日の出に感謝、鎮守の杜、八百万の神、植物に語りかけ・・
自然現象や万物に対しても、人を観るのと同じような存在として観ていることってありますよね。このような万物への意識の在り様や見方は人類固有のことで、とりわけ日本人には深く根付いているように思います。
人類は、サルから枝分かれした約500万年前から、文明が始まる約6000年前までの人類史99.9%の時代を、極限的な生存圧力の下で生き延びてきました。このことを前回の記事では書きましたが、前段のような意識の在り様や見方も、この時代に作られてきたものだと推察されます。
それは、縄文以前の上古代の潜象科学=カタカムナを考察した、楢崎皐月氏の認識にも現れています。
楢崎皐月氏のカタカムナ説(1) 宇宙から素粒子に至るまで、万象は共通構造(相似象)を示すより引用
「相似象」というのは次の二つの意味がある。一つは「互いに似通ってくる性質がある」という意味である。たとえば、朱に交われば赤くなるとか、夫婦の顔がだんだん似てくる、などのように、環境に似通わせる性質があるという意味である。
もう一つは、「いろいろな現象のパターンが共通である」という意味である。たとえば、原子核の回転構造が、太陽の周りを惑星が回転する太陽系の回転構造に類似しているなどの例が挙げられる。カタカムナ人の天然に対する直観は、カムの無限世界および、宇宙球の巨大なものから、目に見えないアマ始元量の最小素粒子までを観て、そこには共通のパターンすなわち相似象があることを見抜いた。それを記してあるのが「カタカムナ文献」である。
楢崎皐月や宇野多美恵は、カタカムナ人の偉大さは、「天然に相似の象がある」ことを見抜いたことだとして、「カタカムナ文献」を勉強する会の名称に「相似象」という名前を用いた。「相似象」とは、天然宇宙のサトリということになる。
人も宇宙も全て同じ秩序構造を形成している、という万物への同一視観が、極限時代の人類の認識と思われます。
☆☆このような認識を人類がどのように獲得してきたのか?
それを今回の記事にしてみたいと思います。