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2013年12月31日

「共同体社会と人類婚姻史」は、これからも追求を続けます

明けましておめでとうございます
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男女の様式~性のあり方、さらにはその共同体社会の原基構造などを、追求する本ブログも開設から7年たちました。
その間で「婚姻様式~男女の様式~性のあり方及び共同体」の追及投稿を繰り返し、その内容の多様さや情報量は、今や日本一(?)となって来ました。

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2013年12月30日

再読 日本婚姻史 縄文時代 集団の有りようの検討と婚姻様式

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画像はこちらから
婚姻史再読シリーズの1回目です。今回は、「日本婚姻史1~その2:日本人の原型を形作った縄文人を取り巻く環境」を再読します。

約1万年前、人類の雌雄(婚姻)関係は劇的に変化してゆくことになったが、豊かな山野や海辺に進出して木の実などの採集や漁労に転じた採集生産の部族と、従来通り獲物の豊かな森林で狩猟を続けた狩猟生産の部族では、全く異なる婚姻規範を形成する。

東アジアの黄色人(モンゴロイド)をはじめとして、世界人口の過半を占めていた採集・漁労部族は、仲間の解脱収束→性欠乏の上昇に対して、皆が心を開いた期待・応望の充足を更に高める方向を目指し、部族内を血縁分割した単位集団(氏族)ごとの男(兄たち)と女(妹たち)が分け隔てなく交わり合う、総偶婚規範を形成した(但し、氏族を統合している部族レベルでは首雄集中婚が踏襲されている事例が多いので、正確には上部集中婚・下部総偶婚と呼ぶべきだろう)。

なお、その後同類闘争の緊張圧力が高まると、再び集団統合力を強化する必要から、氏族ごとの閉鎖性を強め分散力を強める兄妹総偶婚は廃止され、部族内で定められた他の氏族の異性たちと交わり合う交叉総偶婚に移行してゆく。何れにしても、期待・応望充足を最大の活力源とする採集部族は、総偶婚によって期待・応望(=共認)充足を破壊する性闘争を完璧に解消して終うと共に、総偶婚によって一段と期待・応望充足を強めたことによって、その充足を妨げる自我回路もほぼ完全に封印していった。

「実現論 前史」サイト名より

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2013年12月21日

再読 日本婚姻史 プロローグ

皆さん、こんにちは。
この「共同体社会と人類婚姻史」のブログは開設から既に7年が経過しました。
その間、膨大な数の記事が投稿されています。
そこで、今後しばらく、一つのテーマを軸に過去の優れた記事を再編集しながら紹介していきたいと思います。
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(イザナギとイザナミによる兄妹婚)

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2013年12月19日

日本婚姻史に学ぶ共同体のカタチ シリーズ3-5~性の再生は企業の中から~

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このシリーズ最後の記事は、ずばり「性の再生」です。
“性”と聞いて皆さんどのようなことを思い浮かべますか?性とは、男らしさ、女らしさのような性差をまず思い浮かべるでしょうか。端的にスキンシップやセックスということもあります。男であること、女であることを当たり前のように肯定し、お互いの性に期待し応合し感謝し充足しあうこと。そのような幅広い概念で「性の再生」を捉えています。
何故性の再生が必要なのか。それを前回の記事で述べました。それは、大きく捉えると

①生物は、性の差別化をより推進する方向で進化してきた。
→性は、生物にとって適応の基幹戦略である。(参考記事)
②原猿は、雌雄充足共認によって集団を形成している。
→性は、集団統合の中核(要)にある。(参考記事)
③極限時代、原始時代以来、人類は性を集団の共認充足として命綱にしてきた。
→性は集団(さらには集団同士をつなぐ)充足源であり活力源である。(参考記事)
という3点です。
ここで重要なのは、性とはどの歴史を切ってみても、種を存続させていくため、集団を存続させていくために活かされてきたということ。性を個人と個人の秘め事とし、個人の独占物になったのは、一対婚を社会制度として定めた私権時代(日本でいえば明治以降)だけです。(参考記事) 【性の活力とは種や集団を存続させるための必要性から生じる】という生命原理に照らし合わせれば、この私権時代の独占の性が、セックスレスという形で終焉を迎えているのは、必然ともいえます。(参考記事)
もしこの先、性が個人と個人の間に閉ざされたままであれば、適応の基幹戦略である性はますます衰弱し、人類は滅亡の道を歩むでしょう。性を再生させることは、種として存続していくためにも、根底的に重要な視点なのです。

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2013年12月07日

【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】まとめ~東南アジアの可能性を開く鍵は日本が握っている!~


画像はコチラからお借りしました。
【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】シリーズは今回で最終回です。これまでの記事を振り返りながらまとめていきたいと思います。
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2013年12月04日

