2010年05月31日
本格追求シリーズ2 世界婚姻史の構造解明「第9回 性市場と性権力の発生」
前回は、「略奪婚⇒私有婚」への流れを取り上げました。今回は私有婚以降の私権社会において特徴的な男と女の力関係の変化である「男と女の駆け引き」にまつわる「性市場」と「性権力」について取り上げます。
The Turkish Bath 1862 Jean Auguste Dominique Ingres (ルーブル美術館)
前回までの内容はこちらから。
第1回 プロローグ
第2回 極限時代の婚姻形態
第3回 採取時代の婚姻形態 採取部族編1
第4回 採取時代の婚姻形態 採取部族編2
第5回 採取時代の婚姻形態 採取部族編3
第6回 採取時代の婚姻形態 狩猟部族編
第7回 牧畜・遊牧部族編
第8回 遊牧部族⇒武力支配国家
約5500年前に発生した略奪闘争が母系共同体を玉突き的に破壊し、その結果、武力統合国家⇒私権社会が形成されます。この段階で人類は、母系制⇒父系制へに転換し、婚姻様式もそれまでの集団婚を基盤とするものから、個人婚(≒私有婚)に転換します。「集団単位」の婚姻が解体され、「個人単位」の婚姻に移行したわけです。
「社会統合様式」と「婚姻様式」の転換は、人類の男女関係に大きな変化をもたらしたのか。
今回はこの男女関係の変化を「性市場」と「性権力」をキーワードに取り上げます。
◆性市場の登場
私権社会では、それまで集団規範により個人内部に封じ込めていた性闘争(≒自由な性)が解放されたことと、婚姻と市場社会が結びついたことから「性市場」が拡大していきます。
「性市場」と書くと、「売春市場、風俗市場」ととらえられがちですが、より広範な市場を含んでおり、「男と女の性の駆け引き」に関わるあらゆる商品とサービスの市場という意味で使います。例えば日本では1980年代~1990年代の大半の若者男性は現代の“草食男子”とは異なり所謂“肉食男子”だったわけで、女を“もの”にするためには車を購入して女性をドライブに誘うなどしており、女性側でも男性の選択基準の一つに“車”を持っていること、が挙げられるくらいでした。つまり、日本を代表する基幹産業である“自動車産業”も当時は、車が「男と女の性の駆け引きの道具」として利用されていたことから、性市場に含まれると考えることができます。
男性ならばより魅力的な女性を、女性ならばより魅力的な男性を如何に獲得するか、そのために購入する商品・サービスが性市場に含まれます。とすれば、女性が購入している“かわいい”服や装飾品(ダイヤモンド、結婚指輪、アクセサリー)、バッグ、ブランド品、エステ、若者向け雑誌、性を煽る広告、デートとして利用する映画、結婚産業、旅行産業(カップル、新婚旅行)なども当然、性市場に含まれることになり、性市場というものが現代社会において如何に巨大な市場であるかが想像できるかと思います。
ちなみに、21世紀初頭の日本の若者男性はめっきり性が衰弱した“草食男子”になってしまい、女性を“ナンパ(≒獲得)”するために車を購入するなどという男の存在は「そんな奴はほとんど聞いたことがない」というくらいにまでなってしまっており(多分、ごく一部、肉食残存派がいて車を購入しているはずですが)その結果、現代の若者男性が1970年~1980年代ほど自動車を購入しなくなり、国内自動車市場は縮小し、自動車会社は海外で自動車を売って儲けるしか選択肢が残されていないといった状況になっています。
これは、「若者男性の性欲の衰弱→性市場の縮小→国内自動車市場の縮小→日本の経済規模の縮小」という構造になっており、このような一例からも、性というものが市場の拡大にも縮小にも影響を与える重要なファクターであるかということが理解できるのではないかと思います。
さらに追及を進めると、そもそも現代の市場社会の起源そのものが、性市場であると言うことができます。本当にそうだろうか?市場は生活必需品である食糧の交換からはじまったのではないか、と思われるかもしれませんが、歴史的に有名なシルクロードは絹を運ぶ道です。なんで何万キロもの長い道のりを、そんなものが無くても生きていける“絹”を運んでいたのでしょうか?その答えは、その商売が儲ける商売であったこと。なぜなら、その絹が女性の性的商品価値(≒性的幻想)を高めるからであり、性的商品価値を高めるものに価値があったためです。詳細は、類ネットの投稿を見てみます。
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(引用開始)
