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2014年08月12日

女主導の原理と現代への適用 ~現代にみる女主導の可能性~

前回の記事『女主導の原理と現代への適用~はじめに~』で、これからの社会や集団のあり方を考えるうえで、「女主導の原理」で社会や集団を形作っていくことが一つの突破口になる、という仮説を提示しました。

これは、市場経済が行き詰まり、社会の至るところで閉塞感が漂う中、これまでの価値観を捨て、新たな価値軸へと転換した層の中に、女性が多いという現象から出てきた仮説です。

そこで今回は、これまでの常識に囚われず、新たな価値意識に基づいて可能性を見出し、活力を再生させた女性たちの事例を紹介し、「女主導の原理」の可能性に迫ってみたいと思います。

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画像は、『類グループのHP』『積水ハウスの”なでしこ”たち』からお借りしました。

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2014年07月17日

女主導の原理と現代への適用 ~はじめに~

 

土偶

 

 

新シリーズを開始します。テーマは「女主導の原理と現代への適用」

 

311原発事故は、これまで当たり前のものと考えていた社会の常識に対し、様々な疑念や問題が見えてきました。例えば、

・放射能汚染は深刻だが、政府、マスコミからは全くそのような情報は出てこず事実を明らかにしようとはしない。相変わらず原発稼動を正当化する嘘、誤魔化に終始。

・また、近代豊かさを牽引してきた科学(技術)は本当に正しいのか。実はごく一面的or近視眼的な認識でしかなく、環境や生物、宇宙等の全体は全く解明されていないor間違った認識or都合良く解釈した認識なのではないか。

・また、そもそも市場拡大を絶対とし、大量のエネルギーと生産を必要とする市場のあり方は良いのか。

また、原発事故では、政治家や官僚の嘘、隠蔽等が明らかになりましたが、極めつけは不正選挙疑惑でしょう。2012年12月に実施された第46回衆議院選挙は、ネットでも不正ではないかという声が多数あがりましたが、その後も高松市参院選で不正による逮捕者が出すなど不正選挙がどんどん明るみになってきています。

●高松市参院選の不正 http://www.asahi.com/articles/ASG6T5J3MG6TPLXB00H.html

●不正選挙まとめ~パイナップルさんのツイートより~ http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=271988

●不正選挙:(都知事選)こんな単純な数値工作だったとは? http://martin310.exblog.jp/17225311/

●「不正選挙の手口」 http://sayuflatmound.com/?p=119

 

民主主義の根幹である選挙でさえ実は不正だったとすれば、これまで社会を支えていた近代思想は何だったのか。選挙も不正。国会も茶番劇。社会の根幹を支えてきた制度も教育も思想も全てが疑念の対象となり、社会の秩序が全面的に崩壊していく感覚を覚えます。このままでは、日本の社会だけでなく人類は本当に滅亡してしまう。そんな危機感さえ感じます。

このような危機感のなか、この先社会をどうしていけば良いのか。そのような未知な感覚は日増しに高まっています。と同時に、あらゆる可能性にチャレンジし、新しい社会や集団のあり方を作っていこうとする試みも目に付くようになってきました。これからは、誰もが新しい社会を作っていく。その為に社会の仕組みを掴んでいく時代です。

人類の婚姻史や集団・共同体の歴史を追求してきた本ブログでは、これから社会や集団のあり方を考えるうえで、「女主導の原理」で社会や集団を形作っていくことが一つの突破口になるのではないかと考えています。(理由は後述。)日本に脈々と流れてきた、集団や社会の基盤となっている女主導の原理。これを再度追求し、それを現代に適用することで未知なる社会の“路”が開けてくのではないかと考えています。

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2014年06月06日

発見の学問=民俗学から学ぶ「脱・教科書」への道4~網野善彦が読み解いた日本の東と西

山梨県に生まれ、30代まで東京で育ち、その後名古屋に職を得た網野善彦はくらしのなかで東と西にちがいを実体験しています。しょうゆや味噌汁の味、お正月の魚(鮭とぶり)と、餅の形(四角と丸)、そして言葉。それら自らの実感と結びついた宮本常一の著作との出会いをきっかけとして、日本人=単一民族と決めつけることに対する疑問を抱き、日本における東と西のちがいに注目していきます。

