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2008年03月22日

【番】と【衆】

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日本の村落を調べていると、大きく東日本西日本で生活様式に伴って共同体のあり方そのものが異なることが分かりました。生活習慣や文化についても西と東で異なるものが数多くありますが、民俗学では、以下のように言われていたりします。 8)
東北日本は、双系的な同族制村落
西南日本は、父系的な年齢階梯制村落
とのことです。一体どういう意味なのか? (東北日本と西南日本の境界線は続きでどうぞ) 😀
気になった方は、続きに行く前にいつものポチっとお願いします。 😀

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2008年03月18日

東洋と西洋 ~日本:惣村の崩壊から近世農村へ~

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ここ3回ほど「東洋と西洋」 カテゴリでは中世ヨーロッパの農村共同体がどのように形成されて消えていったのかを扱ってきました。
これに対して、今日は日本に視点を変えてみます。日本の惣村はどんな運命をたどったのでしょうか。

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2008年03月16日

父系姓における価値意識(韓国編)

現代日本は父系制だとばかり思っていましたが、『母系・父系の有様と双系の謎』を読むと、人類学で区分される父系制とは、制度や価値観の面でかなり異なるようです。
父系制であれば、子供は全て父の血縁成員権を継承し、生得的なもので一生変わらない。!! 
このことは、社会制度にどのように影響し、意識や規範を規定するのでしょうか?
今回は、父系社会の事例として韓国に触れてみたいと思います。
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2008年03月15日

「寝屋子制度(若者宿)」が残る答志島[三重県]

三重県の伊勢市にうかぶ答志島には、「寝屋子制度(若者宿)」と言われる慣習が残されています。その歴史は古く、100年以上も前からあっと言われています。
答志島は離島の中でも良い漁場を持った漁業の町で、漁師町という共同社会の中では、人々が力を合わせないとなにもすることができなかった。
ましてや、昔は機械などなにもなくすべてを人力に頼らなければならなかった。
この様な背景から「寝屋子制度(若者宿)」が始まったと伝えられています。
🙄 では、その生活の様子やシステムはどうだったのか?を紹介したいと思います。
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<答志島>
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2008年03月14日

明治時代、日本の庶民である娘・若者達はデートをして相手を決めていた。

昭和10年に、九州長崎の西方100kmに浮かぶ五島の島々に,民俗学者の「瀬川清子」が訪れた。
そして、地元のおばあちゃんたちに、若い頃の「村の娘の結婚」について聞いている。
今から約120年位前だから、今の若者からすると4~5世代前の日本の娘たちである。
あなたも、当時の日本の「娘達の結婚」について、おばあちゃんの話に、耳を傾けてみませんか?
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2008年03月11日

「不倫の歴史」 ~貴族社会から庶民に広がる~

本の紹介である。
「不倫の歴史」~愛の幻想と現実のゆくえ~
著者:サビーヌ・メルシオール=ボネ-原書房、2001年   ¥3200-
「不倫」は、市場社会がどんどんと広がっていく過程で、庶民にも普及したらしい。
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2008年03月09日

人類拡散の謎~なぜ原人・旧人は死に絶えたか?

前回、人類の進化系統について「アウストラロピテクス(猿人)から枝分かれ進化した種の大半が途中で死に絶え、その中で奇跡的に生き延びたホモ・ハビリス(旧人)から枝分かれ進化した種の大半も絶滅し、さらに奇跡的に生き延びたホモ・サピエンス(新人)という種だけが現在まで生き延びてきた」=「人類は極限的な淘汰圧力に晒されながら、猿人⇒原人⇒旧人⇒新人と大きく3段階で進化してきた」ことについて書きましたが、この大きな進化は、“全てアフリカで起こった”ようです。
『ミッシングリンクの意味=奇跡的に生き延びた人類』参照
今回は、この大進化のたびに繰り返された「人類の拡散」について、なんでや劇場やなんでやサロンで追求してきた内容を紹介します。
%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%88%86%E5%B8%83%E5%A4%89%E9%81%B7.bmp←各年代の人類分布(別冊日経サイエンス151より)

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2008年03月08日

母系・父系の有様と双系の謎

文化人類学的には、日本は母系でも父系でもなく双系であるという点が気になっていましたが、『母系社会』って何?~ちょっと整理してみましたに続けて、再度押さえ直したいと思います。(参照:中根千枝『社会人類学』)
母系制(または父系制)というのは、特定の血縁のつながりを組織概念のシステムとしてもっている社会で、例えば子供は全て母(または父)の血縁成員権を継承するというように、オートマチックなシステムである。両者を総称して単系制といい、血縁関係を使うので生得的なもので一生変わらない。十数世代にも遡って辿ることもできる。従って、結婚して同居しても、母系制の夫(または父系制の妻)はいわばよそ者で、姓も変わらない(夫婦別姓)。この別姓でよそ者というのは、意外に厄介な存在かもしれません。
確かにこの定義に従えば、日本は母系でも父系でもない。日本以外にも東南アジア、エスキモーなどもそうで、双系とか非単系と呼ばれている。(なお、どのような血縁システムをもっているかと、どのような社会構造をもっているかとは別の問題のようです。)
次にこれらの分布を見てみましょう。
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2008年03月05日

中世ヨーロッパ農村における共同体の崩壊~三圃式から輪裁式へ~

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中世ヨーロッパの農村:支配権力による「作られた共同体」~農業システム「三圃制」と農村運営「共同体規制」について~では、中世ヨーロッパの農村が三圃式農法を行うことで荘園内に共同体的な体制が出来上がっていたことが分かりました(とは言ってもそれはあくまでも領主の意向に基く「作られた共同体」だったようですが。)そのため、休耕・休閑中の耕圃は共同の放牧地として用益され、各自が保有する地条には囲い込みがなされず,家畜が自由に移動できる小さな畦で区別されているだけでした。
それが、貨幣経済が発展していくにつれ、輪栽式農法(ノーフォーク法)が広まり、農地の囲い込みが行われ、共同体的な開放耕地は廃れていきます。今回はその過程を追ってみましょう。

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2008年03月01日

村の寄り合いとはどういうものだったのか?

日本古来の村落共同体において「寄り合い」は村社会の共認形成の場として重要な位置をしめていました。ではその「寄り合い」とは具体的にどのようにおこなわれていたのでしょうか?私自身なんとなくのイメージでしか理解していませんでした。
宮本常一著 「忘れられた日本人」にその様子が生々しく描写されているので紹介したいと思います。以下紹介するのは昭和25年頃の対馬での様子ですが、筆者は少なくとも京都、大阪から西の村々ではこのような村寄り合いが古くから行なわれていたと記しています。
以下長文なりますが、リアルな様子が伝わってきますので、是非ご一読下さい。
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