・ 市場の起源について、食糧等の日常品の物々交換が起源であるとする経済学は根本的に誤りである。弓矢の発明以降、原始共同体が規模を拡大し、縄張りを接する緊張状態が生まれたが、そこで発生した物流網とは貴重品を中心とする贈与関係である。その目的は集団間の緊張関係を緩和させることであり、集団内で働いていた共認原理を集団外にも適用したものである。緊張関係が前提となっている以上、集団の存否を決定するような食料それ自体を他集団にゆだねるような交換 は成立しようがない。
・ しかし約5500年前の乾燥化によって、牧草地を失った遊牧集団の中から、贈与による共存共栄を破棄し、自集団第一の正当化観念から他集団への略奪を開始 した部族が登場する。そしてこの略奪が玉突き的に波及し、支配被支配の関係が構築されると共に、国家への冨の集中が進む。
・ この国家に寄生し、そのおこぼれを預かろうとする商魂逞しいものたちによって、市場は生み出された。実際、シルクロードは貴族階級の宮廷サロンを彩る貴金 属や絹織物etcといった高級品が行きかう商品市場であった。つまり、注目すべきは市場とは、その起源からして、生活に必要不可欠なものの上に作られたも のではなく、権力と冨の集中の中から、その混乱や腐敗に乗じて生み出されたものであるという点にある。
出典:類ネット(168367)なんで屋劇場『金貸し支配とその弱点』1 ~市場の起源、原資拡大の方法、その真実の姿
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市場の起源は、当時最も性が活発な場所であった「宮廷サロン(≒不倫市場)」における女性の性的幻想価値を高めるための商品(絹や貴金属)の売買であり、歴史を調べれば、これらの売買が市場を急速に拡大させた最大の要因であることがわかります。
現代日本で最も活気がある場所とはどこでしょう?もちろん東京ですが、東京の中でも活気がよい場所とは?思いつくのは若者ならば”渋谷”、もう少し上の年代であれば”銀座”でしょうか。
どちらも、女性物の洋服や装飾品、アクセサリー、ブランド品など”男と女の駆け引きのための道具”を売っているメッカとも言える場所ではないでしょうか?人類の最大の活力源が”性”である以上、そのような場所こそが最も活力ある場所(≒市場規模も大)となるのは必然といえます。
※秋葉原の“萌え”や”メイド”というのも”性”の対象であり、やはり秋葉原も経済的に活況を呈しているようです。
※日本で活力がある場所とは上記からみても明らかなように”性”の活力のある場所であり、”性”の活力がある場所に人が集まり、お金が集まり、サービスが集まり、それがさらに人を集める構造となります。
では、このような私権社会への移行後に男と女の力関係はどのように変化するのでしょうか。すでに、女性の性的商品価値を高めるための“シルク”については述べましたが、私権社会においては、私権社会以前の母系共同体社会と比べて、劇的に男女の関係も変化することになり、「性権力」という男女の力関係に大きな影響を与える権力が登場することになります。
◆性権力とは何か
「性権力」とは性(≒SEX)を背景とした力のことで女性に付帯する力(≒権力)です。といってもよくわからないと思いますのでもう少し詳しく説明すると、要するに男は魅力的な女性とSEXがしたいと考えていますが、魅力的な女性という存在はいつの時代にも数が限られており、そうなるとごく少数の女性に多数の男性がSEX( or 結婚)目的でアプローチするということになり、その結果は性の需給アンバランスが生じ、女性側の方が力を持つという結果になります。
性(≒SEX)の供給制限を行えば、男性側の性的欲求不満が生じ、女性側の性に対する価値が上昇することになり、上記のように少数の女性だけが性権力を持つというわけでもなく時代状況によっては女性全般が持つ権力であるということができます。
この「性権力」のわかりやすい例が1980~90年代の日本に存在しておりますので、その3人の代表選手たる、「アッシーくん」、「みつぐくん」と「めっしーくん」に登場してもらいましょう。
すでに現代では、これらの言葉は死語になりつつあり、意味がわからないという方もいらっしゃるのでWikiや日本語類語辞典の内容を転載します。
「アッシーくん」
出展:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アッシー、アッシーくんとは、女性に自らの自家用車で送り迎えをさせられる男性のことである。類語であるミツグ くん、メッシーくんについてもこの記事で解説する。
