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2008年05月20日

人身御供としての女性を捧げた『一時上臈』

日本古来から伝わる神事などがそのまま尋常の生活にも入り込み、民衆の生活に息づいている慣わしはいろいろあります。しかし、その中にはもともとの意味合いがまったく異なる意味に変ってしまう場合もあります。たとえば「一夜妻」などはその典型事例で、もともとは神を迎える巫女を指した言葉だったものが、近世以来遊女を意味する言葉に変ってしまいました。
その一方で、「一時上臈(いっときじょうろう)」や「一夜官女(ひとよかんじょ)」といったもののように神の嫁としての流れを残し、今でも神社の祭礼に出てくるものもあります。
今日はそのうち「一時上臈」の祭りに注目し、そこでの男女の役割の変化についてみてみたいと思います。
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2008年05月19日

初期人類をとりまく外圧状況下で、父系的な家族は成立しないのでは?

『霊長類学の家族の起源』では、“初期人類は非母系的な社会で、はじめから父系的な家族を成立させていた”とされていますが、
初期人類の集団継承=『母系か?父系か?』を検証しようとする霊長類学者たちの問題意識は、初期人類も『集団拡大~分割~娘移籍』していたという前提で生じるものだと思います。
これに対し、『実現論』で述べられているような外圧状況~過半が成体になるまでに餓死、もしくは外敵に食われてしまうような極限状況下では、人類集団の分割~拡大は考えにくいのではないでしょうか?
よって、初期人類が「非母系の類人猿」から派生したのだとしても、洞窟に隠れ住むしかなかった極限時代5百万年間は“娘・息子とも残留する両系”で集団維持するしかなかったように思います。
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2008年05月18日

「死と再生」~共同体社会の死生観

naotoさんの『わたしの死』に引き続き、日本人の死生観を考えてみます。
西洋のキリスト教文化圏では、死は個人が生きた歴史の消滅として捉えられ、その人が生きた証しを保障するのは唯一全知全能の神として考えられているようです。
一方日本では、少なくとも江戸時代から第二次世界大戦まで「個人が死んでもその人が生きている間に残した足跡が次の世代に受け継がれていけば、その個人がこの世に生きた証しとなる」と考えられたようです。
現在において『わたしの死』が不安とともに意識される背景には、かつての村落共同体や「家」の解体が背景にあるのは確かだと思われます。
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2008年05月17日

「わたしの死」

「裁判員制度」をめぐり、本質問題には蓋をしたままの「死刑論争」が続いています。
ここでは、あらためて、「死」というものを考えてみたいと思います。
死の意味領域(内堀基光氏)を参照させて頂きます。
《引用開始、一部編集》
>「わたしの死」というのは普通の人間の長い人類史の過程においては問題にならなかったことでしょう。
これを問題にするのはやはり社会的権力などの、生きている中における差異の肥大化だろうと思います。
それは階級社会の発生といってもいいし権力の発生といってもいい。
個人による他の個体への支配といってもいい。
その中で「わたしの死」というものが出てくるのであろう。
歴史的な諸宗教は基本的には「わたしの死」に関わってくる。
キリスト教にしても仏教にしても、ちょっと違いますがイスラムも基本的にはそうですね。
ようするに「おまえが死んだらどうなるか」という問いかけ、つまり「わたしの死」というものを考えさせるのが、歴史的な宗教の力である。
悪い言い方をすれば、これは一種の詐術であって、その中で「死」というのは自分の死であると人々は思い込まされる。
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2008年05月13日

水利が育む日本の共同体性

enkeibunsui.jpg
日本の農村では太閤検地で惣村の解体が徹底的に行なわれたにもかかわらず、共同体性を失うことはありませんでした。
水利を必要とする「稲作」が農村の共同体性を育み続けたと言えそうです。
滋賀大学の筒井正夫教授が現在の農村の状況を綴ったレポート【近江文化私観】 を紹介します。
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2008年05月04日

南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~母系社会の変容と崩壊

『南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~ヒンドゥー父系社会の中の母系社会』に続き、ナーヤルの母系社会のの変容・崩壊過程、その背景に迫ってみます。
アーリア人:ナンブーディリを頂点とする身分序列による私権社会体制の中で、数世紀にわたって機能してきたドラヴィド人:ナーヤルの<母系社会>は、イギリス支配下で大きく動揺し、最終的にインド独立後、1976年の「ケーララ合同家族制度(廃止)法」によって法的には消滅しました。
18世紀の終わりから他のインド同様ケーララが植民地としてイギリス支配下に入ると、ナーヤル<母系社会>を取り巻く状況は大きく変化しはじめます。
・政治的変化によって生じた急激な人口増加
・市場経済の導入による収入の増大
・ギリスが導入した近代的な司法制度により、サンバンダム婚(妻問い婚)は正式な結婚から除外される
・女性の「貞節」を重んじる西洋価値観の流入(逆に開かれた性に対する否定意識の発現)
・「核家族」という新しい家族像の浸透
など。
それらにより、ナーヤルの母系大家族:タラワードがどのように変容し崩壊していったのか?
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2008年05月03日

