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2010年06月02日

本格追求シリーズ2 世界婚姻史の構造解明 第10回 日本婚姻史から何を学ぶか?

これまで世界各地の婚姻史を学んできましたが、今後の婚姻形態を考えていくために、今日は日本婚姻史も扱ってみようと思います。ただ当ブログでは、過去~現在まで日本婚姻史を数多く扱っており、よくまとまった記事もあります。そこで今回は、その紹介をしつつ、いつもと少し趣向を変えて、扱った中身についての、みんなの声も一緒に発信してみようと思います。
明治神宮での結婚式風景
20090922143657.jpg
家制度とその基礎を成す固定一対婚を浸透させるため、明治時代に生まれた神前結婚式 
前回までの内容はこちらから。
第1回 プロローグ 
第2回 極限時代の婚姻形態 
第3回 採取時代の婚姻形態 採取部族編1 
第4回 採取時代の婚姻形態 採取部族編2 
第5回 採取時代の婚姻形態 採取部族編3 
第6回 採取時代の婚姻形態 狩猟部族編 
第7回 牧畜・遊牧部族編 
第8回 遊牧部族⇒武力支配国家 
第9回 性市場と性権力の発生 

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◆日本婚姻史 これまでのまとめと今後の可能性

1.縄文の婚姻性の根底部にあるもの~期待応合
2.日本人の原型を形作った縄文人を取り巻く環境
3.縄文時代の婚姻制を探る
4.日本の交叉婚の特殊性
5.弥生時代前期の婚姻制度【持ち込まれた私婚制】
6.弥生時代後期の婚姻制度【支配層内で萌芽した私婚制】
7.大和時代以降の婚姻制度【嫁取婚(父系制私有婚)の登場】
8.日本人はどのように恋愛観念を受容したのか?明治編

日本婚姻史を俯瞰すると大きな転換点は2つ。弥生時代に大陸より持ち込まれた私婚制と、明治時代の近代化による婚姻制のようです。どちらも大きくは大陸からの輸入であり、日本古来から育まれてきた婚姻形態ではありません。そこで、これら転換前が、日本婚姻形態の基礎であると考え、まずは「日本の交叉婚の特殊性」について扱います。
◆日本の交叉婚の特殊性

日本の交叉総偶婚の婚姻形態は世界の交叉総偶婚の中でも少し変わっているようです。
●男女が分け隔てなく交わりあう日本の交叉総偶婚【クナド婚】
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神ですが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっています。
クナドは文字通り神前共婚の場所ですが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもあります。原始段階では性交は同族化を意味します。異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあったようです。
祭事の折など、数ヵ村共有のヒロバ(広場)に集まり、男達と女達が分け隔てなく交わりあう交叉総偶婚という婚姻形態を取っていたようです。
●厳格に規範化された海外の交叉総偶婚
交叉総偶婚(族外婚)の典型はオーストラリアのアボリジニ先住民族に見られます。A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というものです。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろありますが、基本的には二群式が原則です。

海外の交叉総偶婚は、厳格に規範化された婚姻制。これに対し日本の交叉総偶婚はとてもおおらか。縄文から続く共同性や期待応望による、みんな充足に重きが置かれた婚姻形態である事がわかりました。
この記事を扱った段階で、今回のテーマを追求したサロンでは、次のような質問が出されました。
★日本のおおらかな婚姻形態や人々の意識から何を感じ、何を学ぶか?
出てきた意見としては。。。
「彼らは性を日常のもの、必要なものとして認識していたようだ。」
「色んな人との充足を大切にしていたように思われる。」
「特定の誰かではなく、みんなを対象化していることがわかった。」
「私有婚だと、私権が衰弱する現状では、性への活力が失われる一方。」
「猥談なども昔は充足可能性のために行われていたようだ。」
「性の秘匿幻想化は、性を貧困にしているのかもしれない。」
「現代と全く違う性意識。歴史を学ぶ大切さを感じた。」
「性の充足=性は人々の最大の活力源であったことを学んだ。」
そこで、次の疑問。
★性は最大の活力源とみんなが認識したとして、現代版クナドの実現可能性はあるだろうか?
「好き嫌いなどの自我があると、実現できない。」
「現代の一対婚規範による歯止め(しがらみ)が強固。」
「現代の規範から生起される一種の庇護意識が邪魔をするかもしれない。」
「昔のような日常の延長にある性であれば上手くいくと思う。」
「性幻想は今や衰弱している。現代制度が変われば自ずと変わるのでは。」
「確かに人々の意識の転換より、制度による壁の方が大きい。」
このため、現代の婚姻制度について、少し掘り下げてみました。
◆日本人はどのように恋愛観念を受容したのか?明治編

まずは明治政府における婚姻制度改革の流れをおさえてみたい。明治民法の規定には「妻は婚姻によりて夫の家に入る」「夫は妻の財産を管理す」「家族が婚姻を為すには戸主(家父長)の同意を得ることとする」とあり武士階級の家意識が引き継がれたものになっている。しかしこの民法制定の前にフランス人法学者ボアソナードの起草に手を加えた旧明治民法が存在する。この旧明治民法は私権を広範に認めるものになっており家父長制度に反する内容を多く含み、「民法出でて忠孝滅ぶ」と大反発にあい、(自由民権色の強い)フランス法学よりは(民主主義後進国であった)ドイツ法学に依拠した作り直しが行われ明治31年施行となった。
明治の支配階級は、武士の伝統を引き継ぐ家規範派と、フランス流の個人主義に基づく一対婚派で対立しつつも、庶民の集団婚は考慮すらされなかった。

庶民の婚姻は、明治の近代化政策によって転換。婚姻制度は、西洋一対婚の輸入と下級武士達の性規範との間で決められ、引き継がれてきた庶民の婚姻形態は無視されたようです。現代の婚姻制度は、明治近代化を推進した下級武士によるところが大きい。そこで彼らの性規範、意識についても扱ってみます。
◆日本人の一対婚規範の背景には下級武士の規範意識がある?