【家庭って何?】~【番外編】江戸時代には既に信用組合=金融システムがあった

日本の家庭を歴史的に捉えるには、ムラ社会の構造を押える必要があります。色々調べていくうちに、江戸時代には既に信用組合=金融システムがあったという説がありました。
現代社会の金融システムは投資型。極端に言えば、金融に特化した企業が利ざやだけを稼ぐ業界です。
一方、ムラ社会=共同体社会では、どのような金融システムだったのか?
以下のサイトの記事から考えてみたいと思います。
日本社会史の現場からグローバルスタンダードを見る
ムラ社会での融通と土地所有

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2013年11月28日

家族って何? シリーズ3.江戸時代 ~武家だけが血縁父子相続であった~

何かあった時に、最後に信頼できるのは家族の絆、と思いつつ、実態は、子育てサービスや高齢者福祉サービス、外食サービスに依存し 何かあった時でも助け合える環境にない。
同じ家屋に居住していても顔を合わせる事が少なくなり、同じ部屋にいてもそれぞれパソコンやメールを見ている事が多い。近年、世代を追うにつれて家族の絆は細くなっていくばかりで、家族を持たない非婚派は多数になり、家族内の紛争事件は増加しています。
この流れは、家族という最小の集団形態が年々崩壊に向かっている状態である事を示しています。
一方で、デフレ・不況の中でも、「家族的経営の企業は元気がいい」とか、「仲間意識を元に新しく農業にチャレンジ!」という新しい家族的な繋がりに注目が集まって来ています。
わたしたちはどうして行けばいいのでしょうか?
大きな方向性を見極めるために、現在の家族がどのように成立してきたのか?を調べる事にしました。
家族って何?シリーズ3では、Familyの訳語として日本に「家族」という言葉が登場する以前の、江戸時代の家族(?)を分析しています。ポイントは「血縁の父子関係」です。

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2013年11月14日

【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】③欧州列強の侵略 何が変り、何が残ったのか

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「アジアの植民地」画像はこちらから
東南アジアに南方モンゴロイドの足跡を辿るシリーズ【東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探る】ですが、今回は東南アジアを支配した勢力について検討します。

前回、

「モンスーン(季節風)の卓越風の変化(夏季は南西風、冬は北東風)を利用し帆船で 1 年サイクルの交易をおこなった。その時に積極的な役割を果たしていたのは主にインド商人であった。インド商人(アラブ人、ペルシャ人も存在した)がインド、東南アジア、中国の間を往来し、インド文明(バラモン教=神権王制、仏教、サンスクリット文字、農耕技術など)を東南アジアにもたらした。主な貿易商品は中国が輸出していたものは絹織物、金属製品、陶器(量的に増えたのは10世紀の南宋以降)であり、インドの輸出品は綿織物、貴金属、宝飾品であり、東南アジアの輸出品は香辛料、香料(香木、乳香)、貴金属などであった。」
「インド、アラブ商人がイスラム教をもたらした。1400年前後にはマラッカ王国が成立し、一大貿易拠点となった。マラッカ王国はイスラム教を受け入れた。インド商人のもたらす綿織物が東南アジア最大の人気商品となり、インドネシアも港湾都市の商人はイスラム教に改宗するものが増えていった。」
という記述を紹介しました。

東南アジアは、古代国家の時代からペルシア~インド~中国の貿易(商売)を中継する要衝で、インド人、中国人、アラブ人などがやってきては沿岸地域に港湾施設を整備し、次第に都市となり国家となって行ったようです。そうした時代から、西欧植民地時代、日本軍政時代、現在までを一気に俯瞰すると…。

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2013年11月10日

東南アジアの「融合・アメーバー文化」は、南方モンゴロイドの特性から来ている

みなさんこんにちは。
東南アジアにおける、南方モンゴロイド的社会とその可能性を探るシリーズ、第5回目です。
第1回から第4回まで、東南アジアを中心とする南方モンゴロイドの特徴について見てきました。
今回からは、視点を変えて、このような南方モンゴロイドで構成された東南アジア地域が世界との関わりの中で、どのような変化を遂げて行ったのかを見て行きたいと思います。
【1】有史以来の東南アジアは、世界貿易の中心地だった。
東南アジアの世界は、欧米の植民地となった後進国というマイナーなイメージが作られています。が、200年前までは世界の最先端の文化を持った世界貿易の中心地でした。
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2013年10月31日

日本婚姻史に学ぶ共同体のカタチ シリーズ3-4~性の再生は何故必要なのか?~

いよいよ本シリーズもクライマックスを迎えました。今回と次回の記事でシリーズを完成させていきます。クライマックスのテーマは「性の再生」です。
これまで学んできた認識をもとに、大胆に性の再生の道筋を描いていきます。
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本題に入る前に、そもそも何故このテーマを扱うのか。その問題意識を、実現論やるいネットの「生物・サル・人類」の3つの位相から再度整理しておきます。

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