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2014年05月29日

【家族って何?】シリーズ.8~昭和後半から現代~家族という枠組みは成立していたのか

前回の記事【家族って何?】シリーズ.7 昭和時代:民法改正と戦後体制下の「家族」http://bbs.jinruisi.net/blog/2014/04/1251.html

では、戦後アメリカの日本去勢戦略から近代思想を中心とした個人主義が蔓延していった状況と、その中でも日本はどう適応していったかを分析してきました。その結果、

>◆集団に役立つことで活力を出すという集団統合を考えると、「平等家族」は消費・娯楽・生殖の器と、ずり下がってしまい帰属意識の元となる、活力の元となる集団と成りえなくなりました。

この時代の後、昭和後半から現代までは、家族は崩壊過程に入ることになります。このあたりは、現代人にとっても実感できるところだと思います。

今回は、その崩壊過程にある中で、家族とは一体なんだったのか。突き詰めてみたいと思います。

家庭崩壊1

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 ●家族の崩壊現象

①1970年代~私権衰弱の始まり・遊びにしか収束できなくなった

1970年は、日本が高度経済成長を遂げ、貧困が消滅,豊かさを実現した。私権意識も衰弱し始め、家庭内では消費しか目的がなくなってしまう。ひたすら解脱,快楽しかなくなった。よって、家庭内の課題は子育てのみとなり、過保護や教育ママなど「子供の教育=囲い込み」に向かっていった。

教育ママ

②1980年代~家庭内暴力・教育問題

“家庭内離婚”,“亭主元気で留守がいい”,“濡れ落葉”等の流行語のように、父親は父権を喪失。家庭に外圧がかからず、無圧力空間へ。“カイワレ族”,“オタク”のような子供の出現で家庭内教育が問題化。また、父権を喪失した父親に対して女性の自我が肥大、家庭での力が逆転した。家庭内暴力がこの頃から問題化(’80)した。

タンスにゴン

③1990年代~性の衰弱・仲間第一世代

80年代半ばから始まったセックスレス(’91)が広く進行。性で繋がっていた家庭内男女関係が崩壊。また、離婚件数が右肩上がりで増加している。一方で、1985年バブル崩壊後、企業私権が衰弱し始め、この年代から家庭私権=家庭の安定を求める意識が顕在化していった。また、子供間のいじめが深刻化。そのいじめから抜け出せないほど、仲間第一世代であることが顕在化した。

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④2000年代~私権終息・ついに家庭には何もなくなった

世界バブル崩壊(’02)により私権拡大の可能性が消え、人々は文字通り収束不全へ。節約志向(もったいない’02)のように、家庭内の消費意欲▼。ついに遊びにも収束できなくなった。試験制度=エリート街道への教育熱も▼。ついに家庭には何も課題がなくなった。非婚や子供を生まない夫婦等も増え、家庭という枠組み自体も現実として崩壊。その結果なのか、モンスターペアレンツ,モンスターチルドレン,草食男子,無差別殺人等々、家庭環境に関連する問題,現象が噴出していく。

モンスターペアレント

このように、家族の崩壊現象は年代を追うごとに問題が噴出。家庭の唯一の課題であった子育てさえ、近年は受験熱も冷めています。今や、家庭内には課題は何もなくなってしまったことがわかります。

●生産様式の変化と核家族化の進行

前述した家庭が崩壊した背景には、核家族化が浸透していったことが挙げられます。それは生産様式と密接に関わっています。

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※社会実情データ図録http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5240.html

このグラフは、第一次産業(農業,林業,漁業等),第二次産業(製造業,建設業等),第三次産業(その他サービス業)の産業別就業者数推移を示しています。市場経済拡大と共に、第三次産業が右肩上がりで増加し、村落共同体の生産様式であった第一次産業は右肩下がりとなっており、後継者不足も叫ばれているところです。

