RANKING
にほんブログ村 歴史ブログへ
NEW ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK

2008年12月24日

初期人類は骨を食べていた!vol.15<初期人類の知能>

vol.14(直立二足歩行に関する仮説紹介)で、初期人類からネアンデルタールまで野生動物だった と書きましたが、その当時の人類の知能はどの程度のものであったのか 今回も島泰三さんの著書『親指はなぜ太いのか』より紹介させて頂こう思います。
初期人類の知能が、どの程度だったか なんで解ると思いますか
それは、遺跡からでる「骨」や「貝」の特徴から、見る事ができるのです
今日は、初期人類の知能を、詳しく見ていこうと思います。
それでは、下のぽちっとして、500万年前の人類の世界へ出発してください。
では、いってらっしゃいませ。。  

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2008年12月18日

「日本人の起源」解明 これまでの成果と残課題

8月12日のなんでや劇場「日本人の起源」を皮切りに、未解明点をるいネットおよび縄文と古代文明を探求しよう!ブログとともに取り組んできましたので、これまでの成果および残課題を整理しておきたいと思います。新しく参加された会員様も、未解明点の解明、または異論・反論でも結構ですので、是非ご意見いただきたいと思います。
皮切りになったなんでや劇場の内容は以下。
朝鮮半島からの流入民との融和をもたらした古代日本人の縄文的性質
古代朝鮮からの侵略部族が、一貫して日本を支配してきた
その後、人類の拡散にさかのぼって事実を積み上げてきました。改めて大きな課題編成のもとに再整理します。
応援よろしく  by岡

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2008年12月17日

初期人類は骨を食べていた!vol.14(直立二足歩行に関する仮説紹介-3)

vol.12vol.13(直立二足歩行に関する仮説紹介)に引き続き、直立二足歩行の謎 における様々な学者の仮説を、島泰三さんの著書『親指はなぜ太いのか』より紹介させて頂こう思います。
今日は、日本の学者の直立二足歩行の謎 における仮説です 。
それでは、<直立二足歩行に関する仮説-3>を、お楽しみください 😀 。
下のぽちっとして、500万年前の人類の世界へ Let’s Go! してください。
では、いってらっしゃいませ。  

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2008年12月16日

外圧状況から見る日本婚姻史  渡来人と妻問婚

dotaku.jpg
外圧状況から見る日本婚姻史
前回に引き続き、今回は、「日本婚姻史5 妻問婚~大和時代~」について考えてみたいと思います。 :
この時代、縄文人の集団婚は、渡来人によってもたらされた妻問婚へと変遷して行きます。
大陸から最先端の技術を持ち込んだ江渡来人達は、支配者層として日本に定着していったと考えられています。
妻問婚を持ち込んだのも彼らだろうと思われますが、しかし、最末端の庶民にまでこの妻問婚が行き渡ったかというと決してそうではありません。
上流階級こそ妻問婚そして私有婚が定着して行きますが、庶民階級では集団婚的な色合いがずっと残り続けます。

■なぜ、支配層は個人婚、私有婚を貫き通したのでしょう?
■なぜ、大多数の縄文人が続けていた集団婚に染まらなかったのでしょうか。
■逆になぜ、縄文人は妻問婚に転換しなかったのでしょうか。

今回はそこを考えてみたいと思います。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2008年12月13日

初期人類は骨を食べていた!vol.13(直立二足歩行に関する仮説紹介-2)

vol.12(直立二足歩行に関する仮説紹介-1)に引き続き、直立二足歩行の謎 における様々な学者の仮説を、島泰三さんの著書『親指はなぜ太いのか』より紹介させて頂こう思います。
vol.12に、まりもさんがコメントを入れて頂いてるように様に、各学者とも自論に対して、それに反する事実や説明できない事実がでてきたときに、それを柔軟に組み替え仮設を立て直そうとする行為が見受けられません。
何故、学者は一度世に出した説を、固定し固執するのでしょう
それでは、<直立二足歩行に関する仮説-2>を、お楽しみください。
下のぽちっとして、500万年前の人類の世界へ Let’s Go! してください。
では、いってらっしゃいませ。  

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2008年12月08日

初期人類は骨を食べていた!vol.12(直立二足歩行に関する仮説紹介-1)


vol.9(ヒトとサルの足の構造)で予告して以来、のびのびになっていた、直立二足歩行の謎 における様々な学説を、島泰三著『親指はなぜ太いのか』より3回に分けて紹介させていただこう思います。
今だ人類が何故二足直立歩行になったのか 謎の部分があります。島泰三さんは「口と手連合仮説」によって、vol.7で紹介したような推測をしておられますが、それまでも様々な学者がこの難問に挑んでいます。
今日は、これまでの学者の見解を紹介したいと思います。
左の写真は、【ラエトリの足跡】といわれるもので、370万年前にアウストラロピテクス・アファレンシスが直立二足歩行していたまぎれもない証拠として見つかった足跡 です。
ではでは、下のぽちっとして、500万年の旅に出発してください。
いってらっしゃいませ。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2008年12月07日