南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~ヒンドゥー父系社会の中の母系社会

『南インド ドラヴィド人:ナーヤルの母系社会~南インドの巨石文化』に続き、いよいよナーヤルの母系社会に迫っています。
ナヤールの土地、ケーララは、南インドの西海岸、東を山脈によって他のインドから切り離された、南北に長くのびた土地で、おおよそ現在のケーララに該当すします。
India-kerala-labelled-green-grey.png
そのケーララにアーリア人:ナンブーディリ・ブラーミン(バラモン)が本格的に定住しはじめたのが6世紀頃。それ以前には、ナーヤルの多くはすでに王族または戦士として社会の上層部を占めていましたが、ケーララ全体の統一する勢力はなく、複数の部族からなる部族連合が乱立していたようです。
そこにナンブーディリは、ヒンドゥーの教義のみならず、先進的な農業技術や学術全般、そして新しい社会秩序(ナンブーディリを頂点とする身分制度、私権社会)を次第に広めていきました。王権の観念も転換し、古代的身分秩序であるヴァルナ制も導入され、グブタ朝支配下に成立した『ヒンドゥー教的社会秩序』が見られるようになっています。この北インドからの新しい統治技術の導入によって、6世紀以降の南インドの国家はそれまでの部族的編成を脱して大きく変わっています。
(ただし、新しいジャーティが数多く形成されてジャーティ制が成立し、領主制が全面的に展開するのは、13世紀初頭から15世紀中葉にいたる長い動乱期であり、その時期をへてはじめて南インドに中世社会が成立することになる)
ナンブーディリは、侵略に際してドラヴィダ人:ナヤールの<母系社会>を巧みに制度の中に組み入れた支配体制を確立していきます。ケーララ社会全体としてはナンブーディリを序列の頂点とする<父系社会>、その中でドラヴィダ人:ナヤールはそれまでの<母系社会>を維持し続けるという、<父系社会>と<母系社会>が共存する社会が形成されます。
婚姻様式においても、ナーヤルの伝統的な婚姻様式サンバダン婚(妻問い婚)により、ナンブーディリ<父系私有婚>とナーヤル<母系集団婚>の間に密接な関係を作り上げ両者が共存することになります。
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2008年05月02日

霊長類学の家族の起源3 人類の進化ストーリー(1)

霊長類学の家族の起源2 霊長類の社会構造に続いて、いよいよ人類の進化ストーリーです。山際寿一著『家族の起源 父性の登場』(1994年)より。
700~500万年前 チンパンジーとの共通祖先から初期人類が分岐
寒冷・乾燥化により、類人猿は熱帯林で多くが絶滅。
初期人類は、食域の拡大、道具の使用、二足歩行→食物の運搬→安全なキャンプ地での分配によって乾燥地適応した。キャンプ地を共有する者たちの分配と分業で人類集団が成立した。
人類ははじめから特定の男女による配偶関係の独占傾向をもつ→しかし★乱交の危機から⇒社会学的父性と、インセストと外婚を一致させて家族を誕生させた。
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2008年05月01日

霊長類学の家族の起源2 霊長類の社会構造

霊長類学の家族の起源1 霊長類の進化史に続いて、主に類人猿の社会構造を紹介します。山際寿一著『家族の起源 父性の登場』(1994年)より。
食虫類=巣をもち夜行性の単独生活

6500万年前 原猿類=単独ペア型が併存

5000万年前 真猿類=多くが母系的な集団生活
├―――――――――――――――――┐4000万年前
<狭鼻猿類>旧大陸のアフリカ・アジア     <広鼻猿類>新大陸の南アメリカ

3000~2500 |旧世界ザルと類人猿に分岐
万年前      ├―――――――――――――┐
2000万年前 旧世界ザル:母系       類人猿:非母系
(オナガザル類)    2000万年前├――テナガザル類=ペア
母系の単雄複雌    1300万年前├――オランウータン=単独
または複雄複雌      700万年前├――ゴリラ=父系の単雄複雌
500万年前├――人類
250万年前├――ボノボ=父系の複雄複雌
チンパンジー=父系の複雄複雌
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2008年04月24日

「子守り歌」は貧富の差がもたらした悲しい歌だった・・・

😀 「京都の農村で村落共同体が、崩壊した時代。」http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/03/000374.html koukeiさん
でも紹介されているように、村落共同体が明治以降に急激に崩壊していきました。
その背景には、市場の拡大があります。
次第に自給自足では生活が困難になった農家(小作人)は、労働力にならない 小さなを、農奉公として地主等家に雇って貰うしかない状況になりました。(もちろん男児も例外ではない)
の主な仕事は、赤ん坊の守りをする事で、身体も未成熟な子供が赤ん坊の面倒を見るという今では想像も付かない事だったのです。
その時代背景がもたらしたのが「子守り歌」です。
これまで「子守り歌」とは、優しく癒される様なイメージでしたが、歌詞の内容と史実を合わせてみると、とんでもなく辛く暗いものだった事を知りました。
😥 こういう現実を、歌で紛らわすしかなかったというのつらさが伝わってきます。
🙂 今日は、その子守り歌でもよく知られている「五木の子守歌」を紹介したいと思います。
untitled.bmp
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