第一次産業は、家族を包摂した村や町,地域と一体となった生産様式である一方、工業生産である第二次産業利益第一のサービス業である第三次産業は、ほぼ企業に勤めるサラリーマン生産の場である企業と切り離された家庭=核家族という別の生活の場を有している生産様式です。生産という外圧が全くかからないため、より核家族化=生殖と消費だけの場と化してしまったと考えられます。家族に課題がなくなったのは、このような生産様式、さらに付け加えれば、利益第一の市場経済拡大という問題が大きく関わっています。

●家族をどのように意識しているか

このような家庭の変遷をふまえて、私たちは、日常、家庭というものをどのように意識しているでしょうか。

実は、核家族-父、母、兄妹-だけではなく、親類,友人,お世話になった学校の先生,仕事仲間…。様々な人と接し、日々過ごしています。アメリカの家族のような徹底した個人主義のような意識かというと何か違います。

日本人は、核家族という枠組みを超えて、様々な人達との充足体験の方が意識が強いのではないかと感じるのです。制度だけが残っている家族に帰属意識も残っていると思われますが、例えば、現代若者が「地元」=地域をリスペクトしているように、村落共同体の意識が根底に流れているのです。

●そもそも家族は成立していたのか

家族が始まってからの歴史を、もう一度、俯瞰してみたいと思います。

人々は、明治民法において、家制度という枠に無理矢理嵌め込まれました。それでも、農村は村落共同体でした。

「家族って何?シリーズ5 明治時代 ~洗脳と法制化によって民衆は「家」と「国」に嵌め込まれていった~http://bbs.jinruisi.net/blog/2014/02/001187.html

大正時代は、メディアや新聞等が恋愛等の近代思想を流布。市場拡大のための富国強兵の国家圧力から、核家族が姿を現しました。しかし、まだ都市だけの現象であり、農村では村落共同体も残り続けていました。

「【家族ってなに?】シリーズ6大正時代~村落共同体が国家圧力、市場圧力で浸食された時代http://bbs.jinruisi.net/blog/2014/04/1394.html

昭和民法においては、アメリカによる個人主義を軸とした家族が刷り込まれました。核家族化が進行する一方、共同体的経営の企業,町会や自治会等の地域共同体などが人々を繋げ支えていました。

「【家族って何?】シリーズ.7 昭和時代:民法改正と戦後体制下の「家族」http://bbs.jinruisi.net/blog/2014/04/1251.html

結果、現在は、1898年民法で制定されてから100年足らず。核家族化が進行してから50年たらずでその枠組みが崩壊しました。

こうして明治に半ば強制的に始まった「家」という集団は、「(核)家族」という自立できない=外圧に適応できない集団に成り果てました。こう俯瞰してみると、「家族」という枠組みは成立していたのか?非常に怪しいのではないでしょうか。

例えば、江戸時代の商家では自分がどうしたいという自分勝手な意識ではなく、「家、親族、別家、組合を末代まで存続させるためにどうしていくのか?」という規範,意識が貫徹されていました。「家」という枠組みだけでは存続できないということを自覚していたからです。

後継ぎに息子は禁止!江戸時代商家の集団の在り方とは?http://web.kansya.jp.net/blog/2009/07/000875.html

我々の家族に対する意識も、決して家族だけが優先なのではなく、仲間,友人・・・様々な人々を対象にしています。

昭和の初めまで残り、日本人を支えてくれた村落共同体のように、安心して帰属できる,外圧に適応できる集団を再構築することが今最も求められていることではないでしょうか。

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2014年05月29日

岡本太郎が見出した縄文の魂~闘争・歓び・祭り~

岡本太郎は、1970年大阪万博の「太陽の塔」をデザインした芸術家。40代以上の人にはテレビで「芸術は爆発だ!」と叫ぶ奇人系タレントとして記憶している人も多いでしょう。しかし、彼が1950年代に民俗学的視点から、縄文土器を再評価し、日本文化論を多数著してきたことはあまり知られていません。今回は芸術家という枠に納まらずに活躍した岡本太郎について紹介します。