アッシーくんの語源は「足」。移動手段としての自動車のことを俗に「足」ということに由来する。
当該男女間に愛情、友情関係はないか、あったとしてもいわゆる送迎車としての役割が上位にある。男性には、自動車を運転する労力や送迎の時間に対す る報酬はない。
発生
バブル景気後期の1990年から1991 年にかけて、移動手段としての男性をアッシーと呼ぶことが定着した。
生態
足としての自家用車は男性の収入、地位、家庭状況等により千差万別であったが、当時の六本木周辺ではBMW3シリーズ(E30)の存在が頻繁に確認されたことから、同車種は当時日本国内で最多の販売台数であったトヨタ・カローラになぞらえて「六本木カローラ」などと呼ばれることもあった。
アッシーくんに至る経緯は様々であるが、自発的にアッシー行為を行う男性も少なくない。その動機は相手女性への好意によるところが大きい。また、アッシーくんは恋愛に進む可能性を期待してアシに応じており、女性側はそれを期待させつつ応じない対応で翻弄する。相手女性によっては稀にショッピングや食事に誘えることもあるが、そのような場合は往々にしてミツグくん、メッシーくんとして扱われる。
「みつぐくん(貢ぐ君)」
出典:日本語俗語辞書
貢ぐ君とは好きな女性に金品や品物などをせっせと貢ぎ、女性の気を引こうとする男性のこと(食事をせっせと奢るメッ シー君は貢ぐ君の一種ともいえる)。貢ぐ(みつぐ)だけで人名っぽく呼ぶこともあ る。貢がれている女性が特に深い仲ではなく、単に貢ぐ君としか考えていないという意志を示すなど、対象を嘲ったり、蔑んで使われることが多い。どちらにしてもバブルの産物的な言葉(存在)であり、バブル崩壊以降は死語となっている。
「メッシーくん」
出典:日本語俗語辞書
メッシー君とは、女性に食事を奢る男性のこと。
【年代】 1991年 【種類】 若者言葉
メッシー君とは飯(メシ)に英語で「~する人」という意味にする接尾辞「-ee」をつけ、さらに人名っぽくするために 「君」をつけたものである。この場合の飯とは食事(特に外食)をさし、メッシー君で女性に食事を奢る男性を意味する。 男性側が食事以上の関係を望むか否かに関係なく、女性側にとって暇なとき食事に付き合ってくれ、それを奢ってくれるだけの男性をさしてメッ シー君と呼ぶ。バブル期に流行語になったメッシー君はアッシー君、ミツグ君とセットで都合のいい男 性の代名詞として使われたが、バブルが崩壊し、時代が厳しくなるとともに、これらの言葉は死語となっていった。
女性を“もの”にしたい男達が、女性とSEXがしたいがために、あっしーくんとして都合のよい無料タクシーとして使われ、食事は奢らされ、ブランド品のバッグや高価な宝石などを女性に貢いでいたわけです。
たかだか20~30年前にはあたりまえだった男性像ですが、現代では、女性なんかそっちのけで仕事や資格などの生産課題や趣味の世界に収束している20代のいまどきの“草食男子”の世代とは隔世の感があります。
「性権力」とは女性側が性(≒SEX)の可能性をちらつかせつつ男性側にさまざまな要求を行い、それらの要求に男側はSEXをしたい(時代によっては相手と結婚したい)ために応じてしまうという力のことで、それがどのような力であるかは、上記のあっしー、めっしー、みつぐくんの例からもおわかりいただけるかと思います。
ちなみに、この時代は“ジュリアナ東京”というディスコでボディコンと呼ばれる肌に密着した露出度の高い服装をした女性達が扇子をふりながら、“お立ち台”の上で踊っていた時代であり、そのようなSEXアピール全開の姿を見た男達が、ああいう女とSEXがしたい希望をつのらせつつ、自ら進んで「あっしーくん」「みつぐくん」「めっしーくん」になっていったと思われます。
(ちなみに、当時のボディコン世代は、20年後の現代においてアラフォー世代となっています)
「性権力」とは女性側が性(≒SEX)の可能性をちらつかせつつ男性側にさまざまな要求を行い、それらの要求に男側はSEXをしたい(時代によっては相手と結婚したい)ために応じてしまうという力のことで、それがどのような力であるかは、上記のあっしー、めっしー、みつぐくんの例からもおわかりいただけるかと思います。
この「性権力」はなにもバブル期の日本において一時的に生じたものではなくその萌芽は、私権社会の登場直後から存在しています。ざっと5000年前頃から、「性権力」を成立させる構造が登場したということができます。
では次に、「性権力」登場の背景を見てきます。
