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2010年03月09日

「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その⑤~チンケな運動(要求運動の終焉)~

前回までの記事:
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その① ~社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その② ~ネットにおけるツールの進化~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③ ~潜在思念は、ネットに収束するか?~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④ ~変革課題VS逃避解脱~
に引き続き、今回も「共認革命シリーズ」(9年前!! )から紹介します。
シリーズ5回目の今回は、「共認革命6 チンケな運動(要求運動の終焉)」を紹介しながら、要求運動の現在について見ていきたいと思います。
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2010年03月08日

日本婚姻史1~その5:弥生時代前期の婚姻制度【持ち込まれた私婚制】

日本の交叉婚の特殊性において、縄文人は、総偶婚という婚姻様式により、男・女の性的欠乏を解消し、集団内・外の争いの基となる自我を完全に封印してきた様子を見てきました。
総偶婚の本質とは、ひとことで言えば、どのような相手であれ仲間として受け入れる「肯定性」にあるといえるのではないでしょうか。
一方、現在の一対を前提とした婚姻制(私有婚)は、窮屈なだけでなく排他的な色彩を附帯しています。
今回は、この婚姻様式の変化が、どのようにしてもたらされたのかを明らかにしたいと思います。
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2010年03月06日

日本語の成り立ち(文字編)5~平仮名・片仮名の発明~

当シリーズ3『漢字の輸入と格闘』4『万葉仮名の発明;縄文以来の言霊を生かす』で【漢字の日本語化】過程を追いかけてきました。
今回は、引続き平安期における仮名の進化【平仮名+片仮名の発明】を押さえた上で、漢字の国語化の過程をおさらいしておきたいと思います。
◆平仮名の発明~以下Wikipedia「平仮名」から引用

すでに8世紀末の正倉院文書には、字形や筆順の上で平安時代の平仮名と通じる、なかば草体化した万葉仮名が見られる。9世紀中頃の『藤原有年申文』(867年)や同時期の『智証大師病中言上艸書』などの文書類にも見られる、これら省略の進んだ草書の万葉仮名を、平仮名の前段階である草仮名(そうがな)と呼ぶ宇多天皇宸翰『周易抄』(897年)では、訓注に草仮名を、傍訓に片仮名を、それぞれ使い分けており、この頃から平仮名が独立した文字体系として次第に意識されつつあったことが窺える。
9世紀後半から歌文の表記に用いられていた平仮名が、公的な文書に現れるのは、醍醐天皇の時代の勅撰和歌集である古今和歌集(905年)が最初である。その序文は漢文である真名序と平仮名で書かれた仮名序の二つが併記された。
%E5%B9%B3%E4%BB%AE%E5%90%8D.png万葉仮名で使われた漢字と草仮名と平仮名

◆片仮名の発明~以下Wikipedia「片仮名」から引用

片仮名の起源は、9世紀初めに奈良の古宗派の学僧が漢文を和読するため、訓点(引用者注;漢文を訓読するために、漢字の上や脇などに書き加える文字や符号、ヲコト点・返り点・送り仮名・ふり仮名など)として万葉仮名を付記したものに始まると考えられている。それらは余白に小さく素早く記す必要があったため、字形の省略・簡化が進んだ。片仮名はその発生より、僧侶や学者によって漢字の補助として使われることが多く、ごく初期から仮名交文に用いた例も見られる。
%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D.png万葉仮名で使われた漢字と片仮名の対応