太郎は、1911年(明治44年)、漫画家の岡本一平、歌人・作家のかの子との間に一人息子として生まれました。父は有名な漫画家、母は人気作家という家庭環境が、芸術家岡本太郎の土壌となったのは確かでしょう。がなかなか複雑な家庭環境でもありました。

父は収入こそあれ、そのほとんどを交遊に使ってしまう放蕩ぶり。母かの子は創作活動に邁進し、家事・育児は一切せず。しかも愛人をつくり、夫公認の下で同居するという自由奔放ぶりでした。当時としては、いや現代においても破天荒な家庭環境が、古い価値観や制度に縛られずに、人や物事の本質を見抜く“眼”を養ったのかも知れません。

 その後成人した太郎は、フランスの大学で哲学・社会学・民俗学を学び、つねに既製の伝統主義的価値観を否定し、人間の根源的な力を探し求め続けました。

 その太郎が、戦後まもなく出会ったのが、縄文土器です。その出会いは衝撃的なものでした。

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2014年04月19日

【家族って何?】シリーズ.7 昭和時代:民法改正と戦後体制下の「家族」

このシリーズで、「家族って何?」として次のように追求してきました。

■現在の「家族」と言う意識は、江戸時代以前は低かった。
江戸以前の庶民は村(=村落共同体)に帰属しており、「家」の位置づけは低かった。村の集団に役立つこと(役割)を活力として集団統合されていた。

【家族って何?】~プロローグ~
【家族って何?】村落共同体という集団形態~日本の農村における村落共同体とは?~
家族って何? シリーズ3.江戸時代 ~武家だけが血縁父子相続であった~
【家庭って何?】~【番外編】江戸時代には既に信用組合=金融システムがあった
【家族って何?】シリーズ4.江戸時代~市場化の波に対し、村落共同体を守る民衆~

 ■大衆が「家族」を強く意識することに成ったのは、明治からだった。

明治政府が、儒教文化を下敷きにした家長制の「家」制度を大衆に浸透させて、大衆は「家族」を強く意識するようになった。

【家族って何?】シリーズ5 明治時代 ~洗脳と法制化によって民衆は「家」と「国」に嵌め込まれていった~

家長と家族、各家族と国家との相似形を作ることにより、国家への役割を理解して活力を出すという集団統合を行った。

【家族ってなに?】シリーズ6大正時代~村落共同体が国家圧力、市場圧力で浸食された時代

村落共同体と、国家による家制度に加え、市場化・自由恋愛による核家族化の三つ巴の状態。
そして戦争圧力の上昇とともに、一気に国家収束に傾斜していった。

■敗戦により「国家」と「家」は払拭され、「民主主義」が導入される。

家長制度の「家」は否定されて、昭和の「平等家族」意識が発生しました。
戦後の昭和時代に、どのような「家族」意識を捨てて、あらたな「家族」意識とは、どのようなものだったのでしょうか?
順を追って見てみましょう。

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2014年04月12日

【家族ってなに?】シリーズ6大正時代~村落共同体が国家圧力、市場圧力で浸食された時代

こんにちは。
【家族って何?】シリーズ6回目は、大正時代です。

前回の記事:シリーズ5明治時代において、国家による洗脳と法制化によって民衆が「家」と「国」に嵌め込まれていった過程について、確認しました。大正時代に入ると第一次世界大戦が勃発し更に国家圧力が強まりますが、一方で文化人を中心に明治末から発信されていた自由、恋愛などの近代観念が実体化し大正ロマン文化を形成、市場化・自由化の圧力も同時に高まります。大正時代とはどのような時代だったのでしょうか、国家圧力と市場化のなかで「村落共同体」、「家族」はどのような位置にあったのでしょうか。

※これまでの記事

【家族って何?】~プロローグ~

【家族って何?】村落共同体という集団形態~日本の農村における村落共同体とは?~

【家族って何?】シリーズ3.江戸時代 ~武家だけが血縁父子相続であった~

【家族って何?】シリーズ4.江戸時代~市場化の波に対し、村落共同体を守る民衆~

【家族って何?】シリーズ5.明治時代 ~洗脳と法制化によって民衆は「家」と「国」に嵌め込まれていった~

【家族って何?】シリーズ番外編 ~「恋愛」「純愛」が流行した大正時代ってどんな時代?~

 