◆「性権力」登場の背景
性権力の登場の発端は、略奪闘争以降の私権社会にさかのぼります。
私権社会では、私権を獲得しなければ生存できないという私権の強制圧力がかかります。この時代でも、女性の結婚相手は家父長が決めるなど、娘が自分の意思で結婚相手を決めるという自由選択が許されない時代が続くため、性権力が封鎖される時代が続きます。
ヨーロッパでは私権上位(≒貴族、上流階級)は宮廷サロンにおいて自由な性(≒不倫市場)を謳歌し、庶民は家父長権の元で娘の婚姻相手が決められるという娘の性権力が抑制される時代でしたが、私権と婚姻が強く結びつく一対婚制度のもとで、ゆっくりではあっても着実に性権力が社会の中に浸透していくことになります。
このあたりの構造については、実現論に詳しく述べられているため、関係する箇所を転載します。
占有権力は闘い取って得られる男原理の権力であり、性権力は男を懐柔することによって得られる女原理の権力であるが、両者の力関係は、生存圧力→私権圧力の強さによって大きく入れ替わる。私権圧力が絶対で私権の確保が困難な時には、女・子供は私権(家父長権)に従わざるを得ず、性の自由と性権力は封鎖される。しかし、身分によって私権の確保が保証された支配階級の内部では、彼らが解脱収束してゆくことによって、しばしば占有権力よりも性権力の方が強くなる。そして、現代の様に貧困が消滅し私権の確保が容易になると、占有力(男原理)よりも性権力(女原理)の方が強くなり、占有権力と男原理は去勢されて終う。
出典:実現論 (020502)
事実、掠奪集団も少し安定すると(まして第二世代の息子や娘たちの代になれば)、忽ち男の解脱収束が強まり、女自身の性権力が形成され始める。そして、それ(性の自由や選択権や商品価値)は、掠奪集団→都市国家(例えばメソポタミアのシュメール人やユダヤ人)→古代帝国(例えばローマ人)を通じて強くなってゆく。封建社会では、規範(or 宗教)の確立etc.によって女自身の性の自由は封鎖されたが、しかし私婚(私的な選択に任された、私的な婚姻関係)の共認は規範の確立によってより強くなっており、従って性権(性的商品価値や選択権)は娘から家父長に移っただけで、性的商品価値や私的な選択権の共認は、むしろ強化されている。
出典:実現論 (020504)
外圧が低下し、男たちが闘争捨象⇒解脱収束する度に、性権力が強化され、強化された性権力に基づく女主導の男女解脱共認が、社会の最基底の支配共認としてはびこっていった。それは、貴族をはじめ支配階級全般に及び、更に都市住民全般に及んでゆく。そして、いったん女原理の支配共認が芽生えると、それが一段と闘争捨象⇒解脱収束を強めさせるので、ますます女原理の支配共認が強くなってゆき、その悪循環で(破滅的な闘争圧力でも働かない限り)もはや歯止めが効かなくなる。事実、近世から現代までは一直線に、かつ止まる所を知らず性権力とその支配共認が肥大してゆく過程だったのである。
しかし、この支配共認は極めて見え難い。男たちは、この上なく高価な性を手に入れる為に自ら進んで女に迎合し、納得づくで女の要求を受け入れ、それを共認しているからである。だが、本当に共認しているのなら、後で嘆いたりしない。そもそも、男は男同士の闘いに勝つ事によって女を獲得してきた動物であり、女の思し召し(好き嫌い)に迎合共認すること自体が、男の本意に反している。男は、性を武器とする女の性封鎖によって否応無く、恐ろしく高価な性的商品価値を共認させられ、その意に反して女の私的選択権を共認させられて終ったのであり、その結果が際限のない性権力とその支配共認の肥大化である。
出典:実現論(020505)
どうでしょうか?少し難しいかもしれません。
(共認、解脱などの言葉がわからない場合は類ネットの新概念定義集を参照してください。)
実は少し難しいだろうと思い「性権力」の例として、「あっしー、めっしー、みつぐくん」などの最近の誰にでもわかりやすい事例を取り上げたのでした。
別の例として私が聞いたことのある話ですが、一人の若い経理担当の女性が、その会社の社長を含む複数の経営幹部と不倫関係を結んだ挙句に秘密口座を作って会社のお金を持ち逃げし、当該企業を倒産させた例もあります。この経理担当の女性は間違いなく「性権力」の何たるかを認識しています。
これまで、「性権力」という力が知識人の間で真剣に議論されたことが無いため、多くの人にとってなじみのない概念かもしれませんが、その一方で多くの男性であれば、「うすうす気づいていた」概念なのではないでしょうか?