中山太郎の「日本婚姻史」から~共同婚~☆2☆

shiseki07.jpgはやいもので、今年も残すところあとわずかとなりました。 ばたばたと忙しくて心に余裕のなくなる時期ですが、昔の日本の大らかな婚姻制に触れると、大きな視点でものが考えられるようになるかも
また、このブログでも、たくさんの追求投稿で日本人とは何か?の解明が進んでいますが、昔からの積み重ねである婚姻にかかわる風習等を紹介することで、日本人解明の一助になればいいなぁ 😀 とも考えています。
画像は泊屋(若者宿)です。こちらからお借りしました。
ではでは、いつもの応援ポチ をお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2008年12月02日

天皇家の婚姻制度(2)日本婚姻史より

江上波夫著『騎馬民族国家』の天皇家の婚姻制度につづいて、高群逸枝著『日本婚姻史』より「天皇の家庭」の項を紹介します。日本婚姻史5 妻問婚~大和時代~の章で触れられています。
江上氏は、族外婚と族内婚をキーワードに展開されているが、高群氏は母系妻問婚を軸に、より内実に迫る婚姻制を明らかにされています。以下、抜粋。
**********************************************
c065-002-t.jpg天皇は母の家に育った。そこがそのまま皇居になった。だから古代の皇居は一定の場所ではなく転々として移ったという説(「古事記伝」本居宣長)がある。推古の言に、「自分は蘇我氏の出身だ」(書紀)とあるのも、欽明皇女ではあるが、母族の蘇我氏に育ったことをいうのであろう。その皇居の豊浦宮も、蘇我氏の当時の本居の地に営まれたものらしい。すなわち豊浦宮も、有名な豊浦寺も、もとは推古の外祖父稲目の居宅だったと諸書に見える。
(写真は「古事記伝」。国会図書館よりお借りしました。クリックすると大きくなります。)
応援よろしく  by岡

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2008年11月30日

天皇家の婚姻制度

氏姓制度における二元性に続いて、天皇家の婚姻制度をみておきたい。(江上波夫著『騎馬民族国家』より。)
前の記事にあるように、天皇家は臣姓の大和の豪族と密接な婚姻関係をもった。天皇氏と通婚した葛城、和珥、平群、蘇我などの大和の臣姓豪族が天皇氏系ではなくて、土着の国神系の豪族であったとすれば、族外婚であったことになる。
一方、天皇家のメンバーの間でさかんに近親結婚が行われたことは、誰でも知っているとおりで、異母兄妹さえ結婚しているくらい極端な族内婚的現象も見逃せない。(記紀にみる兄妹婚を参照。)
では、天皇家における族外婚と族内婚との関係はどのようなものであったか。
年代からみると、族外婚がもっぱら行われたのは応神(270-310)から三世代目の履中(400-5)・反正(406-10)ころまでで、
四世代目の安康(453-6)・雄略(456-79)以後は、天皇家内部の近親婚と土着豪族との族外婚とが併行して行われており、そのまま天智(668-71)の時代に至っている。
もう一つ、天皇家の婚姻関係で注目すべき現象は継体天皇(507-31)前後に現れたもので、応神以後五世代ころまでほとんどまったくみられなかった、連姓の天神系豪族との結婚である。
応援よろしく  by岡

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List 

2008年11月27日

氏姓制度における二元性

騎馬民族は来たのか?②騎馬民族系王朝による日本征服説の証拠!?に続いて、騎馬民族国家と共通する、大和朝廷国家の氏姓制度における二元性を紹介します。(江上波夫著『騎馬民族国家』より。)
氏族制度における二元性
大和朝廷国家は、皇室すなわち天皇氏を中核とした緒豪族の政治的・軍事的連合体であったが、大和朝廷国家の創始・発展に関与した二つのグループがあった。
第一は、世襲の職能をもって朝廷に奉仕し、朝廷に直結ないしは直属した身内的な豪族で、大和朝廷の軍事的・経済的基盤をなし、また大和朝廷を機能せしめたもので、この種の豪族の出自は天孫天神(アマツカミ)系が主要なものであるが、のちには諸蕃系が加わった。
第二には、土着の豪族で、皇室や大和朝廷との関係は、婚姻関係などを通して非常に親縁なものから半独立的なものまでいろいろな段階があるが、要するに、政治的な結びつきで天皇氏とともに大和連合政権を構成した主要な豪族に他ならない。その出自は国神(クニツカミ)と認められるものが大部分である。
この氏姓制度における二元性は、発生的にまったく別個のものの併存的存在として理解されねばならない。
応援よろしく  by岡

にほんブログ村 歴史ブログへ

▽続きを読む▽

List