◆漢字の日本語化年表
・B.C.1500年以前;中国(殷(商))で「亀甲獣骨文字」漢字が誕生
・B.C.221年;中国(秦)の始皇帝による「焚書坑儒」~文字・言語の統一
・220年頃;現在も用いられている「明朝体の起源となる楷書」が確立
・この頃から;「金石文」が刻まれた青銅器や金印などが中国から日本に持ち込まれる
・3c後半;(百済経由で持ち込まれた)『論語』『千字文』に対面(古事記&日本書紀による)
・(3cころの遺物に、漢字と思しきものが書かれている)
・443年;国内で漢字を銅鏡に刻み始めた(隅田八幡神社人物画像鏡;503年とする説もある)
・471年;万葉仮名的に漢字を使い始める(稲荷山古墳金錯銘鉄剣;531年とする説もある)
・629年~『万葉集』の和歌が詠まれ始め~木簡に万葉仮名で墨書?(難波宮跡出土)
・712年;『古事記』献上される
・8c半ば;『万葉集』編纂?(~完成は806年)
・8c末頃;万葉仮名→草仮名に変化;平仮名の起源
・9c初め;漢文和読のための訓点;片仮名の起源
・9c後半;和歌で平仮名使用が女性に広まる
・905年;『古今和歌集』編纂;平仮名による序文あり
・10c半ば;平仮名が現在に近いものになる
・12c:片仮名が現在に近いものになる

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2010年03月05日

「共認運動の実現構造とネットの可能性」その④ ~変革課題VS逃避解脱~

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前回までの記事:
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その① ~社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い~
「共認運動の実現構造とネットの可能性」その② ~ネットにおけるツールの進化~

「共認運動の実現構造とネットの可能性」その③ ~潜在思念は、ネットに収束するか?~

に引き続き、今回も、9年前に投稿されたるいネット記事「共認革命シリーズ」から紹介します。
シリーズ4回目の今回は、「共認革命5 変革課題VS逃避解脱」を紹介しながら、現在のネット生活の中身(ネット利用状況)について見ていきたいと思います。
いつも応援ありがとうございます。

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2010年03月04日

「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その③~潜在思念は、ネットに収束するか?~

前回の記事:
「共認運動の実現構造と、ネットの可能性」その① ~社会制度の最基底部の「婚姻」を議論できる場が無い~
「共認運動の実現構造とネットの可能性 」その② ~ネットにおけるツールの進化~
に引き続き、「潜在思念は、ネットに収束するか?」を探っていきます。
まずは、前回に引き続き9年前に投稿されたるいネットの記事「共認革命シリーズ」から紹介します。
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2010年03月03日

日本婚姻史1~その4:日本の交叉婚の特殊性

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前々回前回にわたって、縄文時代の婚姻制【兄妹総偶婚⇒交叉総偶婚】の流れを、気候風土や集団内墓地の埋葬形態などから解明してきました。

【総偶婚】
集団ごとの男達と女達が分け隔てなく交わりあう婚姻様式。
約1万年前、採集・漁労部族はこの総偶婚によって(期待・応合充足を破壊する)性闘争を完璧に解消し、自我回路をほぼ完全に封印していた。日本においては村内婚(夜這い婚)の形で、昭和30年代頃まで農村部で存続していた。
『るいネット定義集』より引用

前回、世界の交叉総偶婚を婚姻形態を図解でも紹介しましたが、日本の交叉総偶婚の婚姻形態は世界の交叉総偶婚の中でも少し変わっているようです。
今回は、日本の縄文時代の交叉総偶婚とはどういったものだったのか?その特殊性について紹介したいと思います。
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2010年03月02日

人類の進化 5 観念機能の進化 ~言語の起源~

 
画像は「生物史から自然の摂理を読み解く」よりお借りしました。

前回の記事では初期人類の観念機能獲得の前夜と言える猿人段階の脳進化を扱いました。
約700万年前の猿人が
①歩行訓練における共認機能の発達
②食生の肉食化(死肉食)
③遺伝子の変化。により知能発達=脳進化を遂げて言ったのです。
そして「二足歩行」でさらに脳の高機能化をはかった種が観念機能の獲得に至った、
と記述しました。
今回は知能発達した猿人がいつから言語を話し始めたのか調べてみました。
るいネット”の「ヒトはいつから言葉を話し始めたのか」と言う投稿を紹介します。
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2010年02月26日