では、現代の男と女の関係はどうなったのでしょうか。現代の日本に戻って、現状を探ってみたいと思います。
◆現代の男と女の関係
現代(2010年)は、若者の草食男子化が進み、女性側が性をちらつかせても、そう簡単には男が寄ってこない時代となりました。そのため、女性誌ではなんとか男を振り向かせるための、かわいく見える服装などを“相当必死に”探求しているようです。
現代の草食男子世代は、小学校・中学校の時代にテレビで“ジュリアナ東京”の“扇子をふってお立ち台の上で踊っている女性達”を見たことがある世代です。もしかしたら、「あっしー、めっしー、みつぐくん」などの存在もメディアを通して知っており、子供心に「ああはなりたくないな」と思っていた可能性が高いです。そのような子供たちが、20代になり気付いたら、女性に収束せずに、仕事や趣味に収束する草食男子になっていたわけです。
日本における「性権力」は1980年代~90年代の一時期に急速に上昇したものの、バブル崩壊とともに、性権力も地に落ちることになります。その後、女子高生の援助交際が社会問題化していきます。女性の性が地に落ちた後で、女性が自ら性を売り始めたという構造がこのあたりから見えてきます。また、現実の女性を捨象して独自の世界に没頭する“おたく”の存在がクローズアップされるのも、バブル崩壊後であり、バブル時代の「性権力」を謳歌していた女性達を見た男達が、「現実に存在する性権力を振り回す女性」ではなく想像の世界の理想的女性像に収束していったと分析することができます。
この傾向は今日まで続いており、驚くべきことに最近ではゲーム(ニンテンドーDS ラブプラス)の中の少女と結婚した日本人男性の例もあるほどで、この日本人男性にとっては、明らかに現実世界に存在する女性よりもゲームの中の女性の方が魅力的であったに違いありません。
『ラブプラス』結婚式が世界22カ国以上で話題に!海外からの反応は!?
http://getnews.jp/archives/39275
女性側に目を転じると、最近では、若い女性達はもはや”扇子をふってお立ち台で踊る”こともなく、社会で取り上げられているのは“アラフォー”、“おひとりさま”といって、独身の40歳台前後の女性達が今後、どのように生きていくのかがクローズアップされており、また“女子会”といって女性達だけで集まって女同士でおしゃべりする会が新しい傾向として取り上げられています。
草食系男子は女性へのアプローチ自体を放棄している場合が多いため、男性が女性を昔ほど“飲み”にすら誘わなくなってきており、このような男性側が消極的な状況が、「女子会」というものを生む一因なのかもしれません。
このように今日の男女関係を見てみると、完全に閉塞しているとしか言いようがなく、このような状況では、すでに社会問題化している晩婚、未婚化が加速していき、次代の可能性が全く見えず、我が国の将来は超少子化の結果、高齢者ばかりで若者は少しという、お先真っ暗という暗澹たる気持ちにならざるを得ないのですが、はたして男女関係が再生する可能性がどこかに存在しているのでしょうか?
次回は、日本の過去(おもに縄文時代)の婚姻様式から可能性へのヒントを見つけていこうと思います。
お楽しみに。
- posted by daisukeb at : 2010年05月31日 | コメント (3件)| トラックバック (0)
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先史時代の洞窟には、動物などの壁画が残されている事がありますが、洞窟の内部の反響や残響を調べてゆくと、音の響きが格段によい場所に壁画が描かれていることが多いと言われます。
また、アボリジニーの楽器のブル・ローラー(振り回して音を出す唸り木)があるのですが、これに似た旧石器時代の遺物も見つかっています。
もしかしたら、彼らは壁画の前で、歌い、踊り、楽器を鳴らしたのかも?
そんなうに、長い長い時間をかけて、洞窟の中で身を寄せ合い、人類の“本性”を育んでいったのかも知れませんね。
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