き込まれることなく原始文明を発展させてきた日本人の心の底に残る本源的な共認体質は、極めて貴重である。もし、人類に絶滅を免れ得る資質が残されているとしたら、それは東洋人、とりわけ日本人の心の底に残された、類い稀なる縄文人的精神基盤なのではないだろうか。
縄文人の本源体質を呼び覚まして追求していきますので、よろしくお願いします
- posted by okatti at : 2010年01月01日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comments
婚姻論自体が19C以降にしか登場していないというのは、欧米近代思想の発展と歩調を合わせているようで、面白いですね。思想(=価値観)と社会の生産様式とは関連が深いと思うので、その意味ではこれまでの婚姻論とは、その解明の目的そのものが市場の発展にとって都合のよい結果を求めていた様に思います。
鯉太郎さん、コメントありがとうございます。
先進国では大昔から当たり前のように一夫一婦制だったかのような刷り込みがされていますが、爆発的に広がったのは、実は200年ほど前だったというのが事実です。
それとそれ以前、人類が誕生してからどのような婚姻様式を取ってきたのかについては、ほとんど研究がされていないように思われます。
hermes 0800 共同体社会と人類婚姻史 | 『婚姻論』の史的価値とは
共同体社会と人類婚姻史 | 『婚姻論』の史的価値とは
comment form