日本語の成り立ち(文字編)4~万葉仮名の発明;縄文以来の言霊を生かす~

前回の~漢字の輸入と格闘~では、漢字との格闘経緯を俯瞰しました。
今回は、5C(or6C)日本国内で漢字を書き出して間もない万葉仮名の発明?と、それゆえに生じた更なる格闘過程を紹介したいと思います。
まず万葉仮名については、Wikipediaによると>実際の使用が確かめられる資料のうち最古のものは、大阪市中央区の難波宮(なにわのみや)跡において発掘された652年以前の木簡である。「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。<
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>しかしながら、さらに古い5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣には「獲加多支鹵(わかたける)大王」という21代雄略天皇に推定される名が刻まれている。これも漢字の音を借りた万葉仮名の一種とされる。漢字の音を借りて固有語を表記する方法は5世紀には確立していた事になる。<
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この「漢字の音を借りて固有語を表記する方法」の‘産みの苦しみ’については…
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2010年02月23日

日本婚姻史シリーズ1~その3:縄文時代の婚姻制を探る

venus2_1.gif縄文時代まで遡って、日本の婚姻制を紐解いていくシリーズ。
前回は、縄文人集団の在り様を規定する外圧状況(気候・地理的条件・食料事情・etc)を追求していきました。
今回は、東アジア全体を俯瞰しながら、当時の人類(縄文人)の婚姻制を追求してみたいと思います。といっても、1万年以上前の婚姻制であり、およそ現代の常識・価値観とかけ離れています。そこで今回は、文化人類学の概念を、図解を交えながら展開していきたいと思います。
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2010年02月20日

日本語の成り立ち(文字編)3~漢字の輸入と格闘~

前々回前回の記事で、日本語(文字)は造語能力に優れており、新しい or 外国で生まれた事物まで→柔軟に翻訳→自前の概念にする=対象に同化しやすい言語であることがわかりました。
今回は、中国から漢字を輸入して【日本語化】していく過程を追いかけてみたいと思います。
◆中国における漢字のルーツは、B.C.1500年ころ中国・殷(商)時代、亀の甲羅や牛や鹿の骨に刻まれた「亀甲獣骨(略して甲骨)文字」まで遡ることができます。
B.C.1300年ころ以降は、同様の文字が青銅器などの金属や、石に刻まれるようになり、「金石文」と呼ばれています。
以降、春秋戦国時代にかけて中国各地で多様に変化していきますが、B.C.221年、始皇帝が秦を建てるとともに、焚書坑儒を通して文字・言語の統一を図ります。
その後、前漢~新を経て~後漢(~A.D.220)末期には、現在も用いられている「明朝体の起源となる楷書」が確立していたと考えられています。

◇日本が漢字を取り入れていくのには段階があります。
古事記や日本書紀では、3C終わりころに『論語』や『千字文』に対面したことが記されていますが、もっと以前から中国から持ち込まれた青銅器や金印などに刻まれた金石文を眼にしているはずで、中国と往来していた倭人には「漢字を読解できる人がいた」と考えることもできます。
3Cに書かれた漢字と思しきものが書かれた遺物も発見されていますが、
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↑↑熊本県玉名市柳町遺跡の4世紀初頭の井戸から出土した木製短甲の棒状留め具の黒い痕跡
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↑↑三重県嬉野町片部遺跡の4世紀初めの流水路跡の小型丸壺の土器の口縁部の線刻
◇実際に日本国内で漢字を書いたことがはっきりしているのは5~6C
朝鮮半島で王朝を築いていた百済は、高句麗、次いで唐・新羅からの軍事的圧力が強まる中で、倭国との同盟関係を強化しています。
百済王の后は倭人の中から選ばれ、その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として預かっていたこと、仏像・経典を携えて諸博士が渡来している(仏教伝来)ことなどから、国内でも漢字での記述がなされていたと考えられます。

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↑↑5~6Cに製作された和歌山県橋本市隅田八幡神社の人物画像鏡
Wikipediaによる大意癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月十日、大王と男弟王が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る
極東の地日本列島も、大陸での玉突き略奪の同類闘争圧力に晒されるようになり、海外と文書でやりとり=漢字を用いはじめたのだと思われます。
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