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2014年04月04日

再読 日本婚姻史 奈良時代の婚姻 ~国家制度としての婚姻・・・藤原不比等の策略~

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皆さん、こんにちは。今日の記事は『再読 日本婚姻史』シリーズです。

本シリーズではこれまで、以下のような「再読」を行ってきました。

1)再読 日本婚姻史 「先土器時代(旧石器時代)」

2)再読 日本婚姻史 縄文時代 集団の有りようの検討と婚姻様式

3)再読 日本婚姻史・・・縄文時代の婚姻様式:集団密度との関係について

4)再読 日本婚姻史 「縄文から弥生への婚姻様式の変化」

5)■再読 日本婚姻史 「弥生時代の父系文化への移行~父親観念の発生~」

6)日本婚姻史再読シリーズ 妻問婚から婿取婚への移行期(古墳時代~飛鳥時代) 氏族の誕生と継承

 1万5千年前の旧石器時代から、各時代の婚姻について述べてきたシリーズ。7回目の記事になります。

今日の話題は、前回の「古墳時代~飛鳥時代」の次の時代、「奈良時代」の婚姻についてです。ここでも、男女の婚姻に特徴的な変化が現れます。
時はすでに日本という国家を形成しつつあった時代。単位集団としての婚姻様式だけで語れる時代ではありません。そのため、まずは、社会的背景と対比的に時代を眺めてみるところからはじめます。飛鳥時代~奈良時代の概要です。

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2014年04月01日

家族って何?シリーズ番外編 ~「恋愛」「純愛」が流行した大正時代ってどんな時代?~

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画像はコチラからお借りしました。
寿屋(現サントリー)・赤玉ポートワインの広告。日本初のヌード広告。1922年(大正11年)

今から100年前の大正時代に「恋愛」「純愛」というものが流行しました。「恋愛」「純愛」は、それまでの「色」・「恋」とは異なり、ロマンチック(現実離れした、甘美で情緒的、かつ幻想的)なもので、「大正ロマン」と呼ばれています。当時、実際にロマンに浸ったのは一部の富裕層ですが、庶民にも憧れが生まれ、ロマンに染まっていきます。

また、大正時代には「デパート」に代表される華やかな大衆消費産業が興ります。商品は女性を着飾るものが中心で、街には華やかに着飾った女性が現れ、好況期であった事もあり、消費は一気に拡大していきました。

明治から昭和初期にかけては、学校が大衆への洗脳機関として、忠・孝規範と「天皇国家」と「家制度」を正当化する洗脳を行っていましたが、当時の時代を造っていた「恋愛」「純愛」は学校では教えていません。

では、「恋愛」や「純愛」は誰が教えたのでしょうか?

続きを行く前に、いつもの応援よろしくお願いします

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2014年03月25日

発見の学問=民俗学から学ぶ「脱・教科書」への道~柳宗悦による追求。民藝から学ぶ技術伝承~

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前回は「共同体の答えの出し方」というテーマの下、宮本常一氏の村落共同体の実態、そこから現代に活かすことのできる要素を抽出しました。今回は、柳宗悦氏を切り口として『技術の保存・伝承』をテーマに、明治時代から始まった民藝運動に着目します。

現在、産業の生産基盤を日本から海外へ移す企業が多い状況にありますが、この先技術の保存・伝承についてどのように考えているのでしょうか。人件費、土地代、建設費等の経営上の問題からそのような判断に至ると考えられますが、そのような状況下でも日本の技術は日本で受け継ぐ!という企業も存在します。またサラリーマンではなく、職人として技術を身に付けていこうとする若者も増えてきています。

 

民藝に着目し、日本各地を巡りながら品々の保存・収集の活動を明治時代に開始した柳宗悦はまさに技術の保存・伝承の先駆者でした。日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動(民藝運動)を日本へ広めた人物です。個人主義が広まりをみせる中で庶民が生み出す日用品に着目した柳氏は民藝をどう捉え、考えていたのでしょうか。

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