婚姻問題の本質を理解するには、そもそも日本には一夫一婦制の婚姻制度が存在しなかったということを理解する必要がある。 江戸時代に人口の9割を占めた農民の婚姻形態は本質的に多夫多妻制であった。では、日本には死ぬまで一夫一婦制を貫くという規範を持った人々はいなかったのか? 実はいた。それは下級武士である。
武士でも身分が上の方になると平安な天下国家を長く存続させるという儒教的大義名分の下に妾をたくさん持っていたが、下級武士は一夫一婦制を貫くことを規範としていた。
では、なぜ下級武士は一夫一婦制を守ることができた、あるいは、守らざるを得なかったのだろうか? 武家の婚姻は、男と女の、つまり個人対個人の契約ではなく、家と家との契約である。 家と家との同意により、家と家が契約するのが武家の婚姻である。家に迷惑をかけることができない、だから一夫一婦制という規範を守らざるを得ないのである。
現在の日本の婚姻制度は、この下級武士の婚姻を道徳的規範として構築された。民法はそれを法的規範として補佐した。夫婦が離婚すべきでない道徳的な理由は、究極的には「家に迷惑がかかるから」ということになる。
つまり、日本人には、「家」という概念がなければ、婚姻についてまったくモラルがないのである。「家」という概念に無頓着な日本人が生涯一夫一婦制を貫いたとしても、それはただ単に「相手や子供がかわいそうだ」とか「法律上、離婚の方が面倒くさく不利になるから」という一過的な理由でそうなっているだけに過ぎない。
欧米の保守派なら「神との契約を破るな」ということになるが、日本人は「当事者が同意すればいい」「一夫一婦制の方が不条理だ」ということになる。

現代でも残る家(=私権)意識。明治の制度改革により、それが庶民にまで拡張され、おおらかで豊かだった日本人の性を封鎖していったようです。
★まとめ
今回のサロンは、日本人の性に対する意識や、それをどう活かしていくかなどの疑問が出され、性と社会構造について扱う場となりました。みなさんは、どうお考えになったでしょうか?
こうして日本婚姻史を見てくると、現代の婚姻形態は、家(=私権)を基にした制度によるところが大きく、しかも歴史的にみると、それは多くの日本人にとって、窮屈で充足しにくいものであるようです。
また庶民の婚姻形態の転換は、つい最近(=明治時代)であることもわかりました。縄文から続く共同性や期待応望による、みんな充足に重きが置かれた性。その充足を活力源とする意識は、今の我々にも残されているのではないでしょうか。
今後の婚姻形態を考えていくためは、歴史に触れ、積み重ねられてきたみんなの意識に合う、新しい制度の構築も必要となってきます。次週は、今までの歴史と現代潮流を切口に今後の可能性についても、少しづつ考えていこうと、今回議論に参加した仲間達と話しています。

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論旨には賛同しますが、論理展開が荒いのでは。
「想像を絶する逆境」「人類は奇跡的に生き延びることができ」とは何を意味するのか。種にとって環境への順応は生き残る条件です。人類が生き延びるために如何に環境に適応したか捉えるべきではありませんか。何か被害者意識が前面に出ている感じがします。
「皆で充たしあい、支えあう」は想像が飛躍している感じで根拠不明です。猫も夜な夜な集会を開いていますが、同様の気持ちではないでしょうか。狩を集団でするメリットは多数の種で認識されていますが、それを否定すると、草食哺乳類等の集団化メリット以外の有効なサバイバル戦略を提示する必要があるように思います。石を投げたり棒を持つ事はできますから、集団で防衛した事は十分考えられます。それが有効だと感じる事と狩猟の開始は同時とも思えます。

  • 太郎次郎
  • 2010年10月10日 16:46

人類は、本能ではどうすることが出来ない状況下で、共認充足(相手と同化することによって得られる充足)を得て、それを活力源にして初めて自然外圧に立ち向うことが出来た。つまり、初期の人類が外圧に立ち向かう時、まず共認充足を得て活力を高め、それをバネに闘争へと向かう闘志を沸き立たせたということですね。
自ら活力を生み出した初期人類の逞しさを感じると共に、そうしなければ生延びることが出来いほど過酷な外圧状況だったのだと改めて認識しました。
「共認充足+闘争」、この闘争へと向かう2段構造は、人類が人類たる最大の特徴とも言えそうです。だとすれば、人類の集団の統合様式や闘争形態を考える時、共認充足との関わりのなかで考える事が重要なようです。

  • さいこう
  • 2010年10月16日 22:22

>太郎次郎さん
率直なコメントどうもです。
>「皆で充たしあい、支えあう」は想像が飛躍している感じで根拠不明です。
『実現論<ニ.サル時代の同類闘争と共認機能>』http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=4
でこのあたりは詳しくまとめてあります。ぜひ読んでみてください。
>人類が生き延びるために如何に環境に適応したか捉えるべきではありませんか。
以前まとめた『初期人類は骨を食べていた!』シリーズhttp://bbs.jinruisi.net/blog/2008/07/000406.html
に、食に関してどう環境に適応したか?書いています。よかったらこちらも、また読んでみてください。

  • yidaki
  • 2010年10月23日 23:00

>さいこうさん
いつもコメントどうもです。
共認機能を獲得した人類にとって共認充足が最大の活力源であったのでしょう。人類史500万年間を見ると、人類の普遍構造が見えてきますね。

  • yidaki
  • 2010年10月23日 23:02

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