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2007年01月18日

婚姻の歴史(概要)

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婚姻の歴史について扱っているサイトって“るいネット”以外なかなかないのですが、ちょっとその辺りに触れているサイトを見つけましたので紹介しますね!一夫一妻制へに移行した原因など端的に書かれています。
これです↓ 是非のぞいてみてね!
CARE International Japan
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2007年01月17日

イスラム教を信仰しながら母系性を保つミナンカバウ族とは

今日は世界最大の母系性部族のミナンカバウ族について少々別の視点からの紹介をしたいと思います。
ミナンカバウ族はインドネシアのスマトラ島のほぼ中央に位置するブキ・ティンギという、標高約900mの高原の町に住んでいます。
14世紀以降のイスラム勢力によるこの地への進出、19世紀にはオランダの統治下におかれるなど、ヨーロッパ諸国の侵略を次々と受けながら、現在多くはムスリムでありながら今も母系性を維持しているというところに驚きを感じますね。
そこで、「ミナンカバウ」という名前の由来について見て調べてみました。
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2007年01月16日

インドネシア、ミナンカバウ族の社会

インドネシアの西スマトラ山岳部のミナン地方という所に、現在でも母系社会を継続させているミナンカバウという部族があります。19世紀にイギリス人によって発見された時点では完全な母系社会を維持していたそうです。
インドネシアの大学に留学し、実際にミナンカバウ族一緒に生活をした方が、彼らの生活や婚姻様式について綴った興味深いサイトがありますので、紹介したいと思います。
谷口愛さんの「インドネシア留学記~ミナンバカウ族と暮らして~ 」より・・・
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(ミナンバカウ族の姉妹合同の結婚式の模様)

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2007年01月15日

セム系部族社会(2) 栽培の開始と香辛料

西アジアでは、1万年前には栽培が行われていた。人口増に対応して、採取だけでは食料が賄えなくなったのだろう。
yufurates.jpgコムギなどの穀物やマメ類の栽培(農業)は、限定された植物の収穫量を増やす一方で、食べる植物の種類を減らしてきたようにも思える。
採取される多種多様な小粒マメ類を採取していた時代から、栽培に適したソラマメ、エンドウマメ、レンズマメ、ヒヨコマメなどに集中するからだ。

(by石野)

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2007年01月14日

チベットの子供の性教育と縁談のまとまり方

007.jpgチベットの一妻多夫婚―父系制の特殊形態― の続き。
彼らの生活と縁談について紹介したいと思います(川喜田二郎著『ネパール王国探検記』1957年より)。
7000メートルを超える雪山の間を刻んで流れる川の流域にあるチベット人村、カルチェ村に1ヶ月半住み込んでの調査記録です。
(写真はカルチェ村から見えるガネッシュ・ヒマール)

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2007年01月13日

タイ族の「ピー信仰」

タイは仏教国ですが、タイ族は仏教に加え古来のピー信仰も残しています。
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ピー信仰とは(Wikipediaより)

ピー信仰とは特にタイ族によるアニミズム(精霊信仰)を指して用いられる言葉である。ピー タイ語において「精霊、妖怪、お化け」の類を説明するために用いられる言葉である。バラモン教、仏教伝来などの外来の宗教伝来以前に顕著に見られたタイ族全般に見られる信仰の形態であり、現在でもそれらの宗教の影響を受けながら、信仰する傾向がタイ族に見られる。

阪市立大学岩田慶治の「タイにおけるピー信仰」によると、ピー信仰の展開の過程は3つの段階に分けられます。

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2007年01月11日

モンゴル遊牧民は母系を強く残した両系!?

昨日に引き続き「東洋の父系観念強化」について調べていたところ、モンゴルでも国家成立以前は、『遊牧ながらも母系の色彩が強かった』ことが読み取れる書きかけ記事がWikipediaにありました。以下抜粋

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2007年01月10日

「父系か?母系か?」国際結婚~子供の国籍から

るいネットに『東洋のほうが父系観念が強い』という投稿がありましたが、東洋諸国の相続習慣や姓/氏継承などの実態は、あながち父系一色というわけでもなく、父母両系が多いようです。『東洋の父系観念』参照

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2007年01月09日

縄文と弥生~その影響について~

1万年以上にわたって続いてきた縄文文化は、紀元前1000年ごろから数百年間にわたって訪れた渡来人の影響によって徐々に変化していくことになります。
全く争いごとのあとが見られなかった縄文歴史に対して、弥生時代は戦闘の痕跡がみられることから日本にも戦争がもたらされた歴史と理解されていたりします。そのため、縄文人は弥生人によって蹂躙され滅ぼされた、なんて説もあったほど。
しかし、渡来人(弥生人)と先住の縄文人はおおらかに融合していったという説が現在は有力です。
確かに、縄文気質と呼ばれるものは私たちに深く根付いているわけですから、渡来人によって縄文人が根絶やしにされたなんてことはありえませんよね。
そのあたり、どんなふうに融合していったのかを、中村忠之氏のサイト「森と人の地球史」 第9章「弥生人の渡来 ・・・ ハイブリッド文化の誕生」を参考に、母系・父系の婚姻制度とからめて考えてみたいと思います。
じゃ、本題の前にクリッククリック

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2007年01月07日

チベットの一妻多夫婚 ―父系制の特殊形態―

チベット社会には多様な婚姻制が存在しているが(ナシ族やモソ人も大きくはチベット高原の諸部族)、ネパール山岳地帯に住むチベット族(日本ではシェルパ族が有名)の中には、世界的にも珍しい一妻多夫婚の種族が存在します。
(参考:川喜田二郎著『ネパール王国探検記』1957年)
チベット族は農耕・牧畜民で、チベットさらに中国とヒマラヤ以南を結ぶ商業民族でもある。
モンゴル遊牧民が父系一夫多妻婚であるのに対して、何故半農半牧の定住民チベット族は父系の一妻多夫婚になったのだろうか?

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